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お休みします

1週間ほど休憩します。

英気を養います。

では。


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5月7日

 今日、5月7日は母の命日である。平成と元号が変った年に亡くなったから今年で17年になる。享年52歳であった。
 母の死因は、すい臓がんであった。がんだと分かったのは亡くなった年の2月頃だったと思う。体の変調を訴えて通っていた町医者から総合病院を紹介され、そこで、余命3ヶ月と診断された。何でそんなになるまで我慢したものだと驚いたし、町医者がもっと早期に発見できなかったものかと憤りもしたが、それも運命、仕方のないことだろう。
 母の診断を受けて私たち家族は激しい衝撃を受けた。妹はまだ結婚していなかったため、仕事を休職して、父とともに毎日母の入院先で看病することになった。弟は大学生で東京にいた。妻が一人で家事を切り盛りすることになり、子供たちの面倒とともに、後方支援に徹することになった。私は、何をしていたんだろう、ただおろおろしていただけのような気がする。いざという時に何の役にも立たない愚物なのは今も同じだ。しかし、その時の私は30になったばかりで、母の死を受け入れることは到底できなかった。何とかして病気と闘わなければ、と母の意向など聞く前にあらゆる手段を講じようと決めていた。
 その当時は、患者に直接病名を告げることが今ほど一般的ではなく、母には伏せてあった。日に日に弱り行く体を嘆きながら母は自分なりに病気と闘っていた。医学的にはもう手遅れだということで、手術などの措置は行われず、対処療法的な治療しか行われなかった。そんな折、妻があるところから自然食療法というものを聞いてきた。玄米食にしてがんを克服した人が何人もいるという話で、私たち家族はそれにすがり付いてみようと話し合った。それ以外にも、念力を送って病気を治すという所にも、毎週一回、車で2時間近くかけて通った。今となってみれば狂気じみた行いに明け暮れていた私たちは、頭のどこかでそんなことしても無駄だと思いながらも、右往左往する自分たちをとめることはできなかった。
 母にも、玄米食で病気を治した人の例を話し、「家でも家族全員肉を食べず、玄米菜食にするから、一緒に頑張ってみよう」と言い聞かせた。母は私たちの勢いに気おされて不承不承ながら、同意してくれた。それからは病院食は一切食べす、妻が本を見て作ったものを病室にまで運んだ。そんなことは私たちの自己満足に過ぎなかったかもしれないが、とにかく必死だった。私はもう死ぬまで二度と白米と肉とコーヒーは絶対口にしないと心に誓いを立て、母の不満顔にも鬼の決意で毎日過ごした。
 何とか奇跡が起こってくれたらと淡い期待を持ってはいたが、そんなものを吹き飛ばしてしまう勢いで母の病状は悪化し、5月7日に息を引き取った。

 5日に私が弟と病室で付き添っていたとき、私に向かって消え入りそうな弱い声で、「お父さんを・・・」と呟いたのが最後の言葉だった。きっと、「お父さんの世話をちゃんとしてあげてね」と私に頼みたかったのだろうが、最後まで言い切れないうちに意識を失くしてしまった。その夜、人工心肺器をつけて心臓だけは動いている母の手を私たち子供で代わる代わるさすっていると、父がふっと、「この手にお金を渡すためだけに一生懸命仕事をしてきた」と漏らした言葉が、今でも忘れられない。あのときが、父・母・私・妹・弟が5人だけでいられた最後の時だった。
 
 結果として、私のしたことは母を苦しめただけだろう。今だったら、母が生きている間に食べたいものを食べさせて、もっと幸せな死に方をさせたことだろう。どんなに謝っても謝りきれない。
 私は苦い苦い後悔とともに、死ぬまで絶対に白米と肉とコーヒーは口にしないと今も決めている。
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お好み焼き

 京都に帰る娘を駅まで送りがてら、昼食にお好み焼きを食べた。行った店は、自分たちで焼く店であるが、なかなかおいしいものができるので定期的に通っているお気に入りの店である。お好み焼きというものは地方ごとに作り方が色々あるようだが、名古屋を含む尾張地域は大体同じような作り方をすると思う。
 どんぶりの中には、小麦粉をベースにして、キャベツが入れられている。あとは自分の好みで具を足していくのだが、私はイかとたまごとコーンを頼んだ。つなぎとして少量の長芋が加えられているが、それが結構いい役割を果たしているような気がする。もちろん、紅しょうがは必需品だ。


どんぶりの中に、粉状になったかつおと青海苔を加えながら、かき混ぜる。しっかり混ざり合うように時間をかける。ここが大切なところだ。



しっかり混ぜ合わせたら、鉄板に乗せる。この日は私たちが初めての客だったせいもあって、なかなか鉄板が温まらなくてうまく焼けるのに時間がかかった。しかし、ここが我慢のしどころである。じっくり、じっくり焼けるのを待つ。この日は娘が台湾の話をべらべら話しているのを聞いていたので、それほど長くは感じなかった。(台北にはやたら、セブンイレブンとファミリーマートがあって、日本にいる錯覚がするほどらしい)

 
 
何回かひっくり返しながら、黄金色の焦げ目が裏表に満遍なく付いた頃に、お好み焼きソースを塗る。この店はこのソースがおいしい。たっぷり塗って仕上げにもう一度、かつおと青海苔をぱらぱらとふりかけて完成。

 

さくさくとした歯ごたえがしてうまく焼けた。おいしい!!
マヨネーズにからしを加えたものをつけながら食べると、また一段とおいしさが増す。
  ああ、おいしかった。


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すべて世は

 連休2日目、することもなくぼ~~っとしてたら、あまりの太平楽さに思わず、「すべて世はこともなし」という詩句が頭に浮かんできた。これはたしか、と思って、検索してみたら、詩全部がちゃんと載っていた。イギリスの詩人 Robert Browning の詩を上田敏が訳している。

  春の朝(上田敏訳詩集「海潮音」より)
 時は春 
 日は朝(あした) 
 朝(あした)は七時 
 片丘(かたおか)に露みちて 
 揚雲雀(あげひばり)なのりいで 
 蝸牛(かたつむり)枝に這ひ 
 神、そらに知ろしめす 
 すべて世はこともなし

 (原文)
  Pippa's Song  Robert Browning(1812-1889)
 The year's at the spring
 And day's at the morn
 Morning's at seven
 The hill-side's dew-pearled
 The lark's on the wing
 The snail's on the thorn
 God's in his heaven
 All's right with the world

上田敏の訳と原文を読み比べてみると、これほど見事なシンメトリーを描いたものはないように思える。素晴らしい。しかし、「God's in his heaven」がどうして「神、そらに知ろしめす」なんだろうかと不思議に思った。別に「神は天にいらっしゃる」でいいではないか。それに、そもそも「知ろしめす」という言葉の意味が分かるようでわからない。辞書を引くしかないなと調べてみた。 
【知ろしめる】
「しらしめす」の音変化で、平安時代以降の語,「知る」の尊敬語。
1. 知っていらっしゃる。おわかりでいらっしゃる。
2. お治めになる。
3. 管理なさる。お世話なさる。

とあった。ここでの意味は2の「お治めになる」になるのだろう。例文として、
「いますべらぎのあめのあめのしたしろすめすこと」と古今和歌集の仮名序があげられている。
 要するに、「神が天にいて、地上をあまねく統治しているから、この世のことはすべてうまく行っているんだ」と最後の二行で言っていることになるのだろう。確かに、昨日のような穏やかな陽気で、仕事も休みでのんびりした気分を味わえる日には、そんな感謝の気持ちも持つことはできる。しかし、それも特別な日だからこそのことであって、また忙しい毎日に戻ってしまえば、そうした悠揚たる思いなど吹き飛んでしまう。
 でも、やっぱり心のどこかにそうしたゆとりを持ち続けていなくてはいけないだろう。心にゆとりのない人間にまともな仕事ができるはずもない。

 まあ、私には忙しいほうが似合いではあるけれど。





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結婚式

 従兄弟の娘の結婚式に参列した。新婦と新郎とも1978年生まれなので私と20歳も違う。今年28歳になるカップルであるが、新婦は小学校から高校卒業までずっと塾に通っていたため、自分の娘のような気がして心に迫るものがあった。式場が、ホテルではなく、1年ほど前に開業した結婚式場であったため、アットホームな気がして、参列者の心が一つになる素晴らしい式だった。
 私は今までチャペルでの結婚式に参列したことがなかった。自分の結婚式も妹と弟の結婚式も昔からの神前式だった。そのため、牧師が外国人であったことにまず驚き、参列者全員で賛美歌を歌ったのにも新鮮な感動を覚えた。牧師が流暢な日本語で式を進めていったため滞りなく終了したのだが、如才なく進行役を勤めたこの牧師の力量に私は妙に感動した。新郎新婦の初々しい喜びようも素敵だったが、この外国人牧師の心温まる英語のスピーチは心にしみた。(完全には聞き取れなかったのが少々情けないが)


 披露宴になると緊張したのは最初の来賓スピーチだけで、後はもう宴会と化してしまう。それは私の親戚の結婚式の毎回のパターンであるが、飲めや騒げの一大宴会場となってしまった。私も、スピーチの時こそおとなしく座っていたが(じっとしていることの苦手な私にはかなりの苦痛であった)、乾杯の音頭が唱和されて以後は、ビールを勧められるがままに飲み干して、しこたま酔っ払ってしまった。新郎新婦の友人1人1人がスピーチをしたまでは覚えているが、その後は何がなにやら全く覚えていない。今振り返ってみても、自分がどこで何をしていたのか全く覚えていない。なんてことだ、と嘆いてみてもはじめからこうなることはわかっていただけにどうしようもない。ただただ、周りに失礼がなかったかを心配するのみである。
 だが、心配の種がないでもない。まず、私のネクタイが汚れている。普段ネクタイなどしたことがない私は、式のあいだ首を締め付けられて苦しくて仕方なかったため、披露宴が盛り上がるにつれて次第に緩めていった。さすがにネクタイを外してしまうまではしなかったと思うが、帰宅してみるとなぜだか染みで汚れていた。どういう場面でそんなことになったのか全く記憶にない。う~ん、まともではなかったんだな、やっぱり・・・
 さらに、台湾旅行から帰国する娘を一緒に迎えに行くはずにしてあった妻が、式場までやってきたにもかかわらず酔っ払った私の同乗を拒否して、ひとりでセントレア空港まで行ってしまったのには少なからず狼狽した。まあ、家を出る前から、「泥酔していたらほかっておいて私一人で迎えに行くから」と宣言していたから、私の状態にダメ出しをしたということなのだろうが、相変わらず私には峻厳な態度をとる奴だ。それほど私は酔っていないと思っていたのだが、客観的に見れば相当のものだったのかもしれない。
 仕方なくタクシーに乗せられ、親戚の家まで運ばれて、そこで一服している間に寝入ってしまったため大分酔いから覚めたが、それでも結構酔っていたと思う。自分では大したことないと虚勢を張っていたが、かなりへべれけになっていたのだろうなと大いに反省している。
 
 醜態をさらすことには相当慣れていてもやっぱり恥ずかしい。
 
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知・情・意

 漱石の「草枕」の冒頭、

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

この文は、人間の三つの心的要素「知・情・意」の私たちに及ぼす作用を端的に表現していて、さすが漱石先生!と唸りたくなるような文だが、この「知=知性、情=感情、意=意志」をキーワードに、私のブログ生活1年を振り返ってみるとなかなか面白いことに気づいた。
 まず、「知」について言うなら、私のようないい加減にしか学問を身に着けなかった者が、わずかな知識を切り売りしたところで、早晩種が尽きてしまう。そこで、自転車操業的にあれこれ本を読んでみるのだが、付け焼刃の知識など見苦しいだけで、知ったかぶりにさえならない。今振り返ってみると、厚顔無恥にもいい加減なことを書き連ねたものだと、逆に感心してしまうほどだ。しかし、自分の知識に自信がない分、断定的な口調を使わなかったことだけは、不幸中の幸いである。なんにせよ、不勉強が身にしみるこのごろである。
 次に、「情」。いつかの記事にも書いたことだが、「棹さす」とは、「流れに乗って調子づいて進む」という意味だが、私のブログの場合で言うのなら、感情に任せて筆を進めると、歯止めが利かなくなって見るも無残なものが出来上がってしまうことになる。ブログの記事は、深夜に書くことが多く、独りでぶつぶつ呟きながら書いているとその日の気持ちによっては、己の醜さを曝け出すものとなってしまうことも多々あった。やはり、夜中の考えは感情に走りがちで、昼間のものとはかなり違う場合が多いので、注意を怠ってはならない。
 最後に、「意」だが、これは「意地を通せば窮屈だ」という章句がすべてをあらわしてくれている。一年365日必ず記事を書くぞと意気込んで、夏休み・冬休みのハードスケジュールもものともせず、、絶対やり遂げるぞとばかりに半ばやけくそ気味に意地を張り通したお陰で、何とか所期の目標は達成できた。しかし、振り返れば、その過程には己の課した目標が随分重荷となって訳のわからぬ記事でお茶を濁したこともたびたびあった。それなら、やめておけよ、と何度思ったかもしれないが、妙な意地を張ってそれもできなかった。自分で読み返すことは余りしないが、「苦し紛れだったよな」、と思い当たる記事がいくつかあるのはちょっと恥ずかしい。まあ、無理を承知ではじめたことだから、それも仕方のないことかもしれないが。

 これでは、駄文の寄せ集めばかりだということになってしまうが、記事一つ一つは自分なりに一生懸命書いたものばかりである。それでも、こうした反省の上に立って、これからは少しでも「知・情・意」のバランスの取れた記事を書くように心がけようと思う。無理に決まっているけど・・・
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5連休

 昨日、中学生たちが明日学校に行けば、水曜から5連休だと言っていた。えっと思って、頭の中でカレンダーをめくってみたら、水曜「憲法記念日」、木曜「国民の休日」、金曜「こどもの日」、それと土曜・日曜と確かに5連休だ。さすがにゴールデンウイークというだけのことはある。しかし、いつも思うことだが、週休2日制になって以来、学校の休みがやたら多い。これでは新学期が始まってまともに勉強している日が少なくて、中間試験が行われない中学校が増えているのも仕方のないことだ。ゆとり教育などというものは、死語になりつつあるが、それでもこれだけ授業日数が少なくては、学校でまともな授業なんて行われていないだろうな、と塾の生徒たちを見ていてかわいそうに思う。勉強だけが中学生生活ではない、といわれそうだが、やっぱり中心にあるのは勉強であり、しっかりした授業を行うことがしっかりした中学生を作るための基本だと思う。

 などと、しゃちこばった事ばかり言っても仕方がない。なんにしても世は5連休で浮き足立っている。私の場合、3・4日は塾を休みにする。あとは平常どおりの授業をするのだが、それが毎年のことであるため、もっと休みたいとは余り思わない。
 3日に従兄弟の子供の結婚式に出席する予定があるだけで、あとは取り立ててすることがない。休みがあっても、ビールを何時から飲み始めるかが焦点なだけで、ろくなすごし方はできないから休まなくてもいいぐらいだが、連休中に塾をやっても子供たちに嫌がられるのが落ちだから、休むようなものだ。それでも、子供が小さかったときは、近場の温泉に一泊旅行を毎年していたが、ここ数年はそれさえなくなってしまった。今年は特に息子の関係で、誰もどこかへ行こうなどとは思わない。余計に自分の休みすごし方の下手さ加減が目立ってしまう。思えば、塾を始めてから、3連休が最長の休みで、余り休日というものがなかったため、どうやってすごしたらいいのかまるで分からなくなってしまった。もし、何かの都合で5連休できるとしても、一体どうやってすごしたらいいか途方にくれてしまうだろう。まあ、とりたててやりたいことがあるわけでもないから仕方ないが。
 
 なんにしても慣れというものが必要なんだろうが、今さら慣れようとしても無理な相談だから、私のような者はこのままだらだらと休みを浪費していくしかないんだろう。
 少しばかり寂しい話ではある。
 

 
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台湾

 台湾って言ってはいけないのかな。チャイニーズタイペイなのかな。よく分からないから、ここでは「台湾」としておく。
 
 と言うのも、娘が今日から「台湾」に2泊3日で旅行に出かけた。高校のときの友人2人と出かけていった。セントレア空港(中部国際空港)から、飛行機で行くために昨夜遅くに帰ってきた。久しぶりに顔を見るとやっぱりうれしい。酔いも手伝ってぺちゃくちゃ話しているうちに、小遣いをやらなければいけないな、と少々大きな気になってしまったのがいけなかった。「三味線をひけるようになろう」という密かな野望のためにへそ食っていたお金を、「ほい」と娘にやってしまった。三味線という楽器がいったいいくらするものなのかと、調べておいたのだが、そのための資金が泡のように消えてしまった。まあ、娘の喜ぶ顔と三味線を弾いて悦に入っている己の様子とを比べてみれば、やっぱり娘の喜ぶ顔のほうが見たいから、仕方がない。でも・・・と朝起きて考えると残念な気がしないでもない。
三味線

 「台湾」と言えば、30年ほど前に父が旅行して、土産に海亀の剥製を買ってきた。それを玄関入った壁にずっとかけてあったのだが、今から10年ほど前に、それが息子の頭に落ちてきて、頭が切れたことがあった。何でそんなことが、とびっくりしたのだが、事情を息子に聞いてみると、もぐもぐしながら答えた。「ほうきで、亀をつついていたら頭に落ちてきた」・・・全く訳のわからぬことをする奴だ。「それは亀が怒ったんだろう。そんなことされたら、誰だって怒るさ」「えっ、亀が怒ったの?」息子は頭の痛さよりも、亀が怒ったということのほうが驚きだったと見えておびえ始めたが、気が弱いくせに後先考えず変なことをしてしまう。気の弱さは私から、突飛な行動は妻から引き継いだものだとは思うが、何も変なところだけ受け取ってくれなくても、とずっと思ってきた。最近は随分ものを考えるようになったが、まだまだ短絡的で、話していて「何だこいつは?」と思うことが時々ある。

 話していて、面白いのはやはり娘のほうだが、息子の大ボケ具合もなかなかなものだ。
 でも、受験生がいつまでもぼけたままではいけないだろう。
 
 もっとしっかりしようね。 


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