味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

父に争子あれば、則ち身は不義に陥らず。

2015-06-19 11:09:52 | ブログ
第2364号 27.06.19(金)
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父に争子あれば、則ち身は不義に陥らず。『孝経』
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 父に過ちのあるばあい、これと争い諌める子があれば、父の身も不義に陥ることはない。289
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 【コメント】人に過ちがあった場合、父だけでなく、母であってもおだやかに話して過ちをしないようにしなければならないと思います。決して高飛車に言ってはならないと思います。
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 人間社会ではいろいろある訳ですが、物事は出来るだけ善意に解釈したいものです。感情的に走っても、多くは心のよい方が多いのですから。毎日、『南洲翁遺訓』を諳んじて、子どもたちとお付き合いしている方がとっても楽しいです。

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『大学味講』(第201回)
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 その二、兄に宜しく弟に宜し
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 詩に云く、兄に宜しく弟に宜しと。兄に宜しく弟に宜しくして、而る后に以て国人を教ふべし。
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『論語』(第301)
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 樊遅仁を問ふ。子曰はく、「人を愛す。」知を問ふ。子曰はく、「人を知る。」樊遅未だ達せず。子曰はく、『直きを挙げて諸(もろもろ)の枉(まが)れるを錯(お)けば、能く枉れる者をして直からしむ。」樊遅退き子夏を見て曰はく、「郷(さき)に吾夫子に見(まみ)えて知を問ふ。子曰はく、「直きを挙げて諸の枉れるを錯けば能く枉れる者をして直からしむ。』と、何の謂ぞや。」子夏曰はく、「富める哉言や。舜天下を有(たも)ち、衆に選んで皋陶を挙げしかば、不仁者遠ざかりき。湯天下を有ち、衆に選んで伊尹を挙げしかば、不仁者遠ざかりき。」
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 〔訳〕樊遅が、仁とは何かと質問した。孔子は、人を愛することだと教えた。又樊遅が、知とはどういうことかと質問した。孔子は、人を知ることだと答えた。しかし、樊遅には、「人を知る」ということの真意が理解出来なかったらしい顔つきを見て、孔子はさらに、諺に「真直ぐな板を取上げて、曲がりくねった材木の上に載せておくと、いつの間にか、曲った材木が真直ぐらになってしまうことがあるが、このようにすることが知である」と説明した。
 樊遅はまだ十分その深意を理解しかねたものらしい。兄弟子の子夏に会った時、「先ごろ、私は先生にお目にかかって知を訊ねたら、先生は、『直きを挙げて、これを枉がれるにおけば、能く枉がれるものをして直からしむ』と言った。これは一体どういう意味でしょぅかと」と質問した。
 子夏は、「さてさて、なんと内容の豊かなものだなぁ、先生のお言葉は。
 昔、舜が天下を治めた時、衆人の中から賢人皋陶を選んで挙げ用いたので、不仁者は遠のいて居なくなった。また、殷の湯王が天下を治めた時、大勢の中から賢人伊尹を選びだしてこれを宰相として挙げ用いたので、不仁者が遠のいてしまった。人を知るということは、このように大切なことだが、先生が人を知ることを以て知とされたのは、この意味だよ」と言われた。

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『農士道』(第180回)
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 然かもかかる時勢に於けるかかる勢力が一時的に如何に有力なる地位を占むるも、決して永久的存在性無き所以のものたることは、第二章の歴史的過程の事実に於いて證せらるることであろう。
 然し私共は決して此の「力」を否定してはならぬ。苟も彊義的態度を理想とする農士は、一面深き「義」的修證を積むと共に、一面また之
等の人々に劣らぬ強き力=「彊」を持することを怠ってはならぬ。

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