味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

義は藝の分、仁の節なり。

2017-07-31 17:45:37 | ブログ
第3136号 29.08.01(火)

義は藝の分、仁の節なり。藝に協(かな)ひ、仁を構ず。之を得る者は強し。仁は義の本なり。順の體なり。之を得る者は尊し。故に國を治むるに禮を以てせざるは、猶ほ耜無くして耕すごときなり。『礼記』(礼運第九)351

 そもそも道義は人の分際に適合する規範であり、仁愛の節度を示すものであるから、道義を正しく行為に表わし、同時に仁愛を適度に行なうことのできる礼儀礼節を、良く心得た人は、万人を治める能力を得ている、と言って良いであろう。また、仁慈は道徳の基本であり、和順の土台であって、仁慈を心得た人は、万人に長たる能力を得ている、と言って良いであろう。

 【コメント】我々凡人であっても、礼儀礼節を良く心得、さらには仁慈を心得た人になるべく、更なる修養に努めたいものだと思います。

 防衛大臣が辞任し、内閣は大変な騒ぎみたいです。これらは森友問題に端を発しているという識者の人もおられるようです。

 森友問題では、安倍総理が上に書いた<礼儀礼節を良く心得・弁え、さらには仁慈を心得ておられれば、夫人が名誉校長を受けるようなことはなさらなかったであろう>と指摘される方もおられるようです。
 特に政治家の方には、利を得たいという得体の知れない人間が入り込んできますので、人の代表となる方々は充分警戒することが肝要ではないでしょうか。

 かく申す私は、青少年に分不相応なものをほしがらないように、女性の方に抱き付かないように、非違行為をしないようにとお話しています。
 短絡的なことをした場合、今まで構築してきたものが総て水泡に帰すことになりかねないからです。

-------------------
『不動心』(第4回)

 若い時から人生の基本を学ぶことが大切

 一、祖父ウェルスから学んだこと、それは礼節と、何ものにも動じぬ心である。父についての評判と思い出から学んだこと、それは飾り気のない男らしさである。
 母は私に、神を敬い人にはもの惜しみをしない人間とはどういうものかを教えてくれた。また、行動はもとより心の持ち方一つにしても冷酷であってはならず、金持ちによくある暮らし方とは無縁の質素な生活をすべきだということも教えてくれた。
 曾祖父からは、学校教育を受けるかわりに自宅で良い教師につくべきだと忠告された。そして、それにかかる費用を出し惜しんではならないということも。
 教師は、私が戦車競技で縁衣団や青衣団を応援したり、拳闘競技で小楯の剣士や太楯の剣士に肩入れするのを思いとどまらせてくれた。また、苦労をいとわず、欲を出さず、自分の仕事に精を出し、余計なお節介を焼かず、決して他人のうわさ話に耳をかさぬよう力づけてくれた。

-------------
「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第81回)

 「新聞は日々政府軍の勝利を報じているが、どうして正しく見とおす眼をごまかすことができようか。庄内は小さく、力弱く雄叫びもあげえないとは、悲しいかな、悲しいかな。いずれ国家統一の暁には、心力を尽くして王事に勤め、誓って国威を伸長し、死するも人後に落ちるものではない」
と。七月三日には、
 「ああ難しい。いまの形勢をもってすれば、義軍(西郷軍)は日毎に勢力範囲を縮め、奸軍(政府軍)は勢いますます盛んである。ああ遂に天を無(な)みするか」
と。はちがつになると、
 「心配でたまらず易を占う」
 「天は東邦を見捨てようとするのか。または大難を下そうとするのか」
 「高鍋を捨てた義軍の拠り所はもはや延岡だけになる。断腸の悔しさ。天なるかな。命なるかな」

---------------

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。