竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

クリスティーナ・ワレフスカの2019年リサイタルが終わって

2019年03月24日 19時17分09秒 | ワレフスカ来日公演の周辺

 昨日、東京・渋谷のオーチャード・ホールで行われた『クリスティーナ・ワレフスカ・プレミアム・チェロ・リサイタル』が成功裏に終了しました。前回2013年の来日では、彼女の体調に不安を抱えたままのツアーでしたから、思うように弾けないこともありましたが、今回は、手術、リハビリなどが順調に推移したようで、万全の体調での素晴らしい演奏を聴かせてくれました。体鳴楽器としてのチェロの豊かで大きな響きと、弱音での微かな息遣いが聞こえてくるような、はかない美しさも素晴らしかったです。

 そして、プロコフィエフ『チェロ・ソナタ』という、私たちにとって、新しいレパートリーにも触れることができました。半世紀ほど前には、ピアテゴルスキーが「苦悩」として描いていたプロコフィエフ晩年の名作を、ワレフスカは「明日への希望」として聴かせてくれたように思いました。まだ、完全にこなれているとは言い難い状態ではありましたが、もう一度聴いてみたいと思わせる説得力のある方向性を打ち出した演奏でした。ピアソラ『アディオス・ノニーノ』は、これまでのどの演奏よりも美しく、深い祈りにあふれていました。

 私が「不動のコンビとなった」と讃えている福原彰美のピアノも一段と磨きがかかって、彼女の美質である澄んだ響きの音楽が、ワレフスカの大きな振幅を持つ音楽を、軽やかに彩っていました。

 総じて充実した昨日の演奏会には、推薦文を執筆したひとりとして、私も、うれしさでいっぱいになって帰宅することができました。昨日、あの場に居てワレフスカの音楽に触れた皆さまに、深く感謝いたします。

 毎日、多くの方に訪れていただいているこのブログですが、昨日は、ことのほかワレフスカ関連の記事へのアクセスが多く、会場で配布されたプログラムに掲載されていた私の寄稿や曲目解説のためかと驚きましたが、改めて、ワレフスカへの関心を高めてくださった方が昨日だけでも数百人いらっしゃったのだと、ワレフスカの音楽の持っている「力」を感じました。

 

 

 

 

 

 


ワレフスカのチェロを聴くプレミアム・リサイタルが、東京で、たった一日だけ開催されます。

2019年02月20日 13時42分44秒 | ワレフスカ来日公演の周辺

 

 不確定な「可能性」の話として聞いていた日本で久しぶりに行われる「クリスティーナ・ワレフスカ」のチェロ・リサイタルが、実現することになったと聞いたのは、今年に入って数週間経ったころだったと思います。もちろん、ピアノは「福原彰美」です。来月、3月23日(土曜日)午後2時からのマチネ公演、場所は渋谷の「オーチャード・ホール」です。主催は「ビルボード・ジャパン」ということです。

 詳しいいきさつは聞いていませんが、このところ、台湾の財団の関係者に熱心なワレフスカの支援者がいることから、ひんぱんに台湾でのコンサート・ツアーが実現しているので、その途上での立ち寄りが急に決まったということではないかと思います。もう70歳を越えて、高齢に差し掛かっている彼女ですから、航空機での移動に負担もあり、ひょっとすると、「ワレフスカのチェロ」の、あの途方もなく豊かで大きな音楽を聴く機会も最後になってしまうかもしれないな、と、ふと思ってしまいました。たった一日の日本でのリサイタルです。

 じつは、このリサイタルへの「推薦文」を寄稿しました。先日、後援の朝日新聞紙面にも大きな広告が掲載され、そこにもありますから、既にご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、当ブログへの掲載のご了解をいただきましたので、以下に掲載します。ビルボード・クラシックのホームぺージに掲載されているものとも共通です。

 


〈ネオ・ロマンティシズム演奏〉の到来

音楽文化史家・音楽評論家 竹内貴久雄

 

ワレフスカが世界の音楽市場に華々しく登場したのは1970年代初頭である。世は正にレコード全盛時代。「スタジオで録音される音楽」は、次第にミスのない正確なアンサンブル、精緻で解析的な演奏の誘惑に侵されていった。しかも、二度にわたる大戦以後、私たち鑑賞者の世界も、感情の自由な発露であるはずのロマンティシズムへの懐疑に向かっていた。そんな時代の変化から距離を置き続けて自らの「無垢な音楽」を守り抜いていたワレフスカが、36年ぶりに日本に姿を現したのが2010年の来日コンサートだ。その日ピアノを担当した福原彰美は、ワレフスカの二回り、三回り後の世代という若さだったが、以来、このコンビは不動のものとなった。当時、福原が呟いた「ワレフスカさんの大きな音楽に随いてゆくのに夢中だった」という言葉にこそ、世界のレコード市場から身を引いてワレフスカが守り抜いた振幅の大きな音楽と、それを全身で受け止められるピアニストの感性との〈生体反応〉が凝縮されている。私は、この二人が奏でる音楽に、演奏芸術における「ポスト・モダン」の先にもあるはずの「ネオ・ロマンティシズム演奏」の到来を確信している。


【追記】

本日のブログUPは、だいぶ前にカテゴリー分けしておいた「ワレフスカ来日公演の周辺」に収めました。タイトル下の「カテゴリー」欄にカーソルをクリックすると、文中の「奇跡の来日」など、一連のワレフスカ関連文が読めます。ひとりでも多くの方が、ワレフスカの音楽に触れていただけることを願っています。

 



クリスティーヌ・ワレフスカの演奏を「驚天動地」と表現したドヴォルザークのチェロ協奏曲

2013年03月25日 10時42分58秒 | ワレフスカ来日公演の周辺
 別のところにも書いた記憶がありますが、「驚天動地」という四字熟語は、ワレフスカのチェロの魅力とすっかり重なり合ってしまった観があります。じつは、先週の木曜日に発売されて、きょうも店頭に並んでいる「週刊新潮」のアート情報欄(135ページ)の、今回の来日ツアーで唯一の協奏曲公演(群馬県藤岡市)での曲目、ドヴォルザークに関する記事中に私のコメントで、またしてもこの「驚天動地」が登場してしまいました。15分か20分ほども取材でお答えしたのですが、やっぱり、この分かりやすい言葉が残るのでしょう。私も長年、書籍の編集者でしたから、そのあたりの文章のコツのごときものは、よくわかります。
 確かに、ワレフスカのチェロは、時として最初の一音で聴くものを魅き付けるものがありますし、その感情の振幅の大きさ、包容力は、正に、チェロという最もヒューマンな楽器を弾くべくして生まれた人なのだと思わせるものがあります。だからこそ、私が初めて彼女のドヴォルザークのレコードを聴いたとき、「驚天動地とは、こういう演奏を言うのだ」と書かせてしまう力となったのです。
 ただ、その独特の力は、現在復刻されて流通しているCDからは、残念なことに、聴き取ることはできません。最近の復刻CDでしばしばあることですが、劣化してしまったマスターテープから制作された復刻CDの宿命なのかも知れません。いつの日か、LPレコードから、最良のコンディションで、盤起こしの収録・制作CDを作りたいと思い始めています。
 なお、次善の策として、10数年ほど前に駅頭やスーパーのワゴンなどで売られていた「BELART」というレーベルで発売されていたCD(サンサーンスの協奏曲が1曲併録されています)が、比較的、オリジナルLPから聞こえてくるワレフスカのチェロの力を伝えてくれます。3年前の東京公演ライヴのCD(日本ウエストミンスターから発売)も良好です。
 でも、できることなら、4月5日(金曜日)に東京の紀尾井ホールをはじめ各地で行なわれる、福原彰美のピアノ伴奏によるリサイタルに、ぜひお出でください。確か、まだそれぞれ若干チケットがあるはずです。紀尾井ホールでのリサイタルは、日本ウエストミンスターから2枚目のライヴ盤を発売するための収録も決まっていますので、演奏する二人とも、万全の準備を進めています。私も、このところ、幾度か、スピーカーを通さず、直接、目の前のワレフスカの音に触れて、感ずるところ大でした。(じつは、昨日、湯河原の「檜ホール」で行なわれたリサイタルも聴きました。満席の会場にワレフスカのチェロが響きわたっていましたが、総ひのき造りのホールも、かなりいい音がしていました。また行きたいな、と思ったホールです。)


チェロの女王、クリスティーヌ・ワレフスカ来日! タワーレコードでサイン会とミニライヴ

2013年03月19日 16時01分39秒 | ワレフスカ来日公演の周辺


 私が最も注目し続けているチェロ奏者、クリスティーヌ・ワレフスカが3度目の来日を果たし、今日からコンサート・ツアーが始まります。詳細はワレフスカ公式HPにスケジュールが発表されているので、ここでは触れませんが、タワーレコード渋谷店でのサイン会とミニライヴが決まりましたので告知します。今週末、23日(土曜日)14時から予定されています。もちろん、入場無料です。ぜひお出でください。
 メインの、福原彰美のピアノ伴奏で行なわれるリサイタルは、今回も全国各地で開かれますが、その内、東京の紀尾井ホール、4月5日(金曜日)はCD発売を予定してのライヴ収録が決まっています。
 なお、今回の来日ツアーでたった一度きりの「協奏曲の夕べ」が、31日(日曜日)群馬県藤岡市の、みかぼみらいホールで行なわれます。共演はエリック・ハイドシェックの大きなテンポの動きのピアノを見事にサポートし、ハイドシェックの要請で仏盤CDにその妙技が残されている田部井剛指揮カメラータ・ジオン。曲目がドヴォルザークのチェロ協奏曲ですから、これも聴きのがすわけにはいきません。上野駅から高崎線の快速で2時間足らずなので、私も駆けつけます。

クリスティーヌ・ワレフスカ&福原彰美の来日コンサート・ツアーが3月から全国各地で展開されます。

2013年02月15日 15時14分40秒 | ワレフスカ来日公演の周辺
 もうご存知の方も多いと思いますが、戦後クラシック音楽界における傑出したチェロ奏者のひとりと評されるクリスティーヌ・ワレフスカの三度目の来日コンサート・ツアーが、まもなく始まります。2010年の30数年ぶりの「奇跡の来日」を実現した渡辺一騎さんが、また、多くの方々の期待と声援と、そして様々に差し伸べられた助力に応えなければ…と、再び、がんばってくれているのです。「渡辺一騎という一音楽ファンの熱意で実現した」、と「日本経済新聞」の文化欄で大きく採り上げられて、大勢の方にワレフスカの名演を知っていただいた前回ですが、それをさらに確実なものにしなければなりません。
 以下の短文は、今回のコンサート・ツアーのリーフレットのために私が執筆して渡辺一騎さんに託したものです。字数を抑えたので意を尽くし切れていないかも知れませんが、一番言いたかったのは、ワレフスカの演奏は、素直な気持ちで、じっと音楽に向き合う人の心に、しっかりとしみ込んでいくのだということです。そして、そうしたワレフスカの特質が、福原彰美という若いピアニストの新鮮な反応との交流によって、飛躍的に広がったということです。前回の来日時に、「往年のチェリストの往時を偲ぶ」といった先入観で聴いた方も(又、そのような演奏評を洩らした方も)少なからず、いらっしゃったのですが、何の予備知識のない方からの共感がいくつも寄せられたことで、改めて、私のワレフスカ観に確信を持つことができました。そのことが、一番言いたかったことです。
 多くの方のご来場を、お待ちしています。再び、会場が音楽への感動に包まれることを、確信しています。21世紀になって、やっとまた、そういう時代が帰って来つつあるのです。

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■ワレフスカの2013年来日ツアーに期待する/竹内貴久雄
 「奇跡の来日」とまで言われた36年ぶりのワレフスカ再来日が実現したのは、2010年5月のことだった。深い息づかいの、心に染み入る音楽は、1980年代以降、ワレフスカがレコード・CDビジネスの世界から距離を置き、自身への高い評価と人気に封印をしてまで守り抜いたものだったが、それは決して「懐かしい音楽」に閉じ込められてはいなかった。ワレフスカの音楽は、どこを切り取っても、いつも「新鮮」な果実のようなのだが、そのことを最も敏感に感じ取っていたのが、ワレフスカの名を知らない若い世代の音楽ファンだったことも、うれしかった。2013年3月、私たちは、もう一度ワレフスカを聴くことができる。ワレフスカの奏でるチェロの響きから、新しい時代の新しいロマンティシズムの芽吹く瞬間が聴き取れるはずである。

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 ツアーの全貌は、下記ホームページで。
  http://walevska.jp/



タワ・レコ『ワレフスカ名演集』、日本ウエストミンスター『ワレフスカ/チェロリサイタル』を購入した方へ

2011年05月30日 12時06分20秒 | ワレフスカ来日公演の周辺



 きょうは、まず、4月19日の当ブログで話題にしたタワーレコードの不良品の話です。タワ・レコ限定発売アルバム『ワレフスカ名演集』(5枚組)の「CD-1」の一部のトラックが、左右の音が逆になって制作されていて、いずれ、店頭告知などで良品と交換する予定らしい、という件です。じつは、私のところに、昨日いきなり郵送されてきました。1、2、6トラックが逆になっているということと、お詫び、そして不良品は処分してほしい(返送不要)といったことが書かれた5月12日付の文書が添えられていました。考えてみたら、私はタワーの通販で買っているわけですから、当然、私が当該商品を買った事も、その送付先住所も把握しているわけです。あまり大っぴらにしないで、買った人にだけこっそり連絡しているみたいだし、ちょっと気持ち悪かったのですが、というわけで、順番に送付しているようですので、まだ届いていない方はもうしばらく待てば届くのではないでしょうか? ところで、店頭で買った方のために貼り紙などで告知して、交換を開始しているのでしょうか? 私のブログは、ワレフスカ・ファンの方もかなりの数で閲覧していらっしゃるようですので、ひとこと、ご注意を喚起しておきます。
 私自身はこのところ、なかなか時間が取れなくて、例の、4月27日に日本ウエストミンスターから発売された『クリスティーヌ・ワレフスカ・チェロ・リサイタル』(昨年の東京公演ライヴ/写真参照)が、店頭のかなり目立つ場所に置かれて、好調な出足で売れているという話も聞いたのですが、実際の売り場の様子を見たのは、銀座の山野楽器だけなのです。でも、多くの方がご購入くださっているようで、リサイタルCDの発売実現をお手伝いしたひとりとして、この場を借りて皆様に改めて御礼いたします。そして、ワレフスカの、後世に残すべき名演奏が少しでも多くの方々の手許に届くよう、引き続きご助力ください。
 ところで、「日本経済新聞」夕刊の「ディスクレビュー」では、「福原彰美のピアノもいい」と書かれ、我が意を得た思いで嬉しかったのですが、その福原、震災で延期となっていた東京・銀座の「シャネル・ピグマリオン・コンサート」が再開され、直近では7月23日の出演が決まっています。期待しています。




タワーレコードの「ワレフスカ名演集」の一部に、音源の編集ミスがあるそうですが……

2011年04月19日 15時00分11秒 | ワレフスカ来日公演の周辺


 タワーレコードの企画商品として昨年暮れに限定販売された『ワレフスカ名演集』(ここに掲載の写真の商品ではありません。1月12日に当ブログ掲載の、5枚組ボックス・アルバムです。)は、クリスティーヌ・ワレフスカがフィリップス・レコードに残した6枚のLP全てをCDに復刻したもので、このところ、やっとワレフスカの真価に注目が集まるようになった中、待望久しいCD化として、私もよろこんだものでしたが、「ワレフスカ来日演奏会実行委員会」の渡辺一騎さんから、ちょっと気になる話が入ってきました。私も、このブログでご紹介した責任がありますので、とりあえず、一報としてお伝えします。

 この『ワレフスカ名演集』は、タワーレコードの独自企画商品ですから、原則として、全国のタワーレコード各店とタワーレコードのweb店でしか買えませんが、現在web店で「販売終了」の表示が出ています。たしか完全限定販売ではなくスタートしたので、売れ行きが好調だったので追加プレスの話が出ていたはずなのに、おかしいな、ということが始まりです。すると、以下のことがわかってきたようなのです。
 5枚組のCDの内、1枚目の「シューマンのチェロ協奏曲」が収録されている盤に、CD化の音源編集のミスで左右の音が逆に収録されているトラックがあるということなのです。そのため、店頭在庫は回収し、webでの販売も中止したということだそうです。渡辺さんがタワーレコードに聞いたところによると、現在、良品を制作手配中で、いずれは販売済みのものも店頭で良品との交換を行い、アルバムの販売は再開になるとのことですが、私の知る限り、そのような記載がまだ、どこにもありません。
 私の場合は、ほとんどLPで持っていましたので、今回のCDでは、まだ聴いたことのなかった「ヴィヴァルディの協奏曲」を聴いたほかは、「ドヴォルザークの協奏曲」の音質を確認したくらいで、あとは諸石氏の解説にざっと目を通したくらいで、ほとんどそのまま仕舞い込んでしまいました。
 そこへ、例の大地震。――じつは、当ブログで既報のとおり、CD積みかさねの崩壊した山の中に眠る数千枚のうちのひとつなので、まだ、取りだせないのです。ですから、左右のチャンネルが逆になっているというのも、私自身は確認できないでいます。先週、1000~1300枚ほどの整理は終えて、少しさまざまなCDが取り出せるようになりましたが、まだ何千枚もあるので、その良品との交換とやらが始まるまでにはワレフスカCDコレクションのあたりまで、掘り進みたいものだと思っています。余談ですが、このところチェロ系では、ちょっと別の場所に置いておいたフル二エと、カザルスばかり聴いているのです。

 そんな中、つい先日、「ワレフスカ・チェロ・リサイタル」CDの見本盤が届いたのは救いでした。(冒頭写真参照)先日、このブログでもご紹介した去年の上野学園・石橋メモリアルホールでのNHK-FM放送音源を使用してのCDが、いよいよ4月27日に日本ウエストミンスターから発売されるからです。こちらのCDには、そうした編集上のミスはありません。
 ただ、NHKから戴いたマスターテープの音量レベルが少し低めに設定されていたので、CDマスター制作時に無理やり持ち上げるのは心配だということで、そのままで編集作業を進めました。そのため、お聴きになるときに、少しボリュームを上げて聴くと聴感上の通常レベルになるようです。これもワレフスカの、振幅の大きな音楽に、NHKの録音スタッフの方が戸惑った結果なのかもしれません。 
 一人でも多くの方に、あの日の素晴らしい音楽を聴いていただきたい、と改めてお願いする次第です。近日中に、そのCDに寄せた私の解説文も、全文掲載しようかと思っているのですが……。(一部は先日、当ブログに掲載済みですし、もともと中心部分は、ブログに掲載したいくつかの文章の「集大成」としてまとめたものなので、ブログ読者の方には重複することが多いかと思い、少々、掲載をためらっています。)



不世出のチェロ奏者・ワレフスカの昨年の来日公演が、ついにCDで発売されます。

2011年03月17日 14時28分32秒 | ワレフスカ来日公演の周辺
 きのう、かなり長文になってしまったライナーノートを書き終えました。昨年、30数年ぶりの来日で話題になったワレフスカのリサイタルを記録したCDが、いよいよ発売されます。ワレフスカの来日リサイタルの実行委員会の渡辺一騎氏が、石橋メモリアルホールでの公演を収録放送したNHKから音源を借り出して制作に踏み切ったもので、一般市販はコロムビアを発売元としている「日本ウエストミンスター」を通して行います。規格番号は「JXCC-1069」、価格は「2600円+税」、タイトルは「クリスティーヌ・ワレフスカ・チェロ・リサイタル」の予定です。
昨年末に70年代のフィリップス録音の全てを5枚組BOXセット「ワレフスカ名演集」で発売したタワー・レコードでも予約受け付けを開始、アマゾンなど全ての通販サイトでも予約できます。

 本日、以下に、書き終えたばかりのライナーノートの一部を掲載しますので、ご覧ください。私としてはこのCDの発売は「ついに念願が叶った」といった気持ちです。ぜひお買い求めください。ほんとうに素晴らしい演奏ですし、21世紀の演奏の方向性を嗅ぎ取るヒントがあります。別の言い方をすれば、20世紀の後半から私たちが失いかけていたものは何だったか、ということに思いが向かう演奏です。

 発売日は4月27日を予定しています。事前の発表と収録曲が少しだけ入れ替わったので、既にネット上にあるものと異なっているかもしれませんが、このブログ後半の「曲目解説」原稿にあるものが最終決定です。

 以下、ライナーノートの一部抜粋です。

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 終わったはずの事を、もう一度掘り起こすという作業は、むずかしいものである。例えば、昨年2010年6月5日に東京の上野学園・石橋メモリアルホールで行われた「クリスティーヌ・ワレフスカ チェロ・リサイタル」も、そのひとつだ。私にとって、このコンサート、及び、その日に至るまでの様々の出来事は特別のものだった。だから、その濃密さの故に、それが終わった後の充実した感覚は忘れられない思い出となって、私の記憶の底に大切にしまいこまれた。その日のすばらしい音楽を、「記憶」ではなく、繰り返し聴くことが出来るCDにしようというのは、もともと私の発案だったかもしれないが、それがこうして現実となりつつある今、あの日の感動の記憶を掘り起こして文章にすることのむずかしさを、私は改めて感じている。
 ご承知の方も多いと思うが、このCDアルバムは、クリスティーヌ・ワレフスカという不世出のチェリストの音楽に魅せられたひとりのファンが、仕事で訪れたアメリカの一都市で、日本ではほとんど忘れられていたワレフスカの名をコンサート案内の中に見出したことに始まる。そうして、「まだ現役で活動していた!」という驚きから現地のコンサートを聴き、あまりの感動から楽屋を訪ね、やがて、個人の力で日本への「招聘コンサート」を企画してその実行委員会の活動が実を結んでの、奇跡と言っても良いようなコンサートを記録したものが今回のCDアルバムである。
(中略)
 このCDアルバムは期せずして、1970年代以降のグローバルな――その分だけ無個性的な――音楽ビジネスから身を引いて孤塁を守って来たワレフスカの個性あふれる音楽の成果、そうしたワレフスカの「今」を伝え、後世に残す貴重な記録となった。フィリップスからの正式デビュー以前に録音されたプライベート録音を除けば、70年代に協奏曲録音しか残さなかったワレフスカの30数年ぶりの、しかも、初の室内楽録音であり、初のライヴ録音である。

【演奏曲目について】

1)J. S. バッハ:チェロとピアノのための「アリオーソ」
ヨハン・セバスチャン・バッハの作曲した「カンタータ第156番」による。しばしば「バッハのアリオーソ」としてチェロ奏者に愛奏されている。

2)ブラームス:チェロ・ソナタ第1番 ホ短調 作品38
ブラームスは生涯に2曲のチェロ・ソナタを残している。この第1番は1862年に作曲に着手され、大作『ドイツ・レクイエム』と並行して1865年の夏までの歳月が費やされたと伝えられている。
第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ、ソナタ形式
第2楽章 アレグレット・クワジ・メヌエット、三部形式
第3楽章 アレグロ、バッハのフーガの技法から引用した自由なフーガ

3)ボロニーニ:チェロの祈り
エニオ・ボロニーニは1893年ブエノスアイレスに生まれたチェロ奏者、指揮者、作曲家。ブエノスアイレス時代にピアニストのA. ルービンシュタイン、ギタリストのA. セゴビアの二人とアパートを共同で借りていて、その間に二人からピアノとギターを学び、特にセゴビアからは、その驚異的なピチカート奏法を習得したと言われている。ブエノスアイレスを訪れた作曲者サン=サーンスの前で『白鳥』を弾き、その演奏に感激したサン=サーンスが涙を流したという伝説的なチェロ奏者。80歳の時、ワレフスカの才能を認め、唯一の後継者として「他の誰にも見せずに、お前だけが弾くように」と全ての楽譜を彼女に託している。未だにその作曲作品は、すべて未出版である。1979年没。この『チェロの祈り』は、亡き父の思い出に捧げられた曲とされている。

4)ピアソラ(ブラガード編曲):アディオス・ノニーノ
1921年にイタリア系移民の子としてアルゼンチンに生まれ、4歳の時に家族と共にニューヨークに移り住んだアストル・ピアソラは、独特のリズムとメロディを持つタンゴに、バロック音楽のフーガの技法や、ジャズのエッセンスなどを自由に融合させ、バンドネオン奏者として独自の演奏形態を創出した作曲家として知られる。1992年没。「ノニーノ」はピアソラの父親ビセンテの愛称。最初に音楽に目覚めさせてくれ、バンドネオンを買い与え、手ほどきをしたという父親に捧げられた作品。
編曲のホセ・ブラガードはピアソラと同じくイタリア系。1915年にイタリアで生まれアルゼンチンで育った作曲家、チェロ奏者。1954年からピアソラ率いるブエノスアイレス八重奏団に参加、ピアソラの右腕とまで言われた。この『アディオス・ノニーノ』は、ワレフスカのチェロに感激したブラガードが、彼女のために編曲した版である。

5)ショパン:序奏と華麗なるポロネーズ 作品3
チェロ奏者としての華々しいデビューから数年後、輝かしいキャリアに封印をして一時期アルゼンチンに移り住んでいたワレフスカにとって、上記の2曲が「第二の故郷」の音楽だとすれば、ポーランド系の子としてアメリカに生まれたらしいワレフスカにとって、故国ポーランドの地を離れざるを得なかったショパンの音楽は、「心のふるさと」なのだろうか。『序奏と華麗なるポロネーズ』は1829年、ショパンがまだ20歳になる前に作曲に着手されており、ポーランドの民族舞曲のリズムが若々しい作品である。ピアノの華麗さに比してチェロの動きが単純なので、多くのチェロ奏者がチェロのパートに独自の編曲を施すのが半ば慣例となっていて、フォイヤマン、ピアティゴルスキー、ジャンドロンなどの編曲が広く知られている。ここでは、そうしたものを参照し、ワレフスカ本人によるアレンジが加えられた形で演奏されている。

6)ショパン:チェロ・ソナタ ト短調 作品65
1846年に作曲されたショパンの唯一のチェロ・ソナタ。全4楽章から成る大作で、ピアノとチェロが対等に渡り合い、融合しながら登り詰めてゆく様子は、デュオの醍醐味と言えるだろう。
  第1楽章 アレグロ・モデラート、ソナタ形式
  第2楽章 スケルツォ、アレグロ・コン・ブリオ
  第3楽章 ラルゴ
  第4楽章 フィナーレ、アレグロ、ロンド形式を組み込んだソナタ形式



先日の石橋メモリアルホールでのワレフスカ来日演奏が、明日のNHK-FMで放送されます!

2010年08月04日 11時00分53秒 | ワレフスカ来日公演の周辺

 このブログで再三にわたって話題にしたチェロ奏者クリスチーヌ・ワレフスカの上野学園・石橋メモリアルホールでの来日公演(ピアノ:福原彰美)が、明日のNHK-FMで丸ごと放送されます。詳しくは、下記のNHK番組表のサイトをご覧ください。

http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20100805/001/07-1930.html

 当日、聴きもらしてしまった人、あるいは感動を共にした人はもちろんですが、当日や他の会場でのワレフスカの演奏を聴いて疑問を感じた方も、ぜひ、再確認の意味で聴いていただきたいと思っています。下記の私のブログ6月28日掲載分「ワレフスカのチェロ――その独特の音色の秘密」

http://blog.goo.ne.jp/kikuo-takeuchi/e/f6cff887867c3d454f1bf02a26eac7b2

でもご紹介しましたが、最近のチェロ奏者の演奏に耳慣れてしまった人の中には、不幸にして戸惑いが先に立ってしまった方がいらっしゃったようです。ワレフスカは、決して一部の人が訳知り顔で言っているような「往年の大家」=「過去の遺産」ではありません。むしろ、本物の音楽の手触りが稀薄になってしまった「音楽界の現在」を、今一度、本来のあり得べき姿に蘇らせる「現代演奏家」のひとりなのです。それが、1950年代の復刻CDで最近続々と再発されている「往年の演奏家」との決定的な違いです。それは、第2次世界大戦体験の有無と関わる重要な問題を含んでいますが、それについての詳述は、いずれ、機会を改めましょう。(この問題は、「日本における西洋音楽の受容史」をテーマにしている私にとって、もうひとつの大きなテーマでもあります。)
 話を元に戻しましょう。「ワレフスカ」です。ワレフスカが往年の名演奏家ではなく、私たちの時代に、直接関わっている演奏家だということは、意識しなくてはならない大事なことです。私たちはまだ、ワレフスカのような音楽を過去のものとして慈しみ楽しむような「不幸な時代」に突入してはいない、と信じています。
 ぜひ、明日のFM放送で、そのことを共に確認したいと思っています。



クリスティーヌ・ワレフスカのチェロ――その独特の音色の秘密

2010年06月28日 14時39分16秒 | ワレフスカ来日公演の周辺
 様々な困難を乗り越えてワレフスカの招聘を成し遂げた渡辺一騎さんが、先日、少しほっとされたのか、長文のメールをくれました。一般の方のブログなどでの率直な感想に喜ばれる半面、新聞・雑誌などのコンサート評で、いわゆる「プロ」らしさを披歴するあまりの演奏評が厳しい見方を提示したり、あるいは「往年の名演奏家の今を聴く懐かしいコンサート」などといった訳知り顔の評があったりして、かなりの誤解が混在していると嘆かれてのものでした。(ここの表現、私の要約です。渡辺氏の表現ではありません。念のため。)

 その渡辺氏のメールに、彼が愛して止まないワレフスカのチェロの独特の音色について、とても興味深いレポートがありましたので、無理をお願いして、私のブログに掲載させてもらうことにしました。ワレフスカの音楽の魅力に、改めて気づかれた方は大勢いらっしゃると思います。それらの方に、ぜひとも読んでいただきたく、私宛のメールのままではもったいない、とお話ししたものです。そして、ワレフスカのチェロに、不幸にして否定的な印象を持たれてしまった方にも、今一度これをお読みくださって、ワレフスカの音楽を思い起こしていただきたいと思っています。

 渡辺氏からは、私の申し出を受けて、若干の加筆修正、注記が送られてきましたが、それらを織り込んで、私の責任で編集・再構成したのが下記の文章です。渡辺一騎氏のオリジナル文のニュアンスは、ほとんど生かされているはずです。

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ワレフスカの音の秘密について(渡辺一騎)

 ワレフスカのチェロは、なぜ「昔の」音がするんだろう?という疑問が常に、彼女が来日してからは特に、私の頭の中にありました。「昔の」とは、古いLPやSPレコードなどでしか聴くことのできない、当時のチェリストと似たような音、ということです。そこで、以前からいろいろな奏者の奏法について、見聞きしていたこと、そして今回のツアーでワレフスカと話し合ったこと、公開レッスンで指摘していたことなどをまとめてみました。

 ワレフスカの「音」を考えるときには、まず使用している弦の問題がありますが、ワレフスカの場合、上2本はヤーガー、下2本はプリムというスチール弦を張っています。最新のブランドではありませんが、ガット弦ではありません。彼女は「ガット弦のチェロは生涯に一度しか弾いたことがない」と言っています。(それは、ある昼食会で、師匠のマレシャルの楽器を使い、ロストロポーヴィチのピアノ伴奏でロココ変奏曲を弾いたとのことです。)要するに、ガット弦の音に馴染みがあるわけではないのです。

 答えは結局、左手の弦の押さえ方と右手のボウイングにあるようです。一つの大きなヒントが、東京新聞に掲載されたワレフスカの演奏中の写真にありました。
 彼女のボウイングとビブラートは、彼女自身の言を借りればギリシャ建築のように完璧な「ベル・カント奏法」で、とくに彼女の左手は、カザルスの左手の奏法――関節を全て曲げて指を常に丸くし、弦を叩くようにして指先で押さえる――と、ロストロポーヴィチを代表とするロシアン・スクールの左手の奏法――より安全なポジションの獲得と移動方法の徹底――の影響を多少なりとも受けている他の全ての現役のチェリストとは、明らかに一線を画するものなのです。(「ベル・カント奏法」の定義とは?と言われてしまうと困りますが、この言葉自体はワレフスカ本人が自分のボウイングに対して使っていたものなので、敢えて「ベル・カント」という言葉を使いました。)
 私は、東京新聞の音楽会評に掲載された演奏中のワレフスカの写真を見て「はっ!」としたのですが、それは、ポルトガルのかつての名女流チェリスト、G・スッジアの肖像画と、フォルムがほとんど一緒だということです。この肖像画、T・ジェリコーが描いた有名な「エプソムの競馬」のように、かなりデフォルメされて書かれていると思っていたのですが、そうではなかった訳です(インターネットで調べたところ、この肖像画の元となるポートレート写真も見つかりました)。[竹内註:その肖像画を、本日のブログの冒頭に挿入しました。この肖像画、私は、名指揮者フレイタス=ブランコのCD蒐集で購入した中にあって、見覚えがありました。数少ないスッジアの録音で伴奏指揮を務めていたからです。]
 要するに、ワレフスカの左手は、カザルスやロシアン・スクールが登場する以前の奏法に準じているということです。事実、彼女自身は、カザルスやロシアン・スクールの奏法を「テクニックと引き替えに多くの芸術的な利点を見捨てたメソッドだ」と言って否定しています。

 現代ではチェロ奏者は、左手の手のひらの中に卵でも入れたかのように手を丸くし、指の尖端の最も肉が薄いところで弦を押さえます。つまり肉を介し、ほとんど指の骨で弦を押さえている感じです。弦を押さえる場所を「点」として捉えることができるだけでなく、こうして押さえた音はシャープで張りのある音になります(開放弦の音に近づくイメージ)。カザルスの録音を聴くと、ポジションを取る際に音が出るほど強く弦を押さえているのが良く分かります。
 ところがスッジアやワレフスカに見られる「昔の奏法」では、指は弦に対して上からも横からも垂直で、従って指の腹の最も肉の豊かなところで押さえているわけです。もしかしたら弦は指板に当たっていない時があるかも知れません。このことが音響学的にどうして有利になるのか、何とも説明しづらいところですが、例えば中国の胡弓などは指板が無くてもあのように美しい音が出ています。

 ところで近年では、一部のヴァイオリンやヴィオラ奏者、そしてさらにごく一部のチェロ奏者の間で、「開放弦がベストの(目指すべき)音」という考えを捨てて、新しい?弦の押さえ方を模索・実践している人たちがいるようです。彼らはどうしているかというと、単純に「強く押さえない(指板と指はほとんど触れない)」あるいは「指の芯を外して押さえる」という方法を取っているようです。
 いずれにしても、ワレフスカの音の秘密の最初のポイントは、左手の指にあるようです。そういえば、あるプロデューサーがワレフスカのビデオを見て「この人は弦の押さえ方が下手なのですかね?」と言っていました。ハイフェッツやピアティゴルスキーなどの昔の偉大な演奏に触れていないと(映像を通してでも)、こうした間違いを犯してしまうことになります。

 また、ビブラートの回数も、現代のチェリストは1秒に7~8回かけているのに対し、彼女は1秒間に6回(これがビブラートの「黄金比」、ピアティゴルスキーもボロニーニも同じように教えてくれた、とのこと)なのです。
 さらに、ワレフスカの場合、右手のボウイングは手首のスナップを必要以上に使わず、肩の力を直接弓に伝える(ために、移弦の際の肘の移動量が大きくなるデメリットがある)ので、あんなに大きいけれども、優しい音が出るのです。マイスキーなどのソリストは、木と毛が平行になるほど強く弓の毛を張っています。音楽家の好みがガット弦からスチール弦に移り、さらにより強い張りのスチール弦を…という流れの中で、特にロシア系のソリスト達は弓の毛をどんどん強く張るようになって行ったようです。

 弓の毛を強く張らずに、優しく弾くと、チェロはヴァイオリンとは比べものにならないほど(弦が長いので)豊かな倍音が出ます。ワレフスカの場合、この倍音の出具合が半端ではありません。音程によっては、一瞬、何の楽器が鳴っているのか分からないほどです。
 だから、普通の人は彼女の音を「捉えどころのない音」と勘違いしてしまうのではないかと思うのです。多くの方が、「前半はチェロの音に戸惑ったが、後半は一転して…」と感じるようです。なぜ皆がこう感じるのか、僕はずっと悩んでいたのですが、最終的に上記の「豊か過ぎる倍音」説にたどり着きました。

 ワレフスカの演奏評価で、音程の不安定さが指摘されるのは覚悟していましたが、一部の評者に、ワレフスカが作り出す音楽の大きさ、深さ、優雅さが評価されなかったのは残念でした。心を動かされたのが南米の音楽のリズムだけだった、ということでは、寂しすぎます。それは、「豊か過ぎる倍音」に惑わされ、そのために、音程の問題とビブラートの問題が一緒に処理されてしまうといった「間違い」から起こってしまったことだと思うのです。聞き慣れないビブラートに惑わされ、音程も悪かったし…で、結局、ワレフスカの音楽の本質に迫る余裕がなくなってしまったのではないでしょうか。弱音時の表現はピカ一だったと思いますが…これも残念です。
 彼女のようにしっかりと音楽を語ってくれるチェリストは、世界中に、もうほとんど残っていないと思うのですが…

ワレフスカの来日コンサートが成功裡に終了しました。

2010年06月07日 14時23分43秒 | ワレフスカ来日公演の周辺




 6月5日(土)、クリスチーヌ・ワレフスカの来日演奏会ツアーのメイン・コンサートとも言える上野学園・石橋メモリアル・ホールでのリサイタルが、無事、成功裡に終了しました。「メイン」と私が呼ぶのは、「ワレフスカ来日演奏会実行委員会」による唯一の主催公演だからですが、追加販売されたチケットも全て完売し、当日は、ワレフスカの演奏を聴くために駆けつけた人々の熱気で溢れかえっていました。来日に合わせて、ミッテンバルト社から発売された来日記念CDも休憩時間中に売り切れとなり、急遽、追加プレスが決定して、後日の郵送購入の申し込み者もかなりの数に上ったそうです。
 そうした中、つい1ヵ月ほど前には、一ファンとして実行委員会を立ち上げてしまったものの「いったいどうなることか」とひとり気を揉んでいた渡辺一騎さんが、うれしそうに、そして、せわしそうに、ロビーを歩き回っていたのが印象的でした。
 私とワレフスカとの邂逅については、このブログ内の検索で「ワレフスカ」と入力してお読み戴ければ幸いです。当日の演奏会についての感想や、終演後に渡辺さんが用意してくれたワレフスカを囲んでのスタッフたちとの会食で得られたワレフスカに関する貴重なエピソードなどは、いずれ、どこかにきちんと書いて発表したいと思っています。とりあえず、きょうは、当日聴いていない方に、少しでもワレフスカの音楽の素晴らしさを知っていただくために、会場で配布されたプログラムに寄稿した私の文章を掲載します。
 
 
■ワレフスカの36年ぶり来日コンサートに寄せて
                                   
 私が音楽を語るに際して、これまでにおそらく、たった一度しか使っていない言葉がある。「驚天動地」である。文字通り「天を驚かし、地を動かす」ということで、それほど「圧倒的に凄い」という意味だが、それを私は、かつてクリスティーヌ・ワレフスカがソロを弾くドヴォルザーク『チェロ協奏曲』の演奏評で使った。今から20年ほど前、同曲の「名盤選」の中だった。以下に引用しよう。

 クリスティチーヌ・ワレフスカ~ギブソン盤は驚異的な演奏だ。通り過ぎようとする者をその場に留め置かずには済まさない、凄じい気迫と説得力。〈驚天動地〉とは正にこのような演奏にふさわしい言葉だ。/豊麗な音がほとばしり前進するワレフスカの強靱な感情表現は、この曲が、今この場で彼女自身によって産み出されつつあるかのような一体感となって呼吸している。情緒に耽溺して引き摺るようなこともない。すばらしい表現力とテクニックを持ったチェリストであるにもかかわらず、話題にする人は少ないが、この曲のベスト盤と信じて疑わない。

 大仰とも言える言葉を思わず使ってしまったのは、私にとっては、このワレフスカのレコードとの出会いが、それほどに衝撃的だったからである。昨年の暮れに、この名盤選の文章を再録する際にも、「その後これほどに衝撃を受けた演奏には出会っていない」という趣旨を書き加えたが、ワレフスカは正に、20世紀後半を代表する驚異的なチェロ奏者だと信じて疑わない。それは彼女が、途方もなく大きな世界を内に持ちながら、それをチェロという楽器で自身の肉体の外側に放出する的確な技術を持っている稀有な演奏家だからである。
 チェロという楽器は不思議な楽器だと思うことがある。人の声の音域に最も近い楽器だという話を聞いたことがあるが、チェロがしばしば、それを弾く人の人格をとてもよく投影しているように感じるのは、それ故かも知れない。とてもヒューマンな楽器なのだ。チェロの表現力を高めて今日の音楽鑑賞の場に引き出したのは、人道主義者としても知られるカザルスだが、それは決して偶然ではないだろう。奏者が椅子に座り、包み込むようにして奏でる楽器となった時、チェロは、その豊かで包容力にあふれた音楽を宿命づけられたのかもしれない。
 だが、そうしたチェロの音楽の「大きさ」を表現できる人は少ない。ワレフスカの演奏はその数少ない例だ。大きな感情の抑揚がはじけるように飛び出してくるが、それが、明快なフォルムが崩れることなくまっすぐに届いてくることこそが、ワレフスカのチェロの本当の真価だ。
 ドヴォルザークの演奏に出会って以来、私が彼女のレコードを次々に集めたのは、実は1990年代になってからのことである。デビュー盤といわれているシューマンの協奏曲や『コル・ニドライ』『シェロモ』、プロコフィエフとハチャトゥリアンの協奏曲、サン=サーンスの協奏曲など、既にどれも廃盤だったので、ヨーロッパ各地からアメリカにまで手を広げて中古市場を探索した。それも今ではなつかしい思い出だが、特にイギリスから届いたばかりの中古レコードに針を降ろした日に聴いたハチャトゥリアンの協奏曲の強烈な印象は、私にとって特別な夜の思い出として鮮明に残っている。それは、ハチャトゥリアンの「第2チェロ協奏曲」とも言うべき『コンチェルト・ラプソディ』をコンドラシンと録音しているロストロポーヴィチの名演をも超える快演だった。
 今回、ワレフスカの演奏が忘れられなかった人々の努力によって、36年ぶりの来日が果たされると聞いた時、私は、一瞬、自分の耳を疑ったが、現実に彼女がまだ存命中で、アメリカの地で素晴らしい演奏を奏で続けていたという報告を受けて、心の底から嬉しく思った。
 音楽ビジネスが、表面をうっすらと撫でるようなものしか伝えなくなったような思いにとらわれていた私にとって、まだワレフスカの音楽が健在であったということも嬉しかった(彼女がどのようにして、この困難な時代に孤塁を守り通してきたかについては、『日本経済新聞』4月28日付の文化欄に詳しい)が、それ以上に嬉しいのは、ワレフスカのコンサートを実現しようというファンの努力が実を結んでの来日公演だということである。通常の音楽ビジネスの外から、真摯な愛好家の力によって実現したこのコンサートは、「常識にとらわれない無謀な企てこそが、いつも歴史を動かしてきた」と信じている私にとって、何よりも嬉しいことである。(2010.5.14)



アニハーノフ/ニューシティ管弦楽団で、ワレフスカの妙技の一端を聴きました。

2010年06月02日 16時54分44秒 | ワレフスカ来日公演の周辺



 先日、5月28日(金)に池袋・東京芸術劇場で、東京ニューシティ管弦楽団の定期演奏会に、チャイコフスキー「ロココ風の主題による変奏曲」で登場したクリスチーヌ・ワレフスカのチェロを聴いてきました。
 ワレフスカの素晴らしさ、今回の来日に至るまでの関係者の努力などについては、もうご存知の方も多いと思いますが、この私のブログでも、左欄をず~っと下にスクロールして行って「ブログ内検索」で「ワレフスカ」を入力すれば、まとめてお読みいただけます。
 縁あって、招聘者の渡辺一騎さんにお会いしたことからお付き合いが始まり、来る6月5日(土)の石橋メモリアルホールでのリサイタルのプログラムにも一文を書きましたので、会場にいらっしゃる方には、そこで私のワレフスカ観をご覧いただきたいと思います。きょうは、とりあえず、5月28日の演奏会の感想を、簡単にメモ書きで……。推敲もしていませんから、カテゴリーも「エッセイ」ではなく「雑文」です。何か少しでも書き残して置きたかったので、……。失礼します。以下、本文です。

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 目の前でチェロを弾くワレフスカを初めて聴いた。彼女の若き日のレコード録音を聴いてから20年以上経てのことだった。この夜の驚きもまた、私の大切な思い出となった。
 ほんとうの自在さを持ったチェロである。こんなチェリストがいたのだという驚きは、20数年前のある日とまったく同じだった。自在で包容力のある豊かな音楽は、健在だった。そして柔和さとチャーミングな要素さえも加わって、その音楽的な広がりを堪能した。
 私の座っていた位置の故かも知れないが、楽器の鳴りが少し悪かったのが不満と言えば不満だが、リサイタルのホールでは、その心配もないだろう。ともかく、ワレフスカの健在ぶりを確認できてうれしかった。
 ロビーで、個性的な仕事をしているマイナーレーベル「ミッテンバルト」から、ワレフスカ自身と渡辺一騎氏による半ば自主制作のようにして発売された「来日記念CD」を購入。これは、1967年録音の私家版LPの初CD化だそうだ。

 ところで、この定期演奏会、「創立20周年記念演奏会」と銘打たれ、指揮は客演指揮者のアンドレイ・アニハーノフ。1曲目が伊福部昭『交響譚詩』、2曲目が『ロココ~』で、休憩後はショスタコーヴィッチ『交響曲第8番』という意欲的なプログラム。アニハーノフという指揮者は初めて聴いたが、とても興味を持った。
 ショスタコーヴィッチのこの曲を、音色、音量、各楽器間のバランス、受け渡し、それらのどれに対しても繊細で、きめ細やかな神経が行き届いている。
 曲の終盤では、気配とでもいうものをさえ指揮しているかのようだった。かなりの才能の持ち主だと感じた。
 オーケストラもカラフルな表現を達成して、よく応えていた。これは研鑽の賜物だろう。パッと合わせてササッと演奏するといった中からは、決して生まれない音楽だった。
 アニハーノフは、曲を完全に手中に収め、完璧にイメージが出来上がっていた。
 久しぶりに充実した演奏会だった。

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以上。

忘れられていたチェロ奏者、クリスティーヌ・ワレフスカの来日公演で思うこと。

2010年05月06日 11時55分23秒 | ワレフスカ来日公演の周辺
 2ヵ月ほど前のことだったと思う。私のブログに1通のコメントが寄せられた。個人的な連絡先が記載されており、その後、私とは個人的な接触が始まり様々に発展していったのでそのコメントは「公開」扱いにしなかったが、それは、以下のようなものだった。私が昨年12月にupした「ドヴォルザーク《チェロ協奏曲》の名盤」へのコメントだった。

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・コメントを書いた人
ワレフスカ来日演奏会実行委員会

・タイトル
ワレフスカさんについて

・コメント
初めてコメントさせて頂きます。
しばらく消息の伝えられていなかったワレフスカさんですが、現在アメリカ在住で今年の5~6月に来日演奏会を行う予定です。
竹内様が文章中で一番にワレフスカ盤を取り上げられていましたので、ご連絡差しあげました。
大変恐縮ですが、いちど下記アドレスまでご連絡頂けますでしょうか?よろしくお願い申しあげます。
失礼いたしました。

ワレフスカ来日演奏会実行委員会

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 つい先ごろ、4月28日付の「日本経済新聞」文化欄に「発見《幻の女性チェロ名手――情熱的スタイル掲げ36年ぶり来日へ」という記事が載ったので、ご覧になった方も多いと思うが、音楽ビジネスが困難を極めているこの時代に、個人の力でワレフスカの来日演奏会を、しかも、その存在が殆んど忘れられている中での演奏会を、全国各地で行うという難事業をやり遂げようとしている人、渡辺一騎氏からのコメントだった。その日、渡辺氏は歯科医としての学会関係の仕事で渡米しており、滞在先からの送信だったようだ。コメントの内容に驚いた――それは、彼がそうであったと告白しているように、私にとっても「ワレフスカがまだ生きていた」という驚きと、その演奏会を「実行委員会」方式で挙行しようとしている人物がいる、ということの二つに対してだったが――、私が、そこに記されたアドレスにメールを入れると、半日ほどして返信が届いた。
 まもなく日本に帰るので、都合の良い日に東京で会えないだろうかというものだった。ワレフスカの演奏を高く評価している私に、協力してもらえないかという趣旨だった。もちろん私は「自分に出来ることならば、よろこんでご協力する」とお答えした。その時、私の脳裏をよぎったのは、今から30年ほども昔のことになるだろうか? ベルギーの女性ヴァイオリニスト、ローラ・ボべスコの来日演奏会を実現してしまった人たちの情熱だった。私の友人のひとりは、そのボべスコ来日に奔走した人たちの仲間だったと聞いているが、あのころの熱気には独特のドラマがあったように記憶している。そして、今回も、そうした「熱」を感じての渡辺氏の帰国待ちだった。
 果せるかな、お会いした渡辺氏は、数年前、偶然にアメリカの地方都市でワレフスカの出演する音楽祭の開催を知って駆けつけ、楽屋にまで訪ねてしまったこと、それから始まった交流の中から、「ほんの弾みで」来日演奏会実行委員会を立ち上げてしまったことを話された。そして、渡辺氏自身が、アマチュアとしてずっとチェロを弾き続けていること、そうしたチェロ奏者仲間の輪から、多くの協力者に恵まれていることなどを滔々と話された。――想像通りの方だった。
 その時お話しした「私に出来ること」のひとつが、旧知の日経新聞文化部、池田卓夫氏に紹介することだった。前記の日経新聞の記事は、池田氏の深い理解と共感があればこそのものである。池田氏もまた、そうした「無謀な企て」を試みている渡辺氏に1時間以上もの長時間、真摯に応対してくれた。同席した私も、久しぶりに、とても爽やかな気持ちになった会談だった。そのことで私は池田氏に深く感謝している。歴史的な難事業は、いつもこうした「無謀な企て」から始まり、そのよき理解者に育てられてきたのだ、と思う。
 コンサートのチケットは、完売してしまった会場もかなりあると聴いているが、「ワレフスカ 来日」程度の文字列ですぐに「実行委員会」のホームページが見つかり、かんたんにアクセスできるので、ぜひ、来日演奏会をお聴き戴きたいと思っている。どのような演奏家であるかは、私のブログ、昨年12月15日「ドヴォルザーク:チェロ協奏曲の名盤」で少し触れている。そこで私が使用した「驚天動地」という言葉が一人歩きしていて、中古レコードサイトで「これが竹内氏が〈驚天動地〉した名演だ」などと引用されているのが少々気恥ずかしいが、まだ、それ以外、ワレフスカについて詳細を論じたものは書いていない。他の音楽評論家諸氏のものでも、ワレフスカについて正面から論じた日本語の文章は、ほとんど見かけていない。先日、チェロ奏者についての素晴らしい著書のある渡辺和彦氏と歓談した際に、ワレフスカに強い関心を示されていたのを記憶しているが…。
 私自身の「ワレフスカ観」は、今回の来日コンサートのプログラムで書かせていただくことになっているので、それをお待ち戴きたい。渡辺一騎氏のご期待にどこまでお応えできるか、少々緊張している。