12月14日は赤穂義士の討ち入りの日。毎年この日が近づくと赤穂義士にちなむテレビ番組や各地の行事などが話題になります。
ところで、赤穂の花岳寺、東京高輪の泉岳寺の四十七士の墓は全国的に有名ですが、わが加東市の観音寺にも四十七士の墓標があることを忘れてはなりません。観音寺のある加東市家原の赤岸(あかぎし)の地名は赤穂義士がなまったものとも言われています。というのもこの地は浅野家の分家である家原浅野氏の領地で、陣屋も置かれ、浅野家断絶後も明治維新まで続いた深い縁のある地なのです。観音寺は浅野家の祈願所・香華所であったとされ、討ち入りから150年後に義士を讃えて四十七士の墓標がつくられたのです。詳しいことはこの歴史ブログでも紹介していますので読んでみて下さい(2006.7.4,5投稿記事等)。
毎年12月14日には義士祭が行われます。境内では法要が営まれるほか、早駕籠にちなんで加東市内中学校の駅伝競走大会や少年剣道大会なども行われます。この日は近在から多くの人が訪れ、四十七士の墓に線香を手向けます。地元家原の皆さんによる甘酒の接待や奉賛会の福引きもあり、これを楽しみに訪れる人も少なくありません。また、明治館(旧加東郡公会堂)では社地区地域づくり協議会が主催する「佐保亭落語会」も行われます。
加東市社の商店街には「義士祭」の幟が取り付けられました。
ところで、赤穂の花岳寺、東京高輪の泉岳寺の四十七士の墓は全国的に有名ですが、わが加東市の観音寺にも四十七士の墓標があることを忘れてはなりません。観音寺のある加東市家原の赤岸(あかぎし)の地名は赤穂義士がなまったものとも言われています。というのもこの地は浅野家の分家である家原浅野氏の領地で、陣屋も置かれ、浅野家断絶後も明治維新まで続いた深い縁のある地なのです。観音寺は浅野家の祈願所・香華所であったとされ、討ち入りから150年後に義士を讃えて四十七士の墓標がつくられたのです。詳しいことはこの歴史ブログでも紹介していますので読んでみて下さい(2006.7.4,5投稿記事等)。
毎年12月14日には義士祭が行われます。境内では法要が営まれるほか、早駕籠にちなんで加東市内中学校の駅伝競走大会や少年剣道大会なども行われます。この日は近在から多くの人が訪れ、四十七士の墓に線香を手向けます。地元家原の皆さんによる甘酒の接待や奉賛会の福引きもあり、これを楽しみに訪れる人も少なくありません。また、明治館(旧加東郡公会堂)では社地区地域づくり協議会が主催する「佐保亭落語会」も行われます。
加東市社の商店街には「義士祭」の幟が取り付けられました。