kimitsuku独り言

日々の暮らしから感じたあれこれを
ひとりブツブツ独り言

また暮れぬ…

2010年12月31日 | 日記
        

 また暮れぬ 過ぐれば夢の 心地して 哀れはかなく つもる年かな


平安末期から鎌倉初期にかけ、歌人として多くの和歌を詠んだ藤原定家の作。
古人も現代人も、いつの世にも人々が年の暮れに想うことは一緒のようです。

                  

 皆様どうぞ良いお年をお迎え下さい & 2011年も宜しくお願い致します
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イサム・ノグチの札幌遺産

2010年12月30日 | 日記
          
 イサム・ノグチの母を描いた映画、『レオニー』が公開されている。
日本人を父としながら、母レオニーに育てられたイサムは、長じて
彫刻や造園設計、舞台芸術、デザイナーとして活躍した。
3歳で母と共に来日し日米両国で教育を受けたが、時に日本人として
時にアメリカ人として複雑な立場を生き、その狭間で翻弄されつつも
次第に芸術家として才能を発揮し世界に認められるようになった。
後に、李香蘭こと山口淑子と結婚して話題になったことを覚えている。
     
 札幌大通り公園の滑り台ブラック・スライドマントラは、渦巻き状の形が
面白い黒御影石製。「子供たちに楽しい遊び場を」、イサム氏の遺志を
尊重した札幌市が1992年に実現した。一年中を通して子供たちの歓声が
聞こえる、大通り公園のモニュメントである。
     
 1988年、モエレ(静かな流れ)と呼ばれる地に広大な公園を作ろうと
プランニングするも、志半ばで急死したイサム・ノグチ氏。
16年後に完成したモエレ沼公園は、188ヘクタール敷地全体を一つの
彫刻に見立てるアースワークで、氏の最大の作品と言われている。
プレイマウンテンや桜並木、テニスコートから野球場まで揃って、札幌
市民の交流の場として、広く活用されている。
 1988年12月30日に84歳で逝去されたが、今は大空をゆく風になって
集い楽しむ人々を、満足げに眺め下ろしていることでしょう。

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2010年を総括する…Part4 我が家の一年

2010年12月29日 | 日記
    
 2010年の総括シリーズ最終回は、我が家の一年を振り返ります。
世の中いろいろあった一年だったが、顧みると我が家は比較的に
安定していた。まぁ低値安定とか下げ止まりとか言う言葉もあるが
少なくても悪い出来事が無かったのは、今の時代「良」としなくちゃ。
 昨年は体調を崩して入退院を繰り返した主人も、今年は健康を
取り戻して、パークゴルフや飲み会を楽しむことが出来た。
矢張り一家の主が元気でなくちゃ…、女房たるもの安心して遊んで
いられないでしょ…。先ずは良かった良かった
 その女房kimitsukuは、仕事に遊びに大忙し。介護経験を活かして
講習会やら認定審査会やら、頼まれるものは全てOKと引き受けて
昼夜分かたず走り廻って働いた。そしてその収入で、海外旅行へ。
アドリア海沿岸のクロアチア旅行、最高に良かった良かった
 長野に住む孫のmarinoは、4月“花の女子高生”に…。
夏休みにはアルバイト初体験して、少し大人になったよう。
その弟keisukeは5年生に進級し、スキースポーツ少年団に入団して
張り切っているとか。文武両道のヤマト男子を目指せ。
息子・娘・嫁たちも、なかなか大変らしいけれど、皆で力を合わせて
頑張った。とにかく家族全員が健康で一年を過ごせたことが一番だよ。
お疲れさま。何はともあれ良かった良かった 
     
 余り良くなかったことは、家や家具にガタがきて出費が増えたこと。
エコポイントを利用して、テレビとマイカーを買い替えた。
築25年の家の修理にも、予期しない金額が飛んでいった
でも、病気や事故での出費じゃなくて良かった…と、思わなくちゃ。
新しい2011年も、どうぞ家族みんなが健康に過ごせますように。
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12月28日の思い出

2010年12月28日 | 日記
       
 子供の頃、実家では年末12月28日に餅を搗くことと決まっていた。
朝から餅米を蒸す良い香りが家中に立ち込め、知り合いの小父さん
小母さんに手伝って貰って、臼と杵で本物の餅を拵えたものだった。
母の側で、搗きあがった餅を丸めたり伸したりしながら、子供心にも
幸福感に溢れ、正月を待つ期待に胸が高まる一日だった。 
 現在、我が家では一年中ホームベーカリーで餅を作って食べている。
便利なような、味気ないような、「家庭用電動餅製造機」ではある。
     
 それでも12月28日には、餅を食べねばならないような気がして今日も
ホームベーカリーに働いて貰った。搗くというより捏ねるというべきか
たいした手間もなく簡単に餅が出来上がった。
「搗きたての餅はやっぱり美味しいネェ」、納豆や大根おろし等で頂くと
幾らでも食べられる。膨らんだお腹を撫でつつ満足満足
幸せ一杯だった遠い日の思い出が甦った。 
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G・エッフェルの遺産いろいろ

2010年12月27日 | 日記
               
 パリのエッフェル塔を設計したことで知られる、ギュスターヴ・エッフェル。
1889年に、フランス革命100年を記念して開催されたパリ万博のモニュメントと
して建設された塔は、最初ひどく不評だったらしい。
鉄骨製の無骨なデザインは、優美なパリの美観を損なうと嫌われたとか。
エッフェルの名を後世に残した、この塔は今やパリのランドマークとなっている。
        
 エッフェル塔に先立つ1875年に着工したブダペスト西駅も、彼の設計とされる。
ハンガリーの人々が、『世界一美しい駅舎』と自慢する堂々たる建造物。
左右対称の安定したデザインで、中央部のガラス屋根の下がプラットホーム。
2008年にハンガリーを旅した時、実際に眼にしたが実に優雅な装飾性を帯びた
美しい駅舎だった。これもハプスブルグ王朝の名残りなのだろうか。
        
 ポルトガル旅行で立ち寄ったポルトの、ドゥロ河に掛かる鉄道高架橋もまた、
エッフェルの設計と言う。353m長のアーチ橋が青空に映えて美しかった。
1876年の建設で1600トンの鉄材を使用しているそう。老朽化した現在、鉄道と
しては使われていないが、ドゥロ河に浮かぶワイン運搬船と共にポルト観光の
シンボルとして親しまれている。
                         
 大掛かりな鉄製の建造物設計で知られるエッフェルが、考案したと伝えられる
もう一つのものが、女性用ランジェリーのガーターベルト。
kimitsukuも若い頃に使ったことがあったが、これもエッフェルさんだったのね。
お世話になりました…。G・エッフェルは、1923年12月27日に91歳で逝去した。 

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イダテン高校生 京大路を走る

2010年12月26日 | 日記

  師走の京都を走る全国高校駅伝、47都道府県から集まったイダテンたちが
冬枯れの古都を疾走した。午前は女子が5区間で、午後は男子が7区間で
襷を繫ぐ高校駅伝。必ずしも強いチームが勝つ訳ではなく、勝ったチームが
強いのだと言われる高校生の駅伝は、時に思いがけないドラマを生む。
 2010大会は、男子が鹿児島実業高校、女子は岡山・興譲館が優勝テープを
切った。昨年8位に終わった鹿児島は、二連覇を狙う広島・世羅に競り勝って
42回の出場で初優勝。九州勢の優勝は10年振りとか…大牟田高校も最近は
なかなか実力が発揮できず、優勝から遠ざかっていたもんね。
 女子は三連覇を狙った愛知・豊川高校を制して、興譲館が5年振り2度目の
優勝。駅伝は一人でもブレーキを起こす選手がいると、順位をキープ出来ない。
今日も期待されながら応えられず、無念の涙を流した選手たちが居ただろう。
『チームのために』を合言葉に頑張ってきた47都道府県の代表全員に、大きな
アッパレを送りたい。
                      
 さぁ、一週間後には箱根駅伝 東洋大学の三連覇なるか、それとも…
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2010年を総括する…Part3 高齢者介護問題

2010年12月25日 | 日記
       
 昨日、今年最後の介護認定審査会を終えた。高齢者介護に関わって
30年ほどになる。最初は福祉施設職員として、その後は介護教育者の
立場で…。その間、介護福祉士と介護支援専門員の資格を取得した。
2000年に介護保険制度が創設され、当初から介護認定審査委員として
制度の変遷を見てきた。
 介護保険の成り立ちを考えると、社会の高齢化を予測して
① 家族による家庭内介護には限界があること、老々介護が実態。
② 高齢者がベッドを占有する社会的入院が増大して、健康保険を圧迫。
 この二つを解決する目的があった。
   
 介護保険制度は社会情勢を加味して、5年毎に見直しがされている。
初めは寝たきりなど身体状態が重視されたが、2005年の見直しで認知
状態が悪く介護の手間が掛かる人の評価基準が重くなった。
反面その見直しのために、従来より軽度に判定される場合も多くなった。
      
 現在、再び制度改正が検討されており、主なポイントは『地域包括ケア
システム』の実現をコンセプトにした、以下の3項目のよう。
① 居宅生活者への24時間巡回サービスや複合型サービスの創設。
② 高齢者住宅の供給促進。
③ 介護職による医行為の実施。
 
 介護を必要とする高齢者増大で、保険料の増額は避けられないのが現状。
試算によると、現在の平均額4160円が5200円に増額する見込みだが、何とか
5000円以内に抑えたい考え。また、居宅支援費の利用者負担は見送る方向。
介護福祉士の資格取得方法の見直しも延期するなど、どうやら難しい問題は
あれもこれも先送りらしい。
慎重な論議は必要だが、何もかも先送りで良いのだろうかと心配になる。
日本の高齢化がピークを迎える2025年に、要介護者は520万人と予想される。
kimitsukuが『寝たきり適齢期』の頃、世の中どうなっているのでしょ… 
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音楽特番:クリスマスの約束

2010年12月24日 | 日記

    
 ずっと前から、オフコース時代からの小田和正ファンです。最近は流石に少し
おじさんっぽくなったけれど、でもkimitsukuには永遠のアイドル小田さんなの。
その小田さんが、10年来続けている音楽特番『クリスマスの約束』
 音楽はライブがベスト…と、頑なにTV出演を固辞していた小田さんが、全く
新しい形のTV音楽番組を始めた。
年に一度限りの『クリスマスの約束』です。
『音楽アーティストが互いに認め、愛し、尊敬できること』を、コンセプトに始めた
この番組も今回で10年目、今夜23時55分のスタートを楽しみに待っています。

   
  昨日深夜に再放送された『クリスマスの約束 2009』の、20組33人が
声を合わせて歌う様は実に壮観でした。いつまでも鳴り止まぬスタンディング
オベーションに、観ていた私も思わず胸が熱くなって…。
小田さんの呼び掛けに応えた、財津和夫、鈴木雅之、山本順子など懐かしい
ベテラン歌手と、藤井フミヤ、平原綾香、いきものがかりなど若いアーティストが
集い、音楽の力で人々に愛のメッセージを届けようと熱唱していました。
そこには確かな連帯と協同が感じられ、送り手と受け手の垣根を越えた何かが
伝わりました。さて今夜の『クリスマスの約束 2010』は、どんなメッセージを
発信してくれるでしょうか。音楽は、世代も民族も宗教も超えて、世界を一つに
つなぐ不思議なパワーに満ちています。

MERRY CHRISTMAS あなたも楽しいクリスマスを
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2010年を総括する…Part2 幸せの尺度

2010年12月23日 | 日記
      
  いろいろあった2010年も、間もなく終わろうとしている。
鈴木・根岸両氏のノーベル賞受賞を始め、FIFA南アフリカの日本チーム健闘
地下700mから生還したチリの落盤事故、政権交代後の民主党ゴタゴタ騒ぎ…、
10大ニュースに入るかどうかは別にして、枚挙に暇なしの事件事故が目白押し。
低迷する不況の影響だろう、社会的弱者と言われる人々の犯罪も増えている。
高齢者の孤独死には孤立無援社会を感じるし、相変わらずの無差別殺人には、
個人の力ではどうすることも出来ない、格差社会の歪みを否定できない。 
 先日、根岸英一氏が学生たちに、『幸福を追求しよう』と話していた。
幸福を実現するのに必要な要素は、『健康・家庭・仕事・趣味』。
そして実現が成功できるかは、本人の資質と不断の努力が半分半分だと…。
確かに…と頷きつつ、でもねぇ…と疑問が頭をもたげる。
                 
 幸せの尺度は様々だし人それぞれだけれど、茨城で事件を起こした青年の
「自分の人生を終りにしたかった」は、悲し過ぎる。学生時代を知る友人たちは
おとなしい性格で、いつも静かに本を読んでいた印象しか無いと言う。
何が彼を躓かせたのか、深い心の闇を見る気がする。
どういう訳か自分でも説明し難いが、このS青年が気掛かりでならない。
 翻って考えてみると…、kimitsukuなんぞ根岸教授が仰る四要素は、そこそこ
備えており、「資質」と「努力」に少し問題はあるが、まぁまぁの人生なのかも
しかし今後の社会情勢を考えると20年後、30年後、明るい展望は難しい…よね。
さぁどうするニッポン
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クリスマス絵本:さむがりやのサンタ

2010年12月22日 | 日記
 
            
                      
 今週の『ラジオ深夜便:ワールドネットワーク』は、世界各地のクリスマス
光景を伝えています。月曜日はモスクワから、火曜日は南アフリカからの
レポートでした。日中でもマイナス6~7℃のモスクワでは、雪が積もった
公園で子供たちがソリ遊びに興じる様を伝えていました。ダンボールの箱を
ソリの代わりにして、大人も一緒に楽しんでいるそうです。
先日はクレムリンに大きなモミの木が飾られ、入場料…大人1000円程度を
払って見物するのだそう…へぇ、そうなんだぁ
 一方の南アフリカでは今が夏、気温は40℃近い酷暑のクリスマスだとか。
それでもサンタクロースは、例の赤い帽子と洋服に身を包み白い鬚を付けて
街中で愛想を振りまいているが、如何にも暑そう…との報告でした。
 そこで思い出したのが、クリスマス絵本『さむがりやのサンタ』
我が家の子供が小さい頃に見た覚えがありますが、最近すっかりご無沙汰。 
                   
             
 近くの書店に確かめると在庫あり、早速ひとっ走りして買い求めました。
1974年に福音館から初版された、レイモンド・ブリッグズ作・絵の楽しい絵本。
12月24日を迎えた寒がりのサンタクロースが、「やれやれ、またクリスマスか。
冬は寒くて嫌だねぇ…」と文句を言いつつトナカイやソリを準備し、家々の細い
煙突や長い階段に苦労しながら子供たちにプレゼントを届ける、ユーモラスな
お話です。さむがりのサンタの部屋に掛けられた、憧れの地・カプリやマヨルカ
ヴェニスのポスターに笑いを誘われます。
ウン拾年振りに思い出した絵本に、心和むひと時でした。

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