ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

火野正平が秋の加東市を走った-上滝野から河高を

2019年10月31日 05時07分54秒 | Weblog
 

 30日(水)の朝、登校見守りから帰ってくると、家族が「早く見て!」とテレビを指さしました。NHKのBS放送・火野正平の「にっぽん縦断こころ旅」で、火野正平が加東市を走っていました。残念ながら闘龍灘で手紙を読む場面は見ることができなかったのですが、上滝野の旧道、播磨中央公園下の交差点、河高地区内の道を走る場面を見ました。色づき始めた田圃、畦の彼岸花が美しい風景でしたが、火野正平はトノサマバッタにこだわっていました。あっという間に加西市に入ってしまい、残念感が。
 県立播磨中央公園に新しくサイクルステーションが整備されることになりました。サイクリングブームの中で、新たな拠点になることだろうと期待しています。その節はもう一度訪れてほしいものです。
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昭和8年-兵庫県立社高等女学校の運動会風景

2019年10月30日 04時31分29秒 | Weblog
  

 兵庫県立社高等女学校(現社高等学校)の昭和8年(1933)の卒業アルバムから、運動会風景を紹介します。正しくは「体操演習会」とあります。
 以前にも友人の母上の写真で、運動会の得点板の前で記念撮影したものを紹介したことがありますが、優勝組の写真が掲載されています。あとの2枚は、体操、ダンスのようです。
 今から86年前の風景ですが、現在の社裁判所のある場所で、こうして女学生が学んでいたと思うと感慨深いものがあります。
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朝のステラパークに翻る旗、そして五峰山にかかる雲

2019年10月29日 04時59分34秒 | Weblog
 

 28日(月)の朝、社中央公園ステラパーク辺りを歩きました。「まつりのあと」(加東市秋のフェスティバル)の芝生公園には昨日の午後の雨に濡れたテントを干すためでしょうか、まだ張られたままでした。まつりの次の日の朝の景色もにぎわいの余韻が残っていいものでした。
 ステラパークの周囲に掲げられた国旗もそのままでしたが、国旗、県旗、市旗が一段高く朝日に映えていました。
 その向こうには、雲がかかった五峰山や多可の山々が望めました。今日は秋晴れの一日となるなと思いながら広々とした心持ちになる景色でした。
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秋のフェスティバルで出会った加東産のすぐれもの

2019年10月28日 04時03分26秒 | Weblog
   

 27日(日)、昨日に続いてステラパークで開催されている加東市秋のフェスティバルで、菊花展の表彰式の前に会場を歩いてみました。
 まだ開場前の10時前だったので、開いていないブースもありましたが、すでに人だかりができていたのが加東市内の優良企業のブース。
 まずマルヤナギ小倉屋さんで、昨日三木防災公園で一緒に写真を撮った社長さんと再び写真撮影。隣は王子コンテナーさん。段ボールのマジックのようにあっというまに段ボールベッドが完成しました。
 その隣で平尾工務店さんの「アグリらぼ」産のレタスをいただきました。さらにその隣の藤井電工さんでは、社員の教え子に促されて安全帯を身に着け、実際にぶら下がってみました。落ちない!当然ですが、お陰で危険な仕事ができているのです。
 その隣では、かわいいエースコックのミニ豚ちゃんが踊っていたので記念写真撮影を。また、阿江ハンカチさんでは、阿江さんにすすめられてハンカチとストールを購入しました。
 加東の企業がフェスティバルに元気を発信していました。
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加東市秋のフェスティバル-加東の元気と味を満喫

2019年10月27日 05時22分23秒 | Weblog
    

 26日(土)、27日(日)の2日間、加東市秋のフェスティバルが市役所南駐車場、中央公園のステラパークを会場として開催されます。
 26日の昼頃、会場を訪れました。この日は三木市防災公園で県の「ふれあいの祭典」と「北播磨の食と農の祭典」も同時に行われ、豊かな稔りの北播磨、加東の秋を満喫することができました。
 ステラパークでは、これまでと違った会場配置で、菊花展のスペースが縮小したようにも感じました。出展ブースが増えたのでしょうか。市内の企業や各種団体、そして食べ物のブースが並び、家族連れなどで大賑わいでした。商工会女性部の十二単体験コーナーや消防士放水体験などのコーナーでは子供達の姿をカメラに収める風景も。市役所南駐車場では釣針協同組合の釣り体験コーナーが人気で、青空の下、ますを釣り上げて歓声があがっていました。
 播州ラーメン、焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、クッキーなど、いつもの味を巡るのも楽しみの一つ。ステージでは音楽グループの演奏やフラダンスなどが披露されました。加東市の元気が会場全体に漲っているフェスティバルでした。27日も行われます。ぜひ、秋の一日をお楽しみ下さい。足をのばして、三木防災公園の「ふれあいの祭典」にも。
 
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昭和8年ー兵庫県立社高等女学校全景と朝礼風景

2019年10月26日 04時52分23秒 | Weblog
 

 残しておきたい風景として、昭和8年(1933)の兵庫県立社高等女学校の卒業アルバムから写真を紹介してきています。今は、県立社高等学校としてその100年余の歴史と伝統が継承されています。校舎跡は裁判所と住宅地になっていますが、アルバムの中の写真には当時の周辺や社の町の風景も写っています。
 今日は、校舎全景と朝礼の風景を紹介します。全景写真には運動場での体育の授業や校舎の左奥に大きな松が写っています。山氏神社の義経お手植えの松ではないでしょうか。
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昭和8年-県立社高等女学校の修身の授業風景

2019年10月25日 05時10分00秒 | Weblog
 昭和8年(1933)の兵庫県立社高等女学校の卒業アルバムの中に授業風景の写真が掲載されているのですが、その中に「修身の授業」がありました。
 黒板には「親心」、「娘選び」「決心」「母は尊し」「少女心」「人物本位」「結婚の準備」などの言葉が板書されています。戦後、GHQが「修身」「地理歴史」の授業の停止を命令し、修身の授業はなくなりました。修身の教科書を読んでみると、親孝行などの徳目について歴史的人物を取り上げながら読み物風に書かれています。実際の授業がどのように行われていたのか興味があったのですが、板書も写っている写真を見ながら、先生と女学生のやりとりを想像してしまいました。
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嬉野の空高く、秋の雲が飛ぶ

2019年10月24日 05時20分33秒 | Weblog
 

 23日(水)、9時前に加東市のほぼ中央部、嬉野台地を車で走っていると、青空が広がり、その空高く、すじ雲のような、まるで波のような白い雲が幾筋も伸びていました。思わず路側の空き地に車を止めて、シャッターを押しました。
 嬉野大地の空は広いのですが、その空いっぱいに勢いのある筆致でさあーっと描いたような雲が伸びている景色は美しいものでした。
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稲刈りがすんだ田圃にアオサギ

2019年10月23日 04時58分57秒 | Weblog
 

 22日(火)の午後、稲刈りが済んだという電話がありました。えっ、と少しびっくりでした。というのも今日は稲刈りはないだろうと勝手に思い込んでいたからでした。
 しばらくしてから見に行くと、きれいに刈られた田圃には株と四隅にコンバインのキャタピラー跡があるばかりでした。水が抜けにくいじゅる田なので毎年こうなってしまいます。そんな田圃の中にアオサギがいました。向こうの畦にももう一羽。しばらくようすを眺めていました。今年もこうして「秋」が済みました。
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佐保神社の大石灯籠と佐保講-幕末から昭和まで続いた伊勢参りの講

2019年10月22日 05時51分10秒 | Weblog
 

 この度、佐保神社(加東市社)の神崎壽福(かんざきながとみ)宮司から、『摂播歴史研究』誌第70・80合併号(令和元年8月1日発行)をいただきました。同誌の巻頭に神崎宮司が研究論文「『伊勢信仰の盛行』の一例証『佐保講』の成立について」を投稿されていました。
 「佐保講」は幕末の弘化3年(1847)年に創設され、昭和前半まで続いた伊勢神宮へ月参することを目的とした結社のことで、講員は、加東郡(現加東市・小野市域)を中心に北播磨地域に約2千数百名を有していました。
 佐保神社の瑞神門の脇に見上げるほど高く大きな石灯籠があります。灯籠本体の高さが5メートル36センチあり、石垣部分を入れると8メートルぐらいになるのでしょうか。郷土史家の故上月輝夫先生は「日本五大石灯籠の一つ」と話しておられたことを思い出します。
 この石灯籠は明治16年12月(1883)に建設されたもので、灯籠の台石に大きく「佐保講」と刻まれています。伊勢神宮参りの「おかげ灯籠」として佐保講の勧進によって建設されたのですが、その建設費を寄附した伊勢参りの佐保講の定宿の名前が石灯籠の周囲の玉垣に刻まれています。論文には『佐保講定宿取締牒』(弘化3年・佐保神社所蔵)に記された北播磨から伊勢に通じる街道筋に指定された111の宿との約束事などの内容について書かれていますが、玉垣には、大阪、大和、伊賀、京都、伊勢、丹波などの宿主の名が刻まれています。それらの玉垣の名を読んでいると、伊勢参りまでの街道が浮かんでくるようです。
 神崎宮司の論文で、佐保講と石灯籠の由来について詳しく知ることができました。
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加東市の花コスモスが咲くー河高コスモスまつり

2019年10月21日 05時41分42秒 | Weblog
 



 20日(日)、秋晴れの下、加東市河高地区ではコスモスまつりが行われました。今年はJR加古川線の社町駅の近くの田圃にコスモスが植えられ、例年よりは面積が小さいものの白や赤の大輪のコスモスの花がまぶしく輝き、風に揺れていました。
 近くの河高交流センターでは、地区内のいろいろなグループが、ラーメン、新米のおにぎりやゆで卵、ゼリー、花などの店を並べ、訪れる人のおもてなし。河高地区の諸行事には欠かせない存在になっています。
 コスモスは加東市の花。市木の桜とともに元気な加東市を象徴する花ですが、桜の名所は市内に多くありますが、河高のコスモスまつりは毎年秋の楽しみになっています。コスモスをバックに写真を撮ると、笑顔になります。帰りにコスモスを数本いただいきました。部屋の窓に近いテーブルで一段と輝いています。
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昭和8年-県立社高等女学校の地歴の授業風景

2019年10月20日 04時21分18秒 | Weblog
 昭和8年(1933)の県立社高等女学校の卒業アルバムの写真から、当時の女学校のようすや社の町の風景を紹介しています。それらは、80数年前に確かにあった、ふるさとの風景であり、女学生であった人々の学びの姿なのです。今は、女学校は裁判所と住宅地に変わっていますが、懐かしい過去の景色があります。
 今日は、地歴の授業風景を紹介します。大きな地図が掛けられ、世界との貿易品が図示されています。また、当時日本国だった朝鮮半島の港との航路が書き込まれています。女学生の背筋を伸ばした姿勢の良さが気持ちいいですね。 
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昭和8年-県立社高女の耐寒徒歩競争風景

2019年10月19日 05時27分01秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和8年(1933)の県立社高等女学校(現県立社高等学校)の卒業アルバムから当時の写真を紹介します。
 この写真には「耐寒徒歩競争」とありますが、耐寒マラソンのことでしょう。体操服姿で走る女学生が坂道を下っています。遠くに半鐘台が白く光っているのが見えます。さらに向こうの山並みには見覚えがあります。これは、社から千鳥川、木梨地区方面への坂道ではないかと思うのですが・・・。
 
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昭和8年-県立社高等女学校の田植えと餅つき風景

2019年10月18日 04時53分31秒 | Weblog
 

 昭和8年(1933)の県立社高等女学校(現県立社高等学校)の卒業アルバムから、当時の女学校の学校生活や学校のあった社(現加東市社)の町の風景などを紹介していますが、今日は、校門前の田圃での田植えと校庭での餅つき風景を紹介します。
 学校前の田圃には、エプロンのようなものを着けた女学生が一列に並んで苗を植えています。その様子を白い夏服姿の女学生が見学しているようです。当時の恒例の行事だったのでしょうか。それにしても田植え姿がピシッと決まっています。
 餅つきは校庭で、臼を真ん中に冬服の女学生が何重にも取り囲み、割烹着姿の先生でしょうか、あいのてを入れ、女学生が杵をついています。周囲の女学生の笑顔から歓声も聞こえてきそうです。
 昭和8年当時、女学校の華やかな雰囲気が社の町に活気を生みだしていたのでしょうね。
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佐保神社明神講で聞いた話-戦時中のことなど

2019年10月17日 05時16分03秒 | Weblog
 

 16日(水)、加東市社の佐保神社明神講秋の例祭が執り行われました。明神講は江戸時代から続く佐保大明神の敬神結社で少なくとも200年以上の歴史をもっています。拝殿での祭礼が終わり、社務所で直会が行われました。講員の中には、80歳代の方もおられ、話が空襲や戦時中の社の暮らしの話になり、貴重な体験談を聴かせていただきました。
 戦時中、当時4歳だった方は、神戸で、背中に負われて空襲の中を逃げたことを今もよく憶えていると話されました。また、別の方は、社の山氏神社の境内に防空壕があり、よく逃げ込んだもんだと。また、嬉野に高射砲が据えられていたが、敗戦後GHQがやってきて撤去していったことも話されました。この高射砲は弾がなかったので実際には撃ったことがなかったと思うとも。夜になると、市街地の南を流れる下川の近くで寝て、空襲があれば川に身を隠すという生活もしたという話もありました。
 戦後、山氏神社の境内に、肥田氏が私財を投じてつくった図書館があり、人気があったという話もありました。小野からも本を借りにきていたということでした。私が社保育園の頃、昭和30年代はじめ頃、山氏神社境内にサーカスがやってきて大きなテントが張られ、オートバイがぐるぐると回っていた景色と排気ガスの臭いを今も憶えていますが、図書館の記憶はありません。こうした体験談を聞く機会はほとんどなくなりました。
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