kimitsuku独り言

日々の暮らしから感じたあれこれを
ひとりブツブツ独り言

失われた琉球の美 首里城 焼失

2019年10月31日 | 日記

                    

 沖縄のシンボルであり県民の誇りだった首里城が炎上する衝撃的画面に、絶句してしまいました。沖縄には何度か行っていますが、初めて首里城を訪れたのは1990年10月のこと。もっと早い時期から行ってみたいと思っていたのですが…、あの戦争で大きな戦禍を受けた地を観光気分で訪れることに何か後ろめたいような申し訳ないような罪悪感があって行けずにいたのです。その沖縄を訪ねる切っ掛けになったのは、1988年に行われた福祉関連の全国研修会で沖縄から参加していた方と話した折り「沖縄人は内地の人に悪い感情など持っていないから、気にしないで是非どうぞ遊びに来て下さい」との言葉でした。長い間の懸念が解消し念願の沖縄旅行が実現したのは、2年後の秋中旬、札幌とは別天地の温かさに南国オキナワを実感しました。

       

 しかし1990年頃の首里城跡は、大きな石垣が連なっているだけで荒涼としていました。少し離れた場所に残る守礼の門に僅か往時の面影が偲ばれるのみ。矢張り激しかった戦禍の跡が其処此処に…。 その後、鮮やかに再建された首里城をTV画面で観て感慨一入でしたが、この度の火災で全て灰塵に帰し、その無残さに心を痛めています。再び心の拠り所である首里城を再建し青空の下、ウチナーンチュの歓びの舞カチャーシーが観られる日の早いことを祈っております。       

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もしもワタシが呆けたなら… Part 2

2019年10月29日 | 日記

         

 先日の投稿  『もしもワタシが呆けたなら…』で甦った、特別養護老人ホームに入所していたO男さんとT女さんの思い出です。OさんもTさんも、あの頃80代後半だったでしょうか。2人は何となく気心が合っていたようで何時も廊下のソファに並んで坐っていました。TさんはOさんを「父さん」と呼び、一方のOさんはTさんを「大工見習い」と思っていたフシが…。Tさんには娘と息子が居られて良く訪ねて来られていました。ある日、息子さんが来所された折り、母親が見知らぬジイサンを「父さん」と呼び、テコとして使われている場面に遭遇しました。驚いた息子さんは2人を離そうとしましたが、仕事に夢中な2人は言う事を聞かず…息子はあの優しかった母が呆けたジイサンに良いようにこき使われている事にショックを受けたようです。 札幌在住の娘さんは看護職をしており、来訪回数も多いので母親の様子は分かっていましたが、M市在住の息子さんは年に2~3回の来所でしたから、久しぶりに逢った母の変化に戸惑ったのでしょう。その後、息子さんの来訪が少なくなり、娘さんから聞いた話では、「弟は昔からマザコンで母想いだったから、今の母を見るのが辛いのでしょう。 暫く行けないから何かあったら知らせて…と電話があった」とのこと。 施設職員として申し訳ないと謝りましたが、老人看護の経験がある娘さんは、「ホント男の子って、幾つになっても乳離れが出来ず困ったものですよネ」と 笑っていました。その後もOさんとTさんは家族のような・師弟のようなカップル行動を続けていました。1年ほど後に来所された息子さんを見て、申し訳ないような笑いたいような奇妙な感情になったことを覚えています。

 また或る日の午後、Oさんの姿が見えなくなりました。昼食時に同室者と喧嘩をして暴力を振るい職員に注意されたとのこと。外に出た様子は無いので施設内を探しましたが見当たらず…たまたまKimitsukuが掃除用具を入れているロッカーを開けるとひゃぁ~居たぁ~ ニヤッと笑った顔の、まぁ不気味だったこと。  後で聞くと職員を困らせてやろうと思ったそうで、全くもう人騒がせなOさんです。昔は大工の棟梁だったと言うから、頑固一徹でプライドもあり、若い職員に人前で注意されたことに立腹したのでしょう。 よく注意しなくちゃネ…と教えられたOさん失踪事件でした。

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八千草 薫さん追悼 『うちのホンカン』

2019年10月28日 | 日記

           

                     

               

 八千草 薫さんの突然の訃報に驚きました。現在放映中の『やすらぎの刻』でも、時折り回想シーンなどで見掛けていたので…今は只ご冥福をお祈りするばかりです。八千草さんは数多くの映画やTVドラマで活躍されていましたが、Kimitsukuが好きだったのは『うちのホンカン』シリーズで、1975年から数年間TBS-TVで放映された北海道を舞台にしたドラマでした。倉本聡の原作で、小さな町の駐在所に勤務する警察官(ホンカン)家族と住民の触れ合いや一寸した事件が醸し出すユーモアとペーソスが何とも温かいホームドラマでした。特に支笏湖畔の駐在さんを演じた2~4回は、ちょうど主人が林務官として3年間暮らした支笏湖を離任したばかりの頃だったので、見慣れた樽前山や湖畔の風景を懐かしく思い出しつつ楽しみました。

 八千草さんのイメージを一言で表現すると、今や絶滅危惧種になった ≪正統派ヤマトナデシコ≫ 凛として清らか、美しく柔和で優しく温かい…永遠のマドンナでした・・合掌・・ 

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第96回箱根駅伝の出場校決定!

2019年10月26日 | 日記

        

 来春1月2~3日に行われる箱根駅伝の出場校が決定しました。今日の予選会には関東の43大学が参加しており出場権を得たのは10校という厳しいレースでした。学生三大駅伝の中でも花形は矢張り正月の箱根ですよね。まぁいろいろ弊害あり みたいな意見もあるようですが、95回も続いている新春イベントですからねぇ。かつて箱根路を走ったランナーがマラソンなどの陸上競技で世界に挑戦する姿を観ると「立派に成長したねぇ~」と、思わずウルウルしてしまいます。

 さて予選会を勝ち抜いたのは、東京国際・神奈川・日体大・明治・創価・筑波・日大・国士舘・早稲田・中央の10校。26年振り61回目出場の筑波大には大きなを送りましょう。いっぽう連続出場が途切れた山梨学院には来季を目指して激励のを…。

 既にシード権を獲得している東海大学など10校と関東学連を加えた21校で開催される第96回大会、今から若きイダテンたちの疾走が楽しみで~す。

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もしもワタシが呆けたなら…⁉

2019年10月23日 | 日記

  

  Kimitsukuがボランティアをしている地域交流ハウスに、今日は2人の来客がありました。1人は 常連のH男さん、もう1人は初めて来られた女性で散歩の途中に立ち寄られたようです。年齢は80歳過ぎでしょうか お話好きで社交的なS女さんでした。2人は初対面でしたが直ぐに親しくなり世間話を交わしていましたが…次第に話題は“もしも自分が呆けたなら…”方面へ。Hさんは100歳に近くなった老母の介護について、Sさんは昨年90歳で他界した夫の認知症について、それぞれ身近な事例があるだけに「長生きするのも大変だぁ」と溜め息しつつ思い出に耽っていました。Sさんは昭和56年に東京から転勤して来られ、除雪や石炭ストーブに苦労したこと、夫は仕事が忙しく1人寂しく東京を想って泣いたこと…など、今は遠い思い出だそうです。夫さんは晩年やや認知症状が出て時間の感覚が無くなり、外出しても帰り道が分からなくなり…いろいろ困ったことに。

 H男さんも「呆けたくないなぁ」と聞いていましたが、Kimitsukuを見て「俺は大丈夫かなぁ…」思うに多分「大丈夫」と言って貰いたいのでしょうが…職業上いい加減な返事は出来ませんよね。「以前入所していた人でネ、大工さんの仕事をしていた人が居たのネ」。O男さんの話をしました。いつも居室のドアやテーブルを点検し、直すとか言ってT女さんを呼び付け、「此処を押さえてろ」と手伝わせていました。T女さんはO男さんを「父さん」と思っており、O男さんに聞くと「あれは俺のテコだ」と言っていました。テコ(梃子)とは手伝いをする人のこと。男性の場合、呆けると昔の職業に戻ることが多いように思います。家電品やオーディオ機器の修理を生業としていたH男さんは居室のテレビや壁の配線コードなどを点検修理するとか言って、フラフラ歩き廻るかもよぉ~ ところで Kimitsukuが呆けたなら…「徘徊型」「妄想型」「抑鬱型」それとも…あ~怖っ

 『明日は我が身』の後期高齢者3人で「あ~だ、こ~だ」と盛り上がった『認知症』鼎談でした。

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新天皇の即位礼を寿ぐ

2019年10月22日 | 日記

                       

 本日、新天皇の即位を国の内外に宣言する『即位礼正殿の儀』が厳粛に行われ、まるで平安絵巻のような華やかな様子がTV中継されました。皇室が平和日本の象徴として、これからも千代に八千代に栄えますようにと祈りつつ… まるで『君が代』の世界そのものですねぇ 

        

 札幌の高齢者福祉施設J会は Kimitsukuが20年余り勤務した老人ホームで長い歴史があり、昭和43年9月には昭和天皇・皇后陛下が、同62年8月には現在の上皇・上皇后陛下が来訪されております。また確か56年だったでしょうか、その頃は義宮と称されていた常陸宮・同妃殿下もお見えになっています。中でも Kimitsuku 一番の思い出は、当時は皇太子妃殿下だった美智子さまに声を掛けて頂いて緊張しながらも何とかお答えしたこと 取材に見えていた新聞記者に「よく落ち着いてお話し出来ましたねぇ」と驚かれましたが…妃殿下の優しい口調に思わず反応して…といったところでしょうか。            間もなく数年のうちに創立100年を迎えるJ会ですが先帝が来訪されたご縁もあり、新しい天皇・皇后陛下にも是非ご来訪下さることを心より願っております。 

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お疲れさまでした & 有難うございました

2019年10月20日 | 日記

           

                      

 ラグビーW杯2019大会『桜の勇者』の激闘ドラマ が終幕しました。目標だったベスト8を達成した選手はじめスタッフたちの「やり切った」感が伝わる素晴らしい大会でした。準決勝に進めなかった悔しさよりも、新しい歴史を作った男たちの清々しさ・潔さが心に残っています。9月20日のロシア戦から1カ月、楽しい時間を過ごさせて貰い勇気と感動と疲労etc…を置き土産に 選手たちはそれぞれのステージに戻って行きます。これを機会に日本にラグビー競技が野球やサッカーと並ぶメジャースポーツとして根付くことを期待しています。神戸製鋼や新日鉄釜石の社会人ラグビー大学・高校ラグビー等がTV放送された時代があり、イケメン好きの『ラグ女』なる社会現象も…恥ずかしながらKimitsukuも、そのひとり…

 今回の台風災害で苦しんでいる大勢の人々の中には、『桜の勇者』の皆さんに励まされ、再び立ち上がって前進しようとする人たちが少なくないでしょう。本当に勇気と感動を有難うございました。現在は『祭りの後』の虚脱状態に陥っているKimitsukuですが、大丈夫だぁ、皆さんを見習い明日からまた元気に頑張りま~す。 

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いざ ベスト4へ

2019年10月19日 | 日記

                  

 いやぁラグビーがこんなに面白い競技だったとは… 今回の日本代表の大活躍を観てそう思うのはKimitsukuだけでは無いでしょう。大会前には考えられなかった熱気・興奮・盛況には 目を見張るばかりです。今夜は決勝トーナメントの準々決勝イングランドvsオーストラリア、ニュージーランドvsアイルランドが行われ、イングランドとニュージーランドがベスト4へ進みましたね。試合巧者の両チーム、実に見応えがありました。

    

  さて明日は日本代表が南アフリカと対戦します。現在のランキングでは上位の南アフリカですが、今大会の『桜の勇者』を見ると…何とかいけそうかなぁ~ 明日10月20日が忌日のミスター・ラグビーこと亡き平尾誠二さんも、あの素敵な笑顔で声援を送っていることでしょう。

 

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TOKYO2020 マラソン&競歩を SAPPOROで…⁉(@_@;)⁉

2019年10月17日 | 日記

                                  

  突然に飛び込んできたTOKYO 2020オリンピックマラソン&競歩競技をSAPPOROでのニュースに驚く。先の猛暑ドーハ世界陸上を顧みてIOCが開催地の変更を検討中とか…今更なんなのよぅ~  此処まで準備してきた方々のご立腹は尤もですが、札幌市民としては 『棚からボタ餅 『藪から棒 『濡れ手で粟 何とも嬉しいIOCの検討事項です。実現の可能性がどのくらいあるのか知りませんが、もしSAPPOROでオリンピックマラソンが観戦できるなんて、まるで夢のような話です。さっそくTV番組で賑々しく取り上げていますが、一体全体ど~なるのでしょうか。主催するIOCの意向が絶対なのか、組織委や東京都の言い分が考慮される余地はあるのか。『果報は寝て待て  はてさて気が揉めることですねぇ~。 

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大学駅伝シーズン開幕

2019年10月15日 | 日記

     

 令和時代になって初の大学駅伝シーズンを迎えて、14日『第31回出雲駅伝』が行われました。11月の『全日本』、正月の『箱根』と並ぶ人気の大学三大駅伝。そのトップを飾る『出雲駅伝』は、他の2大会に比べると些か注目度は下がりますが、各校ともシーズン開幕戦として戦略を練って臨みますさて今年はどの学校が・選手が… 21チームの精鋭イダテンたちが襷を繋ぐ雄姿には、いつも感動させられます。

              

 結果は国学院大学が最終6区で駒澤大学を逆転、2時間09分58秒で三大駅伝を通じて初の優勝を成し遂げましたいやぁ~(@_@)(*_*) 見事な粘り勝ちでした。MGC中村匠吾効果が期待された駒大は惜しくも2位、東洋大が3位でした。(@_@)と言えば、1区を走った北海道学連のローレンス・グレくん(札幌学院大学)の、いやもう速かったこと。箱根の2区を疾走する姿を観てみたいなんて思ったりしちゃいましたよぅ~。

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