黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

岐路に立つ日本(7)――「巧言令色」とはこのことか!

2016-12-06 10:52:28 | 仕事
 今朝(6日)の新聞やテレビは、トップニュースとして今月26日・27日に安倍首相がオバマ大統領と共に「ハワイ(真珠湾)を訪問、慰霊する」ということををだ大々的に報じている。
 先にトランプが次期アメリカ大統領に当選した際に、「日本が見捨てられるのではないか」という恐怖心から、現職の大統領であるオバマを差し置いて、他の同盟国のどこもやらないような>「アメリカ大統領詣で」strong>を行った安倍首相の「対米姿勢=対米従属」の在り方を考えると、今回の「真珠湾での慰霊」はどんな魂胆があってのことなのか、全く不明だが、真珠湾訪問を決めたという記者会見(発言)において、次のような言葉を発したということを知り、あきれるより他なかった。
 安倍首相の発言の中心は、<(オバマ大統領との)ハワイでの会談はこの4年間を総括し、そして未来に向けて、さらなる同盟の強化の意義を世界に発信する機会にしたい。(中略)犠牲者の慰霊のための訪問だ。二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。その未来に向けた決意を示したいと思う。同時に、まさに日米の和解、この和解の価値を発信する機会にもしたいと考えている。今や日米同盟は世界の中の日米同盟として、日米共に力を合わせて、世界のさまざまな課題に取り組む希望の同盟となった>と言うものだが、書き写していて気恥ずかしくなった。この発言には、つっこみどころが満載だからである。この発言によると、日本とアメリカは「まだ和解していない」ことになるし、オバマはもう「死に体」で、トランプ次期大統領が日本に対してどのようなことを要求してきていない段階で、脳天気に「日米同盟は希望の同盟だ」などと言ってしまうオポチュニズム(楽天主義)、「バカに付ける薬はない」とはこのことか、と思ってしまう。
 つまり、これまで何かあると「忠犬ハチ公」のごとくしっぽを振ってアメリカの意向を伺い、アメリカの意向のままに従い続けてきた安倍首相(安倍内閣)が「日米同盟は希望の同盟だ」という茶番。よくもまあ、恥ずかしくもなくこんなことが言えるな、と思うが、それにも増して、この人の「未来志向」というのが如何にいい加減なものであるかそれは自衛隊の海外での武器使用を認めた「安保法制=戦争法案」(集団的自衛権行使容認)を強行採決しながら、「二度と戦争の惨禍を許してはならない」と言う厚顔無恥ぶりにそれはよく現れているが、それよりは、太平洋戦争の開始を告げた「真珠湾(奇襲)攻撃」で犠牲となった約3000人のアメリカ人への「慰霊」は行うが、日清・日露の両戦争に始まるアジア太平洋地域への「日本の侵略」によって犠牲となった人々への「慰霊」は行わないのか?
 とりわけ、1910年に植民地化し、その終わりの方では「名前」もまた「母語」も奪った朝鮮(韓国・北朝鮮)への「謝罪」や戦争で犠牲となった朝鮮人への「慰霊」、あるいあhお案じ区植民地化した台湾人への「謝罪」と「慰霊、更には満州事変以降顕著になった中国への日本の「侵略」によって犠牲となった中国人への「謝罪」と「慰霊」は行わないのか。
 かつて「侵略の定義は様々だ」と言って朝鮮半島の植民地化や中国大陸への侵略を認めようとしなかった安倍首相、そんな安倍氏に「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」などという資格があるのか

 この人の発言は、いつでも誰かに操られているように実のない(=軽口)もの」だが、今回の「真珠湾での慰霊」「未来志向」「希望の同盟」などという言葉ほど、心に響かないものはない。
 そんな安倍首相が率いる内閣に「支持率60パーセント」(TBSテレビの世論調査、ここの世論調査は何故かいつも、他のメディアのものより高い数字を出す)をあたえる国民と日本という国、これこそ「ポピュリズム(大衆迎合主義)」そのものだと思うが、メディアも感覚が鈍っているのか、トランプが大統領選に勝利したことに象徴される欧米のポピュリズムには「警鐘」めいたものを発する日本のメディアも、足下(日本)で進行中のポピュリズムについて、もっともっと「警鐘」を慣らすべきなのではないか
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岐路に立つ日本(6)――「知」の頽廃に抗して

2016-12-04 10:03:06 | 仕事
 昨日は書ききれなかった「最近読んだ本」について、「続き」のような形で書いておけば、安倍自公政権を陰で支える(最近では公然と)「日本会議」に関する3冊の本の他、「蒙を啓かれる」ような本を2冊、読んだ。
 1冊は、前から気に掛かっていたのだが、中国(武漢)での教え子(現在「国費留学生」として博士号取得を目指して研究生活を送っている)が、学会で石川達三の『生きてゐる兵隊』に関わる研究発表するということで、アドバイスを求めてきたことを機に、これまた「積ん読」状態にあった『「南京事件」を調査せよ』(清水潔著 文藝春秋 8月刊)で、もう1冊は「日本会議」との関係でこれまた「積ん読」状態になっていた『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』(矢部宏治著 集英社 5月刊)である。
 両書とも>、「緻密な調査」と「事実の発掘」という点で似たような特徴を持ち、大いに僕らの「蒙を啓く」内容に充ち満ちた本である。近頃、これほど多くの人に読んでもらいたいと思った本はない(もちろん、昨日紹介した3冊の「日本会議」に関する本も是非読んでもらいたい問いと思っている)。
 まず、1冊目の『「南京事件」を調査せよ」であるが、これは日本テレビの報道記者(ディレクター)である著者の、自分が中心になって制作し2015年10月4日に放映した「南京事件 兵士たちの遺言」の放映できなかった部分を含めて、『南京大虐殺事件」の真相について、「兵士たちの日記」や「残された写真」「当時の新聞・雑誌記事」などを基にその詳細を追求したルポルタージュ(ドキュメンタリー)である。
 おのれの思想的立場をできるだけ「無」にして、「事実」によって語らせるという手法、それは「南京大虐殺事件」を「南京事件」として、「虐殺」があったかなかったかは「事実」が証明するという著者の態度によく表れているのだが、中国側が現在南京市の記念博物館に大書きしている「犠牲者数:30万人」という数字が事実かどうかは別にして、1937(昭和12)年12月13日前後の「南京攻略戦」――南京城占領作戦において、数万人から数十万人の国民党軍将兵及び(老若男女の)南京市民を「虐殺した」という「事実」が存在することを明らかにした功績は、大きい。 
 この清水の『「南京事件」を調査せよ』を読めば、桜井よし子や山本七平やらの右派の論客および安倍晋三をはじめとする自民党の政治家たちが「幻」と言ってきたことが、それこそ「幻」であり「妄想」、あるいは「為にする議論」であることが編然とする 
 すでに僕は、「南京大虐殺事件」が「事実」として存在したことについて、前記した石川達三の『生きてゐる兵隊』(1938年)や火野葦平の『麦と兵隊』(同)や『土と兵隊』(同)などの中国大陸を舞台とした様々な「戦争文学」の描写を取り上げて指摘してきたが、清水のこの本は南京攻略戦に参加した兵士たちの「日記」や「証言」などから「南京大逆津」は存在した、と証明して説得力のある本になっている。
 「中立」を装い、あったかなかったかを「曖昧」にしているヴィキペディアなどの記述に頼らず、清水の記述に従って多くの人が「素直」に「事実」確認をして欲しいと思う。
 2冊目の『日本はなぜ、「戦争のできる国」になったのか』は、実を言えば、僕の知らなかった戦後史の「事実」、つまり「対米従属」の度を深める安倍自公政権の「大本」が、占領時代から「サンフランシスコ講和条約」と「(第一次)安保条約』が結ばれた1952年前後におけるアメリカの対極東(日本)対策にあるということを、アメリカ(在日米軍)と日本政府(保守政権・安倍晋三氏が敬愛して止まない祖父・岸信介などをリーダーとする自民党政権)の間で交わされた「密約」――著者は、それを(在日米軍に対する)「基地権密約」と「指揮権密約」に別けている――を基に、白日の下に暴き出している。
*「アメリカは安保条約のもとでは、日本政府とのいかなる相談もなしに、『極東における平和と安全の維持に貢献するため』という理由で米軍を使うことができる」→在日米軍は、まったく「自由」に日本政府に「断る」ことなく、日本の存在する基地から出撃することができる、という意味。
*「平和条約および安保条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍、海軍を日本国内及びその付近に配備する権利を、日本国は許与し、アメリカ合衆国はこれを受諾する」→アメリカは、在日米軍基地を日本の「どこにでも」自由につくることができる。沖縄における辺野古沖の新基地、ヤンバル地区の「ヘリパッド」建設を想起せよ。
*「戦争または差し迫った戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断したときは、すべての日本の軍隊は、沿岸警備隊を含めて、アメリカ政府によって任命された最高指揮官の統一指揮権の下に置かれる」→自衛隊の指揮権が内閣総理大臣ではなく、アメリカ政府(アメリカ軍最高司令官)にあること、最近頻度を増してきた太平洋上における「日米合同訓練」、黄海における「日米韓合同訓練」が、アメリカ軍主導で行われていることの理由がここにある。
 これらの条項を読んで、「空恐ろしくなった」のは、僕だけか。日本が戦後一貫してアメリカ(軍)に従属してきたという「事実」、このことの意味を僕らはもう一度考え直さなければならないのではないだろうか
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岐路に立つ日本(5)――何故?

2016-12-03 10:10:31 | 仕事
 このところ、ずっと前回書いた「何故日本国民は安倍政権に50%モノ支持率を与え続けているのか」の理由を探るべく、本を読みあさってきた。
 安倍首相ら政権幹部に大きな影響を与えていると言われる「日本会議」に関する調査報告・検証と言うべき菅野完の『日本会議の研究』(扶桑社新書 5月刊)、青木理の『日本会議の正体』(平凡社新書 7月刊)、山崎雅弘の『日本会議――戦前回帰への情念』(集英社新書 同月刊)、これらの3冊は「この頃日本会議という<右翼の妖怪>が巷を歩き回っている』と言うことで、買いおいた本だったのだが、何故自公政権(日本維新の会が側面援助した)は、多くの憲法学者が「違憲」とする安保法制=戦争法案を「強行採決」しなければならなかったのか、今ひとつ納得できなかったので、その思想的背景を探るべく、一挙に3冊同時並行的に読んだのである。
 その結果、判明したのは、これまでにも何度か触れてきたが、安倍自公政権(とりわけ自民党)は、先のアジア太平洋戦争への反省から手に入れた戦後的価値、つまり日本国憲法に象徴される「平和と民主主義」に基づく社会を否定し、あの「日本国民を塗炭の苦しみに落とした」絶対主義天皇制下の「戦前の日本」に回帰することを望んでおり、特定秘密保護法をはじめ安保補遺案の制定も、みなその「戦前回帰」への布石だということである。
 このことは、次に列記する「日本会議の目指すもの」と、安倍首相がおりある事に発してきた言葉との整合を見れば、すぐ理解できることである。
 1.美しい伝統の国柄を明日の日本へ→安倍首相の「美しい日本」と「日本を取り戻す」との類似
 2.新しい時代にふさわしい新憲法を→自公政権の「改憲」への動き
 3.国の名誉と国民の命を守る政治を→自民党の「改憲草案」における国権主義を想起
 4.日本の感性をはぐくむ教育の創造を→「道徳教育」の点数化(教育勅語の復活)
 5.国の安全を高め世界への平和貢献を→自衛隊の海外進出・近い将来は「徴兵制」を
 6.共生共栄の心でむすぶ世界との友好を→「大東亜共栄圏」建設の夢をもう一度

 これらの項目を実現するために、安倍自公政権が行ってきたことは、「治安維持法」下の戦前がそうであったような国民から「知る権利」を奪うのを目的としてマスコミ・ジャーナリズムにおける「批判勢力」を一掃したこと――自民党に批判的なテレビのキャスターに対する圧力を強め、その結果テレビ朝日から古館伊知郎が、TBSのニュース23から岸井氏が消えた――であった。誰かが「軍靴の足音が聞こえてくる」と言っていたが、このままではいよいよ僕らは「息苦しい・恐ろしい」時代を生きていくことになる。
 総じて、「日本会議」の思想を実現しようとしている安倍自公政権は、その「戦前回帰」が象徴するように、「ナショナリズム(国粋主義)」と「ファシズム」の合体したものだと思うが、ここでやっかいな問題は、先の大戦の敗北によって日本が連合軍(アメリカ軍)に占領されたことを紀元とする「日米安保体制」のくびきから、自公政権は逃れられないという「宿命」を背負っているということである。つまり、安倍自公政権に対して、単純に「戦前回帰」とは言えず、「日米同盟」という名の「対米従属」という現実と理念としての「戦前回帰」との間に「ねじれ」が生じているということである。
 本来は、日本だけで支配したい南方(沖縄・奄美地方)において、アメリカ軍の言いなりになって沖縄の辺野古沖に「新基地」を建設し、また世界遺産(自然保護遺産)に登録されようかというヤンバル地区の原生林を切り開いてにオスプレイ訓練用の「ヘリパッド」の建設を強引に推し進めていることに対して、たぶん、本質的にナショナリスト(国粋主義者)である「日本会議」の面々や安倍首相は苦々しく思っているのではないだろうか。
 もっとも、「戦前のような天皇制国家を望むこと」と就任前のアメリカ大統領(都欄宇)に押っ取り刀で駆け付けるという「対米従属」主義の「矛盾」に、あのいかにも頭の悪そうな安倍晋三氏は気付かないかも知れないが、自分の理解が及ばないこと(批判されること)に対して居丈高になって大声を上げるしか能のない首相を支持する日本国民も、また「愚か」と言わねばならないのかも知れない 
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岐路に立つ日本(4)――何故?安倍政権に支持率50パーセント

2016-11-24 05:52:48 | 仕事
 1昨日の地震は、僕個人としては「3・11」以来の経験と言ってよく、久し振りに「恐ろしさ」を感じた。その時は、いつものように5時に起き、メールをチェックし、読み継いでいた高嶋哲夫の『日本核武装』(幻冬舎刊)を読んでいたのだが――高橋哲夫については、「東京新聞」に「今が分かる名著(原爆)」として原発テロをテーマとした『スピカ』(1999年)について書いて以来、ヒロシマ・ナガサキは原爆投下の責任者トルーマン大統領の「人種差別」が原因なのではないかという『トルーマン・レター』(2001年)の文庫に「解説」を書いて以来、「核」をテーマにしたエンターテインメントさっかとして注目してきた――、長く続く激しい揺れ(震度4)に、思わずデスクの横の書類ケースを手で押さえ、暖房の電源を切り、いつでも避難できる態勢に移った。そして、屋内に以上がないのを確認したあと居間に移動しテレビを点け、全てのチャンネルが地震情報を伝えているのを確認し、震源が福島沖であり福島県全域が「震度5弱」であると知り、直ちに思ったのは福島第一原発はどうなったのか、ということであった。
 結果、これは少し後のことになるが、福島第一原発の方に異常は見られなかったが、先の大震災の時はかろうじて「無事」だった第二原発の方に「冷却水」が1時間半ほどにわたって供給停止」状態になっていたと知らされ、もしかしたら「第二のフクシマ」になっていたかも知れないと思い、戦慄を覚えた。と同時に、「原発ゼロを目指す」と言いながら、喉元過ぎたと思うと前言を翻して、次々と老朽化した原発を含めて「再稼働」を決めていく安倍自公政権のやり方について、余りにも対応が「甘い」のではないか、それほど僕らの批判力は衰えてしまったのか、反省せざるを得なかった。
 というのも、「震度5弱」の地震があったその日の朝日新聞朝刊に「10月15,16日」に行った世論調査の結果が載っていて、「安倍内閣を支持しますか」の回答として、「51%」の人が支持する(不支持25%)と答えているのを知ったからである。
 確かに、第二次安倍内閣以前の民主党(現:民進党)の政治が理想を追い求める余り現実を無視するという失敗したからと言って、年金問題、少子高齢化対策、女性の社会参加、経済政策(アベノミクス)等々、格差社会の解消、どれ一つとっても「掛け声」だけで、富裕層にはいくらかの恩恵をもたらしたかも知れないが、何一つ貧困に苦しむ民衆の要求に応えず、特定秘密保護法の制定、安保法制=戦争法案の制定、等々、次々と「国家主義(ファシズム)」的な政治を進めていく安倍自公政権に、どうしてこれだけの支持を与えるのか、僕にはどうしても理解できない。
 しかし、安倍首相らが選挙の時に叫び回っていた「日本を取り戻す」の実態が、安倍首相に大きな影響を与えている(安倍氏もその一員と言われている)「日本会議」が唱えている<天皇中心の戦前の日本>であり、そのような社会を実現するために、安保法制や特定秘密保護法を制定があり、その先に「憲法改正」=明治憲法(大日本帝国憲法)への回帰があるということを、果たしてどれだけの国民が知っていて、その上での「支持率50%」なのか、国民の良識は信じてはいるが、どうにも不可解である
 多くの国民が「今」の「ささやかな幸せ」を守りたいと思う気持ちは、極貧の中で幼少年時を過ごした僕としては、理解できないわけではない。そんな境遇で育ったからこそ、僕は「象牙の塔」であった大学からも新たに収奪しようとした権力に対して「叛」の意思表示を行った1960年代後半から始まる「政治の季節」(新左翼の学生運動)に関わったのだが、年収が200万円に満たない非正規労働者が(及び「苦学」を強いられている学生)が、何故自分たちも「幸せ」になる権利があるとして権力(安倍政権)に対して「叛逆・反抗」に立ち上がらないのか、安倍内閣に「支持率50%」を与える国民の在り方と共に、僕には今ひとつ理解できないところがある。
 正直言って、それほどまでに「批評精神=批判精神」が衰退してしまったのか、と思わないわけではないのだが、このような僕の「嘆き」にもびくともしないほど現代の「ニヒリズム」が醸し出した「闇」は深いのか、とも思ってしまう。
 この深い「ニヒリズムの闇」を切り裂き広げていくには、戦時中(『白痴』)の坂口安吾ではないか、もっともっと堕ち続けなければならないのかも知れないが、早く手を打たないと戦前のように「自由」がなく、人の命が軽く扱われる社会になってしまう可能性が大である 僕らは、このことを深く認識し、安倍自公内閣に常時「NO」を突きつけ、叛逆・反抗の狼煙を上げる必要があるのではないだろうか、この頃は節にそのように思っている。
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岐路に立つ日本(3)――やりたい放題の安倍政権の先は……

2016-11-15 11:03:52 | 仕事
 午前中のニュースを見ていたら、安倍「極右」政権は「内戦」状態の南スーダンに派遣中の自衛隊のPKO部隊の「駆け付け警護」を閣議決定したという。先の、それまで締結を主導してきたアメリカがこれから先どのように転がるか分からないにもかかわらず、TPPを衆院で「強行採決」したこと――安倍首相ら自民党幹部は、与党の自公に加えて維新の会が賛成したから、強行採決ではないと言い張っているが――と併せて、安倍自公政権は数を頼りにもう>「やりたい放題」である。
 これも皆、得票率が30パーセント未満でも衆参で3分の2の議席を得ることができるという「小選挙区制」という選挙制度のマジックのせいなのだが、沖縄県民に対して「土人」「シナ人」と侮蔑的(差別的)な言葉を投げかけた機動隊員について、「そのような言葉の使い方について<差別とは思わない>と発言した沖縄・北方領土担当大臣の発言や、「TPPは強行採決すべきだ」と発言した農林大臣を罷免することなく放置しているのも、自公政権の「やりたい放題」の現れと言ってもいい。
 これら自公政権の「やりたい放題」に関して、マスコミ・ジャーナリズムの対応も「鈍い」としか言いようがない。この世の中からから「批評精神・批判精神」が消えてしまったようでもある。
 先頃、僕は12月8日発売予定の講談社文芸文庫『谷間 再びルイへ』(林京子作)の「解説」を書いたのだが、15歳の誕生日直前にナガサキで被爆した林さんの結婚生活を描いた『谷間』と、重い口を開いて「3・11フクシマ」に関わり「反(脱)原発」の考えを明らかにした『再びルイへ』を読み直し、また、ずっと読み続けてきた「原発」をテーマとした文学作品と重ねて、「核と人類は共存できない」ことを改めて確信した。
 その意味では、原発の再稼働。原発輸出などもってのほかと言うしかないのだが、安倍政権が「失敗」が公言されているアベノミクスなる経済政策を「道半ば」と言って粉飾するのと同じ論理で、先頃「核保有国」(核実験やミサイル発射実験を行ってきた国)のインドと「日印原子力協定」を結ぶという暴挙を侵した
 この「核拡散防止条約(NTP)」を結んでいない、つまり核開発をし放題の国であるインドに日本の「核(原発)技術」を輸出すると言う行為は、結論的に言えばインドの核開発に手を貸すと言うことを意味し、「世界で唯一の戦争被爆国」である日本の政府(経済界)が行ってよいことであるかどうか。「カネ儲け=経済」のためなら何でも許されるという、まさに「モラル・ハザード」の極致を行くような安倍政権の行為、本当に許し難い。
 安倍政権がこの先に考えていることが、「戦前回帰」(天皇制国家)をめざす「日本会議」の方針に従って「憲法改正」だけだとするならば僕らは何とも嫌な時代に生きていることになる
 僕らはここで踏み止まり、安倍自公政権の終焉を本気で考えなければならないのではないだろうか
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