「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

蘇った名曲

2016年07月23日 | 音楽談義

「若い頃に散々繰り返し聴いた曲だけど、今となってはポピュラーになり過ぎてあまり聴く気がしないなあ。第一、この曲はもうすっかり卒業したよ。」

そういう曲目がクラシックファンならどなたにもあるに違いない、しかしその一方で
久しぶりに聴きなおしてみると「やっぱり聴いて良かった!」というのがきっとあるはず。

今回は我が体験からそういう曲目を3つほど挙げてみよう。

☆ シューベルト作曲「交響曲第8番~未完成~」

去る17日(日)に放映された「クラシック音楽館」~NHK・Eテレ~で冒頭にシューベルトの「未完成交響曲」(ネーメ・ヤルヴィ指揮)が登場した。こうして2楽章まで通しで聴くのはもう50年ぶりくらいになる。

なにしろ学生時代に初めて買ったレコードが「運命/未完成」(ブルーノ・ワルター指揮)だったのだからそれ以来といっていい。

「アレグロの楽章が始まり、序奏のあとヴァイオリンの静かな呟きの上にオーボエとクライネットが甘~く美しい、ほのかな哀愁に満ちた歌を重ね合わせていく」、これぞまさしく老人を癒してくれるシューベルト(笑)!

「未完成交響曲ってやっぱりいいなあ。」と、ホトホト感じ入った。読書でもそうだが、同じ本でも若いときの読後感と散々人生経験を積んだ後の読後感とでは違うのと同じ。

しかし、シューベルトがなぜ2楽章まで書いてそれ以降の楽章を放棄したのかこればかりはご本人に訊いてみないと分からないが、有力な説は「シューベルトは健忘症だったので忘れたのだろう」とは、ちょっと味気ない(笑)。

思うに、今となっては未完成のままの方がよかったかもしれない。この1~2楽章に劣らない3~4楽章を書くのは至難の業だろうし、そもそも、ものごとは完結するよりも想像の範囲に留めておく方がイメージ的に美化されることだってある。

テレビ放映の後で他の指揮者の演奏も聴いてみようかと手元のCDを漁ってみたが皆無だった。そう、もうすっかり忘れられた存在だったのだ!

ま、指揮者によってそれほど変わる曲目でもない気がする。ネーメ・ヤルヴィとN響のコンビがあれば十分だろう。この番組は消去せずに永久保存といこう。

☆ ブラームス作曲「ヴァイオリン協奏曲」

この曲もポピュラーだが「女流ヴァイオリニストのジネット・ヌヴー+イッセルシュッテト指揮」という「神盤」がある。

1949年のモノラル録音、しかもライブ盤ときているので録音状態がひどいが、それがまったく気にならないほどの空前絶後の名演として知られている。一頃はもうそれは熱心に聴いたものだが、今となってはすっかり疎遠になってしまった。

この曲目の手元のCDを眺めてみると、新旧入り乱れて錚々たるヴァイオリニストが並ぶ。

レーピン、シェリング、オイストラフ(5種類)、ハーン、マルツィ、ハイフェッツ、ムター、グリュミオー、ヴィトー(2種類)、オークレール、コーガン

これらの名ヴァイオリニストたちが束になってかかっても心が揺り動かされずヌヴーの神演には及ばないので、聴く気がしない。むしろ近年の優秀なデジタル録音になればなるほど
白々しさを覚えてしまうのだから「刷り込み現象」というものは恐ろしい。

あのサーノイズやコンサートホールの“ざわめき”、そして“しわぶき”の一つひとつさえもが、名演の印象と分ちがたく結びついているのでどうしようもない!

だが、それに匹敵すべき演奏にようやく出会った。先日のブログでも触れた「フリッツ・クライスラー全集」(10枚組)。この中に収録されていた「メンデルスゾーーン/ブラームス」のヴァイオリン協奏曲がそれ。

メル友の「I」さん(東海地方)によると、「フリッツ・クライスラーは大変魅力的な人だったようですね。無頼を内包していることを窺わせる風貌もかっこいいと思います。」とのことだった。そう言われれば、そうですね(笑)。

              

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を聴いたついでに、このブラームスも聴いたのだが「この演奏はヌヴーに匹敵するかもしれない」と思わず酷暑の中を慄(おのの)いてしまった。

あえて両者の違いを挙げるとすればヌヴー盤は岩をも打ち砕くような力強さと泣く子も黙らせるような気迫に溢れ、クライスラー盤は包容力のある暖かい滋味深さといったところで、必然的に第一楽章(アレグロ)はヌヴーに、第二楽章(アダージョ)はクライスラーに軍配を上げたくなる。

なお、このクライスラー盤は録音の悪さもヌヴー盤と匹敵するのでかえって安心感があったと付け加えておこう(笑)。

☆ メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」

いわゆる「メンコン」(メンデルゾーンのコンツェルトだからメンコン)と称され、クラシックの入門者向けとされる曲である。

ありふれたともいうべきこの曲をひとたびクライスラーで聴くと、ガラッとイメージが変わるから驚いた。

取り分け第二楽章の独奏ヴァイオリンによるひっそりとした風情と匂うように感じられる美しいロマンの香りは筆舌に尽くしがたく、まさにこれこそクライスラーの独壇場だ。

「まだこの演奏を聴いたことがない人は是非お薦めしたい」と、言いたいところだがちょっと「特殊な鑑賞力の世界」なので万人向けではないところが惜しい(笑)。

それにしても、こんなに録音が悪いのにどうしてこれほど甘い香りの音が出るのか、演奏と録音の摩訶不思議な関係につくづく打ちのめされてしまう。 

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