この2枚の写真は、昭和50年代末の頃、兵庫教育大学附属中学校の生徒と昭和池の水の路を追って水路の見学に行った時の一コマです。
昭和池が三草山の谷を堰いて築かれたのが昭和初期、水路は南へ延び、やがて千鳥川の流れる大きな谷をサイフォンで渡り、標高約100メートルの嬉野台地に吹き出ます。呑み口から吐き口を望んだ写真です。嬉野台地には、戦後築かれた鴨川ダム(東条ダム)の水が送られてくるようになり、昭和池からの水路は廃線となりました。今、嬉野台地側の吐き口には、コンクリート製の施設とサイフォンの管が展示してあります。
昭和池からの水がスタートする幹線水路は山を穿ったトンネルの中に流れ込んでいきます。今も昭和池からの水は下流域や三草川をサイフォンで渡り、稲尾の台地に送られています。
東条川疎水ネットワーク博物館には、昭和池と水路、ため池も含まれています。40年近く前の写真ですが、当時の女子中学生も干ばつに悩んだこの地方の人々の苦労、そして水を確保するための努力、願いを学ぶ学習をしていました。