ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

咀嚼するばかりにあらず

2017年01月22日 23時35分56秒 | Weblog
数週間分撮り溜めしていたアニメを観ていたら休日が終わった。

気分転換兼休日の"儀式"として、今まで洗濯がそこに当たっていたが、
掃除(部屋に掃除機をかけるだけ)も追加することにする。
まだ習慣となるには重ねた回数が少ないが、うまく定着してくれれば
形だけでももう少しばかりはまともになるだろうと思われる。

話は変わり、最近のエロ漫画では男性が極端に女性に甘える上に、
女性側も過剰に母性を発揮し甘やかすスタイルが確立してきているようで、
色々と末期的だと思いつつも、そこに至る背景など、興味深く感じる。
世の中に浮き上がってくるものは、誰かが過剰にゴリ推したものか、
多くの人の願望や欲求が元気玉のように集積されたもののいずれかで
あるという認識で、いずれにせよ理由なく世に出てくるものはない。

その他にも、キャラの目の描写において、三白眼や四白眼がなぜ
女性(作家)にやたら好まれるのか、その辺も常々不思議に思っている。
不思議と言えば、個人的にエロ漫画において行為に至る端緒として
よくある"ヒロインが可愛気のある仕草や言行を発する"を受けて、
男性側の発する『あーもう可愛いな』『クッソ可愛すぎだっつーの』的な
発言がどうにも嫌いなようで、さりとて何でそれがそこまで嫌いなのか
良く分かっていない、という所も不思議だ。

色々な不思議や謎が後から後から浮いてきて、考察したり調べたりして
いるうちに世の中は流れていってしまい、確信や答えのようなものを
見つける余裕もない。或いはビールを飲むように、あまり味わわず、
のど越しを楽しむくらいがちょうど良いのだろうか。

その時の不思議は不思議のままで、今の謎も謎のままで。
五年後においてもまだ引っかかるような不思議や謎でない限りは、
解いても解かなくてもあまり変わらないのかも知れない。
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ある種の試練

2017年01月19日 23時44分36秒 | Weblog
引越し前に予約した品が、旧住所に配送されており、残念な気持ちになる。
おそらく法律やセキュリティの関係で一旦配送されたら、もはや変更は不可能
ということで、返送(キャンセル)されるのを待つ状態。
そして買い直す必要があるので、残っているかどうかも運次第。

しかし、それを買ったところでは、配送先は基本的に注文時のものになるという
旨は特に明記されておらず、送り先の表示もアカウント名だけが出るので、
一見して分かり辛く、配送完了のメールが来て手遅れということに気が付くという
何とも言えない仕様である。
これまた何かしらの縛りがあって、こういうシステムにせざるを得ないのかも
知れないが、住所の変更があった際は『これって配送先違ってるけど大丈夫?』
というような注意を促す仕組みがあれば良いと思った。

契約であるとか、そういった側面からみれば、今回の件はこちらのうっかりが招いた
過失と言えようが、個人的感覚から言えば腑に落ちない。
こういった縛りを生んでいる、契約とか法律とかが無ければもっと大変な
ことになるのは分かってはいるのだが…。 やっぱりマヌケは生きていけぬ。
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欲求との生活

2017年01月17日 23時33分33秒 | Weblog
引越しからもう結構経ったというのに、物欲は衰えず、さりとて購入には
至らずカタログを舐めて終わりということが続いている。

物欲というものは食欲などの他の欲求に似たところがあるのか、ある程度の
"峠"を超えると波が凪ぐかのような小康状態に入る。本当に必要であるのならば
そのようなことにはならず欲求がむしろ増すため、そこで判断するように
している。そのために、何かしらの欲求が生じた際に、一旦待つのが癖に
なってしまった。

ひとまず、生じた欲求の波をいったんやり過ごすという方策は、それなりの効果を
伴っており、少なくとも財布には優しい。とはいえ、欲求は欲求なので、みだりに
押さえつけると無理が生じ、長い目で見た際には良くないという可能性は十分に
あり、我慢のしどころかどうかについては悩むところでもある。
フィギュアと本についてはなるべく欲求に忠実に動くようにしているので、
最低限のバランスは取っているつもりであるが、これからどうなることやら。

鬱屈した物欲が爆発したら、家とか買ったりしかねないので、要注意である。
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他人の数だけ私あり

2017年01月15日 23時17分35秒 | Weblog
学生の時分所属していたサークルでは、皆あだ名で呼ばれていたが、
今にして思うと結構理に適っているように感じる。
普通に名前で呼ぶとやや堅苦しい感じになったり、照れ臭かったりするのを
回避できるので、人とのコミュニケーションが不得手でも入りやすいし、
往々にして他人からの評価は名前の呼び方に現れるものであるが、それが
顕著になりやすい。

あだ名は基本的に自他との合意の下に名付けられるものであるが、
いつの間にか本人の希望から若干逸れたものになっていたり、複数存在して
しまうこともままある。その他に、頼りになる人にはあだ名から更に"さん"
付けで呼ばれたり、親しみやすい人には"ちゃん"付けで呼ばれたり、
そういうのもある種の変化と言えよう。
それはつまり、他者の評価が反映されやすいという特性から生じた事態では
なかろうかと考える。

あだ名とは、親から与えられる(公的な)ものではなく、あるコミュニティに
おいて他者との協議によって生じるものという点が特殊で、人によっては所属
コミュニティに応じて呼ばれ方が違うこともあろう。
そういう意味で、あだ名はいわゆるペルソナとほぼ同等の存在のように思えてくる。

この社会において、公的な名前は一種の責任として、背負ったり使ったり
しなければならない。太古より名前というものには、この世で肉体と魂を
結び付ける契約の証のような、神性が具わると言われてきているが、とにかく
特別なものであることは現在でも何ら変わりがない。
前置きが長くなったが、そういう公人であることが求められないような場
(つまり、より個人としてありたいと望む場)にあっては、より積極的な
あだ名の使用を推奨していった方が、色々と良いのではなかろうかと思った
次第である。あだ名で呼んだり、あだ名を付ける行為は子供っぽいと思われがちで
あるから、中々推進は難しいかも知れないが、社会で生きて行く(社会的責任を
負う)以上、むしろ大の大人にこそ仮面が必要と言えるのではなかろうか。
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進むばかりにあらず

2017年01月12日 23時35分09秒 | Weblog
巷ではもう節分やらバレンタインやらの雰囲気を漂わせてきており、
未だにおとそ気分の抜けない身空をして冷水を浴びせられたような心地になる。
個人的には、季節などただでさえ放っておいても激烈な速さで過ぎていくもの
なのだから、もう少し惜しんだりゆっくり迎える動きがあっても良いのでは
なかろうかと思ってやまない。

時季外れとなり安くなった季節のものを買いあさり、個人レベルで過ぎた
季節をお得に惜しむというのもオツなものではあるが、もう少し全体的に、
せめて余韻を楽しむくらいの余裕があっても良いのではなかろうかと思う
次第である。今の世の中は、停滞するものは須らく死すべしと言わんばかりに、
とにかく滅法やたらに留まらずに進み続けることを美徳としている節がある。

仕事とか、生活が懸かっているような場面では止む無しということもあろうが、
なればこそハレの日とも言うべき祝日や祭りの時くらいは、浮世の憂きことを
忘れるために、停滞や後退をしても良いのではないかと思う。

成人式で殊更にはっちゃける新成人もそういう目で見れば、ある程度は温かな
眼で見ることが出来るのではなかろうか。基本的に真面目になったのは良いが、
羽目を外すべき所もそれなりに用意しておかないと、窮屈に過ぎると感じたり、
何かの拍子に羽目を外してしまったときに大惨事になったりするので、
もっと無駄やら非効率を愛する気持ち、もしくはそれが可能な環境を大事に
した方がよいと考える。
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上手く使えれば便利

2017年01月10日 23時37分36秒 | Weblog
引越しの時にブラウン管テレビを処分したので、家にあるファミコン
(悪魔城伝説専用機)が遊べなくなった。
そして、PS3に録画したアニメをいつか見るだろうと、現状PS4の隣に
置くだけ置いているような状態だが、これらの状況を一掃すべく、
『HDMIセレクタ』と『アナログからHDMIへのコンバーター』を購入することを
思い立つ。

ただでさえPS4のゲームに久しく手を触れていない状態で、ゲームなどやるのか
という疑問が浮かぶが、それでもいちいちケーブルを差し替える手間がなくなる
ので、上の機器の値段次第ではプレイ再開のきっかけになるかも知れないという
淡くそして甘い期待の言葉で、己を奮い立たせる。

とりあえず浮かぶ問題点は、レビューなどに書かれている遅延の問題と、画面比率
(ファミコンは正方形の画像を4:3の画面に引き伸ばしているので、普通に出すと
上下に細長く感じる)の問題か。他にも多分まだたくさんあるだろうが、やって
みなければ何とも言えぬ。

この手の機器はどういう訳か、導入後総じて残念な結果に終わることが多く、
そのせいもあって若干尻込みしている。あともうちょっと調べて、検討してからの
購入としたい。
本とか家具の類ならば、多少当てが外れても問題なく使えたり、足しになったり
するのだが、デジタル系の機器は当てが外れると全く使い道のないガラクタが
出来上がるので、精神的ダメージがでかい。
細々としたものだと売るのも難儀するので、人にあげるしかなくなる。
なので、ここは慎重すぎるくらいがちょうど良かろう。
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散り散り

2017年01月08日 22時58分33秒 | Weblog
色々ととりとめもなく思ったことを箇条書きにしていく。
日記なのでこんな形式も問題なかろう。

近所の百貨店で、刑務所で作られた製品(木工、布、革等々)の販売が
行われていた。品質や素材からすればなるほど確かにお得と言える値段で
あったが、いかんせん今の家庭に置くには(古めかしくて)合わなさそうな
ものが多く、もっと今の若い人の生活に合うようなものを作るようにすれば
良いのにと思う。良いものを安価で作れる(供給は安定しないだろうが)の
だから、学生や若い人にこそ需要があるのではないかと思った次第である。
もしかしたら、需要の高い家具の類はすでに売り切れていた可能性もあるが。

某ニトリや某無印で売られている家具のペラペラ、もしくはスカスカ感は
長くもたせない、軽い感覚でという今の生活事情を反映したものではある
だろうが、個人的には(先日の引っ越しの経験から)買ったからには一生使う
覚悟のいるレベルの家具の方が潔くて好みである。


家の倉庫エリアに(フィギュアをぼんやり眺めたり、本を徒然に読んだり
するための)腰掛ける場所がなかったので、ベンチを購入した。
ベンチと言っても公園にあるような背もたれ付きの大きなものではなく、
二人がギリギリ座れる程度の小さいものである。
とは言え、ベンチという家具の文化がまだ日本では浅いせいなのか、サイズが
どれも微妙に大きくて選択の幅が非常に狭く、気に入ったものを探すのに難儀した。

座面高45センチの総木製のベンチがあったとして、日本人なら大体座る所に
座布団を置く(座面が板の椅子は長時間座ると尻が痛くなる)はずで、そうなると
座るものとしてはちょっと高過ぎる。
胡坐をかくにしても、テーブルの天板と足が干渉する。 なので、日本人向けを
考えると、座面高は42~37センチくらいが良いのではなかろうかと考える。

あと、以前玄関前に壁となり得る家具を買おうかどうかという話をしていたが、
検討の末、取り回しの良いパーテーションを購入することに決めた。
しかし、ただの脚の付いた板のはずなのに値段が妙に高い。
基本的にオフィス用品(業務用)であるからなのか分からないが、どうにも腑に
落ちない。中古のオフィス用品を扱っている店が結構あるから、そこから購入する
のが賢明なのかも知れない。とりあえず、もう少し調べてみたい。


もの凄く漠然とした感覚ではあるが、今年のキーワードは『綻び』になりそうな
気がした。ただ、完全に瓦解するのはまだ少し先で、2021年以降になると勝手に
予想してみる。あくまで単なる予想なので、縁起でもない話で恐縮ながら日記の
メモ程度と受け止めて頂ければと思う。

いずれも話が纏まっておらず、なればこその箇条書きであるが、割と普段から
こんな感じである。何につけても纏まらない。
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今日の教本

2017年01月05日 23時24分35秒 | Weblog
『スカルプターのための美術解剖学』という本を購入する。
スカルプターというのは平たく言うとデジタル造形師のようなものであるが、
そんな身分でなくても、2Dで人体を描くにあたっての大変良い参考書と
なり得る内容で、とにかく非常に実用的で、ここ最近買った教本では一番の
おすすめである。

大体の解剖学系の教本では基本構造的なものを先に述べて、これが曲がった
時にはこうなります的な演繹的な説明手法を取っているのに対し、件の本では
まず表面的な形状や結果ありきで、それはこういう原因や理由によるものだと
説明する、帰納法的な手法を取っているのが特色と言える。
また、写真や略図による例なども多く、その点も大変実用的である。

問題は値段の高さで、通常の教本の二倍近くするが、個人的な経験上似たような
教本はたくさん持っていても大して意味はないので、下手な教本を買い控えて
こちらに回すなりしてでも買うのが良かろうと思われる。
あと、元が海外の本なのでモデルの人は殆どが欧米人体形で、アジア系や
アフリカ系の人の体について深く知りたいというような人には物足りない可能性がある。
(筋肉や骨格だけでで人種の違いが分かるレベルの人に限るが)

なお、ポーズ集は何冊あっても良いものである。最近のは殆ど写真集といった
趣なので尚更。
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河端広くなるもなお激流

2017年01月03日 23時29分40秒 | Weblog
この前の年始のカウントダウンで感じたことであるが、一秒がどう考えても
短くなっている。10年位前と比べて約一割くらい早くなっているようにすら
感じられた。
そもそも一秒の長さと言っても、客観的なようでごく体感的な、主観的な
感覚で、レースゲームとかをやっている時はやたらと長く感じたり、絵を
描いている時は恐ろしく短く感じたりなど、昔から不安定なものだという
認識はあった。しかし、今回のはどうにも早い。基本的に早くなっている。

一年があっという間に感じられるのもむべなりという話であるが、同時に
モタモタしていられないという焦燥感が湧き、少なくともあまりのんびり
ばかりしていられないなと強く感じる。

実家に帰って親と話をしていると、むしろ早まっているのは世間の時流の
方なのかとも思う(父親は携帯電話もPCも扱えない)が、こちらは時流の
恩恵無しにはろくに生きられないような環境なので、やはり悠長に構えてられない。

ガス抜きにアナログの趣味でも一つ見繕ってみるか…?
部屋の掃除とかでも良いのかも知れないが。
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迎える新年

2017年01月01日 23時03分42秒 | Weblog
明けましておめでとうございます。

ダラダラしていたらもう年の瀬で、誰かに会おうとかそういった予定も
いつの間にやらうやむやにしてここまで来てしまい、結局最低限度の
人達に挨拶して回ろうと考えている今日この頃。そんな体たらくなので、
年賀状も年々減り続け、来年あたりにはゼロになるのではなかろうかという
勢い。

とは言え新年を新居で過ごすのもオツなもので、元日の閑散とした街並みを
散歩したりして満喫する。が、すぐに飽き、元日の公園がなぜ盛況か理解
したような気持になる。なれば大人の楽しみということで、エロ漫画雑誌の
新刊を当たるが、まだ発刊されておらず、悲しい気持ちになる。
紙媒体の方は先に出ていたというのに。普通デジタルが先ではないのか…?
折角元日を大阪で過ごすのだから、福袋にアタックしようかとも思ったが、
あれはお金かものを置く場所に余裕のある人か、手元のものを売り払うのに
慣れている人、もしくは何かを始めるきっかけを欲する人でなければ
意味がないものであることを悟り、買う可能性がより高い家具類を色々
検討する方が有意義であると思い至る。そういった買い物で消費する金額を
考えていくと、次のボーナスくらいまではあまり無駄遣いできなさそうな
感じである。

今年も色々ありそうな予感が早くも漂ってきているが、ともあれ
よろしくお願いします。
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