黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

民主主義の危機(1)――「共謀罪」衆院通過、この国はどこに向かっているのか?

2017-05-24 09:45:58 | 仕事
 私事になるが、この10日余り、風呂場をリフォームするために知り合いの大工さんはじめ何人もの職人さんたちが出入りしていたので、集中して仕事をすることができず、したがってこのブログも書くことができなかった。
 多くの国民が「NO」と言い、「審議不十分」と言っていたにもかかわらず、「平成の治安維持法」と言われる「共謀罪」が委員会で強行採決され、また衆院でも自民党、公明党、維新の会の賛成多数で可決されるという事態になってしまった。
 国連の人権理事会の特別報告官さえ、「共謀罪」は「個人のプライバシーを著しく侵害する」と安倍首相宛に書簡を送ったというのに、すべての「反対」意思を無視して、数を頼みに、強行採決を行った安倍自公政権。前にも書いたが、「天皇制の転覆=革命」を志向する共産主義者の取り締まりを主目的として制定された戦前の治安維持法が、15年戦争体制下に置いて、自由主義者、宗教者をも取り締まりの対象とし、自由主義者の三木清や大本教の出口王仁三郎、創価学会の戸田城聖など新興宗教の指導者たちを逮捕投獄した歴史的事実を、私たちはもう一度思い起こすべきである。特に、公明党の政治家たちに望むのは、今はいいとして、状況が変われば自分たち公明党(創価学会)も取り締まりの対象になるということを、本当に分かっているのか、ということである
 
 ファシズムの恐ろしさをよくよく知っているのは、公明党よ、あなたたち宗教者なのではないか、と僕は思っているのだが、あなたたちは「権力」側にいることの心地よさに酔いしれているのだろうか。
 それにしても、安倍一強体制がいかに「反国民」てきな体制であるか、それは「政治を私物化=やりたい放題の政治」を如実に示す森友学園問題に引き続いて加計学園問題が起こったことで、いよいよ明らかになったと思うのだが、何度も何度も同じことを言うようだけど、そんな安倍自公政権に「支持率五〇%」を与えてきている我が国民もまた、そのような「ファシズム政治」を招いた責任ということでは「同罪」であるということ、このことも忘れてはならない。

 そのような「民主主義の危機」的情況に対して、わが「文学」の世界ではどうなっているのか、日本ペンクラブは共謀罪に対して「反対」の声明を出したが、大方はひたすら「我関せず」とばかりに「内」に閉じこもっているように思えてならない。
 それは、少し古い情報になるが、村上春樹の二〇〇枚に及ぶ新作長編『騎士団帳殺し』(上下)に対する「歓迎=評価」ぶりに象徴されているのではないか、と僕は思っている。『騎士団帳殺し』について、僕は「大法輪」(来月6日発売)に「出版不況」との関係で書いたのだが、その一部を以下に紹介する。

<そんな出版不況などどこ吹く風とばかりに、この二月二五日、新聞各紙やテレビなどのマスメディアを動員して、「七年ぶりの長編」である村上春樹の『騎士団長殺し』(新潮社刊)が、「第1部「顕れるイデア編」初版七〇万部、「第2部「遷ろうメタファー編」同六〇万部で発売された。第1部、第2部併せて一三〇万部の発行部数は、一〇万部売れれば大ベストセラーと言われる現在の出版界にあって、異例中の異例である。『ノルウェイの森』(八七年)の発行が今日まで累計で一〇〇〇万部を超え、七年前の『1Q84』(book1 book2 book3 〇九年~一〇年)が合わせて三〇〇万部を超える売り上げとなったことや、村上春樹が毎年のようにノーベル文学賞の候補になってきたことなどを勘案(かんあん)して、版元は初版一三〇万部から初めて更なる売り上げを狙ったのだろうが、では肝心のこの長編小説の中身は、発行部数に見合うだけのものを読者に与えるものだったのだろうか。
 『騎士団長殺し』評価
 第1部、第2部合わせて二〇〇〇枚を超える大作となった『騎士団長殺し』は、発売されると同時に新聞各紙が挙ってその書評欄や文化欄で識者の「批評」や「読後感」を掲載し、「朝日新聞」や「読売新聞」、「毎日新聞」、「東京新聞」(共同通信配信)などでは、村上春樹のこの新作に関するインタビューを掲載した。いくら毎年のようにノーベル文学賞候補として取り沙汰される村上春樹の新作だからといって、メディアが総体で持ち上げるこの光景、ちょっと「おかしい」「異常な現象」と思ったのは、私だけではないだろう。
 というのも、これまでに『村上春樹――ザ・ロスト・ワールド』(八九年 六興出版刊)、『村上春樹――「喪失」の物語から「転換」の物語へ』(〇八年 勉誠出版刊)、『村上春樹批判』(一五年 アーツアンドクラフツ刊)という三冊の村上春樹論を刊行し、村上春樹のほぼ全作品を読んできた者として、目にした新聞各紙の書評や読後感の大半に私は違和感を持たざるを得なかったからである。また、各紙のインタビューで村上春樹が「物語の力を信じる」とか「日本という国の傷 僕なりに何かをしたかった」と語っていたことも、実際の内容から受ける印象と違っていて、同じく違和感を感じた。
 物語は、突然妻から「別れて欲しい」と言われた主人公(肖像画家)が、一人でオンボロ車を駆って北海道・東北地方へ傷心旅行を行い、その後美大時代からの友人が所有する小田原市郊外の小高い山に建つアトリエ付きの山荘に落ち着き、そこで友人の父親で有名な日本画家が書いたと思われる「騎士団長殺し」という画を発見し、そこから金持ちの「免(めん)色(しき)渉(わたる)」や中学生の美少女「まりえ」との交流が始まり、奇妙な「冥(めい)府巡(ふめぐ)り」を経て別れたはずの妻の元に戻る、というものである。「喪われたもの」を探して「再生」への旅に出るという物語の基本構造は、デビュー作『風の歌を聴け』(七九年 群像新人文学賞作)以来、一貫して変わらない村上春樹文学のテーマであり、その意味で「既視感」満載のこの新作長編は「安心」して読むことができる仕上がりになっている。
 作中に「穴」や「壁」が登場し、その穴や壁を通過して「向こう側の世界=闇・異界・彼岸」に行き、その体験を経て「再生」へと至るという筋書きも、また物語の中に「騎士団長」なる主人公と「まりえ」にしか見えない「向こう側」の住人――物語を前に進める役割を持った狂言回し。このような存在もまた、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(八五年)の「やみくろ」や、『ねじまき鳥クロニクル』(第1~第3部 九四~九五年)の「綿谷ノボル」、『1Q84』の「リトル・ピープル」などお馴染(なじ)みである――が重要な役割を持っていることも、いつもの長編と同じである。さらには、どのような意味があるのか分からないほどポルノ小説紛(まが)いの「セックス」描写が頻出するのも、従来の作品と変わらない。『騎士団長殺し』を紹介する「東京新聞」の文化欄が、「春樹さん新作 おなじみの設定満載」と見出しを付け、「朝日新聞」の書評(評者斉藤美奈子)が「『穴』にどっぷり 春樹入門編」としたのも、この新作長編が「自作解説」的な側面を濃厚に持ち、また主人公の肖像画家の考え方や在り方が「作家村上春樹」の生き方や作風を彷彿とさせるものだったから、と思われる。
 しかし問題は、過去の作品と同じように「喪失(絶望)からの再生」を描いたこの長編には、例えば国の行く末を左右するような「共謀罪(テロ等準備罪)の制定を巡って混乱・混迷の様相を呈しているこの国の「現実=外部」が描かれていないところにある。つまり、作家の「内部(内面世界)」や「生の危機」は描かれていても、この長編からは作家や私たちが生きているこの社会の「現実」が見えてこないということである。具体的には、物語の時間は「3・11(東日本大震災・フクシマ)」の前後に設定されているにもかかわらず、登場人物たちは未曾有の災害であった「3・11」に対してどんな考えも披瀝せず、また「騎士団長殺し」という画に関わって、ナチスドイツのオーストリア侵攻(侵略)や日中戦争時における日本軍が行った「南京大虐殺事件」も出てくるが、それらの「歴史」が登場人物たちの「内面」や生き方に関わることはなく、単なる「点景」で終わっているということである。
 要するに、『騎士団長殺し』は、ナチスドイツによるオーストリア併合や日本軍による南京大虐殺という歴史的事実も主人公や登場人物の内面と関わらないが故に、作者自身が言う「日本という国の傷」をえぐりだすことにも、またそのような「傷」を持つこの国の現実にも「異議申し立て」することもない小説になってしまった、ということである。そもそも、手慣れた手法とは言え、この長編を主人公等が「騎士団長殺し」という奇妙な日本画に導かれ、「こちら側の世界=現実」と「向こう側=異界」とを行き来する「定番」のミステリー仕立てにしたところに、大きな問題があったのである。
 これでは、社会の現実と鋭く切り結ぶ文学に与えられるノーベル文学賞を村上春樹に期待するのは、今年も無理なのではないか、と思わざるを得なかった。>

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冷静に! なお冷静に!(2)――このおっさん(安倍首相)、何を考えているのか?

2017-05-04 10:45:03 | 仕事
 「冷静に!」とタイトルを付けたが、昨日の安倍首相の戦前回帰を目指す「日本会議」系の改憲集会に送ったビデオ・メッセージの内容を見て、「冷静に!」などと言っていられないのではないか、と思った。
 そのメッセージの中で触れられている「日本維新の会」にしっぽを振るような俗耳に入りやすい「高等教育(高校・大学)の無償化」については、授業料や入学金で財政を賄っている「私立」の高校や大学のことを考えれば、そうでなくとも毎年「赤字国債」を発行して何とか当面の財政難を取り繕っている現状を考えれば、「高等教育の無償化」を保障する財源をどのように確保するのか、という大きな問題を考えれば、リップサービス以外の何者でもない。
 問題は、昨日のメッセージで、「北朝鮮や中国の脅威」を暗黙の前提として、従来の憲法第9条第1項・第2項はそのまま据え置き、それに加えて、「自衛隊=国防軍」の設置を明文化した「第3項」を憲法改正の目玉として、東京オリンピックが開かれる2020年には施行したいと明言したことである。
 もう一度、おさらいをする。日本国憲法第9条「戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認」の
 「第1項」は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
 「第2項」は、「前項の目的を達するために、陸海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
 となっている。
 たぶん、このおっさん(安倍首相)は、きちんと「国語」を勉強してこなかったから日本語文を正しく読めないのだろう。これは、集団的自衛権行使を容認する安保法制の国会通過の時にも指摘したことだが、今回の北朝鮮問題に関して、集団的自衛権を行使する(例えば、アメリカ軍の艦船を自衛隊が警護する)のは、もうすでに「第1項」の「武力による威嚇」を行ったのと同じで、多くの憲法学者が集団的自衛権行使は「違憲」だというのは、間違っていないのである。 アメリカ軍が、原子力空母カール・ビンソンを日本海に展開し(それと自衛仮名は強度訓練を行い)、かつICBM(ミニットマン3)の実験をお粉たことを許容する安倍内閣は、安保法制上は当然と思っているかも知れないが、そもそも安保法制そのものが「違憲」なのだから、なにをかいわんやである。
 (1)でも書いたことだが、北朝鮮にしてみれば、「米韓合同軍事演習」も世界第7位を誇る武器(戦闘機や軍艦、ミサイル、等々)を備えた自衛隊の存在も「脅威」である。
 安倍首相の今回のメッセージによって伝えられた「第9条の改正=自衛隊(国防軍)の設置を銘記した第3項の追加」もまた、北朝鮮や中国から見れば「脅威の増大」なのではないだろうか。
 そこで、言うのだが戦争=敵対関係に抗する思想は、「共生」しかない。アメリカの尻馬に乗って、外交努力など一切せず「敵対」し続け、国民に「恐怖」を煽る。北朝鮮のミサイルが飛んでくるかも知れないからと言って、地下鉄を止めたり新幹線を止めたり、政府の公報で「気をつけろ」と言ったり、「このおっさん、何馬鹿なことをやらせているのだ」、としか思えない。もし、本気で北朝鮮のミサイルが飛んでくると思ったのであれば、まず当然北朝鮮(だけでなく、中国やロシアのものも)のミサイルが標的にしている原発を即時停止すべきであるのに、そのことには一切触れない。
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冷静に! なお冷静に!(1)――好戦・扇動家の首相の下で

2017-05-02 05:34:52 | 仕事
 このところずっとマスコミや自民党タカ派が煽っている今にもアメリカと北朝鮮が戦争を始めるかのような報道に接し、今更ながら思ったのは、いつから日本人は先のアジア・太平洋戦争に「敗北」した事実を認めたがらなくなったのかということであり、朝鮮半島で「戦争」が起こったら大きな被害を受けるのは、朝鮮半島の民衆であるのはもちろん、巨大なアメリカ軍基地が何カ所も存在する日本であるという事実に、なぜ目をつぶっているのか、ということである。歴史を繙けばすぐ分かることだが、近代の戦争は、「国内」に大きな問題を抱え、それが解決できない場合(内憂)、その問題の解決を「外」に求めようとするときに起こってきたわけだが、その事実を教訓とせず、またぞろ「戦争」を引き起こそうとする勢力が我が物顔で、今の日本には跋扈している。
 今回の「北朝鮮」問題は、多くの識者が言うように、アメリカ大統領選に勝利したものの「公約」のほとんどが頓挫してしまいそうなことに焦った「アメリカン・ファースト」を掲げるトランプが、前前大統領のブッシュがイラク戦争を始めたのと同じように、「東アジアの危機(北朝鮮の脅威)」を演出した結果であり、オバマ前大統領時代には何とか「平和的(対話で)」に解決しようとした北朝鮮のミサイル開発や核実験を「力づくで」押さえ込もうとしたことに起因している。このトランプの「暴力」的な極東戦略に、トランプと同じように「アベノミクスの失敗」や「森友学園問題」という国内問題を抱える安倍首相が「便乗」し、何とか現在の苦境を乗り越えようとしているその結果が、今回の「北朝鮮」問題の本質である
 そんな国内外の情況に悪乗りし「今にも戦争が起こる」かのように煽っているのが、「北朝鮮通」と称するジャーナリストであり、軍事評論家、外交評論家、と称する「怪しげな」人物たちと、それwpろゆしているマスコミ・ジャーナリズムである。
 しかし、安倍首相や彼らが口々に発している「北朝鮮の脅威」は、、北朝鮮側にしてみれば、「脅威」は毎年春に朝鮮半島の南部で行われてきた「米韓合同軍事演習」であり、アメリカがシリアに向けて発射した59発のミサイルであり、先日行われたようなICBM(大陸間弾道だ)の発射実験であり、何よりも朝鮮半島の両側水域に展開している巡航ミサイル(核ミサイル)を搭載している原子力潜水艦、ということになるのではないか。最新鋭のイージス艦や最新装備を誇る自衛隊も、また嘉手納基地や岩国基地、横田基地などに展開するアメリカ軍の存在そのものも、当然北朝鮮からは「脅威」とみなされているはずである。
 アメリカ・日本が「北朝鮮の脅威」を持ち出せば、北朝鮮側も「日本とアメリの脅威」を持ち出す。僕など「お互い様」としか思わないが、マスコミ・ジャーナリズムは「北朝鮮の脅威」だけを連呼し、安倍首相夫妻の関与が明らかな「森友学園」問題を隠蔽し、「国際紛争を解決するための戦力は持たない」という憲法(第9条)違反が明らかな集団的自衛権を行使して、実績作りの好機到来とばかりに、戦争の危機など皆無なのに、太平洋側で海上自衛隊の戦艦が「米鑑保護」を行う。
 それにしても、「北朝鮮の脅威」を理由に、やりたい放題の安倍政権は、大臣や政務官の「失言」や「破廉恥行為」が続発しても、「支持率の高さ」を後ろ盾に、強引に「戦争への道」を歩もうとしているが、「平和と福祉の党」を掲げる公明党はもちろん、自民党の「リベラル派」の沈黙、何とも不可思議である。戦前の「大政翼賛界」が何をもたらしたか、よもや知らないとは言わせない。
 戦争が起これば、必ず多くの民衆が「犠牲」となる。その冷厳な事実について、僕らはもう一度深く考える必要があるのではないか。安倍首相は「戦争」を避けるためにロシアのプーチン大統領が提案した「6カ国協議の再開」を一蹴した。あの人の外交は世間的には一定の評価を受けているようだが、僕に言わせればアメリカへの「追随」一辺倒で、アジア諸国に対する「外交」は経済力と武力を背景にした「強気」に終始している。
 それほどまでに安倍首相は「戦争がしたい」のか? 誰も「殿、ご乱心」と歯止めを掛ける者はいないのだろうか。
 しかし、第二次安倍内閣が成立してから6年余り、未だに僕に理解できないのは、安倍首相はどのような「理念」や「国家像」を持っているのか、ということである。まさか、お祖父さんの岸信介に倣って「アメリカ追随=従属化」を目指しているわけではないだろうし、かと言って、大きい影響を受けている極右団体「日本会議」のように、完全の「戦前回帰=天皇主権国家」を目指しているようにも思えない。「理念」無き国家はいつかは滅びると言うが、僕らは愚昧な安倍首相に率いられて、まだまだ「地獄巡り」を続けなければならないのだろうか
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歴史から学ぼう(12)――「モラル・ハザード」はどこまで進むのか!

2017-04-24 10:08:47 | 仕事
 安倍自公政権の閣僚や政務官の「モラル」がいかに低下しているか、これをマスコミ・ジャーナリズムは政権の「緩み」「傲り」の表れだといっているが、確かに安倍首相自身の「軽口」や「虚言=事実に基づかない空言」がそもそもの始まりであったとしても、閣僚や政務官たちが「公然」とジャーナリストたちに暴言を吐いたり、世の中の流行を追っているのか「不倫騒動」を起こしているその一番の原因は、「政治のプロ」であるはずの彼らが余りにも「勉強しない」、つまり「不勉強」であることにあるのではないか、と傲慢に思われるかも知れないが、僕は今そのように思っている。
 言い方を換えれば、世の中全体から自分以外の「他者(物・人)」に対する想像力が決定的に枯渇しているのではないか、全てが「ジコチュウ」(自己中心的)になっていて、「他」のことなど全く考えない、つまり「自分さえよければ」という風潮が余りにも世の中に蔓延しすぎているのではないか、ということである。
 例えば、現在問題になっている「北朝鮮」問題にしても、アメリカや日本は北朝鮮のミサイル実験や核実験を問題視するが、核兵器を世界で一番保持しているのはアメリカ(とロシア)であり、日本も世界からは「余りかの傘の下」に存在するというだけでなく、核兵器の材料であるプルトニウムを大量に保持しているところから「潜在的核保有国」とみなされていて、北朝鮮の核実験を非難する権利など、アメリカと共に持っていないことを、どうして誰も指摘しないのか。さらに言えば、北朝鮮を擁護するわけではないが(僕は、「反核・反原発」の立場から、いかなる国の核兵器保有を認めない氏、原発の存在も認めない)、目と鼻の先で自国を「敵」とみなす「米韓(日)合同演習」なる軍事演習が日常的に行われ、また核弾頭を装備した巡航ミサイル・トマホークを積んだ原子力潜水艦が自国領海内に潜んでいる事実(現実)を「無いものとして」、北朝鮮の核武装を一方的に非難することも、また安倍首相のように「悪者」扱いにできないのではないか、と思っている。
 もし、アメリカ軍、あるいは韓国軍、さらには集団的自衛権をこうして自衛隊(日本軍)が北朝鮮を「先制攻撃」した場合、まず北朝鮮の反撃はミサイル(核弾頭を積んでいるかも知れない)による韓国のソウルをはじめ主要都市、そして日本のアメリカ軍基地及び主要都市であること、このことを私たちはどれだけ深く認識しているか。僕は、前にも書いたが、冷戦時代のソ連極東軍の巡航ミサイル「SS20」の標的が日本各地に存在するアメリカ軍基地だ、と副司令官が胸を張って宣言したときの戦慄を今でも忘れることができない。ヒロシマ・ナガサキの現実が如実に物語るように、核兵器が一度爆発すればターゲットだけでなく広い範囲の周辺が放射能に汚染され多くの犠牲者(死者・被爆者)が出ることとを、安倍首相をはじめとして北朝鮮との「戦争」を望んでいるように見える政治家やマスコミは、考えないのだろうか。
 核と人類は共存できない」というのは、ヒロシマ・ナガサキが僕たちにもたらした最大の教訓(教え)である。そんなことは、腹民喜の『夏の花』や大田洋子の『屍の街』から始まる原爆文学の一つでも読めば、すぐ分かることである。にもかかわらず、北朝鮮との戦争をはじめとして「戦争辞さず」と考える保守派は、もう「無知」「馬鹿」としか言いようがない。

 と書いてきて、昨日(4月23日)の朝日新聞の「読書欄」の「『核』の恐怖と破壊 そして希望』富田委sのついた文芸評論家・富岡幸一郎による「ひもとく 林京子の文学」のひどさに、呆れてしまった。呆れたのは、富岡の「不勉強」もあるが、この欄の担当者も表には出ないが、また「不勉強」を露呈したものになっていたからである。
 周知のように、富岡は保守派の言論を代表する「表現者」の編集長で、靖国神社のパンフレット「十年の歩み」(靖国神社崇敬奉賛会事務局編)に、「『A級戦犯』と何か」という文章を寄せていて、その中で「南京の真実」という映画が「『南京大虐殺三十万人』という中国政府の政治的プロパガンダの嘘」と書いた人物である
 そんな「右派」丸出しの評論家に、戦前、幼少女期を上海で送った林京子が生涯中国に対する日本(軍)の「加害責任」(その中に南京事件も含まれる)を感じ続けてきたことは、『ミッシェルの口紅」や『上海』、『予定時間』という作品を読めば一目瞭然であるにもかかわらず、「林京子の文学」wなる駄文を書かせる、編集者も「不勉強だ」というのは、林京子の「上海」体験を元にした上記のような作品を読んでいないらしく、富岡の文章に林京子文学にとって重要な「上海体験=戦争体験に関する記述が一切無いことに気付かなかったように思えるからである。
 林京子について何も分かっていない批評家(富岡幸一郎)が、あたかも何もかも分かったかのように書く、読書欄担当の新聞記者もそれを黙認する、これは政治の世界と同じようにこの世の中で「モラル・ハザード」がいかに進行しているかを物語る事例の一つである、と僕は思った。
 ますます、嫌な耳朶になってきた
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歴史から学ぼう(11)――「戦争」を弄ぶ危険な安倍政権

2017-04-15 05:52:12 | 仕事
 ここ何日か、安倍政権の動きが「怪しい」。
 政府や自民党の「防衛族」が近頃「政権寄り」の姿勢をますます強めているマスコミも巻き込んで、「朝鮮半島有事=北朝鮮との戦争」の可能性を煽っているのである。
 いくらアメリカの「アメリカン・ファースト」を掲げ、ソ連が解体した後「唯一の強大国=世界の警察」を誇っていた時代に「逆戻り」したかのように振る舞い、イスラム過激派がサリンを使ったという理由で(その証拠も明らかでない現段階で)、シリアにミサイルを59発も撃ち込み、アフガニスタンでもイスラム国撲滅を目的に非核兵器で最強の爆弾を投下するなど、「世界の平和」に逆行するような「やりたい放題」のトランプ・アメリカ大統領(アメリカ政府)に追随したものとは言え、先に成立した集団的自衛権を行使して、アメリカが始めるかも知れない北朝鮮攻撃=北朝鮮との戦争に加担する(参加する)ことを当然であるかのように主張している自民党政府や政権寄りジャーナリストの在り方を見ていると、僕にはあまりに「常軌を失している」としか思えない
 第一、冷静に考えてみればすぐに分かることだが、北朝鮮が「祖国防衛」のためとしてミサイル発射実験や核実験を繰り返しているからと言って、ロシアと共に世界最大の「核保有国」であり、臨界前実験という核実験を未だに続け、今度の「北朝鮮への脅迫」にも使われている原子力潜水艦から核弾頭を積んだ巡航ミサイル(トマホーク)を打ち出すだけの能力を持ったアメリカ、及び「潜在的核保有国」であり「アメリカの核の傘の下」にいる日本が(更に言えば、核武装化を目論んでいる日本の右派や自衛隊)、北朝鮮の核武装化をなぜ「非難」し、独立国である北朝鮮の攻撃に参加しなければならないのか、亜mりに母「理不尽ではないか。僕には全く理解できない。
 このように書くと、慌て者(あるいは、頑なな「反共主義者」、日本会議のように天皇主権の「戦前」の社会に回帰することを目指す連中、など)が、「黒古は北朝鮮ー朝鮮総連支持者である」と言いそうなので断っておくが、僕は日本国憲法第9条の精神を「崇高の倫理」と考える「反戦・反核」主義者として、北朝鮮の核実験やミサイル実験には原理的に断固反対する者である。また、周りの(敵対者になるかも知れない)人物を次々と「粛正」して平然としているあの「若き指導者」も、僕は人間として認めない。人間の「生命」を蔑ろにする全ての行為を許すことができないからである。
 ということを明らかにして、更に僕が言いたいのは、安倍政権(や、その別働隊である小野寺元防衛相ら)が集団的自衛権行使という観点から「合憲」であると主張する「敵基地先制攻撃」論の「危うさ」である。何の根拠もなく「北朝鮮=悪」という論理を盾に、自分たちの側に「正義」があるとして、攻撃を仕掛ける、この「敵基地先制攻撃」論がいかに危険な論であるか、それは戦前の「欧米列強の侵略からアジアを守る」として大東亜共栄圏を「仮想」しその盟主に収まり、中国をはじめアジア、太平洋地域を侵略していった日本帝国主義や、「大量破壊兵器がある」としてイラクに侵攻し今日のアラブの混乱の引き金となったアメリカを想起すれば、よく理解できるだろうということである
 国家が「正義」を持ち出す時は、決まってその国家に「危機」が迫っているときである。安倍政権がトランプの「挑発=尻馬」に乗って北朝鮮への先制攻撃を認めようとしているのも、森友学園問題(就中、政権の存続を危うくするような首相夫人安倍昭恵の関与)で、それまで安泰だと思っていた政権の座が危うくなっていることへの「焦り」の反映なのではないか、と僕は思っている。さらに、明治以降「最悪の法律」と言われた治安維持法を想起される「共謀罪」制定が国会審議入りしたことも、国民の顔を北朝鮮(アメリカ)に向けさせようとしていることの真相なのではないか、とも思える。
 それに加えて、僕が腹が立って仕方がないのは、トランプ(アメリカ政府)も安倍晋三(安倍内閣)も、例え戦争が起こっても、自分たちの場と生命は「安泰」であると信じて、「戦争」も辞さないという立場を堅持していることである。過去の歴史を繙けば、すぐに分かることだが、戦争で犠牲になるのは、常に「庶民」であり、「偉い人」は安全地帯にいて、民衆の死をせせら笑っているということである。つまり、戦争に置いて、犠牲になるのはいつも庶民=民衆であって、「お偉いさん」ではない、ということである。
 さらにもう一つ、戦争を引き起こせば必ずその国は「疲弊」し、混乱の極みを呈するようになり、何よりも「自由権」をはじめとして人間の基本的条件が大幅に制限されること、このことについてもあたかも忘れたかの如く、誰も何も言わないこと、先のアジア太平洋戦争から日本人は何も学ばなかったのか、と思わざるを得ない。
 最近、街頭インタビューなどで、「国や家族を守るためには、戦争に行くのも仕方がない」と答える若者が増えているような気がする(このようなインタビューが「やらせ」出ないことを祈る)が、「戦争を知らない世代」が国民の80%を超える現在、戦争がいかに馬鹿げた行為であるか、どうして誰も言わないのか、僕には不思議でならない。
 また、もし仮に「正義」の名においてアメリカが北朝鮮を攻撃した場合、その報復として、(未だICBM<大陸間弾道弾>は完成していないから、北朝鮮は必ず韓国及び日本の米軍基地(だけでなく、大都市も)にミサイルを撃ち返して来るであろうことに対して、これも余りテレビなどでは指摘しない。――ここで思い出すのが、前にも書いたことだけど、冷戦時代に訪れたソ連・シベリア地区の司令官が、極東地区に配備されている巡航ミサイルSS20は、横田や三沢、嘉手納などの在日米軍基地を標的にしている、ということである。アメリカの同盟国(従属国)である韓国と日本、どちらも米朝戦争になれば巻き込まれ、甚大な被害を受けることに間違いはない。この際、自衛隊や関係者が喧伝している「ミサイル防衛システム」によって敵のミサイルを打ち落とす確率は数パーセントという低い確率であるということ、このことも忘れてはならない。
 しかし、このような「米(日)朝戦争」の可能性を煽っている安倍政権や防衛族の国会議員、とそれに同調する「軍事評論家」や「北朝鮮・韓国の事情通」といったコメンテーターの「真の意図」は何なのか。情報に拠れば、アメリカ国内で韓国への旅行制限は行っていないし、北朝鮮も「太陽節(金日成の誕生日)」に外国人記者を多数招待しているという事実である。いくら金正恩が「愚かな指導者」でも、自国が破滅するような挑発行動は行わないのではないか、と思う。
 そんなことを考えると、「戦争」を煽り立てる安倍政権は「政治の表舞台」から消えてもらい、新たに「共生」を旗印とした人々に、その政権を委ねるべきである。
 また、こんな「好機」は無いと思うのに、「内なるいざこざ」を繰り返し、その都度党勢を弱めている民進党、これも何とも情けない光景である。フクシマ後に原発再稼働を最初に行い顰蹙を買った野田元総理を幹事長に引っ張り出すことしかできなかった蓮方氏の「甘さ」、これ生き対することもできないのが、誠に残念である。
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