様々な困難を乗り越えてワレフスカの招聘を成し遂げた渡辺一騎さんが、先日、少しほっとされたのか、長文のメールをくれました。一般の方のブログなどでの率直な感想に喜ばれる半面、新聞・雑誌などのコンサート評で、いわゆる「プロ」らしさを披歴するあまりの演奏評が厳しい見方を提示したり、あるいは「往年の名演奏家の今を聴く懐かしいコンサート」などといった訳知り顔の評があったりして、かなりの誤解が混在していると嘆かれてのものでした。(ここの表現、私の要約です。渡辺氏の表現ではありません。念のため。)
その渡辺氏のメールに、彼が愛して止まないワレフスカのチェロの独特の音色について、とても興味深いレポートがありましたので、無理をお願いして、私のブログに掲載させてもらうことにしました。ワレフスカの音楽の魅力に、改めて気づかれた方は大勢いらっしゃると思います。それらの方に、ぜひとも読んでいただきたく、私宛のメールのままではもったいない、とお話ししたものです。そして、ワレフスカのチェロに、不幸にして否定的な印象を持たれてしまった方にも、今一度これをお読みくださって、ワレフスカの音楽を思い起こしていただきたいと思っています。
渡辺氏からは、私の申し出を受けて、若干の加筆修正、注記が送られてきましたが、それらを織り込んで、私の責任で編集・再構成したのが下記の文章です。渡辺一騎氏のオリジナル文のニュアンスは、ほとんど生かされているはずです。
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ワレフスカの音の秘密について(渡辺一騎)
ワレフスカのチェロは、なぜ「昔の」音がするんだろう?という疑問が常に、彼女が来日してからは特に、私の頭の中にありました。「昔の」とは、古いLPやSPレコードなどでしか聴くことのできない、当時のチェリストと似たような音、ということです。そこで、以前からいろいろな奏者の奏法について、見聞きしていたこと、そして今回のツアーでワレフスカと話し合ったこと、公開レッスンで指摘していたことなどをまとめてみました。
ワレフスカの「音」を考えるときには、まず使用している弦の問題がありますが、ワレフスカの場合、上2本はヤーガー、下2本はプリムというスチール弦を張っています。最新のブランドではありませんが、ガット弦ではありません。彼女は「ガット弦のチェロは生涯に一度しか弾いたことがない」と言っています。(それは、ある昼食会で、師匠のマレシャルの楽器を使い、ロストロポーヴィチのピアノ伴奏でロココ変奏曲を弾いたとのことです。)要するに、ガット弦の音に馴染みがあるわけではないのです。
答えは結局、左手の弦の押さえ方と右手のボウイングにあるようです。一つの大きなヒントが、東京新聞に掲載されたワレフスカの演奏中の写真にありました。
彼女のボウイングとビブラートは、彼女自身の言を借りればギリシャ建築のように完璧な「ベル・カント奏法」で、とくに彼女の左手は、カザルスの左手の奏法――関節を全て曲げて指を常に丸くし、弦を叩くようにして指先で押さえる――と、ロストロポーヴィチを代表とするロシアン・スクールの左手の奏法――より安全なポジションの獲得と移動方法の徹底――の影響を多少なりとも受けている他の全ての現役のチェリストとは、明らかに一線を画するものなのです。(「ベル・カント奏法」の定義とは?と言われてしまうと困りますが、この言葉自体はワレフスカ本人が自分のボウイングに対して使っていたものなので、敢えて「ベル・カント」という言葉を使いました。)
私は、東京新聞の音楽会評に掲載された演奏中のワレフスカの写真を見て「はっ!」としたのですが、それは、ポルトガルのかつての名女流チェリスト、G・スッジアの肖像画と、フォルムがほとんど一緒だということです。この肖像画、T・ジェリコーが描いた有名な「エプソムの競馬」のように、かなりデフォルメされて書かれていると思っていたのですが、そうではなかった訳です(インターネットで調べたところ、この肖像画の元となるポートレート写真も見つかりました)。[竹内註:その肖像画を、本日のブログの冒頭に挿入しました。この肖像画、私は、名指揮者フレイタス=ブランコのCD蒐集で購入した中にあって、見覚えがありました。数少ないスッジアの録音で伴奏指揮を務めていたからです。]
要するに、ワレフスカの左手は、カザルスやロシアン・スクールが登場する以前の奏法に準じているということです。事実、彼女自身は、カザルスやロシアン・スクールの奏法を「テクニックと引き替えに多くの芸術的な利点を見捨てたメソッドだ」と言って否定しています。
現代ではチェロ奏者は、左手の手のひらの中に卵でも入れたかのように手を丸くし、指の尖端の最も肉が薄いところで弦を押さえます。つまり肉を介し、ほとんど指の骨で弦を押さえている感じです。弦を押さえる場所を「点」として捉えることができるだけでなく、こうして押さえた音はシャープで張りのある音になります(開放弦の音に近づくイメージ)。カザルスの録音を聴くと、ポジションを取る際に音が出るほど強く弦を押さえているのが良く分かります。
ところがスッジアやワレフスカに見られる「昔の奏法」では、指は弦に対して上からも横からも垂直で、従って指の腹の最も肉の豊かなところで押さえているわけです。もしかしたら弦は指板に当たっていない時があるかも知れません。このことが音響学的にどうして有利になるのか、何とも説明しづらいところですが、例えば中国の胡弓などは指板が無くてもあのように美しい音が出ています。
ところで近年では、一部のヴァイオリンやヴィオラ奏者、そしてさらにごく一部のチェロ奏者の間で、「開放弦がベストの(目指すべき)音」という考えを捨てて、新しい?弦の押さえ方を模索・実践している人たちがいるようです。彼らはどうしているかというと、単純に「強く押さえない(指板と指はほとんど触れない)」あるいは「指の芯を外して押さえる」という方法を取っているようです。
いずれにしても、ワレフスカの音の秘密の最初のポイントは、左手の指にあるようです。そういえば、あるプロデューサーがワレフスカのビデオを見て「この人は弦の押さえ方が下手なのですかね?」と言っていました。ハイフェッツやピアティゴルスキーなどの昔の偉大な演奏に触れていないと(映像を通してでも)、こうした間違いを犯してしまうことになります。
また、ビブラートの回数も、現代のチェリストは1秒に7~8回かけているのに対し、彼女は1秒間に6回(これがビブラートの「黄金比」、ピアティゴルスキーもボロニーニも同じように教えてくれた、とのこと)なのです。
さらに、ワレフスカの場合、右手のボウイングは手首のスナップを必要以上に使わず、肩の力を直接弓に伝える(ために、移弦の際の肘の移動量が大きくなるデメリットがある)ので、あんなに大きいけれども、優しい音が出るのです。マイスキーなどのソリストは、木と毛が平行になるほど強く弓の毛を張っています。音楽家の好みがガット弦からスチール弦に移り、さらにより強い張りのスチール弦を…という流れの中で、特にロシア系のソリスト達は弓の毛をどんどん強く張るようになって行ったようです。
弓の毛を強く張らずに、優しく弾くと、チェロはヴァイオリンとは比べものにならないほど(弦が長いので)豊かな倍音が出ます。ワレフスカの場合、この倍音の出具合が半端ではありません。音程によっては、一瞬、何の楽器が鳴っているのか分からないほどです。
だから、普通の人は彼女の音を「捉えどころのない音」と勘違いしてしまうのではないかと思うのです。多くの方が、「前半はチェロの音に戸惑ったが、後半は一転して…」と感じるようです。なぜ皆がこう感じるのか、僕はずっと悩んでいたのですが、最終的に上記の「豊か過ぎる倍音」説にたどり着きました。
ワレフスカの演奏評価で、音程の不安定さが指摘されるのは覚悟していましたが、一部の評者に、ワレフスカが作り出す音楽の大きさ、深さ、優雅さが評価されなかったのは残念でした。心を動かされたのが南米の音楽のリズムだけだった、ということでは、寂しすぎます。それは、「豊か過ぎる倍音」に惑わされ、そのために、音程の問題とビブラートの問題が一緒に処理されてしまうといった「間違い」から起こってしまったことだと思うのです。聞き慣れないビブラートに惑わされ、音程も悪かったし…で、結局、ワレフスカの音楽の本質に迫る余裕がなくなってしまったのではないでしょうか。弱音時の表現はピカ一だったと思いますが…これも残念です。
彼女のようにしっかりと音楽を語ってくれるチェリストは、世界中に、もうほとんど残っていないと思うのですが…
その渡辺氏のメールに、彼が愛して止まないワレフスカのチェロの独特の音色について、とても興味深いレポートがありましたので、無理をお願いして、私のブログに掲載させてもらうことにしました。ワレフスカの音楽の魅力に、改めて気づかれた方は大勢いらっしゃると思います。それらの方に、ぜひとも読んでいただきたく、私宛のメールのままではもったいない、とお話ししたものです。そして、ワレフスカのチェロに、不幸にして否定的な印象を持たれてしまった方にも、今一度これをお読みくださって、ワレフスカの音楽を思い起こしていただきたいと思っています。
渡辺氏からは、私の申し出を受けて、若干の加筆修正、注記が送られてきましたが、それらを織り込んで、私の責任で編集・再構成したのが下記の文章です。渡辺一騎氏のオリジナル文のニュアンスは、ほとんど生かされているはずです。
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ワレフスカの音の秘密について(渡辺一騎)
ワレフスカのチェロは、なぜ「昔の」音がするんだろう?という疑問が常に、彼女が来日してからは特に、私の頭の中にありました。「昔の」とは、古いLPやSPレコードなどでしか聴くことのできない、当時のチェリストと似たような音、ということです。そこで、以前からいろいろな奏者の奏法について、見聞きしていたこと、そして今回のツアーでワレフスカと話し合ったこと、公開レッスンで指摘していたことなどをまとめてみました。
ワレフスカの「音」を考えるときには、まず使用している弦の問題がありますが、ワレフスカの場合、上2本はヤーガー、下2本はプリムというスチール弦を張っています。最新のブランドではありませんが、ガット弦ではありません。彼女は「ガット弦のチェロは生涯に一度しか弾いたことがない」と言っています。(それは、ある昼食会で、師匠のマレシャルの楽器を使い、ロストロポーヴィチのピアノ伴奏でロココ変奏曲を弾いたとのことです。)要するに、ガット弦の音に馴染みがあるわけではないのです。
答えは結局、左手の弦の押さえ方と右手のボウイングにあるようです。一つの大きなヒントが、東京新聞に掲載されたワレフスカの演奏中の写真にありました。
彼女のボウイングとビブラートは、彼女自身の言を借りればギリシャ建築のように完璧な「ベル・カント奏法」で、とくに彼女の左手は、カザルスの左手の奏法――関節を全て曲げて指を常に丸くし、弦を叩くようにして指先で押さえる――と、ロストロポーヴィチを代表とするロシアン・スクールの左手の奏法――より安全なポジションの獲得と移動方法の徹底――の影響を多少なりとも受けている他の全ての現役のチェリストとは、明らかに一線を画するものなのです。(「ベル・カント奏法」の定義とは?と言われてしまうと困りますが、この言葉自体はワレフスカ本人が自分のボウイングに対して使っていたものなので、敢えて「ベル・カント」という言葉を使いました。)
私は、東京新聞の音楽会評に掲載された演奏中のワレフスカの写真を見て「はっ!」としたのですが、それは、ポルトガルのかつての名女流チェリスト、G・スッジアの肖像画と、フォルムがほとんど一緒だということです。この肖像画、T・ジェリコーが描いた有名な「エプソムの競馬」のように、かなりデフォルメされて書かれていると思っていたのですが、そうではなかった訳です(インターネットで調べたところ、この肖像画の元となるポートレート写真も見つかりました)。[竹内註:その肖像画を、本日のブログの冒頭に挿入しました。この肖像画、私は、名指揮者フレイタス=ブランコのCD蒐集で購入した中にあって、見覚えがありました。数少ないスッジアの録音で伴奏指揮を務めていたからです。]
要するに、ワレフスカの左手は、カザルスやロシアン・スクールが登場する以前の奏法に準じているということです。事実、彼女自身は、カザルスやロシアン・スクールの奏法を「テクニックと引き替えに多くの芸術的な利点を見捨てたメソッドだ」と言って否定しています。
現代ではチェロ奏者は、左手の手のひらの中に卵でも入れたかのように手を丸くし、指の尖端の最も肉が薄いところで弦を押さえます。つまり肉を介し、ほとんど指の骨で弦を押さえている感じです。弦を押さえる場所を「点」として捉えることができるだけでなく、こうして押さえた音はシャープで張りのある音になります(開放弦の音に近づくイメージ)。カザルスの録音を聴くと、ポジションを取る際に音が出るほど強く弦を押さえているのが良く分かります。
ところがスッジアやワレフスカに見られる「昔の奏法」では、指は弦に対して上からも横からも垂直で、従って指の腹の最も肉の豊かなところで押さえているわけです。もしかしたら弦は指板に当たっていない時があるかも知れません。このことが音響学的にどうして有利になるのか、何とも説明しづらいところですが、例えば中国の胡弓などは指板が無くてもあのように美しい音が出ています。
ところで近年では、一部のヴァイオリンやヴィオラ奏者、そしてさらにごく一部のチェロ奏者の間で、「開放弦がベストの(目指すべき)音」という考えを捨てて、新しい?弦の押さえ方を模索・実践している人たちがいるようです。彼らはどうしているかというと、単純に「強く押さえない(指板と指はほとんど触れない)」あるいは「指の芯を外して押さえる」という方法を取っているようです。
いずれにしても、ワレフスカの音の秘密の最初のポイントは、左手の指にあるようです。そういえば、あるプロデューサーがワレフスカのビデオを見て「この人は弦の押さえ方が下手なのですかね?」と言っていました。ハイフェッツやピアティゴルスキーなどの昔の偉大な演奏に触れていないと(映像を通してでも)、こうした間違いを犯してしまうことになります。
また、ビブラートの回数も、現代のチェリストは1秒に7~8回かけているのに対し、彼女は1秒間に6回(これがビブラートの「黄金比」、ピアティゴルスキーもボロニーニも同じように教えてくれた、とのこと)なのです。
さらに、ワレフスカの場合、右手のボウイングは手首のスナップを必要以上に使わず、肩の力を直接弓に伝える(ために、移弦の際の肘の移動量が大きくなるデメリットがある)ので、あんなに大きいけれども、優しい音が出るのです。マイスキーなどのソリストは、木と毛が平行になるほど強く弓の毛を張っています。音楽家の好みがガット弦からスチール弦に移り、さらにより強い張りのスチール弦を…という流れの中で、特にロシア系のソリスト達は弓の毛をどんどん強く張るようになって行ったようです。
弓の毛を強く張らずに、優しく弾くと、チェロはヴァイオリンとは比べものにならないほど(弦が長いので)豊かな倍音が出ます。ワレフスカの場合、この倍音の出具合が半端ではありません。音程によっては、一瞬、何の楽器が鳴っているのか分からないほどです。
だから、普通の人は彼女の音を「捉えどころのない音」と勘違いしてしまうのではないかと思うのです。多くの方が、「前半はチェロの音に戸惑ったが、後半は一転して…」と感じるようです。なぜ皆がこう感じるのか、僕はずっと悩んでいたのですが、最終的に上記の「豊か過ぎる倍音」説にたどり着きました。
ワレフスカの演奏評価で、音程の不安定さが指摘されるのは覚悟していましたが、一部の評者に、ワレフスカが作り出す音楽の大きさ、深さ、優雅さが評価されなかったのは残念でした。心を動かされたのが南米の音楽のリズムだけだった、ということでは、寂しすぎます。それは、「豊か過ぎる倍音」に惑わされ、そのために、音程の問題とビブラートの問題が一緒に処理されてしまうといった「間違い」から起こってしまったことだと思うのです。聞き慣れないビブラートに惑わされ、音程も悪かったし…で、結局、ワレフスカの音楽の本質に迫る余裕がなくなってしまったのではないでしょうか。弱音時の表現はピカ一だったと思いますが…これも残念です。
彼女のようにしっかりと音楽を語ってくれるチェリストは、世界中に、もうほとんど残っていないと思うのですが…