goo

早逝したケルテスが残した1964年ライヴ盤ブルックナーに聴く「シューベルト的〈歌〉と〈舞踏〉の精神」

2011年06月30日 11時41分45秒 | BBC-RADIOクラシックス


 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログでは、このシリーズの特徴や意義について書いた文章を、さらに、2010年11月2日付けの当ブログでは、このシリーズを聴き進めての寸感を、それぞれ再掲載しましたので、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下の本日掲載分は、第4期発売の15点の6枚目です。

  ========================


【日本盤規格番号】CRCB-6081
【曲目】ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」
【演奏】イシュトバン・ケルテス指揮ロンドン交響楽団
【録音日】1964年3月13日


■このCDの演奏についてのメモ
 このCDには、不慮の水難事故により1973年に、わずか44年の生涯を終えてしまった名指揮者、イシュトバン・ケルテスによる演奏が収められている。この〈BBC-RADIO クラシックス〉には初登場だ。
 ケルテスは1929年にハンガリーの首都ブダペストに生まれた。1950年代の終わり頃、ハンガリーから西側に登場し、英デッカ=ロンドンから、ウィーン・フィルを振ったドヴォルザークの「新世界交響曲」で突然、世界の音楽ファンの前に現われた。その優れた才能を高く評価していたレコード会社の英断だったが、それ以来、ケルテスは、一躍、若手指揮者のホープとなった。
 1965年からは、ロンドン交響楽団の首席指揮者に就任したが、このCDの録音は、その前年の同オーケストラとのライヴ録音だ。曲目が、当時30歳代半ばという年齢にしては意外な、ブルックナーの「交響曲第4番」という重厚な作品だが、活力のある朗々とした響きで、グイグイと推進していく音楽は、既に、当時のケルテスの大器ぶりを十分に表わしている。
 ケルテスのブルックナー演奏は、この作曲家の作品の演奏でよく聴かれる響きとかなり異なり、徐々に昇りつめて行くといった方向よりも、最初から全力投球して走り出すような、開放感にあふれたもの。全体の流れは、はちきれそうな生命力にあふれ、大きな揺れ動きに包まれた歌がどこまでも続く。リズムは活力に満ちて生き物のようにうごめいている。これは、ブルックナーの音楽の中に眠るシューベルト的な〈歌〉と〈舞踏〉の精神を信じて、高らかに歌い切ったケルテスの青春の記念碑だ。
 この曲はケルテスにとって格別の思いがあるのか、正規の録音も英デッカ=ロンドンに残されているが、このライヴ盤の、一気呵成の情熱が音楽的充実と見事に結びついた演奏ほどの魅力はない。このCDは、志し半ばで事故死したケルテスの真の実力を伝える貴重な録音だ。(1996.7.30 執筆)

【当ブログへの再掲載に際しての付記】
 記載された執筆日でお気づきの通り、これは、「日本フィル」との来日ライヴDVDが発売されたり、長い間廃盤のままだった「バンベルク交響楽団」とのオイロディスク録音がCD化される以前に書いたものです。ケルテスは、ほんとうに「惜しい人を早くに失ってしまった」と思う指揮者のひとりです。西側への亡命直後と思われる歌劇場指揮者時代の「オテロ」の録音に関しては、以前、このブログ内で紹介しました。日フィル、バンベルク響の盤ともども、折に触れて執筆した文章は、このブログページを下にスクロールして左欄の「ブログ内検索」に「ケルテス」と入れれば、一気に出てきます。ご興味のある方はぜひご訪問ください。

【付記の訂正】
 友人に「検索したけど、日本フィルとのDVDは出てこなかった」と言われてしまいました。詩誌『孔雀船』の「リスニングルーム」欄で書いたつもりでいましたが、書いていなかったようです。申し訳ありません。ていねいな指揮姿を見ることができるということだけでも貴重な記録です。もう廃盤かもしれませんが、在庫を見かけたら買うべし、です。


goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ジャノーリのモーツァルト「ピアノのための変奏曲全集」(第3集)のためのライナーノート「後半」です。

2011年06月21日 10時40分01秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)


 以下は、昨日掲載分の続きです。合わせてお読みください。

 ====================

(ライナーノート、後半)


《演奏曲目について》

〔1〕モーツァルトのクラリネット五重奏曲(K. 581)の6つの変奏曲 イ長調K. 追加137
 前段の解説に「偽作説が濃厚」とある通り、モーツァルトの『クラリネット五重奏曲 K. 581』終楽章のピアノ独奏版といったものである。モーツァルトは、ウィーンでフリーランスの作曲家として生活を始めてしばらく経った1784年頃から、自分を売り込む材料にするためか、自作目録を几帳面に作成するようになった。完成した日付もほとんどに記載され、冒頭の4小節が添えられているというもので、モーツァルトの全作品を整理した最初の人物ケッヘルも、大いに参考にしている。そこに、このピアノ版の記載がなく、もちろん直筆譜も発見されていないので、モーツァルトの真作が疑われているものである。原曲の『五重奏曲』は、クラリネットの名手だった親友シュタドラーのために1789年9月29日に書き終えていることが、モーツァルト自身の記録にもある。

〔2〕アレグレットの主題による12の変奏曲 変ロ長調 K. 500
 ジャノーリの演奏が収録されたオリジナルLPの解説でも「モーツァルト自身の主題による~」と記されており、しばしばそのような表記を見かけるが、あくまでも「推定」であるようだ。わずか8小節という短く軽やかな舞曲風の主題が、てきぱきと多彩に変奏されていく練達の作品。1781年に始まったウィーンに定住してのフリーランス作曲家生活が、予約演奏会や家庭教師などの収入の道も順調に推移していた1786年に書かれている。

〔3〕パイジェッロの歌劇『哲学者気取り』の「主よ、幸いあれ」による6つの変奏曲 ヘ長調 K. 398 (416e)
 ジョバンニ・パイジェッロ(1740~1816)は、ロッシーニに先行するイタリアの歌劇作曲家。その新しい傾向の音楽によって、18世紀以降の音楽に大きな影響を残したことが評価されている。最盛期には、その人気はヨーロッパ全土のみならずロシア宮廷にまで伝わったと言われる。パイジェッロが書き上げた歌劇は90曲以上ある。
 この『哲学者気取り』と訳されたオペラは喜劇仕立てのもので、その中のアリアを主題に、1783年に行われた演奏会でモーツァルトが即興演奏したものをもとに、後に出版された作品。この時期、モーツァルトの人気は上がる一方で、演奏会は満員の盛況だったという。即興的な音型の上機嫌な変奏が繰り広げられるのも、そうしたことが背景なのだろう。モーツァルトの音楽の自在な魅力が横溢している。なお、ここに言う「哲学者気取り」のニュアンスは「占星術師」を意味している。哲学者も天文学者も数学者も祈祷師も錬金術師も占星術師も区別がなかった西洋の「中世」という時代を思い起こしていただきたい。

〔4〕デュポールのメヌエットの主題による9つの変奏曲 ニ長調 K. 573
 1789年の作品。この頃になると思惑と異なり、モーツァルトの生活は苦しくなる一方だったらしい。この年の春、安定した高額収入の道を模索して、ウィーンを旅立ち、ベルリンに向かった。その途上の都市ポツダムで、チェロ奏者でベルリンの宮廷音楽監督というジャン・ピエール・デュポール(1741~1818)に会ったモーツァルトは、この人物の作品を主題にして変奏曲を書き上げ、取り入ろうとした。モーツァルト自身の目録では「6つの変奏曲」となっているが、直筆譜が未発見で、後の出版譜が「9つの変奏曲」となっているため、追加の3曲がモーツァルト自身によるものか、それとも他人が書き加えたのかがわからない。しかも、追加部分がどの変奏かもわからないという、やっかいな作品である。最後に主題が再現されるという、構成感にあふれたまとまりを持っている。

〔5〕オランダの歌「ヴィレム・ヴァン・ナッサウ」による7つの変奏曲 ニ長調 K. 25
 ケッヘル番号が示す通り、モーツァルトが10歳の少年時代の作品である。父親に連れられてヨーロッパを西へと大旅行中のオランダで書かれている。当アルバム「第1集」に収録されたK. 24と同じ頃に書かれている。「ウィレム・ヴァン・ナッソウ」はオランダ王家の始祖の名。彼を称える歌として16世紀半ば過ぎから歌い継がれており、モーツァルト父子がオランダに立ち寄った頃、父親の書簡にも「国中の誰もが口ずさんでいる歌だ」と記されている。オランダ地域の愛唱歌として人々に長く親しまれ、紆余曲折の歴史を経て1932年にオランダの国歌に制定され現在に至っているのも、この旋律である。

〔6〕フランスの歌「美しいフランソワーズ」による12の変奏曲 変ホ長調 K. 353 (300f)
 これも「第1集」に収録されているK.265 の「きらきら星変奏曲」と1対になる作品。したがって、第1集の解説で触れたように、従来はパリで書かれたとされていたものが、最近の研究で、ウィーンに戻ってからの作品と考えられるようになっている。( )で改訂された新ケッヘル番号「300f」を併記したが、一方の「きらきら星」は、最近の新しいケッヘル番号では「300e」と直近に改められている。
 主題に選ばれた旋律は、この時代のパリの人々の間で流行していた歌で、おそらくモーツァルト自身がパリで聴いて覚えていた旋律だろう。誰のために書かれた変奏曲か判明していないが、1781年から1782年と推定されている作曲時期から見て、ウィーンの貴族の夫人か令嬢のピアノ教師としての実用に供するものと思われる。だが、ジャノーリが録音を行った時代には、「一連のパリ時代の作品のひとつ」と信じられていた。ジャノーリの3集にわたる「変奏曲全集」が、こうして「パリ趣味」を匂わせて終えているのは、制作者たちのそれなりのこだわりか、とも思う。
(2011. 5. 13 執筆)


goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ジャノーリのモーツァルト「ピアノのための変奏曲全集」第3集(完結編)のためのライナーノートです。

2011年06月20日 09時54分57秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)



 着々と進んでいるレーヌ・ジャノーリのピアノ演奏の復刻CDですが、今月1日に発売された『モーツァルト・ピアノのための変奏曲全集/第1集』に続いて、『同/第2集』がまもなく、29日(水)に発売されます。そのライナーノートは5月16日~17日の当ブログに掲載しました。本日分はその続き、『同/第3集』のライナーノートです。
 日本ウエストミンスターが進めてきたジャノーリ録音のCD化は、モーツァルトのピアノ・ソナタを除けば、いずれも「世界初」という快挙ですが、米ウエストミンスターのために行ったジャノーリの録音では唯一のステレオだった「ピアノのための変奏曲」は、この「第3集」で完結します。私の解説原稿は制作進行の都合で、「第2集」に続けてすぐ書き終えて入稿しましたが、CDの発売は7月下旬に予定されています。そろそろ、アマゾン等、通販サイトでの予約受け付けも始まると思います。
 この「変奏曲全集」のライナーノート前半に連載風に書き継いできた「読み物」も、これで一応の完結。事実確認と並行して書いていたので、話が行きつ戻りつして申し訳ありませんが、近いうち、単行書に収録する際に、整理してまとめます。5月16~17日掲載の「第2集」と同じく、きょうは前半の読み物のみ、掲載します。続きの、曲目解説をまじえながら演奏について書いた部分は、明日掲載します。


 ====================


(ライナーノート前半、全文)


■レコード盤に残されたレーヌ・ジャノーリ(3)


 このシリーズも最後の「第3集」となったが、ジャノーリの録音歴に関連して、前回までの当シリーズCDの曲目解説に少々補足することがあるので、先に、そのことについて触れよう。
 「第1集」第1曲目に収録されている作品は、モーツァルト作のヴァイオリン・ソナタ K. 547」終楽章のピアノ・パートと同一の作品だが、それは、同曲の大部分が、ピアノ曲としてほぼ完成していて、それにヴァイオリンの装飾(オブリガート)を加えたような音楽だったからと解説したことへの補足である。じつは、6つの変奏からなるこの原曲の内、第4変奏だけはヴァイオリンの旋律が独立して活躍するため、「モーツァルト自身は第4変奏のみ省略した」というのが、最近では定説になりつつあるのだ。ジャノーリの録音でひときわ鮮やかに曲想が変化する第4変奏が、最近の研究の結論として、おそらく他人が書き加えたものだろうとされているのだ。そのため、第4変奏を「偽作」として演奏しないケースも増えてきている。
 一方、今回の「第3集」の第1曲に収録されている「6つの変奏曲」は、モーツァルト晩年の有名な「クラリネット五重奏曲」の終楽章そのものと、ほぼ同じである。しばしば「クラリネット五重奏曲終楽章による変奏曲」と表記されたりもしているが、終楽章はもともと変奏曲形式だから、「~による」というのは矛盾した表現で、クラリネットの主旋律も弦楽四重奏の伴奏部分も、そのままピアノで弾いているといった仕上がりである。この、モーツァルト晩年の傑作がピアノで聴けるとあって最近でも人気が高い作品は、今日に至っても作品そのものに対する偽作の疑いが晴れていない。このことは、ジャノーリの録音が行われた時にも判っていたはずだが、ただ単に、「クラリネット五重奏曲の編曲である」といった解説しか、LPレコードには書かれていない。ジャノーリ版の「変奏曲全集」は、楽譜校訂の厳格さが前面に出てくるような最近のアルバム作りでは省略されてしまうかもしれない部分が収録されている、というわけである。
 ところが、当時もモーツァルトの真作と認められていたはずの変奏曲の内、唯一、『グルックの歌劇「メッカの巡礼たち」の「愚民が思うには」による10の変奏曲 K. 455』が収録されていない理由が、私にはわからない。当時のモーツァルト研究から、それらしい根拠が見当たらないのだ。
 だが、案外、その理由は単純で、LP3枚に収録しきれなかったから、というだけのことかもしれない。アメリカのレコード会社なら、十分に在り得ることである。だとしたなら、ジャノーリの演奏録音そのものは、行われていたかも知れないのである。
 だとしても今となっては、そのマスターテープの行方を辿るのは不可能だろう。むしろ、ひょっとしたらジャノーリの好みで、この「クラリネット五重奏曲」の旋律のほうが選択されて残ったのだ、と思うことにしよう。「全曲」のラインナップを検討していて、最後に大きな謎が残ってしまった――。
 さて、紙幅も尽きてしまうが、最後の「第3集」で書いておきたいと思っていたことが、ひとつある。それは、昨年8月17日、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集のCDを2枚目まで完成させたところで亡くなったピアニスト永冨和子氏のことである。日本を代表する国際的な演奏家の草分けのひとりとしてヨーロッパ生活も長かった永冨氏だが、その永冨氏は、おそらく日本人でただひとり、レーヌ・ジャノーリに学んだピアニストでもある。1959年から10年間のパリ留学中のことだというから、ちょうど、この変奏曲全集の録音が終わったすぐ後からの時期と重なっている。
 じつは、日本ウエストミンスターから発売が開始された一連のレーヌ・ジャノーリの復刻CDシリーズの第1回発売以来、計5枚の発売が続いた「モーツァルト・ピアノ・ソナタ全集」の表紙写真は、永冨氏がジャノーリから送られて所有していた写真の提供を受けて、制作されたものだと昨年の春頃に教えられ、その時、永冨氏がジャノーリに学んでいることも知ったのだった。
 小鳥と対話している優しい表情のジャノーリが印象的な写真だった。ジャノーリのLPをずっとコレクションしている私が、初めて見る写真だったので、どのレコードから複写したのかと尋ねた私に、そんな意外な返事をくれたのは、日本ウエストミンスターの清水英雄氏である。「もうかなりご高齢だけれども、まだお元気だから、お目に掛かる機会があるといいですね」という話があったのだが、果たせなかったのが悔やまれる。私がジャノーリの「ドビュッシー」のCD化の打ち合わせに訪れたときの話である。次々にCD化されるジャノーリの試聴盤を送る度に「ジャノーリ先生の演奏をほんとうにいつも有難う」と電話や手紙で喜んでおられたという。永遠に、お話しできなくなってしまったことと、この「変奏曲全集」を聴いて戴けなくなったことが残念である。
 別項の経歴紹介欄にもあるとおりレーヌ・ジャノーリは、1950年代からパリのエコール・ノルマルでピアノ教師をしていた。最晩年の数年間、パリ音楽院でも教えているが、エコール・ノルマルは長かった。アルフレッド・コルトーに請われての就任だった。私は、ジャノーリの残したレコードが、いくつかはとても個性的な選曲と構成が副教材としての利用を想像させる(「バッハ・アルバム」2種など)こと。そして、系統だって制作された「全集」という、はっきりとしたコンセプトを持っていること、そうしたことの背景に、ジャノーリが教授職を兼任していたことが関係していると思っている。この、いち早く「モーツァルトのピアノ用の変奏曲」を網羅したアルバムという、商品としては難しい仕上がりや、同じく、いち早くショパンの14曲のワルツ全集に補遺された5曲の遺作ワルツを加えて「全19曲」としたアルバム作りなどもそうだ。シューマンのピアノ独奏曲全集は偉業と言っていい。1950年代の初頭から日本でも発売された「モーツァルト ピアノ・ソナタ全集」は、確か、LPレコード初の大事業だったと思う。そして、そうした「全集」で、いつも、それぞれの曲想のイメージを鮮明に描き分ける細やかさが感じられるのは、ジャノーリにとって、当然のことだったのだと思う。このところ、ジャノーリの残した録音をまとめて聴き直す機会を与えられて、改めて確認したことである。



goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ロシアのチェロ奏者ナタリア・シャコフスカヤの経歴が、少し判りました。

2011年06月13日 11時03分31秒 | BBC-RADIOクラシックス



 以下の記述が、ワレフスカ来日コンサート実行委員会の渡辺一騎さんからのメールにありましたので、転載します。さすがに、チェロを追いかけている方だけあって、ロストロ以後の「ロシアン・スクール」にも詳しいですね。前回の私のブログ内容を補完するものとして、お読みください。

  ↓======================↓

 ブログの最新記事も読ませて頂きました。BBCシリーズ、ショスタコの協奏曲のものです。チェロ協奏曲を弾いているナタリア・シャコフスカヤについて補足させて下さい。
 いつからかは不明ですが、シャコフスカヤは、現在はポルトガルのリスボン音楽院の教授になっているはずです。フランスを代表する中堅女性チェリスト(二人しかいないうちの)の一人、ソニア・ヴィーダー=アサートンの師としても知られます。
 ここ5~6年で、メロディア時代の音源がいくつかCD復刻されましたが、最新の録音(といっても10年くらい前です)は上記ヴィーダー=アサートンのアルバムで、師弟でデュオを弾いているものです。
 現役時代は同世代の女性チェリスト(第3回のチャイコフスキー・コンクール優勝のカリーネ・ゲオルギアン、グートマン、あとは忘れました…(汗))よりも頭ひとつ抜きん出たイメージがありましたが、教職に就いたためか、その後は華々しい演奏活動をしていないのが残念です。

  ↑=======================↑

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ショスタコーヴィチのヴァイオリン、チェロ、ピアノそれぞれの協奏曲を、ゆかりの演奏家で聴く貴重な記録

2011年06月07日 10時29分56秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログでは、このシリーズの特徴や意義について書いた文章を、さらに、2010年11月2日付けの当ブログでは、このシリーズを聴き進めての寸感を、それぞれ再掲載しましたので、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下の本日掲載分は、第4期発売の15点の5枚目です。

  ========================


【日本盤規格番号】CRCB-6080
【曲目】ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
      :チェロ協奏曲第1番
      :ピアノ協奏曲第1番第2番
【演奏】ダヴィット・オイストラッフ(vn)
      ロジェストヴェンスキー指揮フィルハーモニア管弦楽団
    ナターリャ・シャホスカヤ(vc)
      ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団
    ピーター・ドノホー(pf)
      M. ショスタコーヴィチ指揮BBC交響楽団
【録音日】1962年9月7日、1966年8月18日、1982年9月2日
 
■このCDの演奏についてのメモ
 ショスタコーヴィッチの協奏曲作品が3曲収録されているが、それぞれ、演奏者の顔ぶれが興味深い。
 まず「ヴァイオリン協奏曲第1番」の、ダヴィッド・オイストラッフ。オイストラッフはショスタコーヴィッチに最も信頼されていたとされるヴァイオリニストで、1955年に行われた初演も彼の独奏、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルで行われている。
 この作品にとって、なくてはならないヴァイオリニストであるだけに、オイストラッフのこの曲の録音は多い。正規録音だけでも、初演の翌年に初演のメンバーとソ連メロディアに録音した他、ほぼ同時期に、アメリカでもミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルとで米コロンビアに録音している。77年には作曲者の息子のマキシム・ショスタコーヴィッチ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団と英EMIに録音している。1962年のエジンバラ音楽祭の演奏をライヴ収録した当CDは、その中間の時期を埋める記録ということになる。当時はまだ才能ある若手指揮者と目されていたロジェストヴェンスキーの、才気あふれる切れ味のよいバックに伍して、円熟期のオイストラッフが、この難曲をすっかり手中に収めた演奏を繰り広げている。
 「チェロ協奏曲第1番」は、その4年後1966年の録音で、伴奏指揮は同じくロジェストヴェンスキーだが、オーケストラは当時彼の手兵だったモスクワ放送交響楽団。チェロ独奏は、ナターリア・ショホスカヤという女性チェリスト。日本ではあまり名前を聞かないが、彼女はこの曲の初演者ロストロポーヴィッチの愛弟子で、モスクワ音楽院を卒業後、1962年の第2回チャイコフスキー国際コンクール、チェロ部門で優勝している。録音は少ないが、当時ロストロポーヴィッチは、彼女のチェロをほとんど手放しで称賛していたと言われる。この録音でも、この曲への自身のイメージを確信を持って強く主張しており、決して師の亜流になっていないことが感じられる。70年代半ば以降はモスクワ音楽院の教授をしている。
 「ピアノ協奏曲第2番」では、この曲を捧げられ、初演でピアノ独奏を担当したマキシム・ショスタコーヴィッチが、BBC交響楽団を指揮している。指揮者として成功していた彼が、西側への衝撃的な亡命後にエジンバラ音楽祭に出演した時の録音。ここでは、ピアノをイギリスの俊英ピーター・ドノホーが、爽やかに弾いている。中間楽章は、ピアノを優しく包む悲しみをたたえた旋律の、濃い翳りのあるオーケストラの表情が印象的だ。(1996.7.24 執筆)



goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )