気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

松柏美術館の秋を

2015-11-30 20:39:04 | 美術館・博物館
松柏美術館は、大渕池の畔にあり、小さな美術館ですが、
上村松園先生と上村松篁さん、館長の上村淳之(あつし)
三代の画業を紹介することを目的とされております。
特別展『美の発見 日本画の冒険者たち』に
やっと終盤に伺うことができました。
 
駐車場からの入口から少し進むと
炉開き椿が咲き、名前が何ともともいいですね。
ユキツバキとチャノキの自然交配種でたいへん珍しく、
小輪品種で淡桃色の「一重平咲き」だそうです。

さらに進むこと、駐車場から80mほど行くと
エントランスに
 
第一室、堂本印象さんの絵に、
マリア様ではなく、訶梨帝母(鬼子母神のこと)
何とも、ほんわかさせられませね。
 
小野竹喬 奥の細道句抄絵(おくのほそみちくしょうえ)を観ると
今年の夏の山形への旅行を思い出し、
この二句が、思い出を輝かせます。
「五月雨を あつめて早し 最上川 」
「涼しさや ほの三か月の 羽黒山 」
夏の羽黒山を望む
その他に
「象潟や 雨に西施が ねぶの花」
「荒海や 佐渡に横たふ 天の河 」
「田一枚 植えて立ち去る 柳かな 」
「笠島は いづこさつきの ぬかり道 」下の絵です。


やはり、松園先生が一番です。
12月からは、松園・松篁・淳之「温故知新」展が始まり、
寄せていただきですね。

入り口を、帰りとは逆の左側へ向かうと、旧佐伯邸で
建築家の村野藤吾氏が設計した木造による数寄屋建築です。

内部は今日は野点をされており、
 
左側の萱葺屋根の建物が茶室『伯泉亭』になっており、
表千家残月亭を参考にした請った造りだそうです。

以前お茶会に寄せていただいたことがあり、
この茶室『伯泉亭』で、初釜が出来れば最高なのですが、
まだまだ・・・

秋を楽しませていただきました。
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日本最古のチーズ・蘇(そ)

2015-11-29 19:20:30 | お稽古
奈良時代の皇族・貴族の食事は
平城京跡資料館で見ることができます。
なんと、15品もあり豪勢なことです。
全国各地から都に届いためずらしい材料が調理されており、
食器や箸なども漆塗りなんですよ。

主食のご飯は蓮の実入り、
鴨とセリの汁、筍・フキ・菜の花の焚きあわせ、
生牡蛎、干し蛸、車エビの塩焼き、焼アワビ、
塩水につけて発酵させた漬物、
茄子と瓜を(ひしお)に漬けた漬物、
(そ)

奈良時代は血を血で争う抗争の日々だからこそ?

一方下級役人たちの食事は、一日二食で、
すべて与えられております。
(平城京は数万人の規模で、役人はほとんどが単身赴任)
7品で、主食は玄米(げんまい)、
副食は鰯の煮つけ、かぶの酢の物、みそ汁、
きゅうりの塩づけ、
そしてお酒(清酒ではなく、にごり酒です

作られていたのは大膳職、給食センターです。
 
待遇改善書が一通残されており、その中に
・仕事中に出される食事がまずいので、
 せめて中程度のものにして欲しい。

ちなみに庶民は辛いですね。
1汁1菜。玄米ご飯、ゆでたノビル、アラメ(海藻)汁、塩。
カロリーはたったの407kcal、栄養不足です。

さて本題の蘇(そ)酥(そ)とは
日本最古のチーズとも言われ、
牛乳を煮詰めて作られています。
聖徳太子(現在は実在の人物ではない)も食べられたと?
歴史の中、万葉集には記載はありませんが、
「政事要略」という書に以下のように載っております。
「文武天皇4年(700年)10月、使を遣し蘇(そ)を造らしむ」と
私は、奈良シルクロード博(1988年)で頂いたことがあり、
そんなにおいしいと思いませんでしたが・・・
今は、平安時代の製法、蘇に蜂蜜などの甘みをつけた
「蘇蜜(そみつ)」様に進化しており、
チーズケーキそのもので、おいしくなっております。
一度召し上がってください。

一つ疑問があります。食に敏感な日本人が、
「蘇」を和菓子としてなぜ用いなかったのでしょうか。
肉食を禁じた仏教の影響もあるでしょうが、
歴史の中にうずもれていた食品ですね。
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地下の正倉院展って

2015-11-28 19:57:27 | 美術館・博物館
目覚めると、西風と共に、冷たい雨が、
今日は、外に出かけたくない気持ち、
でも、公民館の講座「秋の都跡を訪ね、平城京跡を巡る」に
行かなくては、と準備をしておりますと雨が止み
やや明るくなってきました。
マップ
集合場所は、近鉄西大寺駅から東方向へ10分程の
平城宮跡内にある平城京跡資料館で、
無料ですので是非いらしてください。
大正時代の写真では、田んぼの中に大極殿跡のみ、
近鉄電車の線路が見られるのみ。
(本当は一条通り付近から、転害門に奈良駅設置の案で、
直前に平城京が判明し南へ微妙に避けられております。)
現在は
 
棚田嘉十郎・溝辺文四郎らの
先人の文化財保護の慧眼に感心し、大切さを痛感しました。
ボランティアガイドさんのギャグを交えた説明に納得。
でもあまり思い出せません。年ですかね?

『地下の正倉院展』つまり出土した木簡のことです。
平城京跡では地下水脈が豊富で、1mも掘ると水がわき出て、
クリックで拡大を
奈良時代の木簡が酸素を絶たれて、腐敗から守られており、
墨で書かれた文字もやや褐色調になるも保存されております。
多くの木簡は、何度も表面を削られて使用され、
その削り取られた削屑を、捜し出します。
削屑現物です。
研究員が再現させますが、今まで
読めなかった木簡が判読できるようになったのは、
・赤外線装置の使用と進歩、
・保存処理による墨蹟の鮮明化
・事例の蓄積
が挙げられ、このように型式分類されております。
木簡の型式分類
実例をお示しします。
造酒司の井戸が見つかっており、
 
その付近から発見された木簡で、造酒司と判明。

酒づくりの日々の木簡です。

大倭国(やまと)と刻まれた木簡等・・・

何事にも熱意と根気が必要ですね。
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ひとりで着物を着てpart2(お友達の茶筌で)

2015-11-27 17:45:13 | お稽古
六月にひとりで着物を着てお稽古ををされましたが、
子育てママで、月に一回のお稽古が精いっぱい。

今朝は最低気温5℃以下になり、西風も強く
玄関の掃除をしましたが、元のもくあみ。
突然メールで、
「着物を着てお稽古をさせていただけますか」
あわてて、二階の掃除も追加しました。
炉開き後、初めてのお稽古、
御善哉の準備もしなくては、
玄関のしつらえ
床も準備完了で、
炭を熾して・・・

二人おいでになり、二階で着物を・・・
35分で降りてこられました。
出来栄えはどうでしょうか?

まず水屋で準備をして、
『ひとりで着物を着てお稽古をpart2』の始まりです。

お稽古は、薄茶運び平点前になります。

なぜか、茶筌を持参されました。伺うと
この茶筌は、今年から茶筌造りさんでパートをされている
お友達の作、と言っても一部の工程だけで、
糸と竹を?と伺いました。
調べてみると多分、
下編・上編(したあみ・うああみ)と穂先を直す工程で、
前者は折り上げ糸で編んで行く糸を巻く事だと思います。

茶筅は
奈良の生駒市高山地区が、全国の80%以上のシェアがあり、
ここ高山では、茶筅ではなく茶の字を使います。
9つの工程から成り、伝統工芸士さんも輩出されています。
①原竹(げんちく) 冬に切り出された2、3年生の淡竹を切断
②片木(へぎ) 節の上半分位から先方の表皮をむく
     そして、大割包丁で半分ずつに割って16割にする
④小割(こわり)16割の1片を大小交互に割る
⑤味削り(あじけずり) 穂先の部分を湯に浸し
    身の方を根元から先になるほど薄くなるように削る
⑥面取り(めんとり) 削り上がった茶筌の上がり穂を1本ずつ
        本質の穂の両角を少し削って角をとる
⑦下編・上編(したあみ・うああみ) 折り上げ糸で編んで行く
⑧腰並べ(こしならべ) 茶筌の大きさをきめる
⑨仕上げ(しあげ) 穂先の乱れを直し、形を整える

この茶筌を使い、お稽古されました。

熱心にお稽古されており、時間が、
「この茶筌でのお薄はいかがでしたか」
と聞く暇もなく、あわてて帰られました。

私にもこんな時がありました。ガンバレ!
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「大和しうるはし」の歌碑で

2015-11-26 19:50:14 | 散策
孫の七五三は写真の先取りで、済ませておりましたが、
やはり参らないとという訳で、春日大社へ。

春日大社に歌碑が二つあります。
倭建の命が能煩野(のぼの)で詠んだ歌と伝えられ、
(能煩野は現在の三重県鈴鹿郡のあたり)
やまとは くにのまほろば たたなづく 
 青がき 山ごもれる 大和しうるはし

「古事記」では漢字で書かれ、
夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多々那豆久 
  阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯

「日本書記」では
夜摩苔波 區珥能摩倍邏摩 多多儺豆久 
  阿烏伽枳 夜摩許莽例屢 夜摩苔之于漏破試

古事記と日本書紀ではどうしてちがうのでしょうか
日本書紀では鼻濁音が使われています。
しかし『古事記』では鼻濁音が使われず、
漢字の音だけを用いて書かれており、
漢字の意味は無視されております。

でも実はヤマトタケルの伝承がもとだそうで、
この古い伝承を、王権の歴史史料の取捨選択の後、
やがて『古事記』、
さらに『日本書紀』という形に昇華し
「古事記」は朝鮮漢字音の影響を受けた表記者により
「日本書紀」は新しく唐からもたらされた中国の正音に
影響を受けた表記者に書かれたのではないでしょうか。

もう一つは古今和歌集巻第九
『天の原 ふりさけ見れば 春日なる
       三葢の山に いでし月かも」
阿部仲麻呂の望郷で有名な歌ですね。 
 
現在、あまり三葢山と言われません。若草山で、
皇室に遠慮されているのかも?

このような歌碑を見ながら、
残念ですが、今年の奈良の秋はもう一つです。
  
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春日大社の「春日餺飥うどん」って

2015-11-25 18:34:35 | グルメ
現在「うどん」の発祥の地はというと
『讃岐』と『博多』といって双方譲らないようですが、
そこに割って入ったのは、なんと『奈良』
 
先日、春日大社に参らせていただいた折、
こんな看板が出されておりました。

うどんのルーツは奈良にあり
「春日餺飥うどん」とは
平安時代中期、右大臣藤原実資の日記「小右記」に、
一条天皇の春日詣(989年)にて、切り麺として
餺飥(はくたく)が供された記録があり、
さらに、鎌倉期の料理書「厨事類記」には
「棒で押し広げて刀で切り、ゆでる」と記されています。
これをもとに、『うどんのルーツは奈良にあり』と

見かけはきしめんに似ておりますが、
モチモチ感とともに、こしもあり、
ツユは鰹だしに醤油の味付けにユズの香りが、
かなり現代風にアレンジされているようです。

平安時代には、小麦粉・米粉を山芋で繋いで延ばした練り粉を切り、
饗宴の場で、京都から随行していた20人の「餺飥女」が
両指先に油を少しつけ、切った練り粉を指先でもみ、
音曲に合わせて麺にしております。
なんとも、優雅で、風流なことですね。

上の写真は、午前11時頃、神職が竃殿からの
神饌をささげ持っておられ、速足で去って行かれました。
そのあとを、テレビカメラが追っており、
あっという間の出来事で、なんだったのでしょうか。
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芥川香は伊勢物語から

2015-11-24 17:53:54 | お稽古
香道体験講習会は午前は、源氏香でしたが、
午後からは、芥川香になっており、
機会があれば是非、受けたくなりました。
この芥川香は伊勢物語より取り入れられたお香で、

伊勢物語六段の二条の后の
摂津の芥川近くの草の上に置いた白露を見て
「あれは白玉か」と問うような姫君を奪ってきたが、
とりかえされてしまう事を詠った証歌があります。
白玉か なにぞと人の 問ひしとき 
    つゆとこたへて 消へなましものを

(白玉ですか、何ですかとあの人が訪ねた時、
露ですと答え、そのまま私も消えてしまえばよかったのに)
この「業平の話」のこじつけから生まれた組香なのです。

奈良の大和文華館に伝)俵谷宗達筆の一枚の色紙があります。
”芥川にたどりつき、白玉かとの問いに、
 見つめあう二人の心持が表されております。”
伝俵谷宗達

組香ってどういうものなのでしょうか。
色と形で表せば絵画、
文字で表すと文学となり、
香りで表現する遊びが組香と言われております。
この組香の最も基本となる「古十組」は、
十炷香・花月香・宇治山香・小鳥香・郭公香・小草香・
系図香・源平香・烏合香・焚合十炷香とされ、
江戸時代に発達した『盤物』では、
『四種盤』は「競馬香」「矢数番」「源平香」「名所番」と
『十組盤』は「六義香」「吉野香」「龍田香」「角力香」
「鷹狩香」「闘鶏香」「舞楽香」「花軍香」「蹴鞠番」
「呉越香」があります。
(競技性が強く本質から離れており現在はあまり行われない)

このようにして現在は1000種類以上にも及ぶそうで、
季節感あふれる、歳時記としての遊びも考えられ、
変わったところでは、夏のモネの睡蓮香(谷川ちぐさ作)など、
この先もまだまだ増えそうですね。

初冬のこの季節、御家流では「時雨香」を11月にされます。
証歌;『木の葉散る 宿はききわくことぞなき
     時雨する夜も時雨せぬ夜も
』 源頼実

心が静まりますね。
知れば知るほど、何事も難しいものです。
 参考:香道を楽しむための組香入門(谷川ちぐさ、淡交社)
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香道体験に法華寺へ

2015-11-23 20:26:42 | お稽古
普通、香りは「嗅ぐ」、でも香道では「聞く」という
香道体験に法華寺さんへ伺いました。

御流梅を見ながら

横笛堂、空浴、光月亭の奥にある会場である東室へ
お軸は、雪の上に落ちた一輪の椿の花
 
講師は御家流の堀井暁蓉先生です。
綺麗な源氏香の模様がアクセントの
手書き友禅の内敷の上に並べられた
お道具の一式とお香の種類です。
 
私が参加させていただいたのは、
香道の中では代表的なお香である
源氏香でした。
まず源氏香の説明があり、古帛紗が取回され、
次に手記録盆が回され、
自分の古帛紗の上に手記記録紙を取り回します。
続いて重硯箱も回され、
下段から取り、順に回します。
ご挨拶の後、お手前が始まりました。

五種のお香がそれぞれ五包づつ用意されており
その二十五包の中から五炷だけ小さなプレートに乗せ、
右にある香炉に乗せて焚きます。
その組み合わせにより源氏香図で答えます。
この源氏香図は世界に誇るデザインで、先人の知恵に驚くばかりです。
源氏香図
本香五炷聞くだけで試香なし
なんと五十二通りの図型ができ、確率は1/52と難しいもので、
源氏物語は五十四帖、ということは二帖、桐壷と夢の浮橋
以外をあてはめます。
5種の聞き香の後、同香か異香かを聞きあて、
同香のものを横線で結ぶとおなじみ源氏香之図となり、
源氏物語各巻の題がそれぞれつけられており、さらに
手記録紙に、源氏香図とそれに見合った題を書きます。
この香組に季節感があふれているものあり、
証歌付きで楽しまれる事もあるそうです。
これがくせもの、源氏物語で語られる歌、もしくは
三條西実隆公の源氏香に因んだ歌でも良いのですが、
本当に源氏物語を知らないと、なかなか楽しめませんね。

手記録紙です。


茶道では、どうしてもお香は形重視になっておりますが、
本当の香道を、講習していただき、
香りの楽しみを少々知ることができ、
香道の奥深さを感じ取ることができました。
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ならぬことはなりませぬ(会津山塩羊羹を)

2015-11-22 17:11:13 | 主菓子とお干菓子
週末二日は御稽古日に、
玄関には『喫茶去』の色紙を
「どうぞ、お茶でも召し上がれ」

床のしつらえで、
初嵐、杜鵑、南天を活けてみました。
 
主菓子に、会津山塩「ならぬことはなりませぬ」(太郎庵
と荷葉露を
 干菓子
この羊羹は、会津大塩裏磐梯温泉から精製した山塩
厳選した極上の寒天、北海道十勝産の小豆を使用とのこと、
塩味の少ない羊羹で、上品なお味、というのも
山塩の元は海水に比べ塩素イオンが少なく硫酸イオンが多いという、
特殊な泉質のため、味わいや風味が海塩とは少し違うようです。

岡山出身の方から、良く似た岡山の塩羊羹がありますとのこと
そういえば、お隣の日光下諏訪などにもありますね。

侍の魂「義」を守る会津の侍の凛とした姿を想い造られた、
この羊羹、『ならぬことはなりませぬ』と命名されました。

これは「什(じゅう)の掟」のなかにあり、
会津の武士はこうあるべきだと互いに約束し、励んだそうです。

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
ニ、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言うことはなりませぬ
四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五、弱い者をいじめてはなりませぬ
六、戸外でものを食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

現代的には不合理な事もあると思いますが、
「ならぬことはならぬものです」
つまり「いけないことはいけない」
子供たちの教育には必要と思われますが、
私たち大人にも、この気持ちを持ち続けたいものです。
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口切の軸『一口残』のいわれ(本家菊屋)

2015-11-21 18:10:00 | お茶会・お茶事
口切に掛けられていたお軸です。
一口残』  
ーお菓子が美味しかったから、
後でまた食べる為に一口分だけ残しておこうー
大名茶人の柳澤堯山公の書だそうで、
江戸時代中期の大和郡山藩第3代藩主で、
郡山藩御用窯として、赤膚焼を保護奨励されており、
なかなかしゃれたお方なのでしょうね。
お菓子を納めた時に、お願いして書いて頂いたそうで、
茶を通しての親密な間柄も想像できますね。

今は軸装されておりますが、
昔は額に入り、仏間に飾られていたため
色がやけてしまったのだそうです。残念!
 
子供の時、
「美味しいから、後で頂こうと」いって
残しておいたら、食べられてしまい
けんかになった経験はありませんでしょうか。

 江戸時代末期の建物 
本家菊屋」は1585年(天正13年)に豊臣秀長公に
大和の国に連れてこられた和菓子屋さんです。
大和郡山で430年、現在26代ということは、
かの創業地からでは600年以上かもしれません。

秀長公といえば、豊臣秀吉公の弟で、
秀吉さんをもてなすお茶会を開かれております
その時に献上されたのが、『城之口餅』

粒餡を餅で包み、きな粉がまぶされた一口サイズのお餅で
秀吉さんから『鶯餅』と御銘されたそうで、
鶯餅の原型とも言われております。
時代が経て、城門を出ると町人街の一軒目に店があり
城の入口で売っている餅⇒『城之口餅』に。
このお餅と一緒に、店頭で召し上がるときに湯を沸かした
茶釜が、本店(江戸時代末期の建物)玄関に飾られており、
16枚の菊花の紋があり、献上品かもしれません。
 

寄り付き待合いに掛けられていたお軸で、
蓬莱山』に雲龍が描かれ、当家には
古くから伝わっているそうで、残念なことに作者は不明です。
  
寄り付きの前のしつらえです。
 

大和郡山は、金魚でも有名な街で、金魚池も点在し、
茶室の入り口の睡蓮鉢にも一匹の金魚が、
寂しい限りです。


なかなか経験できない口切茶事にお招きいただき、
ご亭主の心遣いもすばらしく、ありがとうございました。
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