答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

西へ行きながら「サバ」読みについて考えた

2013年07月17日 | CCPM

西に行くと、「高知は広い」を実感する。

いや、「(横に)長い」というべきだろうか。

めったに行かない私のこと。なおさらそう思うのだろう。この前は1年4ヶ月前である。

四万十市の中心部まで、北川村から車で約3時間半。

前日、3時間で行けるとふんだ私だが、念のため旧中村市出身の我が社のエースさんに確認すると、「そりゃ3時間半みちょったほうがえいぜ」と言う。

講義開始は10時35分だから10時には着いておきたい私。その旨を告げる。「6時出発やね」とエースさん。

「6時かあ~」とため息をつく私だが、とりあえず忠告に従うことにした。

途中、快調に車を走らせながら、可笑しくなってくる私。ひとりで車を運転していると、ああだこうだと思索にふけってしまうのは、いつもの癖である。

まずもって到着時間の設定ですでに35分の余裕をとっている。

そこへもってきて、到達までの時間をゆっくり目に見積もった。にもかかわらず、さらに30分の余裕をみて出発時間を設定した。

ことさら人というものは、「サバ」を読むものだわいと可笑しくなったのである。

そこからさらに思索は「私と私の環境」に及び、「サバ読み」について考えながら西へ西へと車を走らせる。

 

「サバ」を読む=(時間的に)余裕をみる、とした場合、これは悪いことなのだろうか?

いちがいにそうとも言えないのではないか。それは(仕事をする)人間として当たり前の行為である。

やみくもにリスキーな時間設定ばかりしている人間を、他人は信頼ができるだろうか?否である。

してみると、「サバ」を読むこと自体を悪者として扱うのは間違っている。こう書くと当たり前田のクラッカーのようだが、これ、けっこう陥りやすいところである。

往々にして「サバ読み」自体が病理だと勘違いしてしまう場合が多い。だからして「サバ取り」に熱中するのである。かくいう私自身がそうだ。

問題は「サバ」=安全余裕をとることにはない。それを隠すところに本当の問題があり、問題の深刻さがある。

「ワシこれだけ余裕とってるもんね」とオープンにすることから、コミュニケーション(伝え合い)andコラボレーション(協働する)が始まるのだ。

 

道中、「こりゃまだたっぷり余裕があるわい」と、道の駅でブログ更新。

すると、たっぷりあるはずだった安全余裕は、いつの間にかあとわずかになり、結局講習会場にたどり着いたのは講演開始の15分前。

エラそうなことは言うがこのオヤジ。まったくトホホなもんである。



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