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塞翁が馬

 『辺境の砦(とりで)の近くに住む老人で、占いの名人がいた。彼の馬が理由もないのに逃げて、胡の地方に行ってしまった。近所の人々は皆このことに対して慰めの言葉を掛けた。すると、その老人は、「このことがどうして幸いにつながらないことがあろうか、いや幸いとなるであろう」と言った。数ヶ月経って、逃げた馬が胡の名馬を引き連れて戻ってきた。人々は皆このことに対して、お祝いの言葉を掛けた。すると、老人は、「このことがどうして不幸につながらないことがあろうか、いや不幸となるであろう」と言った。老人の家ではよい馬に恵まれた。彼の息子は乗馬好きで、ある時、落馬して大腿骨を骨折してしまった。人々は皆このことに対して慰めの言葉を掛けた。すると、老人は「このことがどうして幸いにつながらないことがあろうか、いや幸いとなるであろう」と言った。一年経って、胡の軍隊が大挙して砦に攻め込んできた。若くて元気の良い者たちは、弓を引いて応戦し、砦付近の人で、戦死者は九割にものぼった。ところが、この一家だけは、息子が片足が不自由であったため(戦争に行かずに済み)、親子ともども無事であった。したがって、幸いが不幸になったり、不幸が幸いとなったりする、その物事の変化の妙は究めることができないし、その奥深さは測り知ることができないのである』

 松井の左手首骨折の報に接して、一生懸命のプレイの結果であるから怪我は仕方ないし、連続試合出場記録がとぎれてしまったのも無念ではあるがどうしようもないことであるから、何とかしてこの怪我を乗り越え、少しでも今後の松井のためになれば、と半ば己を慰めるように考えた。その時、私の心だけでなく、多くの人々の心に浮かんだであろう故事「人間万事塞翁が馬」を、自らの心を奮い立たせるために、上に訳出してみた。まさしく、人間の幸不幸など予測しがたいものであり、「禍福は糾(あざな)える縄の如し」である。
 松井がこの怪我の治療と同時に、開幕前から心配されていた、左ひざ痛も同時に治療し、万全の体調でシーズン中に戻ってこられたなら、ヤンキースにとっては大きな戦力になれるだろう。それまではチームメートが松井の分まで全力で戦ってくれることだろうから、今はただただ治療に専念し、もしも今シーズン間に合わなくとも決して焦らずに、後遺症など残らないようにしてほしい。
 今年がダメでも、来年があるさ、そんな鷹揚な気持ちでいさえすれば、何とかなるはずだ。「頑張れ、松井!!」、私にはそれしか言えないが、とにかく頑張ってほしい。

 

 思わぬ事態に黙っていることができず、なし崩し的に再開してしまったが、私も松井と同様、焦らず慌てず、淡々とこのブログを進めていきたいと思っている。
 
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