黒古一夫BLOG

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「絶望」も「希望」も語れない!

2013-07-22 11:34:23 | 仕事
 大方の予想通り、昨日投開票のあった参院選は自民党の圧勝、自公の与党で参院の過半数を確保、という形で終わった。
 昨夜午後8時に始まった各局の「選挙特番」の出口調査に基づく当落予想を見て、もしかしたら予想を裏切る大逆転があるのではないかという「儚い期待」も裏切られ、早々にチャンネルを換え、BSのドラマを見たり、アジア杯カップのサッカーを見たりしていたのだが、その間考えていたことは、現代日本における民主主義思想(感)の「劣化」についてであった。
 というのも、これも又マスコミの予想通りだったのだが、「投票率の低さ」をまざまざと見せられたからに他ならない。結果的には「52.61%」、前回より「5.3%」下がり、戦後3番目の低さであったという。しかし、この「低投票率」に関して、選挙戦が始まってからの世論調査で、どの調査も「投票へ必ず行く」「行くつもりである」を合わせると、大体が「92%」前後であったことを考えると、単純に引き算して、「約40%」の人が投票しなかったことになる。となると、この「投票不参加」の数の多さは何を意味しているのか、このような「低投票率」で、果たして「民意」が反映されたと言えるのか、「民意」と言えば、この投票へ行かなかった「約40%」の人たちの存在にこそ、真の意味での「民意」はあるのではないか、というようなことをいろいろ考えなければならない、と痛感させられた。
 もちろん、「低投票率」が組織力――「利益」誘導組織――のある自民党、公明党、そして共産党の「勝利」をもたらし、それはまた反面、「民主主義」が危機的な状況にあることの明らかな反映だと思うが、しかい「民意」を反映した(と思われる)「約40%の人々」の存在は、考えようによっては最も先鋭に現在の政治状況に対して反応した人たちであって、この多様な「政治課題」と真剣に取り組む受け皿(政党)が存在しないと判断し、早々に政治の舞台から下りてしまった人たちであるとするならば、これからの「政治」は彼らの存在を視野に入れない限り、「失敗」に終わるのではないか、と思われてならない。
 その意味では、今後の政治上に対して「冷静」かつ「真剣」に見守ることが重要だと思う
 また、沖縄で「反米軍基地」を掲げ、普天間基地の「県外(国外)撤去」を主張し続けた糸数氏が当選したこと、また東京地方区で俳優の山本太郎が「反原発・反ヒバク」という一つのテーマ(もちろん、彼は「反TPP」なども掲げていたが)で当選したこと、など、「民意」が正当(正統)に反映されるということもあった。これで「希望」を語れ、ということもできないが、そうかと言って「絶望」を語る必要もないのではないか。
 たぶん、今求められているのは、「明日」に向かっての、地道な「批判(批評)精神」を研ぎ澄ますことなのではないか</fo</font>nt>、ということである。

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