「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・読書感想、独り言などを織り交ぜてつれづれなるままに書き記したブログです。

演奏をとるか、それとも録音をとるか

2016年06月25日 | 音楽談義

つい先日「私のフルトヴェングラー」(宇野功芳著)についてのブログを投稿したところ、千葉県にお住いのMさんから昨年の秋以来2回目のメールをいただいた。

「今回メールをしたのはフルトヴェングラーのことです。私はフルトヴェングラーを殆ど聴くことはありません。なぜ聴かないのか考えてみたのですが考えるまでもなく答えが出ました。

一つはフルトヴェングラーにはモーツァルトの録音が殆どないということです。レパートリーの大半がモーツァルトという私にはフルトヴェングラーの出る幕はないのです(ドン・ジョバンニはたまに聴きます)。

二つ目はベートーヴェン

ベートーヴェンは好きな作曲家ですが聴く分野はピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲なのでこれまたフルトヴェングラーの出る幕なし(ブライトクランク録音の「英雄」は愛聴盤です)

三つ目、これがもしかすると一番の理由かもしれませんが、フルトヴェングラーにはステレオ録音がないということです
私も一応有名なものは聴いてきましたが音質が悪いものが殆どなので再聴する気にはなりません。

以上三つの理由からフルトヴェングラーは私にとっては疎遠な指揮者となります。

しかし亡くなったのが1954年。あと数年生きていてくれたらステレオ録音のフルトヴェングラーが聴けたかと思うと残念ではあります。

宇野功芳氏に関しては拙ブログでも記事にしました。良くも悪くも音楽評論界に風穴をあけた方かと思います。」

Mさんとは無類のモーツァルト愛好家同士として共通項があるので「フルトヴェングラー」の位置づけについては概ねそういうことだろうと納得。ただし、一点だけ気になったことがある。

前回のブログで「フルトヴェングラーにはモーツァルトの名演がない」と決めつけていたのだが、オペラ「ドン・ジョバンニ」の名演があったことをウッカリ忘れていた。

以下、モーツァルトのことになるとつい熱が入って「上から目線」の物言いになることをはじめにお断りしておこう。

モーツァルトは35年の短い生涯において10作以上のオペラを作曲したが、後世になって「三大オペラ」と称されているのは製作順に「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」そして「魔笛」だ。

自分にとって大好きな「魔笛」と「ドン・ジョバンニ」はつばぜり合いをするほどの存在だが、この「ドン・ジョバンニ」ばかりは幾多の指揮者による演奏があるものの、録音状態は別にしていまだにフルトヴェングラーに優る演奏には出会えないでいる。

日本有数のモーツァルト通としての自負心から言わせてもらうと「ドン・ジョバンニ」は(モーツァルトの)音楽の中では極めて異質の存在である。

どこが異質かというと、普通の音楽鑑賞は「旋律」「ハーモニー」そして「リズム」などを愛でるものだが、この「ドン・ジョバンニ」に限っては「ドラマティック」な展開と「人間同士の愛憎」とが見事に一体化した音楽の表現力にこそ聴くべきものがある。人間の感情の動きにピッタリ寄り添った音楽といえよう。

モーツァルトは一見軽薄そうに見えて人間の微妙な気持ちを推し量る人生の達人だったことを改めて思い知らされるが、こういうオペラになるとフルトヴェングラーの芸風と実によくマッチして独壇場となる。

そこで、課題提出。

             

A(左) ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮の「ドン・ジョバンニ」

演奏はいいけど録音があまり冴えない。自己採点では10点満点のうち演奏は9点、録音は4点というところか。

B(右) ヨーゼフ・クリップス指揮の「ドン・ジョバンニ」

演奏はAには及ばないが、録音ははるかに凌駕する。同様に演奏は7点、録音は8点としよう。

以上、はたしてAとBのどちらの盤を優先すべきか、いわば「演奏をとるか、録音をとるか」というわけで、これは格好の実験材料である。まあ、きわめて個人的な趣味の問題であることは論をまたないが(笑)、それでも世の中にはいまだに旧石器時代の産物にも等しい「SP盤」を愛好している方もおられることを私たちは忘れてはいけない。

昨日(24日)、梅雨のどんよりとしたお天気に恵まれて(?)絶好の音楽鑑賞日和のもとにこの二作を聴き耽った。

システムはCDトランスポートとDAコンバーターは「dCS」、プリは大西式真空管アンプ、パワーアンプは「71Aプッシュプル」、スピーカーは「フィリップス+ワーフェデールのユニット」の混成旅団(箱はウェストミンスター)

なお、「ドン・ジョバンニ」の聴きどころは人によってそれぞれだが自分の場合は「稀代の悪漢が放蕩の限りを尽くして最後は地獄に落ちていく」というストーリーだから、何よりも「デモーニッシュ」(人知を超えた悪魔的)な雰囲気を全編に湛えた演奏でなければいけないと思っている。

はじめに、クリップス指揮の盤から試聴。3枚組の盤だが1枚だけ聴くつもりがつい聴き惚れてしまい3枚とも連続して試聴。録音がとても良くてホールの奥行き感が何とも心地よい。もちろん音楽の方もそれ以上に素晴らしい。もしかして魔笛を上回るかもしれない出来栄えで、年令がいくにつれてその感を深くするが、やっぱりこれは空前絶後のオペラだよなあと納得。

次に、フルトヴェングラーの「ドン・ジョバンニ」へ。1950年代初頭の「ザルツブルグ音楽祭」のライブ盤でモノラル録音である。

聴いているうちに心が激しく揺さぶられ思わず目頭が熱くなってしまった。素晴らしい!

これこそが理想とすべき「ドン・ジョバンニ」だろう。しかも、むしろ録音の悪さがデモーニッシュな雰囲気を醸し出しているかのようでまったく気にならない。

両盤ともにドン・ジョバンニを演ずる歌手は「チェザーレ・シエピ」(バス・バリトン:バスに近いバリトン)なのに、フルトヴェングラー盤の悪びれない堂々とした歌いっぷり(悪漢振り)はどうしたことだろう。

スタジオ録音盤とライブ盤との迫力の差も如何ともしがたいようで、このオペラに限っては歌手たちの燃え上がる情熱のもと、一発勝負のなりふり構わないライブに限る。それにしてもフルトヴェングラーは滅茶苦茶ライブに強い。

結局、結論になるが、そりゃオーディオマニアなんだから音質がいいに越したことはないが、演奏が気に入りさえすれば録音なんていっさいお構いなし~(笑)。

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ジャズを聴いていない者は殺す

2016年06月23日 | 読書コーナー

海外ミステリー「アックスマン(斧男)のジャズ」は一風変わった小説だった。

凶器となる「斧」で惨殺を繰り広げる殺人鬼が「ジャズを聴いていない者は殺す」という奇妙なメッセージを新聞社に送りつけるのだから、それだけでもユニークだが、中身の方も舞台背景が凝っていてなかなか読み応えのある作品だった。

私感だが、ミステリーを10冊読んだとするとその中で1冊当たるか当たらないかぐらいの傑作。

                   

本書のカバーに書かれていたあらすじを紹介しよう。

1919年のニューオーリンズで斧を使って蛮行を繰り返すアックスマンと呼ばれる殺人鬼がいた。<ジャズを聴いていない者は殺す>と予告する文面はつぎのとおりだ。

<私はジャズが大いに気に入っているので、次の火曜日の零時15分にジャズバンドが演奏中の家にいる人間全員を見逃すことを地獄にいるすべての悪魔にかけて誓おう。みんながジャズバンドを演奏させれば、まあ、それは大歓迎だ。>

この奇妙な提案をする殺人鬼を懸命に追う関係者たち。


人種差別の強い街で、黒人の妻がいることを隠して困難な捜査をするタルボット警部補、ある事情から犯人を捕まえるようマフィアに依頼された元刑事ルカ、ジャズマンと共に事件の解明に挑む探偵志願の若い女性、アイダ。

彼らの執念で明かされる衝撃の真相とは?

実際に起きた未解決事件をもとに大胆な設定で描く、英国推理作家協会賞最優秀新人賞受賞作。」

以上のとおりだが、若い頃なら一気に読み上げるのだが、歳を取るとそういうわけにもいかず2~3日がかりで読了したが、無差別に繰り返されたように見える連続一家殺人事件にもチャンとした理由(動機)があり、自ずと犯人も特定されるという流れだった。

何よりも凶器が「斧」ということもあって、殺人現場の描写が身の毛もよだつ凄惨さで胆が潰れそうになるが、そこはフィクションとして割り切ったものの、真夜中に読む進むことはあまりお薦めしたくないほどだった(笑)。

本書の魅力は登場人物の多彩な人間模様にある。

舞台はおよそ100年前で、当時は人種差別がまだ色濃く残り、売春街などの利権が複雑に絡みあいマフィアが暗躍したニューオーリンズ。

黒人の妻がいることをひた隠しにする敏腕刑事、その刑事から密告を受けて刑務所に入りようやく刑期を終えて出所してきた元上司の刑事、女性の地位向上をめざしていち早く犯人を見つけようと功名心に逸るうら若き美人女性、その相棒となるのがまだ青年時代のジャズマンのルイ・アームストロングとくれば(もちろんフィクション!)、ジャズファンでなくとも興味を惹かれる。

著者はよほどのジャズ好きとみえて前述したように<ジャズを聴いていない者は殺す>とまで、新聞社に挑戦状を送りつけるのだが、事件の真相との関係は読んでのお楽しみ~(笑)。

ちなみに、ニューオーリンズは周知のとおりジャズ発祥の地として有名だが、もともとフランスの植民地として地名は貴族「オルレアン公」の名前に由来しており、フランス商人が原地人と一緒になって低湿地帯を開発したとのことで豆知識を蓄えられたのは収穫。

もし階級制度が厳然として存在するイギリスの植民地だったらどうだったんだろう。少なくとも「自由・平等・博愛」精神を掲げるフランスだったからこそジャズが勃興したのかもしれないと想像するのも面白い。

とにかく読む機会があればぜひ、とりわけジャズファンにお薦めしたくなるミステリーだった。

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ホーンは生かさず殺さず

2016年06月21日 | オーディオ談義

先日、メル友の「I」さん(東海地方)から次のような「ホーン」に関するメールを受け取った。

ホーンの使い方はいつも気になるのでとても興味深く拝見したが、得るところが大いにあったので後日のために記録に残しておくことにした。


「JBLのLE85ホーンをH91から2370Aに変えました。調整に苦戦しそうです。これまでのJBLのシステムですがジャズを聴くにはかなり満足のいく状態になってきたと思っていました。

ただ、H91の開口部の面積が小さいため、ウーファーとのつながりが少し弱いのではないかと気にはなっていました。しかし、テナーサックスも不足なく聴けるし、まあいいかなと思いつつ、開口部の大きなホーンを試したい気持ちはずっとありました。
 

JBLに限らず1インチ用のホーンは製品が少なく、かといって2インチ用を使おうとすると、値段も高く、スロートアダプターも必要になりさらにコストが嵩みます。現実的には、JBLの樹脂製の2370A(たぶんPA用途)かなと考えていました。
 
2370Aは樹脂製ですが、ちょっとお値段が張るのでオークションで中古を狙っていたところ、即決価格、送料を入れて手頃な出品を見つけ、購入したものです。商品が届き、早速H91と交換しました。

               
            
良い面  ウーファーとのつながりはさすがに良い。低音部の音圧まで上がる。

困った面 上記の裏返しで、なんと中低音のぼんつきが出た。音像が大きくなった。その結果、少々品
の無い音になっ  
       た。
要するに、あまりいい結果とは言えない状態です。
 
この日に、アンプ修理でお世話になっているYさんと電話する機会があり、このことを話したところ、「ホーン鳴きもあるでしょうが、ホーンにも音の回り込みがあり、大きめのバッフルを付けるのが効果的」との助言をいただき、使ってない箱があるからあげますよ、と有り難いお話までいただきました。
 
ホーンは大きくしたいが、躯体は大きくしたくない(2405も乗せたいし)ので、箱の提供はお断りしました。
 
対策

1 ホーンのデッドニングは音が死ぬ可能性があり、やり直しもききにくいためやりたくない。

2 デッドニングの代わりに、ホーンの振動の多そうなところに、ボルトナットを取り付けて振動モードの変化
を狙う。10個の取り付け穴を利用し、そのうち4箇所に着けて様子を見る。
    
3 2の結果が良ければ10個前部に対策する。
    
4 3でも駄目な場合は、小さめのバッフルを作る。
 
ソースによって印象が異なるので、しばらくこの状態でいろいろ聴いてみます。クロスオーバー周波数やパワーアンプレベル等一切いじらずに、ホーンの変更だけにしています。が、クロスオーバーを下げてみたい欲求には負けそうです。」

以上のメールに対して次のように返信した。

「以前、JBLの<LE85>を使っていましたので興味深く拝読しました。これまでの拙い経験から言わせてもらいますと、中音域のホーンの大小は両刃の剣みたいなところがあるみたいです。


大きなホーンは迫力は増すのですが、仰せのとおり音像が大きくなって品の無い音になりがちです。これまで随分<血と汗と涙>を流しましたが、今のところホーンは小さい方が無難という気になってます。

そういえば、イギリス系のSPは総じて中高音域に大型ホーンを使っていないことに気が付きました。
おそらく音像が大きくなって品がなくなることを警戒しているのでしょう。

ただし、ジャズの場合は話は別でしょうからいろんなアプローチがあってもいい気がします。ところで、ご相談ですが我が家のウェストミンスターの上に載せるドライバーの件です。クロス4000ヘルツで、現在、ワーフェデールのコーン型ツィーターやJBL075を使ってますが、これで十分とは思っていますが、同じJBLの175ドライバーあたりも試してみたい気がします。175にはツィーターが不要なところが良さそうです。

JBL以外でもいいのですが、4000ヘルツ以上を持たせてツィーター不用の適当なドライバーがあったり、出品されたら教えていただけませんか。」

これに対して「I」さんから次のようなメールが返ってきた。

「イギリス系のSPとホーンの大きさについて、納得の情報でした。JBLのH90やアルテックA5のマルチセルラホーン(でいいんでしたか)は、まさにジャズ愛好家御用達ですね。
 
4000Hz以上でツイーター不要のドライバーは・・・とのことですが、私などが申し上げられることではありませんが、個人的に気になっているドライバーがひとつあります。ツーウエイでいけそうかなと思っているものです。
 
MIXELで販売しているPRVのコンプレッションドライバーのチタン振動板のタイプです。MIXELは西宮の個人商店のようで、私はVifaのユニットや小物を購入したことがあります。その際、直接オーナーの〇〇さんに電話相談して購入しました。気楽に応対してくれます。もしよかったら、MIXELの通販ページをご覧ください。
 
ただ・・・〇〇邸の特製075に敵うものは無いように思います。拙宅のJBLのユニットは使いだして35年ぐらいたつと思いますが、当時、D130+075と現行ユニットとどちらにするか迷ったものです。いまでも、この2ウェイは気になる存在です。比較的近距離でジャズに身を委ねるにはもう・・・あっ、クラシック用でしたね。失礼しました。
 
クラシックは難しいですね。ジャズ再生は、極端な言い方をすれば、どんな音でも許されるようなところがありますが、クラシックはそうはいかない世界だと感じています。ジャズは泥沼=OK、クラシックは泥沼=地獄でしょうか。
 
また、ホーンをいろいろ試されている方のブログも拝見しているので、いい情報がありましたらお知らせします。
 
フィリップスの小型SPの件、本当に楽しそうですね。純米酒を五勺ほど飲んで、腕の立つ職人さんが打った、二八のせいろをかっこむ感じでしょうか、たまらないですね。」

以上、「I」さんとのやり取りを通じて「ホーン」に関する一考察だった。

部屋の大きさ、システムの状況、日頃聴いている音楽のジャンルなどによって「ホーン」への対応は千差万別だろうが、小説の読み過ぎか、ドラマの見過ぎのせいか、いつも主役と脇役を分類するクセが身についているが、オーディオシステムにも主役と脇役があるように思っている。
 
我が拙い経験ではホーンは家庭内でクラシックを主体に聴く限り、主役を張るべき存在ではないような気がしている。ホーンにチカラを入れ過ぎると全体の音のバランスが壊れてしまうのだ。

したがって、目立たせず控え目に、喩えて言えば江戸時代のお百姓さんのように「(ホーンは)生かさず殺さず」といった使い方が一番ではなかろうか、ひいてはホーンに大枚のお金を突っ込むのもいかがなものか・・。

この「独断と偏見」に、もし異論がある方はどうか「素人の戯言」として笑い飛ばしてくださいな(笑)。

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「私のフルトヴェングラー」を読んで

2016年06月19日 | 音楽談義

音楽評論家の「宇野功芳」氏といえばあの独特の断定的な物言いが有名だ。

たとえばこういう調子。(「クラシックCDの名盤」から、デュ・プレが弾くエドガーの「チェロ協奏曲」について)

「67年、バルビローリの棒で入れたライブが最高だ。人生の憂愁やしみじみとした感慨に彩られたイギリス音楽に共通する特徴を備えるこの曲を、22歳になったばかりのデュ・プレが熱演している。第一楽章から朗々たる美音がほとばしり、ポルタメントを大きく使ったカンタービレは極めて表情豊か、造詣はあくまで雄大、ロマンティックな情感が匂わんばかりだ。」

こういう表現って、どう思われます?(笑)


クラシック通の間では評価が二分されており、「この人、またいつもの調子か」と“嘲り”をもって受け止める派と憧憬の念を持って受け止める派と、はっきりしている。

自分はやや冷めたタイプなのでこういう大げさな表現は肌に合わない。したがって前者の派に属しているが、今となっては「死者に鞭打つ」ことは遠慮した方がよさそうだ。

「宇野功芳」さん「ご逝去」の報に接したのは4~5日前の朝刊だった。

          

享年86歳、しかも老衰が原因となると「天寿」をまっとうされたのではあるまいか。合掌。

折しも、ちょうど図書館から借りてきた本の中に「私のフルトヴェングラー」(宇野功芳著:2016年2月8日刊)があった。刊行日からして4か月前なのでおそらく「遺作」となろう。

                         

20代前半の頃はそれこそフルトヴェングラーの演奏に心から感動したものだった。ベートーヴェンの「第九」「英雄」、そしてシューベルトの「グレート」・・・。

本書の15頁に次のような記述があった。

今や芸術家たちは技術屋に成り下がってしまった。コンクール、コンクールでテクニックの水準は日増しに上がり、どれほど芸術的な表現力、創造力を持っていてもその高度な技巧を身に着けていないと世に出られない。フルトヴェングラーなど、さしずめ第一次予選で失格であろう。何と恐ろしいことではないか。

だが音楽ファンは目覚めつつある。機械的なまるで交通整理のようなシラケタ指揮者たちに飽き始めたのである。彼らは心からの感動を求めているのだ。

特にモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどのドイツ音楽の主流に対してもっと豊饒な、もっと深い、もっとコクのある身も心も熱くなるような演奏を期待しているのだ。

だからこそ死後30年も経ったフルトヴェングラーの音楽を必死になって追い求めるのである。実際に舞台姿を見たこともない、モノーラルレコードでしか知らない彼の音楽を熱望するのである。」

クラシックのオールドファンにとって、黄金時代は「1950年代前後」ということに異論をさしはさむ方はまずおるまい。

綺羅星の如く並んだ名指揮者、名演奏家、名歌手、そして名オーケストラ。

ベルリンフィルの常任指揮者として長期間君臨した帝王カラヤンでさえもフルトヴェングラーには一目置かざるを得ない存在だった。

およそ6年前のブログになるが「フルトヴェングラーとカラヤン」(2010.12.16)でも紹介したが、ベルリン・フィルのコントラバス奏者だったハルトマン氏がこう語っている。

「カラヤンは素晴らしい業績を残したが亡くなってまだ20年も経たないのにもうすでに忘れられつつあるような気がする。ところが、フルトヴェングラーは没後50年以上経つのに、未だに偉大で傑出している。<フトヴェングラーかカラヤンか>という問いへの答えは何もアタマをひねらなくてもこれから自ずと決まっていくかもしれませんよ。」

だがしかし・・。

本書の中で、フルトヴェングラーがもっとも得意としていたのはベートーヴェンであり「モーツァルトとバッハの音楽には相性が悪かった。」(23頁)とあったのに興味を惹かれた。そういえばフルトヴェングラーにはモーツァルトの作品に関する名演がない!

あの“わざとらしさ”がなく天真爛漫、“天馬空を駆ける”ようなモーツァルトの音楽をなぜフルトヴェングラーは終生苦手としていたのか、芸風が合わないといえばそれまでだが・・・。

「モーツァルトを満足に振れない指揮者は指揮者として認めない」というのが永年の持論だが、はてさてフルトヴェングラーをどう考えたらいいのか。

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元の木阿弥

2016年06月16日 | オーディオ談義

ちょっと大げさだが「我が家の永遠のテーマ」として、ここ30年ほど往ったり来たりでいまだに結論が出せない問題がある。

それはシステムの途中に「プリアンプを入れるか否か」。これまでのブログでもちょくちょくこのテーマで提案している。

もちろんレコードを愛好されている方はプリアンプ(イコライザー付き)が必須なのでこれには該当しないが、音の入り口がデジタル(CDなど)オンリーのときには、DAコンバーターにボリュームが付いてさえいればこの問題に直面せざるを得ない。

昨年、新たに3台目の真空管式プリアンプを導入し大いに音質が気に入ったのでこの問題には結着をつけたつもりだったが、このたび一段と磨きがかかった「PX25」アンプの登場によってふたたび「ストレイ シープ」になってしまった。

経緯を記してみよう。

我が家のタンノイ・ウェストミンスターはとても悲惨な運命をたどってきた。導入してからもう30年くらいは経つだろうか、当初は「タンノイ様」とあがめてきたものの、そのうちあのモヤっとした中低音域に嫌気がさしてきて「どうやらオイラの好みの音ではないようだ」と首をひねり出したのにさほど時間はかからなかった。

そんなことなら「買わなきゃよかったのに」と言われそうだが、つい巷の評判に踊らされてしまった。もちろん責任は自分にある(笑)。

とはいえ、家内と壮絶な死闘(?)を繰り広げて購入したので意地でも売り払うわけにもいかず、それかといってこの神聖視される大型スピーカーを改造する勇気はとても持ち合わせていなかったが、とうとう堪忍袋の緒が切れて裏蓋を開けてユニットの交換をするに至ったのは10年程前だったろうか。

まず補助バッフルを使って「AXIOM80」を、そして「JBLーD130」ユニットと、それぞれ楽しませてもらったが、ようやくフィリップスの口径30センチのダブルコーン型(アルニコ タイプ)で落ち着いた。今はどうか知らないが、一時世界中の放送局でモニタースピーカーとして使用されていた逸品だけあってクセのない、しかも音楽性を兼ね備えた音質には完全に満足。

しかし、ちょっと高音域部分の歪っぽさが気になったので2ウェイ式のネットワークシステムを使って、クロスオーヴァーを4000ヘルツ(12db/oct)にとってみた。

つまり、低音域から4000ヘルツまではフィリップスのユニットを使い、それ以上はJBLの075ツィーターが活躍。

この組み合わせにまったく違和感を感じなかったのだが、このたび「PX25」アンプが戻ってきたので試しにプリアンプを外して直結にして聴いてみた。

つまり、システムの流れは「CDトランスポート」(dCS) → 「DAコンバーター」(dCS:ボリューム付き) → パワーアンプ「PX25」シングル → スピーカー「フィリップス+JBL075」(箱はウェストミンスター)となる。

すると、途端にフィリップスとJBLの音質の違和感に気付かされた。JBLが寒色系のとても冷たい音に感じられたのである。プリアンプを経由していた時はフィリップスのユニットが無色透明のせいもありどんなツィーターを持ってきても合うと安心しきっていたのだが、外した途端にこの有様~。

この事象をいったいどう解釈したらいいんだろう。

結局、これまでプリアンプが音の酸いも甘いも噛み砕いて“おおらかに”包み込んでいたに違いない。よく豪傑を喩えて「清濁併せ呑む」タイプと評することがあるが、この表現がピタリときそうだ。

逆に言えば、録音現場のプレゼンスたとえば細かい音のヒダとか音響空間における楽器の位置などのとてもクリティカルな部分については表現が苦手と分析せざるを得ず、とりわけ新装なったPX25アンプの解像力がその傾向にますます拍車をかけたに相違ない。

ただし、これは我が家だけの事象かもしれないので念のため。

というわけで、とうとうJBLのツィーターを外してワーフェデールのコーン型ツィーターの出番となった。これで同じヨーロッパ同士の組み合わせ。

        

この組み合わせだとまったく違和感が無くなり、安心して音楽に耳を傾けられるようになった。やはり「シンプル イズ ベスト」で、プリアンプ不在で気に入った音を出すのがあるべき姿のような気がする~。

と、ここまではメデタシ、メデタシ。

滞りなく(このブログを)書き終えて、念のためにこのシステムでオペラ「マクベス」(ヴェルディ作曲)を聴いてみた。この「マクベス」は豊かなスケール感と力強さが全編に漲っていないと聴けない音楽である。

すると、何とこの場合はプリアンプを入れたほうが断然良かったのである!

ウ~ン残念、これでプリアンプの問題は「元の木阿弥」になってしまったあ~(笑)。


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