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ディーン・ディクソンのレコードコレクションのこと

2013年07月28日 12時56分38秒 | LPレコード・コレクション
 このところ話題にしている「ディーン・ディクソン」のレコードのことで、様々な訂正です。
 お恥ずかしいことですが、じつは、急に気が向いて、ディクソンのレコードを一まとめにしてある棚を、久しぶりに眺め始めたら、なんと、先日、私が「意外です」と書いた仏VOX盤を、私自身が持っていたのです。私がディクソンのレコードをムキになって集めていたのは、この世の中に「CD」などというものが現れるずっと以前、1970年代だったと思います。もう鬼籍に入る直前のようなオールド・レコード・マニアの方なら記憶しているかもしれない、東京・御茶ノ水の「バイロイト」という中古&輸入レコード店で偶然見つけたのが、最初の一枚だったと思います。そして、ほぼ一通りのコレクションが出来てしまったのが10年後くらいだったでしょうか。世の中は、CDがLPと並行して発売される時代になっていました。その後も、時折、別バージョンの同録音を見つけたりしましたが、それらをじっくり見比べて考えるのは「そのうちやろう」と思いながら、一箇所に寄せるだけになり、いつか、ディクソンについて書かなくてはと思い始めたのは、それから更に十年ほど経ってからのことですから、20年くらいほど昔の1990年代の半ばくらいでしょう。そして、それが果たせないまま、もう20年も経ってしまったのだと、ゆうべ、我が家のディクソン・コレクションを眺めながら、しばし感慨に耽ってしまいました。
 言い訳してはいけませんね。私自身の「ディクソン・コレクション」のこと、忘れていました。
 ――というわけで、先日、今村氏が指摘した仏VOX盤は、私の手元にありました。それで、米VOX盤が発売されたのかどうか、シュワンのバックナンバーで調べようとしたのですが、わかりませんでした。少なくとも1966年4月のシュワンには掲載されていませんでした。それ以前の米LPのカタログが、1950年台後半にまで飛んでしまって、60年代初期が見当たらないので、今のところ、わからないのです。ただ、仏VOX盤の番号「MV」は「MINI-VOX」シリーズのことで、10インチ盤です。A面が「ラプソディ・イン・ブルー」で、B面が「パリのアメリカ人」、表紙にはゴッホの「星月夜」が使われています。いわゆる、「名画シリーズ」ジャケットの一点です。音はモノラルです。
 そして、もう一枚、イタリアのレーベル「ジョーカー」からも1984年にステレオの30センチLPが発売されていました。これも私、持っていました。おそらく、東京・秋葉原にあった「石丸電気」の輸入盤バーゲンで購入したものだと思います。これは、70年代の「オリンピック」盤と同じく、オケ名称が「ウィーン交響楽団」となっています。
 私が「ディクソン論」を書くのがいつになるか、まだわかりませんが、とりあえず、なるべく早い時期に、「ディスコグラフィ」だけでも完成させて、この場所に掲載したいと、きょう、思いました。(最近、宣言をしないと動き出さない自分の性格の使い方が、少し、わかってきたのです。お笑いください。)ひょっとすると、ディクソンのレコードを買い集めたのは、世界中で私ひとりかも知れない、と思っているのですから、責任があります。忘れていた罪滅ぼしをしなければなりません。
 


 

  
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ディーン・ディクソンのガーシュイン録音についての続報

2013年07月25日 11時29分02秒 | エッセイ(クラシック音楽)
先日(7月19日)の当ブログに書いた「ディーン・ディクソン」のガーシュインの録音について、盤友の今村享氏からレポートが届きました。以下に全文を掲載します。
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ディクソンのガーシュインは、1963年には既に仏VOXのカタログに載っています(MV 213)が、米発売は確認出来ませんでした。
恐らく、VOXが提携していた様々の欧州クラブ・エディションによる制作だと思われます。
オケはVOXの‘発明’である、ウィーン“プロ・ムジカ”管という匿名表記が使われていますが、実体は昔からウィーン響と言われています。
VOXとエヴェレスト(オリンピック)は、70年代になってから互いに原盤を発売しあってます(ストコフスキー/NYスタジアム響など)から、ディクソンのガーシュインもそうした経緯で発売されたのでしょう。
しかし、4チャンネル盤だったとは意外でした。
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 私にとっては、ヴォックス原盤だったことが、予想外でした。たしか、私の手元のどこかに、米ヴォックスの古いカタログがあったと思いますから、今度見ておきます。VOXから発売されていたウィーン・プロムジカ管弦楽団の録音と言えば、ホーレンシュタインの第九もそうだったと思いますが、ウィーン交響楽団の変名なのですか。モノラル時代にはクレンペラー指揮で一連のウィーン響録音がありますから、サヴァリッシュのウィーン響録音がフィリップスから出始めたころ以降、フィリップスと専属契約をしてしまって、ヴォックスは、このオケの名称が使えなくなったのかな、と思いました。
 それにしても、仏盤が63年発売とは……。私の推論どおり、62年頃の発売だったようですね。じつは、先日は書きませんでしたが、私の推論の根拠は、私が持っている70年代発売のオリッピック盤のライナーノート(文字が滲んだりかすれたりしているので、明らかに先行発売盤から複写したもの)に、英文で「ディクソンがアメリカを去ってから13年の歳月が経った。」とあるからなのです。彼がヨーロッパに渡ったのは1949年ですから、13年後は1962年です。その英文解説には、ディクソンの言葉として、「私は、もはや、この国で安定したポストを求めようとは思わない。」と語ったともあります。米「TIME」誌からの引用とされています。フランクフルトの音楽監督に就任していた彼の、「悲しい負け惜しみ」が聞こえてくるようです。先日も触れた岩城宏之氏の文章では、ディクソンは最晩年に至っても、アメリカを「私の祖国」と言って、望郷の気持ちをずっと持っていたそうですから、ディクソンの本音は違っていたでしょう。この解説が掲載されているはずの米VOXの初出LPや「TIME」誌を探してみたくなりました。


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CD化されていたディーン・ディクソンのガーシュイン録音に、思わず感動した。

2013年07月19日 16時18分46秒 | エッセイ(クラシック音楽)
 本日は、少々気が向いたので、未定稿ですが、思うままに記します。

 昨晩帰宅したら、海外の通販にオーダーを出してあったCDが届いていた。私がかなり昔からこだわっていて、ほぼすべてのレコードを買い集めた、と密かに自負している指揮者「ディーン・ディクソン」指揮のウィーン交響楽団に、ピアノ独奏でヴィヴィアン・リヴキンが加わったガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」「パリのアメリカ人」である。
 ディクソンは、歴史上初めて、国際的なレベルに達した黒人指揮者として知られている。彼について語る人は少ないが、私は故・岩城宏之氏のエッセイ集『棒振りのカフェテラス』で、その存在を初めて強く意識した。アメリカの黒人排斥運動の犠牲者で、NBC響やニューヨーク・フィルを見事に振る実力を持ちながらも安定したポストを得ることが出来ず、第二次大戦後の1949年、40代半ばでヨーロッパに渡った。1961年から死の2年前の1974年までフランクフルト放送交響楽団の音楽監督として活動したのが最も長いキャリアとなったが、エーテボリ響、シドニー響などの首席指揮者も兼任していた時期があるし、ウィーンやロンドンのオーケストラとの米ウエストミンスターへの多くの録音は、ヘルマン・シェルヘンや、ロジンスキーに次ぐほどのレパートリーを示している。フランクフルトの放送局がヘッセン放送と名乗っていた時代から、エリアフ・インバルが音楽監督になるまでを繋いで、このオーケストラの歴史で最も重要な時期を背負った指揮者だったとも言える。
 ディクソンは1950年代の早い段階からウィーン国立歌劇場管弦楽団との録音が米ウエストミンスターにあるが、それはシューベルトやシューマンなどロマン派の作品が多かった。このヴィヴィアン・リヴキンとは、モーツァルトの協奏曲で共演している。おそらく、出身のジュリアード音楽院時代から交流のあるピアニストではないかと思うが、まだ確認していない。
 この今回入手したガーシュインは、同じジャケットデザインで、1974年に米エヴェレスト系の「オリンピック・レコード」というレーベルから発売されているものが私の手元にはある。なんと、当時日本のサンスイが開発した残響成分をリアスピーカーから出す「QSマトリックス4チャンネル」のマークが付いているものだが、音はかなり泥んこで、あまり状態の良くない放送録音と思われる咳払いなどもかすかに聞こえる録音だった。
 今回の「essential media group」というレーベルの「デジタル・リマスター」と称するCDも、その感じは同様で、特に全合奏での響きは、補助マイクがまったく立っていない音だが、LPの際には聴こえなかった木管の細部の動きは、かなりくっきりとしてきたと思う。ピアノのタッチもよく聴こえてくる。かなり左手の動きが独立した、達者なピアノだ。だが、そうしたディテールの話はやめよう。私が、とりあえず、思いつくままに書きたいと思った衝動に、素直に従うことにしよう。
 ディクソンは、おそらく、とてもよく振れる指揮者だったのだと思う。彼の録音はどれも、意図が明確で、音がよく摘まれた響きを聞かせる。そして、クリアなサウンドの底から、深い歌が浮き上がってくる。そういう音楽を聞かせる指揮者だったが、このガーシュインも、様々な要素が、劣悪な録音ながら、手に取るように聴こえてくる。じつに手の込んだ演奏を実現している。そして、そこに予想外の加速度が、しばしば、音楽のほとばしりとして迫ってくるのだから応えられない。これは、ガーシュインの音楽の奥底にある「切実なもの」に心からの共感を感じている人が、その指揮棒の技術をフルに発揮して、大国の分割統治という戦後の政治的混乱と様々な圧力を経験してきたウィーンの音楽家たちとで成し遂げた奇跡的な演奏だと思う。この演奏の独特の熱気には、思わず感動してしまう。(そこまで私に感じさせたのは、今回のリマスターの力だと思う。)思えば、ガーシュインの音楽が作曲者自身の考えていたような存在意義を持っていた時代は、いつの間にか、私たちから遠ざかってしまったのだ。
 このディクソンとウィーン響との録音は、LP時代から、録音年月日、録音場所などの表記が一切ないのだが、私の所有しているLPのライナーノート(おそらく、リプリント)の記述から推して、オリジナルレコードの発売は1962年頃と思うので、そのころの録音と推定しておこう。(前述の「QSマトリクス」のマーク付きのLPは「(P)1974」とあり、規格番号は「OL8121」)ちょうどフランクフルト放送のポストを得た頃である。
 なお、このCD、曲順が「パリのアメリカ人」「ラプソディ・イン・ブルー」となっているが、これは、LP時代のA面、B面からずっと間違っている表記だ。聴けばすぐわかる間違いだが、困ったことである。
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CD化されていたディーン・ディクソンのガーシュイン録音

2013年07月19日 15時05分31秒 | エッセイ(クラシック音楽)
 本日は、少々気が向いたので、未定稿ですが、思うままに記します。

 昨晩帰宅したら、海外の通販にオーダーを出してあったCDが届いていた。私がかなり昔からこだわっていて、ほぼすべてのレコードを買い集めた、と密かに自負している指揮者「ディーン・ディクソン」指揮のウィーン交響楽団に、ピアノ独奏でヴィヴィアン・リヴキンが加わったガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」「パリのアメリカ人」である。
 ディクソンは、歴史上初めて、国際的なレベルに達した黒人指揮者として知られている。彼について語る人は少ないが、私は故・岩城宏之氏のエッセイ集『棒振りのカフェテラス』で、その存在を知った。アメリカの黒人排斥運動の犠牲者で、NBC響やニューヨーク・フィルを見事に降る実力を持ちながらも安定したポストを得ることが出来ず、第二次大戦後の1949年、40代半ばでヨーロッパに渡った。1961年から1974年までフランクフルト放送交響楽団の音楽監督として活動したのが最も長いキャリアとなったが、エーテボリ響、シドニー響などの首席指揮者も兼任していた時期があるし、ウィーンやロンドンのオーケストラとの米ウエストミンスターへの多くの録音は、ヘルマン・シェルヘンや、ロジンスキーに次ぐほどのレパートリーを示している。フランクフルトの放送局がヘッセン放送と名乗っていた時代から、エリアフ・インバルが音楽監督と成るまでを繋いで、このオーケストラの歴史で最も重要な時期を背負った指揮者だったとも言える。
 ディクソンは1950年代の早い段階からウィーン国立歌劇場管弦楽団との録音が米ウエストミンスターにあるが、それはシューベルトやシューマンなどロマン派の作品が多かった。このヴィヴィアン・リヴキンとは、モーツァルトの協奏曲で共演している。おそらく、出身のジュリアード音楽院時代から交流のあるピアニストではないかと思うが、まだ確認していない。
 この今回入手したガーシュインは、同じジャケットデザインで、1970年前後に米エヴェレスト系の「オリンピック・レコード」というレーベルから発売されている。なんと、当時日本のサンスイが開発した残響成分をリアスピーカーから出す「QSマトリックス4チャンネル」のマークが付いているが、音はかなり泥んこで、あまり状態の良くない放送録音と思われる咳払いなどもかすかに聞こえる録音だった。
 今回の「essential media group」というレーベルの「デジタル・リマスター」と称するCDも、その感じは同様で、特に全合奏での響きは、補助マイクがまったく立っていない音だが、LPの際には聴こえなかった木管の細部の動きは、かなりくっきりとしてきたと思う。ピアノのタッチもよく聴こえてくる。かなり左手の動きが独立した、達者なピアノだ。だが、そうしたディテールの話はやめよう。私が、とりあえず、思いつくままに書きたいと思った衝動に、素直に従うことにしよう。
 ディクソンは、おそらく、とてもよく触れる指揮者なのだと思う。彼の録音はどれも、意図が明確で、音がよく摘まれた響きを聞かせる。そして、クリアなサウンドの底から、深い歌が浮き上がってくる。そういう音楽を聞かせる指揮者だったが、このガーシュインも、様々な要素が、劣悪な録音ながら、手に取るように聴こえてくる。じつに手の込んだ演奏を実現している。そして、そこに予想外の加速度が、しばしば、音楽のほとばしりとして迫ってくるのだから応えられない。これは、ガーシュインの音楽の奥底にある「切実なもの」に心からの共感を感じている人が、その指揮棒の技術をフルに発揮して、大国の分割統治という戦後の政治的混乱と様々な圧力を経験してきたウィーンの音楽家たちとで成し遂げた奇跡的な演奏だと思う。この演奏の独特の熱気には、思わず感動してしまう。(そこまで私に感じさせたのは、今回のリマスターの力だと思う。)

 なお、このCD、曲順が「パリのアメリカ人」「ラプソディ・イン・ブルー」となっているが、これは、LP時代のA面、B面からずっと間違っている表記だ。聴けばすぐわかる間違いだが、困ったことである。
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イギリス作曲界の鬼才アーノルドの自作指揮をまとめて聴くアルバムの楽しさは、ホフナング音楽祭の源流?

2013年07月18日 16時49分23秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、第二次大戦後のイギリスの音楽状況の流れをトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログでは、このシリーズの特徴や意義について書いた文章を、さらに、2010年11月2日付けの当ブログでは、このシリーズを聴き進めての寸感を、それぞれ再掲載しましたので、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 ――と、いつも繰り返し掲載しているリード文に続けて
以下の本日掲載分は、同シリーズの97枚目。

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【アルバムタイトル】「マルコム・アーノルド自作自演集」
【日本盤規格番号】CRCB-6108~9(2枚組)
【曲目】アーノルド:ピーター・ルー序曲 作品97
  :2台のピアノ(3手)のための協奏曲 作品104
  :シメオンの歌(キリスト降誕の仮面劇) 作品69
  :ヴィオラ協奏曲 作品108
  :4つのコーンウォール地方の踊り 作品91
  :フェアフィールド序曲 作品110
  :2つのヴァイオリンのための協奏曲 作品作品77
  :独奏ハープのための幻想曲 作品117
  :シンフォニエッタ第1番 作品48
  :ホルン協奏曲第2番 作品58
  :ブレイクによる5つの歌 作品66
【演奏】マルコム・アーノルド指揮
  BBC交響楽団/イギリス室内管弦楽団
  ノーザン・シンフォニエッタ/ロンドン・フィル
  アンブロジアン・シンガーズ
  イアン・パートリッジ(テノール)
  ロジャー・べトス(ヴィオラ)
  アラン・ラウディ/フランシス・メイソン(ヴァイオリン)
  オシアン・エリス(ハープ)
  アラン・シヴィル(ホルン)
  パメラ・ボウデン(コントラルト)他
【録音日】1966年~1977年

■このCDの演奏についてのメモ
 まさか、マルコム・アーノルドの作品を、これほどまとまって聴くことができるとは思わなかった。《BBC-RADIO クラシックス》ならではの快挙だ。この、必ずしも前衛的ではないが現代感覚にあふれた作曲家は、日本では広く知られているとは言えないが、イギリスでの大衆的人気は、かなりのものだという。そうしたアーノルドの音楽の裾野の広さを聴くに相応しいアルバムの登場だ。
 このアルバム・ジャケットの表紙を飾るコミカルなイラストの作者は、いまだに「冗談音楽祭」の元祖として語り続けられているジェラード・ホフナング。自身ではたった2回の音楽祭を主催しただけで30歳代の半ばで急逝してしまった奇才の筆によるものだ。アーノルドは、その1956年の第1回コンサートから参加をしており、親交も厚かった。(本日のブログ冒頭の写真を参照)
 音楽に対する深い教養と、ウィットにあふれたジョークを満喫できたホフナング音楽祭は、イギリス人のユーモア感覚を抜きにしては語れないが、アーノルドが、こうした音楽のあり方に理解を示していたということは、冒頭の『ピータールー序曲』にも、よく現われている。また、シリアスな音楽と軽音楽的な親しみやすさが混在した『2台のピアノのための協奏曲』や『4つのコーンウォール地方の踊り』の語り口も、ロンドンのライト・コンサートの楽しく充実した世界を思い起こさせるような出来栄えだ。
 『シメオンの歌』は、そうしたアーノルドの音楽の幅の広さが見事に結実した傑作。闊達なリズムの明るさや、自由で伸び伸びした中に詩情が漂い、堂々と締めくくられる音楽は、やがてアンドリュー・ロイド・ウェッバーの『キャッツ』に行きつく長い伝統のあるイギリス・ミュージカルを生んだ、この国の音楽風土の、幸福な部分の典型のひとつだ。演奏も充実した内容で、ロンドンっ子たちが拍手喝采するのは、こうした率直さなのだということを思い出させる。
 アーノルドはメロディストとしても才能のある人で、そのため、様々の独奏者のために書かれた協奏作品も多い。『ヴィオラ協奏曲』の第1楽章の旋律の美しさは特筆ものだ。また『ホルン協奏曲第2番』も名人芸的な演奏技術の披露にとどまらない魅力的な旋律に彩られた作品だ。デニス・ブレイン亡き後のイギリスを代表するホルンの名手アラン・シヴィルの名技で聴けるのはうれしいが、夭折の天才ブレインとの初演の録音をぜひ聴いてみたかったとも思う。なお、アーノルドの協奏曲には、このほか『クラリネット協奏曲第2番』がクラリネットの名手ベニー・グッドマンの委嘱により作曲され、アーノルド指揮で、モーツァルトの協奏曲の演奏とともにBBCで録音されているが、今回のアルバムに収録されていないのは残念だ。(1998.4.20 執筆)

【当ブログへの再録に際しての追記】
 文中で言及している「クラリネット協奏曲第2番」は、ザビーネ・マイヤーと、その兄、ヴォルフガング・マイヤーによる「ベニー・グッドマンへのオマージュ」と題されたCDアルバムで聴くことが出来る。
 デニス・ブレインの演奏した「ホルン協奏曲」初演の録音は、この原稿の執筆後に入手して、私の手元にあるように記憶している。只今探索中です。
 


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蘇った諏訪根自子/バルエコのギターで聴くバッハ/ザビーネ・マイヤーのジャズ/マゼールの近況に思う

2013年07月03日 11時49分52秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
 詩誌『孔雀船』で、半年に一度、「リスニング・ルーム」と題する新譜CDへの雑感を書いています。本日は、その最新原稿。昨日下版したばかりの今年上半期分ですが、4つのアイテムが連想的につながってしまいました。なお、掲載写真は、その雑誌用にグレースケールでスキャニング処理したので、モノクロになっています。

■大正ロマンの源流「諏訪根自子」がCD2枚組で帰ってきた!

 私は数年前から、西洋のクラシック音楽がどのようにして日本人のものになってきたかを、様々な角度から探っている。そのささやかな成果の一つが一昨年刊行された『ギターと出会った日本人たち――近代日本の西洋音楽受容史』(ヤマハミュージックメディア)だが、その延長でこのところ調べているのが、大正期の乙女文化と西洋音楽との関係だ。最近、その背後に大正から昭和にかけて各社から続々と刊行された様々な少女雑誌や、竹久夢二の表紙画で一世を風靡した『セノオ楽譜』に象徴される特有の「時代の気分」が漂っていることを確信するようになったが、諏訪根自子は、その流れの中で重要な演奏家の一人だ。だが、私はこの天才少女の名を一九七〇年代に、「奇跡の復活」と喧伝されてバッハの無伴奏ソナタとベートーヴェンのソナタがキングレコードから発売された際には、失礼ながら「面白半分」に聴いた程度で済ませてしまっていた。(この時期、じつは私自身、自分がその後、日本人の西洋音楽受容史研究に首を突っ込むなど、思ってもいなかった。)今回発売された2枚組CDは、メンデルスゾーンの協奏曲をわずか十歳で弾き、時の名手ジンバリストを驚嘆させた彼女が離日前、一三歳から一五歳までに日本コロムビアに録音した全てである。昭和八年から一〇年。私はこの少女が既に、ただ「巧い」のではなく、私たち日本人の感性で豊かな音楽を奏でている事実に驚嘆した。歴史を見る目が変わってしまった録音である。

■マヌエル・バルエコのギター・ソロで、バッハを聴く

 私が前項で触れた「日本人の西洋音楽受容史」に関心を持つきっかけとなったのは、山下和仁のギター独奏による『黎明期の日本ギター曲集』というCDの解説に取り組んだことからだった。その山下が天才少年と称賛されてデビューした十八歳から数年後、新境地を拓くべく、ギター独奏版に自ら編曲してバッハの無伴奏チェロ曲に挑戦した事はよく知られている事実だ。思えば山下が、西洋音楽に触れて間もない黎明期の日本人作品に関心を持ったのは、彼なりの二度目の転機だったのだろう。その彼の最初の転機にあたって取り組んだ音楽が、いわゆる西洋クラシック音楽の規範ともいうべき「大バッハ」の世界だったというのは、当然のことであった。誤解されてしまう可能性を畏れずに言えば、バッハは、音楽という本来不分明な世界にデジタルな感覚を持ち込み、体系化を完成させた偉大な人物である。だからこそ、「西洋的な音階」の「規範」なのだ。キューバ生まれのバルエコもデビュー当時からバッハ作品のギター独奏への編曲演奏に取り組んでいるが、この一九九五年にEMIに録音された「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ」第1番、第2番、第3番は、久々の再発売国内盤。その驚異のテクニックから紡ぎ出される均一な音の洪水から生まれる多声の音の粒が、あたり一面に投げ出され響きあう。その美しく澄んだ世界が西洋音楽という、東洋の、あるいはアジアの文化と明らかに異なる世界の本質でもある、と思う。

■ザビーネ・マイヤーの郷愁のアルバムは「ジャズ」?

 このCDと前項のバルエコの2枚のEMI盤は、何と「ユニバーサル発売」のEMI国内盤である。レコード界の不況による会社再編は、ついに「グラモフォン」「デッカ=ロンドン」「フィリップス」「EMI」という大レーベルが、ユニバーサル一社に統合されるという事態になったわけだが、さて、この『ベニー・グッドマンへのオマージュ』と副題されたアルバムは、偉大なジャズ・クラリネット奏者として著名なベニー・グッドマンと、その彼の良きライバルとして双璧だったクラリネット奏者ウディ・ハーマンのためにそれぞれ書かれた作品を中心にしたアルバムである。かつて、カラヤンに嘱望されてベルリン・フィルの首席奏者を務めたこともあるザビーネと、兄のヴォルフガングに、かつてはドイツでもことさらに重厚なサウンドで知られていたはずのバンベルク交響楽団が共演。意外な内容だが、出てくる音楽はベスト・コンディションだ。CDに付されたライナーノートによれば、マイヤー兄妹の父親はクラシック音楽のピアノ教師だったが、大のジャズ・ファンでもあったそうで、ドイツで最も早くからジャズバンドを組織していた人物だという。曲はアーノルド、コープランド、ストラヴィンスキー、バーンスタインのクラリネット協奏曲作品に、グッドマン楽団の人気曲を加えたもの。二〇世紀の西洋クラシック音楽の重要な潮流のひとつとして、ジャズが与えた影響は大きい。それが、ここにもひとつ花ひらいている。

■マゼール/ミュンヘン・フィルのブルックナー「第3」に思う

 バッハ以来の西洋音楽が、西洋人自らの手によって解体され始めたのがロマン派の時代だとすると、それを再構築し、新たな要素を挿入することで変容させようとしたのが二〇世紀だった。私たち日本人は後衛の位置からそれを追い続け、アメリカという新大陸は、西洋人社会の中で、そうした伝統文化のない地の自在さで、二〇世紀音楽の前衛を切り拓いてきた。ロリン・マゼールという音楽家は、こうした時代を最も先鋭に、鏡のように映し出して見せてくれた天才だった。七、八年刻みであたかも振り子のようにアメリカとヨーロッパを交互に活動の舞台としてきたマゼールは、現在は四度目の渡欧というか帰欧の地としてのミュンヘン・フィルハーモニー音楽監督の地位にある。前任地が二〇世紀芸術を象徴するニューヨークだったというのも面白い。昨年、マゼールはNHK交響楽団を初めて振った。マゼールの細部をゆるがせにしない指示はどうやら健在だったようで、N響は最後までコチコチで、じつに窮屈な音楽を聞かせたが、その分だけ、マゼールの意図もむき出しになっていた。それはN響という日本のオーケストラが、まだ西欧文化と四つに組み合う固有の音楽文化を醸成できていないことから起こることだと思う。ミュンヘン・フィルとの新しいCDのブルックナー演奏は、自意識の過剰を武器としてその音楽キャリアを始めたマゼールが、音楽の自発性を信じ始めた末に到達した境地を垣間見る思いがする。つい最近のラトル/ベルリン・フィルにも、それは言えることだが、これらが何を意味しているのか? 彼らが何を捨て何を掴もうとしているのか? 答えはまだ出ていない。光は、東方から射すかも知れない?

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再び、「オーディオファイル」という用語について

2013年07月02日 14時54分37秒 | 雑文
コレクター仲間の今村享氏から、メールが届きました。やっぱり、詳しいですね。ありがとうございます。さまざま、納得しました。以下に今村氏のメール全文を掲載します。
  ===================
audiophileは比較的新しい言葉ですが、LP時代になって間もなく生まれ、少なくとも半世紀は経って、一応一般的に認知されるようになった用語と言えるでしょう。
辞書には‘ハイファイ愛好家’などの訳語が採用されていますから、確かに‘オーディオファイル・ファン’は‘ハイファイ愛好家のファン’という事になってしまい、無理やりこじつければ、誰かカリスマ的オーディオファイルが居て、その人のファンという、ちょっと違った意味になってしまいます(かなり強引な曲解ですが)。
しかし、実はこれが奇しくも‘オーディオファイル’アイテム蒐集家たちの実態を言い当ててもいるのです。
ご指摘のように、海外の通販リストにはaudiophileというコーナーが存在するものが多数あり、そこには様々な記号が付いています。
これ等の記号は、正に或る特定の雑誌に由来するものを指していて、それがThe Absolute Sound誌(TAS)の編集長、Harry Pearson氏(HP)が推奨するHPリストに載っているアイテムであるという訳です。
日本でも似たものがあった事を、多分覚えておられると思いますが、それは長岡鉄男氏の選んだ一連のレコードです。
このように、オーディオファイル・アイテムとは、特定の個人(HP)が推奨するアイテムの事であり、狭義には彼のリストに載ったもの、広義にはTASの中で言及された(HP以外の執筆者たちも含む)ものや、もっと広く解釈して、オーディオファイル・アイテムが多く存在するレーベル(マーキュリー、RCA、EMI、英デッカ等)を丸ごと載せるなどの方式を採っているようです。
つまり、今のオーディオファイルとは、特定のアイテム、或いは、それ等を含むレーベルを蒐集する趣味の人たちの事であり、昔の無邪気なハイファイ・マニアとは異なる人たちと言えるでしょう。
  ===================
――ということのようです。私が、「オーディオファイル・ファン」という珍妙な「日本語」を使ってしまい、その後、「オーディオファイル・アイテム」のファンだのと、試行錯誤してしまったのも無理からぬ事、というわけで、これからは、「オーディオファイル・マニア」とでも呼ぶことにしましょう。


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