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カサブランカ



 この写真は、2週間前の母の命日に買ってきた一茎のカサブランカをその日に写したものである。その時は、一輪しか咲いていなくて、あとはつぼみが付いていただけだった。カサブランカは私が好きで、母に花を供えるときは必ずカサブランカを入れてもらうのだが、いつもなら2つ3つ花を咲かせるだけでつぼみのまま終わってしまうことも少なくない。それがこの花は違っていた。次から次につぼみが開花して、とうとう全てつぼみが見事に咲いた。買ってから2週間の間に、7、8輪の花をつけたのだから驚きだ。

 


「こんなことは今までなかった」と妻は驚いているが、母の命日の7日あたりからずっと雨続きで、気温もカサブランカにはちょうどよかったのかもしれない。カサブランカの大輪の花は見るたびにため息が出る。「ゆりの女王」と呼ばれるようだが、香りの優雅さといい、まさしく女王の名にふさわしい花だ。日本原産のサクユリを改良したもので世界最大のゆりなのだそうだ。私もかつて一度だけ、球根を買って育てたことがあるが、うまく行かなかった。咲くには咲いたが、花屋で買うほど立派なものは咲かなかったので、それ以来育てていない。まあ、ちゃんと世話をしなかった私がいけないのだが。
 
 ゆりといえば、神話や聖書にもよく出てくる花で、聖書や賛美歌では白ユリは聖母の花とされる。アダムの妻イブは、蛇にだまされて禁断の果実を食べ、エデンの楽園を追われて流した涙が地に落ちてユリになったと言われている。
 これほど由緒正しくはないが、私が生まれたときにもゆりにまつわる話がある。父方の祖母が山でゆりを一抱えほど集めて私の病室にもって来てくれたそうだが、余りにむせ返るような香りが、生まれたばかりの私に毒ではないかと、父が家に持ち帰ったそうだ。祖母の私を思う気持ちと、父母が私を思う気持ちが現れていて忘れられない。それが理由でもないだろうが、私はゆりの香りが好きである。常々、妻には私が死んだら葬式の祭壇は菊ではなく、ゆりで飾ってくれと頼んである。真っ白なゆりに囲まれてこの世での最後の儀式を終える・・なんだか憧れる。
 辞世の句も、漱石の
  
  あるほどの菊なげ入れよ棺の中  

をもじって、「あるほどの百合なげ入れよ棺の中」と決めてある。
 今は一年中ゆりの花があるから、いつ死んでも心配はない。
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多忙!

 今日と明日の2日間、妻は「ライフ・イン・ザ・シアター」を名古屋で観る。これで東京と大阪をあわせて、合計5回観ることになる。1回観れば十分だろうと私などは思うが、観るたびに熟成度が違っていて、また観客の層も微妙に違っているため、その都度新しい発見があるからあの芝居はすごい、と何だかいっぱしのことを言う。娘も大阪で友人と観たようだが、感想は「?」だったようだ。それに対して妻は、「舞台を見慣れない人には大人しすぎてちょっとつまらないかもしれない」、などと通ぶったコメントをしていたが、実際そうなのだろうか。
 日曜には、舞台終了後、名古屋駅前のJR高島屋で藤原竜也のトークショーが夕方5時から開かれるそうで、それにも勿論行くつもりで、あれこれ知り合いと相談しているようだ。しかし、会場がちゃんとしたところではなく、ちょっとしたスペースに30席ほどいすを用意するだけらしいので、「見通しが甘いよ、高島屋は」とわざわざ電話までして善処を求めたようだが、何もそこまで入れ込まなくてもいいのに、と傍で見ていてあきれてしまう。
 だが、妻の心配もよく考えれば頷ける。藤原竜也といえば、6月には映画「デスノート」が公開される。今週号の「少年ジャンプ」で「デスノート」が最終話となり、藤原竜也のインタビューも載っていた。妻がうれしそうに買ってきたので、「見せてくれ」と頼んだが、「汚い手で触らないで」と拒否された。わざわざ手を洗ってまで見たくはないから、ほかっておいたが、まったく・・と思わず舌打ちしてしまった。悔しいからこっそり写真をとってやった。

 

左はジャンプだが、右は新聞の広告、10月の藤原竜也の舞台「オレステス」のチケット発売の告知だ。エウリピデスのギリシア悲劇を舞台化するとは、蜷川幸雄も気合がこもっているが、妻はもう2日分は確保してあると自慢していた。「なんだ、4日とも行くんじゃないのか」、とたずねたら、「その前にSMAPのライブがあるから、その関係でどうするかまだ分からない。7月の夏休みに入ってから、10月まではずっとライブがあるはずだから、その日程次第」と答えた。一時は、台湾でライブをやるかもしれないという情報が流れて、かなり色めき立っていたが、なにせ息子が受験生であるためさすがにそこまでは行けないと言っていた。しかも、泊まりで遠征するのは止めるようなことまで言っていたから、「そんなことしたら、欲求不満がたまって、かえって周りに迷惑かけるだけだから、行きたいところはどこにでも行けよ」と諭してやったら、待ってましたとばかりにうれしそうな顔をした。「それじゃあ、相談してみる」と息子に意見を求める振りをしたが、きっとどこまででも行っちゃうだろうな。
 6月には、稲垣吾郎の舞台「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?」を娘と観に行く予定だが、これも2日分チケットを確保してあるようだ。さらには、草剛の「日本沈没」も公開されるから、何回かは観に行くだろう。SMAPのライブの予定がいったいどれくらいになるか予想も付かないが、それにしても忙しい。私は何も妻のマネージャーでもなんでもないから、スケジュールを管理する必要もないのだが、ついつい興味本位でたずねてしまう。そしてそのたびに「なんてこいつは元気なんだろう」とため息が出る。「亭主元気で留守がいい」と昔はよく言われたものだが、私は「女房元気で留守がいい」と嘯いているしかない。
 
 じゃあ、その間は私は何をするんだろう。う~~ん、何もすることがない。塾で毎日生徒たちと楽しくやるしかないだろうな・・・
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チャンチー

 最近高校生と話していると、天候不順が話題になることが多い。こんなに毎日雨が降っていれば、それも仕方ないのかもしれない。
 A「雨多いよね」
 私「うん、雨ばっかりだよな」
 B「ウザイ、この雨、本当にウザイ」
 A「おかしいよね、今日なんか寒いけど、この間なんか29度もあったんだよ。無茶苦茶だよね」
 私「あの時は、フェーン現象だろう」
 A「・・ああ、そうだね」
 B「ちょっと待てよ、お前、今適当言っただろう。フェーン現象の意味知らないだろう?」
 A「知ってるよ、あれでしょ、ドーナツ化現象みたいなもんでしょ?」
 私・B「・・・・」

 【ドーナツ化現象】 大都市の中心部の居住人口が地価の高騰や生活環境の悪化などのために減少し、周辺部の人口が増大して人口分布がドーナツ状になる現象。

 まあ、ドーナツ化現象って言葉を知っているだけまだましかもしれない。
でも、その時、Aが台風1号のせいで雨が多いと言っていたが、それは本当のようだ。昨日の朝、私の携帯に毎朝メールが送られてくる「ウエザーニュース朝刊」に、「台風1号[チャンチー]に注目!!今日の雨は段々やんできます。でも週末はチャンチーが低気圧へと姿を変えて日本に襲来しそう」と書いてあった。へえ、今頃1号ってのは遅くはないか?とびっくりしたのだが、それより意外だったのは、台風に名前が付いていることだった。昨年アメリカを襲った[カトリーヌ]の例を挙げるまでもなく、ハリケーンなどには名前が付いているが、台風にも命名されるようになったのは知らなかった。ちょっと調べてみたら、

「その年に発生した台風に連番で番号をつけているが、その他にアジアの14の国と地域で命名した合計140の名前が順番につけられている。これは、2000年から始まっているので、今年の17号で140の名前が一巡することになる。
 今年の台風1号の名前「チャンチー」の意味は、マカオ語で真珠だそうだ。
 日本がつけた台風の名前は全て星座の名前で、テンビン、コップ、カジキ、コンパス、ワシ、ヤギ、カンムリなどである。他の国がつけた名前は、人の名前とか、女神の名前とか、草花の名前とか酋長の名前などもあって、ユニークだ」

とあった。知らない間にいろんなことが起こっているんだなと、当たり前のことながら感心してしまった。
 とは言ってもこの台風、大きな被害ももたらしている。 

 「今年の台風1号「チャンチー」が13日、フィリピンを直撃した。同国中部のマスバテ島では、気象当局の警報を無視して出航した船が転覆。これまでに21人の遺体が収容された。乗客など18人が救助されたが、行方不明者も出ており、死者が増える恐れがある」

と報道されている。「真珠」などという名前からはおよそ似ても似つかぬ猛威を振るっているようだ。あえて猛々しい名前を付けて恐怖心を煽るのものもよくないが、もうちょっと命名に配慮が必要ではないだろうかと思う。実際に多くの人が命を失くしているのだから。

 「チャンチー」を検索している間に、「チャンチーイ・初恋のきた道」というのが出てきた。そうだ、アマゾンで何ヶ月か前にDVDを買ったのにまだ見ていない。この前の日曜日に観ようかと思ったが、妻に「アマデウス」を観ると言い切られて断念したのだった。
 じゃあ、今度の日曜こそ、台風[チャンチー]がいなくなったら、「チャンチイーイ(ツィーイ)」を観ることにしよう。
 
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物忘れ

 昨日はもう17日、5月も半ば過ぎた。早いなあ、と思った瞬間に、ガソリンスタンドに先月分の支払いがしていないのを思い出した。お金は用意してあったはずだが、払った記憶がまるでない。連休があって、まあそれが明けてからでいいやと、横着な考えをしたのが間違いだった。調べてみたら、請求書にお金が挟まれたままになっている。すぐに行かなきゃまた忘れてしまう、とスタンドに走った。
 ちょうど1台給油しなければならない車があったので、給油を頼んで事務所に入った。すると、昔塾生だった女の子が事務所の中にいた。
 「おお、久しぶり。なんで、スタンドにいるの?」
 「半年だけ、こちらに行けと会社から言われたの」
 「そうか。久しぶりだね、えっ、いくつだったけ、今」
 「32です」
 「えっ、もうそんな年なの、俺が年取るのも仕方ないか・・」
彼女は、中学・高校と6年間塾に通っていた子だ。スタンドの親会社に勤めているのは知っていたが、スタンドで会ったのは初めてだった。
 「へえ、結婚してないの?」
 「うん、まだ。でも、一緒に暮らしている人はいます」
 「おお、そうなの。結婚しないの?」
 「もう少ししたら、するつもりだけど・・」
と、話しているうちにお金を払って、領収書をもらった。
 「じゃあ、元気でね。また来るね」
と、飲み屋のお姉ちゃんに言うようなことを言いながら帰ってきたが、懐かしい顔に出会うのはやはり楽しい。生徒がとった年と同じだけ私も年をとっている。彼らの目から見れば、私はかなりふけたように見えるだろうが、気持ちだけはいつまでたっても若い。私としては、生徒が自分の年に近づいてきたような錯覚を持って話をするものだから、微妙な感覚のずれが生じて、とんちんかんな会話になることもよくある。まあ、それも私のことをよく知っている生徒だから、また訳のわからぬことを言って、と笑って聞き流してくれるからいい。
 
 でも、こうやって久しぶりに出会ってすぐにその子の名前が浮かんでくる場合はいい。場合によっては、まるで名前が思い出せない場合もある。苗字は浮かんできても、名前が思い出せないこともある。それも、塾を始めた頃の昔の生徒のことはすぐに浮かんでくるのだが、最近の生徒のことのほうが逆に思い出せないことが多いのはどうしてだろう。昨日出会った子は、15年近く前に通っていた子だが、名前や通っていた学校まで、全て瞬時に浮かんできた。しかし、1年ほど前まで通っていて、今高2の女の子を道で見かけたときに、「あの子の名前は何だったけ?」としばらく考えても、どうしても思い出せなかったのは何故だろう。
 昔の子のほうが、個性的な子が多かったということもあるかもしれないが、その高2の女の子だってなかなか強烈な子だった。それなのに名前が浮かんでこなかったのは、自分の記憶力が衰えた証拠なのだろう。学生時代の私は、記憶力にだけは自信があった。高校のときは社会が得意科目で、暗記なら任せてよ、と馬鹿みたいな自信があった。それだけに今の体たらくは自分で自分が情けない。



かっこつけたところで、記憶力の衰えはどうしようもない。余りに色んなことを平気で忘れてしまうものだから、仕事にも少なからず影響が出ている。「仕方ないなぁ」とため息混じりに、塾の事務室にある冷蔵庫の扉に大きなマグネット式のホワイトボードをくっつけた。忘れないうちにあれこれ書き記そうと言う目論見だが、う~~ん、なかなか便利だ・・・こんなものがあるとこれに頼り切ってしまうから余計だめになるぞ、と屁理屈をこねていられない所まで来ているのだから、おとなしくお世話になっている。
 
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アカシア

 最近やたら雨が降る。もう梅雨かと錯覚してしまうほど雨ばかりだ。(沖縄では梅雨入りしたと聞いた)
 雨はいやだ。車を運転するのに普段の倍は神経を使う。路面は滑りやすいし、ワイパーで視界がさえぎられる。何もいいことはない。疲れる。
 しかし、新緑の候、雨が降れば緑が冴える。昨日ふっと気づいたがニセアカシアが花をつけている。白い小さな花弁が房状になっていて可憐な花だ。

 

それにしても、「ニセアカシア」とは変な名前だ。ちょっと調べてみた。
 
 「ニセアカシア」マメ科ハリエンジュ属
 ニセアカシアは北アメリカ原産の樹木で、日本には明治の始めに導入されました。成長が大変早く花も美しいので、公園や街路樹によく植えられるほか、荒廃した山地や砂丘の緑化によくつかわれます。これはマメ科の植物の根には根粒バクテリアが共生していて、肥料分のまったく無い、やせた土地でもよく成育できるからです。
 ご存じのように、有名な札幌のアカシア並木はこの木です。日本に持ち込まれたころはアカシアと呼んでいましたが、その後、本当のアカシアの仲間がいろいろ導入されるようになり、区別をはっきりさせるため、種名を日本語になおして、ニセアカシアと呼ぶようになりました。「ニセ」という語をきらい、托葉の変化したトゲが目立つという特徴をとって、ハリエンジュという名もついていますが、ニセアカシアのほうが通りがいいようです。

なるほど。ならば、本当のアカシアとはどんなものだろう。

 アカシア(acacia)とは、マメ科(クロンキスト体系ではネムノキ科)アカシア属の常緑樹の総称である。
 アカシア属は約600種が熱帯から温帯にかけて、特にオーストラリア大陸に多く分布する。日本では関東以北では育たないとされる。明治時代に輸入されたニセアカシアを当時アカシアと称していたことから現在でも混同されることが多い。また、花卉栽培されるフサアカシアなどが、本来はオジギソウを指すミモザの名前で呼ばれている。フランスのミモザ祭に使われるのはフサアカシアで、生花に使われるのは葉が小ぶりなギンヨウアカシアである。特に早い春、フサアカシアやギンヨウアカシアの1cm未満の球状の花が輝く黄色のたわわになるさまは見事で美しい。

よく分からないが、まあ、ミモザがアカシアの一種であることが分かっただけで満足しておこう。(昔、大学の近くに「ミモザ館」という喫茶店があって、友人の彼女がそこでバイトをしていたから、よく行ったことを思い出した)

でも、やっぱりアカシア、雨ときたら、「アカシアの雨が止むとき」の歌詞は載せておかねばならないだろう。

「アカシアの雨が止むとき」 水木かおる作詞・藤原秀行作曲

アカシアの 雨にうたれて
このまま 死んでしまいたい
夜が明ける 日がのぼる
朝の光の その中で
冷たくなった わたしを見つけて
あの人は
涙を流して くれるでしょうか

アカシアの 雨に泣いてる
切ない胸は わかるまい
思い出の ペンダント
白い真珠の この肌で
淋しく今日も 暖めてるのに
あの人は
冷たい瞳(め)をして 何処(どこ)かへ消えた

アカシアの 雨が止む時
青空さして 鳩がとぶ
むらさきの 羽の色
それはベンチの 片隅で
冷たくなった 私のぬけがら
あの人を
さがして遥(はる)かに 飛び立つ影よ

1960年に、西田佐知子が歌ってヒットした曲だが、私の父が西田佐知子のファンだったので、よく聞いた覚えがある。
 昔の曲には必ずといっていいほど歌詞にドラマが織り込まれていた。これもその一つだが、こんな歌詞を訳も分からず小さな子供が歌っていたというのも、今思えばおかしなものだ。

アカシアの雨がやむとき
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竹久夢二

 竹久夢二といえば、目の大きい、哀愁に満ちた表情の「夢二式美人」と呼ばれる女性を描いた画家、「宵待草」を作詞した詩人として広く知られている。

    


「宵待草(よいまちぐさ)」

待てど 暮らせど
こぬひとを
宵待草の
やるせなさ
こよいは月も
出ぬそうな

(西條八十が加えた第二節は次のとおり)
暮れて 河原に
星一つ
宵待草の
花の露
更けては風も
泣くそうな

こんなことを書いてはみたが、私は竹久夢二のファンではない。「夢二式美人」というのは、妙に弱々しくて私が好きな絵ではない。ならば何故夢二を取り上げるのかということになるが、先日本屋で「夢二デザイン」という本を見つけ、ペラペラめくってみたところ今まで女性の姿を描いたものしか知らなかった私には、夢二の違った面を見つけることができて、思わず買ってきてしまったからである。帯にあるように、この本には、「本や楽譜の装幀、雑貨や挿画、仕事のプロセスなど156点」もの夢二のデザイン画が集められている。
 一枚一枚見ていくと、夢二が愛情をもって作品作りをしていたことが伝わってくる。見ていて飽きない。素晴らしい。私の「夢二観」が随分変ってしまった。

 

 


そういえば、私が大学に入った年のちょうど今頃の時期に、友人が銀閣寺近くの「夢二」という名前の、飲み屋に連れて行ってくれたことがあった。小汚い店で、がらんと殺風景な店の中に、くすんだ夢二の絵が何枚か掛けてあった。あれはいったいどんないわれをもつ店だったんだろう。私は、京都に住み始めてわずか1ヶ月ほどで、そうした店を知っているた友人に驚いたことしか今では覚えていない。確か中年の女性が店を切り盛りしていたようだったから、今ではもうないかもしれない。と言っても、どこにその店があったかというのさえ、判然としないのであるが・・・
 そんなことをふと思い出してしまった。

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医学部

 いささか旧聞に属するが、4/21号の「週刊朝日」に国公立大医学部合格者数ランキングが載っていた。それによると私の出身高校が、合格者81人で全国1位になったそうだ。一昨年にも1位になっていたから、返り咲きであり、学校関係者はさぞや誇りに思っていることであろう。1学年が400人前後の男子校であるから、およそ5分の1の生徒が国公立の医学部に進学している計算になり、他にも私立大学の医学部進学者多数いるだろうから、学年の3分の1近くが医学部に進学しているのではないだろうか。
 私にとってそれは別に特筆すべきことではない。私の同級生で、医者をやっている者をあげろ、と言われれば20人近くはすぐに言える。現在の在校生で、私の塾に通っている者の話を聞いても、少し勉強ができる生徒は、ほとんど全て医学部進学を希望しているという。親が医者である生徒も多く、いわば代々続いている家系も多いようだが、そうでない者たちも「成績優秀者=医学部進学者」という図式にのっとって、大した考えもなく医学部へ進学する者が多いようである。確かに現状では、医者は優秀な人材がなるものであり、高収入を得られる職種であるという認識が幅を利かせている。大学を選択する際に、将来のステータスを念頭におくことは当然のことであり、少しでも高い地位に上ることのできる職業に就ける学部を選ぶことも至極もっともなことである。そうした考えでみれば。県内でも有数の進学校である私の母校が、医学部進学者全国一位になるのも何ら不思議ではない。しかし、どうしても異論を挟みたくなるのは、私が天邪鬼であるせいだけでもないだろう。
 私の娘の出身校は同じランキングで、22位になっている。私立の女子高では桜蔭高校の42人に次ぐ30人で2位だ。先日娘が台湾旅行に一緒に行った高校の友人2名も、今は岐阜大と三重大の医学部の学生である。200人に満たない卒業生の多くが医学部に進学し、今年など地元の名古屋大学の医学部に進学した生徒は、私の母校の18人に次いで2位の8名いる。その娘が大学受験の際に、「ただ成績がいいっていうだけで医学部に行きたいっていう子が多くっていやになる。ただ収入が多いからという理由だけで、大した考えもなく医者になりたいって子が多すぎる。だから私は医学部には絶対行きたくない」と、自分の成績も省みずに偉そうなことをよく言っていたが、ある意味真実を語っていて、わが娘ながらなかなかしっかりした考えを持っているなと感心したものである。(医者になって親に楽させてくれよと思わないでもなかったが・・・)
 
 言うまでもなく、医者というのは人命を預かる大切な職業である。おいそれと簡単に自分の命を他人に任せるわけにはいかないから、医者には有能な人材がなってもらわなければならないだろう。しかし、現状では有能な人材、すなわち学校での成績優秀者であるとされていることに問題点がある。成績がよければ医者にならなければならないといった風潮が、私立進学校のトップレベルで蔓延しているのは危険である。私の同級生でも、「あいつが医者をやっているの?」と言いたくなるような奴がいっぱしの医者となっている。とても他人のことを思いやるような奴ではないのに、よくやっていられるものだと感心する。そんな奴には絶対にかかりたくないと思うが、それでも医者としてそこそこ羽振りを利かせている現状はかなり危ない。
 学校の先生でもそうだが、いったん免許を取得してしまえば、不適格な者でも続けていってしまえる現在の制度は見直されるべきであるし、そういう動きも現れてきつつある。医学部の入試でも、以前は理科で生物を選択しなくても入学できた。それは愕然とする事実であるが、昨今はやっと生物を必須の科目とする大学が増えてきた。歩みは確かにのろいが、高齢化社会が進むにつれてますます医者の資質が問われることが多くなるであろうから、ただの秀才クンではなく、社会の将来を見越したビジョンを持った、真に人のためになることを望む者たちが一人でも多く医者になれるような制度を作り上げていくことが急務である、と私は思う。


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「夢追い人」

 ブログを休んでいた間に、ブログについてちょっと考えてみた。というよりも、何であれほどまで1年間どんなことがあっても続けようと思い込んだのか振り返ってみた。でも、全く分からない。何か願をかけたわけではなく、心の修行と思っていたわけでもない。軽い気持ちで始めたことが、次第次第に己の心を縛り付け、強迫観念めいたものになっていったのかもしれない、などと大した分析もできなかったから、下らぬ考えは放棄した。

 それに関して、妻と話した会話。
「ブログを一年間毎日休まず続けたら、何か起こるのかと思ってやってみたけど、大して変わりはないもんだな」
「なに言ってるの、あなた。そんなのただのドリーマーじゃん。何かが起こる訳ないでしょ」

 当たり前だけど、余りに簡単に片付けられてしまった私の努力、そんなものに意地を張っていた己がすごく惨めに思われたのだが、「まあ、そんなもんだろう」と、力なく「そーだよなぁ・・・」と同意しておいた。
 別に夢を追っていたわけでもないけれど、傍目から見ればどうでもいいことに血道を上げる姿こそまさしくドリーマーなのかもしれない。少々へこんだけれど、たかがそんなものかと逆にすっきりさせてくれた、妻にしては久しぶりの素晴らしい発言であった。
 
 確かに、昨今「夢追い人」などというと、現実を直視しない能天気な人を指すように思われるが、少し昔はそれでも、なかなかありがたがられた言葉ではないだろうか。というのは、小椋佳の昔のアルバムに「夢追い人」というタイトルのものがあったことを思い出したからだ。押入れの中を探してみたら、4枚も小椋佳のLPが出てきた。そういえば、私は高校生だった頃、小椋佳のファンだったんだ。今はもう、「愛燦々」くらいしか歌えないが、あの頃は好きだった。「夢追い人」というアルバムを手にとっても、あいにくレコードを聞くためのプレーヤーが我が家にはない。残念だ。仕方ないから、その中の「夢追い人とだまされ屋」という歌の歌詞を載せておく。

   この世で一番 馬鹿な者達
   夢追い人とだまされ屋
   人の行列があればいつでも
   先頭に立って死ぬ夢追い人
   おきざりにされる だまされ屋
   実は一番大事な人だと
   気づくものもいない  
   たとえ 気づいたとして
   君になれるか 君にできるか
   君にだって 眠られぬ真夜中
   彼らが訪ね来る時があるだろう

まったく覚えていない。もう30年近く聞いていないのだから無理もない。曲が分からないから、詞だけ読んでみると変な詞だ。面白くない。やっぱり歌っていうのは、曲か詞かといわれれば、曲なんだろうか。
 小椋佳の違うアルバムに、佐藤春夫の詩「海辺の恋」に小椋佳が曲をつけた歌が入っているが、試しにその詩を載せておく。素晴らしい詩だから、曲などなくとも自然にメロディーが浮かんでくる、と言っては言い過ぎだろうか。
   
   こぼれ松葉をかきあつめ
   をとめのごとき君なりき
   こぼれ松葉に火をはなち
   わらべのごときわれなりき
   
   わらべとをとめおりそひぬ
   ただたまゆらの火をかこみ
   うれしくふたり手をとりぬ
   かひなきことをただ夢み
   
   入り日の中に立つけぶり
   ありやなしやとただほのか
   海辺のこひのはかなさは
   こぼれ松葉のひなりけむ
   

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塞翁が馬

 『辺境の砦(とりで)の近くに住む老人で、占いの名人がいた。彼の馬が理由もないのに逃げて、胡の地方に行ってしまった。近所の人々は皆このことに対して慰めの言葉を掛けた。すると、その老人は、「このことがどうして幸いにつながらないことがあろうか、いや幸いとなるであろう」と言った。数ヶ月経って、逃げた馬が胡の名馬を引き連れて戻ってきた。人々は皆このことに対して、お祝いの言葉を掛けた。すると、老人は、「このことがどうして不幸につながらないことがあろうか、いや不幸となるであろう」と言った。老人の家ではよい馬に恵まれた。彼の息子は乗馬好きで、ある時、落馬して大腿骨を骨折してしまった。人々は皆このことに対して慰めの言葉を掛けた。すると、老人は「このことがどうして幸いにつながらないことがあろうか、いや幸いとなるであろう」と言った。一年経って、胡の軍隊が大挙して砦に攻め込んできた。若くて元気の良い者たちは、弓を引いて応戦し、砦付近の人で、戦死者は九割にものぼった。ところが、この一家だけは、息子が片足が不自由であったため(戦争に行かずに済み)、親子ともども無事であった。したがって、幸いが不幸になったり、不幸が幸いとなったりする、その物事の変化の妙は究めることができないし、その奥深さは測り知ることができないのである』

 松井の左手首骨折の報に接して、一生懸命のプレイの結果であるから怪我は仕方ないし、連続試合出場記録がとぎれてしまったのも無念ではあるがどうしようもないことであるから、何とかしてこの怪我を乗り越え、少しでも今後の松井のためになれば、と半ば己を慰めるように考えた。その時、私の心だけでなく、多くの人々の心に浮かんだであろう故事「人間万事塞翁が馬」を、自らの心を奮い立たせるために、上に訳出してみた。まさしく、人間の幸不幸など予測しがたいものであり、「禍福は糾(あざな)える縄の如し」である。
 松井がこの怪我の治療と同時に、開幕前から心配されていた、左ひざ痛も同時に治療し、万全の体調でシーズン中に戻ってこられたなら、ヤンキースにとっては大きな戦力になれるだろう。それまではチームメートが松井の分まで全力で戦ってくれることだろうから、今はただただ治療に専念し、もしも今シーズン間に合わなくとも決して焦らずに、後遺症など残らないようにしてほしい。
 今年がダメでも、来年があるさ、そんな鷹揚な気持ちでいさえすれば、何とかなるはずだ。「頑張れ、松井!!」、私にはそれしか言えないが、とにかく頑張ってほしい。

 

 思わぬ事態に黙っていることができず、なし崩し的に再開してしまったが、私も松井と同様、焦らず慌てず、淡々とこのブログを進めていきたいと思っている。
 
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頑張れ、松井!!!



松井、左手首骨折・・・
手術へ。

頑張れ、松井!!!

待ってるぞ!!!

頑張れ!!!
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