ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

西垂水の立明大明神の桜ー佐保大明神遷座の地を探して一晩

2020年04月11日 06時10分22秒 | Weblog
 7日の早朝、自転車で気の向くままに走っていると、いつの間にか西垂水の集落を過ぎて、旧国道372号線の近くまできていました。左手東側の田圃の中にポツンと一本の桜が満開で、朝日に映えていました。立明大明神の祠です。不思議なことに、以前、このブログで紹介したときも4月7日でした。道路から少し東に入って桜のところまで行きました。
 立明大明神(たちあかしだいみょうじん)が祀られてこの小さな祠は、加東市西垂水の集落の南の田圃の中にあります。昭和56年に圃場整備のために今の地に移されたもので、元は現在地より北の西垂水の集落の東にありました。
 立明大明神の由来は、加東市社の佐保神社の由来に深い関係があります。これで3度目になりますが、その由来を再掲します。

 佐保大明神は元は加西の鎌倉峰に天降って鎮座していたのですが、小部野(おべの:今の加東市野村)の住人で、鴨国造(かものくにのみやつこ:古代の北播磨にあった鴨国の長官)の子孫である阿部三郎太夫(あべのさぶろうだゆう)が、神託によって佐保大明神を遷すべく、明神を背負い、鎮座の地をさがして一晩立ち明かしたところが、今の西垂水だったということなのです。
 一晩立ち明し、夜が明けるころ、東方にうっそうと松がしげる丘が朝の光の中に浮かびあがった。三郎太夫はそこを遷座の地と決めたということなのです。それが今の佐保神社です。
 三郎太夫が加古川に竿をさして釣りをしていたところ、佐保大明神がその竿をつたって川を渡って東にうつってきたという話や洪水の時に竿の先にかかってきたとかいう言い伝えもあります。それで竿先大明神というという話もあります。

 実は西垂水は、私の家のルーツで、墓も西垂水にあり、小さい頃、父や叔父らと墓参りに来ていました。集落のすぐ西側に加古川が流れています。泉が湧く地であったところから、また、川に水が垂れるところから垂水の地名がついたということを聞いていますが、明治のはじめに、東条地域の垂水を東垂水、そしてこの地を西垂水としたとの話も。そういえば垂水、垂井など同じような地名があります。立明大明神の話は小さい頃から知っていましたが、西垂水から東を臨むと、古代の景色が見えてきそうです。

 
コメント
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