ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

「昭和の日」の朝の景色

2020年04月30日 05時29分40秒 | Weblog
 29日は「昭和の日」です。言うまでもなく昭和天皇の誕生日で、昭和生まれの私にとって、天皇誕生日といえば、「4月29日」でした。この日が「みどりの日」となり、「昭和の日」になって、「昭和」という激動の時代を振り返る日と定められたわけです。
 朝、玄関に国旗を掲げてから市街を自転車で走りました。まぶしい朝の日射しを受けて、街が白く光っていました。環状線から銀座街へと走って行くと、街灯に日の丸の小旗が揚げられていました。社町時代から祝日には商店街の街灯に国旗が掲げられてきましたが、近年は町内によっては掲揚が行われなくなり、寂しい思いがしていました。理由は高齢化が進み、国旗を街灯に掲げたり収納する作業がしづらくなったからだと聞きました。
 今年はコロナ感染による緊急事態宣言下で、国全体が自粛中の「昭和の日」でした。国旗には、コロナに負けない日本の元気を、という祈り、願いを込めて掲げました。
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月がきれいな夜でした

2020年04月29日 05時55分23秒 | Weblog
 28日(火)の午後7時30分頃、外に出てみると、西の空まだ高いところに弓のような月が美しく光っていました。これは上弦の月というのかな、などと思いながら、カメラを取り出し、ピントを合わせてみますが、満月とはちがってなかなかうまくいきませんでした。
 月面のクレーターが光と影の境目あたりでくっきりと写っていました。小さい頃、隣のお兄さんから手作りの望遠鏡で月面を見せて貰った時の感動は今も忘れられません。そんなことを思い出しながら、しばらく眺めていました。
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呑吐ダムの新緑

2020年04月27日 05時57分02秒 | Weblog
 

 24日(金)、県庁のある神戸市から加東市に戻るために、県道神戸加東線を走りました。神戸市から三木市にかかるところで、道路は呑吐ダムの衝原湖(つくはらこ)に沿って走ります。
 先日の雨もあり、湖は満水状態です。あっという間に新緑のまぶしい季節になり、湖面に映えて美しく輝いています。見晴らしのよい駐車場に車を止めて、堰堤方向に向かって写真を撮りました。
 駐車場にはいつもバイクや車が止まっているのですが、コロナの影響か、いつもより少ないように感じました。
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朝日に向かって凜々しくー古枝のツグミ

2020年04月26日 06時14分20秒 | Weblog
 26日(土)の朝、朝日が昇る頃、裏の庭に出てみると、西隣の駐車場の桜の木の古い枝の先に、一羽のツグミが止まり、鳴いていました。
 朝日の濃い光を全身に浴びて、その朝日に向かうその姿は凜々しく見えました。「朝日には栄養がある」と小さい頃から聞いていたような気がします。実際、朝日を浴びることは人間の体にとってもいいことらしいのですが、鳥たちが早朝に朝日を浴びている姿をよく見ます。きっと濃い朝日に栄養がたっぷりあることを知っているのでしょう。
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昭和27年の兵庫県消防学校、団長講習会の写真

2020年04月25日 05時43分17秒 | Weblog
 

 父が加東郡社町(旧)の消防団長だったことは知っていましたが、その遺品の中に兵庫県消防学校の講習科消防団長講習の修了記念アルバムがあります。「1952」と金文字が記されており、昭和27年、私が生まれる前年のものでした。
 めくってみると、当時の校舎や受講生36名の写真、講習風景などが印刷されていました。その中に父の姿もありました。昭和の町村合併前のことですから、加東郡社町、加東郡米田村など、県下各地の懐かしい郡名や町村名が書かれていました。
 学校は校歌の「扇港の北諏訪山の」とある通り、神戸市の諏訪山の一角にあったのでしょう。
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明治館の林でツグミと

2020年04月24日 05時32分07秒 | Weblog
 23日(木)、朝のウォーキングで加東市社の明治館の広場にある忠魂碑に参ります。広場に上がってくる石段の桜が目に止まり、忠魂碑の裏側に回ってみると、ちょうどツグミが飛んできて木の枝に止まりました。もう一羽を待っているのか、探しているのか、そんな素振りでした。
 忠魂碑は、旧社町(昭和の合併前の現在の社小学校区域)の戦(病)没兵士を慰霊、顯彰する石碑、英霊の尊名が刻まれた碑が建てられています。母方の叔父2人の名も刻まれています。
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社中央公園の朝-山々の眺望と野鳥

2020年04月23日 05時57分53秒 | Weblog
 

 22日(水)の朝、加東市社の中央公園辺りを歩きました。この時間帯だと人との接触もありません。朝の新鮮な空気を吸いつつ歩き、広々とした景色と野鳥を眺めるのは気持ちも広がります。
 公園に入ると、少し先の芝生をちょこちょこと歩き回る鳥が目に入りました。ハクセキレイです。カメラを取り出し、しばらく追いかけましたが、気にしている様子はありませんでした。
 公園の金屋谷池の堤からの眺望は、このブログでもよく紹介しますが、遠く播磨高野と呼ばれる光明寺のある五峰山の山並み、さらにその向こうの加西市の鎌倉峰も望めます。社に鎮座します佐保神社の神様、佐保大明神はこの鎌倉峰に天降りされたという伝承があります。神と仏の聖なる山々を眺望していると心が広がります。
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朝の佐保神社の桜、夕日に映えるBio駐車場の桜

2020年04月22日 05時43分16秒 | Weblog
 

 21日(火)の朝、ウォーキングで佐保神社(加東市社)に参拝し、境内の西側の小宮さんが並んでいる所に咲いている八重桜を見に行きました。
 この桜は、薄い緑がかった色の花びらで、ピンク色のすじが入っている珍しい色の八重桜です。ウコン(鬱金)桜というと聞いています。
 夕方6時前、イオン、やしろショッピングセンターBioの駐車場近くの田圃を車で見に行くと、駐車場の八重桜が満開でした。傾いた夕日の色を映して光っていました。
 人との接触はありませんが、桜とは濃厚接触の短い時間でした。
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エビネ、シャガ、釣鐘水仙が庭に咲く

2020年04月21日 05時34分25秒 | Weblog
  

 見えない敵、コロナウイルスとの戦いの毎日ですが、庭の木々は新しい葉をつけ、花を咲かせています。そんな生命を眺めている時には戦いも忘れます。
 庭の槙の木の下に紫色の釣鐘のような花、釣鐘水仙が咲きました。毎年花をつけていますが、今年も変わらず咲いています。庭にはシャガの花も咲いています。白い羽を広げたような花に紫色の模様が入っています。そして、エビネも花を開きました。背が低いのでしゃがんで眺めます。
 殆ど手入れもできていませんが、毎年同じ頃に同じ場所で花を咲かせてくれるのを見るのが楽しみです。
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戦前の「女子青年團綱領」

2020年04月20日 05時02分16秒 | Weblog
 先日このブログで紹介した「女子青年團員手牒」(加東郡社町女子青年團)に、女子青年團の綱領が掲載されています。この綱領に記された趣旨と各項目を紹介します。

女子青年団体ハ青年女子ノ修養機関ニシテ其ノ本旨トスルトコロハ聖訓ニ基ツキ人格ヲ高メ健全ナル国民タルノ資質ヲ養ヒ女子ノ本分ヲ完ウスルニアリ

一、忠孝ノ本義ヲ体シ婦徳ノ涵養ニ努ムルコト
二、実生活ハ適切ナル智能ヲ研磨シ勤倹質実ノ風ヲ興スコト
三、体育ヲ重ンジ健康ノ増進ヲ期スルコト
四、情操ヲ陶冶シ趣味ノ向上ヲ図ルコト
五、公共的精神ヲ養ヒ社会ノ福祉ニ寄与スルコト

 この手牒は、叔母のものですが、なぜか我が家の書類と一緒に保管されていたものです。叔母は、大正3年に生まれ、昭和3年社尋常小学校を卒業して、4年の秋、15歳で入団しています。
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激しい風雨でした

2020年04月19日 06時24分36秒 | Weblog
 

 18日(土)の昼前、11時前後に激しい雷雨に見舞われました。自宅に居て、雷鳴と屋根や窓を打つバリバリという音にびっくりしながら、妙に懐かしさを感じました。小さい頃には雷が鳴ると、よく停電もしましたし、縁側で稲光を見ようとしたものでした。裏庭の向こうに風呂屋があり、高い煉瓦造りの煙突の天辺に避雷針が設置されていました。そこへ落ちるのを何度か体験しました。バリッという音とともに目の前が真っ白になり、一瞬体ごと前へ引き込まれるのです。なぜか、その体験が鮮明に蘇ってきます。
 バリバリという雨音の原因は雹でした。ベランダには氷の粒が落ちていました。子供の頃、ビー玉ぐらいの雹がたくさん落ちてきたことも憶えています。
 あっという間のことでしたが、午後にはきれいに晴れ上がり、変わって冷えた空気に覆われました。
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関電タワーの最上部に

2020年04月17日 05時53分07秒 | Weblog
 

 16日(木)、事務所の外に出て空気を吸っていると、空から声が聞こえてきたような気がしました。それは、近くにある関西電力社営業所のビルの屋上の鉄塔、「関電タワー」の最上部で作業する人の声でした。見上げる高所での作業はすごいものだとしばらく眺めていました。
 関西電力は最近送配電部門を別会社にし、関西電力送配電会社になったと聞いています。社名は変わっても変わらず立ち続ける関電タワー。社のエッフェル塔と呼んでいますが、あの最上部に立って広々と景色を見てみたいものです。
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続・大正時代の通信簿-その注意書き

2020年04月16日 05時43分09秒 | Weblog
 昨日紹介した約100年前の社尋常小学校の「経歴簿」(通信簿)には、その趣旨、取り扱いについての「注意」書きが記されています。

○この帳簿は 学校と 家庭とで 児童の教育に 便利なやうにこしらへた ものであるから いつも よくごらんください。
○この帳簿は 児童の毎日 学校へ もつていくもので 又少くとも 六年の間 用ゆるものであるから 紛失したり いためたり せぬやうに 気をつけて ください。
○この帳簿は 六年の間 児童の身体の検査や 行儀のよしあしや 学業のよしあしを 記すので ありますから 父兄保護者は 始終お気を つけてください。
○この帳簿は 児童の学校に居る間の 履歴書で 大切なものであるから 卒業後も 鄭重に 保存するやうに したいものです。

 丁寧に分かりやすく書いてあります。最後の「卒業後も鄭重に保存するように」との言葉通り、約100年後も大切に保存されていました。
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大正時代の通信簿「経歴簿」-社尋常高等小学校

2020年04月15日 06時07分58秒 | Weblog
 整理していた書類箱の中に「兵庫県女子青年團手牒」と一緒に父と母の小学校時代の「経歴簿」が出てきました。今の「通信簿」です。父は明治43年生まれで大正6年4月2日社尋常小学校に、母は大正8年生まれで大正15年4月1日に社尋常小学校に入学しています。
 大正6年は西暦1917年、今から103年前のことです。大正15年は94年前、その年末には昭和へと御代が替わります。約100年前の「通信簿」が、しかも父母のものが揃って保管されていたとは知りませんでした。
 黒い表紙に「経歴簿」と児童氏名欄があり、「藤本豊治」と朱書されています。表紙をめくると、裏に入学年月日、氏名、生年月日、保護者氏名・住所、校長、担任教員氏名欄がありました。次の頁には「教育勅語」、次の頁には「戊申詔書」が掲載されています。そして、「経歴簿」の取り扱いについての注意書きが4項目にわたって書かれていました。
 次に本命の「学業成績表」。学年、学期毎に修身、国語、算術、日本歴史、地理、理科、図画、唱歌、体操、裁縫、手工、農業、商業、通約、操行、の各教科欄、認定欄があり、10段階評価で成績が記入されていました。操行欄は甲、上などの評価、認定欄は合格、卒業などが記入されています。
 母の成績欄では第2学年すなわち大正7年度の1学期までは10段階で記入されていますが、2学期からは甲、乙の評価に変わっていました。
 さて、評価は父母とも故人でプライバシーを尊重して公開しませんが、二人とも成績はすこぶる優秀でした。
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兵庫縣聯合女子青年團歌-五国を歌詞に

2020年04月14日 04時44分45秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和初期の兵庫縣聯合女子青年團の手牒に掲載されている「兵庫県聯合女子青年團歌」の歌詞を紹介します。
 一昨年、兵庫県は設置150周年を祝いましたが、旧五国からなる特色を活かして、兵庫の新しい時代を築いていこうとしています。女子青年團歌は、昭和の新しい御代のはじめ女子青年の使命を歌っています。
 昭和初期の女子青年團歌にも、五国、すなわち播磨、摂津、但馬、丹波、淡路が歌い込まれています。6番までありますが、1番と6番を紹介します。

一、丹波津の國、淡路島
  播磨の國やはた但馬
  五つの國のあつまりて
  あめとつちとの二柱
  はじめ給ひし昔より
  名に美しき海山ぞ

6番までに読み込まれている地名を挙げると、瀬戸、明石、高砂、書写、出石、湊川、赤穂、有馬、城崎などです。

六、古きを尋ねあたらしき
  みかどのみよにさらにまた
  をみなの業の多ければ
  家ををさむるつかのまも
  心はみがき人の子の
  鏡とこそはなるべけれ

 
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