気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

白毫寺で子福桜を

2015-10-31 21:50:05 | 散策
朝の9時半ごろ、正倉院展は早やくも1時間待ち
昼の2時以降になれば、空くとの情報に接し、
足を延ばして、関西花の寺18番『白毫寺』へと、
高畑から歩き始めました。
柿畑越しに、若草山を望みながら

標識に導かれて、高円の地に
”をみなへし秋萩しのぎ 
    さ雄鹿の露分け 鳴かむ高円の野ぞ”
      大伴家持(万葉集巻第二十4297)
 
長い石段の両脇には、紅白の萩だそうです。
人ひとり通れる位の隙間が、
お彼岸頃が見頃で、残念です。
  
山門の前に、名残の萩が一輪

本堂は江戸時代再建時のお堂ですが、
仏様たちには宝蔵で、会うことができました。
怖い顔をした閻魔様(重文で鎌倉時代の作)にも

花の寺の今を紹介させていただきます。
この季節に、子福桜(こふくさくら)が咲いており、
名前の由来は、一つの花から数個の実ができることからで、
花の咲き始めは白で、次第に赤くなる八重の桜です。

花の寺の一番有名なのは、萩の花ですが、
椿も有名で、幹の真ん中に空洞があり、
痛々しいですが、樹齢450年の五色椿と
樹齢500年の白毫寺椿です。
  
白毫寺椿    五色椿 
椿が咲いている春に、再訪したいのものです。
ただこんな椿も咲き始めておりました。

振り返って西を望めば、
子福桜越しに奈良市街が一望できました。
興福寺の五重の塔も、
その後ろには再建中の中金堂の覆屋も。

少し遠いですが、足を延ばしていただければ。
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”本当の仕事とは”宮大工の教え

2015-10-30 10:37:11 | 散策
薬師寺東塔の解体修理は平成21年からはじまりましたが、
こんなにも、痛んでいたのです。

現在の芯柱は覆屋内の南側にそのまま移動されています。

平成31年春に、修理完了予定ですが、
宮大工さんなしでは、この修理再生は完了できません。

今回、宮大工、石井ひろしさんから直接、お話を伺いました。
約2メートルの台湾ヒノキ、樹齢千年の前にして、
どのようにしてまるくするかご存知ですか?との問い
8角形⇒16角形⇒32角形⇒64・・・
最後にやり鉋で、手仕事ですから鉋跡が残るのですよ。
宮大工仕事の一例として、ほぞの穴の大きさを挙げられ、
木工大工では継ぎ手よりやや小さくして、押し込みますが、
時間がたつと、湿度等により割れが生じます。
寺社建築では、3ミリ程度大きくしてあり、
木はお互いが自然に膨張してピッタリになり、
割れもせず、道理で何百年も絶えれるわけで、
良く考えられております。納得!

なお石井宮大工さんは、
法隆寺で有名な最後の宮大工、
西岡常一棟梁最後の弟子で、
わからないことを聞くと、常に言われたのは
”法隆寺のどこそこを観なさい”という言葉のみで、
次にお聞きしても、”法隆寺の・・・”
週に2回ほども通われていたそうです。
宮大工の世界も=見て覚えよ、盗みなさい=式の御指導
生前いただいた最後の言葉は
本当の仕事をしなさい
亡くなられて20年たちますが、
今でも”本当の仕事とは”を問いながら
仕事をされておられるそうで、
茶道にも通じるところがありますね。

次世代の宮大工さんが仕事をされておられます。

  
故西岡棟梁最後のお仕事は薬師寺玄奘三蔵院で
玄奘三蔵院の額「不東」が掲げられております。
「志を遂げるまで唐には帰らない」という自らの誓い。
そして西岡家の床の間にも「不東」と書かれた軸が、
・・・・・・
今も掛けられているそうです。
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薬師寺東塔 水煙降臨展にて仏舎利を拝む

2015-10-29 18:46:50 | 散策
薬師寺東塔覆屋を辞し、すぐそばで開催されている
特別展:東塔水煙降臨展にお邪魔いたしました。
入ってすぐに東塔基壇の版築工法の断面が剥がされ、
シルトを主体とした粘質土と砂とを交互に重なっております。
心礎右側の断面です。
クリックで拡大
杭の跡まで確認できるなんて、すごいですね。
同時に、和同開珎が4枚発掘されており

今年の8月の記者発表よると
”東塔基壇築成時に地鎮供養が行われ、
広く流通した貨幣を使用した最古の例”だそうです。
東塔の総高 34.133mで、相輪の高さは 10.341mあり、
相輪は下から露盤、覆鉢、九輪、水煙、竜舎、宝珠
         
露盤と覆鉢九輪一部『、銘が記載  水煙

水煙を紹介いたします。
 
先日の奉仕で薬師寺さんで頂いた樫舎の白鳳の飛天」
お干菓子の出来はいかがでしょう。
  
風雨、特に酸性雨に曝され、かなり痛んでおりますね。
 
今度はレプリカ?、どうされるのでしょうか。

最後に水煙に覆われており、心柱最上部に
祀られてきた仏舎利で、明治の修理以来です。

薬師寺内に伝わる『法相宗伝来肉舎利縁起』には、
玄奘三蔵が、インドから赤い色の舎利を持ち帰られたと。
中国から日本に今回発見された仏舎利も赤い色で、
非常に興味深いことです。
仏舎利(真骨)かどうかは、皆様のご想像に?
合掌 
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解体修理中の薬師寺東塔覆屋内は基壇のみ

2015-10-28 15:43:19 | 散策

今日は立冬から18日、土用の丑の日ですが、
水煙で有名な、現在解体修理中の薬師寺東塔を、
僧侶、村上定運さんの案内にて
伺った時のお話をさせていただきます。
東塔は平成21年から解体修理がはじまり、
平成31年春に、修理完了予定ですが、
今の『東塔』の覆屋内へ入らせて頂きました。

東側からヘルメットをかぶり、覆屋内に。
 
基壇の写真は撮ってもいいのですが、
ブログ等に載せないでほしいということで

2月に実施された修理見学会のパンフレットから、Pと記す)
なにもありません。
二メートル上からですが、目の前に基壇だけが。
P基壇全体図P
薬師寺のあたりは本当に湿地なのですね。
基壇の廻りの溝からは、水が浸み出しており
水が⇒ P
その上に十何重にも版築で堅く突き固められており、
コンクリートと同様の堅さだったそうです。
 
心礎も遠いですが、何とか
P
心礎レプリカ
明治時代に、心柱の下が腐り、継ぎ足すための工夫が
しかし防腐剤を塗った跡が取れないそうで、
将来の技術の進歩待つしかないそうです。
 
30メートル最上階からの眺めは、
また100年近く待たなければなりませんね。
  
廻りは吹き抜けとして網目のシートが、
やはり雨が降り入り込んでおりますが、 
廻りには、避けるように古材が所狭しと置かれており、
修復作業をされておられました。

向こうには、西塔が
 おまけ
奈良時代の技術にも感心しましたが、
守ることの大切さ、困難さがひしひしと
伝わってまいりました。
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主菓子は栗きんとんの渋皮煮餡で

2015-10-27 00:21:02 | 主菓子とお干菓子
主菓子は、栗の実を餡にしたいわゆる「栗きんとん」と
栗の渋皮煮を餡にしてお出ししました。

変わり種の『栗きんとん』ですが、
お越し頂いた方々から”おいしい”と言っていただけ、
名前は、何にしましょうか?と
お聞きしましたが、・・・
いろいろ考えあぐねて、『くり』を少し調べてみました。
『栗』という漢字とは、西と木から成り立っており、
①秋の西日に当たって実を大きくするので、
「西」+「木」と書いて「栗」と読むようになった
②奥の細道には
 ”栗という文字は西の木と書て、 西方浄土に便あり”
 西方浄土を表しているおいう見方
③実が落ちて木の上にいがが残っている様を表しているとも 
④「くり」は古語で黒という意味があり、
 樹皮が黒みがかっていることから命名された
象形文字の成り立ちが一番興味深いかもしれません。
栗の木の果実は球状を呈し、
上面は長いとげが密生を表していますね。
  

⑤と④の合わせ技、『栗くりきんとん』ということで。

お干菓子は、
三者三様、秋を感じさせるいい色味をしておりますね。
 ・栗納豆(後述)
 ・モミジは御影の「虎屋吉末」
 ・抹茶あられで「ぽりぽり」京丹波口『きたお』
(餅米のあられに宇治抹茶と黒豆きな粉をまぶして)


なお栗納豆は祇園四条『十六五(とうろくごう)』
  
包み紙に、おいしいですよとかいてあります。
『生涯楽在舌上』
本当に人生の楽しみは舌の上にありますよね。 
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お茶事の翌日もお稽古に

2015-10-26 08:59:07 | お稽古
奈良は今朝も秋天で、5℃まで冷え込みました。
無事茶事が終わり、みんなで洗い物や後片付けを
していただいたおかげで、お昼過ぎには
食器などをしまうだけですみそうです。
茶事は大変ですが、喜びもいただけて有難いことです。

実は今朝もお一人、稽古にお見えになります。
先日見学に来ていただいた子育てママさん。
風炉もおしまいですので、
昨日の茶事を、モディファイさせていただき、
中置の形で、略盆をと考えており、
茶事の名残も楽しんでいただけるでしょう。

掛け軸『瓢箪鯰』、『瓢箪香合』、『瓢型釜』
  
六つの瓢箪を、捜してくださいね。
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神無月茶事の献立

2015-10-25 17:48:43 | お茶会・お茶事
秋天の一日、神無月の茶事が終わり、ほっとしております。
献立を紹介いたします。
その前に、料理方は打ち合わせの日から
前日の下ごしらえ
当日二日間も早朝より、ダシを取り、
準備を始めてくださいました。
感謝してます。


向付 
  いさきの昆布締め(二日目は鯛)
  水前寺海苔、菊
  柚子スコ、醤油
煮物 すまし汁仕立
  鱧くずたたき 松茸
  三つ葉、柚子、柿の蔕麩


八寸 
  烏賊の一夜干し
  柿すが


茶事の進行に従い、皆さんで盛り付けに

出来上がりは、いかがですか。
半月弁当
  お寿司   秋刀魚寿司 柿の葉寿司 笹寿司
  焼き物   鴨ロース 砂肝 だし巻き卵
  付け合わせ ベビー水菜
  焚き合わせ 海老芋 人参 丸蒟蒻
        黒胡麻生麩 紅葉生麩 菊菜 
  香物    白菜 大根 新生姜


ほうじ茶

お料理方の頑張りで、皆様喜んで下さいました。
お茶事は一人ではできません。
皆さんのご協力で
心配するより産むがやすしで
終える事ができました。
二日間も、本当にご苦労様でした。
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神無月の茶事の一日目

2015-10-24 21:20:02 | お茶会・お茶事
皐月の茶事(正午の茶事)のあと、
皆様方はそれぞれ稽古を積み重ねておられ、
茶事もお稽古の一環として、さらなる楽しさを
味わっていただきたく、神無月の茶事(飯後の茶事)を
計画し、なんとか一日目が終わりました。
やはり、疲れますね。

待合いに、『無心』前大徳寺 西垣大道
「瓢箪鯰」がモチーフで、一番有名なのは
妙心寺塔頭・退蔵院にある『瓢鮎図』(ひょうねんず)です。
先日閲覧した大和文華館同様に、漢画の名作で
 「ただでさえ捕まえにくいなまずを、
 こともあろうに瓢箪で捕まえようとする。」
この矛盾をどう解決するか・・・という禅問答を表す。

この茶事では『瓢箪』を六つ揃えており、「六瓢箪」に
変じて、無病(六瓢)息災のお守りになるとされ、
捜していだだく趣向にいたしております。


飯後の茶事に従い、 
お客様3名、お水谷3名で神無月の茶事を行いましたが、
席入り後、向付、吸い物、八寸で千鳥の盃をしました。
薄茶まで終わった後、点心は半月弁当で楽しくおしゃべりを・・・
残念なことが一つありました。
私の確認ミスなのですが・・・、
 
初炭をしていただいた後、お炭に十分火が行き渡っておらず、
御濃茶がやや温くなったことです。
初座の後の席改めの時、必ず釜を上げて炭を見なくっては
反省です。
それでも、お客様には喜んでいただくことができました。
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明日のお茶事での玄関は『升色紙』色紙を

2015-10-23 13:39:31 | しつらえ
明日からの土、日の二日間、
お稽古の一環として、お茶事をさせていただきます。
玄関のしつらえは、三井記念美術館にて買い求めた色紙、
『升色紙』平安時代、十一世紀
 かみないのやますぎて
 たつたがはをわたるに
 もみぢのながるゝをみて
 かみなるのやまをすぎゆく
 あきなればたつたがはに
 ぞぬさはかづける

  (清原深養父集、ふかやぶしゅう)より
説明書によれば
”あたかも升のような方形の、鳥の子の素紙に
 微細な雲母砂子を一面に撒いた料紙を用いて、
 右に詞書、左に和歌をしたためる。
 螺旋階段をリズミカルに降るがごとき連綿は淀みがなく、
 墨線の肥痩・潤渇のバランスも心地よい。”
と書かれておりました。

このあたりのモミジはまだまだで、11月中旬でしょう。

今朝は、お稽古に伺う日なのですが、
午前中だけで、お昼過ぎに失礼して帰ってまいりました。
ツワブキ、紫式部、水引、小菊の花を少し持参したのですが、
ツワブキは茶花としてはダメと言われ、
庭では満開なのですが、使えませんね。
 

菊の花も咲き始めました。
 
秋海堂も終わりですが頑張っております。

赤とんぼ(アキアカネ)が飛んできました。


あー、ゆっくりしたいのですが、
まだまだ買い物が残っております。

追記:孫にトンボの写真をみせると
すかさず、”アキアカネ”とさすがですね。
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大和文華館にて「蘇州の見る夢―明・清時代の都市と絵画」展へ

2015-10-22 21:13:08 | 大和文華館
大和文華館にて朝から出かけました。
入り口の栴檀の木は葉が散り始めておりますが、
まだまだ実は青いまま

坂道を登っていくと、
センリョウ さざんか
さざんか 酔芙蓉
紅葉はまだ少しですが、館内へ
特別展 蘇州の見る夢―明・清時代の都市と絵画
が開催されております。
植松瑞希学芸員からの丁寧な説明を受けました。
いっぱいお話を聞きましたが、「馬耳東風」。
当時の社会情勢や文化が分からないと・・・?
今回は中国文化のはしっこでも、理解できたかな。
教えていただいた、はしりをすこし・・・
時代背景は
蘇州夜曲で有名な「蘇州」は揚子江河口に開かれた町で、
運河が巡らされた旧市街があり、
春秋戦国時代(紀元前585~473年)の呉の首府で
「呉越同舟」「臥薪嘗胆」の4文字熟語が表す裕福な街です。
絹や木綿の集散地で財を成し、元の時代文人文化が栄えたが、
しかし明初期に苦渋の時代を経たが、15世紀には復興し、
沈周、文徴明のリーダーの出現、
清になると皇帝が二代にわたり南巡を6回もされています。

入り口には、扇面図が左右に2点あり、
何かしらキラキラ輝く部分があります。
紙に金箔が塗ってある『金箋』で、
見る位置や粒子の大きさで、光沢感が違って見えるそうです。
当時の中国は団扇の文化で、
日本の扇面図、それも金の文化が流行したことが分かりますね。
←クリックで拡大を
『菊花文禽図』沈周(当時の社交界のリーダー)

鶏が五色の羽をもち(人間)がやや痩せ、羽も少ない(老人)
眼光が鋭く力強く立っている・・・沈周を表し
菊、蝶々・・・長寿を寿いでいるそうです。
特に讃の文章を是非読んでほしいとのことで、
お軸で少しはと思いましたが、それがなかなかなのです。

竹が崖から生えているのですが、
鳳凰に見えませんか。


中国文化は、なかなか手ごわいですよ。
こんな細かい描写まであり、さすが、無言。
清明上河図巻(1577年)
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