黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

総裁選「狂想曲」

2008-09-05 11:45:20 | 近況
 昨日も書いたことだが、福田首相の突然の辞任劇は、いかにこの社会が上から下まで「無責任=モラル・ハザード」状態になっているかの証拠のような気がしてならない。もちろん、これはどこかのテレビ局が流していたように、例えばアメリカ大統領がクリントン8年、ブッシュ8年と、この16年で二人しか代わっていないのに、日本の場合最短で2ヶ月、最長で小泉純一郎の5年数ヶ月で、この間に10人近く首相が替わっているということに象徴されるように、いかに「政治」あるいは「政治家」という存在が軽いものであるかを如実に物語るものであるが、裏を返せば、日本という国家、あるいは日本人は「政治」をさほど必要としていない、ということを意味しているのではないか、と思う。
 そして、昨日までに判明した福田後継候補(自民党総裁選挙候補者)が、漫画ばかり読んでいて「オタク族」にも人気があるという麻生太郎に、「政界風見鶏」と言われるほど常に「日の当たる場所」ばかりを好んでいるようにしか見えない小池百合子、ネオ・ファシスト石原慎太郎東京都知事の息子石原伸晃、さらには「増税論者」の与謝野馨の4人。報道に拠ればさらにあと二人ほど「若手」から候補者がでるようだが、自民党の思惑はできるだけ「にぎやか」に、マスコミジャーナリズムが食いついてきて、民主党ないしは小沢一郎の姿を埋没させることによって、近々に迫っている総選挙を有利に運ぼうということなのだろうが、考えてみれば、これほど国民を「バカ」にした話はないだろう。僕らが小泉政権の末期から安倍内閣、福田内閣を通じて一貫して「衆議院解散・総選挙」を主張してきたのは、「小泉改革」なるものが「アメリカ追随外交」の結果であり、またひたすら「自衛隊海外派兵=戦争加担」の道を歩むものでしかなく、安倍・福田政権もそれを踏襲するものであって、決して「国民」の生活を豊かにするものではないとわかっていたからである。それに、いくら総裁が総理大臣になるからと言って、1政党の総裁選びにこれほどのバカ騒ぎをしなければならない日本って、どういう国なのだろうか?そちらの方が気になる。
 年金問題、医療問題、教育問題、外交問題、増税問題、等々、問題は山積しているにもかかわらず、そんなことはわれ関せずとばかりに水面下で「次期総裁選び」を行っているに思える自民党、もうこの政党には何の未来もないように僕は思うのだが、それでも「総選挙」では自民党が勝利する可能性もあるという不思議な国(社会)・日本、逃げ出すわけにもいかないから、じっと「おバカ狂想曲」を眺めているしかないのだが、これから22日までこの「狂想曲」を見せられると思うと、苛つくこと甚だしい。何だか、テレビ草創期に大宅壮一が「1億総白痴化」と言ったことがにわかに現実味を帯びてきているように思えて、怖い。
 1億総白痴化と言えば、近頃は学生の「無気力」「無関心」それに加えて「思考力の低下」が気になって仕方がない。どうも情報化社会(ネット社会)の中で、「個人」としての主体性を喪失しているように僕には思えてならないのである。自分の経験や感覚に重きを置かず、「情報」(他者が流す)に頼ってしまう。だから、「言葉」だけは知っていても、その意味するところを問うと、「わからない」という言葉が返ってきて、何故そのようなことを聞かれるのかわからないといった風情で、きょとんとしている。政治家の言葉が軽くなって知るというのは何度も僕が言ってきていることだが、政治家だけでなく僕ら一人一人の言葉が、異常に軽くなっているのではないかと思う。それは、この世の中の出来事や他者の発する言葉を自分の頭(心)で読み解くという習慣が薄れ、すぐに「解答(正解)」を求めようと、巷に流れる情報(例えば、「ウイキペディア」をはじめとする辞典・事典)に頼ってしまう。情報を手に入れる方法には長けていても、自分の頭(心)で考えることは苦手、という若者が近頃どんどん増えているように思えて仕方がない。情報収集能力があたかも自分の能力であるかのように「錯覚」している若者、年寄りの僕としては日本の「知」が変質(低下)しているとしか思えないのだが、こんなことを書くとまた「匿名性」に依拠した若者にしかられるだろうか。

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2 コメント

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Unknown (みどり)
2008-09-06 06:34:42
黒古さん、お久しぶりです。
現在、小田実さんの「河」第2巻を読んでいる最中です。敢えてゆっくり読んでいるので、今年中に読み終えられるかどうか、というところです。

匿名性に依拠した人による無責任な意見がネットの中では跳梁跋扈しています。しかし、考えてみれば、私自身も、違う意見を持った人からしたらそういう人かも知れませんね。黒古さんに直接でしたら、氏素性をはっきりお伝えできるのですが、今のネット社会の環境で、オープンにするには正直躊躇があります。
 開かれたスペースで様々な意見が出されることができたら、当初は玉石混交でも、最後には正しい意見が勝つ、という考えに、ウィキペディアに限らず、このネット社会全体は依拠しているようですが、現状を見る限り、必ずしもそのようにはなっていないようです。小田さんの『難死の思想』でのアマゾンのレビューも酷いものです。
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E9%9B%A3%E6%AD%BB%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%BA%AB%E2%80%95%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E5%B0%8F%E7%94%B0-%E5%AE%9F/dp/4006031688

無茶苦茶な意見も、百回、一万回言えばそれがネット社会の「常識」として通ってしまう。どうしたもんでしょうか。
 
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怖がっているのでしょう。 (黒古一夫)
2008-09-06 10:20:27
 みどりさんへ
 紹介していただいたアマゾンの「レビュー」を読みました。感想は「ひどいね。全く理解できていない」というものですが、みどりさんが言うように、「嘘も百回言えば真実になる」喩えが現実になってしまうような現代、笑ってばかりいられませんね。
 誰かがきちんと反論しなければならないのだと思いますが、残念ながら僕の知る限り「文学者」では反論できるような人がいません(それは、今度の「河」を含めて、小田さんの作品は長編が多いので、ちゃんと作品を読んでいる人が少ないという事情があります。僕はずっと前に、7500枚の大長編「ベトナムから遠く離れて」を書評した際に、編集者からの情報として、この大長編を読んだのは大江健三郎だけだ、と聞かされたことがあります)。
 ことほど左様に、特に晩年の小田さんの周りには「文学関係者」がおらず(僕も、ある事情があって著書のやり取りなどはあっても、5,6年前から疎遠にしていました)、そのために「作家小田実」を評価する人がいなくなったということがあります。大変残念なことですが、小田さんの「思想」は理解しても「文学」を理解できなかった市民運動家たち(べ平連や市民の意見30等、及びテレビなどで見る限り、家族も同じだったのではないかな、と僕は思っています)、そこに作家小田実の「悲劇」があったのではないか、アマゾンの「レビュー」であのような罵詈雑言を浴びせられる理由もそこになったのではないか、と思います。(因みに、版元は小田さんの死に伴って拙著「小田実ー「タダの人」の思想と文学」が多少は売れると思ったらしいのですが、ほんの数冊売れただけで、文学者小田実は十分に認知されていない、と思ったそうです。)
 小田さんの「文学」が理解される日は、いつ来るのでしょうか。現在の文学状況とは全く反対の世界を描く小田実の小説、みんな「本当のこと」が証されることを怖がっているのではないでしょうか。
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