ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和30年-5ヶ町村合併で新社町へ

2018年11月30日 05時01分57秒 | Weblog


 昨日は父の手帳に記された昭和30年(1955)4月の新社町の誕生を紹介しました。今日は30年2月に5ヶ町村が合併の調印を行った記念すべき瞬間の写真を紹介します。
 写真には調印をする5ヶ町村長(社町、福田村、上福田村、米田村、鴨川村)が写っています。後列に父の姿もありますから、助役が控えていたのでしょう。今から63年前、私が2歳になる年でした。
 
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昭和30年の県会手帳より

2018年11月29日 05時07分22秒 | Weblog
 

 時折り父の日記や手帳を開くことがあります。昭和30年(1955)の県会手帳には父の独特の字で予定などが書き込まれています。
 4月1日(金)の欄には、「新〔社町〕開町式10時」と書かれています。昭和の大合併で、(旧)社町、上福田村、福田村、米田村、鴨川村の1町4村が合併して新社町が誕生したのです。
 3日(日)には、「義士行列」と書かれています。合併を記念して義士行列が行われたのでしょう。
 父は当時社町助役でした。3月の欄には、29日(火)「解町式」、31日(木)「開庁式」と書かれていました。まさに旧社町の解散、新社町の誕生の歴史的な瞬間が手帳に書き込まれていたということです。
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ロウバイのつぼみ、ジョウビタキ

2018年11月28日 05時02分22秒 | Weblog
 

 朝の登校見守りに立っている学校道の角の家の庭にロウバイの木が植わっています。今年も枝にはたくさんのつぼみがついています。ふと黄色いつぼみが膨らんでいるのが目に止まりました。このロウバイの木は日当たりがよい場所にあるせいか、いつも早くから咲きはじめますが、もう膨らんできました。これから朝の楽しみが一つ増えました。
 高いところから鳥の鳴き声が聞こえてきます。朝は鳥たちが活発に活動する時間帯ですが、今朝も電線に一羽のジョウビタキが止まってさかんに鳴き続けていました。
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深まる秋の景色ー嬉野のススキと佐保神社のケヤキ

2018年11月27日 05時14分17秒 | Weblog
 

 11月も終わりに近づきました。今年は野山の紅葉がいつもの年より長く楽しめているような気がします。夕暮れ近く、嬉野台地を走っていると、ススキの穂が光って見えました。もうそろそろ終わりかなという頃ですが、辺り一面黄色の光に包まれていました。
 佐保神社が見える交差点からの景色も秋色でした。大ケヤキもまだ葉がついています。木枯らしが吹くと葉も落ちてしまうのでしょう。もう少しの間、秋の深まりを楽しみたいと思いました。
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東条川疏水の日シンポジウム

2018年11月26日 05時25分27秒 | Weblog
  

 25日(日)、「東条川疏水の日」シンポジウムが兵庫教育大学(加東市下久米)の子午線ホールで行われ、東条川疏水ネットワーク博物館の関係者や地元の教育関係者らが参加しました。
 「東条川疏水の日」は昭和26年11月23日に完成した鴨川ダムを記念して制定されたものですが、今年は25日にシンポジウムが行われました。
 冒頭に東条川疏水の映像が紹介されたあと、主催者、来賓の挨拶があり、休憩のあと、3人の講演が行われました。まず、兵庫教育大学大学院の南埜猛教授が「2020から始まる新しい教育と東条川疏水での取組み」と題して、新学習指導要領で示された新しい学習を地域資源である東条川疏水を題材にして学習することができる、とこれまでの実践をまとめた研究誌を紹介しながら話されました。
 続いて、東条湖おもちゃ王国の橋本匡史総支配人が「東条川疏水を子どもたちの創造力が育まれるフィールドに」の題で、おもちゃ王国における就学前の子どもたちを対象とした遊び、体験をもとにした取り組みを紹介しながら、東条川疏水の大切さを広めていきたいと話されました。
 続いて、神戸大学副学長でネットワーク博物館会議の内田一徳名誉会長が「東条川疏水ネットワークのこれまでとこれから」と題して、東条川疏水ネットワーク博物館のスタートからこれまでの取り組み、今後の方向性について、加古川流域全体を視野においた、持続可能な地域づくりの取り組みについて国の地方創生の取り組みを紹介しながら話されました。
 東条川疏水が全国疏水百選に選ばれたのが平成18年、その後、北播磨県民局が東条川疏水ネットワーク博物館構想を進め、博物館会議が立ち上がり、道標やため池表示板の設置、疏水流域の歴史や文化の聞き取り、小学生を対象とした疏水施設の見学や出前授業、先生の研修など地道な取り組みが重ねられてきました。貴重な地域の宝の価値をさらに掘り下げ、広め、次の世代にしっかりとつなげていくこの疏水ネットワーク博物館の活動がさらに充実していくことが私達の世代の仕事だという思いを強くしました。
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田町の定門地蔵堂の秋景色

2018年11月25日 05時39分10秒 | Weblog
 加東市社の田町通りはかつて商店街として賑わっていましたが、今は静かな住宅街になっています。社市街のほぼ中心から東へと延びる田町筋は、西から西田町、中田町、東田町、道池の町に区切られています。その中田町と東田町の境辺りの路地を北に入った所に地蔵堂があり、定門地蔵と呼ばれています。私の祖父は眼病を治してくれるとよくお参りをしていました。また、小さい頃、この地蔵さんの前は、紙芝居のおじさんが来る場所でした。5円を握って水飴を買って紙芝居を見たことや、近所の子供らの遊び場になっていたことも懐かしく思い出されます。
 狭い境内には桜の木が植わっていて、春には近所の先輩らが花見をしていたこともありました。今は秋も深まり、すっかり紅葉し、屋根には落ち葉が積もり始めました。定門地蔵という名の由来は分かりませんが、かつてこの地蔵の東にあった道池の水門に関係があるのではないかという説もあります。この辺りの小字名の上門に由来するものでしょうか。小さい頃、おそるおそるお堂の中を覗いてみると、大きな石があり何か見てはいけないものを見たような気持ちになったことも憶えています。
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夕景と満月

2018年11月24日 05時23分39秒 | Weblog
 

 23日(金)の夕方、外に出てみると、日が沈んで西空にたなびく雲が赤く染まっていました。まるで社のランドマーク、関電タワーから光が放たれているように見えました。もう少し早く外に出ていればもっと鮮やかな夕焼けを見ることができたのにと少し残念でした。
 事務所で片付けなどをして外に出るとすでに暗くなっていました。ふと、気になって振り向き、東の空を見ると、屋根の上、空低くに黄色いまん丸の月が出ていました。そうか、満月だと思い、シャッターをきりました。そこへ妻がやってきて、きれいな満月が出ていると友達から連絡が入ったので出てきたといいながら、しばらく眺めていました。コンパクトカメラを通して月面の光や影がよく見えます。小さい頃、隣のお兄ちゃんが手製の望遠鏡を覗くと月面のクレーターが見えたときの感激を思いだしました。月面に電線でしょうか、線が写っていました。
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楠木正成公生誕の地を訪れて

2018年11月23日 06時43分17秒 | Weblog
 21日に楠公ゆかりの地、大阪府南河内の千早赤坂村を訪れました。兵庫県人にとっては、「楠公さん」は楠木正成公その人であり、公を祀る湊川神社の呼び名でもあり、身近な存在として、また親しみをもって崇敬しているという存在でしょう。その楠公さんのゆかりの地を探訪するのは初めてでしたが、太平記の世界、千早赤坂城での奮戦の世界が時を超えて広がっていました。
 昨日は下赤坂城址と棚田の風景を紹介しましたが、今日は公生誕の地との伝承がある場所を紹介します。写真の通り、伝承地には「楠公誕生地」と刻まれた大きな石碑が建てられています。裏面には、明治十一年五月建立と刻まれています。銅板製の解説板によれば、明治8年に大阪会議に訪れた大久保利通が楠公にかかわる史跡を巡った際に同行していた堺県令だった税所篤に整備を命じて建立されたものだとありました。それ以前にも豊臣秀吉や江戸時代の同地の領主が整備を行ってきたとも記されていました。
 発掘調査によれば、この場所に楠木氏が活躍していた時代の遺構が残っており、伝承と関係があると考えられているようです。隣接の郷土資料館には千早赤坂のパノラマ、映像解説などもあり、楠木正成公の時代が分かるようになっています。ちなみにこの地方では、楠公祭や楠木氏の氏神である建水分神社(たてみくまり)の春祭などは「くすのきさん」と呼ばれて親しまれているということでした。
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楠公さんの本拠地千早赤坂村で見つけた景色

2018年11月22日 05時09分32秒 | Weblog
  

 21日(水)、楠公さんの本拠地である南河内の千早赤坂村を訪れました。急傾斜の斜面に階段のように刻まれた田圃はまさに棚田の名にふさわしく、稲の株が二条しかない田圃もありました。
 圧倒的な幕府の軍勢を相手に難攻不落の戦いを繰り広げた楠木正成公。そのゆかりの地の風景を眺めながら下赤坂城址へと続く棚田の中の道を歩きました。ところどころに丸い形の注意書き看板が立てられていました。「棚田への立ち入りは禁止である」と鎧姿の楠木正成公が言っている看板で、風景にとけ込んでいました。この棚田への水は、遠く金剛山から流れ出る川をせき止め、約3キロにも及ぶ水路でこの棚田に水を引いていると、出会ったハイカーから教えてもらいました。この水でつくったお米は一等おいしいんです、と散歩中の地元のご婦人から聞きました。楠公さんの偉さとともに、こうした険しい山間の傾斜地を耕して田をつくり、水を引いて、米を作ってきた先人の知恵と苦労にただただ感心するばかりでした。同じ米作地帯ですが、わがふるさとでは先人は水を得るためにため池をつくり、ダムを造って水路を延ばして田で米を作ってきました。そこに共通する過去があり、先人の知恵と苦労に敬服し、感謝する気持ちも共有できるのかなと思うところでした。写真は下赤坂城址から見た景色と棚田の道に立つ楠公さんの注意書きです。
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東京兵庫県人会会報に山田錦が特集されていました

2018年11月21日 05時07分24秒 | Weblog
 

 県議会図書室の書棚に「ふるさと ひょうご」と題した東京兵庫県人会会報の10月号がありました。表紙の「兵庫県産山田錦「酒米の王者」であり続ける理由」の見出しが目にとまり開いてみました。
 豊かに実り頭を垂れた山田錦の穂、加東市沢部にある酒米試験地の建物、山田錦の育ての親で初代主任の藤川禎治さんの写真などが主産地である北播磨の生産農家の取材記事などが取り上げられていました。
 ふるさと兵庫を離れて東京でご活躍の県人会の皆さんに「酒米の王様」山田錦のことをより詳しく知っていただけたのではないかと嬉しくなりました。世界に誇る日本酒、その「酒米の王様」山田錦の主産地こそわが兵庫県であり、そのまた主産地が北播磨の地であることをあらためて誇りに思いました。
 
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楠木正成の活躍に胸躍らせた読物少年少女「太平記」

2018年11月20日 04時17分34秒 | Weblog
 

 物を調べるために本棚を探していると、ふと茶色系の背表紙が目にとまりました。字はもう読みづらくなっていますが、すぐに少年少女「太平記」だと分かりました。小学校5年生の頃、何度も読んだ、まさに愛読書だったからです。
 正しくは、少年少女世界の名作全60巻の第35巻「太平記」で、偕成社版、昭和39年(1964)12月10日発行 定価250円。著者は中山光義。この人物は児童文学作家で、著作も多いようです。
 楠木正成が幕府の大軍を相手に千変万化の戦法で迎え撃った千早城の攻防や桜井の駅での正行との別れ、湊川の決戦、正行の四條畷の戦いなどの場面は、少年時代の私の心を強く惹き付け、その戦いぶりが挿絵とともにありありと浮かんできて映像のように躍動していました。
 人生で最も影響を受けた本の一冊でした。
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加東の秋景色ーやしろの森公園

2018年11月19日 05時58分43秒 | Weblog
  

 18日(日)、昼頃、加東市下久米にある県立やしろの森公園の収穫祭に行ってきました。秋晴れの下、家族連れなど多くの人が訪れ、里山の秋と実りの味覚を楽しみました。
 今年は紅葉が例年より遅れているということですが、秋色に染まりまじめた里山の景色を十分に楽しむことができました。今年は母屋の前庭が合鴨のバーベキュー広場になっており、七輪を囲んで会話も弾んでいました。また、社高校生活科学科の女子生徒らが毎年続けている絵本の読み聞かせには親子が一緒に参加していました。保育士をめざす女子生徒が小さな子供と笑顔で話しかけ、一緒に松ぼっくりを探しにいく姿を見ていると、母屋の方からオカリナの音色が聞こえてきました。曲はトトロだったような気がしましたが、森公園の里山全体がまるでジブリの絵の中のようにも感じました。自然豊かな加東市の秋景色の中でもこの景色は大好きな景色です。
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加西市の台地から望む三草山、御嶽山

2018年11月18日 05時37分38秒 | Weblog
 17日(土)、加西市別府町にある兵庫県立農林水産技術総合センターと県立農業大学校の中間辺りから東を望むと、地平の向こうに三草山とその左側すなわち北側にお椀を伏せたような形の御嶽山が見えました。
 昔なら、樹木の他に障害物はなかったでしょうから、目印となるこうした山を見ながら自分の位置をつかむことができたのではと思いました。
 三草山は扇を開いたような形の独立の山塊なのでよい目標になります。また、その向こうに見える御嶽山は西国三十三ヶ所霊場の第二十五番播州清水寺で知られています。その向こうは丹波国であり、この場所に立って東方を望むと自分が播磨国へと入り、西国へと向かっていることを実感することができます。清水寺の次は加西市にある二十六番法華山一乗寺です。
 小野市と加東市との市境に近い東条川辺りから見た三草山を紹介しましたが、今日は加西市の台地から見た景色を紹介しました。
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朝の乃木神社で

2018年11月17日 06時10分27秒 | Weblog
 

 16日(金)の早朝、宿泊先の東京赤坂のホテルから乃木坂方面に向かって歩き、乃木神社に参拝しました。祭神は乃木希典と静子夫人。境内には 玉木文之進と吉田松陰を祀った正松神社もあり参拝しました。また、乃木邸は早朝のため見学はできず門の外から見ました。
 教師時代に歴史などの授業で、日露戦争の旅順、二〇三高地の戦いをはじめ、学習院の院長時代の昭和天皇の教育、明治天皇崩御と殉死、といったことを教えたことが思い出されました。思わず「旅順開城約なりて敵の将軍ステッセル・・・」と水師営の会見の歌を口ずさんでいました。
 今年は明治維新150年ですが、その明治という時代の終わりを象徴する乃木のが乃木大将の殉死でした。朝の凜とした空気に包まれて参拝しました。写真は境内と乃木坂です。
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社高校OB2人がプロ野球に

2018年11月14日 03時52分51秒 | Weblog
 

 兵庫県立社高校の前を車で走っていると、テニスコートのフェンスに張られた幕が目につきます。
 2枚の横断幕には、先のプロ野球ドラフト会議で1位指名された社高校OBの2人を祝って名前が大きく書かれています。
 阪神タイガース1位指名の近本光司(関学大・大阪ガス、65回生)、東北楽天イーグルス1位指名の辰己凉介(立命館大)、67回生の2人です。
 私は24回生ですから40年以上の後輩にあたりますが、同窓のプロ野球選手がまた2人増えることになり、嬉しい思いです。
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