ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

無貌の偶像

2017年05月07日 22時44分58秒 | Weblog
少し前に『おそ松さん』のファンの人から、件の作品(キャラ)の
魅力は六人それぞれがそれぞれの方面の"ダメ男っぷり"を発揮して
いるのが良いという話を聞いた。

個人的には顔が皆同じで名前と顔が一致せず、そっち方面よりは
視聴後に何も残さない、今時珍しいナンセンス作品だという
感想であったが、なるほどそういう見方もあったかと関心する。
しかし、この感覚は何やら覚えのあるもので、それを紐解いていくと
巷に跋扈するアイドルグループに対しての感覚に近いということに
気付く。

曰く、顔が皆同じに感じられ、誰が誰か(魅力が)分からない。
多分、そういう意見に対しファンは先程のおそ松さんファンの人の
ように、内面的な、或いは背景的な所からそのアイドルの良さを
つぶさに話して聞かせてくれるのであろう。
逆に言えば顔や外面的なものなど、ある一定レベルを超えていれば
さほど問題ではなく、その点を痛烈に皮肉った存在として、
今この時期に『おそ松さん』として復活させたのではなかろうか。

漫画やアニメのキャラや、アイドルというような存在は偶像で、
なればこそその外面的な要素は最も重要なものであるはずだった
のが、今では必ずしもそうではなくなってきている、(或いは
キャラクターの外面的なネタが尽きたり、飽和状態に陥った)とも
考えられるが、さすがにこれは穿ち過ぎかも知れない。

個人的な感覚として、アニメなどのキャラクターの造形も、以前に
比べておとなしくなったというか、地味な、そこら辺に居そうな
ものに寄ってきているという印象であるが、この変遷が視聴者や
ファンのどういった心持の変化によるものであるのか、興味深い。

『身の丈にあったものを』なのか。だとしたら多くの人が自身の
『身の丈』を知ってしまっている環境が今現在の世の中だいうこと
になるのかも知れないが、そこは果たしてそうなのか。
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