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ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

快適さ

2025年04月29日 23時41分07秒 | Weblog
平日の中の浮島的な祝日にあっては、下手に夜更かしをすると次の日に響くので、
寝起きの時間はなるべく平日のそれに寄せるように留意せねばならないが、
そんなこんなで休日にしては早起きだった時の充実度がすこぶる高い。
どこかで誰かが、午前中の集中度合いがその日一日の充実度を左右するというような
事を言っていたような気がしたが、まさにそれであった。

折しも好天であったため、気を抜くとすぐに数週間先送りにしがちな散歩に出る。
何か数年前くらいから古い建物がどんどん平らになって、通い慣れた風景が日に日に
変わっていくのを実感する。気が付けば大きな公園や住宅が出来ていて、しかし前に何が
あったのか思い出せなかったりするにつけ、散歩がさぼりがちになっていることに
気付かされる。

それにしてもこの季節は暑すぎず、寒すぎず、湿気も程よく、快適の一語に尽きる。
仕事なんてやってられるかとばかりに連休を謳歌する、多くの人々の行いは実に正しい。
まあ、連休でも働く人は必要な訳で、なればこそ世の中は快適に回るのであるが、
そんな回す側として明日も明日とて出勤。
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油も汁も漏れるのが現実

2025年04月27日 23時14分44秒 | Weblog
スーパーで買った弁当が、持ち帰る途中で袋の中で傾いて、汁と言うか油が盛大に
漏出してゲンナリする。こういう時コンビニの袋ならば捨てて終わりであるが、
悲しい哉エコバッグを律義に使用していたせいで、思春期の少年が下着を洗う如く、
孤独な風呂場の手洗い事案が発生するのであった。

まず以前にも、コンビニなどの袋の中で弁当や丼が横転することについての懸念に
触れていたが、結局対策らしい対策は編み出せずにいた。前回はうどんやらそばの汁で、
今回は弁当の油であるから、器の形状による問題でないことは何となく把握できる。
となると、袋の形状であるが、袋に底面がないのがいけないのであろうか。
マチ付きのビニールや布製の袋があるが、完全に重心をとらえないと、中央の溝に次第に
寄っていき、傾いて横転することは避けられない。

おそらく袋に固定された硬い素材の底面を設けて、なおかつ詰めたものが動かないように
固定できるような構造でないと、この問題の解決は不可能と思われる。
Uber Eatsで用いられているような、しっかりした作りのバッグは正にその答えなのかも
知れないが、エコバッグとしてアレを常に持ち運ぶのには無理がある。
そうなると、簡易的なものとして、粗目のメッシュ素材による底面ありの袋を本体とし、
別途フックのついた硬い底面や、ものを固定するためのフック付きベルトなどを備えた
ものを用意するのが良いだろうか。まあ、自転車があるならば、それのカゴに入れるのが
良いであろう。

学生の頃から油に触れる機会は多く、油絵で用いる各種乾性油や揮発性油の匂いは好きだし、
自転車屋とかの機械油の匂いも好きである。ただ、安い食用油の匂いはどうにも好きには
なれず、弁当からの油の漏出時には大変に憂鬱な気持ちになった。
この油で染みたエコバッグを洗うための洗剤やら何やらは果たしてどれほどのエコで
あったのか、そんなことに思いを馳せつつ、油の多い弁当を控えることと、ヤバそうな弁当は
さらに袋で包むようにすること、傾きやすい弁当の置き方など、得た教訓もそれなりにあった。
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半ば冬眠生活

2025年04月24日 23時46分52秒 | Weblog
仕事やら何やらでしんどい時には清涼剤として漫画をよく読むのであるが、
何だかんだ試しても結局『野望の王国』に戻ってくるぐらいには本作がお気に入り。
ただ、何がどう具体的に良いのか、そこの説明が未だに出来ない。
とりあえず言えるのは、何やら無駄にほとばしるパワーが心地よいことと、他人には
お勧めしづらいという二点。

とは言え、ここ最近新しい漫画の開拓もろくにできていないので、色々くたびれて
実家に戻ってくるかのような心地なのかも知れない。
エロ漫画もここ最近全然増えていない。せめて近所にエロ漫画含めて色々置いてある
本屋があれば良かったのであるが、このご時世普通の個人経営の本屋ですら絶滅危惧種
なので、高望みが過ぎるという話であろう。
万博やら春やら何やらで、外に人の溢れる時期になって、さらに出不精が加速する状況下で、
平日の疲れを癒すのが精一杯とくれば、本を求めに外出することが殊更億劫になる。

そんな訳で今週末も冬のナマズのように大人しくなっている予定。
来月の連休は暦通り出勤の予定。祝日に休めるだけ恵まれているということにしておく。
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胃袋値上げ

2025年04月22日 23時36分56秒 | Weblog
相変わらず米が高い。しかしなぜか発芽玄米の値段は以前と同じ。
一部のオレンジジュースが高いが、みかんジュースは大して値上がりしていない。
値上げが急激だったせいなのか何なのか、見渡してみると何ともいびつな価格環境。
都度値段を見て買い物ができる個人であれば、ただ単に値段にムラがあり過ぎる、
という程度で済むが、おいそれと仕入れを変えられない飲食店などでは死活問題と
言えよう。
この辺りはぼちぼち落ち着いていくことと思われるが、何やかんやで以前のようには
戻らず、やや高値くらいの所で落ち着く予感。値上げを免れた面々も量が減るとか、
そういった実質値上げもそこかしこで起こるであろう。
実際、最近買ったおまけ付き菓子の菓子が随分縮小されていた。

あとは物の値段が落ち着くまでに、前々から行こうと思っていた飲食店やら何やらが
潰れてしまわないことを祈るばかり。
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情報的存在

2025年04月20日 23時41分05秒 | Weblog
巷で物議を醸している画像生成をはじめとしたAIについてであるが、個人的には
賛成派、と言うかこの手の技術的な流れは押し留めることなど出来ないという
立ち位置である。
しかし、故人を生前の資料やら何やらからAIで復活させるという技術に関しては、
少なくない嫌悪感を抱いてやまない。
この手の技術というものはとかく倫理観や宗教観などの、人の情緒というものを
無視しがちで、それは致し方ない所もあると認識しており、来るべきものが来たか
という感覚でもあるが、個人的にはやや冒涜的と言うか、人を選ぶもので、誰も彼も
とはなって欲しくない。

過去は消えないし、人の思いは受け継いでいくべきであるが、やはり今を生きる人こそが
至上であるから、“忘れる”権利はある訳で、そうでもしないと背負ったものが多すぎて
まともに生きて行くこともままならない。
漫画などの作品においては実験的に、亡くなった作家の“続編”をAIで作成するという試みが
しばしば行われてきているが、これに関しても同様に続編を謳っているものの、良く出来た
紛い物という外はない。
有名作家のタッチを高レベルで模倣して展開されるパロディ作品や、亡くなった作家の思想を
受け継いだスタッフが生み出す続編とは、全く別物の存在と言える。

詰まる所今の所のAIとは道具であり、手段でしかないから、それによって何かを生み出す
という事は作り手の欲や目的が反映されることになる。
いずれそのAIも、ある時点から勝手に手放しで成長していくような存在になっていくと
思われ、そうなった時には“人格”とか“作家性”を帯びてくるのであろうが、そんな作家が
ごくありふれた存在になった世界がどんな風になるのか、恐ろしくもあり、興味深くもある。
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乗り換えは世の常

2025年04月17日 23時39分56秒 | Weblog
やにわにここのブログの終了のお知らせが来ていた。
ブログが流行ったのは随分昔の話で、その頃に雨後の筍の如く乱立したブログ
サービスが今ではほとんど残っていない現状や、SNSが主流となっている状況を
鑑みたならば、むしろ随分と長生きしたと労いの言葉を掛けたくなる。
一応書き溜めた日記の書き出しや、引っ越しのサービスも行っているようなので、
おいおいどこか別の場所に引っ越す予定。

元々読む人も少なく、そもそも読ませる目的で書いていないという、個人的な
“文字を書く”能力を衰えさせないために設けた習慣としての日記、という意味合いが
強いので、どこで続けるかはさしたる問題ではない。

これに限らず、昔から続いているものが寿命を迎えるという場面は今後増えると思われ、
新しいものに対して及び腰になりがちなことも手伝って、どんどん身の回りから
習慣や慣れ親しんだ物事が剥がれ落ちていくかのような感覚を覚えるのだが、
新しいものも次々生まれてきているのであるから、食わず嫌いをせずに飛び込んで
行かねばなるまい。
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一駅通過

2025年04月15日 23時43分03秒 | Weblog
日曜日に体調を崩して、月曜も体の不調が少し残るような有様で、もしや
これが寄る年波かとも思ったが、確かに前々より提唱していた“人間は9年周期で
段階的に衰えていく”ことを裏付ける出来事と思われた。
厳密にはまだ46歳ではないが、あと二か月程度なので誤差と言って差し支えなかろう。
前にこのことを書いたのは37歳の時だったはずだが、それよりもあれから9年経っていた
という事の方も十分過ぎるほどに恐ろしい。多分次の55歳もすぐに来るのだろう。

そして体調以外にも、歯が欠けやすくなったり、口内炎ができやすくなったり、目の
疲れがなかなか取れなかったり、なぜか6時半くらいに一度目が覚めたり、何やら
怪しげな兆候がチラホラ見られる。とは言え、もしかしたら単なる栄養の偏り、もしくは
特定の栄養素の欠乏からくる症状という可能性も一応ある。
野菜を殊更に美味いと感じる歳になったにもかかわらず、総菜コーナーで買うことは稀で、
とにかく野菜を摂らないし、そもそも食べるものが偏っているという体たらくであるから、
寄る年波云々言う以前に、食生活を見直すことが重要と思われた。
手始めにビタミン系のサプリでも調達するか。
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枝葉に気を取られるばかり

2025年04月13日 23時42分28秒 | Weblog
個人的に昔からディズニーランドとか、多ジャンル博覧会的なイベントについて
思い出らしい思い出がなく、その少ない思い出も大体多すぎる人に辟易したり、
色々あって苛々する家族の様子をハラハラしながら見ていたというような、
ろくでもないものばかり。特にディズニーランドに関しては呪われていると自覚する
レベルなので、多分今後よほどの事がないと行かないと心に決めている。
自身も省みるとああいった場で露骨に機嫌が悪くなり、そこで気を遣うのも気疲れ
するばかりなので、やはり可能な限り避けるべきだと思う。

何となくワイワイやって賑やかそうな場所というのは、どうにも記憶に残らず、
やはり何かしらジャンルが絞られた、専門性の高いものの方が良い。
大きな祭のように歴史のあるものも良いが、それよりはローカルな地方の祭の方が
一点集中的な味わいの濃さのようなものがあるためか、記憶に残りやすい。

そんな具合に大阪では万博が始まり、開催地とは離れた地である地元においても、
expo2025の文字が散見される。しかし何と言うか、“大阪をよろしくネ”という
ような物品ばかりで、万国どころか日本全国という感じすらないのは、一体誰に向けて
何のためにと思われてならない。
一応記念に『ミャクミャクマンチョコ』を見かけたら買っておこうとは思っているが、
これも結局何を売りにしたいのか良く分からない。万博という御旗を掲げて箔を付け、
自社製品を殊更にお高く売り込むような手管に見えて仕方がない。
これでシールが最新の印刷技術を駆使した、そこいらのお菓子コーナーでは到底不可能な
コスト感のものだったならば十分納得できるのであるが、製品紹介を見た感じそういった
野心ないしはサービス精神のようなものは見られなかった。

とりあえずまとまった利益が出て、あとは大きな事故などが起こらないことを祈りつつ、
見守っていくばかりである。
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食べるものは山程あれど

2025年04月10日 23時53分19秒 | Weblog
近所のスーパーでも麦茶と流水麺のそばが定期的に売り切れるようになり、
すっかり暖かくなった。それにしても米の値上がりが著しいのであるが、
さりとて麦飯にすれば良かろうというような話もなく、何か不思議な感じである。
食味に優れるもち麦ほどになると、今の米と変わらないか、やや高いくらいに
なってしまうので、代替として意味をなさないのは分かるが、昔やっていたように
タイ米でも何でも導入してこの馬鹿げた状況をどうにかできないものかと思う。

学生の時分、一人暮らしをしている友人は『米は贅沢品』と言っていたが、
これは特に高騰などもしていなかった20年以上も前の話である。かかる状況で、
今の同じ境遇の学生にとっては、さらに入手難度の高い食材になると思われる。
件の友人が、では何で食い繋いでいたのかというと、もやしや特売のパスタで
あった訳であるが、米を手に入れることの能わない面々はこれらに手を出すことに
なるのであろうか。
もやしもパスタも往年程の安さは望めないかも知れないが、それでも米よりは
安かろうと思われる。

最終的に彼は困窮を極め、段ボールまで食したというが、さすがにそこまでは
行かないまでも、今後の事を考えると粗食に耐えられるような習慣を身に着けていく
ことが必要になってくるかも知れない。美味い不味いを論じる事すら贅沢になる、
そんな日がすぐ傍まで来ていると言われても、さして妄言とも思えない状況。
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小さな家のようなもの

2025年04月08日 23時37分19秒 | Weblog
トイレの個室に入った時、先客が紙を使い果たしていて、しかし別に補充用の紙が
尽きた訳ではない状態だったが、その人は一体何を考えていたのであろうか。
すぐ傍に置いてある補充用の紙を交換する手間がそんなに惜しいのか、ちょうど
キリ良く使い切ることに成功したのか、キリ良く使い切れたのでこれで良かろうと
なったのか、いずれにしても個人的な理解を超えている。

確かにトイレの中は完全なる個の空間であるから、個人の習慣、生活、倫理観など、
他者の理解の及び得ない領域と言えるかも知れない。親であっても同伴は小学校に
上がるまでで、後はもう介護とか入院とかそういう場面しかなく、普通はこうするとか、
一般的にはこうとか、そういったいわゆる常識を獲得する機会が少ない。
仮に何かあって、それを指摘しようにも当の本人は誰だか分らないことが多く、
そもそもそんなことを指摘するのはあまりにも立ち入った話になるので、余程の事でない
限りは憚られる。かくも狭い空間に個々人の宇宙めいた習俗習慣倫理観が渦巻いていると
考えると、中々に面白いものだとも思えてくる。

ただ、ウオシュレットのノズル近辺がうんこ塗れになっていた事があったが、それが一体
いかなる理由によるものなのか、さすがにちょっと分からない。
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