ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

五峰の細道と霊場巡り②-参道の句碑

2017年07月31日 05時49分15秒 | Weblog
         

 先日、このブログで紹介した加東市滝野の五峰山の光明寺参道の句碑をさらに紹介します。
 「五峰の細道と霊場巡り」の句碑一覧のパンフレットには、一基ごとに刻まれた句碑の写真が掲げられています。五峰山中腹の駐車場から本堂までの参道に建てられた72基の句碑。すべてをゆっくりと巡ったことはありませんが、こうしてパンフレットでじっくりと読んでみると季節の良い頃にぜひ時間をつくって巡ってみたいと思いました。
 写真は参道にある石に刻まれた役行者像です。今日もいくつか句を紹介します。

 25番 「極楽をしる与志も奈久法師蝉 高芳」
 26番 「年寄りの足を石段脇で待ち 賢次」
 15番 「酒樽もて作りし茶箪笥色さびて 開けば仄かに酒の香にほふ 純子」
 16番 「限りなき空のひろごり雲ありて ゆくはいのちのあるごとくゆく 正司」
 28番 「古戦場五峰の山寺緑映えて 諸行無常と鐘の音ひびく 三郎」
 34番 「我が道 この外になし 杉間光明を浴びて 鶯郎」 
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ハスのつぼみが大きくなりました

2017年07月30日 05時26分05秒 | Weblog
 

 わが家のハスのつぼみが大きくなりました。毎日ぐんぐん背を伸ばし、つぼみも大きく膨らんできました。数年前に加東市から分けてもらったハスですが、去年は花をつけませんでした。今年の春、桜の花が散る前に土を入れ替えました。
 今年は葉も大きく成長しています。私の背と同じぐらいに伸びました。どんな花を見せてくれるのか楽しみです。
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五峰の細道-五峰山光明寺参道の句碑

2017年07月29日 09時32分28秒 | Weblog
 先日、或る会で、加東市滝野の五峰山の光明寺参道の句碑が話題となりました。ある方が、気に入っている句があると紹介されました。
「雨風に晒らし男の顔となり」がその作品です。農業一筋に生きてこられた作者の逞しい男の顔が浮かんできそうな句です。その会に作者のご子息がおられ、話題が弾みました。
 翌日、さっそく「五峰の細道と霊場巡り」と題された句碑一覧のパンフレットのコピーをお届けいただきました。句碑の写真が一目で分かるようになっています。その第1番に「雨風に・・・」の句が掲げられていました。
 句碑は五峰山中腹の駐車場から本堂までの参道に計72基の句碑が建てられています。作品は、川柳、短歌、俳句で、作者は滝野町内の文芸サークルの会員さんをはじめ、県内外の方も見られます。
 いくつか紹介します。

 27番 「激戦のジョホール・パールは年を経て浜にハイビスカスの花咲かせゐつ 八郎」
 4 番 「逆らって やっぱり染る 母の色 幸甫」
 32番 「五峰の山に 撞かるる鐘の一打ごと 野より山より春うごき出づ 公江」
 
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夏の朝の社中央公園と社交番

2017年07月28日 05時19分46秒 | Weblog
         

         

 27日(木)の朝、ラジオ体操のあと、ウォーキングで社中央公園へ。曇っていましたが、緑の芝生と濃い緑の桜の木々、クマゼミの鳴き声がシャワーのように降り注いでいました。
 公園の一角、学園道路と社環状線の交差点に面して、加東警察署の社交番があります。六角の建物、屋根には時計塔があり、位置確認のよい目印になっています。
 社公園のある場所はかつて田圃でした。公園の中にある金屋谷池の堤に向かって傾斜のある地形がそのまま公園に活かされて、変化を演出しています。昨日紹介した五峰山の遠景もこの社中央公園の中の金屋谷池の堤から望んだものです。
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夏の朝ーラジオ体操、五峰山も緑に輝いて

2017年07月27日 05時30分14秒 | Weblog
 

          

 夏休みになると、あちこちでラジオ体操が行われます。私の家の近所でも集会所の前の狭い一角で通学班の子供達と保護者ら大人が一緒に体操をします。
 この集会所のあった場所は元、社家畜市場がありました。移転後は映画館があったりしましたが、今は住宅と元社農会の倉庫、そして社三区の集会所となっています。
 体操のあと、百旗墓地に行くと、墓石の上にカミキリムシがとまっていました。今日は空気が澄んで見晴らしもよく、社中央公園の金屋谷池の堤から五峰山や加西の山々が緑に輝いて見渡せました。
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田町の神様-大神宮さんの祭

2017年07月26日 04時45分39秒 | Weblog
  

 25日(火)は、御大神宮さんの夏祭の日です。佐保神社の境内の西側には小宮さんが並んでいますが、その真ん中あたりにある祠が御大神宮さんです。写真は、御大神宮さんと幟など祭具が入れてある箱の蓋です。
 この御大神宮さんの祠は、元は社の市街地の田町筋にあったのですが、昭和のはじめ頃、佐保神社の境内に遷されたものです。
 その縁で、御大神宮さんは今も中田町(なかたまち)町内会がお祀りしています。7月25日は御大神宮さんの夏祭の日であり、町内会が集まり、幟を立て、お供えをしてお参りをします。田町筋は、かつて、社の市街地でもっとも賑やかだったといわれる商店街でしたが、今は商店も少なくなり、静かな住宅街に変わっています。場所は変わっても、元の祠があった田町筋の町内会で今も祀り続けているのです。
 小さい頃から真夏の7月25日の夕方には御大神宮さんにお参りし、町内家内の安全と繁栄を祈り続けてきました。そして、子供の頃はお菓子を貰うのが楽しみでありました。

 御大神宮さんの由来、田町の歴史はこれまで何度もこのブログで紹介してきましたが、年に一回のことですので、言い伝えを再掲します。(故・服部千代子さんの言い伝え)

 江戸時代のはじめの頃、ある日、空から御幣がひらひらと舞い落ちてきたので、人々は「これは勿体ないことだ。おろそかにできない」と、お金を出し合って家の前に小さな祠を建てたそうです。小さいながらも玉垣で囲って立派なものだったといいます。その後、昭和のはじめになって、田町筋(県道)を清水行や三田行の定期バスが通ることになり、幅5メートルほどの道の真ん中あたりまではみ出していた祠を移転することになりました。当時の町内会長さんが佐保神社の宮司さんに相談を持ちかけたところ、佐保神社の境内に移すことになったのです。
 服部さんの手記では、「遠い昔、江戸時代の初期だったかもしれません」と書いてあり、時期ははっきりしていません。「空から御幣がひらひらと降ってきた」から思い浮かんでくるのが、お伊勢参りとの関係です。伊勢信仰は江戸時代に絶頂を迎えます。全国各地から人々はお伊勢参りの旅にでかけました。その信仰を広めるために各地にお札を配っています。元禄時代にはお札を各地に降らしたという記録もあるそうです。中田町に降ってきた御幣もそうしたものだったかもしれません。 こうして田町筋につくられた御大神宮さんの祠が佐保神社の境内に遷されたわけです。

 もう一つ、御大神宮さんについて歴史を紹介します。それは玉垣に刻まれた「加東米穀取引所」という字についてであります。
 
 加東米穀取引所とは?これは明治中頃から大正初期まで田町にあった米の取引所の名前です。当時の米の取引といえば、大阪の堂島が知られていますが、兵庫県では、神戸や姫路、そして社の取引所で行われていたのです。田町通りはこの米穀取引所に集まる人たちで賑わったそうです。電信や電話が発達していなかった頃、大阪の米の相場を旗振りで知らせたというのです。大阪から神戸、そして志方の城山などを中継して、社の田町通りに建てられた櫓から望遠鏡でのぞいて値段の上下を知り、それを小僧さんが大声で知らせてまわった、といいます。城山から社までは地図上で測ってみると、直線で約14キロほどです。本当に見えるのかを実験した方があり、結果は十分見えたそうです。

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庭のハスの花芽が出た

2017年07月25日 11時36分50秒 | Weblog
 

 今年春にハスの土の入れ替えをしました。そして、夏を迎え、大きな葉が育っていましたが、一昨日、よく見ると花芽が出ているのに気づきました。
 大人の指ほどの太さで30センチメートルほど茎が伸び、その先に小さな花芽がついていました。去年は咲かなかったので、待望の花芽です。どんな花が咲くか楽しみに見ていきたいと思います。
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セミの羽化ラッシュ

2017年07月24日 05時30分06秒 | Weblog
 

 

 猛暑が続いています。朝早く、5時過ぎから庭ではチーチーゼミが鳴き始め、やがて日が昇るとアブラゼミやクマゼミが一斉に鳴き、ジージー、シャブシャブと庭の木全体がまるで波打ち、揺れているように感じます。これぞ真夏の朝です。
 庭ではクマゼミの羽化ラッシュ。地面には幼虫が抜け出た穴、生垣の木の枝には羽化後の抜け殻が重なるようについています。23日の夜、帰宅すると、羽化真っ最中のクマゼミを見つけました。何度見ても神秘的です。朝までゆっくり時間をかけて体や羽を固めて、飛び立っていきます。また、セミは夜、どうしているのでしょうか。木の枝で静かに過ごしていました。そこかしこに潜んでいるようすも観察できました。
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おじぞうさまへの祈りと感謝-こども園

2017年07月23日 05時43分35秒 | Weblog
 

         

 22日(土)、加東市上田の正覚坊こども園と東古瀬の東古瀬こども園で恒例のじぞうまつりが行われました。夏の夕べ、市内の各こども園、保育園では夏まつりや七夕まつりが行われ、子供達の楽しみな行事となっています。
 正覚坊こども園では、浴衣姿の子供、保護者、そして祖父母や地域の皆さんが参加して、園児の歌や踊り、お店屋さんを楽しみました。おじぞう様への、献灯、献花、献水の行事を通して、幼い心にお地蔵さまへの感謝と祈りのこころを育み、情操教育の基になっています。東古瀬こども園でも終わりには、各自が提灯のローソクに火を灯し、おじぞう様に感謝しながら帰っていきました。
 人口減少、超少子高齢社会が進むなか、子供はまさに地域、社会の宝ですが、その子供の心にこうしたじぞうまつりのような行事に親子で参加した体験が、幼い頃の思い出として刻み込まれ、ふるさとを懐かしく、親しく思う心が醸成されていくのだと思います。
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羽化のそのとき

2017年07月22日 05時07分02秒 | Weblog
 日中は何もかもが焦げてしまうのうではないかと思うように真夏の太陽が照りつけています。夕方には東の空に入道雲が立っていました。
 夜9時過ぎ、会合から帰ると、玄関横の生垣の枝で、クマゼミが羽化の真っ最中でした。枝にしっかりしがみつき、背中をぱっくりと割って、まだ薄白い透明な体をのけぞるように出しつつありました。まさに神秘的なそのときを見ることができました。人間でいえば、母体から生まれ出た瞬間でしょうか、それともこの世での生活をおわり、あの世へ旅立つ瞬間でしょうか。しばらく眺めながら朝になったらしっかり飛び立てよ、と心の中で声をかけました。
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真夏到来、セミの大合唱

2017年07月21日 05時35分32秒 | Weblog
 

           

 梅雨明けとともに真夏がやってきました。朝からわが家の庭の柿の木やクルミの木、隣の駐車場の桜の木でクマゼミの一斉鳴きが始まっています。午前10時頃までシャブシャブシャブ・・・と鳴き続けます。わが家の庭がこの辺りでセミの楽園となっています。この鳴き声を聞きながら60回余余り夏を過ごしてきました。小さい頃はチーチーゼミがまず鳴き出して、次にアブラゼミがジージーと鳴き、クマゼミは貴重でした。そしてホイツク(ツクツクボウシ)が鳴き始めると夏も終わりと決まっていましたが、近年はいきなりクマゼミで始まります。アブラゼミやチーチーは珍しくなりました。
 庭にはゼミの幼虫が抜け出した穴があちこちに。そして木の枝や壁には抜け殻が、朝早ければ飛び立つ前のクマゼミを毎朝見ることができます。短い一生ですが、せっせと鳴いては飛び回っています。
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昭和29年の夏-母の実家で叔母の膝に

2017年07月20日 06時05分26秒 | Weblog
 この写真は、昭和29年(1954)の夏、母の実家(現加東市松尾)の家の縁側で撮られたもの。叔母の膝に抱かれているのが私、従姉らと母方のお祖父さんも一緒に写っています。
 60年余り前の昭和の懐かしい思い出の一こまですが、この叔母が一昨日亡くなりました。大正、昭和、平成の激動の時代を生き抜いた享年104歳の大人生でした。妹である私の母の25回忌をすましたばかりのことでしたが、今頃あの世で「長いこと待っとったで」と話しているのかもしれません。遺影の顔は母とそっくりのように見えました。
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昭和31年のお盆-母の実家で

2017年07月18日 05時45分22秒 | Weblog
 この写真は61年前の昭和31年(1956)の8月15日に母の実家(加東市松尾)の縁側で撮られたものです。
 左手前に座っているのが私で2歳10ヶ月。立っているのが弟で1歳8ヶ月。後ろの2人は左が母、隣が母の姉、右側で指さしているのが従姉です。
 お盆や正月、農繁期、餅搗きなどには母の実家に行っていました。つい先日、その母の25回忌をすませたばかりですが、8月15日は母の命日です。
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門柱で羽化

2017年07月17日 04時50分36秒 | Weblog
  

 15日(土)の夜、平池まつりから帰宅し、帰省していた息子や娘と話していると、玄関の門柱でセミが羽化していたと。まるで帰省した娘を迎えるようにセミが羽化し始めていたらしい。表に出てみると、すでにセミは羽を伸ばしてじっとしていました。
 大人になった子供達も小さい頃は毎晩のようにこの玄関辺りで地面からはい出てくるセミの幼虫をさがしたり、羽化のようすをじっと観察したものでした。懐かしい思いで羽化したセミを眺めていました。
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第35回平池まつり-総踊りやステージ発表、花火で賑わう

2017年07月16日 06時25分05秒 | Weblog
 

 

            

 15日(土)、加東市東古瀬の平池公園で第35回平池まつりが行われました。
 会場は、このブログでも紹介した大賀ハスで知られる平池の池畔の公園。加東市の夏のまつりのスタートを飾るにふさわしい夏まつりです。
 夕方、池畔のステージでは地元の福田小の児童の演奏から始まり、ともしびコーラスの歌、福田幼稚園児のよさこい、正覚坊・東古瀬こども園児の合奏、銭太鼓、滝呼や兵教大のチーム鬼灯によるよさこい踊りが披露されました。池面をわたってくる涼風と熱気あふれるステージに大きな拍手がおくられました。
 芝生公園ではやぐらを囲んで何重にも踊りの輪ができ、加東よしよし音頭、炭鉱節などを踊りました。ステージ出演の大学生らも輪に加わり盛り上がりました。そして、最後は200発の花火。夜空に打ち上げられた大きな花火に見とれました。
 ふるさとで行われる夏まつり。ステージに立った子供たち、踊りの輪に入ったこと、家族や友達と見上げた花火はこころに中に刻み込まれたことでしょう。実行委員会の福田地区の皆さん、ありがとうございました。
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