ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

力は謎の源

2017年06月22日 23時34分47秒 | Weblog
『神羅万象チョコ』の最新弾が出て少し経つが、近所の店にまるで置いておらず、
このままろくに揃わないうちに次の弾になってしまったり、人知れず打ち切りに
なっていたりしないかとやや不安になる。時間を見て本格的に探しに行くか…。

話は変わり、そして以前にも少し書いていた話題であるが、生き物の『生命力』と
『獰猛さ』について。
動物の事を色々と調べていくと、この動物は生命力が強いというような記述が
たまに見られ、それは劣悪な環境下でも生きていける適応能力の高さであったり、
手足がもげても再生する機能の強さであったりと、一口に言っても多くの状態を
示している語であるのだが、シンプルに"死ににくい"点について、疑問がわく。
例えばある亀は首を刎ねても、しばらく噛みつこうとしたりするというが、
他の構造的に似た種では必ずしもそうはならない。個体差における生命力の差は
性格的なものでたまたまそうだった、が通じるが、種として生命力が高い場合、
構造的にそれを裏付ける理由がある訳で、生物学的にどういう理屈なのか、
それがどうにも良く分からない。

『獰猛さ』についても同じで、個体差で獰猛であるならば、生まれや育ちでそう
なった、とか、たまたまそうだったが通じるが、これもまた種単位で獰猛であったり
温厚であったりするというから、やはりそれを裏付ける理由が存在する訳で、
どうにも気になって仕方がない。
獰猛さや温厚さについてはその生物が辿ってきた種としての長い進化の道筋の
中で環境的な厳しさ、つまり天敵や捕食者にさらされてきた中で育まれた『本能』、
つまり一種の『習性』と言えそうではあるが、生命力に関しては習性というには
物理的過ぎる気がしてならず、一体どうなっているのだと思わずにはいられない。

ただ、仮にその辺りが解明して、人間に対してその応用がなされた結果、根っから
温厚であるとか、強靭過ぎる生命力の人間が生み出されても、それは何だか嫌だ。
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あくまでも眺める程度

2017年06月20日 23時32分39秒 | Weblog
書くのは二回目かも知れないが、近所の古めかしいアパートの入り口に
『悪さをしに入らないで下さい』とラフな手書き文字の張り紙がしてあるのを
見て、その裏に何があるのかと想像を働かせずにはいられなくなる。

件のアパートは今ではそれなりに珍しいと思われる、入ってすぐに
下駄箱のあるスタイルのもので、外観もいかにもといった感じのために、興味
本位で侵入してしまう人が結構いるのかも知れない。
ただ、張り紙の内容があまりにも直截に過ぎる(普通だったら関係者及び住人
以外の立ち入りを禁ず、程度の文面になる)ので、例えばイタズラ盛りの
小学生くらいを対象にしている可能性もある。と言うか、個人的には
それ以外の可能性を検討した場合に洒落でなくなる率が上がるので、その
予想程度で当たっていると思いたい。

いずれにしても、人の住んでいて、生活している所なので、あまり興味本位で
かき回して良いものではない。なので、知っている人は『ああ、あれの事か』
程度に、知らない人は『そんなところもあるのか』程度にして欲しいと願う
次第である。探し出したり、間違ってもアレコレ手を出したりしないように。
想像や妄想の糧として用いるにも、作法というものがある。
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言葉は立体的

2017年06月18日 22時21分23秒 | Weblog
世間で騒がれている共謀罪関連のアレコレついて、個人的には学生運動を
こじらせた手合いをどうにかするためのものなのではないかと感じた。
社会的なネタや知識にはとんと疎いので、あまり言っても無知を晒すばかり
ではあろうが。

学生運動といえば、昔ここでも書いたかも知れないが、よその大学に遊びに
行った際に、それ系の立て看板やビラがそこかしこにあって驚いた記憶がある。
というのも、知る限り美術系の大学でそういう活動が盛んな所は無かったからだ。

元々芸術の世界は、特定の政治的思想に阿るのを良しとしない空気がある。
(これとは別に、宗教的思想と共に育ってきたという歴史もあり、何が違う
のかと言えなくもない)なので、個人的にも政治の話はしないつもりで、
今までもそのつもりでやってきた。上で書いたように無知であることが
大きくもあるので、今後何か思いついたように話題に挙げることはあっても、
あまり深く長くは踏み込まないつもりである。

それにしても、この手の法案や政策に反対する人達は、やたらに拡大解釈
したり、個人攻撃や論点ずらしを行って脱線させたり、自論を通して"勝つ"
ことしか考えてなかったり、感情的にああしろこうしろと言うだけでどうしたい
のか分からなかったり、ひどく極端な印象を受ける。
政治とかその域に限らず、職場とかでもこういった手合いはそれなりに居て、
それこそ学校の教育でちゃんとした議論を行うことと、そもそも正しい議論とは
何なのかを身につけさせた方が良いのではなかろうか、と感じてやまない。

具体的には実技教科『論議』として新設するくらいの勢いで。
国語の時間についでにやるとかでは(専門の技術や知識のある人が教導しないと)
ダメだ。
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集中力管理

2017年06月15日 23時43分58秒 | Weblog
最近、仕事が一段落したせいか一週間が早い。ヨドバシまで神羅万象チョコを
買いに行ったのが月曜日。それが気が付けば週も終わりという。

時間的な余裕も出来てきているので、『ウィッチャー3』を半年ぶり位に再開
しているが、ゲームは結構な精神力やら集中力を要するのか、3時間以上遊ぶと
次の日に若干影響が出る程度に疲労する。
絵を描くのも速度を上げると集中力をかなり使い消耗するので、中々手軽に
趣味に没頭という訳にもいかず、もどかしい。

さりとてスマホなどのお手軽系のゲームに手を出す気は起きない。
適度に時間を定めてやるか、どうにかして慣らしていくか、消耗しない程度に
ゆるりとやっていくか、選択肢は色々あるので、日に応じて使い分けたりしつつ
上手くやっていきたいと思う。
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結局運が四割程度

2017年06月13日 23時47分50秒 | Weblog
いつもの『神羅万象チョコ』の季節である。
いつものと銘打つ通り、今更特に何か変わったようなこともなく、
強いて言えば、女性キャラが今まで以上に多く、ついでに胸が軒並み特盛
状態で、子供向けを諦めたかのような印象がある点だろうか。

前の弾が子供向けを意識した内容(裏面に謎解き要素があったり、主人公の
性格が少年誌的なヒーロー然としている)であったが、おそらくそれがあまり
うまく行かなかった結果なのかも知れない。

今までの弾のオールスター的な弾があったり、ロボ系のキャラが多めの弾が
あったり、デザイン上のコンセプトが裏に見え隠れしているのが神羅万象
シリーズの面白い所でもあったりする。イラスト担当の趣味がにじみ出ている
だけの可能性もあるが、いずれにしても味わい深い。

当人からすれば望んでないモチーフを嫌々ながらに描いている可能性もあるが、
意に反してそれが望まれてしまうことも往々にしてある。
個人的なものである可能性もあるが、好きなものを描こうとすると概して手を
入れ過ぎてしまったり、偏ったこだわりめいたものが強く出過ぎて、えぐみの
ようなものが前に出て来てしまう傾向がある。

ラーメンで言うと煮干大量投入系の味わいのような感じか。
煮干は好きだし美味いと思うが、濃過ぎ(煮過ぎ)て味に酸味が生じてたり、
内臓の味まで出てきてしまっていて、正直また食べたいとは思わないという、
そんな感じ。
なので、適度に好きだけど、ある程度どうでも良いとも思っている位の
塩梅の執着加減の方が、見る側をして好印象を与えやすい絵が描ける気がする。
描いているうちに好きになってくるという、そういうことも良くあり、
なかなか如何ともし難いが。
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これから

2017年06月11日 22時52分18秒 | Weblog
もうじき38歳になる。
正直数年前の時分でも、この歳以降のことは想像があまりつかず、と
言うよりは呑気に考えて見ないふりをしてきたのだろうが、ともあれ
未踏の領域に足を踏み込んだような心地を今更のように味わう。

それにしても、思えば遠くまで来たものだ。
今まで漫然と過ごしてきたようにも感じるが、趣味も続いており、未だに
それによる成長の手応えを実感できるので、そう無為でもないと思いたい。

周りの人間は結婚したり、子供が生まれたり、家を買ったり等、社会的に
充実した、おそらく望ましい道を辿っていて、それを尻目に勝手気ままに
やっているような状況であるが、職も趣味もあるので特に問題はあるまい
として、これからも引き続きやりたいようにやっていくつもりである。

今手元にあるやりたいことだけでも、とりあえず向こう10年分くらいは
費やせるのではないかというような状態で、かつ、今の趣味は青天井と
来ているので、肉体的にストップをかけられてしまうような事態と、
情熱や意欲が続くのだろうかという不安以外は特にない。
とは言え、来年も同じようなことを言える保証もないのであるが。
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これもまた一つの作法

2017年06月08日 23時46分23秒 | Weblog
以前フィギュアの胸の形というか重みの印象的に風船のようだと書いたが、
改めて我が家のフィギュア群を見てみると総じてそのような形状で、
アニメにおいて人の顔の描き方がほぼ型にはまったのと同じような、表現
的に一般的なものになっていることを思い知らされた。

胸の上側は凹んだ曲線であるとか、肋骨の立体に沿って左右斜め下に流れる
とか、正面から見て真円ではなく傾いた楕円であるとか、谷間は外力が
かからないとまず生じないとか、同様に両腋を結んだ線より上に谷間は
生じないとか、そういう現実的な表現はアニメ的な絵の作法上、是ではない
ということである。
なお、上で挙げたような状態は、下着を着けている時はその限りではない。
と言うよりも、アニメ的に是とされる胸の描くものは下着込みという
条件下での形状により近い。上に着ている服が胸の形状を真空パックみたいに
追従するのはまた別の話であるが。

顔において、今日のアニメ的デフォルメに至った経緯は単純に計り知れない
ほど深く長く複雑なものであろうが、概ね確実に言えることは何かしらの
要求があって、受け入れられて、必然的にそこに至ったということである。
胸についても、ごく個人的には釈然としないが、至るべくして至ったので
あろうということで、それが求められた一つの答えであろうということである。

女性のセクシーさを表現するにあたって、胸の描写はあのさじ加減で必要十分
なのかと考えると、少し寂しいような、何とも言えない気持ちになる。

描写に踏み込むのはエロスの表現法の一つであるが、そこを捨てたればこそ
ここ最近の大きさ礼賛の風潮もむべなりと思えてくる。
つまりエロさを出したければ、大きくするしかないのである。中々不便だ。
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顔面感情伝導率

2017年06月06日 23時02分56秒 | Weblog
『野望の王国』の悪役、柿崎憲の台詞が若本規夫氏の声で脳内再生される。
氏は随分前からネタキャラ的な芸風が板についてしまった感があるが、本来
渋めで一癖ある大人の男を好演する人だったように思える。
まあ、柿崎は一癖どころか狂い切った悪魔であるのだが。

話は変わり、個人的に思い出し笑いをこらえるのが苦手で、何か良い手は
無いものかと思う。今のご時世、天下の往来で熱唱しながら自転車を走らせる
人や、半ば怒号交じりに歩きながら通話する人も居るくらいなので、
一人や二人くらい顔面の箍が緩んで福笑い失敗みたいになった顔をした人が
居ても良かろうものであるが、どういうわけかその笑いが自分に向いていると
勘違いして気を悪くする人が相当数いるために、思い出し笑い勢は肩身が
狭い思いをしているようでならない。

ともかく、思い出し笑いをこらえるために、心に仏を召喚して平静を
もたらそうと努めてみたり、顔面を手で押さえて物理的処理を試みたりも
しているが、その行為自体が既に異常の域に踏み込んでおり、言い訳が
必要になるレベルという、何かが間違った状態で、どうにか面の皮を厚く
出来ないものかと考える。面の"皮"とわざわざ形容するくらいだから、
筋肉のように動かして鍛えるものではなく、とにかく痛めつけないと強く
ならない類のものかも知れない。

面の皮が薄いということは、いきおい不満や邪心めいたものもダダ漏れして
いると思われる。他人を不快にさせるよりはマシかも知れないが、無用な
心配をかけさせるのも難なので、もう少し何とかしたい。
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無いなら作るの精神

2017年06月04日 23時38分47秒 | Weblog
今住んでいる部屋には結構なすき間がある。
机なり、カラーボックスなり本棚なりを一通り部屋に設置して、その上で
生じる"あまり"のような空間である。

そもそもモノを置くには、既に今ある収納で十分に足りているどころか
持て余し気味ですらあり、向こう何年か住んでいくうちに嫌でもその辺は
充実していくと思われたので、今まで特に気にしていなかったが、
季節の変わり目で片づけるものが生じたこともあり、今更のように気になり
始めた次第である。

いつものようにウェブで望むサイズのものを探してみるが、当然のように
なかなか見つからない。この部屋が規格外なのか、皆そこまで詰め詰めで
家具を置かないからなのか、絶妙に大きめのものばかりがヒットする。
果ては散歩がてらに寄ったホームセンターで板やら何やらを買って自分で
作ってしまおうとも思ったが、存外高くつく(材質的に考慮すればかなり
お得にはなる)のと、この手の工作には相当なブランクがあり、最適な釘の
サイズすら分からない等の不安要素が大き過ぎたために、結局断念する。

やるにしてももう少し単純な小物、例えば画集サイズの本がちょうど入る
位の木箱を作るとかから始めた方が良かろう。
思えば実家で、小学生くらいの時までは父親が本棚やら木箱を日曜大工的に
作っていた。しばらくしたら家の中が飽和状態になったこともあり、作らなく
なったが、ともあれ少し懐かしい気持ちになる。
そう言えば、学生の時も100号のパネルを(買うと高いので)自作していた。
何だか遠い昔のことのように感じる。
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やりかたは色々

2017年06月01日 23時16分10秒 | Weblog
もう六月。そんな折にちょうど外は急な雷雨。いかにも夏が近づいている
感じである。

さておき、この前書いていた絵を描く速度を向上させる計画であるが、
大体半分くらいまでは減らせた。もちろん細かい所は諦め、早さ重視で
あれもこれもと欲張らないという方針であるが、これと割り切りを心掛ける
だけでも随分早くなるように感じる。

あとは使う色やレイヤーの構成などをあらかじめ決めておいたり、資料は
なるべく使わない(使い出すと割り切りづらくなる)という、至極基本的な
策を講じるだけで結構短縮できた。あとは更に効率化を追求していけば
もっと減らせるはずである。

今回色々やっていて、予備校時代をふと思い出した。
美大の受験は時間との戦いなので、いきおい予備校で教えることも時間の
有効活用法が結構な割合を占める。それなりにどんなテーマが来ても
柔軟に組み込めるようにしつつ、絵の構成やスタイルを決めておいて、
使う色や手順を固めて、それを洗練させ、得意な分野があればそれを伸ばし、
出来れば絵の中心にそれを持ってこれるように画策する…
というのが大まかに美術系予備校でやってきたことであるが、画材やテーマは
変われど今回と目的が通ずることもあり、同じと感じたのだろう。

あとは予備校でも度々注意されることでもあったが、こうして生まれた『型』
にとらわれ過ぎないように、元々の目的といつでも壊す覚悟をしておくことを
忘れないようにしたい。

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