kimitsuku独り言

日々の暮らしから感じたあれこれを
ひとりブツブツ独り言

(@_@) 新型コロナウイルス 緊急事態宣言 (@_@)

2020年02月29日 | 日記

                                      

 北海道での新型コロナウイルス感染拡大を受け、鈴木知事から『緊急事態宣言』が出されました。

現在、幼い保育園児から80代の高齢者まで66名の感染者が出ており、予断を許さない状況となっています。

道知事の異例の宣言は、道民への注意喚起を呼び掛け、今週末の外出を自粛するよう

要請したもの。安易な行動制限は望ましくないけれど、此の拡大ぶりを考えると

現時点では小中高などの休校と並び、必要な措置かと思われます。

勿論これだけで何らかの効果があるとは思えないけれど、注意喚起にはなるでしょう。

世界保健機構からも、世界的流行の危険性が非常に高いと認定され

のんびり気質のKimitsukuも、さすがに…ねぇ

まぁ冷蔵庫に食料の買い置きは充分あるし、トイレットペーパーも大丈夫

今週末は知事の要請に従って外出せず、テレビで日ハムvsオリックス戦

明日は東京マラソンに声援を送ることにしましょうか

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須田敦子 『静かなる魂の旅』

2020年02月27日 | 日記

    

須賀敦子さんの『静かなる魂の旅』を読んでいます。

2010年の出版ですから須賀さんが亡くなって12年が過ぎた頃です。

著者の足跡を辿る180分のDVDと小さな愛蔵本がセットになっており

13年間を過ごしたイタリアでの日々を辿る美しい映像と

多くの友人たちの寄稿文などが朗読され、優れた須賀文学の資料になっています。

信仰の道を志しながらも飽き足らず、生きる人々から学びたいと願い

後に結婚することになるペッピーノとの出会いや、コルシア書店での体験など

須田作品をなす質の高さが、此の地で育まれたことを想像させます。

須賀敦子はイタリアで、誰と出会い、何処を訪れ、何を考えたのか…

映像と朗読で綴る記憶の断片『静かなる魂の旅』。

是非お読み頂きたい、心洗われる珠玉の一冊です。

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遂に・とうとう・やっぱり・・・

2020年02月25日 | 日記

             

 遂に・とうとう・やっぱり、他人事と思っていた新型コロナウイルス肺炎の影響が身近に…

ボランティア活動をしている「木洩れ日の家」が当分の間、休館するとの連絡がありました。

高齢者福祉施設の交流ハウスで、近隣の方や入所者の交歓の場である施設ですが

これ以上の感染症拡大を予防する為とのこと。止むを得ないことでしょうね。

発生源の中国を初め、世界中に拡散したコロナウイルスは想像を超えた速さで蔓延し

各地で多大な被害を出しているようです。

たまたまSARSの流行時に台湾を旅行しましたが、台北空港で厳重なチェックを受け

かなり旅程や行動が制限されてビックリでした。

おそらく今回はそれ以上の危機感で対応しているのでしょう。

               

現在、孫のMarinoとKeisukeが仲良くタイ旅行を楽しんでいますが

どうぞ何事も無く帰国できますようにと願っています。

まぁ強運 Kimitsukuの孫姉弟だから大丈夫でしょうよ

これから迎える3月は、卒業や転勤に伴う旅立ちの季節です。

コロナウイルス肺炎が一日も早く終息し、新たな一歩を踏み出す人々に

希望に燃える明るい春となるよう、祈って止みません。 

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母の日記帳 Paer2

2020年02月23日 | 日記

              

 早いもので母が亡くなって既に2ヶ月近くになります。

慌ただしい年末の葬儀でしたが、先日49日法要も済ませ、何となく一区切りがつきました。

雪の夜などに母の遺した日記帳を読んで、過ぎ去った日々を懐かしく思い出しています。

此の日記帳は、平成20年3月に94歳だった父を亡くしボンヤリすることが多くなった母に

日記を書くよう勧めたのが切っ掛けで書き始めたものでした。

母は父の仕事を手伝い、4人の子供を育て、住み込み職人たちの親代わりとなって

懸命に生きてきた人でした。父が家業を引退した後は、旅行をしたりダンスを楽しんだり

夫婦仲良く暮らしていましたが、やがて父が老いて認知症状が出始め

日々の介護に苦労するようになりました。

その父が亡くなると「仕事」が無くなって…、夫唱婦随の夫婦だったのでしょうね。

翌年の父の一周忌の日記には、

「皆さんがあつまってくれました。本当に子供と云うものは、ありがたいものです。

夕食はぜんぶで13人あつまりました。たのしかった」と書いてあります。

父の居ない生活にも慣れ、近所の友人たちを訪ね歩いて楽しんでいたようですが

「Sさんのうちに行ったらるすでした。Tさんはかぜでねていました。

Мさんの家にはお客さんが来ていました。私のいるところがない」と書いてある日も…。

今日も雪空を眺めつつ、在りし日の母を偲びながら懐かしい文字を読み進めています。

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今日の介護認定審査会で

2020年02月21日 | 日記

            

 札幌も漸く暖かくなって、春近し…の気配が感じられるようになりました。

今日は隔週金曜日に開催される、М区介護認定審査会に出席しました。

介護を必要とする高齢者を支援する此の制度は、2000年にスタートし

当初から関わってきたKimitsuku、間もなく21年目を迎えることになります。

介護認定審査会とは、市町村の附属機関として設置され、

要介護者などの保健・医療・福祉に関する学識経験者によって構成される合議体です。

部会は平均5名の委員で構成され、医師や看護師、保健師、社会福祉士、

介護福祉士、理学療法士などが市町村から委嘱されています。

長い間、此の事業に関わってきて思うことは、益々社会の少子高齢化が進み

保険制度の維持が困難になっていること。

介護認定者は2019年11月現在、全国で6.687.096人、札幌市では112.206人となっています。

気掛かりなのは最近の傾向として、65~75歳の若い高齢者が増加していること。

今日の審査会でも50件中、20件が75歳以下の前期高齢者でした。

主な傷病名は、心臓疾患、糖尿病、認知症、脊柱管狭窄症など。

独居や高齢者のみの世帯が多く、在宅生活の厳しさが垣間見えます。

家族介護の弊害を解消する目的で制定された介護保険制度ですが

果たして本来の目的に近づいているのかどうか…

 些か疑問を感じた今日の介護認定審査会でした。

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『18歳と81歳の違い』とは…!(^^)!

2020年02月19日 | 日記

              

 もう思わず吹き出してしまった、『18歳と81歳の違い』とは…

●道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳

●心が脆いのが18歳、骨が脆いのが81歳
 
●偏差値が気になるのが18歳、血糖値が気になるのが81歳
 
●受験戦争を戦っているのが18歳、アメリカと戦ったのが81歳
 
●恋に溺れるのが18歳、風呂で溺れるのが81歳
 
●まだ何も知らないのが18歳、もう何も覚えていないのが81歳
 
●東京オリンピックに出たいと思うのが18歳、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81歳
 
●「嵐」というと松本潤を思い出すのが18歳、鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思い出すのが81歳
 
●自分探しの旅をしているのが18歳、出掛けたまま分からなくなって皆が探しているのが81歳
 
 
人気テレビ番組『笑点』が出どころのようです。
お見事 座布団9枚
 
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ORPHEUS ディスクオルゴールの調べ

2020年02月17日 | 日記

                 

                                Classical Music Music Box Medley

 最近パソコンソフトを変更したら、今までの方法では動画をリンク出来ず

いろいろ教えて貰って新しい方法を試し中です。

未だ不充分ですが、何とか此処まで可能になりました。

原音ルネッサンスORPHEUS 80弁ディスクオルゴールの幻想的な音色を

どうぞお楽しみください。曲目はパッヘルベルの『カノン』です。

このCDには他に、ショパンの『ノクターン第2番』や

ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』など収録されており

80弁オルゴールならではの、素敵な音色がお楽しみ頂けます。

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母の日記帳

2020年02月15日 | 日記

         

 昨日、故郷の町で母の49日法要を済ませました。101歳と10ヵ月の生涯でした。

亡くなったのは昨年12月29日の朝、葬儀は大晦日で何ともバタバタと慌ただしいことでした。

入院したと連絡を受け、見舞いに行くと意外に元気で「これなら…」と安心して帰宅したのに…

母らしい静かな最期だったそうです。見事な大往生と言うべきでしょうね。

欲を言えば、今月25日で102歳を迎えられたのに…が心残りです。

今、母が遺した日記帳を読んでいますが、最初の日付けは2010年11月5日

「今日、お姉ちゃんに日記帳をかってもらいました。まじめにかく事にします」と…。

その年の3月に父が亡くなり、寂しがる母を時おり札幌の我が家に連れて来ましたが

11月に来宅した時、小学校低学年用のノートを買って日記を書くようにと勧めたのです。

何を書いたらいいのと聞くので、お天気とか、食べたものとか、会った人とか…と

話した記憶があります。根が真面目な母でしたから、さっそく書き始めたようです。

5日の続きには札幌に住む妹に会って楽しかったこと、セーターを買って貰って嬉しかったこと等

拙い文字ながら、漢字・ひらかな・カタカナ混じりで長い文章が書かれています。

翌6日には回転鮨へ行き、「とてもおいしかったです。サモンとまぐろとほたて。えび。

いくら。すじこ。そい。おいしかったです」と、元気な文字が躍っています。

この時には6泊しており「大根ナマスと金平ゴボウを作ってあげた」とも…。

いつも数日するとS町の自分の家が恋しくなり、帰りたがっていました。

9日の日記には「今日かへります。9時30分頃、出かけてきました」。

いつも途中のT町まで弟が迎えに来て、母を受け渡すことにしており

この時のことを、「H(弟の名)がむかえに来ました。S町に2時頃つきました。

やっぱり一人はさびしいです」と書いてあります。

11年前の初冬に書き始めた日記帳は4冊あり、読み進むにつれ万感の想いに

胸が熱くなったり後悔の念に苛まれたり…。

4冊目の最後のページは震えた筆跡で、はっきりしないけれど

平成30年9月5日でしょうか 弟の名前らしき文字が…。

思い掛けず母の晩年の日記を読み、改めて亡き母に感謝した不詳の娘でした。

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今日は何の日? バレンタインデー& 山本周五郎忌

2020年02月14日 | 日記

            

 今日は、専らバレンタインデーとしてチョコレート販売促進に寄与する日ですが

実は我が愛読する山本周五郎の忌日でもあります。

1967年2月14日に63歳で逝去した昭和の文豪で、多くの時代小説・歴史小説を残しています。

江戸の市井に生きた人々の哀歓を描いた『赤ひげ診療譚』や『さぶ』『季節のない街』

また歴史小説としては、仙台伊達騒動を題材に『樅の木は残った』、徳川幕府を騒がせた由井正雪を

主人公にした『正雪記』、悪評高い田沼意次を描いた『栄花物語』などがあり

従来は悪人と評価されていた人物を、山本周五郎独自の目線で捉えて

現代に生きる者たちへ、生きるヒントを与えているような印象を受けます。

最近は殆ど小説本を読むことが無くなりましたが、『樅の木は残った』だけは別格で

折りに触れ書棚から引っ張り出して、読み耽ってしまいます

事象や人間を一面から捉えるのではなく、必ず別方向の・裏の・見えない部分を

しっかり見ることが肝要なのだ…と教えられる気がします。

な~んて、ほろ苦いビターチョコを食べながら考えちゃったバレンタインデーでした。

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建国記念の日

2020年02月11日 | 日記

 

     令和になって初の『建国記念の日』です。

戦前の『紀元節』を元に、1966年(昭和41年)「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として

制定された国民の祝日ですが、現在は特に何もなく只の休日に… 

遠い日の微かな記憶によると、小学校に入学した頃、年に何度か校庭にあった

石造りの小さな建物に頭を下げて通るよう教えられたが

いつの間にか、撤去されて影も形も無くなっていました。

それが『奉安殿』という天皇を祀る建造物だったと知ったのは、かなり後年になってから…。

       太平洋戦争の前後、社会情勢が大きく変わり、皇室や天皇の話題は一時タブー視されていたような…。

その頃の思い出で、はっきり記憶しているのは、漢字を覚え始めたばかりの妹が

雑誌に載っていた「皇太子」という文字を「ほしたこ」と読んだこと。

おそらく「皇」が「星」に見えたのでしょうね

我が故郷のS町には皇室ご料地があり、時たま皇族が来町されることがありました。

日の丸を振ってお迎えしたことも何度かあり、以前は膝まづいていたのが

そのうち立って迎えて良いことになり、子供心に時代の変化を体験したものです。

現在は皇室ニュースも、芸能雑誌のようなゴシップ記事が多くなって

これが民主主義ってこと…まぁ何とも嘆かわしいばかりです

いわゆる民度の問題 需要と供給の問題 なのでしょうかねぇ~。

いろいろ考えさせられた『建国記念の日』でした。

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