25日(火)は、御大神宮さんの夏祭の日です。佐保神社の境内の西側には小宮さんが並んでいますが、その真ん中あたりにある祠が御大神宮さんです。写真は、御大神宮さんと幟など祭具が入れてある箱の蓋です。
この御大神宮さんの祠は、元は社の市街地の田町筋にあったのですが、昭和のはじめ頃、佐保神社の境内に遷されたものです。
その縁で、御大神宮さんは今も中田町(なかたまち)町内会がお祀りしています。7月25日は御大神宮さんの夏祭の日であり、町内会が集まり、幟を立て、お供えをしてお参りをします。田町筋は、かつて、社の市街地でもっとも賑やかだったといわれる商店街でしたが、今は商店も少なくなり、静かな住宅街に変わっています。場所は変わっても、元の祠があった田町筋の町内会で今も祀り続けているのです。
小さい頃から真夏の7月25日の夕方には御大神宮さんにお参りし、町内家内の安全と繁栄を祈り続けてきました。そして、子供の頃はお菓子を貰うのが楽しみでありました。
御大神宮さんの由来、田町の歴史はこれまで何度もこのブログで紹介してきましたが、年に一回のことですので、言い伝えを再掲します。(故・服部千代子さんの言い伝え)
江戸時代のはじめの頃、ある日、空から御幣がひらひらと舞い落ちてきたので、人々は「これは勿体ないことだ。おろそかにできない」と、お金を出し合って家の前に小さな祠を建てたそうです。小さいながらも玉垣で囲って立派なものだったといいます。その後、昭和のはじめになって、田町筋(県道)を清水行や三田行の定期バスが通ることになり、幅5メートルほどの道の真ん中あたりまではみ出していた祠を移転することになりました。当時の町内会長さんが佐保神社の宮司さんに相談を持ちかけたところ、佐保神社の境内に移すことになったのです。
服部さんの手記では、「遠い昔、江戸時代の初期だったかもしれません」と書いてあり、時期ははっきりしていません。「空から御幣がひらひらと降ってきた」から思い浮かんでくるのが、お伊勢参りとの関係です。伊勢信仰は江戸時代に絶頂を迎えます。全国各地から人々はお伊勢参りの旅にでかけました。その信仰を広めるために各地にお札を配っています。元禄時代にはお札を各地に降らしたという記録もあるそうです。中田町に降ってきた御幣もそうしたものだったかもしれません。 こうして田町筋につくられた御大神宮さんの祠が佐保神社の境内に遷されたわけです。
もう一つ、御大神宮さんについて歴史を紹介します。それは玉垣に刻まれた「加東米穀取引所」という字についてであります。
加東米穀取引所とは?これは明治中頃から大正初期まで田町にあった米の取引所の名前です。当時の米の取引といえば、大阪の堂島が知られていますが、兵庫県では、神戸や姫路、そして社の取引所で行われていたのです。田町通りはこの米穀取引所に集まる人たちで賑わったそうです。電信や電話が発達していなかった頃、大阪の米の相場を旗振りで知らせたというのです。大阪から神戸、そして志方の城山などを中継して、社の田町通りに建てられた櫓から望遠鏡でのぞいて値段の上下を知り、それを小僧さんが大声で知らせてまわった、といいます。城山から社までは地図上で測ってみると、直線で約14キロほどです。本当に見えるのかを実験した方があり、結果は十分見えたそうです。