ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

兵庫県立社高等学校で第74回卒業証書授与式挙行-コロナ禍の高校生活を乗り越え

2022年02月28日 04時31分25秒 | Weblog
 

 

 27日(日)、加東市唯一の県立高校である社高等学校で第74回卒業証書授与式が挙行されました。早朝には一瞬雨がぱらついたのですが、式が始まる午前10時頃には空も晴れて暖かい好天になっていました。
 創立108年の長い歴史を誇る県下有数の伝統校である社高校は、県立社高等女学校から新制社高等学校と歴史を受け継ぎ、県下公立高校唯一の体育科を有し、普通科、生活科学科の3科からなる高校として発展を続けています。昨年秋には秋季高校野球大会で初の県大会優勝を飾るなどその名を県下に轟かせました。
 26日(土)には、同窓会「尚友会」の入会式が行われ、今日27日(日)に卒業式が行われ、192名が巣立っていきました。この学年が入学した年だけ、1学級減となりましたが、翌年には1学級増となり6学級に復しました。
 しかし、この学年の3年間は新型コロナウイッルスの感染拡大に襲われ、休校措置や学習、部活動、学校行事などが様々な制約の下に置かれました。修学旅行や体育大会、文化祭などの高校生活最大の思い出となる行事もできなくなり、代替行事や縮小、分割などの対応が取られました。さぞ残念だったことでしょう。ただ、今日の卒業生代表の答辞では、そうした制約の中でも先生らの工夫や配慮、生徒自身が前向きに取り組み、盛り上がり、よい思い出もできたとのことでした。とはいうものの本来の形ではなかっただけに悔しい思いがあったはずです。校長先生は、卒業生がコロナ禍という中で自ら工夫し活動を行い、部活動などでも優秀な成績をあげたこと、そして何より元気な学年であったと高く評価されていました。
 式の最後に校歌を思いっきり歌いたかったと思いますが、感染防止のため静聴となりました。しかし、そのテンポ、雄大な歌詞はやはり元気がでます。
 式場には保護者、在校生代表が出席しました。卒業生の晴れやかな、しかも身じろぎひとつしないその姿勢の良さ、呼名への大きな返事など実に素晴らしい式でした。在校生は各教室でそのようすをリモートで出席し、見ました。
 私は24回生ですからちょうど50年前の卒業生です。札幌冬季オリンピック、浅間山荘事件がありました。半世紀後の今年は北京冬季オリンピック、ロシアのウクライナ侵攻が起こりました。時代は大きく変わりましたが、その類似を思うと何か不思議な感じです。74回生が嬉野での高校生活を思い出にそれぞれの進路で大きく羽ばたいてくれることを期待するばかりでした。
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26日早朝の下弦の月と明けの明星

2022年02月27日 05時34分01秒 | Weblog
 

 26日(土)の午前6時前、カーテンを開け、外を見ると、南の空に下弦の月が煌々と光っていました。そして、その東に明るい星が輝いているのが明けの明星でした。
 天気がいいんだなと思いながら、しばらく見ていました。もうすぐ新月になります。月にカメラを向けてズームしてみました。朝の太陽の光を受けている部分と陰になる部分の境界のクレーターの輪郭が見えたりするとわくわくします。
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梅とロウバイ-寒さの中にも春を感じる

2022年02月26日 05時15分15秒 | Weblog
 

 庭の梅の花がだいぶ開きました、そして、登校見守りに立っている通学路のロウバイが満開です。
 冷たい空気に包まれた朝でも太陽の光にまぶしく輝いています。梅の木は、母が生前寄せ植えしていたものを直植えしたものですが、30年余りも経つと立派に育ちたくさん花をつけています。これでメジロかウグイスが来てくれれば最高なんですが。
 登校見守りに立っている通称学校道の交差点のお宅のロウバイは見事です。早く咲き始め、今は満開で朝日を受けてまぶしく光っています。もうすぐ3月です。そろそろ暖かくなってきそうです。
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昭和7年第18回衆議院議員選挙ー横田孝史の青年有志の応援ビラ

2022年02月25日 04時50分12秒 | Weblog
 

 今日は、昭和7年(1932)2月に実施された第18回衆議院議員選挙における兵庫県第三区、横田孝史の立候補に関する推薦文を紹介します。
 写真は、民政党の第三選挙区青年有志代表者小西信二の名で有権者に訴えた応援ビラです。
 当時の選挙制度は中選挙区制で、第三選挙区は、明石市、明石郡、加古郡、印南郡、美嚢郡、加東郡、加西郡、多可郡の1市7郡を選挙区とし、定員は3人でした。現在の東播磨、北播磨地域になります。
 横田孝史は加西郡の出身で明治45年実施の第11回選挙から大正6年実施の13回選挙にわたり衆議院議員を務めていました。

  謹で横田孝史君の為に愬ふ
 帝国議会が初て開かれてからすでに四十有余年憲法を楯として政党を戟として根強き旧閥政府を根絶し、責任内閣制を確立して政党政治の運用を見るに至った今日までには、血汐にもまさる涙ぐましい先輩の悪戦苦闘を煩はしたことは、我等青年の口から言ふまでもありませぬ。
 身を議院の内外に置きてその悪戦苦闘の第一戦に立ち続けてきた功労者の一人に、わが郷土の児である横田孝史君の存在することは悲壮にも我等の痛快とするところであります。
 我等の父兄は曾て君を三回まで議会に送り出しました。しかし君の政治生活は概して不遇でありました、逆境でありました、多くの場合少数党として虐げられ在野党として蹂躙されたのでありました。殊に君の持論である二大政党主義の樹立について活動した当時には、憲政実施の大陰謀である彼の大正政変に禍されて将さに焼討ちの惨害にも遭遇すべき危地にさへ立ったことがあるのであります。
「苦節五十年」は、改進党創立以後の活動における君の政治生活を摠括するに最も相応はしい標語であります。その人が国事のため党事のために今は財産をも蕩尽し去りて、内外状勢の重大な政局を眼前に眺めながら幾多功利的政客の下積みに圧し埋められんとしつつあるのを見ては、血あり涙あるもの君の為に泣かざるを得ないのであります。
 ああ、浜口前首相は兇弾のために倒れ、安達前内相の毒手は吾党内閣を暗殺し、今また井上前蔵相も不幸兇徒のために命を堕し、凶変また凶変、参事の頻りにわが民政党を禍するの秋に乗じて、彼れ政敵は前年の大政友会を建設し過去の横暴を再演せんとしているのであります。此際に若し選良その人を誤らば党中に向って爆弾を投ずると同じ結果を生じないと誰が保障し得るのでありましょう。
 我等青年は、百戦錬磨、苦節を守って終始一貫した横田孝史君をいま一度、議会に送り出し、その鍛え上げた手腕と積年政界に植えつけた潜在力とを利用して、わが民政党の主義政策のために最後の奮闘をなさしめたいのであります
願はくば深厚なるご同情を同君当選のために注いでください

 昭和七年二月
     兵庫県第三選挙区青年有志
       代表者 小 西 信 二 
有権者殿
       兵庫県加西郡北条町北条九二〇
          責任者  大 西 市 之 助
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新池にハシビロガモが

2022年02月24日 04時42分50秒 | Weblog
 



 23日(水)の早朝、加東市社の佐保神社から若宮神社を過ぎて、持寶院の大師殿に向かう途中に新池の堤を歩きます。
 池面にカモの泳ぐ姿が見えたので、そっとカメラを構えて撮りました。
 胸が白く、くちばしが大きい姿で、ハシビロガモだと分かりました。新池でよく見かけるカモです。泳いでいるもの、水辺で羽繕いをするものなどさまざまでした。雄は白や茶色、緑んど色鮮やかですが、雌は茶褐色で目立ちません。違う種類のカモかと勘違いしそうですが、仲良く泳いでいるのでつがいなのでしょう。
 
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第18回衆議院議員選挙ー兵庫県第三区で出馬の横田孝史への大隈信常の推薦文

2022年02月23日 05時49分36秒 | Weblog
 

 昭和7年2月(1932)に行われた第18回衆議院議員選挙における兵庫県第三区で出馬し当選した小林絹治(政友会・加東郡(※旧)出身)に関する資料を紹介してきましたが、今日は、同じ選挙で立候補した横田孝史への応援を要請した大隈信常の推薦ビラを紹介します。
 横田孝史は加西郡(現加西市)出身で、第11回から13回衆議院議員選挙(憲政党)で当選しています。大隈信常は、大隈重信の養子で早稲田大学名誉総長を務めました。
 
拝啓愈々御清適奉賀候 陳者今回の総選挙に際し友人
横田孝史君 貴区に於て立候補せられ候
御承知の通り同君は千考重信指導の下に政界に馳駆せら
るること三十有余年其傍ら早稲田大学の校賓として多大
の貢献をせられ候事は周知の事実に有之候
現時我が国内外の状勢は真に建国以来の国難に直面し誠
に深慮に堪えざるもの有之候即ち外には満蒙の時局は更
に南方に及びて益々重大化し国際関係の変化測るべから
ざるもの有之内には財政経済の国難を打開して国民生活
の安定を図るべき急務有之今や全国民の奮起邁進を要す
るの秋同君が衆議院議員候補者として立候補せられたる
は寔に意義あることにて是非此際同君多年の蘊蓄抱負を
実現致させ度と存候
尚同君の人格識見に就いては国民の代表として申文無之
と相信じ候間何卒御諒承の上特別の御声援御配慮相煩し
度先は書中を以て御推薦申上度如斯御度候   敬 具

昭和七年二月
       侯爵 大隈信常
           東京市赤坂区青山南町六丁目
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昭和50年代後半の佐保神社秋祭り-上組太鼓屋台と若かりし頃の私

2022年02月22日 04時22分08秒 | Weblog
 

 写真を整理していると、佐保神社秋祭りの写真がありました。社の上組太鼓屋台をバックにして撮影したものです。場所は境内西の鐘楼の前辺りで、宮入りを終えて屋台を据えたところのようです。上組の担ぎ手の法被がまだ以前の祭法被のものであること、私がほっそりとしてスマートな姿であることからして、きっと若かりし昭和50年代後半のものでしょう。
 境内の稲荷社の後ろの桜の木が小さいことや左のケヤキの枝が繁っていることからも私が20代の青年時代の写真であることは間違いありません。新型コロナウイルス感染症の影響で2年連続して秋祭りが中止となり、太鼓屋台の出番がありませんでした。帰省した娘が「今年はできるんやろか」と玄関に貼っている佐保神社のカレンダーの写真(屋台)を見ながらつぶやいていました。
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冬の日を浴びてヒヨドリが集団でー柿の木と桜の木

2022年02月21日 04時31分20秒 | Weblog
 

 

 20日(日)の昼前、家の周りをヒヨドリが飛び回っていることに気づきました。窓から差し込む冬の日にピーという鳴き声と影が走るように横切っていくのです。いつもより多いなと思いながら庭を見ると、なんと、柿の木に数羽のヒヨドリが止まり、さらに次々と飛来してくるではありませんか。隣の駐車場の桜の木と合わせて20数羽ものヒヨドリがやってきました。
 これまで、ペアでやってくるか、一羽が来てもう一羽を鳴きながら待っているというパターンがほとんどでした。ヒヨドリの集団が騒音や糞害で困っているという話を聞いていましたが、初めて集団でいるのを見ました。柿の木に20羽ぐらいのヒヨドリが止まっていると、なんだか異様な感じで、ヒチコックの映画の場面を思い出してしまいました。
 
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昭和7年第18回衆議院議員選挙ー播州算盤同業組合員有志の小林絹治推薦状

2022年02月20日 04時46分52秒 | Weblog
 

 この選挙に関する史料を紹介してきていますが、今日は、播州算盤同業組合員有志31名による小林絹治の推薦文を紹介します。
 小野市はそろばんの町として知られ、地場産業として算盤製造が盛んに行われてきました。当時は加東郡小野町で郡南部の中心地でした。地元出身の小林絹治を議会に送るため有権者に対して投票を呼びかけています。

 推薦状

拝啓愈御清祥の御ことと存じます就ては今回の総選挙に際し立候補されて居ります小林絹治氏は学識手腕共に具はり而して純真なる少壮有為の材幹でありまして実に邦家の選良の名に背かぬ士であることを確信し私等一同は爰に同氏を推薦する次第であります氏は前回の総選挙に惜敗されたことは実に遺憾この上もないことで全く血涙を流してその雪辱の日を待ったものでります希くば今回は特に深甚なる貴下の御理解と御同情によって是非共当選せしめその奇才を振ふ機会を与へなけれればならぬと存じて居ります何卒私達の微意を御諒察貴下の御投票と更に絶大の御援助を御願ひしてやまない次第であります  謹言
 昭和七年二月
           播州算盤同業組合員有志
                (イロハ順)
               井 上 徳 蔵
               井 上 仁三郎
               井 上 長 治
               井 上 千太郎
               井 上 市之助
               市 枝 亀 雄
               橋 本 鶴 治
               富 田 信太郎
               近 田 市之助
               大 西 庄 治
               吉 岡 吉太郎
               吉 田 彦 市
               竹 内 國 治
               高 見 惣 吉
               田 中 清 蔵
               村 岡 千太郎
               久保田 右三郎
               山 端 武 次
               藤 原 留 市
               藤 田 善兵衛
               藤 本 章 治
               上 月 長治郎
               國 井 周 治
               小 林 司加蔵
               岸 本 完 次
               岸 本 修 一
               宮 本 豊 市
               宮 永 亀 治
               芝 本 徳 松
               芝 崎 幸太郎
               進 藤 哲 二
 有権者各位
            加東郡小野町長尾五拾番屋敷
               責任者 吉岡 吉太郎


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ウグイスかメジロか?動きが早すぎました

2022年02月19日 06時07分34秒 | Weblog
 

 15日(火)の昼頃、庭を見ていると、木々を飛び回っている小さな鳥の姿を見つけました。カメラを手してその姿を追うのですが、何せ小さいのと動きが早くてとらえることができません。ウグイスかメジロだと思いながらも、その特徴をとらえきれないまま、ヒヨドリに追われてどこかに飛び去っていきました。
 メジロがよくやってきますが、ウグイスもきます。メジロはほんとうに目白ではっきり分かるのですが。この写真ではよく分かりませんでした。梅の花も咲きはじめました。そのうち、どちらもやってきて、姿をはっきり見せてくれるでしょう。
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16日寒夜の満月、17日早暁の満月

2022年02月18日 05時41分31秒 | Weblog
 

 

 16日(水)は冷たい空気に包まれました。午後6時前、神戸からの帰路、突然、山の谷間に頭を出した白い大きな月の上部が目に飛び込んできました。「何だあれは」と一瞬驚くほどの大きさでした。
 加東に戻った頃には真っ黒になった東の空にまばゆいほどの白く光る満月が昇っていました。こども園からの帰りに家に寄っていた孫と一緒に月を見ました。ウサギさんが見えると言うと「月にウサギはいません」と通じませんでした。
 17日《木)の朝6時前に玄関に出ると、西北の空低く白い月が浮かんでいました。やはり満月でした。よく見ると、ウサギの頭が昨晩とはひっくり返ったようになっています。一晩のうちに天を回って、回転したんだなと。完全なる満月は深夜1時台だったようです。
 あの月に人類が立ったのは半世紀余りの昔(昭和44年・1969)のことでした。行くだけではなく、ちゃんと戻ってきたんですからたいしたものです。当時、私は社高校の1年生でした。毎日グラフ増刊「人間 月をゆく-宇宙の中の小さく偉大な第一歩の記録-」を買いました。380円です。月面に降り立つ場面、月面からみた青い地球の出の写真などわくわくしながら何度も頁をめくったことを覚えています。写真は、今も大切にしているその毎日グラフ増刊号です。
 それにしても今頃はとっくに月面基地や都市ができているはずの未来なんですけどね。そんなものはなくてもいい。むしろない方がよかった。静かに眺める月がいいですね。
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昭和7年第18回衆議院議員選挙-小林絹治の投票前日のビラ

2022年02月17日 05時57分59秒 | Weblog
 

 昭和7年2月に実施された第18回衆議院議員選挙において、兵庫第三区に立候補した小林絹治の投票前日ビラを紹介します。最後のお願いです。選挙をする者として、約90年前の選挙も今の選挙も有権者への最後のお願いは変わらないものなんだなあという切迫感が伝わってきます。

  御 願

此度こそはと、死力を尽くして日
夜戦って参りました。
身も心も疲れ果てました。
明日は心静かに神仏の御加護
を祈って居ります。
一期の願、何卒御助け下さい
ませ。
今一といきの處です。
貴き一票の御力、明日の私を、何
卒御助け下さいませ。
伏て御願ひ申上けます。
     コバヤシキヌジ
     小 林 絹 治
     こばやしきぬじ
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昭和7年第18回衆議院議員選挙-小林絹治の政見ビラより

2022年02月16日 04時56分39秒 | Weblog
 

 昭和7年2月に実施された第18回衆議院議員選挙に兵庫県第三区で立候補した立憲政友会の小林絹治に関する資料を紹介していますが、今日は、政見ビラから一部を紹介します。
 2350字におよぶ政見では、前民政党内閣の金輸出解禁、緊縮財政を厳しく批判し、現内閣(犬養政友会)による金輸出再禁止、金兌換停止の断行の結果、経済が活況を呈していることを述べ、これに続いて次のように訴えています。
 
 従而今回の政戦の題目は極めて明瞭でありまして、民政党内閣の消極政策不景気政策に戻るか、現内閣をして今や其端緒を開きたる、積極進取の政策好景気招来の政策を行はしめるか二途其一であります。
 殊に満蒙問題の解決は国家の死活に係るのでありまして卑屈退嬰を事とする気魄乏しき幣原外交を以てしては断じて我国の主張を貫徹する事能はず国家百年の長計を樹立する事能はざる事は各位御承知の通りであります。何卒各位の有せらるる清き一票の力、国民総意の表はれとして現内閣を支持されんことを切望する次第です。

と。



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昭和7年2月第18回衆議院議員総選挙ー犬養毅の小林絹治推薦文

2022年02月15日 05時38分17秒 | Weblog
 

 昭和7年(1932)2月に実施された第18回衆議院議員総選挙で、立憲政友会総裁の犬養毅が小林絹治の推薦文を出しています。印刷したものですが、政友会の推薦ビラです。

                         小林絹治君
敬啓茲に衆議院議員総選挙に臨み吾党候補として右其人を推薦致し候
目下焦眉の急務外ニハ満州の前後処置内ニハ危急旦夕ニ迫る経済的困難あり
更に根本問題としてハ内ハ産業立国の大主義実施に係る諸般の改革
外にハ日華両国永遠の親和を確立する等都へて吾党の大責任を尽すへき時期と念じ謹て之を輿論に訴る候可候
此意御亮察奮て御賛成被為下度特ニ御以来申上候
不具

 昭和七年一月

立憲政友会総裁
    犬養 毅
       東京麹町区内山下町

 以上ですが、前年の12月に若槻礼次郎(民政党)が総辞職したあと、政友会の犬養内閣となり、年が明けた昭和7年1月に衆議院を解散したのでした。小林絹治が立候補した昭和7年2月の総選挙はこの選挙です。結果は政友会の圧勝で、小林絹治も最高点で当選を果たしました。
 しかし、この年の5月に5.15事件が起こり犬養毅は暗殺され、政党内閣は終わりを告げます。
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昭和7年2月第18回衆議院議員総選挙ー小林絹治から社町の有力者への手紙

2022年02月14日 04時09分30秒 | Weblog
 

 昭和7年2月の第18回衆議院議員総選挙において、兵庫県第三区から立候補した小林絹治の諸資料を紹介しています。今日は、小林絹治自身が社町の有力者(社町社区田町)に送った手紙を紹介します。
 
拝啓
春寒料峭の候益々御健勝奉恭賀候
陳者私儀此度重ねて立候補仕候付而は
何卒格別の御高配御高楼給はり度偏に
御悃願申上候
此度は愈よ私儀一生の浮沈を岐るる處に御座候
何卒私儀哀情御憐察の上御救援
切に御悃願申上候
令室様への宜敷御風声願上候   敬白

 二月十一日
              小林絹治
肥田猪七 様


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