見もの・読みもの日記

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血まみれの明治/芳年・芳幾の錦絵新聞(千葉市立美術館)

2008-01-18 21:43:43 | 行ったもの(美術館・見仏)
○千葉市美術館 『芳年・芳幾の錦絵新聞-東京日々新聞・郵便報知新聞全作品-』

http://www.ccma-net.jp/

 同時開催の2つの展覧会を見るために千葉市美術館に行った。どちらかというと、お目当てはこちら。私が錦絵新聞に興味を持ったのは、1999年、東京大学総合研究博物館で開かれた『東京大学コレクション4:ニュースの誕生』展に始まる。仔細あって、少し裏方にもかかわった展覧会である。

 錦絵新聞(新聞錦絵ともいう)は、明治7~10年頃に発行された木版多色刷り版画である。日本の新聞は、幕末~明治初年、新しい言論メディアとして誕生したが、読み書き能力の低い民衆には、なかなか普及しなかった(山本武利『新聞と民衆』に詳しい)。そこで、新聞記事の中から、殺人・情痴事件・美談・怪異譚など、民衆の好みそうな題材を選び、派手な色刷り版画とやさしく書き直した解説文で構成して、売り出したものだ。

 したがって、版面に「東京日々新聞第○○号」とあっても、それは元ネタの記事の所在に過ぎず、”新聞錦絵”としての通号表示には当たらない。また、展示品のキャプションには全て刊行年月が付されていたが、これもどうすれば分かるのか、私は不案内だ。錦絵自体にはそれらしい表示は見当たらないし、元ネタ記事の新聞掲載と錦絵の刊行の間には、1~2年の時差があることも珍しくないようだ。

 こんなわけで、当時、いったい何点の新聞錦絵が刊行されていたのかは、とにかく幅広く現物を収集してみないと分からないはずである。その点で、「東京日々新聞・郵便報知新聞全作品」を一堂に集めた本展は、ちょっとした偉業といえよう。

 惜しむらくは、会場に「新聞錦絵の基礎知識」の説明が乏しいこと。壁に並んだ計176点の新聞錦絵を追っていくだけでも、私はそこそこ楽しかったが、一般客には、ちょっと愛想不足ではないかと思う。公式サイトの説明も「二つの錦絵新聞を担当した浮世絵師、大蘇芳年(たいそ よしとし)と一斎芳幾(いっけいさい よしいく)の絵を比較鑑賞してみようというもの」となっているが、「郵便報知新聞」で活躍した大蘇芳年は月岡芳年のことでいいのよね? 「東京日々新聞」の一斎芳幾は落合芳幾で検索したほうが情報が多い。

 芳幾の作品は、センセーショナルな血糊の赤が印象的だ。大仰に手足を振り上げ、不自然に体をねじった人々の姿が描かれている。ひそかに言おう、責められる女の色っぽさ。これに対して「郵便報知」の芳年(特に初期の作品)は、ぶっきらぼうに立ち尽くす態の人々が印象に残る。「血まみれ芳年」と呼ばれた絵師なのに。できれば、絵を味わうだけでなく、文章も拾い読みしてみることを勧めたい。道徳心を忘れて、エロ・グロの世界に身をゆだねることが肝要である。

 同時開催『日本の版画 1941-1950』のレポートはあらためて。

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2 コメント

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こんばんは。 (Tak)
2008-02-18 23:43:31
>「血まみれ芳年」と呼ばれた絵師
なるほど、そういったあだ名まで
あったのですね、納得しました。

それにしても随分前から錦絵に
興味を持たれていらしたのですね。
返信する
月岡芳年 (jchz)
2008-02-19 23:24:55
歌川国芳と月岡芳年は、私が最も早い時期に覚えた日本の絵師でした。

1999年の『ニュースの誕生』展は、いま考えてみると、先駆的な試みでしたね。三流芸能週刊誌の挿絵みたいな錦絵新聞を展覧会で扱ったのですから。
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