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岡田卓也さん「ウチの息子はかたいんだよな」 小沢一郎幹事長乗り込み事件の真相も明かす

2012年01月01日 00時00分00秒 | 岡田克也、旅の途中

 おめでとうございます。

 今週月曜日(2011年10月24日)、早稲田大学の鎌田薫総長や同大出身の政財界有志による「稲門杉原千畝顕彰会」(とうもんすぎはらちうねけんしょうかい)が、「日本のシンドラー」こと杉原千畝さんの没後25周年を記念するレリーフを、早稲田大学キャンパス14号館前の広場に設置しました。ここは教育学部があり、杉原さんは、早大高等師範部第一部英語科予科というところに通ったことがあるそうです。

 この席には、早稲田大学卒業生で、前早稲田大学商議員会議長の岡田卓也・イオン創業者(名誉会長)が出席。

 卓也さんが会場に着くと、すでに政界のお歴々が来賓席に居並んでいました。それを目にした卓也さんは腰をかがめながら、「いやあ、うちの息子はかたいんだよなあ」とぼやきながら登場。商人らしい腰の低さと、のっけからの「与党第一党幹事長のオヤジ」アピールに、渡部恒三元通商産業大臣がやおら立ち上がり、「昔は『ジャスコは地元の会津に出店しないでくれ』と言っていたが、今では『イオンは会津に出店してくれ』とお願いするようになった」と最大級の賛辞をおくりました。

 恒三さんの機転で雰囲気が和らぎ、卓也さんが自民党時代の小沢一郎幹事長が四日市に乗り込んできたエピソードを披露。

 次男・克也さんが第39回衆院選の準備をしていると、旧三重1区(5人区)の自民党公認3候補のうち、川崎二郎さん、北川正恭さんに遅れをとっていると分析した小沢幹事長が四日市に乗り込んできて、「これは角栄流選挙をやるしかないな」と発言。さらには、「金のワラジを編むしかない」とアドバイス。それを聞いて、当時はバブル期でしたから、「いったいいくらお金がかかるんだろう」と戦々恐々としていたところ、「金のワラジを編むしかない」とは「あいさつ回りを徹底するしかない」という意味で、言われたとおり、ていねいに回り、初出馬・初当選につながったとしました。

 これについて、岡田克也さんは『政権交代』の31ページに次のように書いています。

 [引用はじめ]

 初めて立候補した頃、当時自民党の幹事長だった小沢一郎さんから、ともかく歩け、との助言を受けた。私は即、実行に移した。
 「個人宅を毎日何十軒、何百軒も訪問するのは大変でしょう」と言われることがよくあったが、じつはとても楽しかった。
 初当選前の活動では、差し出した名刺を目の前で破られたこともあった。しかしそれはまれで、衆議院議員選挙の候補者本人に自宅を訪問されていやな気持ちになる人は少ない。むしろ、概ねは歓迎される。地元の路地をくまなく歩いて地域の現状を知ることもできる。そもそも歩くことは体によい。つまり精神衛生上も、身体健康上も非常にいい。

 訪問を重ねるうちに必要に迫られて、さまざまなノウハウが身につく。会話のテクニックもその一つだろう。まず、玄関に入ったら何か一つほめるポイントを見つけること。生け花だったり、置物だったり。お母さんの足にしがみついてこちらを見つめる子どもだったり。一言ほめることで、そのあとの会話がスムーズになる。一軒あたり数分間の勝負なのだ。

 選挙運動を始めてから地盤がおおむね固まる当選2回までの間に、通算すると5万軒、いや7万軒は訪ね歩いたのではないだろうか。

[引用おわり]

 このように「金のワラジ」について書いており、「元祖・小沢チルドレン」ぶりを披露しています。

    
[画像]早稲田学報のインタビューに答える岡田卓也さん(左、中央)と、岡田卓也さんと岡田3兄弟(元也さん、克也さん、昌也さん)=右、「日経新聞私の履歴書」から。

 
[写真]母校・早稲田大学商学部(11号館)にできた「岡田アトリウム(吹き抜け)」のプレート除幕式に出席した岡田卓也さん=早稲田学報。


[写真]民主党議員らと気さくにまじわる岡田ファミリー。岡田卓也・イオン創業者(中央)と左から藤田大助(三重5区比例)、芝博一(参院三重)、森本哲生(三重4区)、金森正(比例単独東海=四日市地元)、金子恵美(参院福島)の各民主党議員=左。

 
[写真]岡田元也・イオン株式会社代表執行役社長(中央)と森本哲生・民主党衆院議員(三重4区、農水政務官)ら=右。ともに、森本哲生さんのブログから。

 
【公明党が幹事長代理に富田茂之さんを昇格】

 ところで、野田佳彦首相や、岡田克也民主党最高顧問と新進党時代から仲がよい、富田茂之さんがきのう(2011年10月27日)の公明党中央幹事会で、幹事長代理に昇格しました。粋な計らいです。公明党幹事長室は、井上義久幹事長、斉藤鉄夫幹事長代行、そして、幹事長代理に高木陽介さん、富田茂之さん、参院から木庭健太郎(こば・けんたろう、コバケン)さんという布陣になりました。最近、野田首相は10月から公邸なんかに住み始めたのがいけないのですが、顔色が悪くなっており、富田さんと話がしたいようです。

   
[写真]日本を前に進めるエンジン、左から野田佳彦首相、富田茂之・公明党幹事長代理、岡田克也・民主党最高顧問の「新進党」トリオ。


早稲田キャンパスに杉原千畝レリーフを設置|プレスリリース|早稲田大学

 「日本のシンドラー」と称される早稲田大学校友の故杉原千畝氏の没後25周年を記念して、杉原千畝レリーフを早稲田キャンパス14号館前の広場に設置しました。

 10月24日には、鎌田薫総長、稲門の政界・経済界の有志が中心となり設立した「稲門杉原千畝顕彰会」の方々、杉原家ご親族、「NPO法人 杉原千畝命のビザ」の方々、イスラエルの民間防衛大臣そしてイスラエル大使館・ポーランド共和国大使館・リトアニア共和国大使館の方々などが出席し、除幕式を行いました。

 杉原氏は1918年に早稲田大学高等師範部第一部英語科予科に入学。翌1919年に外務省の官費留学生に採用・日露協会学校に留学したため本学を中退し、外交官となりました。第二次世界大戦の際にはリトアニアのカウナス領事館に赴任。ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民の窮状に心を痛め、外務省からの指示に反して日本通過ビザを発給し、6,000人にものぼる人々を救いました。

 このたび設置したレリーフは、「稲門杉原千畝顕彰会」から寄贈いただきました。レリーフに刻まれた「外交官としてではなく人間として当然の正しい決断をした」という杉原氏の言葉は、今後も後輩である学生たちに受け継がれていきます。



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