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『ピーターと狼』日本語盤の変遷に、情報が寄せられました。

2014年01月01日 23時17分29秒 | LPレコード・コレクション
「ピーターと狼」日本語盤について執筆した昨年6月20日付け当ブログ掲載の私の文章に、下記の詳細な情報がコメントとして寄せられました。ありがとうございます。より多くの方にお読みいただきたいので、コメント欄のままにせず、この場にも掲載いたします。以下、コメント全文です。

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・コメントを書いた人
Loree

・タイトル
芥川比呂志さんの「ペーターと狼」

・コメント
はじめまして。「ピーターと狼」の日本語ナレーション史を興味深く読ませていただきました。私は学校でこの曲を聴いた記憶はなく、文部省の必修教材になっていたとは知りませんでした。

芥川比呂志さんのナレーション、ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立交響楽団の新世界盤(PLV-4)のジャケットには次の記載があります。

Recording Date 1955
Pressing Date 1957.2

また、付属の解説書でロジェストヴェンスキーについて「1932年生れ、今年25才の新人」と紹介されていることから、1957年(昭和32年)発売と思われます。昭和33年11月発売というオーマンディ指揮の日本コロムビア盤は、私は聴いたことないのですが、芥川比呂志さんのナレーションはロジェストヴェンスキー指揮の新世界盤と同一でしょうか。それとも吹き込み直したのでしょうか。どちらにしても、興味あります。これより古い録音としては、加藤道子さんのナレーション、山田和男さん指揮のKING RECORD盤(SP)があるそうです。竹内先生をはじめ、日本語版について詳細に書かれる方がいらっしゃることはうれしいです。ストコフスキー/堺正章さんの日本コロムビア盤も今後復刻されることを期待します。
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ディーン・ディクソンのレコードコレクションのこと

2013年07月28日 12時56分38秒 | LPレコード・コレクション
 このところ話題にしている「ディーン・ディクソン」のレコードのことで、様々な訂正です。
 お恥ずかしいことですが、じつは、急に気が向いて、ディクソンのレコードを一まとめにしてある棚を、久しぶりに眺め始めたら、なんと、先日、私が「意外です」と書いた仏VOX盤を、私自身が持っていたのです。私がディクソンのレコードをムキになって集めていたのは、この世の中に「CD」などというものが現れるずっと以前、1970年代だったと思います。もう鬼籍に入る直前のようなオールド・レコード・マニアの方なら記憶しているかもしれない、東京・御茶ノ水の「バイロイト」という中古&輸入レコード店で偶然見つけたのが、最初の一枚だったと思います。そして、ほぼ一通りのコレクションが出来てしまったのが10年後くらいだったでしょうか。世の中は、CDがLPと並行して発売される時代になっていました。その後も、時折、別バージョンの同録音を見つけたりしましたが、それらをじっくり見比べて考えるのは「そのうちやろう」と思いながら、一箇所に寄せるだけになり、いつか、ディクソンについて書かなくてはと思い始めたのは、それから更に十年ほど経ってからのことですから、20年くらいほど昔の1990年代の半ばくらいでしょう。そして、それが果たせないまま、もう20年も経ってしまったのだと、ゆうべ、我が家のディクソン・コレクションを眺めながら、しばし感慨に耽ってしまいました。
 言い訳してはいけませんね。私自身の「ディクソン・コレクション」のこと、忘れていました。
 ――というわけで、先日、今村氏が指摘した仏VOX盤は、私の手元にありました。それで、米VOX盤が発売されたのかどうか、シュワンのバックナンバーで調べようとしたのですが、わかりませんでした。少なくとも1966年4月のシュワンには掲載されていませんでした。それ以前の米LPのカタログが、1950年台後半にまで飛んでしまって、60年代初期が見当たらないので、今のところ、わからないのです。ただ、仏VOX盤の番号「MV」は「MINI-VOX」シリーズのことで、10インチ盤です。A面が「ラプソディ・イン・ブルー」で、B面が「パリのアメリカ人」、表紙にはゴッホの「星月夜」が使われています。いわゆる、「名画シリーズ」ジャケットの一点です。音はモノラルです。
 そして、もう一枚、イタリアのレーベル「ジョーカー」からも1984年にステレオの30センチLPが発売されていました。これも私、持っていました。おそらく、東京・秋葉原にあった「石丸電気」の輸入盤バーゲンで購入したものだと思います。これは、70年代の「オリンピック」盤と同じく、オケ名称が「ウィーン交響楽団」となっています。
 私が「ディクソン論」を書くのがいつになるか、まだわかりませんが、とりあえず、なるべく早い時期に、「ディスコグラフィ」だけでも完成させて、この場所に掲載したいと、きょう、思いました。(最近、宣言をしないと動き出さない自分の性格の使い方が、少し、わかってきたのです。お笑いください。)ひょっとすると、ディクソンのレコードを買い集めたのは、世界中で私ひとりかも知れない、と思っているのですから、責任があります。忘れていた罪滅ぼしをしなければなりません。
 


 

  
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「エヴェレスト」LP末期の不思議なジャケットの悲惨と、受け継がれた「夢」(?)の続き

2013年02月06日 14時39分24秒 | LPレコード・コレクション
 上の写真は、このブログの1月16日分と見比べてください。内容は同じですが、ジャケットデザインが粗雑なものに化けてしまった、無残な状態の末期エヴェレスト盤です。左の「ショスタコーヴィチ:交響曲第5番」は、おそらくカラー写真のポジ・フィルムはもちろん、カラープリントも紛失してしまったのか、モノクロ写真として使用したデザインに変更されています。
 でも、右側の「スクリャービン:法悦の詩」のLPジャケットは、同じような時期ですがカラー印刷です。(ちなみに、今回のCD化でのオリジナル・ジャケットの再現では画像処理によって消されてしまったB面カップリング曲も記載されています。)――が、左端をご覧ください。タテにパンチ穴が並んでいるのが分かりますか? これ、ジャケットに穴が開いているのではないのです。おそらく保存資料としてなのか、ジャケット写真のファイルの穴が写っているのです! それをそのまま、印刷しているのです。何が何でもオリジナルデザイン! ということなのでしょうか? でも、こんなファイリング穴を写したジャケットなんて、ほかには見たことありません。

 しかも、余談になりますが、このファイリング穴の開いたジャケットのモノクロコピーを含む資料一式を、私は10数年前、エヴェレストの復刻シリーズの企画を持ち込んだ会社から預かったということで、あるレコード会社のディレクター氏に見せられているのです。その再コピー一式は、私の手元に残っていますが、さらにまた、今回の日本ウエストミンスターによる復刻シリーズのスタートに当たって見せてもらった「資料」にビックリしました。10数年前に見た資料一式の「コピーのコピー」だったからです。欄外の手書きの英文による注意書き、メモ書き、汚れ、シミまで、そっくりそのまま。これには驚きを通り越して、感動しました。
 1970年前後の末期LPのジャケットに使われた資料ファイルのコピーが、海を渡って日本に1990年代に持ち込まれ、その後10数年を経て今また、同じもののコピーが、どうやら、ドイツ経由で日本に再度、渡ってきたようなのです。
 エヴェレストの偉業を残そうとした人々の執念が、そうさせているのかも知れないな、と、ふと思いました。音質の改善を究極まで極めて新しく始まった、日本ウエストミンスターによる「エヴェレスト」復刻CDによるストコフスキーシリーズは、今月、第2弾が発売されますが、そのライナーノートで、かつてのオメガ=ヴァンガードによる苦難を乗り越えたマスタリング作業や、今回のリマスター作業を志願したドイツの若いエンジニアについて、少し触れていますので、お読みいただきたいと思っています。発売前ですが、明日か、明後日くらいから、当ブログにて、ライナーノート本文を掲載します。

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Richard Farrell plays Brahms had already issued on STEREO LP in Japan at that time(Dec.1961).

2012年08月02日 15時29分13秒 | LPレコード・コレクション
It is blog of Kikuo Takeuchi here.
Kikuo Takeuchi is a Japanese music critic(change of the expression in performing; Japanese culture in pre-war period) and an LP collector.


New Zealander pianist Richard Farrell made several recordings for Pye records, included 5LPs were issued on only mono form at that time in UK. In recent years, New Zealander label Atoll has reissued his complete Pye recordings on CD, and the auther described on the sleeve that his Brahms and Rachmaninov recordings appeared on stereo for the first time. However, I should like to pointed out that Brahms(original as Pye CCL 30136) had already issued on STEREO LP in Japan at that time(Dec.1961). As far as I know that it was the first stereo LP from Farrell's Pye recordings ever issued on.
Strangely enough, it had issued in a series of stereo LPs by the Nihon(Japan) Westminster company, in spite of the relations between Pye/Westminster had ended a couple of years before.
In Nihon-Westminster company direct licensing agreement existed between one of British Pye at this time.


Photograph of the LP which I own
Brahms: The Waltzes Op.39; 4 Ballards Op.10.
(Japan-Westminster/PYE SWP-3514)
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イギリス「PYE」レーベルの、初期ステレオ・レコードに関連して、重要な情報が上がってきました。

2011年09月05日 21時25分01秒 | LPレコード・コレクション

 本日の当ブログ記事は、先日、8月30日分および、それに対して行われた31日付のコメントと合わせてお読みください。


 今村亨氏から、8月30日付の当ブログに関連して、メールが届きました。そのブログへのコメント書き込みに関することです。わたしも、その「瀕死の若様」を名乗るコメント氏の情報には教わること大でしたが、以下に、今村氏のメールをそのまま掲載します。コメントを下さった「若様」にも、お読みいただけるとうれしいです。

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 ファーレルの記事に思わぬ面白い書き込みがありましたね。パイの初期ステレオLPに関してコメントしてみます。

 英パイはマーキュリーやウェストミンスター等との共同製作で、'56年からステレオ録音を開始しました。ステレオLPの開発も独自に行い、'58年4月にV/L方式(縦横2方向の振動で左右の信号を記録)を発表しますが、直後に45/45方式が標準規格として採用されると、いち早く取り入れ、メジャー・レーベルに先駆けて'58年6月にヨーロッパ初のステレオLPを発売しました(※写真で示したバルビローリ指揮のベートーヴェン『交響曲1番&8番』: CSCL-70001)。しかし、ステレオ装置が直ぐに普及しなかった事や、メジャー・レーベルとの競合、そして、'59年に入ると、ATV(アルファ・テレビ)に吸収され、本社の引っ越しやスタッフの入れ替えが行われる等、大きな変更があった為、最初のCSCL70000シリーズの発売は、あまり順調には行かず、確か50枚程で終了したと思います。
 写真でご覧頂けるように、最初は何らステレオである事を強調していない、ごく簡素な体裁ですが、恐らくメジャー・レーベルのステレオLP発売が出揃った'58年秋以降は、何か目立った表示が必要になり、スタッフの多くが前に在籍していたEMIに倣って、独自のデザインでステレオのメタル・シールを作ったのかも知れません。
 兎に角、今まで判らなかった部分を明らかにする貴重な情報であり、お陰で私も実際にそうしたデザインがあった事は初めて知りました。

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 以上が今村氏からのメールです。実際、ステレオの最初期の事情は、正確なことがわからないことが多いですね。(モノラルの表記のジャケットに、思いがけず、シールを貼ったステレオ盤が入っていたりして、思わぬ拾い物をしたこともあります。)米エヴェレストや、米ウラニアのステレオ盤/モノラル盤なども、要注意ですが、経験上、英盤は、さらに不可思議なことが多々ありますし、仏盤はなおさらです。カタログがアテにならないのです。だから、「現物がある」という情報は大切なのです。

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自動車事故で31年の生涯を終えたピアニスト「リチャード・ファーレル」の残したレコードの超・稀少性

2011年08月30日 12時58分40秒 | LPレコード・コレクション
 




 以下は、2010年5月に発行された『クラシック・スナイパー/6』(青弓社発行)の特集「マニア大戦争」に際して併載されたアンケート「マニアが誇る一枚」に答えて書き下ろした原稿の一部です。(詳細は7月28日の当ブログをごらんください。)採りあげた3枚のLPレコードの内の1枚で、本日は、その3枚目です。

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■ブラームス:「ワルツ 作品39」全曲/「4つのバラード」作品10
  リチャード・ファーレル(pf)  [日本ウエストミンスター SWP-3514]

 リチャード・ファーレルはニュージーランド生まれのピアニスト。ロンドンでのデビューを果たし、アメリカでもカーネギー・ホールを初めとする多くのコンサートによって評価が高まったが、数枚の録音も果たした1958年、これからという31歳の若さで、自動車事故により世を去った悲劇の人である。私の知る限りでは、英パイに5枚のLPが残されたのみで、少なくともその内、リストの第1とグリーグの協奏曲を米マーキュリーとの提携で録音した1枚は米マーキュリーでステレオ盤が発売されているが、残りのピアノ独奏の録音4枚は、英パイのモノラル盤しか見ていない。日本では、当時、日本コロムビアとは別に活動していた日本ウエストミンスターから、5枚全てが順次発売されたが、ひょっとすると日本ではレコード・デビューが彼の死後だったかもしれない。独特の清冽なロマンの香り漂うピアニストである。4枚の独奏のアルバムが、ブラームス2種、ラフマニノフ、グリーグということからも、それが想像されるだろうと思う。
 このブラームスは1961年12月新譜である。日本では、これがファーレルの5枚目にあたるが、折からのステレオ盤の黎明期にぶつかり、これだけが何んとステレオで発売されている。この時期、本国イギリスでは、まだモノラル発売が標準だった。そして、早々に世を去ったこのピアニストのレコードは、どこからも再発売されることなく今日にいたっているらしい。
 だから、ひょっとすると、この国内盤は、世界で唯一のステレオ発売かもしれないと思っている。国内盤を軽視してはいけない。このLP、実は或るリサイクル・ショップの片隅で破棄処分寸前だったものを、私が救い出したものである。世界中でこれ一枚しか残っていないかもしれないという、大切な宝物のひとつである。購入価格105円。


【ブログへの再掲載にあたっての追記】
 この「三題噺」のように仕上げた「アンケート」への返答風の原稿。ブログでの掲載の3枚目、最終回となりましたが、じつは、『クラシック・スナイパー/6」に掲載した時は、これが冒頭、1枚目でした。「ゴミのように扱われているジャンク盤を軽視するな!」という戒めの例でした。ブログ掲載でこれを3枚目に回したのは、今村亨氏から、最近、ファーレルの英文情報に私の仮説を裏付けるような記載があったと教わったので、その確認に手間取ったためです。
 イギリスの音楽評論家が、「これほどの素晴らしいピアニストが居たことを知らなかった自分の不明を恥じる」と絶賛し、再評価を呼び掛けていたのです。リチャード・ファーレルの音楽に関心を持ってくれる人が現れたことを、うれしく思いましたが、イギリスでも最近までそうした扱いだったということを、わかってはいましたが現実として目の当たりにして、ちょっと複雑な思いです。
 この記述の中に、当録音の話があり、「ステレオ録音されたが、モノラル盤しか発売されなかった」とありました。上記の私の記述は、「推論」から「現実」になったわけです。また、英パイ盤のジャケットデザインが、私の所有している国内盤(ブログ冒頭に掲載)と同じだということもわかりました。「PYE」のマークをいじって「ステレオフォニック」の文字を入れているだけですが、これは発売元の日本ウエストミンスターで加工したものではないでしょうか? 英パイ盤で、こんなステレオ・マークは見たことがありません。
 いずれにしても、このレコードを自著『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』(洋泉社)の中で紹介してから、もう18年も経ってしまいました。謎だらけだったリチャード・ファーレルにも、文献資料が出てくるようになったわけです。レコードのコレクションは、ほんとうに「長い航海」です。
 ファーレルについては、今の段階でも一気に、様々のことがわかるようになりましたが、それらについては、ゆっくりと整理、精査してから書こうと思っています。とりあえず、その18年前の私の文章を、以下に再掲します。出典は、上記『コレクターの~』の「第4章/とっておきの愛蔵盤ファイル」中、168ページです。ただし、享年を正しく「31歳」(1926年12月30日生、1958年5月27日没)に改めました。

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 夭折した演奏家にばかりこだわっているわけではないが、そうした演奏家は活動期間が短い分だけ、忘れられてしまう人も多い。この自動車事故で1958年にわずか31歳で世を去ったピアニストについて語るひとは少ないが、深く沈んだ情感をたたえて、しっとりと歌う独特のピアノは、ブラームスの控え目な音楽の優しさを、ドイツ的な響きとは全く異なった中に結実させている。ニュージーランド出身でイギリスを中心に活躍していた彼が、グリーグを得意にしていたのも頷ける。若くして、自身の世界の確立していた人だ。

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 ぜひ、この悲劇のピアニストの名を、記憶にとどめておいていただきたいと思っています。


【9月1日、追記】

「瀕死の若様」から、詳細なコメントを頂戴しましたので公開いたします。ご覧ください。この欄の右下「コメント(1)」の「(1)」をクリックすると現れるはずです。
そこでご指摘いただきましたが、私の上記「日本ウエストミンスターのオリジナル・ロゴか?」は撤回します。英パイ盤に使われていたのですね。英パイのそのマーク付き初期ステレオは、見たことがありませんでした。英盤の初期ステレオは全般的に少ないので、判断が難しいですね。ありがとうございます。
CD2枚組等のこと、テレビでの特番放送のことなど、様々、わかって来つつあるのですが、ひととおり整理してからご報告するつもりでおりました。いずれにしても、こうした再評価機運を大事にしたいと思っております。

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ジャン・コクトーとストラヴィンスキーの出会いが生んだレコードと、そのジャケット・デザインをめぐって

2011年08月02日 11時26分18秒 | LPレコード・コレクション
 




 以下は、2010年5月に発行された『クラシック・スナイパー/6』(青弓社発行)の特集「マニア大戦争」に際して併載されたアンケート「マニアが誇る一枚」のために書き下ろした原稿の一部です。(詳細は7月28日の当ブログをごらんください。)採りあげた3枚のLPレコードの内の1枚で、本日は、その2枚目です。

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■ストラヴィンスキー:オペラ=オラトリオ「エディプス王」
  ストラヴィンスキー指揮ケルン放送交響楽団・合唱団
  ジャン・コクトー(語り手)
  ピーター・ピアース(テノール)他 [仏フィリップス A. 01 137 L]
 今でこそストラヴィンスキーの傑作のひとつに数えられるようになったが、初演から数十年、この作品は顧みられることなく眠っていた。第2次大戦終結後、ほどなくしてパリで再会した台詞の作者コクトーと作曲者ストラヴィンスキーが意気投合し、この自分たちの自信作の再演を目論んで実現したのが1952年のシャンゼリゼ劇場での公演だった。語りには、難解だと悪評だったラテン語の台詞を補完して、詩人コクトー自身の語るフランス語のナレーションが付された。(これは上演地域の言語に翻訳して語られることを前提としている。)
 このレコードはそれに先だって、綿密なリハーサルの末にスタジオ録音された演奏である。記念すべき改訂版を永遠に残そうとした二人の意気込みが伝わってくるエピソードである。この世紀の録音に協力したのは、創設して数年しか経っていない若いオーケストラ、ケルン放送交響楽団だった。(もちろん、シャンゼリゼ劇場での公演は、パリのオーケストラが担当した。)ジャケットに使用されたイラストにはコクトーが描いたものが使用されているが、おそらく、全体のデザインにも何らかの関わりを持っていただろう。
 ところで、この盤では、私が所有しているフランス盤と異なるデザインの物が別に存在する。当時フィリップスをヨーロッパでの発売窓口としていた米コロンビアが発売したML番号のアメリカ盤である。それを見たのは、私がフランス盤を手に入れるよりも前の1980年代。美術出版社から刊行された沼辺信一氏の労作『12インチのギャラリー』という書の掲載写真でだった。同書には多くのことを教わったが、ひとつ弱点を指摘するならば、沼辺氏のコレクションが殆んど米盤で成り立っていることだろう。それによって、仏コロンビア盤、仏VSM盤のカサンドル工房作品も、微妙に改作された米エンジェル盤になっているものがほとんどだったと記憶している。英ASD盤と文字配列が異なるなどはしばしばである。これは、作曲家よりも演奏家を大書したり、作品のニックネームを際立たせたりといったアメリカ商業主義の実態がわかるところがおもしろいとも言えるが、「オリジナル・デザイン」という観点から、疑問のあるものも少なくない。このコクトーとストラヴィンスキーの盤も、そのケースのひとつである。
 おそらく沼辺氏がコレクションをしていたのは、60年代後半から70年代なのだろうと思う。私の記憶でも、その時代に日本で輸入盤を入手しようとすると、殆んどがアメリカ盤だった。英盤、仏盤などを当たり前のように見かけるのは、90年代になってからだったように思う。中古レコードのフィールドは、斯くも広く、深い。

【ブログへの再掲載にあたっての追記】
 この「三題噺」のように仕上げた「アンケート」への返答風の原稿の2枚目は、ジャケットデザインの「異盤」の面白さについて語ったものです。もちろん、ただ単に「違う!違う!」と大騒ぎするのはハシタナイことだと思っていますから、なるべく、その時代の、その国なり、その会社の置かれていた状況などを感じ取る資料として見比べるようにしています。つまり、「ジャケット・デザインの文化摩擦」とでもいうべき事柄がおもしろいわけです。
 上記の原稿では米コロンビアのML盤のデザインの特徴について、詳細まで触れていませんが、最大の特徴が、コクトーとストラヴィンスキーの写真位置が逆転していることと、使用写真が違うことでしょうか? また、写真にブルー色を重ねているのも仏盤だけです。タイトル文字は、こちらはフランス好みのぽっちゃり型ですが、米盤はもっと鋭角的な字体を使用しています(タイポグラフィの一覧を見れば、どちらも名称がわかるはずですが…ごめんなさい。省略させてください。)とにかく、「大違い」なこと、この上なしなのです。(画像が小さい場合は、このブログ冒頭の掲載日部分をクリックして、当日分のみの表示にすると大きくなります。)
 余談ですが、ジャケットに見なれない演奏家の遺影が掲げられているものなども、要注意です。ほとんどの場合、レコードの制作者側の深い思い入れが込められていて、詳細な資料が付されていたりします。そうして知った未知の(=未知だった)演奏家との出会いは格別です。著名演奏家のレコードばかり集めていては、そうした稀少盤には出会えません。


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1920年代初頭のパリ社交界で人気者だった「イケメン指揮者」ウラジミール・ゴルシュマンの残した演奏を聴く

2011年07月29日 15時33分30秒 | LPレコード・コレクション
 




 以下は、2010年5月に発行された『クラシック・スナイパー/6』(青弓社発行)の特集「マニア大戦争」に際して併載されたアンケート「マニアが誇る一枚」のために書き下ろした原稿の一部です。(詳細は昨日の当ブログをごらんください。)採りあげた3枚のLPレコードの内の1枚です。

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■オネゲル:交響詩「夏の牧歌」/ミヨー:屋根の上の牡牛/サティ:3つのジムノペディ/ラヴェル:クープランの墓

 ウラジミール・ゴルシュマン指揮コンサート・アーツ管弦楽団 [仏キャピトル P8244]

 ゴルシュマンは、数年前から少しこだわって集め始めた演奏家のひとりである。1893年にパリでロシア系移民の子として生まれたが、1919年には同時代の作曲家の作品を演奏するコンサートを主催してデビューし、その直後、ストラヴィンスキーの『春の祭典』などでセンセーショナルな活動がパリで注目されていた「バレエ・リュス(ロシアバレエ団)」の指揮者陣に迎えられ、1923年に突然辞任するまで活動した。
 このことからわかるように、20世紀初頭のパリの新芸術の空気を吸っていた人物のひとりであることは間違いない。彼は相当な美貌の青年だったといわれ、あちらこちらで催される芸術家を囲むパーティで、しばしば姿が見られたというから、ゴルシュマンの突然のバレエ・リュス指揮者辞任とアメリカ行きを邪推する向きも多い。そのあたりには確かに謎があるが、その後のゴルシュマンは、ヨーロッパでのポストに就くことなく一生をアメリカの地で終えている。戦後、アメリカ資本がウィーンに乗り込んで、多数の録音を行なったが、その中に、ゴルシュマン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団の米ヴァンガード盤があるのが、ゴルシュマンとヨーロッパを結ぶ僅かな線である。1931年からセントルイス交響楽団の首席指揮者となり、1950年代の終わりころまで、その地位にいた。
 ゴルシュマン/セントルイス響には、戦後の1950年代、米キャピトルの第1期にモノラル録音がいくつもあるが、この「フランス近代音楽集」は、なぜか、オーケストラが匿名になっている。そして私が所有しているこの盤そのものは、キャピトルのマークが付いているがフランス盤である。盤面にははっきりと「フランス製」とあり、「パテ・マルコニ社製」であることも明記されている。純然たるフランス盤ではあるが、「USA録音」とも書かれている。不思議な盤ではある。
 「コンサート・アーツ管弦楽団」は、米キャピトル盤においてミルシティンの伴奏でも登場した名称だ。専属関係が厳格だったこの時代、RCAやコロンビア専属のオーケストラを使う時にはいつも匿名になっていたから、キャピトルの活動範囲から考えてみると、ロスアンゼルス・フィルかサンフランシスコ響ではないかと思うが、確証はない。いずれにしても、ゴルシュマンはこの後、ヴァンガードのウィーン録音以外では、50年代の終わりに米コロンビアに移籍して、手兵のセントルイス響を振っていくつかの録音を残して世を去っている。
 このゴルシュマンの音楽的ルーツともいうべき一連の曲目を演奏するに際して、セントルイス響が相応しくないと判断されたのだとすれば、いったいこのオーケストラは、どこなのだろう。あるいは、米コロンビアとの専属契約が先行してしまって、キャピトルが、セントルイス響の名称を使用できなくなっただけなのか、録音時期が特定できないので、真相が掴めないままでいる。いずれにしても、この確信に満ちた演奏は、この指揮者がまちがいなく20世紀初頭のパリでキャリアの最初を歩んだ青年のひとりであったことを納得させる。洒落っ気のある華やいだ演奏である。単なるアメリカ的演奏ではない。
 パリを離れて生涯を送ったゴルシュマンが、アメリカのオーケストラを振ってアメリカで録音した演奏が、里帰りしてフランスでプレスされ発売されたという珍盤――。このレコードが発売されたころ、美少年ゴルシュマン君を覚えている社交界のご婦人方が、何人いただろうかと、思わず想像してみた。


【ブログへの再掲載にあたっての追記】
 ゴルシュマンについては、2009年4月に青弓社から発行された『クラシック反入門』(許光俊ほか編)でも執筆している。一部抜粋して紹介する。

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 ゴルシュマンの戦前の古い録音に、ポーランド系フランス人で、ラヴェルやストラヴィンスキーと交際し影響を受けた作曲家、アレクサンドル・タンスマンの『弦楽のためのトリプティカ』という作品がある。演奏はもちろんセントルイス交響楽団のメンバーだ。一〇年ほど前にCD化されているが、録音が行われたのはアメリカに渡って間もない一九三四年である。パリで進取の気概を発揮していたゴルシュマンならではの録音だが、これはなかなか面白い曲だし、作品の特徴をしっかりと把握した優れた演奏だと思う。


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ジャノーリのレコード歴に関連して重要な指摘を戴きました。(「ステレオ」という用語成立以前のことなど)

2011年04月28日 10時08分12秒 | LPレコード・コレクション


 当ブログ、26日付けの「別記」に関して、さっそく今村亨さんから連絡メールが入ったことは、その26日付けの末尾に書き加えましたが、そのメールを少しだけ整理したものが、下記です。やはり、ジャノーリのショパン「協奏曲」は、フランスのディスク・クラブ盤が初出ということにしたほうが、正しいと言えるようです。私は1~2年の時間差だと思っていましたが、8~9年もの開きがあるようでは、仏ムジディスク盤は、単なる後発です。
 しかし、フランスのディスク・クラブがスタート当初からステレオ盤を発売していたとは、まだ信じられません。例えば、EMIやデッカよりスタートが遅れたドイツグラモフォンのステレオ初期、1959年~61年のフランス盤のジャケットは、「STEREO」という表記そのものがなくて、その位置の背文字には「UNIVERSEL」と入っているのですから。(私の手元にあるのはマゼールの指揮するものばかり。それぞれフランス初出盤です。)そのころ、日本では「立体音響」と表現していました。まだ業界全体で用語の統一に至っていなかったと思います。つまり、「ステレオって何?」と店頭で言われてしまうので、「立体音響」と表現していたのです。フランス語の「UNIVERSEL」は、「ウニヴェルセ」とでも発音するのでしょうか? お気づきのように英語の発音は「ユニバーサル」。普遍的とも全方位とも受け取れる、なかなかうまい表現です。これが、英語文化にムキになって反撥して独自表現にこだわっていた時期のフランスの実態のはずです。だから、60年に「STEREO」と堂々と銘打ったフランスの通販クラブ盤があるとは、俄かに信じられないのです。日本でも、この時代は、モノラルが先行発売、物によっては、数年遅れてステレオ盤の発売となっていました。コンサートホール盤も、後になってから同じ番号に「S」を付けたステレオ盤が発売された記憶があります。
 謎は、深いですね。今村さんも書いているステレオ初期のヨーロッパの原盤供給は、ほんとにわからないことが多いのです。原盤が「オーディオ・テープ・カンパニー」とあるのは、「ソンドラ・ビアンカ」のコレクションをしていて発見しました。何ですか、この表記。思わず笑ってしまいます。
 さて、いずれにしても、今村さんからの下記の指摘をお読みください。

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 ジャノーリのショパンPfコンチェルト1番(ジョルジュ・セバスチャン指揮、バーデン=バーデン南西ドイツ放送響)は仏Le Club Francais du Disque(N.368)でステレオ発売されています。ヨーロッパのクラブ盤が何故早い時期にステレオ録音を開始しているのか、また、オリジナル製作がどのように行われたのかは、複雑なパズルのような所があり、ずっと調べ続けている課題でもありますが、手元にあるピエール・サンカンが弾いたラヴェルのPfコンチェルト2曲(ピエール・デルヴォー指揮、バーデン=バーデン南西ドイツ放送響(写真※ 小さくて見え難いでしょうが、左上の黒い楕円形がステレオ表記です)をお見せします。ジャノーリ盤も同様で、少し前の番号(N.336、ステレオ)なので、多分同じ頃の製作だと思われます。
 一般的にクラブ盤は、米コンサートホールが1946年秋頃に開始した年間定期会員向けの通販によるレコード提供という販売形態を採用していますが、コンサートホールがヨーロッパに進出した50年代末頃から、各国毎に様々な通販クラブが設立されて活動を始めました。これは、通販事業が最も成立し難い国と言われていたフランスで、当初の予想を裏切ってコンサートホールが、数ヶ月の間に同国最大の売り上げを記録してしまったということが大きかったと言えるでしょう。
 こうした中でスタートした仏・独の通販クラブ盤は、コンサートホールを追うように、各国の放送局等とも緊密に提携してステレオ録音を活発に行いました。ご指摘のように、これ等のクラブ盤は60年代末頃に仏ムジディスクからまとめて一般発売されました。モノラル録音も含め全てステレオ表記でしたが、これは当時の一般的な基準が既にステレオに移行していたからに過ぎず、実際はただステレオ・カッティングしただけで、疑似ステレオ化等の処理は行わず、モノ録音はモノのままでステレオ表記されていました。このことからも、ムジディスクが自主製作した音源ではないのは明らかですが、だからと言って、「オリジナル製作はクラブ・フランセ」と言い切るのも、少し微妙な所があります。しかし、元々の製作が小規模な製作プロや放送局(バーデン=バーデンの南西ドイツ放送とフランクフルトのヘッセン放送は早くからステレオ録音を行っていました)であっても、前述のラヴェルが60年発売ですから、このクラブ・フランセ盤が初出である事は、ほぼ間違いないと思います。そして、同様にジャノーリのショパンもクラブ・フランセ盤が初出なのは確かでしょう。少なくともムジディスク盤と表現するよりは正確だと思われます。
 実は昨年末頃にコンサートホールに関する資料を入手し、調べてみましたが、コンサートホールがステレオ初期にヨーロッパで行った一連の録音の後を追いかけるように、様々なステレオ録音テープが製作され、それ等がメジャー・レーベル以外の様々な独立レーベルからのステレオLPの発売ソースになっていた事も判ってきました。そして、コンサートホールの活動の全体像も明らかになりました。くわしくは、今度お会いした時にでも。
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クラシックLPコレクター対談(8)■モノラル期のドイツ・グラモフォンLPを追って(続き)

2009年03月19日 07時13分35秒 | LPレコード・コレクション







 以下は、古書店、中古レコード店が建ち並ぶ、東京・千代田区の神保町の月刊タウン誌に掲載されたもの。2000年10月頃の掲載開始だったと思いますが、筋金入りのレコード・コレクターと尊敬している今村享氏との対談を「ここまで集めて ここまで聴いて」と題して何回か連載したものです。先日、今村氏の快諾を得ましたので、しばらく、この私のブログ上に再掲載します。これを機に、新カテゴリー「LPレコード・コレクション」を起こしました。
 今日はブログでの「第8回」です。


■対談:オリジナルLPを追う(その4)
(今村享+竹内貴久雄)


竹内:前回は、ドイツ・グラモフォン(以下、DG)のモノラルLP期のジャケットの変遷を見てきましたが、今回は、その続きということで、まず、モノラル期の総括をしましょうか。DGのモノラル期の特徴はなんでしょうね。
今村:ドイツ・グラモフォンというレーベルは、モノラルLP期までは、ドイツ・オーストリア圏のドメスティック・レーベルという印象があります。それが、ステレオ時代以降、急激にインターナショナルなレーベルへと発展していった。それを引っ張って行ったのが、カラヤン。そして70年代以降は、バーンスタインが加わりました。
竹内:そうですね。モノラル期はオーケストラ曲だけを見ても、フリッチャイ、フリッツ・レーマン、フェルディナント・ライトナー、といったあたりが中心で、フルトヴェングラーなどは、イギリスのインターナショナルなレーベルである英HMV=EMIへの録音がメインでしたね。ベームを起用した一連のステレオ録音は、ドメスティックなレーベルとしての、最後の大仕事といった位置付けも感じます。
今村:モノラル期のDGのカタログは、曲目もあまり完備していないんですよ。だから、シューマンの交響曲も二番が欠けていて、それを埋めるために、当時提携していたアメリカのデッカにあったバーンスタイン/ニューヨーク・スタジアム交響楽団による録音を取り入れた節があります。
竹内:なるほど。
今村:マルケヴィッチにベルリオーズなどを振らせているのも、カタログの穴埋め的な意図があったでしょうし、ピアニストはフォルデス、ロロフ、アスケナーゼなどに加えて、フランス物のために、モニク・アースを呼んだりしています。でも、全体としてはやはり、ドイツ・オーストリア圏ローカルといった弱さがあります。非常に手薄ですよね。ヴァイオリンはシュナイダーハンとヴァルガくらいが目立っている程度でしょう。
竹内:そのころまでのレコード文化の中心は、イギリスとアメリカなんですよね。そして、どちらの国でも「犬」と「音符」の二つのマークが席捲していた……。
今村:DGで曲目が一番充実しているのは歌手物でしょうね。これは、かなりの量のラインナップです。オペラ・ハウスをたくさん抱えたドイツ・オーストリア圏の底力でしょう。竹内:いずれにしても、この50年代という時期は、演奏スタイルに地域特性が色濃く残っていたから、今、この時期のDGが録音した演奏を聴くと、独特の味わいがありますね。この時代、ドイツで温泉に行って湯に浸かりながらポスター見て、あ、地元のオーケストラ・コンサートあるんだ、行ってみよう、って聴いたら、こんな感じの演奏だったりして……(笑)
今村:そう。今では死に絶えたスタイルの演奏といった懐かしさがあって、よくぞ残しておいてくれた、という感じですよね。
竹内:メンデルスゾーンの「ピアノ協奏曲」で、演奏がヘルムート・ロロフのピアノ、伴奏がフリッツ・レーマン指揮バンベルク交響楽団といった初期LPも、正にその通り、といった演奏ですよ。
今村:モノラル期DGでなければ出てこないアーティストの組合せですね(笑)
竹内:あと、こんなのもあります。廉価盤10インチの一七〇〇〇番台系列の盤で、クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮ミュンヘン・フィルによるリストの「メフィスト・ワルツ」とワインベルガーの歌劇《バグパイプ吹きのシュワンダ》からの「ポルカとフーガ」。これはカラヤンが好んでいた曲ですね。56年前後の録音で、ドホナーニの最初期、27歳くらいでしょう。リューベック歌劇場の音楽監督に抜擢されて、当時ドイツ最年少の音楽監督と注目された時期の、おそらく、デビュー録音ではないかと思っています。
今村:これは珍品ですね。
竹内:ローカル色が強かった時代ならではの物でしょうね。よくぞ残しておいてくれたっていう……(笑)
今村:まあ、この時代のDGは、今となっては聴けないものを聴く楽しみがあります。演奏に独特の雰囲気があって、それは、CDで復刻されないものほど、そうですね。
竹内:ところで、先程、米デッカとの提携のお話が出ましたが、60年代の初期にDGにはポツンとフィルクスニーのピアノで「展覧会の絵」があるでしょう。あれは、その提携期の名残りではないかと思うんですよ。
今村:なるほど。米デッカでその直前まで、フィルクスニーは録音していましたね。エリカ・モリーニと組んで。
竹内:そうなんです。ただ、私は、フィルクスニーの「展覧会の絵」の米デッカ盤というのは見たことがない。このあたり、どういう経緯があったのか、もう少しコレクションを深めて行かないと、分からないですね。
今村:竹内さんは、マゼールのレコードでは筋金入りのコレクターだから、その方面から、DGと米デッカの提携期の現物をかなりお持ちでしょう?
竹内:その通りなんですよ(笑)。ただ、残念ながら、デビュー録音の「ロメオとジュリエット」集の米デッカ盤はまだ持っていないんですが、それに続く同じく57年録音のストラヴィンスキー「火の鳥」「夜鳴きうぐいすの歌」の米デッカ盤は、ステレオ盤とモノラル盤と2つとも持っています。ドイツ盤とはまったく違うデザインです。
今村:なかなか、きれいなデザインですね。これはめずらしい。さすがマゼール・コレクターですね。
竹内:そうそう、今村さんにお聞きしたかったんですが、この翌年になる58年録音のブラームスの第三交響曲の米盤。これはDGのマークの付いた黄色い横長の枠の中に文字を入れたスタンダードなデザインですけれど、マゼールの写真をあしらったドイツのオリジナル盤とはまったく違うでしょう。ブラームスの顔になってる。
今村:これはヨッフム/ベルリン・フィルの同じ曲のLPのデザインですよ。見たことがある。
竹内:ええ! でも、これはマゼール/ベルリン・フィルですよ。
今村:ほんとだ。何ですか、これ。
竹内:裏を見るとわかるけれど、これは、米デッカ盤です。製造、発売がデッカとなっています。だから、米デッカでも、デッカのマークではなく、グラモフォンのマークで発売した時期が、ほんのわずかあったということでしょう。
今村:そういうことですね。このあたりは、私もあまりくわしくないので……。この後ですね、ヨーロッパ直輸入と明記した厚手のダブル・ジャケットに入った米盤のDGが登場するのは。ファクトリー・シールドとも書かれている。これは使用されている絵柄もドイツのオリジナルと共通になりますが、発売がデッカからMGMレコードに代りましたね。
竹内:そうですね。厚手のダブル・ジャケットというところはフランス盤と似ていますが、別のものです。このころは、各国で別々にジャケット製作をしていたようですね。フランス盤にも、ドイツ盤と違う絵柄のものが61年録音の物までは、いくつかあります。
 ところで、米盤でいうファクトリー・シールドは、レコード盤そのものをビニール袋に入れて封をしてあるという意味で、ジャケットの印刷はアメリカです。一度、そういう未開封の物を入手しました。
今村:そういえば、日本でも、この62年頃まで、別デザインで発売されていましたね。
竹内:マゼールのレコードでいうと、62年録音の「ピーターと狼」で、やっと、独、仏、英、米、日、各国の絵柄が統一の物になりました。そして、一九七〇年には、DGがアメリカでポリドール社を設立して、DG盤のMGMからの発売が終わりました。ソフト・ジャケットに入ったドイツのオリジナル盤の解説が独、英、仏三ヵ国併記になったのは、この時からではないかと思います。ただ、その直前、61年録音のフランクの交響曲や62年録音のチャイコの四番などが、MGMの製造、発売のヘリオドール・レコードのマークで出ているのが、よくわからないんですよ。
今村:それは廉価盤でしょう。セカンドで、しかも米プレスの廉価盤ということですよ。DGが国際共通ブランドになってからのヘリオドールとは違いますけど。
竹内:ということは、DGのアメリカ盤の変遷は、①デッカ、②デッカ発売のDG、③MGM直輸入のDG、④MGM発売のヘリオドール、⑤DGによる英・米、独、仏統一、という順序になるのかしら……。
今村:まあ、そうでしょうけれど、③④は並行していたでしょう。直輸入を止めたということではないと思いますよ。いずれにしても、米MGMが直輸入を開始したときから、レコード番号は独・米共通になって、混乱がなくなりました。62年頃でしょうか。もともと、英・仏は独自のデザインで発売していた頃から番号だけは同じでしたから、レコード消費大国では、別番号を使用し続けたのは日本くらいですね。
竹内:次回は、ステレオ時代のDGをじっくりと見ていきましょう。


(写真/キャプション)

▼米デッカ盤のマゼール/ベルリン放送響「ストラヴィンスキー/火の鳥、夜鳴きうぐいすの歌」(57年録音)



▼米デッカ製造発売のグラモフォン盤、マゼール/ベルリン・フィル「ブラームス/交響曲第3番」(58年録音)


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クラシックLPコレクター対談(7)■モノラル期のドイツ・グラモフォンLPを追って

2009年03月17日 10時22分22秒 | LPレコード・コレクション







 以下は、古書店、中古レコード店が建ち並ぶ、東京・千代田区の神保町の月刊タウン誌に掲載されたもの。2000年10月頃の掲載開始だったと思いますが、筋金入りのレコード・コレクターと尊敬している今村享氏との対談を「ここまで集めて ここまで聴いて」と題して何回か連載したものです。先日、今村氏の快諾を得ましたので、しばらく、この私のブログ上に再掲載します。これを機に、新カテゴリー「LPレコード・コレクション」を起こしました。
 今日はブログでの「第7回」です。


■対談:オリジナルLPを追う(その3)
(今村享+竹内貴久雄)

今村:DG(ドイツ・グラモフォン)がクラシックの本流という意識が、いつのまにか強くなってしまいましたね。
竹内:LPマニアは「音符」と「犬」の二大マークが絶対だったんだけど、最近はかなり様子が代わってきて、初期オリジナルLP盤の市場でも「黄色」のグラモフォンが目立つようになりましたね。
今村:DGは二大レーベルほど、まだ、オリジナル盤の流れが研究・整理されていませんから、そのあたりを考えてみましょう。DGのLPは、ジャケット右下に発売の「年・月」表記がきちんと付けられていますから、まず、それが手がかりになります。
竹内:そうですね。ただ、あの表記は初出の表記とは限らず、たくさん売れて何度もプレスしたものは、そのたびに同じ規格番号のまま更新されるので、気を付けないと……。
今村:ええ。本で言えば、初版第一刷の表記を省略して、いきなり第二刷、第三刷の表記だけ書かれているようなものですね。まあ、ドイツ人的に几帳面ではありますけれど。
竹内:DGが最初にLPを発売したのは、いつですか? 米コロンビアから世界初のLPレコードが発売されたのは一九四八年ですが。
今村:DGは一九五二年です。二つ折の、単純なクリーム色のジャケットで、表紙に文字が入っているだけで、作曲家の名前のところに直筆サインをあしらったのが、唯一のデザイン要素というような、楽譜の表紙みたいにシンプルなものです。背文字もレコードを収める周囲も布張りで蔽って作られた堅牢なジャケットで、年月表記はありません。この形で、一年くらい経過しているはずです。
 年月表記のある物では、私の手元では、一九五三年六月と表記されたものが、一番古い物です。これは、デザインは同じですが、レコードを収める部分が糸かがりに変わり、年・月表記が入るのは、この形のジャケット以降です。ところが、その数ヵ月後、八月、九月あたりの発売で、表紙デザインが大きく変わります。もちろん、作曲家サインをあしらった文字だけのシンプルさは同じですが、初期のDG盤としては一番よく見かける、タテに三分割して真ん中3分の1を黄色くしたものです。DGのシンボルカラーは、この時生まれたんですね。
竹内:なるほど。ただ、まだ二つ折のままで、糸かがりですね。
今村:ええ、ただ、レコードを収めるポケットにビニールを一緒に綴じ込むようになります。これも大きな変化です。この「ビニール綴じ込み糸かがり」という形態は、この後しばらく続きます。30センチレギュラープライスの一八〇〇〇番号も、25センチLPの一六〇〇〇番号も、です。ステレオ盤が発売される一九五八年頃まで、ずっとです。
 ただ、これとは別に廉価盤のシリーズが、一九五四年の終わり頃から始まります。規格番号は30センチの一九〇〇〇と25センチの一七〇〇〇ですが、これはカラフルな絵入りのジャケットです。レギュラー盤の表紙がカラー化されるのはステレオ盤からです。ステレオ登場の時に、一番見慣れているマークを広げた黄色い枠の中に文字を入れたデザインになって、CD時代の現在に至るまで、そのまま受け継がれているわけです。
竹内:ベンツのデザインみたいに、ずーっと変えないんだ、ドイツ人は……(笑)
今村:最初期に、先程言ったような試行錯誤があること、通販や教育用の別バージョンが若干あることくらいでしょう。非常にわかりやすいですね。
竹内:ただ、後になって再発売した時に、番号はそのままで、デザインを後の時代の物に変えてしまったというのがあるでしょう。
今村:ええ、そうなんです。一度作ったものを、廉価盤化するのでない時には、規格番号を変えないで発売する、というのもドイツ的几帳面さでしょうか? 一九九八年に音楽之友社から発行された『ドイツ・グラモフォン完全データ・ブック』に掲載されているLP第一号の写真(編集部註/12ページ「フリッチャイ指揮「真夏の夜の夢」一八〇〇一)は、黄色タテ帯もない文字だけのものが本物ですが、掲載されている写真は、一九〇〇〇系列の廉価盤カラージャケットに合わせた何代も後のデザインです。こういうカラー化の例もありますが、文字だけのデザインで、糸かがりのないシングルジャケットの再プレスものは、かなりありますね。
(以下次号)




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クラシックLPコレクター対談(6)■オリジナルLPで、様々の「謎」を解く

2009年03月15日 10時21分22秒 | LPレコード・コレクション





 以下は、古書店、中古レコード店が建ち並ぶ、東京・千代田区の神保町の月刊タウン誌に掲載されたもの。2000年10月頃の掲載開始だったと思いますが、筋金入りのレコード・コレクターと尊敬している今村享氏との対談を「ここまで集めて ここまで聴いて」と題して何回か連載したものです。先日、今村氏の快諾を得ましたので、しばらく、この私のブログ上に再掲載します。これを機に、新カテゴリー「LPレコード・コレクション」を起こしました。

 きょうは、このブログでの「第6回」ですが、実は、当時のフロッピー・データの一部が見つからないので、1回跳んで「雑誌連載の第7回」をきょうは掲載します。「(その2)」となっているのは、そのためです。申し訳ありません。ただ、この「後半」の方が、断然おもしろいです。


●オリジナルLPを追う(その2)
(今村亨+竹内貴久雄)

竹内:初出LPだと思って買ったら、後からもっと古いのが出てきたとか、録音しただけで発売されていない、と書いてあるのを信じていたら、米盤が出ていたとか、日本でだけ発売されていたなんていうのもありますね。
今村:盤そのものでも、そうしたことはありますが、ステレオ・バージョンの初出では、ステレオ初期には、たくさんある話ですね。
竹内:そうですね。ヨーロッパ各国ではモノラルのみの発売だったというものですね。
今村:ええ、英デッカ録音のアルヘンタのドビュッシーもそうです。米ロンドン盤が世界初出のステレオLPです。
竹内:そう言えば、英デッカ一九五六年録音のクナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルによるブルックナーの『第五番』は、ステレオLPの方式決定前のデモンステレーション用にステレオのテープをアメリカに送ったまま、しばらく存在が忘れられていたようです。アメリカと日本では、60年代半ばになってやっとステレオLPが発売されましたが、英デッカにその情報が伝わるのが遅れたのか、70年には、なんと疑似ステレオの「エクリプス」シリーズで発売されてしまいました。
今村:ステレオ初期には、様々なミステリーがありますね。
竹内:3月号のリチャード・ファーレルで触れた英パイのステレオ録音も、私の手元にある日本ウェストミンスターによる国内盤が唯一のステレオ盤かも知れないと言いましたけれど。
今村:ええ。一九五九年から六一年ころの日本盤のステレオで、ヨーロッパの比較的マイナーなレーベルのもの、そして、アメリカではあまり人気の出ていなかった内容のものは、案外、日本盤が世界初出ということが考えられます。ルイ・フレモー/モンテカルロ歌劇場管弦楽団の『幻想交響曲』も、仏エラート原盤ですから、61年4月新譜の日本盤(ヴォアドール=日本ウェストミンスター)は、フランスにさきがけてのステレオ発売かも知れません。アメリカほどではないにしても、ヨーロッパよりは日本の方が、ステレオLPの普及は早かったですから。
竹内:音質の点でも、この時期の日本プレスには安定したものが多いから、かえって、後からヨーロッパで発売された初出ステレオより良いものもありますね。それこそコレクターとしては当たりはずれの醍醐味がある部分です。そう言えば、セル/クリーヴランド管のブラームスの『第一番』。
今村:旧録音ですか?
竹内:そうです。57年のエピック録音。あれは、64年に日本コロムビアからエピックのマークでステレオが出ているんですが、かなりいい音ですよ。交響曲全集としての録音は66年ですから、これは旧録です。
今村:竹内さんが編集解説した『LP手帖』誌の初期の月評を集めた本を読んで以来、国内盤が意外に早く発売されていることにも気付いて、奥深さを感じているのですが、国内盤には、「この時期にこんなものまで」というくらい、地味なものが発売されていたりもして驚きます。中には、日本盤が世界初出というのもあるでしょうね。
竹内:そうそう。世界初出をオリジナルというのか、ということも含めて、どこの国のものをオリジナルと言うのかも、こだわり始めると大変です。前号のマーキュリーとパイの場合は、どちらの技術陣が録音したかでオリジナルを特定できるけれど、EMIやデッカは英盤、米盤どちらがオリジナルか、で悩みません? マニアックな人はたいてい英盤をありがたがりますが、さっきも言ったようにステレオ初期は、米盤しかないものもあるし、米盤が先に出たものもある。日本盤が初出というのもあります。それに、ものによっては、単純に米録音は米盤が、英録音は英盤がオリジナルとは言い切れないでしょう。
今村:例えば?
竹内:ミルシテインやマイケル・レビンの58~59年頃の協奏曲は、ロンドンでフィルハーモニア管と録音していますが、発売はイギリスでも英キャピトルで発売されています。EMI系列の米キャピトルの専属アーティストだったから、ということですが、だとすると、これは、米キャピトルがオリジナルということになりませんか?
今村:なるほど、ヨーロッパ録音でも米盤がオリジナル、というわけですね。
竹内:米ウェストミンスターの場合、イギリスのニクサとの提携でロンドンで録音したものがかなりあります。ウェストミンスター・レコードの資料でも「他社音源」とされていますから、これは、英ニクサ盤がオリジナルということになるのでしょうか? もっとも、イギリス録音でも、「他社音源」となっていないものもあるんです。それは米ウェストミンスター盤がオリジナルということになるかしら? ややこしい話です。結局、録音やマスタリングを、どこの責任で行なったかということでしょうから、それは、サウンドポリシーに関わることで、そうなると、オリジナルの盤のプレスの音が最も制作者の意図に近い、ということが、図式的には言えるわけです。
今村:ウェストミンターの場合は、仏デュクレテ・トムソンや仏ヴェガなどから買った音源は、初出盤にライセンスの記載がありますから、それを寄りどころにするのが第一歩ですが、イギリス録音は、もう少し複雑です。「ニクサとの提携」「ニクサによる録音」など記載も様々。この内「ニクサによる録音」だけは、ニクサがオリジナルという考えに疑問はないでしょうけれど。いずれにしても、初出盤の記載は貴重な情報源です。オリジナルだということが、イコール「良い音」とは限りませんが、資料としては重要です。私の場合は音の好みから、米盤を中心にコレクションしていますけれど……
竹内:オリジナル盤には、初出時のことがわかる記載があることもあります。ミュンシュ/ニューヨーク・フィルのサン=サーンス「交響曲第三番」は、米コロンビアのオリジナル盤には、これがミュンシュのアメリカにおける初録音だという記載がありますが、英コロンビア盤では一切触れられていません。
今村:そういうことが、他人の話の受売りでなく確認できるところが、うれしいですね。
竹内:こだわっている演奏だと、同じものを次々に買って、「あれ?」って気付くことがあります。こんな時期に発売されていたのか、と驚くこともしばしばです。
今村:そうです。本で読んだり他人に聞いたりした知識で、「これがオリジナル」と信じて買って安心すると、そこで終わってしまいます。「いや、決め付けられない」という気持ちを持っていないと、なかなか事実に辿り着けません。
竹内:マニアックな話になってしまいましたね。そろそろ、メジャーレーベルの、謎解き話でも始めましょう。
(以下次号)

(写真ネーム/1)
フレモー/モンテカルロ歌劇場管の『幻想交響曲』。日本ウェストミンスター一九六一年四月新譜、VOS-3014E。

(写真ネーム/2)
セル/クリーヴランド管のブラームス『交響曲第一番』(一九五七年録音)。日本コロムビア一九六四年三月新譜、WS-6023。

(写真ネーム/3)
シェルヘン/ロンドン響の『幻想』、米ウェストミンスター盤オリジナル。これは「conjunction with Nixa Records」と記載されている。

(写真ネーム/4)
ミュンシュ/ニューヨーク・フィルのサン=サーンス『交響曲第三番』米コロンビア盤オリジナル。





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クラシックLPコレクター対談(5)■「ウラディミール・ゴルシュマン」の魅力

2009年03月13日 11時28分43秒 | LPレコード・コレクション





 以下は、古書店、中古レコード店が建ち並ぶ、東京・千代田区の神保町のタウン誌に掲載されたもの。2000年10月頃の掲載開始だったと思いますが、筋金入りのレコード・コレクターと尊敬している今村享氏との対談を「ここまで集めて ここまで聴いて」と題して何回か連載したものです。先日、今村氏の快諾を得ましたので、しばらく、この私のブログ上に再掲載します。
これを機に、新カテゴリー「LPレコード・コレクション」を起こしました。今日は「第5回」です。



●「ウラディミール・ゴルシュマン」の魅力
(今村亨+竹内貴久雄)

竹内:今回は、〈忘れられかけている演奏家列伝シリーズ〉の続きで、指揮者のウラディミール・ゴルシュマンです。ゴルシュマンは一八九三年にパリで生まれたロシア系の人で、一九一〇年代はパリで同時代作品の演奏で活躍、ディアギレフのロシアバレエ団の指揮も四年間やってる人ですね。その直後アメリカに渡ってからずっとアメリカで活躍しました。実は、私は、どちらかと言えばあまりこの人のLPを追いかけていないんです。今村さんは相当集めてらっしゃるようですが……。
今村:この二、三年の間に、様々の個性派指揮者の復刻CDが登場しましたが、ゴルシュマンは少ないですね。系統立っての復刻でもないし。昔はゴルシュマンみたいな指揮者はそれほど目立つ存在ではなかったかも知れませんが、今となっては貴重な持ち味の人ですから、もっと聴かれていいと思っています。
竹内:70年代の初めにキングレコードから、てっぺんがオレンジ色の帯になった廉価盤シリーズのLPでずいぶん出ていましたね。今、御茶ノ水のディスクユニオンなんかで、たまに二百円、三百円で見かけるけれど。AB両面で交響曲が2曲入っている長時間カッティング。あれの、ボールトの《英雄》のB面がゴルシュマンの《悲愴》で、ゴルシュマンの《展覧会の絵》をA面に収めた盤のB面はマリオ・ロッシの《シェエラザード》なんですよ。私がゴルシュマンに興味を持ったのは、その、それぞれ違う目的で聴いてみたくて買った中古LPの裏側だったんです。十年ちょっと前のことです。ほんとに偶然なんですね、「ゴルシュマンって、けっこうおもしろい」と思ったのは。だから、ゴルシュマンに対しては私は駈け出しのコレクターで、それも、あまり熱心じゃない(笑)。だから、きょうは、いろいろと教えていただこうと思っています。
今村:そうでしたか。でも、いくつか既にお持ちでしょう?
竹内:ウィーン国立歌劇場管弦楽団とのベルリオーズ《幻想》は米ヴァンガードのオリジナルです。同じオケでブラームスの《第四》は、オーストリアのアマデオの初出LPを持っています。米ヴァンガードのエブリマンシリーズのLPもあって、音はこちらの方が鮮やかでいいんですが、アマデオ盤はめずらしいでしょう。ステレオですよ。
今村:(実物をみながら)これは珍しいですね。オケ名も、さすがに「ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団」と正確じゃないですか。それに「米ヴァンガード社による録音」と明記されている。初期LPは、こういうことが確認できるところがいいですね。《幻想》は、復刻CDでは《展覧会の絵》のLPの余白に入っていた《はげ山の一夜》を加えてジャケットデザインも変えてしまいましたが、この《幻想》のオリジナルLPの絵は味がありますね。でも演奏は《はげ山》《展覧会》の方がずっといいと思います。歯切れがいいじゃないですか。何て言うか……ドイツ風のピラミッド型のサウンドじゃなくて細部がよく聞こえる……。隅々までよく鳴っている演奏ですね。
竹内:ミーハー的な言い方だけど「カッコイイ」演奏ですよね。
今村:そうそう、「カッコイイ」。さっそうとした演奏ですね、テンポも速めですし。ゴルシュマンの代表盤だと思いますよ。あと、カバレフスキーの《道化師》、ハチャトリアン《ガイーヌ》を収めた盤がいいですね。体質に合ってるんじゃないですか?
竹内:そんなのもあったんですか。
今村:線のはっきりした、あいまいさのない指揮をする人だから。リズムもくっきりしているし……指揮技術に長けた人だから、伴奏がうまかったのも当然ですね。ミルシテインの伴奏のキャピトル盤や、晩年のミッシャ・エルマンの伴奏のヴァンガード盤、グレン・グールドの伴奏のCBS盤などの方で名前が残っているというのも頷けます。
竹内:でも、伴奏指揮者としてだけで残るのももったいない……。
今村:さっき竹内さんが「カッコイイ」と言ったのは、いろいろの意味で当たっていて、写真でみても、美男子というか貴公子然としたところがあって、一九二〇年代にアメリカに渡ったあと、一九三一年から二十五年間もセントルイス響の常任指揮者だったのも、その美しさによる人気が関係していると言われています。もちろん、このオケをメジャーレーベルで録音できるほどにまでレベルアップさせた功績もあったからですが。
竹内:そうそう。ロシアバレエ団時代は、ラヴェルや、ドビュッシーらとの親交もあって、その頃、ディアギレフのホモの相手をさせられたという話もあります。当時のラヴェル邸でのパーティの写真を見たことがありますが、確かに美少年ですよ。
今村:そんな話があるんですか? でも、それはそれとして、彼のキャリアの最初が、ディアギレフがパリでストラヴィンスキー、ラヴェル、ドビュッシーなどに新作の依頼をしていた時代で、それを身近で体験していたということは重要ですね。
竹内:私は今村さんほどのゴルシュマン・コレクターではないので全貌がわからないのですが、活躍の場はずっとアメリカですか?
今村:そのようですね。50年代の終わりから60年代初めの一連のウィーン録音も、ヴァンガードというアメリカ資本によるものですから。そして、結局アメリカで一九七二年に亡くなりますが、死の二年前までデンヴァー交響楽団の指揮者を引き受けていたんです。
 主な録音としてはLP化されたSPレコード時代からのものから一九五二年頃までが、米RCAでセントルイス響とNBC響。その後、一九五五年頃までが米キャピトルでセントルイス響とコンサート・アーツ響で十枚程度。一九五六年頃から二年間ほど米コロンビアでセントルイス響とコロンビア響となっています。米コロンビア時代の五枚程の内、グールドの伴奏ともう一枚がステレオ録音となりました。「もう一枚」というのは、映画で有名なイースデール作曲のバレエ曲《赤い靴》にドリーブ《コッペリア》《シルヴィア》、ウェーバー《舞踏への勧誘》を組合せたものです。これは日本では十インチ盤で《赤い靴》《コッペリア》の組合せのステレオが発売されている、と以前竹内さんが書いていますね。その十インチ盤のほうがめずらしいんじゃないですか。『レコ芸』の名盤ガイドでもモノラル発売のみと誤記されていたくらいだから(笑)。
竹内:いやぁ、今村さんのコレクションの充実ぶりに驚きます。レコード会社にとってメインのアーティストではなかったわりには、かなりの録音量ですね。中でも注目盤は?
今村:RCA時代ではセントルイス響との《白鳥の湖》です。これは米RCAがコロンビアのLPに対抗して一時期発売した箱入りのEPがあります。キャピトルでは、ショスタコーヴィチの《第五》がとてもいい演奏です。コロンビア録音ではモノラルにドビュッシー《海》とラヴェル《ラ・ヴァルス》《高雅にして感傷的なワルツ》もありますが、やっぱり《赤い靴》とドリーブでしょう。
竹内:そして米ヴァンガードによるウィーン録音となるわけですね。セントルイス響とのショスタコやドリーブでも感じましたが、この、ウィーンのオケとの演奏は、オケがよく鳴る充実した響きで聴かせますね。《はげ山》なんか、ほんとにカッコイイ。わくわくします。でも《悲愴》やブラームスの《第四》など、ただ金管がパンパカ鳴るという意味のカッコ良さではなくて、弦もしなやかによく鳴っているでしょう。ユニゾンがすごくきれい。
今村:そう。いわゆる乱暴なタイプではないんですよ。そこのところを間違えられてしまうと困る。音楽が生き生きとしていていますね、あらゆる意味で。アンサンブルが整っていて勢いがあるから、ショスタコの第三楽章も凄かった。あそこから終楽章まで、妙にヒロイックな演出をせずに、音そのものに語らせ尽くしたといった誠実な演奏です。ブラームスも第四は、彼のそういった特徴がプラスの方向に行って、くっきりとして充実した演奏が残されたんでしょうね。
竹内:でも、彼のルーツを探る上ではドビュッシー、ラヴェルは重要でしょう。
今村:そういうことなら、実は、録音年代が特定できないのですが、モノラル録音でフランス・フィリップスにラムルー管弦楽団を振ったラヴェル集があるんです。曲目は《ボレロ》《パヴァーヌ》《マ・メール・ロワ》《道化師の朝の歌》です。
竹内:それは凄い。ラヴェルの流れを汲むゴルシュマンが、そのラヴェルゆかりのオケを振るという……
今村:そういうことになりますね。聴いてみますか? ……(持参したLPを聴く)……
竹内:《道化師》の速いテンポは作曲者直伝でしょうが、特に《マ・メール・ロワ》がすばらしいですね。
今村:わずかなテンポの伸び縮みで物語を表現して行くところなど、客演とは思えないオケの掌握力で、やはり、凄い人だったんだと思いますね。作曲者直伝という以上に実力を感じさせる演奏です。
竹内:貴重な文献としてもCD化して欲しいですね。多分無理だろうけど。
(この項終わり)

■以下は、雑誌掲載当時の写真解説です。このブログでは、写真掲載はありません。

(写真ネーム1)
米RCAのチャイコフスキー《白鳥の湖》ハイライト。EP盤箱入りセット▼

(写真ネーム2)
米キャピトルのショスタコヴィッチ《交響曲第5番》オリジナルLP。米EMIから、フランクの《交響曲ニ短調》とのカップリングで復刻CDが発売されたが、デザインはフランクのものを使用している。▼

(写真ネーム3)
イースデール《赤い靴》/ドリーブ《コッペリア》日本コロムビアの25センチステレオLP▼

(写真ネーム4)
仏フィリップスによる《ラヴェル管弦楽曲集》▼



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クラシックLPコレクター対談(4)■忘れられたピアニスト「リチャード・ファーレル」

2009年03月11日 06時43分10秒 | LPレコード・コレクション






 以下は、古書店、中古レコード店が建ち並ぶ、東京・千代田区の神保町のタウン誌に掲載されたもの。2000年10月頃の掲載開始だったと思いますが、筋金入りのレコード・コレクターと尊敬している今村享氏との対談を「ここまで集めて ここまで聴いて」と題して何回か連載したものです。先日、今村氏の快諾を得ましたので、しばらく、この私のブログ上に再掲載します。
これを機に、新カテゴリー「LPレコード・コレクション」を起こしました。今日は「第4回」です。



●忘れられたピアニスト「リチャード・ファーレル」
(今村亨+竹内貴久雄)


今村:リチャード・ファーレルというピアニストは、ほとんど忘れられている演奏家の典型ではないですか? 私は、たまたま竹内さんが本の中で書いているのをみて知ったのですが、他に書いている人はいないでしょう?
竹内:レコード・デビューの50年代末ころだけでしょうね。例の、私がまとめた古い『LP手帖』月評を収載した本の編集時に、ファーレルのことを高く評価している発売当時の月評を発見したときはうれしかったですね。あれは上野一郎さんだったかな。
今村:グリーグのピアノ小品集と、もう一枚はグリーグとリストの協奏曲の盤でしたね。あの評は非常に的確だと思いますが、ただ、グリーグの協奏曲が標準的なテンポより遅いという記述は、違うと思いましたね。やっぱり時代の流れですか。
竹内:そうでしたか? 私はグリーグの遅さについての指摘は、当時として、その通りだったと思いますけど。
今村:あ、そうか。グリーグはリパッティが当時の基準だったということですか? それなら、わかるような気がしますね。いずれにしても、ファーレルも、録音が残らなかったら、完全に忘れられていた人ですね。
竹内:今でも、忘れられていますよ。誰も語らないですよ、この人のこと。僕だけじゃないかなぁ、ファーレルのこと採り上げてるのは。あれだって、読んだ人が、気になってくれたかどうか、わからない。
今村:私は気になりましたよ。竹内さんの採り上げ方が異常というか、かなり作意的だったから、これは、それだけのものがあるんだろうと思いましたね。
竹内:そうですか。うれしいな。今村さんにも興味を持ってもらえたんだ。初めて聞く名前だな、どんな演奏してたんだろう、探してみようかな。そんな風に思ってくれる人を一人でも増やそうと思って書いたんだから。
今村:そんなことができるのもレコードがあるからこそ、ですよ。『LP手帖』でも「このレコードがデビューだが、このピアニストは既にこの世にはいない」と言って、レコード文化の有難さに触れているのは象徴的です。
竹内:確かに、そうですね。実は私も、この人のレコードを集め始めたときは、死んで二十年以上経ってましたから……。
今村:何年生まれですか?
竹内:一九五八年の五月二十七日に自動車事故で死んだ時が三十一歳だったと書かれていますから、一九二六年頃ですね。
今村:ということは録音のキャリアのスタートとして、当時ではかなり若かったですね。幸運な人ですね。その若さでも、レコードが残せたわけだから。
竹内:そうですけれど、生きていて欲しかった人ですよ。もっとも、死んで二十年以上経ってから存在に気付いた私も、マヌケな話で(笑)
今村:でも、だからこそ、声を大にして、ファーレルのことを知って欲しいわけでしょう。
竹内:うん。残された者のつとめのような…。
今村:伝道者ですね。(笑)。ファーレルは、どこの出身ですか?
竹内:ニュージーランド生まれです。
今村:勉強はロンドン?
竹内:いえ、詳しいことがわからないのですが、一九四八年には早くもカーネギーホールにデビューしてます。その後、ジュリアード音楽院ですから、ニューヨークですね。卒業後のコンサートはヨーロッパが中心のようですけれど。
今村:イギリスのパイレコードに録音が残されたのは、そのためでしょうか? ロンドンで評価されていたのでしょう。
竹内:たぶん、そういうことでしょう。
今村:アメリカのマーキュリーレコードは、一九五六年にスタッフがイギリスに渡って、マンチェスターでパイレコードと共同で八枚のLPをステレオ録音しています。バルビローリ指揮のハレ管弦楽団がほとんどで六枚ありますが、あと二枚が、ジョージ・ウェルドン指揮ハレ管で、ひとつは《ガイーヌ》。もう一枚がファーレルとの協奏曲なんですね。この時はマンチェスターに滞在しただけで帰ったようですが、後にマーキュリーはロンドン響とコンタクトが取れて、ドラティ指揮などのものを制作することになります。ファーレルとの録音は、ステレオLPが市場に出る前の草創期の録音というわけで、パイとしては、マーキュリーのステレオ録音技術を採り入れたかった、マーキュリーにしてみれば、ヨーロッパ進出をしたかった、そういう時期の録音ということでしょう。マーキュリーは、トラックにステレオ録音の機材をセットして積んだものを持っていて、それが後でモスクワまで行ってコンドラシンなどを録音してるんです。
竹内:そうですか。移動セット、テレビの中継車のようなものだったんだ。
今村:マーキュリーは、かなり先進的で積極的な会社だったんですよ。フィリップスで出ているリヒテルのロンドン録音も、モスクワ録音の延長で、マーキュリーによる録音です。マーキュリーがフィリップス傘下になってしまったので、フィリップスで発売されましたけど、音が全然ちがうでしょ。あれはマーキュリーの音です。
竹内:ファーレルの話に戻しましょうよ。
今村:そうですね。また脱線してしまった。ファーレルのマーキュリー録音は、この一枚だけでしょうね。
竹内:おそらく、そうでしょう。
今村:これも、イギリスではパイレコードで出ているわけですが、日本でもそうでしたね。
竹内:日本ウェストミンスター社から一九五九年に発売のモノラルです。
今村:そのほかのファーレルの録音も、全部パイですね。
竹内:ええ、それ以外のレーベルの録音は、いまだにカタログ上でも見ませんね。
今村:何枚あるんですか? パイには。
竹内:全部ピアノ独奏で、ブラームスのヘンデル変奏曲ほか、ラフマニノフのコレルリ変奏曲ほか、グリーグの抒情小曲集抜粋ほか、ブラームスの作品39のワルツ全曲ほかの四枚です。これが協奏曲以後の日本での発売順で、最後の一枚だけがステレオ発売、一九六一年十二月新譜です。イギリスの古いカタログでも、この四枚以外は、今のところ見当らないです。しかもモノラルばかり。
今村:その時期だと、ヨーロッパではステレオは未発売だったかも知れませんね。日本でもステレオはその一枚だけですか?
竹内:そうです。ステレオがやっと一般的になり始めた時期だったので、最後の一枚がステレオで出ましたが、その直後に日本ウェストミンスター社は解散して廃盤。パイの発売権が日本コロムビアに移ってからは、こんな無名のピアニストのレコードは出ませんね。ほかにたくさんあるんだから。
今村:録音そのものは、全部ステレオでしょうね。
竹内:英パイのラフマニノフのライナーノートの欄外に、「このレコードは彼の最後の録音セッションであり、この録音のわずか数週間後に、自動車事故死した」という意味の英文が書かれています。一度組み上がったものに、後から書き加えたような感じがするところが悲しいですね。
今村:米マーキュリーの協奏曲にも、「このピアニストは既に事故死している。わずか三十一歳だった」と書いてありますから、日本でもアメリカでも、死後のレコードデビューだったという、稀有な人ということですね。
竹内:パイとの録音は、おそらくマーキュリーと共同の協奏曲録音の後、五七年から五八年の春までの間で、四枚のソロ・アルバムを残して死んでしまったということでしょうね。だけど、そのどれもが個性的で、若くして自分のスタイルが確立していたピアニストだったということがわかるんですよ。ブラームスなんか、ドイツ的な響きとはまったく異なったところで、深く沈んだ情感がしっとりとした歌を湛えていて、いいですよ。音の粒が揃っていて、弱音がとてもソフトなんですよ。その後登場してきた若い世代のピアニストの誰とも違う。似ている演奏が思い当らないくらい独自の感性を持っていた人だと思うなぁ。
今村:私は、まだマーキュリーの協奏曲しか聴いていませんが、グリーグの協奏曲を聴くと、遅いテンポだけども粘らないというか、臭みがないですね、あの曲の演奏にありがちの。確かに、誰に似ているか、と聞かれると困りますね。なかなか類型が見出せない人。ただ、音色の変化は乏しい人じゃないですか。
竹内:うん。自分の世界に潜り込んでいくタイプだし。
今村:グリーグでさえ臭く感じないのは、モノトーンの音色だからですよ。
竹内:自分の世界と対話してるというか……。
今村:乱暴な言い方ですが、フツーのグールドと言った感じで(笑)、まあ、敢えて言えばですよ。あんまりペダル使わないじゃないですか。ひきずらない。テンポを遅くしても間延びしないところが、なかなかで。リストもそう。あんなに遅いリストはないでしょう。あの後、どうなっていったか、楽しみな個性を持っていた演奏家ですね。その意味では、前回のアルヘンタ以上に、惜しい逸材だったかも知れませんね。
(この項おわり)


(1)
グリーグ「ピアノ協奏曲」/リスト「ピアノ協奏曲第1番」米マーキュリー盤(SR‐90126)▼


(2)
ラフマニノフ「コレルリ変奏曲」/「前奏曲から6曲」英パイ盤(CCL‐30138)▼


(3)
グリーグ「バラード ト短調作品24」/「ノルウェーの旋律作品66の14・18」/「抒情小曲集より8曲」日パイ盤(PYE‐1504)▼


(4)
ブラームス「ワルツ作品39全曲」/「4つのバラード作品10」日パイ盤(SWP‐3514)▼

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クラシックLPコレクター対談(3)■「アタウルフォ・アルヘンタを語りつくす」

2009年03月09日 01時08分51秒 | LPレコード・コレクション





 以下は、古書店、中古レコード店が建ち並ぶ、東京・千代田区の神保町のタウン誌に掲載されたもの。2000年10月頃の掲載開始だったと思いますが、筋金入りのレコード・コレクターと尊敬している今村享氏との対談を「ここまで集めて ここまで聴いて」と題して何回か連載したものです。先日、今村氏の快諾を得ましたので、しばらく、この私のブログ上に再掲載します。
これを機に、新カテゴリー「LPレコード・コレクション」を起こしました。今日は「第3回」です。



●アタウルフォ・アルヘンタを語りつくす
(今村亨+竹内貴久雄)

今村:いよいよ20世紀も終わりですが、音楽演奏にとって、20世紀の最大の特徴は、〈録音〉というものが関わってきたことでしょう。ある人の演奏がまたたく内に世界中に伝わってしまう。19世紀までは、その人が演奏旅行なんかで持ち歩かなければ、なかなか、他の町に住んでいる人は、聴けなかったわけですから、ひとつのスタイルが伝わるのに、何十年もかかったりしていた。最近は、演奏スタイルの地域特性のようなものがどんどん薄れてしまった。あっという間でしたね。今では、録音された演奏に明らかに影響された演奏が、また録音という形で登場したりする。
竹内:うん。今は、演奏家も聴衆も、どちらも知識が豊富になっちゃった。(笑)
今村:だから、とんでもなくヘンな演奏が少なくなって、わりとみんな平均化してきたっていうか、そうならざるを得なくなった面もある。ひとつの個性が共感をもって、ある社会で受け入れられるより、「わかってない」なんて言われる。大変な時代になりました。
竹内:でも、録音というものがあって、よかったという面もあるでしょう。
今村:もちろん、あります。若くして死んだ演奏家を聴くことができるのも、そのひとつでしょう。だから、この欄は、しばらくの間、そうした〈録音〉のお陰で今でも聴くことが出来る忘れられた演奏家を、順番に取り上げていくことにしましょうよ。
竹内:それは賛成。ただ、時代を限定しましょうよ。50年代の後半から60年代のステレオLPの初期まででどうです。
今村:その頃レコードで登場した若い演奏家は、まだ、個性が強かったですね。名演奏家、大家、巨匠、といった人たちの録音が中心だったSP時代とは違った活気がありました。
竹内:一九五八年のステレオLP一般市販開始以来、各社がこぞって新しいステレオ音源の確保に走ったおかげで、若い演奏家にも録音の機会が与えられたからですよね。ところで、まず誰を話題にします?
今村:その、一九五八年に早逝してしまった指揮者、アルヘンタはどうですか?
竹内:アルヘンタ。いいですね。あの人なんかも、録音がなかったら、完全に記憶の彼方の人でしょう。残された録音のおかげで、かろうじて、今でも一部にファンがいる……。
今村:アルヘンタの、レコード・デビューは、日本では、彼の死後なんじゃないですか? ひょっとすると。
竹内:有名な《アランフェス協奏曲》の伴奏盤の場合がちょっとわからないけれど、シャブリエの狂詩曲《スペイン》の入ったLPは59年5月の発売で、これが「スペインの異色指揮者の登場」として日本で紹介された最初だったように記憶しています。
今村:既に死んだ人が、レコードで日本にデビューしたわけですね(編集部:注/後述で発言を訂正している)。でも、そのおかげで、優れた演奏が残された。あれは、アルヘンタの代表盤でしょう。《エスパーナ!》ってエクスクラメーションの付いたタイトルのアルバム……最初の日本盤は《スペイン!》でしたね。あれ1枚だけでも、残る指揮者でしょう。単純な発想だけれど、当時よく批評で使われた「本場モノ」ということで。それだったら若手でも受入れられる……。でも、新人を容易に発掘できたのは、録音の功績ですね。この録音がなかったらアルヘンタは、忘れられるどころか、未だに名前も聞いたことがなかったかもしれない。
竹内:あれは売り易かったんです。スペインの指揮者がスペイン物を振った、最新ステレオ録音のド迫力っていう感じで。でも、あれ1枚だけっていうのは、あんまりですよ。
今村:英デッカにアルヘンタは、かなりの録音を残していますけど、それは、彼の後見人だった人物がスペインコロンビアに影響力を持っていて、デッカのプロデューサーとも親しかったから実現したんです。
竹内:へえ、そうなんですか?
今村:英デッカは、確か53、54年頃にスペインコロンビアを傘下に収めるのですが、それも関係あるでしょう。デッカにはスペイン系の指揮者にエンリケ・ホルダがいましたが、それを押しのけたのには、理由があったわけです。そうして、スペイン音楽シリーズをアルヘンタで続々と録音して、やがて、リスト《ファウスト交響曲》、チャイコフスキー《第4》、ドビュッシー《映像》などに進んでいくわけです。それ以前のものとして、スペインコロンビアが世界のコロンビア・レーベルで共通のEMIグループだった時期の録音としては、53年に仏コロンビアとの共同制作でアルフテルやトルドラに混じって、アルヘンタもパリ音楽院管を振って、ファリャの《恋は魔術師》を入れてますね。
竹内:ええ。仏EMIで《ファリャ作品集》として3枚組でCD化されている。あ、いけない。そのモノラル録音、日本コロンビアのLPが55年5月新譜で出ている。この古いカタログに載ってますよ。それに、アルベニス《イベリア》とトゥリーナ《幻想舞曲》で1枚になったパリ音楽院管との盤が、56年8月にロンドンレコードで出ている。
今村:そんなのが。お持ちですか?
竹内:英デッカのLXTで持ってます。
今村:それは、アルヘンタがデッカに移った時期の録音でしょうね。それが伴奏以外での日本デビューと、2枚目ということですか?
竹内:たぶん、そうでしょう。だけど、忘れていたなぁ、日本盤も出ていたなんて。この辺は影が薄かったから。まいったな、やっぱり、《エスパーナ!》が代表盤なんだ(笑)。
今村:そうでしょう(笑)。いずれにしても、アルヘンタの本格的なレコード歴は、その時期を皮切りに5~6年しかなかったわけですが、まあ、なんて言うか、一種ローカルな指揮者がメジャー・レーベルにかなりの枚数の録音が残せたのは、幸運だったですね。その他には米オメガのLPが数枚ありますね。
竹内:米オメガのレコードはフランス録音ですね。
今村:ええ、ディスク・クラブ盤です。ステレオ録音はシューベルトの《グレート》だけでしょう。《ラヴェル管弦楽曲集》はモノです。他に、どんなのがありますか?
竹内:スペインの作曲家、オアナの《闘牛師の死への哀歌》というガルシア・ロルカの詩による声楽曲がありますね。私が持っているのは、その3枚くらいかな。まだあるかも知れませんが、調べ切れていない。
今村:オケは全部セント・ソリ管弦楽団という匿名ですね。
竹内:実体はどこだかわかりますか?
今村:わからないです。パリでの臨時編成だろうということくらいしか。でも、英デッカへの厖大な、……といっても20枚くらいだと思いますが、その半数ほどがスペインの伝統歌芝居「サルスエラ」に割かれているなかで、シューベルトなんかは、貴重なレパートリーの記録ではないですか?
竹内:あのシューベルトは、かなり強烈に個性的だけれども、魅力のある演奏です。以前、別の所に書いたことがあるけれど、英デッカの一連の録音でも、この数年に発売された放送録音のCDで聴いても、アルヘンタって人は棒振りの技術に長けていた人じゃないような気がするんですよ。自分の内側にある熱っぽいものが、オケにピタリと伝わらなくて、とっちらかっちゃうような感じで。
今村:でも、歌わせ方に、はっとさせるものがあるじゃないですか? リズムも推進力があって。
竹内:そう。だから、あのシューベルトなんかは、もっと長生きしたら、ロマン派の音楽にも、興味深い演奏がたくさん残せたんじゃないかと想像するわけです。シューベルトの歌謡性と舞曲的要素が、とても個性的な魅力になって聴かせる。
今村:なるほど。様々な可能性があったのに、早逝してしまったということですか?
竹内:未完成だったと思いますよ。まだ、これからという時に死んでしまった。死因は「変死」ということなんでしょう?
今村:自動車の中で、ガス中毒ということのようですね。事故なのか自殺なのか。いつの間にか病死として経歴に書かれるようになりましたが、死の直後には、ジャケット裏にも、そんなおかしな記述がありました。あまり触れられたくなかったので、次第に曖昧な表現になったのではないですか?
竹内:スペイン物以外を振る内に、壁に当たっちゃったのかしら。
今村:非常に無口でとっつきの悪い人だったという記述がありますから、悩みをひとりで抱えていたかも知れませんけど、まあ、想像しても始まりませんよ。でも、《エスパーナ!》1枚だけは、ほんとに一生一代の名演だと思いますよ。あれだけしか残らなくても、それだけで名前が残る人ですよ。
竹内:結局、そこへ話が落ち着いてしまうんだ。でも、アルヘンタと同じ年に31歳で事故死してしまったピアニストで、リチャード・ファーレルというピアニストがいるでしょう。
今村:『LP手帖』月評を復刻した本で触れてましたね。
竹内:ええ、かなり以前から、必死で集めています。あの人は、若くして自分のスタイルが確立していた人で、急逝は、大痛恨事なんですよ。おそらく世界中のデビュー盤が死後に発売された人。今では、まったくと言っていいほど、顧みられていませんが、このファーレルについて、次回は話しましょう。


*(写真ネーム/1)
イエペス独奏、アルヘンタ/スペイン国立管弦楽団による『アランフェス協奏曲』他のステレオ録音。同じ曲の組合せで独奏者も同じアルヘンタ/マドリード室内管弦楽団とのモノラル録音も英デッカにある。

*(写真ネーム/2)
『スペイン!』日本のキングレコードによる65年の再発盤(SMR-5034)。この時期のキングプレスは英オリジナル盤と聴き比べても遜色のない音質なのでお薦めする。

*(写真ネーム/3)
アルベニスおよびトゥリーナ作品の英デッカオリジナル盤(LXT-2889)。54年9月発売?

*(写真ネーム/4)
米オメガ発売のアルヘンタ/セント・ソリ管弦楽団によるシューベルト『交響曲第9番《グレート》』(OSL-12)。日本でもテイチクからムジディスク原盤の表示で一〇〇〇円の廉価盤(UDL-3026-V)として発売されたことがある。


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