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『唱歌・童謡120の真実』がまもなく発刊されます。

2017年02月03日 13時25分31秒 | 「大正・昭和初期研究」関連

 

 

 「やっと」と言うべきでしょう。2014年9月17日付けの当ブログでご報告した『唱歌・童謡100の真実』の増補、新版が、結局、2年以上の歳月を経てしまいましたが、まもなく発刊されます。下記の20曲を加えて、取り扱い曲は100曲から120曲へと膨らみましたので、48ページも増えて総ページ280ページの大作になりました。出版元のヤマハミュージックメディアさんの踏ん張り(?)で、定価1800円(税別)は据え置きです。

[01]「みどりのそよ風」

[02]「お誕生日の歌」

[03]「ろばのパン屋さん」

[04]「エンゼルはいつでも」

[05]「少年探偵団のうた」

[06]「ヤン坊ニン坊トン坊」

[07]「赤胴鈴之助」

[08]「月光仮面は誰でしょう」

[09]「ちょっときてママ」

[10]「鉄腕アトム」

[11]「ふしぎなポケット」

[12]「とんぼのめがね」

[13]「いぬのおまわりさん」

[14]「サッちゃん」

[15]「ちいさい秋みつけた」

[16]「アイスクリームのうた」

[17]「ドレミの歌」

[18]「手のひらを太陽に」

[19]「おもちゃのチャチャチャ」

[20]「おもいでのアルバム」

 

 もちろん、これまでの100曲については誤りを訂正し、また、いくつかの曲については、全面的に書き直しましたが、私としては、従来の4つの章の流れは完成されていると思っていましたので、途中に曲を加えるということを一切せずに、そのままにして置きたかったので、上記の20曲を、従来の年代順に並べた第1章から第4章までの後に、「付章/さまざまなメデイアと子どもの歌」として加えました。

 単に「20曲増やしました」というものではないのです。この「付章」の扉のリードとして、以下の文章を添えました。

       *

前章でも見てきたように、「戦後」とは、言うまでもなく、それまでの十数年に対する大きな反省の上に立った「民主化」の歩みであった。それは、メディアの多様化の促進にも現われている。多くの雑誌が創刊され、民間放送局が誕生し、それがさらに、ラジオからテレビへと広がっていった。様々のメディアが大正デモクラシーの時代以上の活気を取り戻したのだ。そうした戦後社会のダイナミックな変化を、「メディア」をキーワードにもう一度見直したのが本章である。前章と時代が重なり合っているように見えるかも知れないが、その内実は「戦中派」と「戦後派」の違いほどに大きい。

       

 そして、追加の20曲の後に以下の「追記」を入れました。

       *

■永遠につづく〈戦後〉のために――付章の「追記」として

 本書は、最初の構想では第一章から第四章までの一〇〇曲で完結していた。それが、さらに二〇曲について言及する「付章」を加えることになったのは、いったん書き終えた私の中に、ひとつの釈然としない思いが残っていたからでもあった。「付章」の扉でも触れているように、戦後の動きを追った第四章は、第三章に描かれているような戦時体制下で、抑圧され、耐えに耐えていた童謡の担い手たちの熱い想いが弾け飛んだといった趣が強くなっている。だが、ほんとうの「戦後」は、もっと違うところにあるはずだし、それは、昭和三〇年代に、まだ小学生だった「団塊の世代」のひとりである私自身の幼少期の音楽体験とも、微妙にずれていると感じていた。言わば、戦争を知らずに育った私たちの世代の、まっさらな「戦後」を見て行こうという、「戦後童謡」の再説が必要だったのかも知れない。

 こうして新たに選択された「付章」の二〇曲は私にとって、ほぼ「同時代の[コンテンポラリー]音楽」そのものである。少年時代の私自身が、それぞれの歌の中にいる。本文では触れなかったが、冒頭の「みどりのそよ風」は、妹の手を引いてしばしば行った江戸川の土手の記憶と重なり合っている。そのほかにも、いくつかの曲で、私自身の思い出が顔をのぞかせてしまっているが、ご寛容いただきたい。二〇曲の選に漏れた曲は数知れないが、私としてはこの時代の様々な特徴がコンパクトに収まるように工夫したつもりである。

 この二〇曲が生まれた背景の調査は、予想以上に困難だった。時代が現在に近接していることから、関係者が存命で、それぞれの事情によって必ずしも真実を語っていない、ということもあったが、戦後の混乱期、勃興期の放送界の混乱、レコード会社の担当者の世代交代による混乱など、様々の要因がある。だが、かろうじて見えてきた事柄から、「核」になる人物や集団が浮かび上がってきたのは、相も変わらず「歴史」という大きなドラマの神秘でもあった。

 調査した昭和二〇年代初頭から三〇年代半ば過ぎまでのわずか十五年間に、どれほど凝縮された時間が流れていたか。そのなかで、特定の人々が、それこそ八面六臂の大活躍をしていたことを、私は改めて確認した。お読みいただければわかることだが、このわずかの時間に、増子とし、長田暁二、そして、ろばの会に参加していたサトウハチロー、佐藤義美、中田喜直、大中恩らの面々の残した仕事は大きい。また、ラジオからは、これまでの「レコード童謡」にはない、まったく新しい発想の音楽が生まれ、黎明期のテレビからは、鬼才・三木鶏郎の工房に直接・間接に関わった若い才能が次々に巣立って行った。

 こうした、少年時代に私が口ずさんだ歌のひとつひとつが、先の戦争に突き進んでいったこの国の文化のあり方に対する反省の産物だったのだということに、いくつかについては、この歳になってやっと気づいたということを、私は告白しなければならない。昭和三〇年代の子どもたちのヒーローが皆、一様に「正義の味方」を標榜していたのは、理由のあることだった。「戦後」という言葉は、戦争が終わったままだからこそ、言われ続け、使われ続ける。私たちの時代が、永遠に「戦後」と呼ばれることを、誰もが望んでいるはずだ。

 なお、「付章」が今日に近接した時代だったこともあって、ここでは、ことさらに私の推論が多かったと思うが、本書全般について、それはいくつか言えることでもある。これらについて、推論は、あくまでも私の推論であって、出典を明示できるようなものではないことをお許しいただきたい。出典を明示して列記するばかりが研究ではないはずだ。たとえ「推論に過ぎない」と打ち捨てられても、最初に声を挙げなければならないほどに確信のある推論もあるということをご理解いただきたい。むしろ、こうして公刊された後、多くの方々からの異論や、私の誤りへの指摘が出てくることをお待ちしている。それが「同時代」の活発さであることを、私たちの「戦後」は、皆、理解したはずなのだ。

            * 

 私としては、この本は、これで完結したと考えています。今の私の心境としては、この後の時代については、私に続く世代の方が書くべきだと思っているのです。

 何はともあれ、昭和30年代に、この国で育っていった世代の方を始めとして、その世代に育てられたいわゆる「団塊ジュニア」の方々を中心に、多くの方に楽しんで読んでいただきたいと思っています。いわば「3丁目の夕日」の時代ですね。

 この時代のことに関しては、ネット上に、さまざまの誤情報、勘違い情報、ねつ造情報が飛び交っています。子ども時代の思い出の歌を語る時に、お読みいただける本となることを願っていますし、子ども時代のことを語る祖父母や両親の時代のことに、若いみなさんが少しでも関心を持ってくださることを願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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N響の1960年世界一周公演ツアー記録のCD/カイルベルトとケルン放響/クレンペラーのドキュメンタリー

2017年02月01日 16時14分29秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

 

半年ごとに、新譜CDの中から書いておきたいと思ったものを自由に採り上げて、詩誌『孔雀船』に掲載して、もう20年以上も経ちました。2011年までの執筆分は、私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア刊)に収めましたが、本日は、最新の執筆分で、先週書き終えたばかりの昨年下半期分です。いつものように、詩誌主宰者のいつもながらのご好意で、このブログに先行掲載します。なお、当ブログのこのカテゴリー名称「新譜CD雑感」の部分をクリックすると、これまでのこの欄の全ての執筆分が順に読めます。

 

■伝説の「NHK交響楽団1960年海外公演」が初CD化

 日本のオーケストラによる初めての世界一周公演ツアーとして知られているN響の一九六〇年ツアーの演奏が、8枚のCDアルバムでキングインターナショナルから発売された。九月一日から十一月一日までの二ヶ月、三〇公演に及ぶものだから、もちろん「全貌」という訳ではないが、ツアー全体の様子がかなり俯瞰できるものになっている。同行の指揮者がまだ三〇歳にもならない若い岩城宏之と外山雄三、そして当時の常任指揮者ウィルヘルム・シュヒター。協奏曲のソリストとしてピアノが園田高弘、松浦豊明、そして、まだ一六歳だった中村紘子。チェロが一八歳の堤剛というメンバーだった。日本のオーケストラが本格的にクラシック音楽の演奏をするようになって、まだ数十年しか経っていない時期の記録として、このような体系的なリリースは貴重だ。このツアーのアンコール用に作曲された外山雄三『ラプソディー』が岩城、外山、シュヒターと、三人の指揮でそれぞれ収録されているのも凄い。岩城はワルシャワ、外山はローマ、シュヒターはロンドンでの公演。思わず、その三者三様を聴き比べてしまったが、改めて岩城宏之の自然で伸び伸びした音楽に感心した。だから、このアルバムの一枚目、冒頭に収められたモスクワ音楽院大ホールでの岩城が指揮するチャイコフスキー「交響曲第5番」が、まず、強く印象に残った。この曲はチャイコフスキーの交響曲の中で一番、日本人の演奏に向いていると思っているが、岩城のこの録音も、なかなかのもの。特に第二楽章のひた押しな音楽の運びには息をつかせない力がある。岩城が日本人として最初の『ベートーヴェン交響曲全集』録音を日本コロムビアにするのは、このツアーが終わって数年後、一九六七~八年のことだが、その下地が二ヵ月にわたって少しずつ固められて行く過程を聴く思いがするアルバムでもあった。岩城/N響には、一九六七年のチャイコフスキー『悲愴』のコロムビア録音もあるが、『悲愴』は、このツアーでも取り上げられていて、今回のアルバムではスイスでの公演が収録されている。『悲愴』は『第5番』以上に岩城にとって繰り返し取り上げられ録音も残されている曲目だが、その数ある岩城の『悲愴』の中で最も若い時の録音がこれだ。N響の『悲愴』には、一九五四年にカラヤンが指揮した貴重な録音もある。岩城の最後のN響定期でも『悲愴』が取り上げられていてCDが追悼盤として発売されているから、この曲で定点観測をしてみるのもおもしろいと思った。定点観測と言えば、もうひとつ、興味深いテーマがある。中村紘子のショパン『ピアノ協奏曲第一番』だ。彼女が「その曲のことを想っただけで、ふと胸がいっぱいになるような、自分の過ぎ去った日々のなかで何ものにもかえ難い価値をもって光り輝いているような、本当に特別な1曲」と表現したこの曲も、シュヒター指揮のロンドン公演で収録されている。これもまた、彼女の最初の録音である。中村は、この五年後にショパン・コンクールで同曲を弾き、その本選での伴奏者ロヴィッキ率いるワルシャワ・フィルと再会した一九七〇年の録音、更に、満を持しての一九八四年フィストラーリ指揮ロンドン響との録音がある。このツアーの記録からは、「怖いものなど何もない」といった活きのよいピアノが聞こえてくる。後年、「日本人が西洋音楽を演奏するとはどういう意味があるのか?」と自問自答する以前の中村紘子の演奏だ。私は、ふと、ケルンの放送局のライブラリーでみっちりと〈学習してしまった〉若杉弘が、そんな学習前に活き活きと日本人の感性をぶつけていたころの読響の演奏を思い出した。西洋音楽の学習は〈魔物〉なのだ。学習後の中村や岩城と、若杉の違いとは何だったのか? また、大きなテーマが生まれてしまった。


■カイルベルト/ケルン放送響の名演が4枚組で発売

 

 第二次大戦が終結して直後のヨーロッパで最もドイツ的だった指揮者というと、誰が思い浮かぶだろう。ひょっとすると、その筆頭に挙げられるのは、カイルベルトかも知れないと思うことがある。あとは、クナッパーツブッシュ、エーリッヒ・クライバーあたりだろうか? クレメンス・クラウス、ヨーゼフ・クリップス、カール・ベームといった名前は、ウィーン寄りだし、多くの人材がヒットラーの時代に国外へと散り散りになり、地歩を失っていたからでもある。そのカイルベルトの録音が、ケルン放送局(WDR)の正式なライセンスを得てWEITBLICKというレーベルから、4枚組CDアルバムで登場した。すべて最晩年一九六六年~六七年にケルン放送交響楽団を指揮したステレオ録音。東武ランドシステムから日本語解説付きで発売されている。ケルン放送局のライブラリーには多くの名演が保管されているが、今回のカイルベルトは特に音質もよいコンディションだ。曲目は、ベートーヴェン『田園』『コリオラン序曲』、ブラームス『第一』、マーラー『第四』、ドヴォルザーク『新世界』、モーツァルト『三三番』。ブラームスは、ベルリン・フィルとのテレフンケン盤をはるかに凌駕する名演で、この剛直で堂々とした音楽の歩みは貴重だ。『新世界』もそうだ。一方、この指揮者としてはめずらしいマーラーでは、この時代のマーラー解釈の限界も感じてしまったが、緩徐楽章の甘美な鳴らし方にはメンゲルベルクを思い出させるところもあって興味深い。モーツァルトがベートーヴェンのように聞こえるのも、いかにも、だ。どれも単に「往年の~」では済まされない、貴重な記録だと思う。


■クレンペラーのドキュメント映像は興味深いが――

 『クレンペラー・ドキュメンタリー』というDVD二枚、CD二枚に、かなりのページ数の書籍まで付いたセットが発売された。ドイツの「ART HAUS MUSIK」の制作だが、映像は日本語字幕が付いている。「ロング・ジャーニー~彼の生きた時代」と題されたドキュメントと、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮した一九七一年のラスト・コンサートに向けてのリハーサルや楽団員たちの証言ドキュメント、いずれも秀逸の映像に、そのコンサート本番全体を収録しCDが書籍とともにパッケージされている。CDは、二〇〇八年に英テスタメントから既に発売されているものと同内容だが、今回は、独ARCHIPHONにより「丹念なリマスタリングが施されている」と表記されている。だが、このCDに大いに疑問がある。有名なEMIのフルトヴェングラー/ウィーン・フィルの「未完成」もそうだったが、最近、リマスタリングによって演奏時間一〇分ほどのものが三〇秒以上も短くなることが多いのは、どうしたものか? 私は、ひとつには、最近の経験の浅いエンジニアが、機械的にピッチを「正しく修正」してしまうからではないかと疑っている。往年の名ディレクターのレッグなどの証言では、オーケストラの調律ピッチは国によっても、時代によってもマチマチだったという。クレンペラーがそうしたピッチを要求していたとしても不思議ではない。いずれにしても、このCD、テスタメント盤では互いの音を聞き分けるかのような絶妙の間合いだった木管の受け渡しなどが、奇妙にてきぱきしている。これがクレンペラーの指揮した音楽とは、とても思えないのである。


 

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