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指揮者グイド・カンテルリをめぐって

2010年05月26日 13時58分46秒 | クラシック音楽演奏家論




 以下は、1994年11月に発行された拙著『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』(洋泉社)の「第2章 こだわりの名演奏家」の中に収録された「グィド・カンテルリ」の部分です。

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 グイド・カンテルリは、一九五六年一一月二四日に飛行機事故により、わずか三十六年の生涯を終えてしまった指揮者だ。一九五八年度からスカラ座の音楽監督に就任が決っていたが、それを果せずに世を去ってしまった。イタリア系の指揮者で、トスカニーニにその才能を高く評価されていたが、その演奏は、トスカニーニとは大きく異なり、深々とした呼吸の音楽に特徴があった。アポロ的とも言える澄んだ響きの構成感のくっきりした音楽と、伸びやかな歌を内に取り込んだ深く沈み込む情感とが一体となった彼の指揮は、そのまま生き続けていたならば、どれほどの巨匠となって、今日の私達の耳を楽しませてくれただろうか、と思わせる。
 カンテルリの演奏は、放送テープからの非公式のCDが数多く出ているが、EMI系の英HMVに、かなりの量の正規録音を残している。その中には、ミラノ・スカラ座管弦楽団とのチャイコフスキー「第五」の名演があり、また当時英HMVと提携関係にあった米RCAにはNBC響とのフランク「交響曲」、ハイドン「九三番」、ヒンデミット「交響曲《画家マチス》」、ムソルグスキー~ラヴェル「展覧会の絵」もあるが、その他は全てフィルハーモニア管との録音だ。ベートーヴェン「第七」、メンデルスゾーン「イタリア」、シューベルト「未完成」、シューマン「第四」、ブラームス「第一」「第三」、チャイコフスキー「悲愴」、モーツァルト「二九」などの交響曲の他、ワーグナー、ドビュッシー、ラヴェルなどの管弦楽曲やモーツァルト「音楽の冗談」など、かなり広範囲にわたっている。また、米コロンビアに一枚だけ、ニューヨーク・フィルを振ってヴィヴァルディ「四季」を入れている。LPで十七枚程度が、カンテルリの正規録音の全てだ。
 この内、モーツァルト「二九番」「音楽の冗談」、シューベルト「未完成」、ブラームス「第三」、ベートーヴェンの「第七」、フランク、の六曲はオリジナルのステレオ録音が残されている。
 スカラ座管とのチャイコフスキー「第五」は短かったカンテルリの生涯の中で、エポックとなったレコードのひとつだ。一九五〇年に録音されているが、この録音はスカラの本拠地ではなく、演奏旅行の途上のロンドンで、しかも二日間だけの苦しい日程で録音されている。録音に先立って、その仕上りがかなり懸念されたが、指揮を担当する若いカンテルリ(当時まだ三〇歳!)は、「だいじょうぶだ、心配するな」と答えて、実際、録音スタッフが満足する出来栄えをやってのけたと、当時の関係者が証言している。特に第二楽章の息の長いフレージングで歌い継いでいく流れは美しい。
 このレコーディングの成功によって、カンテルリの本格的な録音活動が英HMVによって開始された。起用されたオーケストラはフィルハーモニア管弦楽団。おそらくこのオーケストラは、カンテルリの音楽性との相性が最も良かったオーケストラだと思う。残されたレコードはいずれも名盤だが、特にモーツァルト「二九番」、シューマン「四番」、メンデルスゾーン「イタリア」が印象に残っている。
 カンテルリには、その突然の死のために未完に終わった録音がある。ベートーヴェンの「第五」だ。第二楽章から録音を開始し、第二楽章のみ完成したテイクがある。(この第二楽章から第三、第四楽章までのリハーサルの模様は米トスカニーニ協会の私家盤で聴くことができる。)この未完のまま埋もれてしまった「第五」の第二楽章がたった一度、陽の目を見たLPがある。一枚のLPとしての整合性のために、他の既発売のカンテルリの交響曲録音からの楽章抜粋を加えて、死の一年後に発売されたものだ。表紙をカンテルリ夫人のイリス・カンテルリが描いたカンテルリのカラー肖像画が飾っている。
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 この稿の執筆後、一九九四年になって英テスタメントから発売されたCDに、このベートーヴェンの「第五」の第二、第三、第四楽章が収められている。ステファン・ペティットとジョン・ハントがまとめた「フィルハーモニア管弦楽団完全ディスコグラフィ一九四五~一九八七」によれば、カンテルリのOKが出たテイクは第二楽章のみで、第三、第四楽章はリハーサル、第一楽章はまったく手つかずだったと注記されている。これは、かなり信憑性のある記載だと考えて良いので、今回CD発売された第三、第四楽章は、カンテルリ自身は完了したとは考えていなかったテイクなのだろう。いずれにしても、前記のカンテルリのセリフ混じりのリハーサル録音のように音が割れた状態ではなく、音質的には、まったくの完成品になっている。カンテルリの最後の録音として、もうこれ以上は出てこないだろう。おそらく幻の第一楽章は永遠に聴くことができない。
 ところで、蛇足ながら、前述の「ディスコグラフィ」によると、ベートーヴェンの「第七」が五月二九、三〇、三一日録音、「第五」が三一日、六月一日、モーツァルトの「二九番」を二、四日で録り終えた後、「第五」の録音を四、五日に再開したが完了せず、そのまま演奏旅行に旅立ってしまったことになる。同時期に録音された二曲がステレオなのに、「第五」だけがモノラルなのは、ステレオが実験段階にすぎなかったとは言え少々不自然だと思っていたら、やはりステレオのテイクが存在していた。今回のテスタメントのCDはステレオで発売されたのだ。
 なお、テスタメント社は、英EMIと提携し、直接マスター・テープの提供を受けてEMIのスタジオでリマスターの作業を行っている会社で、音質的に問題がない正規盤であるだけでなく、レコード未発売のカンテルリの小品録音の初発売など、意欲的な活動を続けている新興レーベルだ。


【ブログへの再掲載に際しての追記】
 ここまでが、1994年11月に発行された『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』(洋泉社)に掲載されている文章です。発足間もないころの英テスタメント社の紹介に紙幅を費やしていることで、当時の状況が偲ばれますが、その後、最近になって書き足したことがあるので、以下に掲載します。
 2009年5月に発行された許光俊・鈴木淳史編『クラシック・スナイパー/4』(青弓社)の「特集・クラシックと死」に寄稿した「死を予感する演奏・予期せぬ死に遭遇した演奏――「名盤・奇盤の博物学」番外篇として」のカンテルリに関する部分の抜粋です。許氏からとても興味深いテーマを提示されたので、おもしろく筆が進みました。まだ通常購入が可能ですので、ご興味のある方にお読み戴ければ幸いです。

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 ところが、英EMIからマスターテープの供給なども受けているアーカイブ的CD制作会社、英テスタメント社から、第二楽章に続けて、第三楽章、第四楽章を収録したCDが発売された。これは、一九七〇年代に米トスカニーニ協会から非公式に発売されたレコードで聴ける録音時のリハーサルの模様からも想像できることだが、リハーサルそのものは繰り返し行われているから、それをきれいに繋げば、一応、第三、第四楽章は出来上がるということではある。かなり良質の音で通して聴けるようになったから、私も率直に言って感謝はする。だが、それは、カンテルリの意志に背く行為であるということは、しっかりと心に刻んで置かなくてはならないと思う。繰り返すが、カンテルリがOKのサインを出したのは第二楽章だけなのである。
 カンテルリが、この曲を、そのような順序で録音していたということは、別の意味で興味深い。つまり、カンテルリにとって音楽は、エモーショナルな心の動きであることよりも、精緻な設計による響きが優先していたということかも知れない。これは、二〇世紀後半の様々な演奏家の軌跡を既に見てきた私たちにとって、複雑な感慨の及ぶところである。カンテルリは、ベートーヴェンが描いた堅固な建造物の設計を、この順序で辿り、最後に残った第一楽章を、じっくりと解体して再構築して聴かせたかったのだと思う。それが、同じベートーヴェンの『交響曲第七番』を、熱っぽく演奏せず、すなわちディオニソス的ではなく、あくまでも明晰に、アポロ的に演奏してのけたカンテルリの狙いだったと思う。だが、『第五』の録音は未完で終わってしまった。それが、私たちに突きつけられた事実である。



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ロジェストヴェンスキーとBBC響が、ヴォーン・ウイリアムズの交響曲演奏で聴かせた「平和への祈り」

2010年05月25日 10時58分24秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第1期30点の25枚目です。


【日本盤規格番号】CRCB-6035
【曲目】ヴォーン・ウイリアムズ:交響曲第5番 ニ長調
               :オラトリオ「聖なる市民」
【演奏】ロジェストヴェンスキー指揮BBC交響楽団、
    ガース・ロバーツ(テノール)ブライアン・レイナー・クック(バリトン)
    BBCシンガーズ、BBC交響合唱団
【録音日】1980年10月22日、1979年11月21日    


■このCDの演奏についてのメモ
 ヴォーン・ウィリアムズの交響曲のなかで、「交響曲第6番」と並んで第2次世界大戦の暗い影を宿した「交響曲第5番」の、平和への深い想いを真正面から見据えて、澄み切った静けさを緊張感の持続した中に実現している演奏だ。ヴォーン・ウィリアムズとも縁の深いBBC交響楽団を指揮をしているのは、政治的に難しい立場に居ながらも、1978年から82年までこのオーケストラの首席指揮者をしていたロシア(当時のソビエト連邦)の指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー。
 彼は、この貴重なロンドン体験の間、数多くのイギリスの作曲家の作品に接しているが、当CDは、その成果のひとつと言ってよいだろう。ロジェストヴェンスキーの、音に対する鋭敏な感覚と的確で鮮やかな指揮の技術が、この曲の響きの、ほぼ理想的な名演を生み出している。これはBBC交響楽団の創設50周年記念のシーズンの録音だ。
 なお、この「交響曲第5番」には、同じBBC交響楽団で、現在の首席指揮者であるアンドリュー・デイヴィスが92年に録音したCDも発売されている。(1995.9.16 執筆)


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ブラームス:「ピアノ協奏曲第2番」の名盤

2010年05月21日 14時25分15秒 | 私の「名曲名盤選」




 2009年5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第43回」です。


◎ブラームス:ピアノ協奏曲第2番

 この曲は、通常の協奏曲の範疇には収まらない巨大な交響曲的展開を聴かせながら、時として、ピアノの独奏部とオーケストラとのやりとりに室内楽的な精緻さが求められるという難曲だ。
 バレンボイム/バルビローリ盤は、バルビローリ特有の節回しに染めあげられた演奏で、繰り返し寄せては返す音楽の深く息の長い呼吸に呑み込まれた独奏者が、オーケストラと一体になった演奏。全員が一丸となって昇りつめていく第2楽章や終楽章、息をひそめて見つめ合う第3楽章など、オーケストラの一員であるかのように同化しているピアノとの一体感に、この演奏の最大の特徴がある。こうした交響曲的演奏では、最も感動的な永遠の名演と信じて疑わない。
 リヒテル/マゼール盤では、どちらも一筋縄ではいかない二人の個性が、互いに息を詰めて相手の出方を探るような緊張を生んで興味深い。第3楽章ではリヒテルの徹底して内向的なピアノに、マゼールは、ひっそりとしたたたずまいを維持しながら、きめ細かくニュアンスを添えていく。出口を求めてさまようピアノのファンタジックな趣きと、それを絶妙のオーケストラ・ドライブで支えていくマゼールとの室内楽的アプローチの最良の成果だ。第4楽章に至っても、彼らの〈内なる音楽〉を探求する姿勢は変らない。不思議な緊張の持続で、内省的なブラームスの世界を徹底して探索し通した特異な演奏だ。
 一方、この曲がブラームスの二度目の南欧旅行の所産であるとする考えに立てば、ポリーニ/アバド盤のきらきらした目映さは、〈開放されたブラームス〉という、リヒテル盤とはまったく異なった面を聴かせる。彼らは第2楽章ではメンデルスゾーンの「イタリア交響曲」のような光と翳の交錯を聴かせて積極的に前進する。終楽章の躍動感も、このコンビならではの開放感にあふれている。

 

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ブラームス:「交響曲第4番」の名盤

2010年05月20日 14時17分35秒 | 私の「名曲名盤選」




 2009年5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第42回」です。


◎ブラームス:交響曲第4番

 古い演奏から書き始めよう。例えばメンゲルベルク/コンセルトヘボウ管の38年録音はテンポの頻繁な変化でこの曲の情感を表現しようと悪戦苦闘したもので、もともと〈古典への回帰〉を目論んでいたブラームスにとって、いらぬお節介なのだが、作品そのものにそうした誘惑があることも事実だ。これほどに極端な例は今日ではまずないが、こうしたテンポの揺れは、後の時代の演奏からも聴くことのできるものだ。
 一方、ヴィクトール・デ・サバタ/ベルリン・フィルの39年録音は、軽くかかるポルタメントが時代を多少感じさせるが、ロマン的というより、古典的造形感がきっちりとした演奏だ。テンポの変化よりも、終止符、付点音符、三連符、スタカート指定などを効果的に音化した率直なアプローチだ。悠然と、淡々と、そしてひっそりとした内省的な思索もあり、ブラームスの演奏様式として戦前の規範的演奏だ。
 デ・サバタが示したような、ブラームス特有の立止まっては動くリズムの形をかっちりと聴かせ、寄せては返す振幅にバネの聴いた理想的なブラームスの語法を実現した演奏に、クレンペラー/フィルハーモニア管がある。ひんぱんに繰り返される高域への大きな跳躍も、悲しいほどにせつない。
 ある意味で、これと対極と言ってよい柔和な表情と、一貫して遅めのテンポを守り通した演奏がバルビローリ/ウィーン・フィルだ。一音ずつ確かめるように開始され、弦は大きく弧を描くようにレガートする。重い腰を何度も持ち上げ直すような音楽の運びは、もう一方の理想のブラームスだ。
 アバド/ベルリン・フィルの録音は、全体を大きく包み込む滔々とした歌にあふれ、堂々とした構えながら、響きはよく芽が摘まれている。これはデ・サバタのスタイルを現代に生かした演奏ととも言える演奏だ。

《ブログへの掲載にあたっての追記》
 この「名盤選」は私の考え方で、通常の「作曲者アルファベット順」ではなく、「作曲者・時代順」で進んでいます。先日、やっとフランス近代のラヴェルに突入したので、もうあと少しで終わってしまうはずだったのですが、保管していた古いフロッピーの中に「追加」という名前のファイルがあることに気付き、内容を確認したところ、ブラームスの2曲の「名盤選」原稿が出てきました。それで思い出したのですが、単行本に収めるために並べ直した時、ブラームスの作品が1曲もないことに気付いて、「それはあんまりだ」ということで、急遽、かなりの無理をして大急ぎで「聴き比べ」を数日間行い、なんとか2曲(交響曲第4番/ピアノ協奏曲第2番)の追加執筆をしたものです。すっかり忘れていました。本来ならば、昨年の12月頃、シューマンの次にブログに掲載しなければならないもので、本でもそうなっています。――というわけで、一度時代が遡ってしまいますが、本日と、次回はブラームスです。その後、ラヴェルの作品に戻ります。
 追加で書いた原稿だけあって、本日のものは、一般的なブラームス演奏論ともなっていると思いました。この考え方は今でも変わってはいません。



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ゲザ・アンダ――現代でこそ浮上してくる感覚の冴え

2010年05月19日 15時44分19秒 | クラシック音楽演奏家論




 以下は、1994年11月に発行された単行本『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』(洋泉社)の「第2章/こだわりの名演奏家」に収録したひとつです。直接には、チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番変ロ長調 作品23』をメイン曲とするLPレコード(米エンジェル:35083)について触れたもの。伴奏はアルチェオ・ガリエラ指揮フィルハーモニア管弦楽団で、1953年モノラル録音です。まだ、英テスタメント社による復刻CDでゲザ・アンダの一連のEMI録音が簡単に聴かれるようになる前に書いた原稿です。(考えてみたら、まだこれを書いたころは、テスタメント社が発足して活動を開始する前だったはずです。)


■ゲザ・アンダ――現代でこそ浮上してくる感覚の冴え

 ハンガリー生まれのピアニスト、ゲザ・アンダの現役盤は少ないが、ザルツブルク・カメラータ・アカデミカとの弾き振りによるモーツァルトのピアノ協奏曲全集という偉業や、フリッチャイ/ベルリン放送響と共演した同郷の作曲家バルトークのピアノ協奏曲全集など、五〇年代から六〇年代にかけて、数多くのレコーディングを行ったピアニストだ。六三年録音のクーベリック/ベルリン・フィルとのシューマン、グリーグの協奏曲もなかなかの名演だった。
 アンダが世を去ったのは、一九七六年だが、彼は一九二一年の生まれだから、まだ五〇歳代、早すぎる死だったと言えるだろう。アンダのピアノは、ロマン的な気質を多分に持ちながらも、冴えた感覚の粒立ちのよい音で、知的に組み立てられた音楽が最大の魅力だ。このチャイコフスキーの協奏曲も、確信を持って鳴らすアゴーギクの見事な、量感のたっぷりとした演奏だが、それが情緒過多にならず、器楽的な充実感のある演奏となっているところが、アンダの最大の美点だ。
 こうしたアンダのスタイルは、まだ戦前の巨匠たちのレコード演奏からの影響が強く残っていた時代にあっては、第一級の賛辞を得るには至らなかったが、今日では、この安定したテンポの音楽は、むしろ極めてスタンダードな、よく耳になじんだものに聴こえる。
 また、このレコードは余白にアンダの師、ドホナーニの編曲による、ドリーブ作曲のバレエ「コッペリア」からの「ワルツ」のピアノ独奏版が収められている。これが、また実に素晴らしい演奏で、ピアノという楽器が、どれほど表現力のあるものであるかが納得できる。それは、例えばラヴェルの「道化師の朝の歌」を弾くリパッティのピアノが、大管弦楽の響きと同等か、それ以上の豊かな表現力を聴かせるのを思い出させるほどのものと言ってよい。
 なお、ゲザ・アンダのチャイコフスキーの協奏曲には、晩年の一九七三年三月一三日のライヴ録音で、独オイロディスクから発売されたものもある。共演はフェルディナント・ライトナー指揮シュトゥットガルト放送交響楽団。私の知る限りでは、これが彼の最後の録音だ。



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1983年ポーランド政変のころ、ロンドンの聴衆がプロムスで聴いたシマノフスキ、パヌフニク

2010年05月17日 10時59分32秒 | BBC-RADIOクラシックス






 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第1期30点の24枚目です。


【日本盤規格番号】CRCB-6034
【曲目】シマノフスキ:交響曲第4番「シンフォニア・コンチェルタンテ」           :交響曲第3番「夜の歌」
    パヌフニク:「シンフォニア・ヴォティーヴァ」(交響曲第8番)
【演奏】マーク・エルダー指揮・ノーマン・デル・マー指揮・パヌフニク指揮
    BBC交響楽団、ピオトル・パレチュー(pf)、フィリップ・ラングリッジ(テノール)、BBCシンガーズ、BBC交響合唱団
【録音日】1983年2月16日、1983年9月17日、1983年9月14日    

■このCDの演奏についてのメモ
 別項にあるようにイギリスの音楽界は、広く世界の様々な音楽の吸収に、熱心に取り組む歴史を古くから持っているが、このCDは、ポーランドの作曲家の作品を集めたものとなっている。この内、1914年生まれで第2次世界大戦後にイギリスに亡命したパヌフニクの作品は、作曲者自身の指揮による演奏で、しかもイギリス国内初演の記録。亡命後のパヌフニクは、自作を中心に、母国ポーランドの作曲家の作品の指揮をかなり手掛けているという。
 シマノフスキの二つの交響曲の内、ピアノ独奏を加えた交響曲第4番で指揮をしているマーク・エルダーは1947年生まれのイギリスの指揮者。1970年にはレイモン・レッパードの助手としてグラインドボーン・オペラで学び、72年にオーストラリアのシドニー・オペラハウスでヴェルディの「ナブッコ」でデビューしている。その後もオペラ畑でのキャリアが目立つが、アメリカのロチェスター・フィルの音楽監督を89年から94年まで、サイモン・ラトルが率いるバーミンガム市交響楽団の首席客演指揮者を92年から務め、またプロムスにもしばしば登場するなど、活動の場は広い。
 一方、シマノフスキの声楽付きの作品、交響曲第3番を指揮しているベテラン指揮者ノーマン・デル・マーは1919年に生まれたイギリスの指揮者、ホルン奏者。王立音楽学校を卒業後、名指揮者トーマス・ビーチャムに見いだされ、ロイヤル・フィルのホルン奏者をしながら、やがて指揮者となった。夭折の天才ホルン奏者として有名なデニス・ブレインは親友だったという。BBCスコティッシュ交響楽団などで活躍し、後期ロマン派、特にリヒャルト・シュトラウスを得意としていたが、1994年には世を去った。
 なお、この3曲の録音が1983年に集中していることに、ご注目いただきたい。この年は、ポーランドではワレサ委員長の率いる自主管理労組「連帯」が、当時の政府により戒厳令発布後、非合法化されて弾圧を受け、それが国際的に問題化していた時期にあたる。この年のロンドンのプロムスにパヌフニクやシマノフスキの作品が登場したのも、おそらく、その関係だろう。(1995.9.15 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 今回分の冒頭にある「別項」とは、もちろん、本日も掲載してある前文に書いてある2010年1月2日付け当ブログ掲載文章のことです。
 イギリスの音楽ジャーナリズムが政治的状況に敏感に反応したプログラムの一端を聴く思いがします。思えば、ロンドンは、多くの亡命者に演奏の機会を与えてきた都市でもあります。


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ギュンター・ヘルビッヒ/BBCフィルのベートーヴェン交響曲

2010年05月15日 16時12分14秒 | BBC-RADIOクラシックス






 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第1期30点の23枚目です。


【【日本盤規格番号】CRCB-6033
【曲目】ベートーヴェン:交響曲第4番
           :交響曲第5番「運命」     
【演奏】ギュンター・ヘルビッヒ指揮BBCフィルハーモニー管弦楽団
【録音日】1982年12月14日、1983年7月6日    

■このCDの演奏についてのメモ
 ベートーヴェンの交響曲を2曲収めたこのCDで、イギリスの聴衆にドイツ・オーストリア圏の音楽の神髄を聴かせているギュンター・ヘルビッヒは、1931年にチェコスロヴァキアに生まれたが、ドイツの名指揮者ヘルマン・アーベントロートに学び、ワイマール歌劇場でデビューするなど、ドイツの正統的な音楽環境の中で育った指揮者。ヘルマン・シェルヘンのアシスタントを務めたこともある。
 72年から77年までドレスデン・フィルハーモニー、77年から83年までベルリン交響楽団の首席指揮者、音楽監督を歴任しており、この時期までは、当時の東ドイツ側を活動の場としていたが、83年以降アメリカに移り、ダラス交響楽団の首席客演指揮者を経て、84年からドラティの後任としてデトロイト交響楽団の音楽監督に就任した。90年からは、カナダのトロント交響楽団の音楽監督に就任している。
 BBCフィルハーモニーはBBCノーザン交響楽団が83年に改称されたもので、BBC放送局が傘下に収める管弦楽団のひとつ。イギリスのマンチェスターに本拠を置いている。
 ヘルビッヒは80年代に入ってから、毎年のように、このBBCフィルハーモニーに客演していて、この顔触れでのレコーディングには、英コリンズ・クラシックスにブラームス「交響曲第1番」他などもあり、息のあったところを聴かせている。
 このCDのベートーヴェンは、単なるスタンダードに留まっていない、歴史や伝統に深く根を下ろした確かさのある演奏で、表情にも無理がなく、豊かに音楽が呼吸しているのが聴いていて心地よい。イギリスの音楽界は、こういう地味だが本物の手ごたえを持った演奏家を見つける、独特の鑑賞眼を持っている。(1995.9.21 執筆)



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許光俊ほか編『クラシック反入門』(青弓社)に寄せた「コラム」です。

2010年05月12日 15時18分57秒 | エッセイ(クラシック音楽)



 以下は、昨年(2009年)4月に青弓社から発行された『クラシック反入門』という本のページ調整用に設けられたコラム欄のための原稿です。同書は許光俊、鈴木淳史、梅田浩一の三氏の編によるもので、三氏が掲げた「お題」が先行して出来上がっているところに、この三氏を含む総勢6名によって分担執筆したものです。私自身は、結局全体の四分の一ほど書かせてもらいましたが、彼らのいささか乱暴でユニークな発想による「お題」の刺激で、おもしろく連想させてもらいました。私が執筆したのは――

・クラシックは我慢して聴け!――「さわり」ではわからない長~い音楽の理由
・作曲はステキな商売!――困ったら「過去」に戻れ!
・ワタシは作曲家として認められたい――演奏だけでは満足できない欲張り君たち
・簡単にわかってたまるか!――通好みの演奏家はこれだ!

――以上の4項目で、それぞれ実例をいくつも挙げて書いています。
 これらの本文は、まだ発売中の書籍なのでブログに転載できませんが、PRを兼ねて(?)、以下に「コラム」原稿を全文掲載します。なお、書籍では、レイアウトの都合からゲラ段階で一行分のカットをしましたので、以下に掲載のものが、ノーカットのオリジナルです。


■音盤の曲目構成、その今昔物語

 どんなに頑張っても片面5分程度しか収録できなかったSPレコードに、クラシック音楽でいちばん似合っていたのは「小品」だったと思う。ピアノも、ヴァイオリンもチェロも、ソプラノもテノールも、さまざまな小品のレコードがあった。
 私が小学生だった昭和三〇年代の初め、父親に自由に使わせてもらっていた「お古」の蓄音機でよく聴いていた一枚に、カザルスが弾くシューマンの『トロイメライ』とサン=サーンスの『白鳥』を組み合わせたレコードがあった。これは、文学少女がそのまま母親をしていたようなところもあった私の母のお気に入りでもあった。父親が舞踊家だったため、仕事柄、蓄音機もレコードも豊富にある家庭で育った私にとって、レコード歴の最初は、こうしたSPレコードだった。フィードラー/ボストン・ポップス管弦楽団で、グリーグ『アニトラの踊り』とファリャ『火祭りの踊り』という盤もあったし、アルベール・ヴォルフ/ラムルー管弦楽団のドビュッシー『小組曲』は、四面二枚組で全四曲だ。4~5分の小宇宙を、それらのレコードは創ってくれた。それをすっかり様変わりさせたのが、LPレコードの出現だった。しばしば、交響曲などの長い曲が細切れになってしまった、というマイナス面ばかりが伝えられる「SPレコード時代」だが、そんな功績もあったのである。
 LPレコードになってからは、小品は「小品集」となって、曲目選択や曲順に凝るようになったが、このときに忘れてはならないのが、レコードのA面・B面という問題。多くのレコード制作者が、この盤面をひっくり返す鑑賞者の行為を意識して、間合いを取る曲目構成をしている。だから、復刻CDで、オリジナル盤のままの曲順ですいすいと連続して再生されるのを聴くと、どこか鼻白む思いをする。A面最後の曲とB面冒頭の曲との間だけは、少し長めにブランクが欲しい――。贅沢な要求かもしれないが、これは、忘れたくない、大事なことである。



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ギュンター・ヘルビッヒ/BBCフィルの「英雄の生涯」ほか

2010年05月11日 14時23分10秒 | BBC-RADIOクラシックス






 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第1期30点の22枚目です。




【日本盤規格番号】CRCB-6032
【曲目】R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
           :交響詩「死と変容」     
【演奏】ギュンター・ヘルビッヒ指揮BBCフィルハーモニー管弦楽団
    ジョン・プリッチャ―ド指揮BBC交響楽団
【録音日】1985年4月6日、1980年1月10日    


■このCDの演奏についてのメモ
 リヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲を2曲収めたCDだが、演奏者が各々異なっている。
 それぞれの経歴を以下に簡単に記そう。
 ギュンター・ヘルビッヒは1931年にチェコスロヴァキアに生まれたが、ドイツの名指揮者ヘルマン・アーベントロートに学び、ワイマール歌劇場でデビューするなど、ドイツの正統的な音楽環境の中で育った指揮者。ヘルマン・シェルヘンのアシスタントを努めたこともある。
 72年から77年までドレスデン・フィルハーモニー、77年から83年までベルリン交響楽団の首席指揮者、音楽監督を歴任しており、この時期までは、当時の東ドイツ側を活動の場としていたが、83年以降アメリカに移り、ダラス交響楽団の首席客演指揮者を経て、84年からドラティの後任としてデトロイト交響楽団の音楽監督に就任した。90年からは、カナダのトロント交響楽団の音楽監督に就任している。
 ヘルビッヒは80年代に入ってから、毎年のようにイギリスのBBCフィルハーモニーに客演していて、この顔触れでのレコーディングも英コリンズなどにあり、息のあったところを聴かせている。BBCフィルハーモニーはBBCノーザン交響楽団が83年に改称されたもので、BBC放送局が傘下に収める管弦楽団のひとつ。マンチェスターに本拠を置いている。
 一方のプリッチャードは1921年にロンドンに生まれ、47年に名指揮者フリッツ・ブッシュの助手としてグラインドボーン音楽祭に参加。49年には急病のブッシュの代役でデビュー。その後はロイヤル・リヴァプール・フィル、ロンドン・フィルなどの首席指揮者、グラインドボーン音楽祭の音楽監督、そして西ドイツのケルン歌劇場の首席指揮者などを歴任した。BBC響の首席指揮者には1982年から、1989年の死の年まで着任している。(1995.9.21 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての付記】
なんとも素っ気ない文章で、今更ながら、申し訳なく思っています。特記すべき特徴がなかったのでしょう。すっかり忘れています。100点ものアイテムが揃えば、そういうものもあります。ただ、「ヘルビッヒ」という指揮者を聴いたのも、経歴を調べたのも、このCDの解説の時が最初だったと思います。手堅い演奏だったという印象だけは記憶にあります。たしか、この後、同シリーズの中で、ヘルビッヒの演奏については、何か書いたように思います。


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エルガーの交響曲の本質を気づかせるプリッチャードの名演は、バルビローリ、ボールトを超えている?

2010年05月08日 07時56分47秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第1期30点の21枚目です。


【日本盤規格番号】CRCB-6031
【曲目】エルガー:序曲「南国にて(アラッショ)」作品50
         交響曲第1番 変イ長調 作品55     
【演奏】ジョン・プリッチャ―ド指揮BBC交響楽団
【録音日】1974年7月30日、1983年3月22日    

■このCDの演奏についてのメモ
 BBC RADIO-クラシックスのシリーズに収められたブラームスの「第2交響曲」で、感動的なまでに精神の燃焼する瞬間を聴かせた名指揮者プリッチャードによる、エルガーの作品の演奏を聴くCD。「交響曲第1番」では、序奏部のずしりとした確かな足取りを聴いた瞬間から、英国流ロマンの世界が濃密に開始される。金管楽器群の低域をえぐるような響きにティンパニが重なり合う轟音にたどり着く一瞬の間(ま)にも、プリッチャードの〈構え〉の大きな音楽の手ごたえが感じられる。
 この曲では同じイギリスの名指揮者ジョン・バルビローリの、優しく弦楽器が歌う抒情的な演奏が有名だが、プリッチャードの容赦のない厳しさと確固とした造形感によって鳴りわたる巨大さの気配からは、この作品がまぎれもなくアングロ・サクソン系の偉大な作曲家の作品であることが確信できる。バルビローリ的な演奏スタイルのカンタービレ精神が、必ずしも〈イギリス〉を代表するものではないということを、思い知ったのは、私ひとりではないだろう。
 ボールトの演奏も、これほどにどっしりとした押し出しのよい歩みは聴かせてくれなかった。このプリッチャードの演奏は、作品の真正のイメージに、おそらく最も近い演奏だと思う。日本での知名度はあまり高くないプリッチャードだが、戦後に登場した世代では、イギリスで最も愛されていた指揮者だというのも頷ける。
 1921年にロンドンに生まれたプリッチャードは、47年に名指揮者フリッツ・ブッシュの助手としてグラインドボーン音楽祭に参加。49年には急病のブッシュの代役でデビュー。その後はロイヤル・リヴァプール・フィル、ロンドン・フィルなどの首席指揮者、グラインドボーン音楽祭の音楽監督、ケルン歌劇場の首席指揮者などを歴任。BBC響の首席指揮者には1982年から、1989年の死の年まで着任している。(1995.9.21 執筆)
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シャルル・ミュンシュ――「自由」を求めた名指揮者の軌跡

2010年05月07日 11時56分07秒 | クラシック音楽演奏家論





 以下は、1994年発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』(洋泉社)に収録したものの転載です。最近、この一部を的確に引用してミュンシュ論を展開している方のブログを拝見して、まだ私のブログに再掲載していなかったことを思い出しました。その方のブログからは、リヒテルとミュンシュとの初共演のベートーヴェン「第一協奏曲」ライヴが素晴らしいということを教えて戴きました。感謝しています。ご興味のある方は「ミュンシュ リヒテル 竹内貴久雄」3語のアンド検索をお勧めします。簡単に見つかります。
 なお、以下の文章で展開しているミュンシュの音楽性に対する私の仮説は、当ブログ内の別カテゴリー「LPレコード・コレクション」に収められている「幻想交響曲」の項と合わせて読んでいただけると、より分かりやすいかも知れません。


■シャルル・ミュンシュ――「自由」を求めた名指揮者の軌跡

 フランスの名指揮者シャルル・ミュンシュは、フランス音楽一辺倒の指揮者ではない。むしろドイツ・ロマン派の伝統を深く理解し、愛している指揮者のひとりだが、それは、彼の出身地と切り離しては考えられないだろう。というのは、彼の生まれた町ストラスブールは、もともとドイツとフランスとの国境の町だが、彼が生まれた一八九一年にはドイツ領で、それは第一次世界大戦が終結する一九一八年まで続いたのだ。ミュンシュは〈ドイツ人〉として生まれ、ドイツ人として音楽教育を受けているということになる。そして一九三〇年代初めにはヴァイオリン奏者として、ドイツのライプチッヒ・ゲバントハウス管弦楽団のコンサート・マスターになっている。常任指揮者はフルトヴェングラーだった。
 その彼が、一九三〇年代の半ば頃から、活動の場をパリに移し、やがてフランスの指揮者として認知されるに至ったのは、ナチスの台頭と無縁ではないはずだ。
 ミュンシュは第二次世界大戦の頃には、パリ音楽院管弦楽団の指揮者として活躍しており、ナチス・ドイツのパリ進攻時にも、パリにとどまり、有名な抵抗映画「天井桟敷の人々」では伴奏音楽の指揮者としても名を連ねている。そのフランス音楽の守護神のようなミュンシュが、戦後、一転して、アメリカのボストン交響楽団の音楽監督に迎えられた。一九四六年のアメリカ・デビューから三年後のことだ。それから一〇余年、一九六二年まで、その地位にあり、戦後のボストン交響楽団の黄金時代を築いたのは周知のとおりだ。ミュンシュの代表盤の大半が、このオーケストラとのものとなっている。
 戦後アメリカの旗印は〈自由の国〉だったが、ミュンシュが生涯にわたって、願って止まなかったのも、この〈自由〉、何物にも束縛されない自由を歌い上げることだったのではないだろうか? と私は思っている。ミュンシュが熱心に取り上げるフランスの作曲家にオネゲルがいるが、戦争や人種対立などを憂い、危機意識をもって苦悩するオネゲルへの深い共感が底流にあるのもそのためだ。
 オネゲルの「交響曲第五番」は、一九五一年三月九日に、シャルル・ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団により初演され、次いで、同じメンバーで録音が行われた。ミュンシュの繊細でいながら力強い前向きの演奏が、オネゲルの思いの深さと呼応した名演だ。
 ミュンシュは戦前には、必ずしも強烈な個性や豊かな音楽を持った指揮者ではなかったと思うが、ボストン交響楽団とはウマが合ったようだ。ミュンシュとボストン響との相性の良さは、戦後アメリカで重要なポストに就いた指揮者のなかでも、最良の成果を双方にもたらした。ボストン交響楽団との最初期の録音にベートーヴェンの「第七」、シューベルトの「第二」、ブラームスの「第四」の各交響曲や、ヘンデルの「水上の音楽」などがあるが、リズミカルでニュアンスの豊かな音楽がグイグイと迫ってくるのが感じられる。
 ミュンシュが指揮する「ボレロ」は、作曲者のイン・テンポの指示を守らずに、どんどんアチェレランドして行くことで有名だ。感情の高揚、気持ちの高ぶりに率直な、情熱的演奏は〈反則技〉だが、ミュンシュがやりたいようにやっている自然さが別の魅力を生んで、忘れ難い名演となっている。しかし戦前にパリ音楽院管弦楽団とで録音された演奏は、イン・テンポを守っている。むしろしばしば言い聞かせるように確認しながらの音楽の運びが興味深い。そしてどこかしら退屈そうだ。この演奏を聴いていると、その後のボストン交響楽団との演奏が、どれほど自由で開放的かに思いが至る。
 ミュンシュが自身の音楽を大きく花開かせたのは、この頃からだろうと思う。ミュンシュは、ボストン交響楽団と出会ったことで大きく変わった指揮者なのだと思う。
 ミュンシュは長年在任していたボストン交響楽団の音楽監督を辞任しレコード会社との専属契約も解消した後、翌年からは自由な立場で様々のオーケストラに客演、レコーディングを開始する。ミュンシュは七二歳になっていた。米コロンビアへのフィラデルフィア管弦楽団との録音や、英デッカへのニュー・フィルハーモニア管弦楽団との録音、エラートやコンサート・ホールへの録音など、いずれも、この時期だ。
 晩年一九六七年に、パリ音楽院管弦楽団を解消して新たに創立されたパリ管弦楽団の初代音楽監督を引き受けてしまうが、翌年のアメリカ演奏旅行中に世を去った。パリ管弦楽団在任は1年と少しにすぎなかったが、EMIにベルリオーズ「幻想」、ブラームス「交響曲第一番」、オネゲル「交響曲第二番」とラヴェル「ピアノ協奏曲」他、ラヴェル「管弦楽曲集」の四枚のLPが残された。
 一方、帰国後のミュンシュがフランス国立放送管弦楽団を振って、コンサート・ホール・ソサエティに録音したもののひとつに、ドビュッシーの「牧神の午後」がある。有名なボストン響盤をしのぐ、流麗で美しい演奏で、ミュンシュ追悼盤として、死後に発売された最晩年の録音だ。このLPは他にスメタナの「モルダウ」が入っているほかは、ピエール・モントゥの演奏が片面に収められている変則盤。おそらく何かまとまった交響曲などのカップリング用に録音されたか、小品集の録音が未完に終わったかで、1枚のLPにならない半端な録音で、一度発売されたまま忘れられている。日本コロムビアからデンオン・レーベルでコンサート・ホール原盤のドビュッシー演奏がCD発売されているが、それも「夜想曲」と「海」だけで、「牧神」の収録はない。通信販売の日本メールオーダーが販売しているコンサート・ホール盤のCDにのみ、現在は収録されている。


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忘れられていたチェロ奏者、クリスティーヌ・ワレフスカの来日公演で思うこと。

2010年05月06日 11時55分23秒 | ワレフスカ来日公演の周辺
 2ヵ月ほど前のことだったと思う。私のブログに1通のコメントが寄せられた。個人的な連絡先が記載されており、その後、私とは個人的な接触が始まり様々に発展していったのでそのコメントは「公開」扱いにしなかったが、それは、以下のようなものだった。私が昨年12月にupした「ドヴォルザーク《チェロ協奏曲》の名盤」へのコメントだった。

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・コメントを書いた人
ワレフスカ来日演奏会実行委員会

・タイトル
ワレフスカさんについて

・コメント
初めてコメントさせて頂きます。
しばらく消息の伝えられていなかったワレフスカさんですが、現在アメリカ在住で今年の5~6月に来日演奏会を行う予定です。
竹内様が文章中で一番にワレフスカ盤を取り上げられていましたので、ご連絡差しあげました。
大変恐縮ですが、いちど下記アドレスまでご連絡頂けますでしょうか?よろしくお願い申しあげます。
失礼いたしました。

ワレフスカ来日演奏会実行委員会

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 つい先ごろ、4月28日付の「日本経済新聞」文化欄に「発見《幻の女性チェロ名手――情熱的スタイル掲げ36年ぶり来日へ」という記事が載ったので、ご覧になった方も多いと思うが、音楽ビジネスが困難を極めているこの時代に、個人の力でワレフスカの来日演奏会を、しかも、その存在が殆んど忘れられている中での演奏会を、全国各地で行うという難事業をやり遂げようとしている人、渡辺一騎氏からのコメントだった。その日、渡辺氏は歯科医としての学会関係の仕事で渡米しており、滞在先からの送信だったようだ。コメントの内容に驚いた――それは、彼がそうであったと告白しているように、私にとっても「ワレフスカがまだ生きていた」という驚きと、その演奏会を「実行委員会」方式で挙行しようとしている人物がいる、ということの二つに対してだったが――、私が、そこに記されたアドレスにメールを入れると、半日ほどして返信が届いた。
 まもなく日本に帰るので、都合の良い日に東京で会えないだろうかというものだった。ワレフスカの演奏を高く評価している私に、協力してもらえないかという趣旨だった。もちろん私は「自分に出来ることならば、よろこんでご協力する」とお答えした。その時、私の脳裏をよぎったのは、今から30年ほども昔のことになるだろうか? ベルギーの女性ヴァイオリニスト、ローラ・ボべスコの来日演奏会を実現してしまった人たちの情熱だった。私の友人のひとりは、そのボべスコ来日に奔走した人たちの仲間だったと聞いているが、あのころの熱気には独特のドラマがあったように記憶している。そして、今回も、そうした「熱」を感じての渡辺氏の帰国待ちだった。
 果せるかな、お会いした渡辺氏は、数年前、偶然にアメリカの地方都市でワレフスカの出演する音楽祭の開催を知って駆けつけ、楽屋にまで訪ねてしまったこと、それから始まった交流の中から、「ほんの弾みで」来日演奏会実行委員会を立ち上げてしまったことを話された。そして、渡辺氏自身が、アマチュアとしてずっとチェロを弾き続けていること、そうしたチェロ奏者仲間の輪から、多くの協力者に恵まれていることなどを滔々と話された。――想像通りの方だった。
 その時お話しした「私に出来ること」のひとつが、旧知の日経新聞文化部、池田卓夫氏に紹介することだった。前記の日経新聞の記事は、池田氏の深い理解と共感があればこそのものである。池田氏もまた、そうした「無謀な企て」を試みている渡辺氏に1時間以上もの長時間、真摯に応対してくれた。同席した私も、久しぶりに、とても爽やかな気持ちになった会談だった。そのことで私は池田氏に深く感謝している。歴史的な難事業は、いつもこうした「無謀な企て」から始まり、そのよき理解者に育てられてきたのだ、と思う。
 コンサートのチケットは、完売してしまった会場もかなりあると聴いているが、「ワレフスカ 来日」程度の文字列ですぐに「実行委員会」のホームページが見つかり、かんたんにアクセスできるので、ぜひ、来日演奏会をお聴き戴きたいと思っている。どのような演奏家であるかは、私のブログ、昨年12月15日「ドヴォルザーク:チェロ協奏曲の名盤」で少し触れている。そこで私が使用した「驚天動地」という言葉が一人歩きしていて、中古レコードサイトで「これが竹内氏が〈驚天動地〉した名演だ」などと引用されているのが少々気恥ずかしいが、まだ、それ以外、ワレフスカについて詳細を論じたものは書いていない。他の音楽評論家諸氏のものでも、ワレフスカについて正面から論じた日本語の文章は、ほとんど見かけていない。先日、チェロ奏者についての素晴らしい著書のある渡辺和彦氏と歓談した際に、ワレフスカに強い関心を示されていたのを記憶しているが…。
 私自身の「ワレフスカ観」は、今回の来日コンサートのプログラムで書かせていただくことになっているので、それをお待ち戴きたい。渡辺一騎氏のご期待にどこまでお応えできるか、少々緊張している。


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