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知・情・意

 漱石の「草枕」の冒頭、

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

この文は、人間の三つの心的要素「知・情・意」の私たちに及ぼす作用を端的に表現していて、さすが漱石先生!と唸りたくなるような文だが、この「知=知性、情=感情、意=意志」をキーワードに、私のブログ生活1年を振り返ってみるとなかなか面白いことに気づいた。
 まず、「知」について言うなら、私のようないい加減にしか学問を身に着けなかった者が、わずかな知識を切り売りしたところで、早晩種が尽きてしまう。そこで、自転車操業的にあれこれ本を読んでみるのだが、付け焼刃の知識など見苦しいだけで、知ったかぶりにさえならない。今振り返ってみると、厚顔無恥にもいい加減なことを書き連ねたものだと、逆に感心してしまうほどだ。しかし、自分の知識に自信がない分、断定的な口調を使わなかったことだけは、不幸中の幸いである。なんにせよ、不勉強が身にしみるこのごろである。
 次に、「情」。いつかの記事にも書いたことだが、「棹さす」とは、「流れに乗って調子づいて進む」という意味だが、私のブログの場合で言うのなら、感情に任せて筆を進めると、歯止めが利かなくなって見るも無残なものが出来上がってしまうことになる。ブログの記事は、深夜に書くことが多く、独りでぶつぶつ呟きながら書いているとその日の気持ちによっては、己の醜さを曝け出すものとなってしまうことも多々あった。やはり、夜中の考えは感情に走りがちで、昼間のものとはかなり違う場合が多いので、注意を怠ってはならない。
 最後に、「意」だが、これは「意地を通せば窮屈だ」という章句がすべてをあらわしてくれている。一年365日必ず記事を書くぞと意気込んで、夏休み・冬休みのハードスケジュールもものともせず、、絶対やり遂げるぞとばかりに半ばやけくそ気味に意地を張り通したお陰で、何とか所期の目標は達成できた。しかし、振り返れば、その過程には己の課した目標が随分重荷となって訳のわからぬ記事でお茶を濁したこともたびたびあった。それなら、やめておけよ、と何度思ったかもしれないが、妙な意地を張ってそれもできなかった。自分で読み返すことは余りしないが、「苦し紛れだったよな」、と思い当たる記事がいくつかあるのはちょっと恥ずかしい。まあ、無理を承知ではじめたことだから、それも仕方のないことかもしれないが。

 これでは、駄文の寄せ集めばかりだということになってしまうが、記事一つ一つは自分なりに一生懸命書いたものばかりである。それでも、こうした反省の上に立って、これからは少しでも「知・情・意」のバランスの取れた記事を書くように心がけようと思う。無理に決まっているけど・・・
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