見もの・読みもの日記

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はみ出す肉体/せいきの大問題 新股間若衆(木下直之)

2017-05-05 22:38:56 | 読んだもの(書籍)
〇木下直之『せいきの大問題 新股間若衆』 新潮社 2017.4

 2012年刊行の『股間若衆』の続編である。その後も時々、雑誌『芸術新潮』に「帰ってきた股間若衆」「股間著聞集」のタイトルで寄稿されているのは知っていたが、そのほか、『春画展』図録の寄稿や、書下ろし原稿をまじえて構成されている。テーマのひとつは前著に引き続き、全国津々浦々の股間若衆(男性裸体彫刻)巡礼。札幌の大通公園、前橋駅前、佐賀県立美術館など。国東半島の山中(?)にも男性裸体像が設置されていると知って驚いた。著者の解説が絶妙で何度も吹き出しそうになる。

 著者の関心は、股間にあるはずの「性器」に向かう。幕末に来日した英国人が、横浜近傍の神社から持ち帰って英国博物館に寄贈した木製の男根のコレクション。著者はその「アジマ(吾妻)社」を探して訪ねてみるが、男根崇拝の跡はすっかりなくなっていた。英国人の日記には、鎌倉の鶴岡八幡宮に女性器に似た大石があり、女性の信仰を集めていたことも記されている。この石が健在であるのだが(旗上弁財天社の背後)、『芸術新潮』誌上に紹介しようとしたところ、撮影を拒否されたという。まあ鶴岡八幡宮側の苦しい言い分に同情が湧かないわけでもないが…。

 あって当然の性器をないものにしたのは誰か。ということで登場するのが、黒田清輝である。黒田はパリに留学し、女性の裸体を描くこと、しばしば腰部を布で隠すこと、隠さないときは、性器も陰毛もない「不自然な股間」を描くという西洋絵画の慣習に馴染んだ。それは、どれほど人間に見えようとも現実の女ではなく、何かの観念を表現したものであった。けれども黒田が最初に描いた裸体画『朝妝』はいくぶん通俗的である。『智・感・情』はいかにも観念的、そして静嘉堂文庫が所蔵する『裸体婦人像』は、実は三人のモデルの善い所を合成して出現させた理想の肉体だった。その股間には性器のせの字も存在しないのだが、同作は有名な「腰巻事件」を引き起こす。

 同時代の裸体画論争として記憶されているのは、山田美妙「胡蝶」の挿絵。これ、渡辺省亭の絵なのか。幕末明治に日本に輸入されたアダムとイブの姿が面白い。山海経の怪人みたいな挿絵を載せている本もある。『解体新書』の扉絵の裸の男女がアダムとイブだというのは気づいていなかった。

 黒田が作り出した(勝ち取った、と言ってもいい)「猥褻」でない裸体、「芸術」としての裸体とは違うものを描こうとした人々を著者は掘り起こしていく。藤田嗣治『アッツ島玉砕』に対する、水木しげる『総員玉砕せよ!』に描かれた「ゆるふん」の兵士たち。丸木位里・俊『原爆の図』に描かれた被爆者の下半身。美しいヌードではなく、人間を描こうという強い意思を持ったときに、あたりまえに現れる性器という存在。

 2013-2014年、著者は大英博物館で春画展を見る。この月岡雪鼎の『四季画巻』は、たぶん私も東京の春画展で見で、局部のリアルな「醜さ」に衝撃を受けた作品である。醜くて、美しいのだ。人生のように、あるいは人間存在のように。春画展には「沈黙を強いられた」という著者だが、河鍋暁斎の春画については、楽しそうに語っている。暁斎の春画には、豊かな笑いが横溢している(それが権力者に向けられたときは強い毒にもなる)。

 最後に「2014年夏の、そして冬の性器をめぐる二、三の出来事」が問題提起される。2014年7月、自分の性器をモチーフにした表現活動をしてきた、ろくでなし子さんが自宅で逮捕された。著者はこの裁判において、本書に述べてきたような日本美術の性器と性表現の歴史を踏まえ、東京地方裁判所に意見書を提出することになる。重要なのは「猥褻か芸術か」という枠組みは歴史的な産物であり、普遍的で自明な物差しと考えてはいけない、という指摘だろう。

 なお、関連で紹介されているルクセンブルクの女流芸術家がすごい。パリのオルセー美術館で、クールベの『世界の起源』(女性器を描いたもの。この絵が普通に展示されているのもすごい)の前で、自分の性器を見せるパフォーマンスを行った。美術館は静観し、彼女は警察で事情聴取は受けたが逮捕はされなかったという。大人の国だなあ、フランス。

 同年8月、愛知県美術館の「これからの写真」展に対し愛知県警から、写真家・鷹野隆大さんの男性二人のヌード写真(性器が写っている)の撤去を命じる電話があった。館側は撤去命令に応じず、作者同意の上、問題写真の腰から下を布で覆い隠す措置を取った。平成の腰巻事件! これを笑うべきか嘆くべきか、または怒るべきか。市民の通報で警察が動いたというのが、嫌な感じだなあと思う。

 なお、堂々たる股間若衆を描いた表紙が、美人画のイメージの強い杉浦非水(愛知県美術館所蔵!)というのに驚いた。裏表紙は暁斎のゆるい春画。

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