ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

ヒヨドリ シジュウカラ ジョウビタキ スズメがやってきました

2022年01月31日 04時32分15秒 | Weblog
 

 

 1月末の週末は、家の庭にやってくる野鳥を観察する一時がありました。まず、ヒヨドリは毎日のようにやってきては、電線や柿の木、隣の駐車場の桜、そして隣家の木に止まっては鳴き、羽繕いして、飛び移っていきます。隣の駐車場の屋根にも止まることもあります。
 少し小さな鳥がやってきたと、カメラを向けてズームすると、シジュウカラでした。細かに動くのでなかなかカメラでとらえられません。
 そこへ今度はもう少しずんぐりして、胸の色が橙色のジョウビタキが飛んできました。駐車場の屋根の上を動きながらつついています。コケの中に餌になる虫でもいるのでしょうか。
 ヒヨドリはペアで仲良さそうに飛び回っていました。ひょっとして求愛行動かとも思い、調べてみましたが、その時期ではなさそうです。
 30日の夕方にも庭の目の前のナンキンハゼにジョウビタキがやってきました。カメラを持っていなかったので残念でしたが、すぐに隣のカリンの木に飛び移り、やがて電線へと遠ざかっていきました。
 スズメもやってきて、電線に数羽が並び、やがて急降下して視界から消えました。一日中ずうっと観察することができれば、一体どれほど野鳥を見ることができるでしょうか。
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続:佐保座の芝居チラシ-「孝子芳松劇」税務署が推薦の事実美談劇

2022年01月30日 06時01分09秒 | Weblog
 

 昨日に続いて、今から約90年前の昭和6、7年頃の佐保座(加東市社にあった劇場)の公演チラシを紹介します。
 芝居は「事実美談 孝子良芳松劇」。大阪税務監督局はじめ、社税務署、社町役場、加茂村役場、上福田村役場、米田村役場、福田村役場、滝野町役場の後援による社会教化民風作興事業の芝居です。番外芸題として、教訓喜劇「嫁入道具」三場、社会劇「さして行く親子」二場もあったようです。
 「孝子 芳松劇」は、「畏くも芳松は当時摂政宮殿下より御褒美下賜の光栄に浴す」と書かれているように山形県南村山郡西郷村の少年木村芳松の善行を劇にしたもので、「見て為になる面白い芝居」とあります。
 この芳松について調べてみると、大正時代に貧しいながらも納税のためにドジョウ捕りをして働き稼いだお金で納税した少年木村芳松の話で、納税美談として、映画化、芝居化、冊子化されて全国で称揚された事実にもとづく話であったということです。
 公演は、昼間は学校団体、夜は一般向けの2回公演でした。タイムスリップできるものなら、当時の佐保座で芝居を観てみたいという思いにかられました。

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社にあった劇場「佐保座」の演劇公演のチラシー昭和6年(1931)

2022年01月29日 06時00分58秒 | Weblog
 

 加東市社の旧家にあった昭和6、7年頃の文書等の中に、佐保座の公演チラシが綴じてありました。
 佐保座は、加東市社の市街地の銀座通りにあった劇場です。その佐保座において、「第一劇団 紅座一党と其同志」による劇の公演が行われるというものです。その照明は「近代科学の粋を誇る大電気照明装置」が使用されるとあり、また、伴奏は関西楽団の明星「関西オーケストラ団」によるとあります。劇は3部から構成され、開幕劇「牧場の主従(二景)」、社会劇「震災後の哀話(四場)」、大剣劇「鼠小僧次郎吉(五場)」となっています。
 佐保座は社町のみならず、近在近郷より多くの人々が観覧した娯楽の中心だった聞いています。しかし、どんな演目があったのか、よく分かりませんでした。このチラシは今からおよそ90年前のものですが、賑わったのでしょうね。
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今日は電線にムクドリが  

2022年01月28日 05時22分53秒 | Weblog
 


 ヒヨドリはいつもペアで飛んできます。群れで来ることはありませんが、ムクドリは多い時は3,40羽が群れになって電線に止まっています。市街地では糞害などで歓迎されません。
 毎年秋には、庭の柿の実を食べにくるので追い払うのに苦労しています。しかし、この秋は不作だったので、その苦労もありませんでした。食べ物がなければムクもやってきません。
 夕方、珍しく庭の向こうの電線に十羽ぐらいのムクドリが来て止まっていました。そのうち2羽が近寄り、そっぽを向いたり、近づいてクチバシを開き羽を立てて怒鳴り合っているかのようにしています。
 おもしろいのでしばらく見ていましたが、その2羽は何度もその行為を繰り返していました。ペアなのか、場所の取り合いなのか、よくわかりませんでした。
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朝のジョウビタキー隣の庭に

2022年01月27日 05時40分31秒 | Weblog
 

 26日(水)の朝、9時過ぎに隣の連合区の駐車場で知人と話していると、ふと隣家の庭に動くものが目に入りました。
 静かに見回すと、ジョウビタキが棒の上に止まっていました。橙色の胸をふくらませ、周囲を見回しています。そっとカメラを向けて何枚かシャッターを押しました。
 距離にして数メートルでしょうか。冬の朝の明るい光を受けてその色が暖かく感じます。最近はヒヨドリの灰色ばかり見ていたので今朝のジョウビタキは嬉しい出会いでした。
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朝の青空に一筋の長ーい飛行機雲 

2022年01月26日 05時06分05秒 | Weblog
 

 25日(火)の朝、登校見守りに立ち、最後の通学班が通り過ぎた頃、見上げると、青空に一筋の飛行機雲が長い線を引いていました。
 東から西へ向かう飛行機が高空を飛んでいるのですが、それが途切れることなく、揺らいだり、流されることもなく、その航跡が続いていました。
 余りの見事さに見とれてしまいましたが、しばらく時間が経ってもその白い一筋は消えませんでした。
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電線にぼたもち、柿の木のふっくらスズメ

2022年01月25日 06時16分14秒 | Weblog
 

 最近、庭にやってくるヒヨドリとスズメの紹介が続いていますが、見飽きることはありません。
 ヒヨドリが今日も電線に止まっています。その体つきは流線型で尾もながくスマートなのですが、ズームして顔を見ると、目の下辺りが赤く、精悍そのもです。飛ぶ姿は水中を泳ぐペンギンなの水鳥のように空中を滑空していきます。
 そのヒヨドリを斜め下から見ると、まるでぼたもちが乗っているようでした。ズームしてみると、羽がきれいな模様をつくっているのも見えました。
 よくやってくるスズメですが、冬のスズメはまんまるにふっくらして見えます。妻に冬のスズメは肥えてると話すと、たしかにふっくらしていると返事が返ってきました。羽をふくらませているのか、肥えているのかわかりませんが、みんなふっくらしています。スズメも少なくなっていると聞きました。夜はどこで寝ているのやら。
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雨の日にも鳥たちはーヒヨドリもスズメも

2022年01月24日 05時50分19秒 | Weblog
 

 

 23日(日)は、午後から雨になりました。日の差さない冬の庭は寒々としています。その雨の中でもヒヨドリのペアがやってきては、また飛び去り、またやってきます。夕方には昨日と同じようにスズメの群れがやってきて、まず電線に止まり、そして柿の木の枝に降りてきました。
 ピーという甲高い鳴き声はヒヨドリ、チュ、チュという短い鳴き声はスズメ。何を話しているのやら。雨に濡れた羽を繕っています。
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冬の夕景-柿の木に寄り添うスズメたち

2022年01月23日 05時12分04秒 | Weblog
 


 22日(土)の夕方、柿の木にスズメが群がっていました。ヒヨドリもやってきて、羽繕いをしています。もう日が沈み、すぐに暗くなる。早く家に帰らないと帰れなくなるよ、と思いながらしばらく眺めていました。
 朝の登校見守りの時間帯には、交差点の高い電柱の天辺近くにスズメが群がります。一緒に立っている方と夜はどこで寝ているのかね、などと話すこともあります。昼間は、家の庭の柿の木や隣のキンモクセイの木にいるのをよく見かけます。しかし、夕方にはもう姿を見せません。なのに今日は柿の木の枝に群がっていたのです。
 寒いのか、まん丸に羽を膨らませて、ソーシャルディスタンスも取らずに身を寄せ合って止まっていました。そのシルエットはまるで正月の干し柿の飾りのようでした。
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雪の朝、うっすら雪化粧の社市街地

2022年01月22日 06時03分40秒 | Weblog
 

 子供の頃の写真に当時の風景が写っていると、懐かしい景色に思わず見入ってしまい、当時の記憶を辿りながら、広がっていくことがあります。
 「風景も歴史だ」という言葉を聞いたことがあります。今朝(21日)のように雪が降り、うっすらと白く化粧したようになっている景色は、まさに今日のものであり、そこに関電タワーやアーケードショップ、遠くにJAみのり本所ビルなどが写っていることが街の歴史の記憶につながることになるのです。
 大雪でもなく、うっすら白くなっただけの景色ですが、それでも心が動きます。
 
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朝のヒヨドリ、雪舞う中のヒヨドリ-冬の景色

2022年01月21日 05時11分42秒 | Weblog
 

 今日もヒヨドリがやってきました。朝、昼間、夕方と一日中ペアで飛び回っています。ピーという甲高い鳴き声、水中を泳ぐように羽をすぼめて空中を飛ぶ姿は独特です。
 朝日が差す頃には、高い電線に止まって羽繕いをします。そして、雪が舞う中では、隣家の作業場の樋に止まって周囲を警戒しながら頭を突っ込んで何かを食べているように見えました。
 鳥は目が良いと言いますが、遠くでデジカメを構える姿が見えるのか、時々目が合ったように思う時があります。
 
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中学修身書(昭和12年)「親子」の項より-子供を大切にする日本の国風

2022年01月20日 05時42分23秒 | Weblog
 

  まだ若い頃、町内の大先輩から旧制中学校時代に使用していたという修身の教科書をいただきました。「新制準拠 昭和中学修身書 巻二」昭和12年発刊の100頁余の本です。
 その第十一課は「親子」です。その中に、次のような一節がありました。少し長いのですが、読みやすい文なので紹介します。

 父母の子を愛する情は東西共にかはりはないが、日本の家庭では、殊に子供を大切にする。家の貧富貴賤によつて、生活の上にはそれぞれの差別があつても、一体の風習は子供を大切にする。子供は父母の宝といふのみでなく、家の宝として尊重される。子が生まれた時の父母の心は、家の後継ができたのを喜び、家の益、繁昌っして行くのを祝ふのである。親族も朋友も皆同じ心で祝賀するのである。七夜までの中に名を附ける。「行末は立派な人になつて御国の為にもなれ」と祖先の名に因んだり、めでたい語などを選んだりして命名する。三十二三日目には産土神にお宮詣をして、誕生した事をお知らせする。三つ、五つ、七つと、だんだん成長すれば七五三の祝といつて、その年々の十一月にお宮に参詣する風習もある。男の子の袴着の祝、女の子の帯の祝、父母はひたすらその子の成長を楽しむのである。三月三日の雛祭は、女の子の節供、五月五日の端午は男の子の節供、一家中の歓喜は子供等の為に傾けられる。美しい雛人形、勇ましい鯉のぼり。かういふ楽しい日は年々に繰返されるのである。盆やお歳暮の贈物にも、父母は子供を喜ばせようと苦心し、親類・知友からも、お子様へと心をこめた品物を送る。わが国の都市ほどおもちゃ屋の多い所はないといふのも、小さい国民をかはいがる国風の盛んなことを証明するのである。
 我が国の家庭には、お父さんんもお母さんも、お祖父さんも、お祖母さんもいらっしゃる。日本の子供は父母の慈愛の外に、祖父や祖母の愛も受ける。祖父母は孫をいつくしんで老を慰める。家の中には神棚があり仏壇があつて、祖先の位牌を祭つてある。我が国の家は先祖からの家で、先祖と一緒に住んで居つて、だんだんと子孫に伝はつて行くのである。家には家の系図もあり、先祖から伝はつた品物もある。新しい家や別家した家にはさういふもののないところもあるが、本家にさかのぼり源を正せば、皆それがある。家には家の紋もある。
 父母はわが家の神わが神と
    心つくしていつけ人の子
と本居宣長は歌つた。父母は子等を家の宝と思ひ子等は父母を家の神とあがめるのが、わが国古来の道である。親しい懐かしい親愛の情に、貴い有難い敬愛の情が湧いて、父母に対しては神に対するやうなつつましやかな心持になるのである。それ故、言語・動作にもそれがあらはれてくる。外国の家庭では、親子夫婦・兄弟姉妹の間の言葉はすべて対等であるが家の神として事へ奉る父母に対しての言語は固より別でなければならぬ。先祖と同居してゐるわが家庭では目上と目下に対する言葉には明らかな差別がある。
 親代わりの世話をし、いたはつて下さる兄姉に対しても、敬語を使はなければならぬ。兄姉はあくまで幼少な弟妹をあはれみ、弟妹はどこまでも兄姉を目上の人とあがめ、兄弟仲よくして父母に事へ、父母の心を慰めて、ここに美しい家庭が成り立つのである。父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和する家庭が存立するのである。
 西洋人は「日本は子供の楽園である」といつてゐる。「日本は子供をかはいがる国である」と。西洋の読本にも書いてある。我等がこの国に生まれたのは、非常な幸である。
     〇
明治天皇御製
 たらちねの親につかへてまめなるが
        人のまことの始なりけり

 この一節を読みながら、80年余り前の日本と今の日本の状況を比べてしまう。そのままのところもあり、ずいぶん変わってしまったところが多いという感想です。日本は子供の天国だと言ったのは、明治のはじめに日本にやってきた西洋人が各所で見た光景、子供たちの笑顔、それを楽しそうに見ている大人達のようすを書き残したものです。イザベラバードもその一人です。NHKの朝ドラのBS放送で「マー姉ちゃん」を視ていますが、何より登場人物の会話の言葉の美しさに聞き惚れています。わずか80年余り前の日本とは思えません。
 
 
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きびしい冬の寒さの中で-ロウバイ、つわぶき、梅の蕾

2022年01月19日 04時49分47秒 | Weblog
 


 壬寅(みずのえとら)年は、「厳しい冬を越えて芽吹き始める」 という意味があると聞きます。寒い日が続いていますが、庭の木々や草花はその中で花をつけ、あるいは、蕾を膨らませています。
 ロウバイの柔らかな黄色、冬の日に光るつわぶきの胞子、そして、今年はたくさんついた梅の蕾。毎日見ていると、少しずつ膨らんでいるような気がします。みんな春を準備しているのです。
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新年最初の満月(ほぼ)、16日と17日の夜空にぽっかり浮かぶ

2022年01月18日 05時29分20秒 | Weblog
 


 17日、1.17の夜午後6時半頃、真っ黒な東の空にぽっかりと円いお月さんが浮かんでいました。真っ黒な中に光る月は満月でしたが、調べてみると、99.7%とありました。人の目には満月でした。
 16日の6時過ぎにもやはり月を撮りましたが(3番目の写真)、左下が少し陰になっているのが分かりましたが、一日ですっかり円くなっていました。明日は曇って見えないかもしれないと思うと、今夜の月を満月として撮しておきたくなりました。
 太古の昔から変わらない夜空の月。空は真っ黒ですが、街には外灯の灯りで道も家並みも見えます。その灯りが無ければ、月の光だけになり、まさに月あかりの景色が見えるのでしょうね。1月の満月はウルフムーンといい、オオカミが遠吠えする場面が浮かんできます。
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兵庫県教育会編『農村青年 公民教科書』(昭和4年第5版)-青年学校「涌羅野義塾」で使用 

2022年01月17日 04時17分08秒 | Weblog
  

 高校の同級生から譲り受けた古い教科書の中に大正14年に出版された公民教科書がありました。兵庫県教育会の編纂になるもので、『農村青年 公民教科書』とあり、昭和4年第5版本でした。
 裏表紙に「涌羅野義塾一年 小林」と記名されています。おそらく、この人物が社町にあった「涌羅野義塾」に学んだ時の教科書だったんでしょう。
 「涌羅野義塾」は、大正13年(1924)に地元の識者や女学校の先生が学ぶ意欲はあっても経済的な理由などから進学できなかった青年のための夜学塾として開設されたもので、昭和3年(1928)には、昼間制に改められ、中学校に準ずる各種学校として、高等小学校を卒業した多くの地方青年が学んだそうです。
 その公民の授業で使用された教科書のはじめには、教育勅語が赤字で印刷されています。そして、大正9年(1920)の「令旨」も掲載されていました。
 「令旨」は、全国の青年団代表者が明治神宮への参拝にあたり、当時の皇太子殿下(のちの昭和天皇)から青年団員に下賜されたものです。社町青年団員だった父等は、社小学校にこの令旨下賜を記念して令旨塔を建立しています。その経緯については、この歴史ブログで詳しく紹介したことがありました。令旨は次のとおりです。
 
 令 旨
 國運進展ノ基礎ハ靑年ノ修養ニ須ツコト多シ諸子能ク内外ノ情勢ニ顧ミ恒ニ其ノ本分ヲ盡シ奮勵協力以テ所期ノ目的ヲ達成スルニ勗メムコトヲ望ム
 大正九年十一月二十二日
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