「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

読書コーナー~「禅僧が女を抱いて川を渡るとき」~

2011年06月14日 | 読書コーナー

ベスト・エッセイ2008「不機嫌の椅子」(2008.6.20、日本文芸家協会編)には文壇関係者たち76人のエッセイがズラリと収められている。

「文壇」関係とあってさすがにそれぞれに味わいのある文章だったが、その中から一番印象に残ったエッセイを紹介させてもらおう。

それはノンフィクション作家・柳田邦夫氏の
「禅僧が女を抱いて川を渡るとき」(290頁~295頁
)。

ちなみに柳田氏はこの6月に発足したばかりの政府の「原発事故調査・検証委員会」(12名)のメンバーの一人に選ばれている。

要約といっても、ちょっと長くなるが次のとおり。

人間には誰しも何らかの「こだわり」を持っている。その根底にはその人の生きかたや歩んできた人生、家族や社会の中での役割あるいは仕事、社会的地位と評価などによって形成されたその人ならではの規範が横たわっている。

そして、その「こだわり」が嵩じてしまうと自分の生きかたや周囲の人々との関係でなかなか抜け出せずに苦しむ人が多いし自分もその例に漏れない。

やがて人生も半ばを迎えた頃、臨床心理学者の河合隼雄先生(故人、元文化庁長官)の謦咳(けいがい)に接し薫陶を受けた。ひそかに「人生の師」と仰いでいたが大事な学びの一つに「こだわり」の克服というのがあった。

その教えのひとつとして出てくるのが河合隼雄氏の著作「ユング心理学と仏教」の中の次のような話である。要約して記す。

二人の禅僧が川を歩いて渡ろうとしているところに、美しい女性が来て川に入るのをためらっている。一人の僧がすぐに、彼女を抱いて川を渡り切ると、女性を下ろして淡々と別れた。

二人の僧はしばらく黙々と歩いていたが、女性を助けなかった僧が口を開いた。

「お前は僧としてあの若い女性を抱いてよかったのかと、俺は考え続けてきた。あの女性が助けを必要としていたのは明らかにしてもだ」。

すると、もう一人の僧が答えた。「たしかに俺はあの女を抱いて川を渡った。しかし、川を渡った後で彼女をそこに置いてきた。しかし、お前はまだあの女を(心理的に)抱いていたのか」と。

このパラドキシカルなエピソードについて、河合先生はこう語るのだ。

「女性に触れてはならぬという戒めを守ることに心を遣った僧は、女性に対する個人的なエロティックな感情につかまってしまいます。実に自由だったもう一人の僧は、私に”
風のイメージ”
を想い起こさせます。」

”風のイメージ”・・・・いいな、と思う。形にこだわらず、相手に応じて変幻自在、どのようにでも自らの形を変え、相手にさらりと触れるけど、飄々(ひょうひょう)と去っていく。

私は河合先生からこの二人の禅僧のエピソードを教えられた時、目から鱗(うろこ)が落ちるとはこういうことかと思わず唸ったものだ。

バッハはこう弾かねばならぬ、自分の生き方はこうでなければならぬ、こういう社会規範がある以上は絶対に守らねばならぬ・・・。そんな「ねばならぬ」への「こだわり」で人は何と悩み苦しんでいることか。

私はあまりにも多くのそういう人々を見てきた。そして、私自身もしばしばそういう「拘泥」の泥沼に陥ってきた。

だが、何のこだわりもなく女を抱いて川を渡った禅僧のことを学んでからは、私は何かの「こだわり」につかまるたびに、その禅僧のイメージを頭の中に思い描くようにしている。 

大要、以上のような内容だったが、こういう話を読むのと実際に聞くのとでは随分とニュアンスが違うように思う。

「座談の名手」として知られた河合氏から独特の語り口でこういう薀蓄を傾けた話を直接聞けたなんて柳田さんはつくづく作家冥利に尽きる方だなあと思うのである。

                 

さて、自分はこれまでさほど強い信念の持ち合わせもなく、「生き方」に特段の「こだわり」を持ってこなかったので、きちんとした「こだわり」を持って生きている方を見たり、聞いたり、読んだりすると「立派だ」と素直に心から感心する。

ただし、年齢も年齢なのでもう見習い甲斐がないのが
残念だが、不思議に「音楽とオーディオ」に関しては、いまだに妙な「こだわり」を引き摺っている。

(柳田氏の)上記の文章にもバッハに触れてあったが、たとえばブラームスのヴァイオリン協奏曲は「ジネット・ヌヴー」でなければならぬ、モーツァルトのピアノ・ソナタは「グレン・グールド」でなければならぬ、オーディオ装置の中高域用のアンプは「真空管式」でなければならぬといった調子。

そして真打はベートーヴェンのピアノ・ソナタ32番で、この演奏ばかりは「バックハウス」でなければならぬと固く信じてきたが、つい先日の「ブログ」をきっかけに高校時代の同級のO君から「アンドラーシュ・シフ」の演奏が”芸術の極致”だとメールでのコメントにあった。

O君がそれほど太鼓判を捺すのならとすぐに「HMV」から取り寄せて昨日(13日)の午後聴いてみたところ、思わずウ~ンと唸ってしまった


         

第30番からずっと通しで目を閉じ、頭(こうべ)を垂れて聴いたのだが、第32番の第二楽章のところでとうとう涙が止らなくなった。音楽を聴いて感動のあまり涙を流したのは久しぶりでたしかヌヴーの演奏以来。

実に美しい!ピアノの音色も録音もいい。

この演奏はピアノが「ベーゼンドルファー」(ドイツ)だそうだが,響きの豊かさは「スタンウェイ」に一歩譲るとしても、中高域の艶というか気品は上だと思った。

とにかく「バックハウス」を上回るほどの名演がこの世にあったのには驚いた。

「こだわり」と「頑迷固陋」(がんめいころう)とはまさに紙一重、ときには”風のイメージ”も大切だということを痛感した。

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