16日(日)の夜、加東市の旧東条町の黒谷地区の若宮八幡神社の境内で恒例の夏祭りが開かれました。 8時過ぎに会場に着くと、すでに境内には、浴衣姿の多くの人で賑わっていました。この祭りには、黒谷地区の皆さんはもちろん、他地区からの踊り手さんや今年で13年目となる交流で大阪(今は東京に移住)の若者ら家族も参加して、盆踊りやビンゴゲームなどの余興、消防団や地区役員さんらが焼き鳥やたこ焼きを焼き、かき氷の夜店を開いて大いに盛り上がります。
9時頃、突然激しい雨が降りはじめ、踊りが中断されました。役員さんらが協議の結果、10時から行われる予定だった「柱祭り」の神事が繰り上げて行われることになりました。「柱祭り」とは、この黒谷地区で、8月16日に行われ、「ヤマ」とよばれる松の木を軸にしてつくられた大きな木の柱を燃やす伝統行事のことです。夏祭りはその柱祭りの前に行われているものです。
まだ雨が降る中、神主さんと黒谷地区の役員さんらが若宮八幡宮の本殿で神事を行い、松明に火がつけられました。その火を先頭に神主さん、役員さんが傘をさしながら八幡神社を少し東に下ったところにある広場につくられた「ヤマ」まで歩いて運びました。去年までこの場所には民家があり、その前の庭に「ヤマ」がつくられていたのですが、今年は家がなくなり、遠くからでも見えるようになっていました。
「ヤマ」は8月7日に当番の組(黒谷地区には上、下の2組がある)の人々が伐り出して、16日まで乾燥させておいたものを組んてつくったものです。高さは家の屋根ほどあり、山に見立てたものだと言われています。軸となる松の木のてっぺんには御幣がつけられています。雨が降っても風が吹いても7日に伐りだし、16日に組むということが決まっているということです。近頃は適当な松が少なくなり木を選ぶのに苦労しているということでした。今年の「ヤマ」は軸木の根元が高いようにも思いました。
役員さんの手によって「ヤマ」の軸木の下から松明の火が点火されました。雨で濡れているのか、なかなか火が付きません。この頃になると雨が止みました。よく乾いていれば、炎は一気に「ヤマ」を立ちのぼり、夜空に火の粉を舞い上げます。見守る役員、住民の祈るような気持ちが通じたのか、やがて火が付き、炎が上がりはじめました。火を見上げながら、役員さんらの安堵した会話が聞こえてきました。今年は雨のおかげでじっくりと長い時間「ヤマ」が燃え上がるようすを見ることができました。また、初めて少し離れた神社の鳥居あたりから「ヤマ」が燃える景色を見ることもできました。
「柱祭り」は、今年2年前の3月に加東市教育委員会によって市の無形民俗文化財に指定されました。この珍しい祭りについては、これまでにもこの歴史ブログで紹介してきましたが、地元の方から教えていただいたことを今年も再掲します。
この「柱まつり」について、地元の方からいろいろ教えていただきました。全国に黒谷という名の村が四ヶ所ほどあり、このような火まつりをしているということです。京都の大文字の送り火に関わりのある地域に黒谷というところがあるらしく、東条の黒谷も鴨川の清水寺に近く、西門(さいもん)という字名があるように清水寺に関係も深く、16日の火まつりという共通点がある、といった話でした。この「柱まつり」の歴史的な由緒などはよく分からないということでしたが、お盆の精霊送りの行事の一つだろうということです。また、「柱松」とよばれる行事が各地にあるらしく、お盆の精霊送り、豊作祈願、疫病退散など人々の願いが込められた伝統行事であることに間違いがないでしょう。「小さい頃からこのヤマの火を見て育ってきたんや」というお年寄りの言葉にあるように地域の伝統行事を大切に継承していこうという熱い思いが伝わってきました。