黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

歴史から学ぼう(12)――「モラル・ハザード」はどこまで進むのか!

2017-04-24 10:08:47 | 仕事
 安倍自公政権の閣僚や政務官の「モラル」がいかに低下しているか、これをマスコミ・ジャーナリズムは政権の「緩み」「傲り」の表れだといっているが、確かに安倍首相自身の「軽口」や「虚言=事実に基づかない空言」がそもそもの始まりであったとしても、閣僚や政務官たちが「公然」とジャーナリストたちに暴言を吐いたり、世の中の流行を追っているのか「不倫騒動」を起こしているその一番の原因は、「政治のプロ」であるはずの彼らが余りにも「勉強しない」、つまり「不勉強」であることにあるのではないか、と傲慢に思われるかも知れないが、僕は今そのように思っている。
 言い方を換えれば、世の中全体から自分以外の「他者(物・人)」に対する想像力が決定的に枯渇しているのではないか、全てが「ジコチュウ」(自己中心的)になっていて、「他」のことなど全く考えない、つまり「自分さえよければ」という風潮が余りにも世の中に蔓延しすぎているのではないか、ということである。
 例えば、現在問題になっている「北朝鮮」問題にしても、アメリカや日本は北朝鮮のミサイル実験や核実験を問題視するが、核兵器を世界で一番保持しているのはアメリカ(とロシア)であり、日本も世界からは「余りかの傘の下」に存在するというだけでなく、核兵器の材料であるプルトニウムを大量に保持しているところから「潜在的核保有国」とみなされていて、北朝鮮の核実験を非難する権利など、アメリカと共に持っていないことを、どうして誰も指摘しないのか。さらに言えば、北朝鮮を擁護するわけではないが(僕は、「反核・反原発」の立場から、いかなる国の核兵器保有を認めない氏、原発の存在も認めない)、目と鼻の先で自国を「敵」とみなす「米韓(日)合同演習」なる軍事演習が日常的に行われ、また核弾頭を装備した巡航ミサイル・トマホークを積んだ原子力潜水艦が自国領海内に潜んでいる事実(現実)を「無いものとして」、北朝鮮の核武装を一方的に非難することも、また安倍首相のように「悪者」扱いにできないのではないか、と思っている。
 もし、アメリカ軍、あるいは韓国軍、さらには集団的自衛権をこうして自衛隊(日本軍)が北朝鮮を「先制攻撃」した場合、まず北朝鮮の反撃はミサイル(核弾頭を積んでいるかも知れない)による韓国のソウルをはじめ主要都市、そして日本のアメリカ軍基地及び主要都市であること、このことを私たちはどれだけ深く認識しているか。僕は、前にも書いたが、冷戦時代のソ連極東軍の巡航ミサイル「SS20」の標的が日本各地に存在するアメリカ軍基地だ、と副司令官が胸を張って宣言したときの戦慄を今でも忘れることができない。ヒロシマ・ナガサキの現実が如実に物語るように、核兵器が一度爆発すればターゲットだけでなく広い範囲の周辺が放射能に汚染され多くの犠牲者(死者・被爆者)が出ることとを、安倍首相をはじめとして北朝鮮との「戦争」を望んでいるように見える政治家やマスコミは、考えないのだろうか。
 核と人類は共存できない」というのは、ヒロシマ・ナガサキが僕たちにもたらした最大の教訓(教え)である。そんなことは、腹民喜の『夏の花』や大田洋子の『屍の街』から始まる原爆文学の一つでも読めば、すぐ分かることである。にもかかわらず、北朝鮮との戦争をはじめとして「戦争辞さず」と考える保守派は、もう「無知」「馬鹿」としか言いようがない。

 と書いてきて、昨日(4月23日)の朝日新聞の「読書欄」の「『核』の恐怖と破壊 そして希望』富田委sのついた文芸評論家・富岡幸一郎による「ひもとく 林京子の文学」のひどさに、呆れてしまった。呆れたのは、富岡の「不勉強」もあるが、この欄の担当者も表には出ないが、また「不勉強」を露呈したものになっていたからである。
 周知のように、富岡は保守派の言論を代表する「表現者」の編集長で、靖国神社のパンフレット「十年の歩み」(靖国神社崇敬奉賛会事務局編)に、「『A級戦犯』と何か」という文章を寄せていて、その中で「南京の真実」という映画が「『南京大虐殺三十万人』という中国政府の政治的プロパガンダの嘘」と書いた人物である
 そんな「右派」丸出しの評論家に、戦前、幼少女期を上海で送った林京子が生涯中国に対する日本(軍)の「加害責任」(その中に南京事件も含まれる)を感じ続けてきたことは、『ミッシェルの口紅」や『上海』、『予定時間』という作品を読めば一目瞭然であるにもかかわらず、「林京子の文学」wなる駄文を書かせる、編集者も「不勉強だ」というのは、林京子の「上海」体験を元にした上記のような作品を読んでいないらしく、富岡の文章に林京子文学にとって重要な「上海体験=戦争体験に関する記述が一切無いことに気付かなかったように思えるからである。
 林京子について何も分かっていない批評家(富岡幸一郎)が、あたかも何もかも分かったかのように書く、読書欄担当の新聞記者もそれを黙認する、これは政治の世界と同じようにこの世の中で「モラル・ハザード」がいかに進行しているかを物語る事例の一つである、と僕は思った。
 ますます、嫌な耳朶になってきた
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歴史から学ぼう(11)――「戦争」を弄ぶ危険な安倍政権

2017-04-15 05:52:12 | 仕事
 ここ何日か、安倍政権の動きが「怪しい」。
 政府や自民党の「防衛族」が近頃「政権寄り」の姿勢をますます強めているマスコミも巻き込んで、「朝鮮半島有事=北朝鮮との戦争」の可能性を煽っているのである。
 いくらアメリカの「アメリカン・ファースト」を掲げ、ソ連が解体した後「唯一の強大国=世界の警察」を誇っていた時代に「逆戻り」したかのように振る舞い、イスラム過激派がサリンを使ったという理由で(その証拠も明らかでない現段階で)、シリアにミサイルを59発も撃ち込み、アフガニスタンでもイスラム国撲滅を目的に非核兵器で最強の爆弾を投下するなど、「世界の平和」に逆行するような「やりたい放題」のトランプ・アメリカ大統領(アメリカ政府)に追随したものとは言え、先に成立した集団的自衛権を行使して、アメリカが始めるかも知れない北朝鮮攻撃=北朝鮮との戦争に加担する(参加する)ことを当然であるかのように主張している自民党政府や政権寄りジャーナリストの在り方を見ていると、僕にはあまりに「常軌を失している」としか思えない
 第一、冷静に考えてみればすぐに分かることだが、北朝鮮が「祖国防衛」のためとしてミサイル発射実験や核実験を繰り返しているからと言って、ロシアと共に世界最大の「核保有国」であり、臨界前実験という核実験を未だに続け、今度の「北朝鮮への脅迫」にも使われている原子力潜水艦から核弾頭を積んだ巡航ミサイル(トマホーク)を打ち出すだけの能力を持ったアメリカ、及び「潜在的核保有国」であり「アメリカの核の傘の下」にいる日本が(更に言えば、核武装化を目論んでいる日本の右派や自衛隊)、北朝鮮の核武装化をなぜ「非難」し、独立国である北朝鮮の攻撃に参加しなければならないのか、亜mりに母「理不尽ではないか。僕には全く理解できない。
 このように書くと、慌て者(あるいは、頑なな「反共主義者」、日本会議のように天皇主権の「戦前」の社会に回帰することを目指す連中、など)が、「黒古は北朝鮮ー朝鮮総連支持者である」と言いそうなので断っておくが、僕は日本国憲法第9条の精神を「崇高の倫理」と考える「反戦・反核」主義者として、北朝鮮の核実験やミサイル実験には原理的に断固反対する者である。また、周りの(敵対者になるかも知れない)人物を次々と「粛正」して平然としているあの「若き指導者」も、僕は人間として認めない。人間の「生命」を蔑ろにする全ての行為を許すことができないからである。
 ということを明らかにして、更に僕が言いたいのは、安倍政権(や、その別働隊である小野寺元防衛相ら)が集団的自衛権行使という観点から「合憲」であると主張する「敵基地先制攻撃」論の「危うさ」である。何の根拠もなく「北朝鮮=悪」という論理を盾に、自分たちの側に「正義」があるとして、攻撃を仕掛ける、この「敵基地先制攻撃」論がいかに危険な論であるか、それは戦前の「欧米列強の侵略からアジアを守る」として大東亜共栄圏を「仮想」しその盟主に収まり、中国をはじめアジア、太平洋地域を侵略していった日本帝国主義や、「大量破壊兵器がある」としてイラクに侵攻し今日のアラブの混乱の引き金となったアメリカを想起すれば、よく理解できるだろうということである
 国家が「正義」を持ち出す時は、決まってその国家に「危機」が迫っているときである。安倍政権がトランプの「挑発=尻馬」に乗って北朝鮮への先制攻撃を認めようとしているのも、森友学園問題(就中、政権の存続を危うくするような首相夫人安倍昭恵の関与)で、それまで安泰だと思っていた政権の座が危うくなっていることへの「焦り」の反映なのではないか、と僕は思っている。さらに、明治以降「最悪の法律」と言われた治安維持法を想起される「共謀罪」制定が国会審議入りしたことも、国民の顔を北朝鮮(アメリカ)に向けさせようとしていることの真相なのではないか、とも思える。
 それに加えて、僕が腹が立って仕方がないのは、トランプ(アメリカ政府)も安倍晋三(安倍内閣)も、例え戦争が起こっても、自分たちの場と生命は「安泰」であると信じて、「戦争」も辞さないという立場を堅持していることである。過去の歴史を繙けば、すぐに分かることだが、戦争で犠牲になるのは、常に「庶民」であり、「偉い人」は安全地帯にいて、民衆の死をせせら笑っているということである。つまり、戦争に置いて、犠牲になるのはいつも庶民=民衆であって、「お偉いさん」ではない、ということである。
 さらにもう一つ、戦争を引き起こせば必ずその国は「疲弊」し、混乱の極みを呈するようになり、何よりも「自由権」をはじめとして人間の基本的条件が大幅に制限されること、このことについてもあたかも忘れたかの如く、誰も何も言わないこと、先のアジア太平洋戦争から日本人は何も学ばなかったのか、と思わざるを得ない。
 最近、街頭インタビューなどで、「国や家族を守るためには、戦争に行くのも仕方がない」と答える若者が増えているような気がする(このようなインタビューが「やらせ」出ないことを祈る)が、「戦争を知らない世代」が国民の80%を超える現在、戦争がいかに馬鹿げた行為であるか、どうして誰も言わないのか、僕には不思議でならない。
 また、もし仮に「正義」の名においてアメリカが北朝鮮を攻撃した場合、その報復として、(未だICBM<大陸間弾道弾>は完成していないから、北朝鮮は必ず韓国及び日本の米軍基地(だけでなく、大都市も)にミサイルを撃ち返して来るであろうことに対して、これも余りテレビなどでは指摘しない。――ここで思い出すのが、前にも書いたことだけど、冷戦時代に訪れたソ連・シベリア地区の司令官が、極東地区に配備されている巡航ミサイルSS20は、横田や三沢、嘉手納などの在日米軍基地を標的にしている、ということである。アメリカの同盟国(従属国)である韓国と日本、どちらも米朝戦争になれば巻き込まれ、甚大な被害を受けることに間違いはない。この際、自衛隊や関係者が喧伝している「ミサイル防衛システム」によって敵のミサイルを打ち落とす確率は数パーセントという低い確率であるということ、このことも忘れてはならない。
 しかし、このような「米(日)朝戦争」の可能性を煽っている安倍政権や防衛族の国会議員、とそれに同調する「軍事評論家」や「北朝鮮・韓国の事情通」といったコメンテーターの「真の意図」は何なのか。情報に拠れば、アメリカ国内で韓国への旅行制限は行っていないし、北朝鮮も「太陽節(金日成の誕生日)」に外国人記者を多数招待しているという事実である。いくら金正恩が「愚かな指導者」でも、自国が破滅するような挑発行動は行わないのではないか、と思う。
 そんなことを考えると、「戦争」を煽り立てる安倍政権は「政治の表舞台」から消えてもらい、新たに「共生」を旗印とした人々に、その政権を委ねるべきである。
 また、こんな「好機」は無いと思うのに、「内なるいざこざ」を繰り返し、その都度党勢を弱めている民進党、これも何とも情けない光景である。フクシマ後に原発再稼働を最初に行い顰蹙を買った野田元総理を幹事長に引っ張り出すことしかできなかった蓮方氏の「甘さ」、これ生き対することもできないのが、誠に残念である。
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歴史から学ぼう(10)――「共謀罪」が国会審議入りした日に。

2017-04-07 00:34:34 | 仕事
 今日(6日)、安倍自公政権はいよいよ「戦前回帰」=天皇中心主義国家の実現を図る政策の目玉と言っていい「共謀罪」=平成の治安維持法の国会審議入りを果たした。
 しかし、どうも国民は「反体制派」を封じ込め、自分たちの「思想の自由」や「表現出版の自由」などの「自由権」を大幅に制限するこの法律が如何に「危険」なものであるか、余り自覚的ではないように思える。
 そのことは、森友学園問題――そもそもその発端は、安倍首相をはじめとする「右派=日本会議系」の政治家の「国有地払い下げ」への関与(忖度)であり、安倍首相夫人の安倍昭恵を介しての学園への「100万円の寄付」問題であった――が、安倍親衛隊と思しき、例えば時事通信社特別顧問を名乗る田崎某ら「右派」ジャーナリストのマスコミへの総動員によって、籠池理事長夫妻の「人格の問題」「詐欺」問題に矮小化されつつある現状と裏表の関係にあるように思われる
 そんな折、いつも僕の蒙を啓いてくれる札幌在住の畏友から以下のような「情報」がもたらされた。常日頃、どうしてこの人(安倍首相)はこれほどに「歴史から学ばないのか」と思っていたので、「なるほど」と納得させられる情報であった。
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【安倍首相の恩師・宇野重昭氏が死去、生前涙ながらに「安倍くんは間違っている」「勉強していない」「もっとまともな保守に」】=「LITERA」4月5日(2017年)

 成蹊大学の元学長で、国際政治学者の宇野重昭氏が今月1日、肺炎のため86歳で死去していたことがわかった。

 宇野氏は元外交官で、北東アジアや中国政治史を専門とする国際政治学者。そして、安倍晋三首相の母校である成蹊大学の専務理事、学長まで務めた学園の最高碩学ともいえる人物。安倍首相にとっては名実ともに“成蹊大時代の恩師”であり、政界に入ってからも付き合いがあったという。
 その宇野氏が、2015年から「AERA」(朝日新聞出版)誌上で断続的に連載されたジャーナリスト・青木理のルポ「安倍家三代 世襲の果てに」(『安倍三代』として書籍化)の最終回(2016年5月2・9日合併号)に登場。青木の取材に応じた宇野氏は、なんと涙ながらに安倍首相のことを批判していたのだ。
 安倍首相の恩師であり理解者である宇野氏は、この教え子を批判する者たちからかばってきたという。だが、その宇野氏ですら、現在の安倍首相の姿や政策には忸怩たる思いを抱かずにはいられなかったようだ。
 「(安保法制は)間違っている、と思います。正直いいますと、忠告したい気持ちもあった。よっぽど、手紙を書こうかと思ったんです」
「彼は首相として、ここ2、3年に大変なことをしてしまったと思います。平和国家としての日本のありようを変え、危険な道に引っ張り込んでしまった」
「現行憲法は国際社会でも最も優れた思想を先取りした面もある。彼はそうしたことが分かっていない。もっと勉強してもらいたいと思います」
「彼の保守主義は、本当の保守主義ではない(略)彼らの保守は『なんとなく保守』で、ナショナリズムばかりを押し出します(略)私は彼を……安倍さんを、100%否定する立場ではありません。数%の可能性を、いまも信じています。自己を見つめ直し、反省してほしい。もっとまともな保守、健全な意味での保守になってほしい。心からそう願っています」
 もっとまともな保守になってほしい──。宇野氏の心からの願いは、はたして安倍首相の耳に届いているのか。現在の状況を鑑みるに、残念ながらそうは思えない。

 本サイトでは当時、この宇野重昭氏による安倍首相の本質を突く批判と恩師ならではの真摯な忠告を記事にした。あらためて以下に再録するので、ぜひご一読いただきたい。 (編集部)

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 国会ばかりか、サミットでも無知をさらし、ウソやこじつけを吐いて、日本、いや世界中の良識ある人たちから呆れられている安倍首相だが、ここにきて、意外な人たちが痛烈な批判を口にし始めた。それは、学生時代の安倍晋三を指導していた出身大学・成蹊大学の元教員たちだ。
 たとえば、安倍首相の出身学部である法学部で当時、教鞭をとり、安倍首相も授業を受けていたはずの加藤節名誉教授は、こんな厳しい言葉を投げかける。

「大学の4年間などを通して、安倍君は自分自身を知的に鍛えることがなかったんでしょう。いまの政権の最大の問題点は、二つの意味の『ムチ』に集約されていると私は思っています」

 そのうえで、加藤名誉教授は2つの“ムチ”とはignorant(無知)とshameless(無恥)のことだと説明する。母校の恩師とは思えない手厳しさだが、加藤名誉教授の批判はそれだけに止まらない。安倍首相が2013年3月の参院予算委員会で憲法の最高権威である故・芦部信喜氏を「知らない」と言い放ったことを挙げて、さらにこう指摘している。

「(晋三氏は)政治学科ですし、憲法もしっかり勉強しなかったんでしょうね。しかし、改革を訴えているのに、(芦部を)『知らない』なんて言うべきではない。まさに無知であることをまったく恥じていない」

 このインタビューは、昨年から「AERA」(朝日新聞出版)誌上で断続的に連載されているジャーナリスト・青木理のルポ「安倍家三代 世襲の果てに」に掲載されたもの。

 もっとも、加藤氏は昨年の安保法制の際、成蹊大学で結成された「安全保障関連法案に反対する成蹊学園有志の会」の呼びかけ人代表であり、「9条科学者の会」にも名を連ねるリベラルな学者。そういう意味では、痛烈な批判が飛び出しても、当然な部分もある。

 しかし、この「AERA」の連載には、もうひとり、安倍首相にとっては名実ともに“成蹊大学時代の恩師”で、政界に入ってからも付き合いのある元教授が登場し、なんと涙ながらに安倍首相のことを批判しているのだ。

「(安保法制は)間違っている、と思います。正直いいますと、忠告したい気持ちもあった。よっぽど、手紙を書こうかと思ったんです」

 こう証言するのは、元外交官で中国政治史を軸とする国際政治学者、そして成蹊学園専務理事まで務めた学園の最高碩学といえる宇野重昭名誉教授だ。宇野氏は、「AERA」連載ルポの最終回(5月2・9日合併号)で青木氏の取材に答え、教え子である安倍首相との関係についてこう語っている。

「彼(晋三)が入学した当時、私は国際政治学とアジア研究を担当していました。たくさんの学生の一人として彼を見て、成績をつけたのは覚えています。政界入り後も食事をしたり、ゆっくり話をしたこともあるので、ある程度の人柄も知っているつもりです」

「私はどちらかというとリベラリストですが、決して右でも左でもない。中国の要人や知識人に会うと、彼(晋三)をすごく批判し、極右だと言わんばかりだから、『そんなことはありません』とも言ってきたんです」

 恩師であり、理解者。そして教え子を批判する者たちからかばってきたという宇野氏。だが、その宇野氏ですら、現在の安倍首相の姿や政策には忸怩たる思いを抱かずにはいられなかったようだ。

 宇野氏はなんと、このインタビューで涙を浮かべながら安倍首相をこう批判したという。

「彼は首相として、ここ2、3年に大変なことをしてしまったと思います。平和国家としての日本のありようを変え、危険な道に引っ張り込んでしまった」

「現行憲法は国際社会でも最も優れた思想を先取りした面もある。彼はそうしたことが分かっていない。もっと勉強してもらいたいと思います」

「彼の保守主義は、本当の保守主義ではない(略)彼らの保守は『なんとなく保守』で、ナショナリズムばかりを押し出します(略)私は彼を……安倍さんを、100%否定する立場ではありません。数%の可能性を、いまも信じています。自己を見つめ直し、反省してほしい。もっとまともな保守、健全な意味での保守になってほしい。心からそう願っています」

 普通は、自分の教えていた大学から首相を輩出するというのは名誉なはずだが、今、その教え子が現実にやっていることを目の当たりにしたら、やはり学者として黙っていられない、そういうことなのだろう。

 しかも、この「AERA」で証言している成蹊大学関係者の口からは、安倍首相の本質につながるような指摘も出てきている。

 安倍首相の所属ゼミの指導教授は、成蹊大学の看板教授で日本行政学会の会長などを歴任した佐藤竺氏だが、佐藤氏からその様子を聞かされた元教員が安倍首相の学生時代について、こう語っている。

「ゼミの場で彼(晋三)が発言しているのを聞いたことがない。(略)ゼミで彼が熱心に自分の主張を口にしたとか、リーダーシップを発揮して議論をリードしたっていう記憶は皆無です。彼が卒業論文に何を書いたのかも『覚えていない』って佐藤先生がおっしゃっていました。『立派な卒論はいまも大切に保存してあるが、薄っぺらな卒論は成蹊を辞める時にすべて処分した。彼の卒論は、保存してある中に含まれていない』って」

 前出の加藤氏も同様に、安倍首相の影の薄さを指摘している。

「安倍君も私の授業を受けているはずなんですが、まったく記憶にないんです。(略)授業の後、質問に来た記憶もない。平凡な学生だったんでしょう。(安倍氏が政界で知られるようになってから)先輩や同僚に聞いてみたんですが。ほとんど覚えていないと言うんです」 

 青木氏はこうした数々の証言から、〈岸の政治的思想を深く突き詰めて思索を下支えする知性をきたえあげた様子もない〉〈16年も籍を置いた学び舎で何かを深く学んだ形跡がない〉と喝破している。そして、安倍氏が代わりにやったことが、自分の周りを理解者だけで固めてしまうことだった。

 安倍首相と学生時代から深い付き合いのあった前出の恩師・宇野氏は、その性格や行動をこう言い表している。

「気の合った仲間をつくり、その仲間内では親しくするけれど、仲間内でまとまってしまう。情念の同じ人とは通じ合うけれど、その結果、ある意味で孤立しています」

 これは、見識を深めようとはせず、真摯な批判を無視し、周囲を“お友達”だけで固め、自分が望むことだけに目を向けようとする現在の態度と見事にリンクするものだろう。

 そして、こんな人物だからこそ、集団的自衛権を“憲法解釈”だけで変更し、特定秘密保護法や安保法制を制定するなど数々の暴挙を行うことが可能だったのだ。アベノミクス失敗の批判を免れるためだけにサミットで手前勝手なデータを捏造し、「世界の経済危機」などという大ウソを世界に発信し、公約や前言を簡単に翻すことに、何の躊躇もなく恥じることがない。

 執筆者の青木氏は安倍首相のことを〈空疎な小皇帝〉と称しているが、まさに本質を突く表現だろう。

 しかし、その空っぽなものによって、日本はとんでもない危険な道に引っ張り込まれようとしている。成蹊大学の恩師達の言葉にもっとも真剣に耳を傾けなければならないのは、私たち有権者なのかもしれない。(野尻民夫)

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歴史から学ぼう(9)――教育現場に「教育勅語」、安倍首相=日本会議の野望がいよいよ……

2017-04-04 09:29:44 | 仕事
 昨日の菅官房長官の「教育勅語」を教材として使ってもいいという閣議決定を伝える記者会見を聞いていて、本気で思ったのは、「こいつら馬鹿か、本当に度し難い連中だ」、というものであり、このような人物が官房長官に居座っている安倍内閣に未だ「50%」の支持を与えている国民(僕ら)への「やり場のない怒り」と「侮蔑」である。
 菅「極右」「安倍の腰巾着」官房長官は、「教育勅語」の中に書かれている「親を大切に」とか「夫婦仲良く」とかの「常識的道徳観」が書かれたものだから、今後は「教科書」で教えることになった、つまり国語や算数などの教科と同じように「評点をつける」道徳教育の教材として使うことができると力説し>、「教育勅語」の最大目的である「一旦緩急あれば(戦争などの一大事が起これば)、国家・天皇のために命を投げ出さなければならない」というについては一言も触れない点で、「嘘(虚言)や「強弁=軽口」で事態をやり過ごしてきた安倍首相や稲田防衛相と「瓜二つ」で、何とも許し難い。
 更に言えば、「教育勅語」が明治23年に発布されてからアジア太平洋戦争が終結するまで、軍国主義教育の中心を担ってきた歴史=事実をあたかも「無きが如き」とする、その歴史修正主義(改ざん主義)も、断固断罪されなければならない。
 このような菅官房長官(安倍内閣)の「教育勅語」への対応を見ていると、安倍首相らの意を体現していると思われた森友学園籠池前理事長の爆弾発言(首相夫人安倍昭恵の森元学園への寄り添い・共謀)に「裏切られた」安倍首相=日本会議が、森友学園問題を逆手にとって、「数を頼り」に一挙に年来の主張である「戦前回帰」――天皇中心の国家主義の実現、「教育勅語」はまさにその国家主義を体現するものである――を実現しようとしたことの結果なのではないか、と思われる。
 また、このことは、前にも書いたことがあるが、安倍首相が首相就任当初から唱えている「戦後レジュームからの脱却」の意味が、ここに来て明らかになってきたということでもあった。安倍首相=日本会議の言う「戦後レジュームからの脱却」は、単なる戦後の価値である「平和と民主主義」、つまり「日本国憲法」の思想を否定するだけでなく、「天皇主権」の「戦前回帰」を目指すものだったのである。
 そんな安倍自公内閣に、戦後の「平和と民主主義」に様々な恩恵を受けている国民が「50%」の支持率を与える、僕でなくとも「馬鹿か!」と言いたくなるのではないだろうか
 目先の利益より、自分の子どもや孫。ひ孫が「戦争」に狩り出されるような――「共謀罪」を成立させた後に待っているのは、中国や北朝鮮の「脅威」を前面に押し出した「徴兵制」の実施が必須となる――今日的政治状況に対して、僕らはもっともっと敏感にならなければならないのではないか、昨日のすが官房長官の記者会見を見ていて、つくづくそのように思った。
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歴史から学ぼう(8)――「森友学園」・安倍首相夫妻・日本会議

2017-03-27 10:06:13 | 仕事
 魔にも紹介したが、札幌在住の畏友島田昭吉氏(もと北海道新聞社会部記者)から、「森友学園」問題に関する、以下のような情報(水島朝穂・早稲田大学法学芸術学院教授のコメント)が寄せられた。僕の言いたいことを、さすが憲法学者と思われる筆致でこの問題の「全体像」を見事に代弁してくれていると思うので、少し長いが、転記する。

【「構造的忖度」と「構造的口利き」――「構造汚職」の深層】

=水島朝穂 3月27日(2017年)

3月23日(木)10時からの参議院予算委員会の証人喚問(森友学園理事長・籠池泰典氏)を(フムフム式) 根っこに 国粋主義「日本会議」 人脈リアルタイムでしっかりみた(衆院の方は録画で)。久々の証人喚問のテレビ中継である。しかし、この証人喚問に私は疑問をもった。「私人の参考人招致は慎重に」として籠池氏の参考人招致に反対していた与党が、「総理を侮辱した」(竹下亘・自民党国対委員長)ということで、一転して証人喚問に向かったのが解せないのである。これまでも多くの私人が参考人招致されている。本件の場合、籠池氏だけでなく、安倍昭恵氏と松井一郎大阪府知事、財務省の迫田英典前・理財局長らを含む招関係者の参考人致は必須だった。ところが、与党は、首相への侮辱を理由に籠池氏だけの証人喚問を求めてきた。この場面で野党は、事案の解明に必要な関係者全員の参考人招致を求めて、「懲罰的証人喚問」にいったん反対すべきだった。与党には、偽証罪に問われる証人喚問で籠池氏の口を封ずるという意図がかなり露骨にみられた。これは国政調査権の何たるかを踏まえないものである。

 憲法62条は、「両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」と定める。各議院の国政調査権である。その性格について、憲法学説上、国会の「最高機関」性からくる独立権能説と、「立法機関」性を重視した補助的権能説とに分かれる。後者が通説とされているが、議院内閣制を前提とすれば、政府に対する国会の統制と責任追及は重要であり、その手段として国政調査権を位置づけるならば、「補助的」という表現は軽くみられてはならない。政府の議会統制を補助するものと考えるべきだろう。ちなみに、ドイツ基本法44条1項は、議員の4分の1の要求による「調査委員会」設置を義務づけており、議会内の少数派(野党)による政府のチェック手段として機能している。一方、日本国憲法の場合は、二つの院がそれぞれ単体で国政調査権を保持している。ただ、多数を占める与党の賛成なくしては行使できないため、的確な政府統制の手段としては必ずしも十分ではない。

 さて、今回、与党が一気に証人喚問に突き進んだのも、偽証罪で籠池氏を黙らせられるとふんでのことだろう。議院証言法により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、3月以上10年以下の懲役に処せられる(同法6条1項)。また、正当な理由がないのに証言等を拒否したときは1年以下の禁錮又は10万円以下の罰金となる(同法7条1項)。参考人招致(国会法106条)があるが、これは証人喚問とは異なり罰則がない。与党は、「100万円」に関する籠池発言に仰天して、罰則付きの証人喚問で局面の打開をはかろうとしたのだろう。

 そのため、23日の参議院での証人喚問では、自民党の西田昌司議員は、最初から籠池氏に対して過度に挑戦的でかつ挑発的な表現を使い、籠池氏の学校建設の見通しの甘さなどを執拗に突くとともに、昭恵夫人と籠池氏の妻とのメールのやりとりを先手必勝とばかりに公表して、「あなた、偽証に問われますよ」と恫喝的な態度をとった。さすがに、野党席から「恐喝まがいだ」とヤジが飛ぶほどだった。

 午後からの衆議院での証人喚問では、警察官僚出身の葉梨康弘議員(自民)が、取り調べのように暗く、粘着質の質問で籠池氏を追い詰めようとしていた。真相究明というよりも、偽証となるポイントを見つけようとする質問姿勢だった。公明党の富田茂之議員は、証人喚問終了後、「あぶり出したかったのは大うそつきだってことですよ。総理や昭恵夫人に対してああいう 無礼なことを言ってくるわけだから」(TBS ニュース23日夜)と、自民党と一体で「総理侮辱」の線である。司法試験に合格した弁護士にしては、証人喚問の本来の趣旨がわかっていない。日本維新の会・下地幹郎議員に至っては、「またも下地か」とあきれるような侮辱的で恫喝的な姿勢で籠池氏に迫った。議員証言法5条の6が禁ずる「威嚇的又は侮辱的な尋問」に該当するのではないか。なお、下地議員は口が滑ったのか、「松井さんはあなたが学校ができるようにはしごをかけて、はしごから落ちたのはあなた自身なんですよ」と、松井一郎大阪府知事が森友学園に対して便宜を図っていたことを漏らしている。様々な問題が指摘されたにもかかわらず学校設置の規制緩和をはじめとして森友学園に知事が深くコミットしてきたという認識が身内の議員の口から出てしまったということだろうか。

 籠池氏は、証人喚問後に日本外国特派員協会で行った会見で、「ちょっとでもウソをついたら、偽証罪で留置場に入れるぞ、という脅かしが常にあったと認識している。・・・総理を侮辱したということだけで、私人を国会で喚問するということは、どこの国にあるのか」と述べたが、その通りだろう。与党の国会議員(+下地議員)は、首相を守るために証人を偽証に追い込もうとしていた。政府の統制とチェックという点からいっても、証人喚問の誤用・悪用と言わざるを得ない。安倍首相は、昭恵夫人の証人喚問要求との絡みで、「不正や刑事罰に関わることをやっているわけではないので、証人喚問に出ろというのはおかしな話だ」と答弁した。これは、証人喚問は罪に問う場という発想を吐露してしまったわけである。自らを「立法府の長」と呼んでしまう首相である。こういうやり方や言動によって、今回、国政調査権が貶められたことはしっかり記憶しておく必要がある。

 「森友学園問題」の細かな経過や論点についてここでは立ち入らない。ただ、私が最も印象に残ったのは、前述の外国特派員協会における籠池氏の言葉である。「今、日本人の大多数が感じている閉塞感の根源が、ここにあるのではないかと思う。訳の分からない空気、訳の分からない力が、何か動いていて、その力によって物事が進み、(学校計画が)なくなっていってしまうんじゃないかなあ、と思う」「非常に瞬間風速で速い神風が吹いた。ところがその後で、同じくらいのスピードのある逆風が吹いている」(『毎日新聞』3月24日付)。「神風」について記者が質問すると、籠池氏は自虐的ともみえる笑みを浮かべつつ、「安倍首相と昭恵夫人の心を心として忖度して動いてきたのではないか」と答えた。通訳が、「忖度」の英訳に一瞬手間取ったのが印象的だった。「安倍首相は辞めるべきか」という質問に対しては、「私は嘘はいけない、と思っている。非常に心が痛い、胸が痛い。これは〔首相〕ご自身で決定することだと思います」と述べた。

 55年体制下の日本的政治文化ともいえる「稟議と根回し」が失せて、安倍一強時代においては「構造的忖度」が定着したように思う。単なる「忖度」ではない。安倍政権のもと、内閣人事局(2014年5月の発足時の所管大臣はあの稲田朋美氏)によって、本省課長以上の人事は官邸に握られている。誰も官邸にたてつけない。忖度は深く、広く浸透し、誰も指示しなくても、誰も何も言わなくても、「偉大なる首相」の意向を推し量ろうとする。まさに行政各部に至るまで、それが浸透していたのではないか。これを私は「構造的忖度」と呼ぶ。あれこれの政治家が、直接、官僚に依頼・要望をする必要はない。いわんや首相が直接「口利き」をするなんて、通常は考えられない。わずかな時間、担当者を呼び出して、一般論で雑談するだけで、官僚には必要以上に伝わる。すでに忖度が構造化しているから、今回の問題でも何も証拠は残らない。

 籠池夫人と昭恵夫人との間のメールのやりとりの濃密さはすさまじい(昭恵リークス参照)。この問題が最初に国会で取り上げられたとき、安倍首相は突き放したような答弁をしていたが、ここまで濃密な関係であったことが証言や物証(メールの履歴)で明らかとなった。特に問題なのは、国有地の借地契約延長と関連して、籠池氏が昭恵夫人の携帯電話にメッセージを残すと、しばらくして昭恵夫人付きの政府職員(谷査恵子氏)から「現状では希望に沿うことができないが引き続き当方としても見守ってまいりたい」「なお、本件は昭恵夫人にもすでに報告させていただいております」というファックスが届いたことである。ファックスの2枚目には、工事費の立て替え払いの予算化について、「平成27年度の予算での措置ができなかったため、平成28年度での予算措置を行う方向で調整中」とある。このファックスについて、安倍首相は24日の参院予算委員会で、「内容は『ゼロ回答』で、忖度していないのは明らか」と答弁した。そもそも、首相が、労使の賃金交渉で使う用語である「ゼロ回答」という言葉を使った段階でアウトである。なぜなら、賃上げ要求に対して「ゼロ回答」なのだから、そのファックスが、財務省の担当部局に対する国有地借地契約延長の要望であったことを認めていることになる。首相夫人付き政府職員からの問い合わせに対して、いちいち細かな指示などしなくても、担当部局は「構造的忖度」のなかで、「要望」に沿った措置をとっていったわけである。言わば、首相夫人による「構造的口利き」である。担当部局にとって、その事案が、「安倍昭恵名誉校長」という情報だけで十分である。評価額9億5,600万円の土地が、突然8億円も減額され、籠池氏自身、「想定外の値下げにびっくりした」と証言した通りである。「神風」とは「安倍晋三」とその名前にほかならない。

 そこへきて、大阪府の松井一郎知事は、「火に油を注いでいるのが安倍総理だ。忖度はあったと、はっきり認めるべきだ」と求めた(『朝日新聞』3月26日付)。松井知事としては、身内の下地議員から森友学園へのコミットメントを漏らされてしまったので、安倍首相に責任転嫁を図っているのかもしれないが、正直に「忖度」があったと言ってしまえというのは、狭量な安倍首相には無い物ねだりだろう。また、松井知事は同時に、「良い忖度と悪い忖度」があり、森友学園に関する忖度は「良い忖度」とも言っている(同)。しかし、「良い忖度と悪い忖度」の基準は何なのだろうか。はなはだ疑問である。

 ここで注目しておきたいのは、松井知事も含めて、籠池氏と森友学園をめぐる動きは、ほとんどすべて「日本会議人脈」のなかで起きた出来事だということである。籠池氏が証人喚問のなかで挙げた国会議員、府会議員はことごとく日本会議のメンバーである。それが鮮明にあらわれたのは、愛知県蒲郡市にある私立海陽学園に推薦入学枠があると偽って、生徒を集めていたことである。これは海陽学園側が全否定したが、籠池氏は当初、コンサルタントの勘違いで誤記入したと答えていた。これは信じられないと思っていたが、今回の証人喚問で納得できた。学校法人海陽学園理事長の葛西敬之(JR東海会長)と何かの会合のおりに、「いい小学校ができますね」と言われたことから、そこへの推薦がもらえると思ったとしている。籠池氏は、「いい小学校」と言われただけで、推薦枠の話まで頭が行ってしまうようである。普通ならあり得ない飛躍だが、日本会議のお友だち意識のなかでのことだとすれば理解できる。この葛西氏とは、3年前、日本会議系メンバーばかりのシンポジウムに「究極のアウェイ」として参加した際にご一緒したことがあるので、その主張や発想がよくわかる。籠池氏はまさに「日本会議」のお友達ということで、小学校開設に向けて、大甘の手法や対応をとってきたのだろう。この甘えが許されると籠池氏が錯覚してきたのは、まさに安倍首相の存在をおいてほかにない。すべては安倍首相に対する「構造的忖度」のなかで可能と考えたのだろう。

 日本会議というウルトラナショナリストの団体は、政治家、企業人、教育関係者などの広いネットワークを利用して、籠池氏の偏向教育学校の出発を見守っていた。籠池氏の安倍首相を頂点とする日本会議人脈への「思い入れ」は、具体的な設置認可段階で「思い込み」に転化して、今回のような「思い違い」から「壮大なる勘違い」へと発展していったわけである。政治家も企業人もみな、「直接頼まれたわけではない」と異口同音にいっているのは、この籠池氏の日本会議人脈への「思い入れ」の深さと「思い込み」の強さに気づかなかったからではないか。

 海外メディアは、「安倍晋三夫妻、ウルトラ・ナショナリスト(国粋主義)学校に寄付の疑い」というトーンである(英紙『ガーディアン』電子版3月24日など)。安倍政権はこれまでの自民党政権とは異なる特殊性をもつ。それは日本会議政権であることだ。ウルトラナショナリズムと海外メディアが伝える政権であるがゆえに、日本会議系列の同志意識からくる「忖度」と、通常の役人のルートにおける「官邸の声」に弱いというまさに、通常の政官財の通常のトライアングルのなかで起きたことが重なっている。籠池氏は、『日本会議の研究』(扶桑社新書)の著者、菅野完氏を、「敵の敵は味方」とばかり信頼して、さまざまな手をうった。安倍政権にとって、籠池氏は、最も危ない「獅子身中の虫」となったわけである。

 ここで確認しておこう。2月17日、安倍首相は衆院予算委員会で、「私や妻が、この認可、あるいは国有地払下げに、もちろん事務所も含め、一切関わっていないことは明確にさせて頂きたい。もし関わっていたんであれば、これはもう、私は総理大臣を辞めるということでありますから、ハッキリと申し上げたい。〔…〕繰り返しになりますが、私や妻が関係していたということになれば、これはもう、まさに、私は総理大臣をもう、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということは、ハッキリと申し上げておきたい。」と答弁した。少なくとも国有地売却への「構造的口利き」や「構造的忖度」は明らかであり、少なくとも「妻が関係していたということになれば」という点は明白である。この答弁も軽々と反故にするのだろうか。「無知の無知の突破力」でここまで来た安倍首相だが、首相夫人の怪しげな「関係」に関してはさすがに苦しく、突破力も尽きてきたのではないか。



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