黒古一夫BLOG

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新・武漢便り(2)――異国から日本の現状を見ると

2013-03-08 10:17:42 | 仕事
(華中師範大学の大学院生と教員)
 
 日本を発って武漢を再訪して5日、到着した翌日から授業を始め、1年生から3年生まで懐かしい顔に出会い、この3ヶ月の空白は何であったのかを考えさせられたが、つらつら思うに、インターネット社会の今日、学生たちも僕もインターネットという「便利」な通信ツールを最大限使って、学生たちからはレポートや質問が届くし、僕の方もそれに応えるということがあり、日本に多3ヶ月間が全くの「空白」だったということはなく、「日本文学(の研究)」を通じて「つながっていた」からこその「懐かしさ」だったのか、と実感した。
 それに、街や大学のたたずまいも帰国する前とほとんど変わらず、地下鉄(武昌地区から漢口地区へ)工事が終わった正門前の珞瑜路も、工事用の遮蔽物が取り除かれただけで、相変わらず車と人でごった返しているのは帰国前と同じで、変わっていたのは、自転車やリヤカーに乗せて売っている果物がミカンやリンゴからイチゴになったぐらいで、相変わらず街は「平穏」そのもの、と僕には感じられた。
 そんな「平穏」な武漢から、ネットのニュース(ネットでは、すべての新聞やテレビのニュースを見ることができ、メディアによって同じ案件を報道するにしても、全く違う見解に基づくものがあり、その意味では「メディア=情報媒体」とは何か、とまさに今日の社会が抱えた重要な問題を考えるのに好都合である)を通じてであるが、日本の政治(安倍政権の政策・思想)を考えると、これは日本にいるときにも言ってきたことであるが、相当「やばい」状態にあるのではないか、と思わざるを得ない。
 その原因は、「日米関係の重視」と言いながら、「アジアの盟主」(安倍首相のおじいさん・岸信介がその一人として画策した戦前の「大東亜共栄圏」と同じような発想に感じられる)を目指すこと、つまり「経済大国」を背景に「国粋主義」を鼓吹するその姿勢から生じている「ねじれ」に、安倍政権は全く気づいていない点にあるように思われる。安倍政権は、最近の週刊誌があおり立てる「日中開戦か?」とか、「もし日中が開戦したら」といった記事に、僕から見たら「悪乗り」しているとしか思えない。
 だからなのだろうか、例えば、昨夜(7日夜)から、沖縄の普天間基地に常駐しているオスプレイの夜間訓練が四国上空で始まったが、アメリカ本土でさえ「訓練」でできなかったオスプレイの夜間訓練を日米安保を理由に黙って認める一方で、沖縄が「屈辱の日」と言っている、サンフランシスコ条約(講和条約)が発行した「4月28日」を「主権回復の日」として国家行事として執り行うという、何ともアナクロニックな考えを披瀝する。「主権回復の日」は、近々閣議決定されるという。「主権回復」といい、先の「教育復興諮問会議」(?)が諮問した「道徳教育の教科化」といい、安倍政権の「復古調=右傾化政策」には目に余るものがある。
 このような、日米関係に寄りかかりながら国内的には「右傾化」を更に進める、このような何とも不思議な政治思想を持った政権に、必ずしも積極的ではないが「60~70パーセント」の支持を与える日本の国民とは何なのか。これは、高速道路の補修や校舎の耐震化、あるいは生活保護世帯の増加、保育所不足などの様々な問題を掲げながら、いっこうに復興が進まない東日本大震災やフクシマの現状を尻目に、オリンピックの2020年開催に「70パーセント」の賛成(本当だろうか?僕の知り合いはほとんど反対だが)を寄せた東京都民と、全く同じ精神構造のように見える。
 何ともおぞましい気がしてならない。
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