ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

令旨塔建立まで-昭和初期の青年団員の記録③

2009年06月02日 05時47分01秒 | Weblog
 昨日に続いて、令旨塔建設への昭和6年(1931)後半の取り組みを日記から見てみます。写真は令旨塔です。

●昭和6年
○七月二十二日
 ~前略~ 令旨塔の建設は馬鹿に近頃になってから進行した。九分通り迄出来るのだが人出の少ない事が植木屋を数多く使ったと言ふ事になるので結局経費の負担が大なる訳だ。 ~後略~

○七月二十三日
 朝から令旨塔の人夫変りである。松原、三木、山下位の順位で石を釣り上げる機械を借りて来たり種々仕事は出来上った。 ~中略~ 今日の全生活がこの令旨塔の建設で埋まってゐるんだ。それ意外何にも俺は感じない。明日比延庄の奥畑え軸石と台石を見に行く事を約して散会。

○七月二十四日
比延庄の中畑に石を見に行く
 ~前略~ 比延庄奥畑の山は大した岩だ。三、四ヶ所の山を歩いた。岸野さんは大した□り方だ。奥畑のかくりで軸を見て台と一任して帰る。

○七月二十六日
 ~前略~ 令旨塔の基礎的仕事が今日で終るので職人がせわしくやって来る。雨が降れば上から何かをかむせてくれと言ったりするので堀本、松原君に依頼する。

○十一月四日
 令旨塔第三期工事着手

○十一月六日
 令旨塔の土台が雨降りが余り激しいので見に行ってやろうかとも思はれた。~後略~

○十一月七日
 工事
 朝から令旨塔の工事の監督に出かけてゐた。これで会社の用は完全に葬られた訳だ。苦節一年有余を自分は苦心惨憺まるで自分のものを完成する様に努力して来たものだ。その完成物が今正に八分通り迄完成した事を思ふと心から喜びがこみあげて来る。 ~後略~

○十一月八日
 工事
 会社の用は差程に大したものでなかったので休んだ。そして工事場に出かけて行った。雇った秀さんはその仕事を少しもしないんだと言うと職人が云ってゐたのと聞いた。土方の練習か、それとも真似事だ。それが個人のものだったらとてもやってゐない。 ~中略~ 小野の王子に石を明日あげる機械をとりに山下、小枝、藤原と四人で出かけた。暗くなって竹内食堂で二日□を食べてトラックで□ひに来てもらって帰った。 ~後略~

○十一月九日
 工事
 今日も工事場だ。会社の仕事は三日も四日も遊ばしてゐるんだ。仕方がない。普通の勤め人と違ふので安心だ。昨夜苦心して借って来た機械は役にたたなかった。何故なら余りにむつかし過ぎたからだ。自動車組合の機械を借りた。易く台石は上がってしまった。一先づ安心だ。

○十一月十日
 午後工事
 ~前略~ 令旨塔の建設は自分のものを建設してゐるように毎日独りでもいく出かけてゐる俺だ。 ~後略~



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