「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

中国製DAコンバーターの出現

2021年07月14日 | オーディオ談義

つい先日のこと、久しぶりに近隣のオーディオ仲間「Y」さんから連絡があった。

「注文していた中国製のDAコンバーターがようやく到着しました。○日に持って行きますのでお宅のエルガープラスと比較試聴させてくれませんか。」

「それは面白そうですね、もちろん、いいですよ~」

中国というお国柄はどうも感心しないが、オーディオの前では善も悪もない。安くて性能が良ければそれで十分(笑)。

そして、その連絡のあった当日にたまたま大分市のNさんからも連絡があった。

「オークションの落札代金を持って行きたいのですが、ついでにシステムを聴かせてください。今度の○日の午後は空いてますか?」

「エッ、丁度その日はYさんが新たに購入された中国製のDAコンバーターの実験をやる予定にしてます。私は歓迎なんですが、Yさんの了解を求めてみましょうね。」

すると、Yさん曰く「多ければ多いほど賑やかになって面白いじゃないですか」。

そして、その2日後にはこの実験の話を聞きつけられたのだろうか、別の初対面の方が2名が加わることになって総勢6名による「試聴会」となった。

さあ、たいへん。

まったく意図せぬ人数により、このコロナ禍で大丈夫かなとチラッと不安が脳裡をよぎったが、大分県はこのところ感染者0人~数人程度がずっと続いているので、まあ見切り発車といこう。

ただし、全員マスクは必須なので予備のマスクを準備しておいた。

それはさておき、旧石器時代の遺物ともいえるDAC「エルガー プラス」と最新鋭のデジタル機器「中国製」のデジタル機器の一騎打ちには大いに興味がある。

なにしろ中国勢のデジタル技術は勢いがあって侮れない存在になっているし、それにフルート演奏家として耳が鍛えられた
Yさんがわざわざ購入されるほどだから、いかに中国製とはいえけっして「安かろう、悪かろう」ではないはず。

さらには低サンプリング「44.1KHz」と、軽く「1000KHz」を越える最新鋭のハイ・サンプリングの対決も見ものである。

Yさんともども「エルガー プラス」を聴くたびに「いったい近年のハイ・サンプリングって意味があるのかな」と話題にしていたほどなのでそれを確かめる絶好の機会が訪れたことになる。

もし我が家の「エルガー プラス」が大差で敗北を喫したときはそれはそれで結構なこと、潔く兜を脱いで中国製の同型機器を購入する腹積もりでいた。

な~に、それぐらいの投資する元気はまだ残っている(笑)。

当日は午前中から部屋の片づけに大童(おおわらわ)だった。

何しろそれほど広くもない部屋(5m×6m)に6人を収容し、スピーカーは5系統、真空管アンプは9台あって混沌の極みだから、少しでもスペースを確保するために当面不要な機器を隣の応接間に移さねばならない。

ところが、この機会が契機となってオーディオルームの大掃除につながるのだからまさに「ピンチはチャンス」だった(笑)。

以下、続く。



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読書コーナー~「音響・音楽心理学」ほか~

2021年07月11日 | 読書コーナー

✰ 「音響・音楽心理学」(2021年3月31日刊)



「音楽は好きだけど、大がかりなシステムで聴くのは億劫だ」という若者が増えているように思う。

マンションや間借りなどの住宅事情もあるのだろうが、魅力あふれるオーディオを楽しむ層が減少していくのはやはり寂しい。

一介の「市井の徒」がそんなご大層なことを心配しても何の役にも立たないけれど、いずれ自宅のSPユニットや真空管などがオークション市場に出回ることになるだろうから、そのときに少しでも活気を帯びていて欲しいので満更無関係でもないだろう(笑)。

さて、このほど「音響・音楽心理学」に目を通していたら、今どきの「大学生」(平均年齢20歳)182名に対するアンケート調査の結果が記載されていた(P156頁)。

「音楽を毎日聴く」「ときどき聴く」を合わせて83%に上るほど、音楽の人気は高い。

その一方、「利用するオーディオ機器」の割合となるといささか寂しい結果が明らかとなった。

割合の多い順に羅列すると次のとおり。

「コンポ:34%」「カーステレオ:19%」「携帯電話15%」「パソコン:14%」「ウォークマン:11%」「iPod:5%」「その他:2%」と、いった具合。

興味深いのは「カー・・」「携帯・・」「パソコン」で48%とほぼ半分を占めていること。

これらの層をいかに「コンポ」へ引きずり込むかが今後の課題だろう。

たとえば性能が良くてコスパに優れた「コンポ」をいかに普及させるか。

となると、低価格でも設計次第で比較的簡単にいい音が出せる真空管アンプの出番でしょうよ、いや我田引水じゃなくて~(笑)。

ただし、若者たちから「なぜそんなにシステムに拘るんですか?」と、問われる可能性が高い。

そこで「システム次第で音楽から受ける感動はまるっきり違ってきますよ、それにデジタル社会に潤いをもたらす音楽の役割は増えることはあっても減ることはないんだから」と答えるとしよう。

ま、結局は要らん世話ですけどね(笑)。

✰ 「日々翻訳ざんげ~エンタメ翻訳この40年~」



たいへん興味深く読ませてもらったが、31頁に次のような叙述があったのでご紹介しよう。

「”は”と”が”の問題というのは日本語表現の永遠のテーマのように思うが、その使い分けについては私は次の二つの定義を一番のよりどころにしている。

ひとつは国語学者、大野普先生の有名な定義、未知の主語には”が”つき、既知の主語には”は”がつくというやつ。

<昔々、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました>

という説明を初めて知ったときには軽く感動した。最初のお爺さんとお婆さんはまだ未知の存在だから”が”で、二番目のお爺さんとお婆さんは既に分かっている既知の主語だから”は”になるというわけだ。何とも明快である。

もうひとつは作家の井上ひさし氏の”は”はやさしく提示し、”が”は鋭く提示するというものだ。大作家の感性が光るこれも明解な定義である。

”は”と”が”の使い分けに迷ったときには、この二つの定義を思い出せばだいたい解決できるはずである。

ついでにもうひとつ言っておくと、”は”と”が”の使い分けに迷うのはたいてい言いたいことがハッキリしていないときである。

ということだった。

自分のケースで言わせてもらうと、たかがブログにしろ15年もやっていると、これまで「は」と「が」の使い分けについては「何となく」というカンに頼ってきたものの、こうして明解に指針を提示していただくと非常に分かりやすいし、頭の訓練にもなる。

これだから、ブログは(が)止められない(笑)。



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厄介な「熱」と「磁界」にまつわる騒動記~後編~

2021年07月10日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

オーディオをやっていていちばん困るのが目に見えないことが原因で起きるトラブルで、たとえば「熱」「磁界」そして「振動」・・。



修繕に出していたCDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」(英国dCS)だが1年8か月も待たされたあげく、治ったかと思えばまたもやトラブル発生で「元の木阿弥」へ。

到着当日は良かったのに、翌日になると「CDディスク」を読み込んでくれないのはいったいなぜ?

無い知恵を絞って沈思黙考すること10分余り、もしかして熱の影響で「IC(集積回路)」がおかしくなったのかもしれないことに気付いた。

思い当たる節といえば一晩中「ヴェルディ・・・」の「スタンバイ・スイッチ」を入れて「IC」を温めていたことしかない。

そこで、窮余の一策としてミニ扇風機で「CDトラポの心臓部」を冷やしてみることにした。



昨年(2020年)の6月に購入した携帯用ミニ扇風機の出番だ。

電源はパソコンである。お蔵入りしていたパソコンに繋いで5分あまり風を送って冷やしたところ効果てきめんで、恐るおそるトレイにCDを入れてみるとたちどころに小窓に見事「READ OUT」の表示が出た。

ウヒャア~、飛び上がるほどうれしかったねえ!!(笑)

それにしてもメチャ高価な機器がたかが「熱」ぐらいでダウンするなんてみっともない限りだが、発売から20年近く経っているので部品の経年劣化もあったりして仕方がないのだろう。

とはいえ、れっきとした「修繕屋」さんがこの現象に気付かなかったのは残念だ。

貴重な、それも晩年の「1年8か月」を無駄にしたが、これにて無事一件落着!

そして、次の関心事はミニ扇風機の電源として使っているパソコンに移った。

実は「北国の真空管博士」のご助力で、このパソコンに音楽ソフトを入れてもらいDAコンバーターの「TOPPING D10」で「パソコン オーディオ」を楽しめるようにしてもらっていたのだが、しばらく休止中だった。

今回は久しぶりの出番となったので、ミニ扇風機の電源以外にも活用してみたくなった。

とはいえ、パソコンの置き場所がないので仕方なくCECの「CDトラポ」の上に置いて操作したところ、何とclickが出来ない。矢印サインは出るのだが、肝心の丸いサインが出てこないのが不思議。

おかしいなあと、クルマで5分ほどの大型電気店に駆け込んで診てもらったところ、予想外にもサクサクと動くのである。これは何としたことか!

これでようやくパソコン設置場所の周辺環境に目が行った。

下側はCDトラポの電源トランス、左側は真空管アンプの大きな電源トランス、そしてすぐ右側はスピーカーの強力なマグネットが控えている。

これじゃ三方塞がりの「磁界」だらけですよねえ(笑)。

さっそく「磁界」から逃れるべくテレビの液晶画面の真下に移動させてパソコンの操作をしたところ快適に動き出した。

これでCDが1500枚ほど入った「HDD」からの再生が見事にできるようになったのはうれしい限り。

dCSの「CDトラポ」といい、パソコンオーディオの再開といい、まったく「両手に花」というもんでしょう。

これも「熱」と「磁界」という二つの関門をくぐりぬけたおかげ。

繰り返すようだが、これらは目に映らないだけにくれぐれも気を付けましょうねえ。

なお、冒頭に述べた「振動」に関しては適度な振動、たとえばスピーカーの箱鳴りや真空管ガラスの共振などは良い作用を及ぼす例もあり一概に「振動が悪い」とはいえないこともあるのでこれまた厄介ですね~。



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厄介な「熱」と「磁界」にまつわる騒動記~前編~

2021年07月09日 | オーディオ談義

デジタル機器の栄枯盛衰を見るのはつらい。

いくら「至上の名器」と謳われたものでも日進月歩の技術の進展によってあれよあれよという間に色褪せていくのだから。



修繕に出していた「旧石器時代の遺物」ともいえるCDトランスポート「ヴェルディ・ラ・スカラ」(英国:dCS)が1年8か月ぶりに戻ってきた。

ご覧の通り頑丈なトランク風のケースがものものしい(笑)。

それにしても、待たされた「1年8か月」の何と長かったこと!

修理先によると部品交換のために根気よく「代替機器」を漁ってくれたそうだが完全なものはついに見つからずとうとう中途半端な修理に終わってしまった。

ただし、よほど気の毒に思われたのだろうか、修繕代と送料がタダだったことにささやかな「良心」を感じた(笑)。



これでようやく「dCS」の純正組み合わせのそろい踏み。

上段左がDAコンバーターの「エルガー プラス」、右側がCDトランスポートの「ヴェルディ・・」。

両者ともおよそ20年くらい前の製品になるのだろうか。当時の定価は両方合わせて「500万円」ほどで、もちろんビンボー人には簡単に手が出る代物ではないので当初から諦めムードだった。

ところが、後年になって懇意にしている東京のオーディオ・ショップからたまたま借り受けて試聴したところ「抜群!」だったしお値段もどうやら手が届く範囲になったので運よく購入できた。

「レコードはもう要らない!」という当時の思いがいまだに偲ばれる。

さあ、修理が巧くいったかどうかさっそくの確認である。

おっと、肝心の修理内容についての説明を忘れていた。

それは、CDトレイにCDを入れても小窓に「NO DISK」の表示、つまり「ディスクを読み込んでくれない」にあったのだが、今回は、CDを放り込むと「READ OUT」の表示が出たのでまずはひと安心。

さっそく、このところゾッコンの「マーラーの第4番」を試聴した。

日頃はリモコン一つで自由自在に聴けるので「ブルーレイ」に取り込んだ曲目を聴くことが多いのだが、改めて音質の違いに驚いた。

何しろ「プレゼンス感」というのか、音の「生々しさ」と「粒立ち」がまるっきり違う。

やはり「腐っても鯛」とはこのことかな(笑)。

その日は盛大な満足感のもとで、CDトラポに予熱を持たせるために「スタンバイ」スイッチを入れて就寝についた。

そして、翌朝ルンルン気分でCDトレイを開けてCDを放り込んだところ無情にも「NO DISK」の表示が・・。

エ~ッと天を仰いで思わず嘆息した。

この絶望感を言葉で表現するのはとても難しい(笑)。

それにしても、昨日はうまくいったのに翌日になると駄目になるのはいったいどうして?

以下、続く。



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脳を鍛えるには運動しかない

2021年07月08日 | 読書コーナー

ここ数日、別府(東九州)はどんよりした天気が続いているが、時折り晴れ間がさすので空を見上げてみると雲が高く感じる。

そろそろ梅雨明けかもねえ・・。

今年の梅雨の訪れは珍しく早くて5月中旬から始まったので終わりも早仕舞いしてほしいが、ここ数年、九州地方は相次ぐ豪雨災害に見舞われており、これで済めばほんとうに「めっけ物」だが、はたして。

さて、先日、図書館から借りてきた本の中にこういうのがあった。

                    

「薬石としての本たち」(文芸春秋社刊)

著者は「南木 佳士」(なぎ けいし)さん。医師にして、作家の二足草鞋で1989年「ダイヤモンド ダスト」で芥川賞を受賞された方である。

タイトルにある「薬石」とは聞き慣れない言葉なので、「広辞苑」の出番となった。

「石は石針のことで古代の医療器とあり、① 種々の薬及び治療法 ② 身のための益となるものごと」とある。

本書の内容を一言でいえば、身の回りの事柄と医療にまつわるエッセイ集だった。

持病(狭心症)を抱えているので日頃から健康オタクのじぶんには恰好の本である。

いつも有益な情報があれば取り入れようとアンテナを張っているものの、今のメディアには売らんがための健康情報が氾濫しているので、正か邪か、あるいは、じぶんに合っているかどうかその見極めがたいへん難しい。

その点、本書はさすがにお医者さんが書いただけあって、なかなか頷かせるものがあった。そのうちでも著者がすっかりはまってしまい、とても有益だったという本が紹介してあった。

「脳を鍛えるには運動しかない」(J・レイティ:ハーバード大学医学部準教授ほか共著、NHK出版)。

センセーショナルなタイトルに魅かれて解説箇所を熟読したが、なかなか面白そうなので抜き書きしてみた。

「運動すると気分がスッキリすることはだれでも知っている。けれども、なぜそうなるかわかっている人はほとんどいない。ストレスが解消されるから、筋肉の緊張がやわらぐから、あるいは、脳内物質のエンドルフィンが増えるから・・・。たいていの人はそんなふうに考えている。

でも本当は、運動で爽快な気分になるのは、心臓から血液がさかんに送り出され、脳がベストの状態になるからなのだ。わたしに言わせれば運動が脳にもたらすそのような効果は、体への効果よりはるかに重要で、魅力的だ。筋力や心肺機能を高めることは、むしろ運動の副次的効果にすぎない。

わたしはよく患者に運動をするのは、脳を育ててよい状態に保つためだと話している。現代の文化は心と体を別もののように扱っているが、わたしはそれをふたたび結び付けたいと思っている。長らく私は、心と体の結びつきというテーマを夢中になって追及してきた。」

改めて人間は脳ありきの動物だということを再認識させられるが、そういえば、はるか昔の高校時代のこと、片道3kmほどの距離を徒歩で通学していた時期とバスで通学していた時期とがあって、何故だかテストの成績が前者の方がきまって良かったことを、ふと思い出した。

肝心の適度な運動の中身については次のとおり。

「最大心拍数の60~70%の運動は脳の血流を増し、それによってBDNF(脳由来神経栄養因子)をはじめとする物質がつくられるようになり、それらはあたかも植物における肥料のごとき働きを示し、脳内のニューロンの枝を増やしてあらたな神経回路を形成する。また神経伝達物質であるセロトニンも脳の血流が増えればそれにつれて増えてくるので、運動習慣を身につけた者とそうでない者とではうつ病の再発率に決定的な差が出てくる。」

長年「うつ病」に苦しんできたという著者(南木氏)にこの言葉は、ひときわ福音だったようだ。

ちなみに最大心拍数とは「220-年齢」だが、適度な運動とはこの60~70%ということになる。たとえば70歳だとすると、90~105の間の脈拍数で運動すればOK。じぶんの場合、運動ジムでエアロバイク(30分間)を漕ぎながら心拍数をみるといつも95前後になるので、どうやら今のままのペースでいいようだ。

現在のささやかな願いといえば、ボケを少しでも遅らせて周囲に迷惑をかけないで済めばこれ以上のものはない。

とかく運動不足に陥りやすい「音楽&オーディオ」愛好家にとって脳を鍛えることは喫緊の課題だと思う。そのためには日常的に意識して体を動かすことに尽きるようだ。

最後に本書の中で「薬石」として紹介してあった本の一部を列挙しておこう。

「脳と自然と日本」「手入れ文化と日本」(養老孟司)、「流れとよどみ 哲学断章」(大森荘蔵)、「マンネリズムのすすめ」(丘沢静也)



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功を奏した「遊び心」

2021年07月07日 | オーディオ談義

つい先日のブログに投稿した「オーディオの決め手はスピードにあり!?」だが、その内容については記憶に新しい通り、小型の「GT管」の持つハイスピード感に魅了されたというお話だった。



ちなみに、ここでいう「スピード感」とは、音声信号に対する反応の速さのことで端的に言えば「音の立ちあがり・立ちさがり」のことである。

ときおり見かける「ボワ~ン」といった反応の鈍い音は問題外で、メーカー名はこれ以上敵を増やしたくないのであえて伏せておきます(笑)。

まあ、そういうわけで調子に乗ってこのところ二階の寝室の片隅で「お蔵入り」していたアンプを降ろしてきた。これもまた出力管が「GT管」である。



比較的珍しいツクリのアンプである。

出自となると知人に「チャンデバ」として作っていただいたものを、たまたまオークションでトランスの名門「TRIAD」(アメリカ:トライアッド)の小振りの出力トランス(プッシュプル用)を手に入れたので大分市のアンプビルダー「K」さんに頼んで
パワーアンプに改造してもらったもの。

入力段が「6SL7」(RCA)、出力段が「6SN7」(シルヴァニア:クロームトップ)、整流管は「GZ32」(英国ムラード)、出力トランスは繰り返すようだが「TRIAD」。

こうやって改めて眺めてみると「整流管」だけがやたらに立派に見えますなあ(笑)。

とてもシンプルンなツクリだし響きも素直だったが、GT管特有の「素っ気なさ」を感じてお蔵入りしていたものだが、この度の「ハイスピード感」に注目して再登板となったもの。

「なかなかいいじゃない、能率の高いスピーカーには十分使えそう」が第一印象だったが、しばらく聴いているうちにふと「遊び心」が芽生えた。

出力管「6SN7」の代わりに「変換アダプター」を使って「E80CC」(独:ヴァルボ)を挿してみたらどういう音が出るんだろう?

肝心の「μ(ミュー)=増幅率」は「6SN7=20」で「E80CC=27」と後者がやや高い。

思い立ったが吉日で即実行あるのみだ。



それが何とまあ、エーッと驚くほど「いい音」が出たんですよねえ(笑)。

6SN7よりも音の抜けがいいし、倍音成分がことのほか豊かである。まさか「E80CC」が出力管に使えるなんて・・・。

もしかして「AXIOM80」もいけるんじゃないかと、鳴らしてみたところ、これまたさしたる不満なし。

双方とも信条は「ハイスピード」にあるので悪かろうはずがない。

さっそく「北国の真空管博士」にご注進。

すると「プッシュプル接続なのでパワーはおそらく1ワットくらいでしょう。あの71Aが0.8ワットなので十分鳴らせるはずですよ。なお、6SN7についてはロシアの軍事用の球でいいものがあります。
手に入ったら試聴用に送りましょう」

「ハイ、よろしくお願いします」

というわけで、このアンプは我が家のほとんどのスピーカーに使えることが分かった。スピード感と切れ味に冴えていて実に頼もしい。

「GT管」談義から発展して思わぬ拾い物をした感じで、いやあ、ありがたい、ありがたい。

つくづくオークションに出さなくて良かった(笑)。


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「安心と信頼」のブランド

2021年07月06日 | オーディオ談義

濃淡の差はあるにしても50年近くオーディオをやっていると、一流とされているブランドであってもどうしても「好き・嫌い」が出てくる。

つまり理屈抜きの「嗜好の世界」というわけだが、我が家の場合では体験
も加味されて「これさえ使っていればこれ以上音が悪くなりようがない」という「安心と信頼」のブランドが「好き」にあたる。

スピーカーでいえば「グッドマン」「ワーフェデール」(いずれも後期の製品は除く)であり、デジタル機器関係では「dCS」であり、そして真空管でいえば「STC」(ロンドンウェスタン)になる。

いずれも「英国ブランド」というところに一本「筋」が通っていると思いませんかね(笑)。

このうち「STC」(Standard Trephones & Cables Ltd.
)について取り上げてみよう。

繰り返すようだが絶対の信頼感を置いているブランドである。

そもそも「STCって何?」

平たく言えば日本の「NHK」みたいなもので、そのNHKが真空管を製造していたと思えばわかりやすい。

アメリカの「ウェスタン社」の技術が導入されているが、そのツクリの緻密さは本家本元を上回るとさえ言われている。

イギリス人とアメリカ人の性格の違いを想起させてくれる一例かもしれない(笑)。

我が家ではプリアンプとパワーアンプを10台以上使っているが、要所要所に「STC」を配置している。

まずは、3台のプリアンプのうち1台には「BRIMAR(工場名)=STC」の「12AX7」(2本)を使用し、もう1台には「13D9=12AT7」(2本)を使っている。

今のところ音質にまったく不満なし!(笑)。

次にパワーアンプ群に移ろう。

「WE300Bシングル」には整流管として「4274A」、「PX25シングル」には前段管として「3A/107B」、「6AR6シングル」には前段管として「ECC35=CV569=6SL7」、「171シングル」には整流管「80A」といった具合。



もちろん「球」によってはスペアを準備している。

さらに付け加えると、この「STC」はもともと通信用管としての性格を帯びているので耐久性を十分考慮されているのが特徴で、体験上これまでSTCの球の寿命が尽きたことは一度もない。あれだけ長時間使ってきたのにびくともしないのだから驚く。

とある古典管販売人から直接伺った話だが「そろそろ気分転換してSTCの球を交換したいのだが、いっさい故障しないので困ってしまう」というおかしな悲鳴を上げるお客さんがいたそう。

性能と耐久性の二つを兼ね備えた「鬼に金棒」の真空管ブランドといえようか。

我が家でも「STC」の球が(期待に)ハズレたことは一度もなく、恩恵を受けてきたこと甚だしい。

ただ一つ「STC」の球で後悔しているのは若年の頃に未熟なせいで十分に使いこなせないまま「4300B」(WE300Bに匹敵する出力管)を手放してしまったこと。

今でも思い出すたびに歯ぎしりするほど悔しい!(笑)



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どういう球かといえば、ずっと以前に「13D9」をオークションで購入したときの解説を再掲しよう。

   

「英国BRIMARの業務用高信頼電圧増幅双三極管13D9黒プレートの保存状態、程度の良い稀少な未使用新品ペア(2本)です(落札価格の設定は、ペア(2本)での設定です)。

管壁にBRIMARのロゴ、13D9、MADE IN ENGLAND、BVA、ロット等がシルク印刷されています。

この13D9は、一般的にあまり知られていませんが、1950~60年代に英国のBRIMAR(STC)の工場で、主に厳格な品質が求められる産業用途向けに生産され、英国ナンバーのECC81、CV4024、米国ナンバーの12AT7とは、同等規格の真空管としてそのまま差し替えて使用することができます。

通常のECC81等と比較して、プレート電圧が幾分(約10%程度)高耐圧に設計されており、本来、産業規格品ですが、オーディオ用途に使用した場合においても、高信頼管として優れた特性と音質を有する真空管として高い評価がされています。

この真空管は、私が趣味で約20年程前に自作アンプの保守用として複数本購入していたものですが、未使用品の手持ちが少し残っていますので、それを出品いたします。」

以上のとおりだが、音質に大きく影響する「μ(ミュー)=増幅度」の違いは規格表によると「12AX7」が100で、「12AT7」は60となっている。

そして、前述した「12AU7」はかなり低い17となっており、制御しやすくはなるけどちょっと切れ味が鈍くなる感じ。


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オーディオの決め手はスピードにあり!?

2021年07月04日 | オーディオ談義

使えば使うほど段々と真価を発揮してくれるアンプがあるかと思えば、その一方、次第に色褪せてくるアンプもある。

時間という「ものさし」はすべてに対して平等に与えられているが、その一方では冷酷な貌も持ち合わせているようだ。

我が家の9台の真空管アンプのうち、前者に該当するのが「6AR6」シングルアンプである。



2年ほど前に手に入れたアンプだが、当初は名管と謳われる「WE300B」や「PP5/400=PX25」の前で霞んだ存在のまま、まあ3番手くらいの積りだったが、このところ使えば使うほど魅了されている。

このアンプの概要について読者には「またか」とウンザリ(笑)かも知れないが縷々述べてみよう。

出力管(画像中央の2本)が6AR6(初期版:ウェスタン仕様の丸型プレート)だ。

そもそも「6AR6って何?」という方が多いと思う。

出自は軍事用絡みの真空管「WE350」(レーダー用)であり、それを実戦向けに使いやすく小型化したもので、小振りのガラス管の中にプレートがぎっしり詰め込まれている。

「5極管」だが「3極管接続」にして使用すると、周波数曲線があの銘管とされる「PP3/250=PX4」(英国管)とそっくり同じだという。

この件は「北国の真空管博士)のブログ(「球球コレクション」)にも詳しく記載されている。

そして左端の前段管は「ECC35=CV569=6SL7」(英国:STC=ロンドンウェスタン)、整流管は「6BY5」(アメリカ:タングソル)、出力トランスは「PSMプロダクト」(福岡)で個人の手巻きによるもの。

オリジナルに対してボリュームの変更(クラロスタット)、若干の回路の短縮を行っている。

このアンプのどこがいいかといえば「スピード」にある。

当初は所詮GT管の宿命でナス管やST管の中大型管に比べて余韻が乏しいという印象を受けていたのだが、使えば使うほど音声信号に対するレスポンスの速さに魅了されていった。

いわば欠点が長所に変わっていったともいえる。

総じて人間はスピードの「早い・遅い」には敏感で、どちらかといえば早い方に引きづられがちだ。

たとえばベートーヴェンの最後のピアノソナタ「32番」の演奏がそう。

名曲だけあってこれまで幾多のピアニストが挑戦しているが、演奏時間がピアニスト次第で大きく左右される。

たとえば一番短いのが「バックハウス」で、躍動感があってまるで「ジャズのノリ」みたいなところがあるが、この演奏を聴き慣れると他のピアニストの演奏が何だかまどろっこしくて退屈してくるから不思議。

この事例からして人間の耳は押しなべてスピードの速い方に照準を合わせがちとずっと感じてきた。

真空管もそうで、繰り返すようだが中大型管に比べて弱点だと思ってきた「GT管」スタイルがスピードの速さという点では明らかにメリットがある!

しかも、この「6AR6アンプ」は肝心の低音域から高音域までのレンジが広い。

量感は少なめだが引き締まった低音が一番奥深くまで伸びるのもこのアンプの特徴である。

「貴方の真空管アンプ群の中ではこのアンプが一番レンジが広いはずですよ」(博士)

こうなると、例によって「心配性」が頭をもたげてきて、このほど「博士」から新たに「6AR6」(ウェスタン型丸形プレート)を1ペア調達した。1本がたったの6千円だから性能にくらべてコスパは抜群である。

これで3ペア揃ったので命尽きるまでひと安心。

というわけで、オークションの競合の心配もなく”おおらかな”気分でこういう記事が書けようというものだ(笑)。

博士によると世の中にはまだ隠れた性能のいい真空管、それも使い方によっては豹変する真空管が知られることなく(お値段が安いまま)かなり埋もれているそうだ・・。

残念なことに押しなべて世の中の真空管アンプ・ビルダーは「これさえ使っておれば安心」とばかり定評のある真空管に走るきらいがあるように思う。

それはそれでいいのだが、これらの真空管は再生産が利かないので高騰の一途を辿っているのが無念。

何しろ「WE300B」(刻印)の程度のいいものは1ペアで100万円もするんだから~。

今後ますます埋もれていながらも優秀な真空管の発掘が待たれるところだが、この世界はとてつもなく奥が深くて究めるのが難しそうですよ~。

したがって、先駆者の知恵を借りるのがいちばんだ(笑)。



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マーラーの音楽に想う~後編~

2021年07月03日 | 音楽談義

前回からの「マーラー談義」がさらに続く。

さっそく「ジャズ愛好家」から返信メールがあったので再掲させてもらおう。

「ご回答ありがとうございました。早速「大地の歌」を聴きなおしました。(バーンスタイン・ウィーンフィル・キング・ディースカウ)

この曲は最終楽章だけでもひとつの作品として充分ですね。ということは、全楽章の作品としての在り方・必然性が薄いということにもなります。
 
今回、お話を伺って、なぜマーラーの交響曲を巨大な室内楽と感じてしまうのか、理由が少し見えてきました。

素晴らしい素材を内包している割には、交響曲としては構成に難がある(失礼!マーラーさん)ということでしょうか。

そこで、演奏家に素材を生かして欲しい・・・「室内楽」を聴きたい、となってしまうようです。
 
似たようなことを、チャイコフスキーにも感じます。また、パガニーニに対しては、誰もが思うことではないでしょうか。

もっとも、パガニーニの5番・6番の協奏曲のオーケストレーションは後世の作曲家の手によるもののようですが、あまり良くないですね。オーケストレーションには大変な才能が必要ということでしょう。
 
以下は、門外漢であるジャズファンの、世間知らずの戯言とお聞き流しいただきたいのですが、現代作曲家は、オリジナルの作曲もいいけれど、古典のアレンジをもっとしてみたらどうかと思います。
 
ジャズやポップス風ではなく、クラシック音楽の現代の技法を用いてです。新たな楽しみが生まれると思います。私が知らないだけで、音楽界では行われているのかも知れませんが。
 
今回はありがとうございました。クラシックには「曲」と「演奏」という2面があるのでまだ嗜好が分散していいのですが、ジャズでうかつにこのような嗜好をいうと、人間関係が悪くなりかねません。ジャズには演奏=演奏者しかありませんので。」

クラシックとは畑が違うジャズ愛好家からのご意見に対していろいろと示唆をいただくことが多い。

たとえば、「楽譜」の有無によるジャズとクラシックの決定的な違い、そして再生する音楽の違い。

前者では「勢い」が重視され、後者は「ハーモニー」が重視されるので両者に対してオーディオ的には異なるアプローチが必要だと気付かされるのもその一つ。

ジャズの再生は「何でもあり」のようでオーディオ的には欠点になるところが聴感上ではむしろ長所になったりして、「個性」という言葉で片付けられるのでとても楽ちんだ。

その一方、クラシックとなると人間の耳は押しなべてハーモニーの違和感にはとても敏感に感じやすいので、家庭で十全に聴こうと思ったら、まず泥沼の世界を覚悟しなければならない。

音楽愛好家がまったくオーディオに言及しない例をちょくちょく見かけるがどうも不思議でならない。

「この人、ほんとうに音楽を愛好しているの?」といった具合。

もちろん「コンサート主義」の方もいるだろうが、グールド(ピアニスト)が言うように「コンサートで一度聴いたくらいでは、たとえばゴールドベルク変奏曲の微妙な変奏の具合なんぞは分かるはずがない。したがって自分はスタジオ録音に専念する」というのが正鵠を射ていると思う。

こんなことを書くと強烈なバッシングを受けるかもしれませんね(笑)。

最後に「マーラーを語る~名指揮者29人へのインタビュー~」から引用しよう。



大好きな指揮者「ベルナント・ハイティンク」が「いちばん親しみを覚えるマーラーの作品は?」の問いに対して次のように答えていた(P139)。

「4番の室内楽的な優しさが素晴らしい」!


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マーラーの音楽に想う~前編~

2021年07月02日 | 音楽談義
このところ毎日のように聴いているのがマーラーの「交響曲第4番」。

指揮は「オットー・クレンペラー」でソプラノ(第4楽章)は「エリザベート・シュワルツコップ)。



牧歌的な雰囲気が伝わってきて、聴いていてほのぼのとした気持ちになる。とりわけ第3楽章が素晴らしい。

雄大な弦の響きとともに管楽器の出番も多く空間表現力も豊かでオーディオシステムの調整にもピッタリ。

マーラーもなかなかいいじゃん・・。

ずっと以前のことだがマーラーでは「大地の歌」1曲あれば十分だと言ってたので訂正しなくてはならない(笑)

そういえば「音楽&オーディオ」は迂闊に断言できないことが多い。

何しろ奥行きが深くて単なる個人の意見や感想なんか「群盲像を撫でる」ようなものなんだろう。

それかといって、周囲を気にして当たり障りの無いことばかり書いていてもブログはちっとも面白くないけどねえ(笑)。

読者側に対して大いに「メディア・リテラシー」の発揮が求められる所以だろう。

そして、マーラーといえば以前、メル友さんから頂いた次のようなメールを思い出す。


「〇〇様にクラシックの話を持ち出すのは、ケンカを売っている(笑)ようなものですが、ご意見を聞かせていただけましたら幸いです。
 
当方、実は、マーラーが好きです。マーラーの交響曲を聴いていると、巨大な室内楽を聴いているような気分になります。なぜ室内楽のように聴こえるのか。よくわかりませんが、たぶん、指揮者なしで、奏者の間合いで演奏する方が合っているような気が・・・。
 
普段そんなふうに思っているところへ、先月NHKTVで、交響曲第4番室内楽版の放送がありました。演奏者はパリ管弦楽団&紀尾井シンフォニエッタ東京の10人編成です。室内楽版があったんだ!!
 
演奏は素晴らしかったです。初めは、やはりバイオリンとビオラはもう少し人数がほしいかなとも感じましたが、聴いているうちに「そんなことはない、これでいい」と納得できました。
 
その後、FMでも同じコンサートの放送がありました。音を比較してしまいました。どちらかと言えば、FMの方が好きな音ですね。今のTVやFMの放送は、マスターはデジタルとアナログどっちなんでしょうか。その後、DA、ADの変換はどのようになっているのでしょうか。知る術もないところですが。
 
ということで、マーラーの室内楽版についてどう思われますか。また、1番と4番はともかく、マーラーの交響曲はなぜあんなに長いのでしょう。長いことに必然性はあるのでしょうか。(音楽家の失業対策?失礼!)

このメールに対して次のように返信した。

「あくまでも素人としての見方ですが、マーラーは元々指揮者として大成した音楽家です。モーツァルトなどと比較すると酷ですが作曲の方はイマイチかなと思ってます。

大編成の曲目が多いのですが、それに意味があるのかな・・。むしろ中身の薄さをカバーするためにコケオドシ的な要素もあるのではないかという気がします。ちょっと辛口ですが~。また、ときおり魅力的な旋律が出てくるのですがどうも部分的で持続しません。

また長さの方もこれまた大編成と同じで必然性があまり感じられません。

したがって私には縁の薄い作曲家ですが、「大地の歌」だけは別格だと思っています。」

とまあ、まるっきり的を外しているわけではないが「盲目蛇に怖じず」の感は否めませんなあ(笑)。

以下、「後編」へと続く。



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怪我の功名

2021年07月01日 | 独り言

去る6月26日(土)の二回目のワクチン接種のときに「筋肉痛」と「発熱防止」用として処方してもらった「カロナール錠」。



この薬を飲みだしてからあれほど痛かった「右わき腹の筋肉痛」がまるでウソのように良くなった。な~に、運動ジムでついストレッチに無理をし過ぎて痛めたものである。

この「カロナール錠」について家内に話すと、「友達のNさんも「むち打ち症」で苦しんでいるけど、この薬のことをえらい褒めてたわよ」

そうか・・。

そういうわけで「右わき腹の筋肉痛」がすっかり良くなったものの、常備薬として持っておきたいと行きつけの「整形外科」に行ったときに(30日)所望した。

「先生、二回目のワクチン接種のときにあるクリニックで処方してもらったカロナール錠というのがすごく体質に合っているみたいです。いつもの、飲み薬や冷湿布と一緒に処方していただきたいのですが・・」

「どこのクリニックですか?」と、あまりご機嫌が良くなかった(笑)。

しかし、最終的には処方してもらって近くの薬局で受け取った。

薬剤師から「ワクチン接種を受けられたのですか?」との質問があった。

「ハイ、つい先日二回目の接種を受けました。どうしてわかったのですか?」

「このカロナール錠は発熱対策として処方されることが多いんです。それに筋肉痛にもよく利くし、とても評判がいい薬ですよ。副作用が少なくて子供にもよく処方されてます。」

「あっ、そうですか! それは実際に服用してみて実感しています。それにしても能書きには後発薬とありますが、私は後発薬はあまり信用しないことにしています。先発薬があれば、高くても構いませんからそちらの方をいただけませんか」

「このカロナール錠は後発薬となっていますが、改良を重ねられたお薬なので先発薬というのは無いんですよ。」

「そうですか・・」

薬にはご存知のように「先発薬」と「後発薬」とがある。

オーディオ風に言えば「AXIOM80」の「オリジナル版」と「復刻版」、真空管では「初期版」と「後期版」を連想させるので、後発薬はとかく印象が悪いのも”むべなるかな”(笑)。

それにしても、近年では筋肉痛が身近な存在になっているので「いい薬」に出会えてよかった。

「ワクチン接種」から思わぬ恩恵を受けたことになる。

「怪我の功名」とはこのことかなあ(笑)。



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