ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

庭の秋 ヒヨドリ・柿の実・つわぶき・サフランの蕾

2022年10月31日 04時49分53秒 | Weblog
  

 

 30日(日)の朝、庭の方からヒヨドリの鳴き声が聞こえてきました。電線に止まって朝の光を受けながら鳴いていました。木々の葉が落ちると、鳥たちの姿がよく見えるようになります。
 庭に出てみると、つわぶきの黄色い花が咲き始め、よく目立っていました。今年は柿がまったくといっていいほど不作で、元気な枝に十数個生っているだけでした。その実を穫りました。地面に目をやると、サフランの花の蕾がついていました。庭の数カ所に自生しています。花が咲くのが楽しみです。木々の葉も黄色く色づき始めて、秋が深まっていくのを感じる朝でした。
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東条川疏水の魅力満喫ー水路をボートで探検

2022年10月30日 06時16分56秒 | Weblog
 

 

 29日(土)、加東市松沢の安政池の畔、東条川疏水の幹線水路をゴムボートで下るイベント「水路deボート探検」が行われました。
 この取り組みは、東条川疏水ネットワーク博物館会議の構成員であり、鴨川ダムからの用水やため池の管理を行っている兵庫県東播土地改良区(加東市社)が主催し、次世代の子供達に東条川疏水のことを体験と学びを組み合わせ、水路をボートで下るという探検を通して知ってもうらおうという取り組みで、人気の高いイベントです。ダムを管理する近畿農政局や県加古川流域土地改良事務所や水土里ネット、土地改良区などの関係団体が後援しています。
 今回も募集定員の約2倍の申し込みがあり、抽選で選ばれた約100名の小学生が4人1組に分かれ、ゴムボートに乗り込み、約800メートルの水路を流れにのって下りながら、要所要所で扮装したスタッフが繰り出す疏水クイズに答えていました。子供達はスタート前に兵庫教育大学の大学生が扮した疏水博士から疏水の名前や役割、規模などについて学習しており、大きな声で答えていました。
 ゴールした子供達は、安政池の大きな堰堤の上で疏水カレーを食べたり、射的などのゲームも楽しみました。
 
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弥生人も見た夕景 サンセットポイント社バスターミナル「halk」

2022年10月29日 05時43分13秒 | Weblog
 

 28日(金)の夕方、5時前に加東市社のショッピングパークBioの南駐車場だった場所に開設された社バスターミナルに寄ってみました。
 駐車場には10台ほどの車が止まっていました。このターミナルの交流施設にうどん店とコーヒー店が開店して1週間ほど経ちましたが、まだ、寄っていなかったので、のぞいてみると、うどん店は営業時間が終わっていました。コーヒー店に入ってみると、いろいろな種類の豆が用意されていて、インドネシア産のマンデリンを頼みました。
 さて、コーヒーを手にターミナルのベンチに腰掛けて、目の前一面に広がる刈田とはるか青野原台地の地平線へと落ちていく夕日を眺めました。いいですね。
 今日も県内を移動しながら午前、午後とも研修や会議で充実した一日でしたが、一日が終わる頃に、ふるさとの広々とした田圃風景を眺めながら一杯のコーヒーを飲む。この一時は最高の心の安らぎ、癒やしです。
 ちょうどオーナーが出てこられ、ここから眺める夕景の素晴らしさに話が弾みました。淡路では西海岸からの夕日が素晴らしい、とサンセットビーチとして人気が高まっていると聞いているので、ここは内陸でありながら地平線に沈む夕日を見ることができる絶好の夕景ポイントとして決して劣りません。
 加東市社は、加古川の河岸段丘の各面からなっており、東に向かって段々と高くなっている地形的特徴があります。その各面からの西側の眺望は実に広々として雄大です。このバスターミナルは低位面にありますから、西の青野原台地が地平線となって夕日が落ちていくのです。
 ここでは、2000年ほど前から、人々が暮らしを営んでいました。弥生時代の住居跡や遺物も出ています。弥生人も古墳時代の人もこの雄大なサンセットを眺めていたんでしょう。そんなこともコーヒーの味をいっそう深く味わい深いものにしてくれました。サンセットビューを楽しみながらコーヒーを。サンセットビューベンチを増やしてもいいのではないでしょうか。
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21世紀のはじめー中学校社会科選択学習で人物研究をで学ぶ日本近現代史

2022年10月27日 04時55分18秒 | Weblog

 21世紀になってもう22年が過ぎようとしています。
 2001年(平成13年)の兵庫教育大学附属中学校の3年選択社会科のレポート集がここにあります。テーマは「人物研究を通して学ぶ日本の近現代」です。週1時間の選択教科で、社会を選択した生徒は、共通学習をし、自分の関心のある人物を選び、研究し、発表します。その報告集です。
 この年の共通学習は7時間。ここで取り上げた人物は、永遠の維新者西郷隆盛、日本海海戦と東郷平八郎、至誠の人乃木将軍、高杉晋作と明治維新、正義と勇気の人杉原千畝、勇気と責任の人佐久間艇長、努力の人野口英世そして母シカ、でした。共通学習で視点の置き方、資料の使い方、発表の仕方なども学びながら、その間に自分の調べる人物を考えておくのです。
 この年の生徒が選んだ人物を挙げてみます。新渡戸稲造、津田梅子、福沢諭吉、孫文、安重根、乃木将軍、沖田総司、土方歳三、坂本龍馬、小栗上野介、河井継之助、森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、アンネ・フランクの16人でした。みんなの前で順番に発表し、質疑応答をするのですから、よく調べておかないとできません。時間をかけて一人の人物の生き方や当時の時代状況などを調べることで、理解や関心が深まります。選択した生徒は18名。2人で共同研究した生徒もありました。
 当時、樋口季一郎のことを知っていれば、必ず共通学習で取り上げただろうなと思いながら、読み返してみました。
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信号で待つ間に虹が立ち

2022年10月26日 04時21分47秒 | Weblog
 

 25日(火)は、寒気が入り込み、不安定な天気になりました。早朝には雷が鳴り、強い雨が降りました。昼間も雨雲がかかったり、雲間から青空がのぞいて日が射したり、くるくると天気が変わりました。
 午後4時30分頃、神戸から加東へと車を走らせている時、東の空低く、虹が立っているのに気づきました。西に傾いた太陽の光が、東の空に残る雨粒にあたって虹となって光ったのです。信号で止まったほんのしばらくの間にスマホで撮りました。それからしばらく走ったところでも山の端から立つ虹が望めました。今度は道路脇に車を止めて撮りました。
 たまに、ほんのたまに見る虹ですが、虹の根元に向かって走った子供の頃のシーンを思い出しました。
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野営料理の歌ー今でもつい口ずさむ

2022年10月25日 05時52分47秒 | Weblog
 

 先日紹介した、兵庫教育大学附属中学校の昭和59年(1984)の日名倉キャンプのポケット歌集の中に懐かしい歌が入っていました。
 それは、「10種野営料理の歌」です。ボーイスカウト活動で教えてもらった記憶があり、歌で料理の方法が覚えられるという楽しいものです。

 ♩水をおなべに八分 おだしのぶたを入れて 火をどんどんどどーんともせば ぐらーぐらーと煮える みそみそみっそをとき ぐらぐらぐっらららら おさつをたきねぎいれりゃ さつま汁

 といったリズム感のある歌で、材料、手順が入っています。カレーライス、チャーハン、ぞうすい、八宝菜などなど、冷えたご飯や残った野菜などを使っておいしい野営料理ができるように歌詞が工夫されています。
 ボーイスカウトに所属していた頃、当時青年だったリーダーの平川延洋さんからいろんな歌を教えてもらいました。子供の頃に覚えた歌は忘れないんですね。その平川さんは今、童謡唱歌を楽しむ会のお世話をされており、まだまだいろいろ教えていただいています。
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庭にイソヒヨドリが 見返り美人ならぬイソヒヨドリ

2022年10月24日 05時05分58秒 | Weblog
 

 23日(日)の朝、庭のベランダにどさっという音とともに何かが落ちてきたような気配があり、見てみると、鳥がそばの物干しに飛び移ったのが目に入りました。妻に静かに、と言いながら、カメラを手にして窓に近づくと、あっという間に隣の駐車場の枯木の幹の上へとまた飛び移りました。
 その大きさ、姿はイソヒヨドリでした。カメラを向けてズームしてみると、やはりイソヒヨドリでした。こんなに間近に見るのは初めてだったので、興奮しながらシャッターを押しました。あっちを見たり、振り向いたりしたあと、向こうの桜の木に飛び去りました。
 朝から幸運でした。カメラの中には、美しい姿がとらえられていました。見返り美人ならぬ、見返りイソヒヨドリの姿でした。
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昭和39年に社小学校で研究発表会-懐かしい木造校舎時代の教室配置図

2022年10月23日 05時14分43秒 | Weblog
  

 古い資料を整理していると、昭和39年(1964)の社町立社小学校の研究発表会の冊子が出てきました。この年に東京オリンピックが開催されました。なぜこんな冊子が私の小さい頃の物を入れた箱の中にあるのか不思議に思いましたが、私が小学校5年生の時、58年前のものです。全頁ガリ版刷りでした。当時の先生の字はきれいでしたね。
 私も教員時代にこうした研究発表会を何度も経験しましたが、朝から一日、授業公開、研究発表が行われ、県教委の指導主事や他の学校の教員が授業を参観するとあって、教員にとっては緊張の一日でした。
 その中に、会場案内図があり、当時の社小学校の配置が分かり、懐かしい思い出が蘇ってきました。
 木造校舎の本館、西校舎、講堂、一年生校舎、理科教室棟、渡り廊下、便所、調理室、小使室等々、記憶の中に蘇ってきます。
 授業計画を見ると、私は5年2組、担任は宮田賢三先生でしたので、公開授業は理科の「火のもやし方」でした。授業風景は残念ながら思い出せません。
  
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野営の歌の思い出-附中日名倉キャンプ歌集&ゲームより

2022年10月22日 05時01分20秒 | Weblog
 

 先日紹介した昭和59年(1984)の兵庫教育大学附属中学校2年生のキャンプのしおりの1冊は、キャンプ歌集&ゲーム集です。
 開いてみると、懐かしいキャンプファイヤーソングやゲームが印刷されていました。
 その一つ「遠き山に日は落ちて」はファイヤーのはじめに歌います。♩遠き山に日はおちて、星は空を散りばめぬ 今日の業(わざ)をなしおえて、こころかろくやすらえば 風は涼しこの夕べ いざや楽しきまどいせん です。ボーイスカウトで幾度となく経験した野営、営火(キャンプファイヤー)で歌ってきました。静かな、そして、日が沈んだあとの山の中に、仲間とこれから始まるファイヤーを心待ちにする一時をその景色とともに思い出します。
 点火されると、「燃えろよ燃えよ」を歌います。♩燃えろよ燃えろよ 炎よ燃えろ 火の粉をまきあげ 天までこがせ。燃え上がるファイヤーを囲み、炎に勢いをつけるように歌いました。
 ファイヤーで歌った歌の中に「山賊のうた」がありました。♩雨がふれば小川ができ 風が吹けば 山ができる ヤッホ ヤホホホ さみしいところ ヤッホ ヤホホホ みんなを呼べ。エールマスター(キャンプファイヤーの司会進行役)が一節ずつ歌い、みんながあとを追って歌います。歌いながら、自分が山賊になり、山の中で火を囲んで歌っているような気分になってしまいます。 
 今でもこうしたキャンプソングとそれぞれの場面の情景が脳裡にあざやかに浮かんできます。それは子供時代の、そして教員となってからは子供達との忘れがたい思い出になっています。それをこの手作りのポケット歌集が思い出させてくれました。
 

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秋の朝日を浴びるヒヨドリとスズメ

2022年10月21日 05時47分02秒 | Weblog
 

 20日(木)は、朝から晴れ渡り、青空が広がり、秋の日が溢れていました。午前7時30分から約15分間、社小学校に通じる「学校道」の交差点に立って登校見守りを続けていますが、通学班がやってくる前に空を見上げていると、次の交差点に立っている電柱にスズメが2羽、チュンチュン鳴きながら天辺まで飛び移っていきました。ズームを目一杯に上げて望遠鏡代わりにそのようすを見ていますと、今度は電線にヒヨドリがやってきました。あっちを向き、こっちへと向き直り、パートナーを探しているようにも見えました。朝日を浴びながら体を温めているのでしょうか。これからの季節は、こうした野鳥を見るのが楽しみです。
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32年前の附属中でー『環境と人間』をテーマに一年がかりで探究

2022年10月20日 04時43分15秒 | Weblog
 

 自宅で資料整理をしていると、黄ばんだ古い新聞が出てきました。1990(平成2年)7月21日付の毎日新聞でした。その11面に囲み記事があり、「中学生33人、1年がかりで」「オゾン層破壊や北海汚染、ゴミ公害・・・」と見出しがあり、中央にできあがったレポート集を見ながら、話し合う生徒4人と私の写真が掲載されていました。
 思い出しました。当時は環境問題が深刻な課題となっており、関心のある問題について、生徒自身が探究を続け、まとめるという学習を設定していました。社会科を選択した生徒は、「環境と人間」をテーマに、共通学習を行ったのち、自身が課題を設定し、調べ、レポートにまとめました。
 新聞記事の生徒の顔、若くて髪もふさふさしていた32年前の私(37歳)の姿に懐かしさを感じながら、手を止め、記事を読んでしまいました。
 写真は、記事とその分厚いレポート集で、ほぼ300頁になります。
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掎鹿谷の古い神社 200年余り前の石燈籠が

2022年10月19日 06時41分32秒 | Weblog
 

 18日(火)の午後遅く、加東市掎鹿谷でバラ栽培に取り組んでおられる佐藤さんのハウスを訪れました。これは、県の加西農業改良普及センターと県会議員との地域農業懇談会の一環として行われたものです。佐藤さんは、アサミ・ローズで知られる浅見さんのハウスを引き継がれ、バラの栽培・販売と育種に取り組んでおられます。
 そのすぐ近くに古い神社がありました。神社だと思うのですが、伐られたあとの木の太い幹が残っていて、以前は杜があったのだろうなと思いました。祠の前の2基の石燈籠の建立年をみてみると、「享和」の文字がうっすらと見えました。また、境内の上部が崩れた石燈籠には「文政」の文字も見え、19世紀のはじめ、今から200年余り前の江戸時代に建立されたものでした。太い幹の間には、石板の小さな祠のようなものもありましたが、崩れかかっていました。帰宅して『加東郡誌』(大正12年刊)で調べてみると、掎鹿谷黍谷556番地の大歳神社とありました。八坂神社を合祀すとも記されていました。念のため住宅地図を見ると、同じ場所に卍マークが記されていました。地元の方に尋ねればよかったのですが・・・。
 いずれにしても、古代には法隆寺と同じような伽藍配置の掎鹿寺があったところで、古い歴史の土地です。石燈籠にも200年以上の歴史が刻まれていることにあらためて古い土地柄を感じました。
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日名倉キャンプのしおりー昭和59年兵庫教育大附属中2年生

2022年10月18日 04時37分43秒 | Weblog
 


 自宅の資料を整理していると、2冊の古い冊子が出てきました。昭和59年(1984)に兵庫教育大学附属中学校2年生が行った「日名倉キャンプ」のしおり、歌集でした。38年前ですので、私は31歳の元気盛りでした。当時の生徒は51,2歳になっているはずです。懐かしい名前とともにキャンプの場面が次々と脳裡に蘇ってきました。
 日名倉山は兵庫県佐用町、岡山県との境にある標高約1000メートルの山です。日程表をみると、1日目は、平福の町を見学してからキャンプ場入り。2日目には登山やキャンプファイヤー、3日目は撤収し、帰りに瑠璃寺の見学となっています。
 このキャンプで一番強く記憶に残っているのは、男子生徒のK君が炊事の時に鉈(なた)で手を切って、急遽、岡山県側の英田郡西粟倉村の病院に行ったことでした。
 今、アウトドアブームで、一人キャンプから家族キャンプなどキャンプが流行していますが、当時のキャンプは、今のように便利な生活を野外にそのまま持って行くというのではなく、自然の中で、自然のものを工夫して野営する、といった考え方だったと思います。夜の帳が降りる頃、ファイヤーを囲み、歌を歌ったり、各班のスタンツ(寸劇)を楽しんだりしました。
 ♩遠き山に日は落ちて~、この曲を聴くと、今でもそうしたキャンプファイヤーの場面が思い出されます。写真は、キャンプ場のイラストマップです。
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河高のコスモスまつり 見頃はまだこれから

2022年10月17日 04時16分49秒 | Weblog
 

 16日(日)、加東市河高地区のコスモスまつりが開かれました。河高地区では、10月2日の住吉神社の秋祭りの獅子舞の奉納も好天に恵まれましたが、今日も秋晴れの下、河高にぎわいプラザには、地区の皆さんが開くラーメン、新米おにぎり、温泉たまごなどの店が並び、特設ステージでは、地区の皆さんのマジックショーや市役職員歌手の歌などが披露されて、訪れる人々を楽しませました。
 にぎわいプラザ前の県道をはさんだコスモス畑は、まだ満開とまではいきませんが、まぶしい秋の日差しに映えて色とりどりに輝いていました。あと一週間もすれば見事に咲き誇ったコスモス畑を楽しめるのではないでしょうか。
 それにしても、名物のラーメンの味はは今年も最高でした。それにおにぎりと温泉たまご。これさえあればお腹も満足です。蒸しパンは完売のようでした。
 コロナはまだ収束していませんが、ウィズコロナの中で感染防止対策をとりながら、こうしたイベントを開催されたことは、人々の心に喜びと元気を与えてくれました。河高地区の皆さんに感謝をしたいと思います。
 加東市では秋祭りやフェスティバルなどが開催されずに残念だという声も聞きました。それぞれの段階でさまざまな状況判断があったものと思います。
 今日は、北播親善ソフトボール大会、子ども会ドッジボール教室、ノーベル大賞受賞作品展なども開かれており、少しずつ日常を取り戻しつつあるのを感じています。
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今年の秋は静かな佐保神社 瑞神門と大石燈籠、境内を望む

2022年10月16日 04時30分48秒 | Weblog
 

 播州は実りの秋を迎え、各地で秋祭りの知らせが届きます。しかし、社の佐保神社の秋祭りは今年も中止となり、来年の秋の完全復活を期することになりました。
 5月の実行委員会では、今年は3年ぶりに実施の方向で準備を進めるが、8月初めの実行委員会で結論を出すことに決まっていました。ただ、宵宮演芸会はこの5月の段階で今年は準備の関係で中止を決めていました。
 その後、8月初めの実行委員会では、実施か、中止かの議論が各地区、神輿、獅子舞、総代会役員の間で行われ、多数決の結果、中止と決まりました。3年連続中止はいろいろな影響が出るとの意見もありましたが、今から振り返ると、この頃が第6波のピークにあたっており、やむを得ない結論だったと思います。
 来年こそは、コロナ収束の状態で、4年ぶりに完全開催が実現するように期待して今年は我慢の中止となりました。その佐保神社の13日の朝の風景です。
 静寂そのものの参道を歩き、下組の太鼓蔵まで来ると、瑞神門、大石燈籠、その奥に舞殿、拝殿、本殿が一直線に並んで見えます。大ケヤキはまだ色づいていませんが、秋祭りの季節が終わり、気温が下がり始めると一気に秋色に染まります。
 
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