内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

夏休み日記(12)― 晩夏はかつて美しい季節であった

2019-08-14 18:58:19 | 詩歌逍遥

 「晩夏」は、旧暦では六月(水無月)の異称であったが、現行歴では、「夏の終り」、おおよそ八月中旬からせいぜい同月末日までを指す語であったはずである。この語には、秋の気配が「目にはさやかに見えねども」、街を吹き抜ける風や夕空を流れる雲の形に感じられ、もうすぐ終わろうとする夏への愛惜が籠もる。ところが、少なく見積もってもここ十年の日本の夏期の天候を思い起こせば、この語をどの時期に適用すべきなのか戸惑ってしまう。九月に入っても厳しい暑さが続く。夏休みはすでに終わり、子どもたちや若者たちは学校へと戻る。もう夏は終わっていてしかるべきなのに、夏のごとき炎暑が相変わらず居座って私たちを苦しめる。早く涼しくなってくれ、暑さにはもううんざり、「晩夏」の悲しみなどに浸っている間など、どこにあるか。
 「晩夏はかつて美しい季節であつた」とは、塚本邦雄の『詞華美術館』(講談社文芸文庫、2017年)の中の言葉である。この一文の後に、ボードレールの『悪の華』の中の「秋の歌 Chant d’automne」の I の第一聯第二行「さらばみじかき夏の光よ Adieu, vive clarté de nos étés trop courts !」を引いて、「この詩句を唱えるとあのむごい夏の暑熱も一瞬透明な光に包まれて浄化されるやうな氣がする」と続けているが、今の日本の夏にはこの詩句の魔法ももはや効力を失ってしまっているのではないかと危惧される。いや、そうであればこそ、ものみな萎えさせる炎熱を一瞬にして冷却する詩句を創造することが詩人の仕事であり続けるのであろう。
 「言葉の夏は爽やかにみづみづしい。」(塚本邦雄前掲書)