ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

思っていた程

2017年03月26日 23時24分12秒 | Weblog
実家にもあった。職場にもある。そして新居にもついてきた。
何か。ウォシュレットである。
もはやそんなにも一般に浸透した感のあるアイテムであるが、やたら
保守的な身空であるために、実はこれまで一度も使ったことが無かった。
単純に使い方も知らないので、失敗してみっともない思いをしたくない、
という心理も大きいかも知れない。

そんな中、何が原因か腹を下す。何度も厠に出入りし、そうなると
尻も疲労するため、ついにこの時が来たとばかりに、自宅のウォシュ
レットを試すことにした。ここは自宅。他の誰もいないので何をどう
間違っても少しの問題もない。

…結果としては特に心配していたようなこともなく、さらりと大人の壁を
越えたというような心境であった。思っていた程でもないが、思っていた
以下でもなかった。今まで構えていたのは何だったのだろうと逡巡する
という事すらないような、そんな出来事であった。

話は変わり『衛府の七忍』の三巻はいつ出るのかと調べてみたら、
三か月くらい前に既に出ていた。
その間本屋でも探していたつもりだったのだが、数が少ないのか、実は
三か月くらい本当に本屋に行ってなかったとか、軽い自己不信にとらわれる。
郵便受けを一か月くらい改めてなかったりとかザラであるから、案外
実は三か月本屋に行ってなかった、というのはあり得る話である。
ともあれ、折を見て買おう。
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改造計画

2017年03月24日 00時16分39秒 | Weblog
我が家の居住区の明かりは、寝床から遠く、いつも電気を消してから
床に就かねばならない。問題は暗くて危険だとかそういう所ではなく、
寝床で本や端末などを読み耽った後に、おもむろに明かりを消して寝る、
という行動が困難な点にある。

そこで、部屋の明かりをリモコンで操作できるようにするアイテムを
色々と探してみることにした。

まず始めに見つかったのが、電灯の根元に噛ませる方式のもので、
それなりに廉価で使いやすそうではあったが、受信機もそこに付いている
ために、解放状態でないと機能しないという欠点があり断念。
我が家の電灯は吊るすタイプのものではなく、潰れた饅頭が天井に
張り付いたような形状のもので、受信機を覆い隠してしまう。

次に見つけたのが、壁のスイッチに細工をするタイプのもの。
やや値段が高く、電気工事(技士の資格)が必要というハードルの高さは
あるものの、素人でも設置した例はある(作業の動画もある)ようで、
これならばおそらく行けるだろうと考えたが、個人的に今まで何度となく
感電を経験しており、もしかしたらそっちの縁があるのかも知れぬと、
杞憂めいた不安を抱いているのと、電灯のある部屋のブレーカーを落とさ
なければならないのが億劫なため、やや尻込みしている。

ああでも、引き換えに得られるものはまさに楽園のような環境である
のだから、やってみる価値はあるだろう。大丈夫、何とかなる。
はずである。
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影もないが力はある

2017年03月22日 00時29分28秒 | Weblog
調べものをする時や、人にものを作ってもらう時に個々人が抱く
イメージというものがあるが、煙のようにうすらぼんやりした印象に
反し、実のところは結構な力を持った存在である。
そのおかげで、調べものをしていても、中々これだというような答えに
辿り着けなかったり、何度もリテイクを繰り返して制作サイドを辟易
させたりという、時間の無駄とそこから生じる悲劇を生む原因に
なっていると考える。

こういった自己の『求めるもの』に対するアプローチ手段は、上記の
ようなイメージ主体のものだけではなく、他に想定される目的や場面に
応じて、"大体これくらいの範囲内で"と決めた上で行うものもある。
この場合は事前の想定や情報の精度が高いほど、決まるまでにかかる
時間は短くて済む。

この方法は絵とか感覚的な価値観に訴える分野においては通用しない
のではなかろうかと思う人も居るかも知れないが、個人的な考えから
すれば、可能である。
どこぞの富豪が、昔のメディチ家よろしく芸術家に絵を描かせるという
ような場合ならば、確かに難しいかも知れないが、今の時世においては
そのような例は稀で、大体は商業的に依頼があって制作するというような
流れであろう。

商業的に美術を必要とする場面で、そこには殆どの場合、目的と目標が
存在する。(クライアント側もそういった具体的な目的と目標を彼らの
ボスに提示しないと、会社が財布を貸してくれない)
なので、"大体これくらいの範囲内で"と理詰めで決定を下すことも
できると考えるが、感覚的なものであるので、好き嫌いであったり、
感情に足を取られたり、考えが回らなくなることも多々あることと思われる。

とは言え、イメージ主体の制作方針は高コストなのは間違いないので、
少しでも制作コストを抑えたい場合は、理詰めで行く方法が良いだろう。
制作サイドとしても、往々にして振り回されて疲弊することの多い、
イメージ主体のクライアントよりも、大事な所は理詰めでカッチリ締める
所の方が信頼が生まれやすいと感じる。
長い目で見ればさらにお得と言えよう。
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着陸は困難事

2017年03月19日 23時16分39秒 | Weblog
『神羅万象チョコ』がどこにも売っていないのだが、これは梯子を
外されたとか、そういうフェードアウトの前兆なのか。
ごく個人的な印象ながら、絵柄的に今回の弾は多少元気を取り戻した
ように見られたが、色々先が見えなさそうである。
来週見かけなかったら、ウェブでもう一箱行っておくか…。

思えば、こういったおまけシールやカードの類でちゃんとストーリー的に
完結を迎えることが出来たものは数えるくらいしか知らない。
かの有名なビックリマン(天使VS悪魔シリーズ※1)やドキドキ学園ですら、
打ち切りエンドどころか失速してフェードアウトというような終わり方を
しているのだから、いかに大団円が困難かが伺える。

※1 32弾(打ち切りの次の弾)がかなり間をおいて発売されたが、そこから
ちゃんと終われたのかは不明

かと言って、『ビックリマン2000』のような、シールとストーリーの内容は
ちゃんと大団円なのに、コレクター的に止めを刺さんばかりの手加減無しの
絞りっぷりで阿鼻叫喚※2なのもやめて欲しい。

※2 シール総数が他の弾よりものすごく多い上に、素材替えが8回あった。
ついでに当たりシールも最終弾仕様で、本気で集めるならば相当の数
(8倍くらい)を買う必要がある。最後のとどめが、枚数限定で本当の最後の
最後に予告なしで用意された懸賞シール(当たりシールを送ると貰えるシール)
という、まさに外道。

神羅万象チョコの美点はこういった過去の惨劇を反省材料としているような
所で(一部例外あり)、この勢いで有終の美を飾ることが出来たら、長く語り
継がれる伝説となるであろう。
とは言え、この弾で終わる保証もないが。
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生活と共にあれど

2017年03月17日 00時15分27秒 | Weblog
休日に目薬を買いに行くが、そこで今更のようにその値段に結構な
差があることに気付く。こういう時にウェブは便利で、大抵の疑問に
大体答えてくれる。まだ使い慣れてはいないが、スマホならば出先でも
それが可能である。
さておき、目薬の値段の差はそれに含まれる成分の数に依るところが
大きいらしく、つまりは大体何となくイイ感じにしておいて、という
要求だと高くつくということである。

目の充血を解消するだけ、とか、目のかゆみを抑えるだけ、というように
特定の機能に特化したようなものが安価で供されているようであるが、
ある程度以上の異変に対しては眼科で処方してもらう方が良かろう。

また、それと同時に歯磨き粉も尽きていたので購入する。
これもまたピンキリの差が激しい。今までなるべく『お気に入り』とも
いうような特定の品を使うようなことをせず、買う度にその時のフィーリング
で購入するようにしてきたのだが、これだと言えるような決定的、劇的に
良かったものに未だ出会えていない。

現状歯磨き粉に対して抱いている個人的な感覚としては、どれも大差ない、
というようなもので、実際もそれほど差と言えるような差のない世界なのかも
知れないが、本当のところはどうなのだろうか。一応あまりケチらず、
安過ぎず高過ぎずの範囲から毎回選ぶようにはしているのだが、本当に高い
ものは別次元だったりするのだろうか。

目薬もそうであるが、歯磨き粉は、人のものを借りてお試しでという行為が
憚られる品であるし、いきおい店頭でのお試し版のようなものもないので、
中々外の世界が見えづらいというか、天井がどれくらいの高みにあるのか
想像しづらい。

とりあえず味がどうだったかくらいの記憶しかない。
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偶像に求めるもの

2017年03月15日 00時13分57秒 | Weblog
いつの間にか『神羅万象チョコ』の季節であったが、もはや慌てても
仕方なし(どうせ数か月かけて大量に買うのだから)というような
心境に至り、スタートダッシュは控えることにした。

それとは別に、フィギュアの世界において、個人的に少々不思議に
思う所があり、覚書ついでに記しておくこととする。

フィギュアには、座像というべき座ったポーズのものが多く存在し、
椅子に座ったり地べたに座ったりと様々であるが、どういう訳か
尻や腿が接地の関係で平らになっているものはひどく評判が悪い。
椅子側に凸状のダボがあって、尻に突き刺して固定する方式が
何やら生理的に来るというのならば分かるが、椅子無しで飾ることも
無いはずなのに、そんな不自然な、もっと言えば尻の魅力の一つで
ある『外力による変形=やわらか感』を捨ててしまう意味が分からない。

なお、その場合変形するのは椅子側の方で、往々にして尻の形状の
くぼみが出来ている。(気が利いたフィギュアだと内部に磁石が仕込んで
あったりもするが、ダボとか、固定用のピンもない場合が多い)

あともう一つが胸の表現である。
元となるキャラに依るところも大きいが、胸の大きいキャラの方が
割合として多く、いきおい人気の高さも窺える。しかし問題はその形状
で、空気の入った風船を二個並べただけのような、重みに乏しく、
材質の都合もあり硬く見えてしまうほどの、これまた大きなうま味所を
捨てているとしか思えないような表現で、それだけでガッカリする。

柔らかいから、重みがあるから(それに伴う変形の表現があって、PVCと
いう無機物が俄然体温を帯び始めるから)良いのではないのか?
少なくともエロ要素の濃いフィギュアに関してはそれが是ではないのか?

アイドルとか魔法少女とか、そういうファンタジーの住人がモチーフならば、
体重などという俗な要素を排した表現を入れるのは間違っていないと思うが、
エロの領域に足を踏み入れておいて、なおファンタジーめかした存在という
のは、双方の良い所を捨ててしまっているように思えてならない。

あと、最後に、股座の立体というか形状について、納得のいかない
エロフィギュアがまだ結構多い。元絵に忠実な結果という場合もあるが、
もう少しこだわっても良いのではないかと思う。

そこまで言うならば手前で作れという話である。
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世界の真ん中の外

2017年03月12日 23時05分43秒 | Weblog
ある時にふと、自分で嫁キャラを設定して、それを描き続けていけば、
それは永遠の恋人というか女神的な存在になるのではなかろうか、と
考えたことがある。 
描けば描くほど上達もするし、より魅力的にするために上達しようと
いう気も起きてくる。常に自分自身と共にあり、意にそぐわないことは
しないし、老いることもないし、先立たれることもない。

その時は、なるほどこれは結構なものだと思いもしたが、言うまでもなく
倦んだ状態によくある発想で、少ししてから『これは駄目だ』とすぐに
思い直すに至る。

何が駄目か、結局のところ己の枠を超え得ないという点に尽きる。
どこまで行っても自分の想定内でしかなく、予想外という事態が起こらない。

生き物がどうして番いになるのか、ということについて、他者と交わる
ことで多様性の獲得と、自らの抱えたリスクの次代への伝播確率を減らす
ことが出来る、という説があるように、"己の持っていないもの"を持ち込む
ことは生物的にも理に適ったことなのだろう。

ある漫画のあるキャラが、人は『安心』を求めて生きるという旨の台詞を
発していたが、個人的には人は『想定外』も求めて生きていると考える。
『想定外』はドキドキやワクワクを引き起こすものでもあるが、行き過ぎれば
理解の度を越えて頭に混乱をもたらすもので、いずれにしても『安心』とは
相容れないことの多い要素である。

こと異性に求めるものは突き詰めれば、繁殖という本能が根っこにある行動で
あるから、より個々人の求めるものが如実に表れるのではなかろうかと思え、
自分の場合は異性に求めるものが『自分に無いもの:想定外』だったと、
今更にして気が付かされたという、そんな話である。

もちろん『安心』を求める人も居て然るべきで、例えばアニメや漫画等の架空の
存在を伴侶として愛を注ぐことは、『安心』を突き詰めた結果の一つとも
言えよう。何が正しくて、何が悪いという問題ではなく、どちらがより濃く
現れるのかという、それだけの、そういう問題である。

なので、冒頭で書いたような、己の女神と共に切磋琢磨していく行為も、
合う人には合うだろう。一人では想定内の軛から逃れ得ないかも知れないが、
梵我一如という言葉もある。悟りや真理への道程は基本一人乗りであるから、
突き詰めれば、あるいはとんでもない結果に行きつくかも知れない。
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そのケツに火が灯る

2017年03月10日 00時42分39秒 | Weblog
身の周りのものが色々変わる年であるという実感を日々強める
次第であるが、いよいよもって生活の方も忙しさが加速して、
何年か前のような青息吐息の状況を呈し始めてきている。

救いは一応のゴールが見えている点であるが、そういきなりには
昔のようなブーストを掛けることが出来ず、体か心に負担を
強いることになりそうである。
それにしても5~6年前くらいには、毎日のように終電で帰り、土曜に
朝帰りして夕方出社とかやっていたこともあったが、我ながら
同一人物とは思えないほどの体力と気力である。

ここのところはしつこいくらいに書いている通り、気力の方が
萎え気味なので、体力的にまだ問題なくても、すぐにうんざりして
くるような体たらくで、細かいところの粗ばかりが気になりだして、
ずっとこね回して、無駄に時間を費やしてしまうような、実に
よろしくない状態である。

そのような状況下にあって、今回の逃げ場のない追い立ては、果たして
吉と出るか凶と出るか。ケツに火がついて目が覚めるか、そのまま
焼けて果てるのか、あるいは適当に消して最低限の被害で乗り切るのか、
個人的には黙って焼かれるつもりはないが、それ以上のことは分からない。

これで気力が戻ればいいが。
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楽しみの手綱

2017年03月07日 23時47分23秒 | Weblog
前にも書いたことかも知れないが、ものづくり系の仕事において、
『楽しめること』は非常に大事で、本人の性質的なところはもちろん、
制作環境においても、それの確保が重要な問題であると考える。

大体の環境において、ものづくりを統括する人間は、作業人員個々の
もつ創造性であったり、得意分野であったり、しばしば変態性であったり、
そういった個性のぶつかり合い、混ざり合いの中にこそ求めるものが
あると考えている傾向がある。

『オレ、こんなことやっちゃったもんね!』『何の、こっちはこうだ!』
というような、傍からみれば小学生のようなやりとりであっても、当の
本人が大真面目に、己の本分を余すところなく発揮しているものであれば、
ものづくりの現場においては非常に望ましいものと言えるだろう。

そしてそのためには、楽しめているかどうかが大きく影響してくる。
機械的に作業を粛々と流すような環境では、どう頑張っても予測通りの
ものしかできない。いや、それも制作という世界においては十二分に
素晴らしいものなのであるが、世に名を知られるような監督者は、
概してそれを越えて『予想外』『想像以上』を求めてくる。

当然ながら、同時にそれを客に提供することを目的にしている訳であるが、
制作の現場が大規模になると予定立てて、計画的に進行せねばならない
場面も増え、いきおい機械的に作業することも多くなり、感覚は摩滅し、
センスも枯れ、楽しむ余裕もなくなってくる。
思うにこれは結構なジレンマで、うまく乗り切るには監督者か、指揮者に
相当の手腕が求められる。

失敗すれば簡単に空中分解することになるが、最近色々アニメや何やらで
大がかりなプロジェクトが結構な頻度で頓挫するのも、そこの難しさが
一因としてあるのではなかろうかと考える。

あくまでも主観的な感覚ではあるが、当の本人にも制御できない時がある
やっかいな代物でもある。人間が為すものである以上、こういうものだという
前提で臨むのがまず第一歩かと思われる。
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便利は悪魔的

2017年03月05日 22時53分14秒 | Weblog
携帯と電話番号を替えた。
家電量販店で諸々の契約手続きを、目の死んだ担当者と行ったが、
特にお金の絡む契約関係はどうにも好きになれない。基本的に、
料金プランがどうのと出だしに来るようなものは碌なものが無い。
過去の経験を振り返ってみても、金に飢えた、もしくは倦んだ目を
した担当者ばかりであったように思える。

今回の件で得た教訓としては、料金プランは簡潔明解で変動の少ない
ものが結果として一番信用できるということである。
店員や契約担当者がおすすめしてこなくても、その人の目が獣の目を
していたならば逆の方向で信用できる。

そして旧携帯からアドレス帳を移行させようとしたが、Bluetoothは
型が合わないのか認識されず、赤外線通信など土台なく、メモリーカード
経由で何とかしようと試みる。
旧携帯に刺さっていたのはminiSDカードという規格で、後から調べて
分かったことであるが、現在はまったく主流ではない。
大体のカードが読めるというリーダーでも、下駄を履かせないと読めない
ようになっており(しかも裏面に小さく書いてある)、そのくせ
カードリーダー売り場でその下駄は扱ってないという、完全な規格敗者の
末路を見た思いがして、乾いた笑いが出てくる。

それにしても、携帯(スマホ)やその他の諸々便利と言われている道具や
サービスは、それを得る代償として実はとんでもないものを差し出して
いるのではなかろうかという、漠然とした、しかし濃い不安に駆られる。
それこそ心臓を直接握られているかのような。

大元がもはや判らないほどに積み上げられた前提と、暗渠で喰い合いを
続けている数多の規格がひしめき、いきおいブラックボックス化していく
道具とサービス。
安心して、穏やかな気持ちで使えるのならばいいのだが、そのどちらも
個人的には少々疑わしい。むしろ不安と心のささくれを助長している
のではなかろうかとさえ思えてくる。

こんな時のアナログの安心感よ。
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