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明治末期美術界のベニス、ゴンドラへの憧憬が、東京美術学校に日本初のマンドリン合奏団を産んだという説

2011年05月31日 11時44分02秒 | 「大正・昭和初期研究」関連



 拙著『ギターと出会った日本人たち』に関連して、新しい見方のヒントをもらいましたが、そのご報告の前に、まず、近況報告。

 今、『近代ニッポン「しおり」大図鑑』(国書刊行会・刊)の編集・執筆の大詰めです。新聞号外収集・研究家としても著名な羽島知之氏の「しおりコレクション」を中心にまとめられるもので、羽島氏と私との共編。全体の監修は、日本絵葉書会々長も務める帝塚山学院大学教授の山田俊幸氏です。私自身は今、全体の編集の流れの修正と、それに合わせての解題注記の執筆に追われています。本の内容は「国書刊行会」さんのホームページに掲載されています。『大正・昭和の乙女デザイン』『大正イマジュリィの世界』(ピエブックス)、『小林かいちの魅力』(清流出版)など、私の大正・昭和文化史への関心の延長上の仕事で、とても興味深い事実が満載です。この注記執筆のための調査で、このところ大正・昭和の雑貨・化粧品・文房具・薬品・鉄道などの歴史にまで首を突っ込んで楽しんでいます。もちろん、お決まりの乙女グッズも満載の、キッチュな図鑑です。
 このあと、本文の注記に盛り切れなかったはみ出し情報も再構成しての巻末解説、登場作家・企業名解説などで仕上げになります。『乙女デザイン』の「楽譜絵葉書」の解説でも苦労しましたが、無名の作家、消滅した企業・商品が満載ですから、取り組み甲斐もあります。乞ご期待です。

 ところで、この監修もしている山田俊幸氏は、もう古くからの付き合いで、しかも私が尊敬できる数少ない、学究肌のホンモノの大学教授なのですが、その彼から、私の著書『ギターと出会った日本人たち』(ヤマハミュージックメディア・刊)について、またまた貴重な指摘やアドバイスをもらいましたので、ご報告します。
 昨日、携帯にメールされてきたものです。以下、山田氏のメール文を、そのまま掲載します。

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ギターの本、昨日読んだ。間違い二点。新版画は浮世絵リニューアル。佐藤惣之助が白樺とは、なんで読んだのか、疑問。自分で調べないで、誰かの情報を鵜呑みにした結果とみた。ギターを演奏家中心にみると、まあ、竹内式になるのだろうが、あそこに岩村・富本などのマンドリングループの美術学校グループが登場しないのは疑問だな。明治末には[ギタール]が常識として短歌に歌われるし、ギタールを持つ竹久夢二の肖像もある。ギタールへの憧れは、美術家のほうに強くあり、イマジュリィでは、多分、ギタールは早い。そうと考えると、金子薫園がベニス風景に置いたギタールは、何かを教えてくれるはず。ベニス流行が明治末にあり、岩村はラスキンからするとそれだろう。ベニス風景のゴンドラとギタール。図像を集めると面白い。

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 これに対して、とりあえず送信した私の返信は以下のとおり。

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ご教示、深謝。比留間賢八は東京音楽学校のはぐれ鳥ですから、美術学校のほうで愛好家を集めてマンドリン合奏を組織したのだろうとは思っていましたが、その背景に美校のベニス、ゴンドラ流行を置くという発想も知識もありませんでした。いずれにしても、あの周辺のマンドリン情報は、103ページに掲載した比留間と美校生たちとの合奏写真とともに、印刷直前に入ってきて、生飲み込みで書き直して本にしてしまったので、再調査、大幅加筆の第一候補。痛いところを突かれましたが、ヒントもらいました。

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メール返信では、それ以外の部分については、他の仕事で忙しい最中だったのと、いつもの山田流皮肉でもあったので放っておきましたが、「新版画」については、彼は専門家ですから、私の早とちりと舌足らずを諌めたもののはずです。
 佐藤惣之助のくだりは、彼が斜め読みしてキーワードに目が行く、という学校の先生特有の読み飛ばし方で早とちりしたもののはずです。私は惣之助が白樺派だなどとは、書いていないのです。私が書いた本文は「大正の半ばまでは、当時盛んだった生命力にあふれた作風で白樺派の系統に近い詩を書いていて、新進作家詩人として注目されていた。」です。その後、惣之助は象徴派風の作風に代わり、そこで萩原朔太郎などと交わるのです。
 わたしは、結局のところ流行歌の作詞家として成功した惣之助の「変わり身の早さ」を言いたかったのと、のちの流行歌「人生劇場」などの泥臭い人間臭さのルーツは、「象徴派」ブリっ子をする前の惣之助の作風にあるのではないか、と仮説を立てているのです。
 なお、山田氏が美術学校とマンドリンとの関わりの中で言っている「富本」は陶芸家として著名な「富本憲吉」で、この人物は、こんどの「しおり」にも登場してきます。
 美校でのマンドリン演奏の流れはかなり有名ですが、私よりも日本のマンドリン史に詳しい方が触れている事柄です。ギター史としては、話が脱線するばかりなので割愛したものです。ただ、今回の山田氏のアドバイスで、何故、比留間賢八が美校に合奏団を作ったのかが、邪推かも知れませんがすこし判った気がし始めていますので、美術畑のベニス・ブーム、ゴンドラ・ブーム(小林かいちにも有名なゴンドラ・デザインがありますし、大正期の流行歌とゴンドラも切り離せません)とギターとの関係から、美術界にまで調査を広げると、まだまだ、おもしろい事実が見つかるかもしれないと思うようになりました。

 
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タワ・レコ『ワレフスカ名演集』、日本ウエストミンスター『ワレフスカ/チェロリサイタル』を購入した方へ

2011年05月30日 12時06分20秒 | ワレフスカ来日公演の周辺



 きょうは、まず、4月19日の当ブログで話題にしたタワーレコードの不良品の話です。タワ・レコ限定発売アルバム『ワレフスカ名演集』(5枚組)の「CD-1」の一部のトラックが、左右の音が逆になって制作されていて、いずれ、店頭告知などで良品と交換する予定らしい、という件です。じつは、私のところに、昨日いきなり郵送されてきました。1、2、6トラックが逆になっているということと、お詫び、そして不良品は処分してほしい(返送不要)といったことが書かれた5月12日付の文書が添えられていました。考えてみたら、私はタワーの通販で買っているわけですから、当然、私が当該商品を買った事も、その送付先住所も把握しているわけです。あまり大っぴらにしないで、買った人にだけこっそり連絡しているみたいだし、ちょっと気持ち悪かったのですが、というわけで、順番に送付しているようですので、まだ届いていない方はもうしばらく待てば届くのではないでしょうか? ところで、店頭で買った方のために貼り紙などで告知して、交換を開始しているのでしょうか? 私のブログは、ワレフスカ・ファンの方もかなりの数で閲覧していらっしゃるようですので、ひとこと、ご注意を喚起しておきます。
 私自身はこのところ、なかなか時間が取れなくて、例の、4月27日に日本ウエストミンスターから発売された『クリスティーヌ・ワレフスカ・チェロ・リサイタル』(昨年の東京公演ライヴ/写真参照)が、店頭のかなり目立つ場所に置かれて、好調な出足で売れているという話も聞いたのですが、実際の売り場の様子を見たのは、銀座の山野楽器だけなのです。でも、多くの方がご購入くださっているようで、リサイタルCDの発売実現をお手伝いしたひとりとして、この場を借りて皆様に改めて御礼いたします。そして、ワレフスカの、後世に残すべき名演奏が少しでも多くの方々の手許に届くよう、引き続きご助力ください。
 ところで、「日本経済新聞」夕刊の「ディスクレビュー」では、「福原彰美のピアノもいい」と書かれ、我が意を得た思いで嬉しかったのですが、その福原、震災で延期となっていた東京・銀座の「シャネル・ピグマリオン・コンサート」が再開され、直近では7月23日の出演が決まっています。期待しています。



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「オリジナル・マスターテープ使用」というCD化への疑問と、いわゆる「盤起こし=板起こしCD」の奨め

2011年05月25日 15時09分27秒 | 雑文


 きょうは、往年の名演をどのような音源ソースで聴くか? という話題。
 先日、タワーレコードから、独自企画で制作・発売されたEMI系の音源の復刻CDがまとめて数枚届いた。もともと、一連のタワーの独自企画は、長らく廃盤になっているものが登場するので、それなりの役割を果たしてきたと思うが、細かいことを言っていてはキリがないし、せっかくの意欲的な動きに水を差しかねないので、いわゆる「CD化の音質」については、驚くほど見ちがえた出来栄えを称賛するとき以外は、なるべく話題にしないようにしてきたつもりである。
 つまり、レコード時代の古い演奏の場合、オリジナルのレコード音源を聴いている者にとっては、CD化は第二義的、かつ、便宜的な鑑賞素材に過ぎないというのは当たり前のことで、ことさら声高に言うようなことではないからだ。むしろ、タワー企画では、80年代以降の、初出がCDだったものでさえ廃盤が多いから、それらを再発売してくれることが、ありがたかった。
 だが、ここ数年、特定の「どうしても出ない」というものを除いて(じつは、それこそが「宝の山」なのだが…)、ほとんどの定評ある名盤が出揃ってしまったので、マスタリングを変更して「こっちがいい音だ」「いや、今度こそ」と、同じアイテムを繰り返し再発売する傾向が増えてきたように感じる。あるいは、オリジナルLPデザインを模した表紙に替えての再発売も増えてきた。それらも、私は、否定するつもりはない。明らかに情報量が増えた音質で見違えたものもあるし、愛聴盤など、その表紙そのものに愛着があったので、わざわざ買い直したものもあるくらいだ。
 だが、「オリジナル・マスターテープ使用」をキャッチフレーズにしているものが、最近目立つようになったが、これは、どうだろう。オリジナル・マスターテープは、音がいいのだろうか?
 私自身これまでに、各社のCD制作者と様々関わってきたので、CD化に際してのマスタリングの技術というかセンスによって、かなり音が変わってしまう、という経験があり、単純には言えないことだが、このブログの冒頭の写真をみていただきたい。これは、「ROYAL CLASSICS」というイギリスの廉価版シリーズで1994年に発売されたCDである。EMIの正規のライセンスで発売されたものだが、それ以前の1988年にEMIによってコンピレーションとデジタル・リマスタリングが行われていると表記されている。私は所有していないが、多分、80年代終わり頃、赤いプラケースで発売された英EMIのCDが、その初出CDではないかと思う。
 この写真のCDを私が自分のコレクションから引っ張り出したのは、
つい先日届いたタワー・オリジナル企画のCDの中に、同じ内容のヴァンデルノート指揮ベルリン・フィルの「ベートーヴェン序曲集」があり、そこに「オリジナル仕様としては世界初CD化」というような、微妙な謳い文句が踊っていたからだ。「そういえば、以前、CDになっていたな」と記憶があったので、棚から取り出したものだ。
 さっそく聴き比べてみたが、明らかに、20年近く昔の廉価盤の方が、しっかりとアタックしてくる音で抜けが良い。低音域の手ごたえも大きいし、全合奏での各パートの分離がしっかりしている。これは、おそらく、1960年頃録音のマスターテープが、1988年のCD制作時から更なる経年変化によって劣化してしまって、今回のマスタリングでは音質的に救いきれなかったということだろうと思った。
 こうしたことは、別にめずらしいことではない。だから私は、劣化してしまったマスターテープや原盤をありがたがって使用する意味は、ほとんどないと思う。これは、LPの再プレスでも同じ。劣化してしまったマザーを使って新たにプレスしても、切れ込みの甘くなってしまった音はもう元に戻せない。これは、10数年前に米エヴェレスト盤の再プレス盤が3500円か4000円くらいで発売された時に、私の所有していたオリジナル盤と比較して感じたことだ。
 そこで私は、初出当時のLPレコードを最良の装置で再生して制作する復刻CDが、手軽に往年の名演奏を聴くには、最も適した方法だと思うようになってきた。このところ、盤起こしによる「レーヌ・ジャノーリ」の名演復刻CDで、日本ウエストミンスターさんの仕事に関わらせていただいて、ますますそのことを強く感じている。半世紀以上経っても、LPレコードからは、しっかりとした手応えの音が響いてくる。 



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ピアニスト石黒浩己の音空間に、パーカッショニスト竹本一匹が乱入!?

2011年05月22日 14時46分17秒 | エッセイ(邦楽&ポップス)



 きょうは、私にとっては、いつもと少々、畑ちがいの話題ですが……
 一昨日、20日(金)、六本木のライブハウス「SOFT WIND」に行きました。作曲家・ピアニストの石黒浩己氏とパーカッショニストの竹本一匹氏との、初めてのデュオ・ライヴだったのです。
 石黒浩己氏のピアノについては、以前にも当ブログで書いたことがありますので、ご興味のある方は、この頁の左欄を下にスクロールして、「このブログ内」での検索を試みてください。2008年10月にキングレコードのディストリビュートによる「ベルウッド」レーベルで発売されたアルバム『うつろひ』のライナーノーツを書きましたが、それ以前から、時折ライブを聴いて、その独特のサウンドに、いわゆる「癒し系ピアノ」と、ひと味も、ふた味も違う魅力を感じて注目していました。「環境音楽」的には、風のゆらぎのような空気感をとらえようと苦心している音楽家だと、私は思っています。
 一昨日のライブの休憩時間にも話が出ましたが、石黒氏と1年ほど前、日本橋のバーで飲んでいるときに、「《うつろひ》で共演した仲間のひとり、竹本一匹とのデュオは、刺激になっていいかも…」と私が何気なく言った時、彼から「じつは、ぼくも、このあいだから、そんなことを考えていたんですよ」と言われて、その一致から、思いがけず話が弾んだのを思い出します。竹本氏は、石黒氏が目黒の「ブルース・アレイ・ジャパン」でのライブ・セッションで組んだ5人の仲間たちのひとりで、《うつろひ》のCD制作時にも参加していますが、様々のパーカッションの響きに、とても敏感に反応するミュージシャンだと思っています。日本的な発想で言えば、不意を突かれる風鈴の音や、衣摺れの音にも似た、武満徹の言葉を借りれば「沈黙と測りあえるような」音を、さりげなく聴かせる名人です。
 もちろん、それだけではなく、かなり「熱い」音楽も持っていて、石黒氏のピアノとのそうした激しいバトルも聴きものでしたが、いつも私が言っているように、そうした激しさは、静寂を抱えた緊張に支えられてこそ、の、爆発であるのは、どんなジャンルの音楽でも同じだと思っています。
 石黒氏は数年前にタイ・プーケット島のリゾート・ホテルでの活動などから、海をテーマにした音楽が多かったのですが、帰国後、試行錯誤の後、新境地を掴んで久々のアルバム《うつろひ》を発表したわけです。しかし、このところ、なかなか仲間を集めてのライヴの開催が難しい状況が続いて、赤坂、品川のライブハウス、あるいは神楽坂の赤城神社境内の小さなライヴ・スポット(ここは伝説的な、いい場所で、石黒氏の即興スタイルの演奏も冴えていました)など、ソロのコンサートが多くなっていました。そうして、ソロ・アルバムの制作準備を続けていたわけですが、その途上、新作のデモ音源などを聴かせてもらいながら、ふっと頭の中をよぎったのが、竹本氏とのデュオだったのは、私にとって、決して単なる思い付きではなかったと思いますし、ひょっとしたら、石黒氏にとっては「必然」だったのかも知れません。
 竹本氏は、最近知ったことなのですが、キューバのハバナ音楽学院に若いころ行って、直接学んでいるのだそうです。キューバというと、私などは、子供の頃に聴いたペレス・プラードをすぐ思い出しますが、彼が、なぜキューバに向かったのかは、聞きそびれてしまいました。ただ、ペレス・プラードで私の愛聴曲『ハバナ午前3時』に収録された「キューバ幻想曲」という10分ほどの大作や、『ボンゴ・コンチェルト』の話しで盛り上がってしまいました。たぶん、短いフレーズのリフレインが多い感覚は、石黒氏の音楽のある種の傾向にも通じていると思います。
 一昨日のライブでは、石黒氏の発想の幅に広がりが生まれかかっているのが、伝わってきました。出口を求めて手探りする石黒氏に、竹本氏は、あるときは出口を見出すきっかけを与え、あるときは、出口なき場所へと追いつめる――。なかなか、おもしろい展開でした。
 次回が楽しみです。まだこれからだとは思いましたが、新しい世界が開けるような予感がありました。


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スティーヴ・ライヒとアダムスから思い出したテリー・ライリーなど、ミニマル・ミュージック全盛の時代

2011年05月19日 08時20分22秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログでは、このシリーズの特徴や意義について書いた文章を、さらに、2010年11月2日付けの当ブログでは、このシリーズを聴き進めての寸感を、それぞれ再掲載しましたので、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下の本日掲載分は、第4期発売の15点の4枚目です。

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【日本盤規格番号】CRCB-6079
【曲目】ライヒ:砂漠の音楽
  アダムス:弦楽オーケストラのための《シェイカー・ループス》
【演奏】ペーター・エトヴェシュ指揮BBC交響楽団/BBCシンガース
    リチャード・バックリー指揮BBC交響楽団
【録音日】1985年7月29日、1984年11月22日
 
■このCDの演奏についてのメモ
 現代音楽の潮流に確固とした位置を占めるに至った、いわゆる〈ミニマル・ミュージック〉の作品を収めたCD。ミニマル・ミュージックとは、ごく短い音のパターンを執拗に反復しながら、いつの間にか少しずつ変化しているといった手法の音楽で、聴き手は独特の浮遊感の中に置かれる。1960年代半ば過ぎにアメリカで起こった作曲技法だが、ミニマル・ミュージックとしてはおそらく、テリー・ライリーの1964年の作品『IN-C』が、初期の代表作だろう。これは1968年に米CBSのLPで発売されたが、世界の作曲界に大きな影響を与えた。70年代以降は、このライリーとスティーヴ・ライヒが、ミニマル・ミュージックの分野での双壁で、日本も含む世界の各地で演奏され、また、新作の依頼がされたが、このCDに収められたライヒの作品も、ドイツのケルン放送局などの委嘱による作品。このCDでも指揮をしているペーター・エトヴェシュの指揮で1984年3月にケルンで初演され、ライヒの新境地を拓いた作品として著名だ。同年10月にはニューヨークに於いて、マイケル・ティルソン・トーマス指揮でアメリカ初演。このCDは、それに続く演奏で、初演時と同じエトヴェシュの指揮による英国初演の録音だ。
 エトヴェシュは、ルーマニア中部のトランシルバニア出身で、ハンガリーのブダペストで学んだ。バルトークの他、現代を代表するブーレーズ、シュトックハウゼンなどの作品の解釈で定評がある。一時期、シュトックハウゼン・アンサンブルでピアノ及び、パーカッションを担当していたというが、ブーレーズに推挙され、指揮者としては1980年にパリ、ロンドンでデビューした。以来、主として現代作品の貴重なスペシャリストとして、1988年まで、BBC交響楽団の首席客演指揮者として活躍した。現在は研究と後進の育成に力を注いでいるようだ。
 後半に収録された、ライヒの後に続く世代のジョン・アダムスが作曲した作品『シェイカー・ループス』は、1978年の秋にサンフランシスコに於いて作曲者自身の指揮で初演されたアダムスの代表作。このCDには、イギリスに於ける1984年の録音が収録されている。指揮は多くの現代作曲家の作品の初演を手掛けていることで知られるアメリカのリチャード・バックリー。バックリーとBBC交響楽団との関係は不明だが、イギリスを始めドイツ、フランス、チェコなどに、しばしば客演している。(1996.7.24 執筆)


【ブログへの再掲載に際しての付記】
 それぞれ、曲の背景説明に終始していてぶっきらぼうな文章ですが、今から15年前には、やはり、こうした「コンテンポラリィ・ミュージック」について、あまり書く気は起らなかったというのが、正直なところです。同時代の演奏家に対する親密感と違って、「同時代の作品」に対しては、私は昔からそうだったと思います。問題提起の在り様が、私の中でなかなか客観化されないので、思うことはいろいろあるのですが書きづらいのです。そして、かなり距離が置けるようになった今日、「こうした音楽が持っていた意味」と、過去のものとして聴きはじめている自分に気づいて、ちょっと驚いています。
 文中で言及している『in C』は1970年代にすっかり気に入って、LP時代から愛聴盤でした。カセットにダビングして曲終わりでテープをカットし、B面に同じ録音を入れ、自動反転のカセットデッキにセットしてエンドレスで聴けるように加工できるようにしたときは、ご機嫌でした。今でも、ライリーのミニマル・ミュージックの正しい再生法だと思っています。ライリーはLPを2種類持っていたと思いますが、『in C』がCD化された時には、大喜びで買いました。CDはリピート再生が簡単で、いいですね。よく一杯飲みながら、本を読んでいました。
 ライヒの作品は、リルケ研究で著名な慶応義塾大学の塚越敏教授(故人)のお宅(沼袋)に、書籍編集者時代に原稿の打ち合わせで伺ったとき、聴かせていただいたのが最初です。塚越先生は、後に、私が『レコード芸術』誌に執筆をして「音楽評論家」と呼ばれるようになってしまったきっかけとなった同誌の編集者H氏を紹介した人です。1980年代の半ば頃のことだったと思います。
 アダムスという作曲家には、確かサイモン・ラトルも録音している作品があったと思いますが、既報のように現在、我が家の地震被害の修復中のCD棚の中にあるはずの1枚なので、現物の確認ができません。
 いずれにしても、このBBCのCD解説を書くために、ライヒは同曲異盤を探し出して購入し、聴き比べたのを覚えています。それが冒頭に掲載した写真のCDで、米ノンサッチから発売されたマイケル・ティルソン=トーマス盤です。1984年10月ニューヨークでのスタジオ録音です。(文献上で1984年10月にアメリカ初演、とあるのは、これを使用した「放送初演」なのかも知れませんが、未確認です。)『砂漠の音楽』は、ライヒがこだわっていたアメリカを代表する現代詩人、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズのテクストを使用した音楽で、確かに「ミニマム」な繰り返しを多用した音楽ですが、私自身は、例えば日本の祭の「お神楽」を聴くようなビート感のある、美しくも抒情的でもある作品に聴こえるノンサッチ盤の方が、BBC盤よりも好きでした。そして、85年にLPも発売されていますが、写真のノンサッチ盤は、1991年にワーナー・ジャパンから発売された国内プレス盤です。中に封入された日本語解説書はLP時代の複写物です。こうしたジャンルでさえ、国内盤の発売があったのです。凄い時代でした。
 


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レーヌ・ジャノーリによるモーツァルト「ピアノのための変奏曲全集」第2集のライナーノート(つづき)です。

2011年05月17日 10時09分58秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)

                          
以下は、昨日のつづき。ライナーノート後半です。

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(ライナーノート後半)


《演奏曲目について》

〔1〕ドゥゼードのコミック・オペラ『ジュリィ』の「リゾンは森で眠っていた」の主題による9つの変奏曲 ハ長調 K. 264 (315d)
 ドゥゼ―ドという作曲家は、最近の研究では「きらきら星変奏曲」(「第1集」に収録)の解説でも登場するようになったが、謎の多い作曲家である。名は「ニコラ Nicolas」といい1730年代の生まれとされるが、詳しい生年、出身地、両親については不明。1792年にパリで没している。したがって「フランスの作曲家」と言われるがフランス人かどうかも怪しい。わかっているのは1770年頃にパリに現れ、1772年にコミック・オペラ『ジュリィ』で一躍、脚光を浴び人気作曲家になったということ、「フランスで活躍した作曲家」というわけである。当時パリのコミック・オペラは、替え歌あり即興ありの滑稽芝居といった趣きが濃厚だったはずだから、「きらきら星」と後に日本で名訳された子供のための歌も、当時はパリの民衆歌だった旋律をドゥゼードが『ジュリィ』の再演にあたって取り入れ、それをモーツァルトが聴いて、変奏曲の主題にしたのだろうと考えられるようになっている。
 この「リゾンは森で眠っていた」(古いLPでは「眠れるリゾン」としばしば訳されていた)変奏曲の主題旋律も、そうした借用の可能性があるが、こちらは古くから、「ドゥゼードの~」と冠されている。ジャノーリ盤のオリジナルLP解説にもそうした記載があり、さらに、「一連の」としてパリで書かれた変奏曲群の1曲という認識が表明されている。しかし現在の研究では、着想は1778年パリ滞在中だったとしても、必ずしもパリでの作曲とは限らないという推論があることは、「きらきら星変奏曲」の解説で明らかにしたとおりである。出版は1786年と、かなり遅い。
 この曲の録音では、1955年に仏パテによって録音されたフェルナン・ウーブラドゥ監修の『パリのモーツァルト』というシリーズに収められたジャンヌ=マリー・ダルレの録音が私の愛聴盤なのだが、その少し沈んだ不思議な匂いの漂う演奏に対して、色鮮やかで華やかな曲想の歌が繰り広げられているところが、いかにもジャノーリである。(ついでながら、この仏パテのアルバムには、ジャノーリの師のひとり、ラザール・レヴィの演奏も、いくつか収められている。)

〔2〕シャックとゲールの『愚かな庭師』のアリア「女ほどすてきなものはない」による8つの変奏曲 ヘ長調 K. 613
 ケッへル番号が示す通り、モーツァルト晩年、死の年1791年3月の作品である。モーツァルトは歌劇『魔笛』を書いていた。『魔笛』は、心触れあう友人であったであろう興行師シカネーダーの依頼で「歌芝居(ジングシュピール)」に作曲されたもので、歌劇とは言っても、いわゆるイタリア伝統の「オペラ」ではなかった。ジングシュピールはドイツ圏で一般的だった形式だが、モーツァルトがパリで刺激を受けたコミック・オペラ的な自在な要素も色濃く持っていた。ベネディクト・シャックとフランツ・ゲールは、そうした歌芝居の歌手、兼作曲家として、旅芸人・シカネーダー一座の花形だった。モーツァルトの『魔笛』初演は、シカネーダーのパパゲーノ、シャックのタミーノ、ゲールのザラストロという布陣だったと伝えられている。
 シカネーダーの持ち歌だった彼らのヒット作品によるこの変奏曲は、歌の前奏から全ての旋律を提示する44小節もの長さを持った主題の提示に始まる。そして変奏は、ひたすら丁寧で、きめ細かく、それでいて、思わずクスッと笑いがこぼれるような軽やかでユーモアのある動きを聴かせる。ここに、モーツァルトが抱いていたシカネーダー一座の人々への真摯な友情の発露を感じるのは、私だけではないだろう。ジャノーリのピアノも、そうした丁寧さを守り続け、洒落っ気のある曲調の変化を手際よく差し挟んで静かに弾き終えるが、変奏を重ねながら微妙な加速度が現れる名人芸が、殊更に味わいを深めている。

〔3〕フィッシャーのメヌエットによる12の変奏曲 ハ長調 K. 179 (189a)
 1774年、モーツァルトが18歳の頃の作品。故郷ザルツブルクに戻っていた時代の作曲だが、主題に採用されているのは、それ以前の10歳頃、父親に連れられての西方への大旅行時代、ロンドンやオランダで神童としてピアノ演奏をしていた頃に知己を得たヨハン・クリスチャン・フィッシャー(1733~1800)の作品である。フィッシャーは主としてロンドンで活躍していたオーボエ奏者で、その『オーボエ協奏曲』の終楽章ロンドのメヌエット主題が使われている。後年になってからのモーツァルトは、このオーボエ奏者を「不器用者」としてまったく評価していなかったことが残された書簡によって知られているが、この変奏曲は、几帳面で律義とでもいえるような変奏が繰り広げられる比較的長大な作品となっており、モーツァルト自身もしばしば演奏していたという記録がある。ジャノーリが録音を行った頃にも、既に「ロンドンのオーボエ奏者の作品を主題にしている」と知られていた。率直で生真面目な展開を十分に生かしたジャノーリの演奏は、ことさらに一音一音をくっきりと鳴らしているようだ。

〔4〕グレトリの歌劇『サムニウム人の結婚』の合唱曲「愛の神(行進曲)」による8つの変奏曲 ヘ長調 K. 352 (374c)
 主題に使われている旋律の作曲家、アンドレ・エルネスト・モデスト・グレトリ(1741~1813)は、ベルギー出身で、イタリアのローマで学んだ作曲家である。ローマではそれほどの成果を発揮しなかったが、フランスのコミック・オペラに開眼し、1767年の新春、20歳代半ばでパリに赴き、人気作曲家のひとりとなったという経歴の持ち主である。この歌劇『サムニット人の結婚』は、60曲を越えるグレトリの歌劇で、最初期の作品。フランスのコミック・オペラを模してローマで作曲した最初の作品から3年後、1768年に初演されたグレトリのコミック・オペラとしては第3作にあたるもの。最初にパリで初演されたグレトリ作品である。
 一方、モーツァルトの変奏曲は1781年の作品。この年モーツァルトは、とうとうザルツブルク大司教との決定的な決別をしてしまう。宮廷作曲家としての道を断たれ、フリーランスの作曲家となってしまったわけである。フリーランスと言えば聞こえがいいが、言ってみれば失業者。ウィーンに新天地を求めたが、演奏会を開いても客の入りは悪く、弟子も集まらない。この変奏曲は、そうした時期、1781年6月に書かれたと言われている。ウィーンでの最初の弟子とされるルンベーケ伯爵夫人のためのものとされ、当時のモーツァルトの生活状況から、ウィーンの貴族の嗜好に合わせて、当時のパリ文化ブームに沿った選曲だったのではないかとしばしば言われているが、作曲時期から考えて、グレトリの中心的作風を伝える作品とは言い難い。むしろ、行進曲特有の快活でわかりやすい曲想によって、親しみやすく簡潔な変奏曲に仕上がっていると見る方が自然だろう。ジャノーリの演奏からも、行進曲の快活さがよく伝わってくる。

(2011. 5. 11. 執筆)


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レーヌ・ジャノーリによるモーツァルト「ピアノのための変奏曲全集」第2集のライナーノートです。

2011年05月16日 15時49分34秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)

                          
以下は、つい先日、書き終えたばかりの解説原稿です。既に「第1集」用の原稿は4月27日(26日も参照)と5月2日に分けて掲載してあります。「第1集」は発売が6月1日(水)、この「第2集」の発売は6月29日(水)で、どちらも既に予約受付中です。今回もブログ掲載は2度に分割します。後半の演奏曲目に沿っての解説は、明日を予定しています。


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(ライナーノート本文)

■レコード盤に残されたレーヌ・ジャノーリ(2)

 モーツァルト「ピアノのための変奏曲」シリーズの第1集に続いてレーヌ・ジャノーリの残した録音を巡る話題をご紹介する前に、前回分の訂正を先に掲載する。
 第1集で、ジャノーリの録音歴について触れた中、「仏ムジディスク盤」となっているものを、通販クラブだった「仏ディスク・クラブ盤」と訂正するものだが、通販クラブの先行発売がモノラル盤のみで、ステレオ盤は両盤とも同時期だった可能性が否定できないこと、および、原盤ソースの特定が出来ていないことを、合わせてご報告する。原盤ソースに関しては、ヨーロッパに進出していたアメリカのマイナーレーベルの未発売音源を、フランスの通販クラブが買い取ったものかもしれないが、詳細は不明である。
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 さて、第1集の解説では、1950年頃から開始されたジャノーリのレコード録音のキャリアが、アメリカのレコーディング・スタッフを中心に行われていたのではないかという指摘をした。そして、それによって、クリアなサウンドによる明瞭な音楽の輪郭が表現されていることを指摘したが、そうした傾向ですぐに思い出されるのが、ジャノーリとも縁浅からぬ名指揮者ポール・パレーが、戦後アメリカのデトロイト交響楽団の指揮者となって渡米し、米マーキュリーの優秀録音によってフランス音楽の精緻な響きを広く伝えたという事実だ。フランスの音楽趣味の根幹にある明析さは、例えば、カール・シューリヒト指揮パリ音楽院管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集の特異なサウンドにも現れている。そもそも、シューリヒトのフランスでの評価の高さは、その明晰さにあったとさえ言われている。
 ジャノーリの録音によって残された音楽の特質も、そうした明晰さを抜きにしては語れないと思うが、そうしたフランスの音楽趣味の背景にあるものを、私は、ドイツとフランスの演奏会場の響きの違いにあると、しばしば思っている。よく言われるように、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの会場として広く知られるウィーンの楽友協会ホールは、残響がとても長いことで知られている。だがこれは、ドイツ・オーストリア圏のどこに行っても、それほどの差はない特徴だと思う。ホールに長く残る響きは、音楽を豊かに膨らませてくれて、すべてが一体になって鳴るといった趣きがあるが、一方、フランスのホールは残響音が短く、各楽器の音が明瞭に分離して聞こえる。例えば、シャンゼリゼ劇場がそうだったという記憶が、私には強烈に残っている。そうしたフランス圏のホールは、演劇を中心に行ってきたという歴史的背景がある。残響の長いホールは、台詞の聴き取りや演説には向かないものだ。フランスの演奏家の基本的なスタンスが、そうしたホールの響きによって培われてきたと考えるのは、突飛なことだろうか?
 このジャノーリによる一連の「モーツァルトの変奏曲」録音が、半世紀も経った今日に於いても、規範となり得る演奏であることの理由が、そこにあると私は考えている。各変奏ごとに選びとられたテンポの違いや、不意に立ち現れる加速度、音色や音量の弾き分けなど、あらゆる細部が明瞭な輪郭のなかで達成されているこの演奏は、モーツァルトが残したピアノ表現の可能性の宝庫を聴くための最良の規範だと思う。
 おそらく、このジャノーリの録音は、モーツァルトのピアノのための変奏曲だけを集めたレコードとしては、世界で初めてのアルバムではなかったかと思われるが、ジャノーリの1960年前後に残した真摯な取り組みの成果に、私は今更ながら、深く感動している。
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 以下、「第1集」の曲目解説でも試みたように、ジャノーリによるオリジナルLPが制作されたころの曲目に対する認識を、当時の英文解説の記述を交えながら、進めて行こう。


(*続きは明日掲載予定です。)



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BBC放送局の音楽部長でもあったアーサー・ブリス、死の年に残された2つの貴重な録音で聴く作曲作品

2011年05月12日 12時54分50秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログでは、このシリーズの特徴や意義について書いた文章を、さらに、2010年11月2日付けの当ブログでは、このシリーズを聴き進めての寸感を、それぞれ再掲載しましたので、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下の本日掲載分は、第4期発売の15点の3枚目です。

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【日本盤規格番号】CRCB-6078
【曲目】アーサー・ブリス:「管弦楽のための変容的変奏曲」
        :「ジョン・ブロウの主題による瞑想曲」
【演奏】ヴァーノン・ハンドリー指揮BBC交響楽団
    チャールズ・グローヴズ指揮
      ロイヤル・リヴァプール・フィル
【録音日】1975年1月7日、1975年7月4日
 

■このCDの演奏についてのメモ
 このCDは、今世紀のイギリスの作曲家アーサー・ブリスの、第2次世界大戦後に発表された管弦楽作品が2曲収録されている。ブリスの思索的・暝想的な作風がよく表われた1枚となっている。どちらも録音が1975年となっているが、これは、ブリスの死の年にあたっている。
 当CDの前半に収録されている「変容的変奏曲」は1973年にヴァーノン・ハンドリー指揮ロンドン交響楽団によって初演されているが、それから約2年後の1975年1月7日に、当CDに収められた放送用の録音が行われた。指揮は初演と同じハンドリー。オーケストラはBBC交響楽団に代わった。
 この時、作曲者のブリスは80歳を超えていたが、リハーサルから演奏に至るまで立ち合ったという。ブリスは作曲家としての生涯の一時期、BBC放送局の音楽部長を務めていたこともあったので、その録音は、作曲者への敬愛にあふれたものだったようだ。ブリスは充分に満足し、その録音は、それからさらに2ヵ月後、1975年3月22日に放送されたが、そのわずか5日前に、ブリスは既に世を去っていた。このブリス最晩年の力作の真価を伝える演奏として、当CDの録音は貴重な記録となったのだ。
 このCDの後半には、比較的穏健な作風に移行していった時期のブリスの作風を代表する作品として有名な「ジョン・ブロウの主題による暝想曲」が収録されている。演奏はチャールズ・グローヴズ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルで、作曲者の死後3ヵ月余しか経過していない7月4日の演奏会ライヴ。図らずも、作曲者への追悼となってしまった演奏会の記録だ。終曲が荘厳に響きわたると、演奏者たちの、作曲者への追悼の念が伝わってくるような気持になる。これもまた、この作品にとって、特別な日の演奏であったにちがいない。
 ヴァーノン・ハンドリーは、1930年生まれのイギリスの指揮者。自国の作曲家の作品や北欧音楽の指揮で定評がある。
 チャールズ・グローヴズは、1915年生まれのイギリスの指揮者。この録音の頃は、ロイヤル・リヴァプール・フィルの首席指揮者として活躍していた。(1996.7.30 執筆)


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ジャノーリによるモーツァルト「ピアノのための変奏曲全集」(第1集)のライナーノートです。(つづき)

2011年05月02日 14時49分51秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)





 5月27日掲載分の続きです。ライナー・ノート後半、「曲目解説」の部分です。この曲目解説では、オリジナルLPレコード発売当時の「モーツァルト研究」の実情に関しても、ある程度触れるように心がけました。いまだに、日本の名曲解説書やCDライナーノートのいくつかが、戦前の知識で書いたままの本の引き写しであったりするのには呆れますが、この米ウエストミンスター盤の英文解説は、ざっと目を通した感じでも、当時の新しい知識をかなり取り入れているのがわかりました。そこで、私としては、モーツァルトが曲を書いた時代や作曲の動機などに関して、オリジナル録音制作時のディレクターや演奏者の認識に関わっていそうな事柄も、なるべく取り入れて書いてみたというわけです。
 ライナーノート前半掲載の翌日、5月28日に、続けて掲載を予定していたのですが、今村亨氏からの貴重な情報の記載を先にしたため、中断していたものです。

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《演奏曲目について》
〔1〕アレグレットの主題による6つの変奏曲 K. 54 (547b)
 旧ケッヘル番号で「54」という若い番号が与えられているが、実際には1788年7月に作曲されたモーツァルト(1756~1791)の最後の「ヴァイオリン・ソナタ」である「第43番 ヘ長調 K.547」終楽章のピアノ・パートと同一の作品で、しかも、若書きを転用してヴァイオリンのオブリガードを加えたという成立順ではなく、先にヴァイオリン・ソナタが作られたと、現在では信じられている。したがって、( )に記した新ケッヘルが、1788年頃という正しい作曲時期を示している。別のピアノ・ソナタの楽章に使われたと言われた時期もあったが、そのピアノ・ソナタは現在では偽作とされている。ジャノーリがこの曲を録音した時には、既にヴァイオリン・ソナタとの同一性は知られていたが、どちらが先に作曲されたかについては結論が出ていなかったはずだ。オリジナルLPの解説にも作曲時期の明記はない。

〔2〕サルティの歌劇『二人が争えば三人目が得をする』のミンゴーネのアリア「仔羊のように」による8つの変奏曲 イ長調 K. 460 (454a)
 ジュゼッペ・サルティ(1729~1802)はイタリアの作曲家。標題の歌劇は、しばしば意訳され『漁夫の利』とも『トンビに油揚げ』とも呼ばれる。サルティはウィーンでも活動しており、ロシアの女帝エカテリーナ2世に招聘され1785年から1801年までペテルブルクの宮廷楽長となったが、そのロシアへの出発の前に、ウィーンでモーツァルトと出会っている。モーツァルトが父親に宛てた書簡から、この変奏曲は、その際の即興的作品と思われるが、自筆譜が一部しか発見されていないため、全ての変奏が真作かが疑われている。なお、主題となっているアリアの旋律は、モーツァルト作品ではこのピアノ変奏曲の他、歌劇『ドン・ジョバンニ』の第2幕でも引用されていることが指摘されている。1784年の作品。

〔3〕サリエリの歌劇「ヴェネツィアの定期市」のアリア「わが愛しのアドーネ」による6つの変奏曲 ト長調 K. 180 (173c)
 モーツァルトにとっては3回目の、父に連れられてのウィーン訪問時の作品。1773年、モーツァルトは17歳になっていた。折から、ウィーンの宮廷楽長ガスマンが病いに倒れており、モーツァルトを何とか後釜に据えようとの父親の思惑があってのウィーン訪問だったという説がある。この変奏曲の主題は、そうした時期だけにウィーンで台頭していたアントニオ・サリエリ(1750~1825)の人気アリアの変奏曲を披露し、技量を誇示したのではないかとも言われている。しかも、アリアの主旋律ではなく、伴奏の第一ヴァイオリンの旋律を用いるという凝りようだったが、結局それは不首尾に終わり、サリエリがその直後に宮廷作曲家となり、やがて宮廷楽長にまで昇り詰めたのは周知のことである。

〔4〕きらきら星変奏曲(フランスの歌曲『ああ、お母さん、あなたに申しましょう』による12の変奏曲)ハ長調 K. 265
 「きらきら星」の名で、欧米でも子供たちに親しまれている旋律である。原曲は1760年代からフランス各地で、母親に恋の悩みを打ち明ける歌として流行していた作者不詳の旋律だが、これを用いて、1777年にドゥゼードというフランスの作曲家が歌劇の一アリアを作ったため、その翌年1778年にパリを訪れたモーツァルトが、パリの聴衆を喜ばせるために作曲したものと言われていた。ジャノーリの録音も、そうした説が信じられていた時期のものだが、今日では、様々の研究により1781年~82年にウィーンで作曲されたと結論づけられている。当時のウィーンはフランス文化ブームの真っ盛りで、ヴェルサイユ宮殿を模してシェーンブルン宮殿が作られ、フランス生まれの音楽劇や流行歌も多く聴かれていた。

〔5〕ボーマルシェの喜劇「セビリアの理髪師」のロマンス「私はランドール」による12の変奏曲 変ホ長調 K. 354 (299a)
 1778年の春から、モーツァルトはパリで就職活動を始めたが、一向に望んでいる方向には進まなかった。その最中、7月には同行していた母親の死に遭遇する。こうして失意の内に9月になってパリを去るのだが、この変奏曲は、母の死の前、春から初夏の間にパリで書かれたと推定されている。当時パリでは「変奏曲」という形式が流行しており、そのためモーツァルトは、この1775年の初上演以来パリの聴衆の間でよく知られていた旋律で注目を集めようとしたのだろうと考えられている。人気劇作家ボーマルシェの喜劇『セビリアの理髪師』はロッシーニによる喜歌劇が有名だが、ここでモーツァルトが使用した主題旋律は、原作戯曲による音楽劇の挿入歌で、大衆演劇の作・編曲家として当時活躍していたA. L. ボードロンという人の作と言われている。

〔6〕C. E. グラーフのオランダ語歌曲「われは勝てり」による8つの変奏曲 ト長調 K. 24 (Anh. 208)
 作品番号が示す通り、モーツァルトがまだ10歳頃、1766年の作品と言われている。クリスティアン・エルンスト・グラーフ(1726~1803)はオランダのハーグの宮廷楽長だった人物。モーツァルトはこの頃ヨーロッパを西方へと大旅行中で、パリからロンドンへと海を渡り、1765年8月にヨーロッパ大陸に戻って来た。そして9月にオランダでグラーフの知己を得ることに成功している。翌1766年にオランダではヴィレム5世が18歳になったが、その祝祭のために宮廷楽長であるグラーフが作曲したのが、この変奏曲の主題旋律である。それを拝借して10歳の少年モーツァルトが、かなり凝った変奏曲を作って聴かせ、その神童ぶりをアピールしたというわけである。(2011. 4. 10 執筆)




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