味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

高山は仰ぎ、景行は行く。

2015-06-20 11:31:18 | ブログ
第2365号 27.06.20(土)
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高山は仰ぎ、景行は行く。『詩経』
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 「景行」は大道の意。高い山があれば、誰しもこれを仰ぎ見る。また大道があれば、だれしもその道を行きたいと考える。徳の高く大きな人があれば、これを敬仰し思慕するのは人情の当然である。
 「止」は助詞。この句から慕いうやまう「景仰」の熟語ができた。179

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 【コメント】連日「高山を仰ぎ、景行」を行っています。あまりにも知らないことばかりで、あまりにも稚拙なことが多いからです。お蔭で楽しく有難いと思っています。
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 私から見た「大道」とは荘内の偉大なる先生方でございます。
 今朝の学問館は四人で学修しました。谷山小学校六年・竹之内君も一人でやってきました。
 今朝の教材は、
 1.その人物と生き方に学ぶ----土光敏夫
 2・誠は天の道なり 之を誠にするは人の道なり
 3・未来をコーディネートせよ
 4・孔子の歩いた道
 5・103歳の気概
 6・孔子の人間学
 7・その位に素して行う
 8・生きる力
   等々でした。

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 連日2時間くらいの時間をかけて稚拙ながら、ブログを綴っています。菅原兵治先生著『大学味講』『農士道』もご紹介していす。まだまだご紹介したいご著書がございます。一義的には未熟な自分が学問をしたいためです。そして皆様へのご紹介も兼ているつもりです。
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 書き写したい本が山ほどありますので、100年はかかるでしょうと先のブログに書きました。
 人間は時として、問題を起こすことがあります。百点満点の人なんていないと思います。だから何言われようが、忠告を謙虚にうけて努力をすれば今までと違った自分が形成されると思います。

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 私はいろいろあっても一心不乱にブログを書き、漢籍を読み書きすることにしています。
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 昨日は、夕刻健康スポーツランドに行きました。電電で一緒に仕事をしていた久保博信先生と十数年ぶりにおあいしました。とっても頭がよく、人あたりがよく、仕事ができて、最高の人格美を秘めた先生でした。
 その昔63年前、弟と友達と3人で、枕崎から鹿児島まで自転車で遊びに行ったことがありました。6時間かかりました。そして天文館にある久保先生のご自宅に一週間泊めて貰ったことがありました。ご家族様、素晴らしい方々ばかりでした。その節は誠にありがとうございました。
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『大学味講』(第202回)
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   味 講
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 この詩は詩経の小雅蓼䔥の篇の第三章にある句であります。その全文は
  「蓼たる彼の䔥斯(よもぎ)、霊露泥泥(れいろでいでい)たり。既に君子を見る、孔  
   (はなは)だ燕(えん)して豈弟(がいてい)たり。兄に宜しく弟  に宜しく、令徳寿にして豈(たのし)まん」
というのであります。この詩は天子が諸侯を迎えて、宴会を開く時に歌うものでありのますが、これを意訳すると、
  「長く伸びた彼のよもぎは、清い露を一ぱいにふくんでいる。そのよもぎのような立派な君子を迎えたのだから、盛んな宴会を開いて、  大いに楽しくやろう。そして兄(上の者)に対しても、弟(下の者)に対しても、気持ちよく応対するので、いつまでも長くたのしむことが  出来る」
となるのでありますが、この中の「兄に宜しく、弟に宜し」という一句を引いて、このような心、このような態度があってこそ、始めて広く国人を教えることが出来るものである、といっているのであります。

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『論語』(第302)
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 子貢友を問ふ。子曰はく、「忠告して之を善道し、不可なれば則ち止む。自ら辱めらるること無し。
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 子貢が友と交わる道を問うた。孔子が曰われるには「朋友は互いに徳を進める助けとなるものであるから、善を勧め悪を正す場合には誠意を尽して告げ、善を尽くした言い方でこれを導き、もしどうしても忠告善道の道に従わなければ、機を見て言うのを止めるがよい。止むべき時に止めないで幾度も繰り返し先方から厭い嫌われて、自ら辱めを招くようなことの無いようにするがよい。」
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『農士道』(第181回)
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 猶この瀆武的態度の批判の一資料として「武」の本義に就いて一言して見たいと思ふ。吾々が敵に対して三つの態度を持し得る。第一は逃避的態度、第二は闘争的態度、第三は尚武的態度である。敵に対し乍ら、負けるのが怖い、命が惜しい、三十六計逃ぐるに如かずで泣き寝入りするのが逃避的態度であって最も卑怯なる弱者の程度である。之に対して生命力旺盛にして敵を恐れぬはよいが、未だ其の力が洗練せられず、敵と見れば、時には喧嘩を買って強いて敵を作ってまでも、直ちに闘争を事とするのが第二の闘争的態度である。/font>

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