ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

楽しそうな場所

2017年02月21日 23時42分50秒 | Weblog
散歩などをしていて、ふと気が付いたのだが、最近の小学校の校庭には
芝生を植えるようになった所が多い。すぐに丸禿になる未来が想像できるが、
最近の芝は質が良いからそうそうハゲないのだろうか。
そして、やはり裸足で駆け回って欲しいとか、そういう信仰じみた狙いも
あったりするのだろうか。個人的な幼少期を振り返ると、学校の校庭は
もちろん、近場のおおよその公園は一般的な砂と地面だったので、芝生に
それほど馴染みが無い。
なので、芝生の何が良いのかにわかに想像が付きかねるが、いずれにせよ
小学生はそれを使って存分に遊びまわることであろう。

そんな校庭の芝生であるが、Googleの地図を見てみるとそうでもない状態で、
かなりごく最近の動きであるように思われた。
その他にも、比較的古い時期に建てられた学校には、窓に筋交いのような
結構ごつい構造物が追加されていたりして、戯れに母校の小学校を地図で調べて
みた時に一瞬目を疑ったほどであったり、さりとて古くなった校舎がなかなか
取り壊されずにかなり長い間放置されていたり(多分アスベストとかの問題と
予想)、身近でありながら緩やかに変化しているのだと気付かされる。

何かしらの用があれば中も見てみたいところではあるが、現状何をどうしても
部外者(不審者)なので、その望みは叶わないのが悲しい。
この歳になってようやく気が付いたが、授業参観とか、授業よりも学校を見る
方が楽しいのではなかろうかと。
その昔、親がウキウキ気分になっていたのもむべなりと言えよう。
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乖離する流れ

2017年02月19日 22時47分08秒 | Weblog
先週末の話。
帰宅途中に飲み屋の外で揉めていると思われる一団の姿があり、何が
気に入らなかったのか、悪い酒が回ったか、ひどい罵声と怒号で
絡んでおり、店員が必死に仲裁していた。
酒が入ると信じられないくらい人格が変わる、いわゆる酒乱の人は
今まで何人か見てきたが、その類なのだろうか。
大声で『絶対に殺す』などと言う、まともな思考では出て来得ない
行動をしている時点でそうなのだと思いたいが、とにもかくにも
店員が気の毒だと思い、脇を通り過ぎた。2月ってこういう季節だったか。

話は変わり、散歩がてら古本屋兼ゲーム屋に行ってみる。
旧居にほど近い所にあるこの店は、思えば随分長いこと通っているが、
その間に品揃えも変化を見せた。
そもそもゲーム屋のはずが、徐々にカードゲームに売り場を押されて
きていたり、最近ではフィギュアが版図を広げてきていたり、Xbox系が
まるで存在していないかのような品揃えだったり、一時期は隆盛を
極めた妖怪メダルがすっかり姿を消していたり、そんな中にあっても
未だに音楽CDはしぶとく残っていたりで、品物そのものよりも
店内の勢力図のようなものを概観することに楽しみを見出している。

世の中の流れは速いようでいて、所々は遅いままだ。
凡そ娯楽の類は流れるのが早く、アニメなどは少し前に大流行りして
いたものが、次のシーズンには熱が冷めていたり、なればこそ人気の
タイトルは終わらせまいと長期的になり、いつの間にか5~6年以上
続いていたりしている。ゲームは、家庭用のそれにおいては逐一時代を
追うのを捨てている感があり、良くも悪くも落ち着いた作品ばかりが
棚に並んでいるように見受けられる。

店を出ると、道に吸殻を捨てる中年男性の姿がある。
煙草の社会におけるあり方も随分と変わったが、おそらく人によっては
数十年前の感覚が未だに抜け切れないままなのだろうとぼんやり思う。
何が良いか悪いかは別にして、人の、変化に対する浸透速度など、実際
問題その程度なのではないかと考えたりもした。

世の中の流れはよく河に喩えられる。所々の流れの遅いままの所は
さしずめ淀みと言ったところだろうが、概して淀みにはヘドロや澱やら
漂流物が集まり、害をなす。
ただ、それで淀みが悪かというと、とてもそうは思えない。
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ある気にさせる

2017年02月16日 23時42分37秒 | Weblog
大物フィギュアを買うようになってしばらく経つが、値段の上がり方が
尋常ではなく、結構な贅沢趣味になりつつあると感じる。
そんな状況なので、そもそも大物ではないフィギュアも、もはや殆ど無い状態
となっている。
品質が過去と比べて段違いに良くなっていることだけが唯一の救いであるが、
未だにハズレを引く可能性も若干ながらあり、基本発売日に買えることが少ない
(要予約)ことも踏まえると、結構な博打といえよう。

少し前にも同じような話を書いたが、もうそろそろフィギュアにも電子版が
出てきても良いのではないかと考える。場所の問題もそうであるが、値段がもはや
大衆向けとはちょっと言い難いレベルにまで高騰してきている昨今、おそらく
アナログ版の1/10以下で提供できるであろうデジタル版のそれは、それなりに
需要があるのではなかろうか、とおそらく再度ながら唱えてみる次第である。

最近のフィギュアは原型をデジタルデータで用意している所も多いので、その
データを流用し、デジタル版として販売すれば良いだろうし、そうでなくても
3Dスキャンしてデータにすればよいので、困難は少なかろうと考える。

その他、これも最近普及し始めてきているVRとの相性も良かろうと思われる。
現状VRはフィギュア以上に経済的余裕のある人のための趣味となっているので、
すぐには難しいかも知れないが、スマホを用いた簡易VRとかならばかなり
敷居は低くなるであろう。

電子書籍も初めのうちは抵抗があったが、今ではすっかり受け入れ、その恩恵に
与っているような状態なので、何かちょっとしたきっかけで流れは大きく変わり得る
と思われる。
発展させれば、普通手に取ることの出来ない文化財や工芸品の類もデジタル化する
ことで自由に、嘗め回すように観賞することが出来るようにもなるであろう。

ちょっとダビデ像の頭頂部が見たい、とか奈良の大仏の背中を見たい、とかそういう
要望にも即座に応えることが出来よう。

これ以上アナログ版が高騰する前に何とか頼む。
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要撃手

2017年02月14日 23時31分27秒 | Weblog
それを手に取れば、三倍返しが待っている。しかし、男には茨の道を
敢えて選ばねばならぬ時がある。現実問題としては手に取ろうが取るまいが、
その場に居合わせていなかったとしても三倍返しの対象になるという、
実に不条理極まる状態と言えよう。つまり、バレンタインデーである。

実際には三倍返しと言ってもそんなに財布にダメージが入るほどではないし、
あからさまに義理という空気を発しつつも、それでも何かしら貰えるという至極
ささやかな喜びに、上で書いたような疑念はすぐさま溶けてしまう男の悲しい性
であるが、環境や状況によっては深刻な事態に発展することもあろう、とふと考える。

具体的には三倍返しを強要されたり、三倍ではなく十倍だったりとか、
エビで鯛をどころの話ではなく、そこいらのフナムシでマグロを釣ろうという
勢いで吹っ掛けてくる可能性もあるのではなかろうかと考えた次第である。
さしずめ、"バレンタインハラスメント"とでも呼ぶべきかと思い、調べてみたら
案の定少数ながら検索に引っかかり、上で書いたような、度を越した返礼の
強要について注意喚起する旨が書かれていた。

贈答品において、金銭的な話をするのは野暮の極みである以上、普通に
等価っぽいものを見繕って返礼するのが、両者の関係上一番良いように思える
のだが、高らかに『三倍返しね』とか宣言する手合いは一体何様なのだろうと
思う。まあ、身近にいないのが救いか。

カロリーや糖分を三倍濃縮して返すという手段も考えてみたが、それだと本当に
ただの嫌がらせになるので却下。
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使うために使うための

2017年02月12日 23時18分05秒 | Weblog
思えば随分と長い間タブレット端末を使ってきたが、ウェブと
動画閲覧程度にしか使ったことが無く、LINEすら満足に使い方を
知らない状態で、この度ようやく自撮りする方法が分かったという
ような体たらく。

いきおい随分長い間、新しいアプリを入れておらず、そもそもアプリの
力を借りたくなるような事態に直面せずに来てしまったという感が強い。

家の中で己の望むようにのみ使っている分には良いが、時々他者と
データのやり取りや、気の利いた交流を行おうとしたときに、やり方
どころかその存在すら知らない機能とかが判明し、その度に時代に
取り残された感であったり、時代の流れの速さを覚えずにはいられなく
なる。
皆仕事や趣味で使い方を覚えたのだとは思うが、新しいものへの適応
能力の高さは正直尊敬の域にまで達する。コミュニケーションツール
周りの進歩にはもはやついていけない。

最近もLINEをSkypeと言い間違えたり、あまり関心のない領域のツールは
本当におじいちゃんレベルである。基本的に余程興味があるか、仕事で
必須ツールであるなど死活問題で無い限り、世の中のツールの使い方は
覚えてこないことを貫いてきたが、いい加減に限界かも知れない。

限界が来るより先に、誰でも直感的に使えてかゆい所に手が届きうる
ツールやインターフェースが普及すればよいのだが、(金銭的)需要を
生むためにわざと不便にしているツールもある位だから、なかなか
難しそうである。
せめてヘルプは使いやすくしてくれと願うばかりである。
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包まず飾らず

2017年02月09日 23時37分57秒 | Weblog
歌とかドラマとかの台詞で『生まれ変わっても君を愛してる』的な発言が
あるが、畜生や地獄に転生してもそうなのだろうか、とか、土台死を前提に
話をしている時点でどうなのか、とか、ひどくモヤモヤした感覚にとらわれる。

無論、ただのものの喩えで、溢れる愛情が今生を突き抜けてるというような
意味合いなのだとは思うが、上に書いたような解釈も十分にされ得る余地あり
と考えると、あまり適切とは言い難いのではなかろうかと思った次第である。
解釈次第では『宝くじで当たった額を全部あげてもいいくらい好きだ』と
言っているのと大体同じになったりもするから、やはり一考の余地はあろう。

量を表現するはずのものが、別の所に気が向いてしまい、結果良く分からなく
なったり台無しになったりすることはよくある話で、この場合も、来世の話を
する前にまず今を(その溢れる愛とやらで)徹底的に良くしていくことを
考えれば良かろうに、と思ってしまう。そんな素敵な感情を持てる一生など、
1000回生まれ変わってもそうそう来ないだろうから、尚更そう感じる。

あとは現状色々なしがらみがあって、どうにも結ばれずに愛慕の思いが空を切る
ばかりのような状況下でも、同様の台詞は用いられるが、それでも余程のことで
なければ今生がまだ一番ましであろうと個人的には思う。少なくともそんな
ロマンめいた修辞で己の現状を伝えられるほどならば、余裕は十分にあろう。

教訓:ちょっとロマンチックだからといって、よく分からないものや
確かじゃないものに己の気持ちを託して人に伝えるのはやめよう。
大事なことなら尚更である。
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お気力

2017年02月07日 23時40分37秒 | Weblog
朝の寒さで布団から出るのが億劫になるにつけ、"気力"というものの
存在を実感せずにはいられない。大凡直接的に生死にかかわらない限り、
ほぼ全ての行動に対して気力は消費され、しかしそれは常に一定ではなく
諸々の状況に応じてコストが変化するという厄介な代物でもある。

ついでに言うと、ゲームの魔法のように発動時に消費するのではなく、
発動時には大きく消費され、行動中にも継続的に少しずつ消費されていく
感じで、一応自動回復やクールタイムもあるという感覚である。
ひどくゲーム的な解釈であるが、半ば癖のようなものなので、適当に
さらりと流していただければ幸いである。

さておき、そんな気力が尽きると、多分本当に生命維持に直結する行動以外
何もできなくなると思われる。精神を病むと、起きることが出来なくなる
とはよく言われるが、病により消費が倍増して起きるための行動コストが
支払えず、『MPがたりない!』状態に陥ってしまうためなのではなかろうか
と考える。もちろん笑い事ではないので、何とかして気力枯渇状態を
回避または回復しなければならないのであるが、悲しいことに気力の回復
手段はひどく乏しいように感じられる。宿屋に泊まったり、エリクサーで
全快というわけにはいかない。
基本自動回復頼みであるが、それが病によって機能しない場合はかなり
深刻である。ゲーム的な解釈に頼らずに速やかに専門の医者に掛かるべきで
あろう。

仕事にせよ趣味にせよ、付き合いにせよ、何かにつけて気力が求められる
のが、世の中で生きていくということのようにすら感じ、いきおい気力の
管理能力がよりよく生きるための必須事項なのではないのかと思わずには
いられない。献血みたいに気力の供給システムのようなものが確立されて
くれればとも思うが、そもそも気力とは何かが判明しなければそれも難しいか。

慢性的に欠乏しているということは、今のところ幸いにして無いが、
ここ一番の気力が欲しいという状況は多々ある。 誰か気力を分けてくれ。
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読む人を読む

2017年02月05日 23時36分40秒 | Weblog
あの後、金曜夜に熱っぽさを覚え、すわ風邪かということで
この休日は静養を決め込むことにする。食いたいものを食いたい時に食い、
寝たい時に寝たいだけ寝るという、自分を甘やかすかのような感じで
あったが、その甲斐あってか概ね復調する。ここ最近猛威を振るっている
インフルエンザではないようなので、少なくともそこは安心できよう。

話は変わるが、年始に帰郷した際、気になったがまだ書いていないことが
あった。山手線の中で、身なりの良い老夫婦が文庫本(漫画)を読んでおり、
少し気になって、何を読んでいるのかとチラリと見たらジョージ秋山の
おそらく『アシュラ』で、度肝を抜かれた。
電車で漫画を読んでいる人は特段珍しくもないが、大体は『ワンピース』
とかその辺りで、読む人も高校生から中年くらいの層である。

あまり良い趣味ではないと自覚しているが、こういう何かありそうな取り合わせ
には裏の背景を感じずにはいられず、あれやこれやと妄想したりが止まらない。
本人がそんな状態なので、個人的にはあまりニッチな漫画は人前で読まない
ように注意している。『超劇画 聖徳太子』とか『野望の王国』とか。

そういえば再度脱線になるが、『超劇画 聖徳太子』と『阿弖流為2世』は
どこか同じ匂いを感じてやまない。歴史上の人物が超解釈されていたり、宇宙とか
地獄とか、話が異次元に飛んでたりとか、絵がやたらに濃いとか、その辺くらい
しか共通点はないのだが、まあ多分漫画経験値的なものが低いからそう思うの
だろうと思うことにする。
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睡の魔あれば覚の魔もあり

2017年02月02日 23時40分30秒 | Weblog
先日買った追加の毛布で、厳しさを増す寒さにもこれで大丈夫と思って
いたら、寝ている間にそれらの毛布を跳ねのけており、寒さで目が覚める
という、一体何があったのかと自問したくなるような出来事があった。

幸い、何とか風邪を引かずには済んだが、ただでさえ貴重な睡眠時間を
かような形で削られるのは何ともやるせない。
しかも、大体そういうハプニングで起こされるのは明け方という中途半端な
時間帯なので、やるせなさが加速する。いっそこのまま昼まで寝てしまいたい
気持ちに駆られる時もあるが、朝に起きられないと昼に起きるのも夕方に
起きるのも変わらないというような体質になりつつある(休日がそんな状態)
ために、朝起きて、床から離れるのがその日の一番初めの仕事というような
具合になっている。

こんな具合で、春になったらどんな生活になるのか、少し恐ろしい気持ちになる。
睡魔が最も猛威を振るう三月末から四月の上旬…。できることと言えば早く寝る
ことと、疲労を溜めないことくらいか。 今も要注意だが。
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何かを描けるということ

2017年01月31日 23時29分34秒 | Weblog
個人差はあるだろうが、『股座(またぐら)』がちゃんと描けているかどうかが
エロ漫画作家の絵の上手さをはかる上で一つのポイントになるように思える。

言わずもがな、そこを描かずしてエロ漫画はエロたり得ないという、非常に
重要な個所ではあるが、幾分骨格や形状の把握が難しい場所である上に、変に
形式化された描き方が幅を利かせているのか、個人的に違和感を覚える描写が
多いと感じる。

人間の顔や胸などからして現実から大きくかけ離れているので、その個所も
それに倣って現実離れした形状であるというのは、特に異論はないし、むしろ
エロの方向に向かって大いに現実離れすれば良いとすら思う。
しかし、上で述べたような変な形状の股座はエロさを煮詰めたようなものでは
なく、どこか出涸らしのようなぞんざいさを漂わせる描写であり、もう少し
(最近は資料が至極簡単に大量に手に入るのだから)研究しろよと言いたくなる。

折角描けるスキルがあって、しかも好きで描いているのならば、もっと表現とか
描写のスキルとか、デフォルメの抜き差し加減とか、本当は思うままのはずなのに、
どうして判で押したような、使い古されて、しかし完璧でもないものをなぞる
だけを良しとするのか。
個々人の趣向を煮詰め過ぎた余りに異形と化したり、猟奇に踏み込んだりしている
のもあるが、そっちの方が余程気骨がある。(個人的にはちょっと胸焼けするが)

思うに、エロの成分は記号化から離れることでその趣がより濃厚になる。
とは言え全てを記号化から離してしまうと、ファンタジー的な性質を損なうように
なるので、配分が重要になる訳であるが、そこは作家性に依る所であろう。
若い人向けに敢えて"薄味"で提供するための、一つの方策という見方も出来なくは
ないが、別に記号化に頼る必要はある訳でもなく、あっさりとした描写法を
模索すればよいだけの話であるから、やはりどうしても下手にデフォルメされた
股座は『腕の見せ所で手を抜いた怠慢』のように思えてならない。

エロ絵を描く動機はむしろそういった不満を自ら解消するという所が大きい。
描いててこんなにも楽しいのに、勿体ない。  世には出せないけど。
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