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世界企業が次々と生まれる米国の何故

2012-04-26 11:52:05 | 社会・経済

この記事は、ここ数日の日本経済新聞の記事を見て浮かんだストーリーを紹介するものです。次から次へと世界規模の新しいビジネススタイルを生み出す米国は凄いなーと驚き、一体何でそういうことが「突然変異で無く継続して出来るのか」いささか表面的だが、その訳を探ってみたい。

急成長するITビジネス群

アップルが2413月期決算を発表し、段違いの収益力を見せ付けた。地区別の売り上げが米州131.8億ドル、欧州88.7億ドル、日本26.6億ドル、アジア101.5億ドルと世界中で売り上げを伸ばし、特にアジアで倍増し本拠地の米州を追い抜く勢いである。その儲け方が半端じゃない。

一方、SNS最大手のフェイスブックの利用者数が3月末に1年前の6.8億人から33%増えて9.1億人になったと、米証券取引委員会(SEC)に提出した新規株式公開申請に関る修正報告で明らかにしたと報じられた(上場は5月半ばから6月にずれ込むと噂されている)。

新世代ITビジネスが更に新ITビジネスを生む循環

ITが新しいビジネスを生み、同時に既存ビジネスのあり方を変えた。その新しいビジネスが代替わりして、新世代ビジネスを生んだ。私が90年代半ばに米国赴任したクリントン時代に、最初の転換を目の当たりにした。それを基にして2代目、2代目を基にして3代目の米国発ビジネスモデルが生まれ続けている。

これらGoogleやフェイスブックは、あっという間に世界企業になった・・・フェイスブックはIPO前から時価総額と利用者数からみて巨大な世界企業がかつて無い速さで突如現れると予想されている。というより、彼等は初めから世界市民を顧客にする世界企業としてスタートしたと言う方が正しい。米国発だけど、無国籍名ビジネスだ。

何故そんなことが可能なのか、米国の物づくり産業の衰退や金融ビジネスの行き詰まりを指摘する声があるが、私には、このようなグローバル・コンセプトを有するビジネスが次々と代替わりして生まれる米国の凄さを感じる。寧ろ強くなっていると。そして又、新たに重要な動きが生まれたように感じる。

最新世代ビジネス

それは24日の囲み記事(一目均衡)「ネット資金調達、米国の賭け」だ。シカゴ郊外の24歳の若者がネット上で不特定多数の人から集めた寄付を元に最新鋭の機械を導入し、顧客の身体にぴったり合うジーンズを受注後3日で出荷する会社を立ち上げた。総額400万円を資金調達、そのうち4割が海外からだという。

この「クラウドファンディング」と呼ばれる資金調達が全米に広がっているという。ベンチャーキャピタルに却下されたアイデアが、SNS経由で新しい資金調達の道を開き、従来なら見捨てられていた新しいビジネスが誕生する。この羨ましい環境の背景を上記の囲み記事を直接引用させて頂き以下に紹介したい。

優れたアイデアに創業の機会を与える

 クラウドファンディングは既存の金融へのアンチテーゼとも映る。金融危機はプロへの不信を生んだ。理解できない複雑な金融商品よりシンプルな投資機会。特定の金融機関やファンドにリスクが集中する枠組みの外側での小口投資で、貸しはがしも続く中小向け金融の穴埋め役ともなる。

 もちろん中身は玉石混交で不正の余地も多分にある。証券市場の情報開示強化の振り子を逆に戻す要素もはらんでいる。出資者が損失を被る経験が増えれば、ブームはあっという間にしぼむだろう。しかし、それでもやってみるのが米国だ。多少粗くても火をつける賭け。挑戦し続ける姿は日本からはまぶしく映る。そしてもし成功すれば、その枠組みの世界標準を米国が握る。

米国式民主主義のDNA

機会を与えられた若い企業が米国だけでなく世界で受け入れられるのは何故か。90年代に米国で働いた時、トップ自らが先頭に立ちビジネスプロセスをキチンと理解しITで強化する姿を目の当たりにした。私には新鮮だった。だが昨今の動きを見ると、それ以上の何かを感じる。

次々と新世代の世界企業が生まれるのは、米国式民主主義、自由で(機会)平等かつ自助・自立精神に満ち溢れたDNAが新ビジネスに組み込まれる土壌があるからと思う。彼等は初めから世界の顧客の価値観・ニーズに合致するコンセプトを持ったビジネスを立ち上げたというべきなのだろう。

傲慢な米国企業

だが、そのDNAが故に国境を越えると、時には無邪気で身勝手に映り、時には政権にとって危険な存在になる。中国がGoogleの活動を制限し、フェイスブックやツィッターはアラブの春の原動力になった。我々の価値観から言うと良いことだが、一方でそれが個人の生活に関ると全て良しとはいえないのも現実だ。

最近Google検索のサジェスト(予測)機能が個人の生活に悪影響を与えたと日仏で訴訟されGoogle側が敗訴したと報じられた。しかし、Googleは問題となった機能を訂正する動きが無いという。これは正に米国企業が時に見せる傲慢さは、「独自の強みとその技術に絶対的な自信」を持ち中々振り返ることが無い。時に破綻するまで突き進む。私も何度か頭にくる経験をした。

日本はガラパゴス化するしかないのか

それも合わせて米国の強みだろうと私は思う。それでは日本発ビジネスに世界に受け入れられる普遍的な何かがあるだろうか。人は安定を求め大企業で働くことを望み、米国ほどの自助・自律精神はない。「すりあわせ」を特徴とするものづくりにいつまでも固執しなければならないのは、それ以外に何も無いことの裏返しのように感じる。

一方日本的なものを追求すると、ガラパゴスと揶揄される。日本で成功しても世界に普及せず、何れ海外からの商品やサービスに圧倒される。メインストリート・ビジネスが日本から生まれるのは無理なのだろうか。近年アニメのようなサブカルチャーがクールジャパンと評価される。日本的とされるサービス産業が進出したアジアが好調で1~3月に好業績を上げた、何か新たな動きの兆しであろうか。■

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