味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

元享利貞は、天道の常、

2017-06-29 09:52:56 | ブログ
第3103号 29.06.29(木)

元享利貞は、天道の常、仁義礼智は、人性の綱。凡そ此れ厥の初、不善有ること無く、藹然たる四端、感に随ひて見はる。親を愛し、兄を敬し、君に忠に長に弟なる、是を秉彜と曰ふ。順ふこと有りて彊ふること無し。『小学』

 天道は常に活発に、とどこおりなく運行し、万物も各々その正しい存在の形式をとりこれを成長させ、完成させて、一切の凝滞を許さず、各人が生まれつき持っている天賦の法則を正しく執り守るものだけを存在させてゆく。人間にもその存在の法則を保つべく性が賦与されたが、仁義礼智、即ち道徳性こそその最大の要素であり、本質である。故に、この性は元来至善である。この至善の性は外物との接触により、惻隠・羞悪・辞譲・是非の心、即ちいわゆる四端として具体的に発現する。
 従って、この心による行動は、自然に、子としては親を愛し、弟としては兄を敬い、臣となっては忠を尽くし、子弟としては長上に子弟としての義務を果たすというように、すべての徳行となる。よってこれを人の常性と名づけ得る。つまりこのような道徳は。人間の本性にしたがって現れるのである。


 【コメント】仁は自己中心の意識がまったくなく人を愛すること、義は利己的感情に打ち克って正しいことをする、礼は秩序ある社会生活が行われるために定められた行動をする、智は是非の判断、道理の認識の作用、並びにその能力のことである。

 今、国の最高機関と言われる国会で仕事をするオバサマが、極めて低次元な言葉で秘書を怒鳴りちらしたという音声がメディアによって紹介されています。

 こういう方々こそ、『小学』、『大学』こそ学ばなければならないのではないかと思うのですが、如何でしょう。森本にしても加計学園にしても権力者は私情をはさんではいけないと思うのですが、国民は冷静に観察しているのです。

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『人としての生き方』(第57回)

 何事も本質を捉えること、そして長い目で見てゆくことの大切さを教えています。

 国づくりの基本は人づくり、人づくりを基本にしなければダメなんです。国の有り方をどうするか。町づくりをどうするか。その基本となるのはやはり人なんです。そして人づくりの前に吾づくり、自己をつくることが何よりも大切です。
 学問をするというのは、単に聖人君子の教えをなぞっているだれの、言うことは立派だがその教えというものが何一つあらわれてこない。実行されていない。これでは価値がない。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第49回)

 権勢の座を利用して私利私欲をはかることを西郷は〔生理的〕に嫌いました。〔徳川幕府もそのために死期を早めたではないか。今にしてこの弊風を打破しなければ、回天の壮挙を、半ばにしてたおれた幾多の同志に、どのツラ下げて相見えることができようか〕(邦光史郎『隆盛・月照錦江湾に消ゆ』)。
 この東京事情報国会の内容は、二か月後、東京で西郷が菅にも熱く語ったことでした。これは菅の胸にも熱く伝わり、深く同感し、第二維新を西郷とともにする決意を固めたものと思われます。それが庄内の〔国辱をそそぐ〕ことでもあったのです。
 以下のことは別稿で記したことですが、浜で釣り人が白髪の大漁を釣る名人に邂逅した話です。釣り人は菅、大漁を釣る名人の白髪の老人は西郷、そして大漁を釣るとは第二維新、その時期は南風が吹いたとき、そう考えるのが穏当ではありませんか。しかしこれは菅ひとりの胸中に秘められていたことでしたが、やがては〔志を確立した〕同志にも、秘事として伝わりました。

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