ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

信仰と物質と空間

2016年05月24日 23時25分42秒 | Weblog
デジタルフィギュア的なものがついに出るらしい。
通常のものと違い、一体あたりの値段はごく安く(コンビニ弁当くらい)
場所も取らず、ものによっては服の一部をずらしたり非表示にしたりする
ギミックが仕込まれているという。個人的には、物質の伴わない造形物は
結局出力が平面という、宿命的な制約もありどうにも魅力が薄く感じられて
しまうが、図ったようなタイミングでVRが台頭の兆しを見せており、
これとセットにすることによって、デジタルフィギュアという存在が
今後大きく躍進する可能性もあるだろう。

面白いことには、さらにそのタイミングで、上記のものと趣を全く逆と
するような、1/1フィギュアという存在がその頭角を現し始めてきている。
さすがにこれは物理的な制約が大き過ぎることが容易に予想されるので、
大きな産業とはならないだろうが、今まで完全に業務用、もしくは特注の
一品物という認識の濃かったそれが、家庭用レベルにまで下りてきている
という点は見逃せない。

アニメやゲーム、漫画などの創作物を愛する人にとって、そこに登場する
特にお気に入りのキャラクターは、誇張抜きで信仰の対象に近く、いきおい
偶像を手元に置いておきたいという願望に行きつく。
捧げるものの多さ、大きさは信仰心と、それに対する祈りや願いの強さと
比例しよう。等身大というのは、ある種の到達点と言える。

先に話題に上ったVRにおいても、等身大フィギュア…あるいは一足飛びに
デジタル女神がバーチャル神殿(共有スペース)に祀られる日が、思うよりも
すっと早く訪れるかも知れない。

そうなると、物質的な神像(フィギュア)は高級品となるかも知れない。
今も十分に高いので、限度はあれどそうなる可能性は高いだろう。
…となると、今現在部屋に山と積まれたフィギュアたちが、未来ではすごい
価値を持つことになるかも…?
あるいは文化財保護の義務として、セキュリティや保守に努めねばならず、
恐るべきごくつぶしと化す(早々に寄付した方が楽)か…?

フィギュアの未来はどっちだ。
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殻と料理

2016年05月22日 22時25分14秒 | 絵関係
ここでも何度か書いてきたことかも知れないが、小学生くらい
の頃から貝殻が好きである。最近はようやく二枚貝の良さが
分かってきたように思える。とは言え、手元に貝殻があるのかと
言うとそんなことはなく、近所のスーパーに売られている、アサリや
ハマグリといったごく一般的な貝にすら手が出せないである。
調理できないのが最大の理由であるが。

という訳で、今回は多分役に立つ機会のない巻貝の描き方を
載せてみることにする。絵心のある人でもいきなり描けと言われたら
上手く描けないものの一つ。それが貝であるが、どうにかして楽に
描けまいかとアレコレ思索の上にできたのがコレ。
ひとまずざっとウェブ検索ですでにこの方法が確立したものでないかを
確認したが、予想通りそんな酔狂なことをしている人は無く、
満を持して世に放てる次第である。

これを作る過程で、貝殻(巻貝)の構造はかなりフリーダムなようで、
実はかなりたくさんの制約があることに気付く。
例えば巻きの軸(図の 砲蓮△曚箸鵑瀕祿阿覆直線である。
ちょっとずつ曲がっていっても、そこまで支障はないはずにも
関わらずである。また、巻きも上下いずれかの方向に必ず流れる、
いわゆる螺旋の形を取る。螺旋ではないただの渦巻きは、
オウムガイやタコブネなど、貝類の枠から少し外れる種にしか
見られないように思える。

話は若干それるが、インスタント系のあさり汁について、2cm程度の
殻付きアサリをわざわざ入れる必要があるのかと、常々思う。
これなら、もっと大ぶりの剥き身を入れてくれた方が食べやすさの
上でも余程ありがたい。殻がついてないとあさり汁と銘打って
売ることが出来ないとか、そういう法律でもあるのだろうか。
いずれにしても、貝類の殻を用いる料理において、殻、身共に一定
以上の大きさが伴わなければ、貧相にしかならない。

もっとも、大きくても手に余る時もある。10cm近いハマグリ
(一個1000円越え)とか、どう料理すれば良いというのか。
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こだわりVSこだわり

2016年05月19日 23時27分31秒 | Weblog
3DのCGの世界は未だ日進月歩の発展途上であり、二年もあれば
それまでの知識や技術は陳腐化し、五年もあればツールのシェア
勢力図が一変しているような、いわゆる修羅の国である。

かような環境なので、そこでものづくりに携わる人間には『○○さん
はその道一筋ウン十年…』というような勲が意味をなさない。
先述のように年単位で技術の更新や革命が起こるので、20年コツコツと
技術を積み重ねてきた老兵の仕事が入ったばかりの新人に奪われると
いうことも日常茶飯事である。
ゆえに、そこで生きる人々は日々の情報収集と勉強が仕事の一部と
なっている。

しかし、日々技術は更新され、ツールは増え続け、要求される知識は
増していく中、勉強や技術取得、感覚の把握などに要する時間が
本領であるはずの制作の時間を圧迫しつつあると感じる。
人並み以上の要領の良さと優秀な頭脳があればそれでもやっていける
だろうが、かような人材はそうどこにでも居るものではない。

元々こういったツールは訳通り道具であり、制作者の心のうちにある
ものを形にするための"手段"であろう。しかし、その手段が便利になり
より精細化し、かゆい所に手が届くように進化する過程で、その手段自体が
乱立するという状況に陥っている。

本来職人は自身の仕事に合った道具を使い倒して、ようやくそこから始まる
ものであるが、使い倒す前に道具の使用期限が来るというような状態で、
仕事の結構な割合がこういったツールの勉強に割かれてしまっているのは、
思う以上に多大な損失なのではないかと考える。

表現活動における道具とは、制作者の"アレをつくりたい"という夢想を
より高精度かつ高速で実現させるように働くのが本義であるから、いくら
(使いこなせれば)便利という道具が日々更新されても、更新や興亡が
激しすぎたり、習得に時間を要するのであれば、年季の入った仕事が生まれ
ないし、才能やセンスが生煮えのまま腐ってしまうことも容易に起こり得る。

ツールや表現手段が増えるのは良い。増えたものについて学び、吸収するのも
苦にはならない。ただ、無にされる技術や知識、手業が増えていくのは耐えられない。
具体的には、カメラの操作ひとつにしても、ツール毎に異なっているような、
そういった反吐が出るほど下らない"独自性"を捨ててくれと言いたい。
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豆か種か実か

2016年05月17日 23時14分19秒 | Weblog
肥満予防のためのごくささやかな手段として、脂肪分の摂取を
控えめにする生活を送っている(効果は何とも言えない)が、
その弊害か、一度に油分をとり過ぎると腹を壊すようになった。
こってり系のラーメンなどを食べると即下る始末。

例外的に個人的に摂取OKとしているナッツ系も、結局取り過ぎると
腹を壊してしまうのだが、そんな折にスーパーのナッツ系コーナー
にて、煎り大豆を見つける。節分の際に歳の数だけ食べるアレである。

大豆はナッツではないが、食感が比較的近く、何より脂肪分が
比較的低い(少なくはない)ので、代替品とするにはもってこいと
感じた。値段もナッツより安いのでお得でもある。
先の節分の時にも歳の数の倍以上を毎年食べてしまう程度には
好んでいたので、今後はこれを当面のおやつとして運用することにする。

今のところ実感する欠点はたくさん食べると喉が渇くことだが、
そこまで大した問題ではなかろう。
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怪人養成所

2016年05月15日 23時51分24秒 | Weblog
本放送となった『カテイカ』が安定の面白さ。
個人的には試験放送版の、金色のやる気のないカテイカ様の方が
好みであったのだが、今回のドクロベーのようなスタイルの
カテイカ様も胡散臭いので、これはこれで良し。

ともあれ、内容的に一人暮らしの人もターゲットに入っている気がする。
ウェブで調べれば大体のことは分かる時代ではあるから、昔ほど
味噌汁の作り方とかお茶の淹れ方が分からんという場面は少ないと
思うが、楽しんで理解する、ということは非常に大事であると実感する。

Eテレでは既にオフロスキーという怪人を輩出してきているが、
このカテイカにおける狂言回したるエンドゥもそれに引けを取らない
怪人っぷりであり、いやが上にも期待が高まる。
そもそもEテレって変な、濃いキャラがやたらに多い。

カテイカ様、我に生活の知恵とやる気を授けてくだせえ。
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困った時の…

2016年05月12日 23時34分57秒 | Weblog
『うしおととら』などを観ていてふと思ったのだが、あの手の
妖怪退治を生業とする集団が登場する物語において、その集団が
軒並み仏教(寺院)ベースなのはなぜなのか。
相手は悪霊、魍魎、妖怪、鬼の類という雑多なもので、由来も
古今東西様々なそれらを全部まとめて仏教的なアレコレで解決、
というのはいささか仏教万能に過ぎやしないかと思わずには
いられない。

そもそも法力とか真言とかお札や経文で退散調伏というのも、
力押しな印象で、恐らく元々は仏法に帰依させて成仏に近い
状態へ導くのだろうという当初のイメージから逸脱し、その果てが
なんか雷やビームや八つ裂き光輪をぶちかまして、相手を爆発四散
せしめるという描写になっている始末で、これにはインド人(仏陀)
も吃驚である。

別に神社系列の人たちが神楽を舞って鎮めたりとかでも良さそうな
ものなのに、大体出てくるのは袈裟に数珠という、いわゆる僧侶である。
そしてライバルとして出てくるのも西洋の僧侶(エクソシスト含む)で
あったりするので、僧侶とはそういった魔性のものをアレコレする
職業でもあるという一般常識があるのかと疑いたくなる。
否、一般的ではないがもはや一般常識なのだろう。なぜなのかは
正直全く分からないが。

色々なことが解明し、すでに分かっていることが数多ある世の中でも、
分からないままのことがまだまだ大量に残っているような状態で、
言ってしまえば耳年増的なソフトとハードの乖離はむしろこれから
さらに大きくなっていくのだろうと思われる。そういう中なればこそ、
オカルト界の代表として、一番身近な僧侶が万事屋的に英雄視されて
いっているようにも感じる。
実際の本職の人にとってはいい迷惑とは思うが。
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遊び道具

2016年05月10日 23時40分06秒 | Weblog
絵描き用に、人物画のアタリ付け用と言う名目で出された
アクションフィギュアであるが、当然のように購入。
モノはS.Hフィギュアーツという、現在figmaと双璧を成す
アクションフィギュアのブランドで、仮面ライダーや
ドラゴンボール、キン肉マンなど、figmaと比べて骨太の
モチーフが多い印象である。

モノは言わばそれの素体ともいうべきものであるので、
figmaの素体と比べるとかなり骨太で実際の人間の体形に近い。
特に男性型のものはその差が顕著で、figmaは少年、といった
雰囲気なのに対し、フィギュアーツのそれは青年といった
印象である。男女の体格差もフィギュアーツの方が大きい。

肝心の可動性であるが、フィギュアーツの方は首の付け根と
爪先に関節が多く、肩回りの関節に工夫があり、良い感じに動く。
半面、股関節の可動域がわずかに狭いのと男性型は手首があまり
曲げられないという短所がある。あと、女性型はちょっと首が短い。

とりあえず、アニメ絵調のポーズ人形として使用に供する分には
申し分ない内容だと言える。漫画家やイラストレーター志望の
若い子にプレゼントすればかなり喜ばれることと思われる。
なお、アクションフィギュアの宿命的な問題とも言える点であるが、
両者とも『真上を向く』『綺麗なシルエットのバンザイ』『正座』
『ウンコ座り』は不可能である。肩回りの可動については特に
今後の技術的な進歩が待たれると言えよう。


ごく個人的にはエロ系の構図を検討するのに件のフィギュアは重宝
しているのであるが、その場合、男性はともかく、女性型はちょっと
"硬い"と感じる。肩もそうであるが、首と股関節、腹の可動域が
もっと大きければと思う場面がとても多い。
※なお、その用途に関して、figma素体は腹のパーツだけ180度前後に
回転させることによる"前屈"が可能な点において、(首があまり
大きく動かない点を差し引いても)個人的評価が勝っている。
ただ、男性型はフィギュアーツの方が好み。

さておき、中々勇気がいる行為ではあるが、胴や脚の前方中心線と
後方中心線にそれぞれ自分で線を描き入れたりするのも、ポーズ人形
としての機能向上のためにやってみると良いかも知れない。
顔に十文字とかもアリ。ただ、腕はフィギュア独特の構造なので、
意味が薄いかもしれぬ。
いずれにしても楽しめる上に勉強になり、実用的でもあるのは素晴らしい。

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万感を金に変えて

2016年05月08日 22時27分13秒 | Weblog
やかんと小型の掃除機を購入する。
先の連休がただの平日と土日に分解され、特にどこへも行かず、
休日出勤分の実入りがあったので、それを使う意味も含めて購入に
至った次第である。

やかんが欲しいと思ったのは、先の冬にて水道栓が凍結した際、
"お湯をかけるもの"が家に無いことに初めて気が付き、衝撃を
受けたことによる。別にその目的でなくても、普段からお湯を
湧かす機会は多く、しかしものを煮る機会は少ないため、
やかんの方が便利なのではないかと薄々感じてはいた。
ともあれ、長く使う類のものなので、それなりのものを購入した。
それにしても、やかんは思っていたよりも高い上に、高級品は
想像を超えた値段がついており、ピンキリが激しいというもので
あるということを思い知る。

掃除機は10年ほど使ってきたものがほぼ壊れ、また、狭くなった
部屋における取り回しが悪くなり過ぎたために、でくの坊と化して
おり、小回りの利く代打を購入することと相成った。
掃除機が壊れても当然部屋にはチリやほこりが降り積もるので、
これを購入するまでは、素足で歩くことが一番の床掃除となり果てて
いた。(素足で歩きまわって、最後にゴミ袋の上で足についたごみを
はたいて落とす。その後細かい埃は風呂場で流す)ひどい有様である。

購入したものは、片手で持って吸うタイプのものであるが、しばらく
使用したら重みで腕が悲鳴を上げ始めた。
本体をベルトか何かで肩にかけ、吸い口を延長するホース的なものを
追加して、少しでも腕の負担を減らさねばなるまい。

ハンディクリーナーを含む、小型掃除機は本体と吸い口がごく近い、
ほぼ一体構造であることが多いが、馬力のあるモーターや大容量の
バッテリーを搭載する必要上、どうしても重くなることが避けられない。
避けらないくせに、上記のような対策を施さないのはなぜなのか。
色々買わせたいという腹積もりなのか、人間の筋肉を信用しているのか。
とにかく、予期せぬ筋トレとなった。

消滅した祝日の埋め合わせ…その期待は悲しみを深くするだけにも
思えるので、この他にも臨時収入の使いどころを考えることとする。
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つまりリターンがでかいだけ

2016年05月05日 23時35分23秒 | Weblog
五月になると調子が良くなる、ということはここでも度々
書いてきたことであるが、今年の五月も良い感じである。

ただ、その波が来たのがちょうど五月に入ってすぐというのが
個人的な不安要素で、つまりはこの好調はあくまでも自己暗示による
ものでしかなく、六月に入ったらアッサリ消え失せる類のもの
ではないかという考えが頭をよぎる。
もちろん、自己暗示であろうとなかろうと、明日にでも消えるという
単なる勘違い的なものである可能性だってある。

色々考えても仕方ないことのようにも思えるので、ゲームでいう所の
ボーナスステージに来たのだという気持ちで臨むことにする。

曰く、欲張って深入りしない程度に、かつあまり構えずに進むべし。
大体欲張ると死ぬ。それがボーナスステージ。
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疲労とツッコミ

2016年05月03日 23時30分21秒 | Weblog
『疲れている絵』というのがあると考える。
絵のテーマが疲労という訳ではなく、描き手の疲労や倦怠が絵に表れて
しまっている作品である。これは別に同じ絵描きでなくても、絵心が
なくても、見た者をして"何だか元気がないな"と感じさせ得るほどに
強い感覚で、しかし描いた当の本人が一番気が付かない類の、厄介な
ものでもある。

ただ、いくら気が付かないとは言っても、その感覚を引き起こす要素が
特定できれば、実際描き手が死にそうなほど疲弊していても、それを
見るものに感じさせないどころか、逆に元気を与えてしまうことも
可能だろう。元々絵の技法はそういったものの集大成であるから、
蓄積、検討、分析、実践等々を重ねていけば、いずれは操作可能な
技術の一つにもなるのであろう。

個人的に思う、『疲れている』と感じさせる絵に見られる兆候のような
ものを以下に挙げてみる。
・ポーズや構図が平面的で硬く、躍動感、奥行きに乏しい
・人の顔や手指の表情に乏しく、生気がない
・絵全体のコントラストや色相、彩度が弱かったり極端だったりする
・テーマや小道具が特殊過ぎ、その口当たりをマイルドにしようという企図もない

いわゆるマンネリともいう状態の、もう少し深刻なものとでも言えようか。
これを打破するには、ラフの段階まで他人にやってもらうとか、ある程度
描いたラフ絵を他人に敢えて"崩してもらう"とか、とにかく、己自身以外の
力に頼るのが一番の近道のように思える。
先に書いたように、描いた本人にはまず分からない(描いた状態をベストと
信じている)のであるから、自力で何とかするのは難しいと言わざるを得ない。

プロは往々にして、担当編集者など見る目と物申す人が複数人付いているが、
これらマンネリ対策の一環と考えると納得がいく。
逆に、プロなのに疲れている絵を頻繁に出してしまっている人は、そういう
物申す人が傍に居ない環境だと想像がつく。ある程度は仕方のない事とは言え、
傍から見て、何とも言えない物悲しさを覚える。

全くもって、他人事ではない。
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