2020年3月25日 水曜日
夕方の仕込みまで、 コロナのニュースの 感染の拡大に釘付けになりながら、 ← 悲しい事に、 改善の兆しは 一向に見えません。
今日も、 明日のパン販売に向けて、 やっぱり、 いつもと変わらない水曜日を過ごしております。
もう着る事の無いコルドンのユニフォームを畳んで、
コルドンの色々なクラスを受講される方が多いけれど、
← 3個の卒業を得ると、 グラン デュプロム取得が出来るそうで、 それを 自分の経歴に乗せたい方もいらっしゃるのが現実。
私は、 そんなお金の余裕も無いし、 パンの学び以外には興味が無いので、 「 コルドン。 ハイ。 さようなら。 二度と 通う事はありません。 」 ってなココロモチで。
今では、 あの 必死に取り組んだ時間が、 うんと遠くの時だった様に感じています。
なので、 「 私は、 何か成長できたんだろうか。。。。 」 って、 自問自答してしまう程、 夢中で駆け抜けた時間、 あっという間の時間で、
今は、 遠くの、 遠くの時間になってしまいました。
田舎のおばちゃんの私は、 おしゃれな代官山の、 おしゃれな方々との時間に、 居心地の悪さを感じる事が多々あって、
「 学びの為だ。 」 「 学びの為だ。 」 の呪文を唱えて耐える事が多々あって、 辛い時間でもありました。
今日は、 一人で 呑気に、 ラジオを聴きながら、 時々 讃美歌を聞きながら、 スゲー格好の悪い 着古したリネンの服とエプロンを着て、
へそを喰って やっとこ購入できた縦型ミキサーを ガタガタ、 ガタガタならしながら、
夕方の仕込みまで、 コロナのニュースの 感染の拡大に釘付けになりながら、 ← 悲しい事に、 改善の兆しは 一向に見えません。
今日も、 明日のパン販売に向けて、 やっぱり、 いつもと変わらない水曜日を過ごしております。
もう着る事の無いコルドンのユニフォームを畳んで、
コルドンの色々なクラスを受講される方が多いけれど、
← 3個の卒業を得ると、 グラン デュプロム取得が出来るそうで、 それを 自分の経歴に乗せたい方もいらっしゃるのが現実。
私は、 そんなお金の余裕も無いし、 パンの学び以外には興味が無いので、 「 コルドン。 ハイ。 さようなら。 二度と 通う事はありません。 」 ってなココロモチで。
今では、 あの 必死に取り組んだ時間が、 うんと遠くの時だった様に感じています。
なので、 「 私は、 何か成長できたんだろうか。。。。 」 って、 自問自答してしまう程、 夢中で駆け抜けた時間、 あっという間の時間で、
今は、 遠くの、 遠くの時間になってしまいました。
田舎のおばちゃんの私は、 おしゃれな代官山の、 おしゃれな方々との時間に、 居心地の悪さを感じる事が多々あって、
「 学びの為だ。 」 「 学びの為だ。 」 の呪文を唱えて耐える事が多々あって、 辛い時間でもありました。
今日は、 一人で 呑気に、 ラジオを聴きながら、 時々 讃美歌を聞きながら、 スゲー格好の悪い 着古したリネンの服とエプロンを着て、
へそを喰って やっとこ購入できた縦型ミキサーを ガタガタ、 ガタガタならしながら、
小さなミキサーだから、 一つの生地からの派生をする事も出来ず、 一つ 一つの生地に取り組みながら、 だから 迷路の様な工程表を作りながら、
伊藤先生から学んだパンの学びから、 20年近くかかりました。
南部小麦、 ホシノ天然酵母の学びに出会った ピッコリーノでのパンのまなびの時から ズーッと向き合っていた課題。
先生に 何度も試作品を見て貰っていました。 ズーッと向き合っていました。
そんな中で、 群馬出身の先生は、 試作した味噌ぱんを、 「 これは、 やめられなくなるねぇー。 」 って仰って、 食べて下さいました。
← けいこ先生は、 「 私は、 いりません。 」 って 仰って、 決して試食をして下さいませんでしたが、、、
私は、 伊藤先生の中の 何百人の生徒の一人でしかありません。
私は、 伊藤先生の中の 通り過ぎて行った生徒の人でしかありません。
私が 先生の中の 特別な一人だと 決して思ってはいません。
それでも、 学びを 限りなく受けさせて頂いていて、 先生から頂戴できた事で、 20年かかって、 やっとこ カタチにする事が出来ました。
闊歩して先生の所にご報告に伺うのではなく、 小さなお花を持って、 この20年かけたカタチを持って、 こっそり、 そっと、 先生にご報告に伺いますね。
伊藤先生、 此処まで来るのに 20年 かかりました。。。。
二十年前の 私に伝えてあげたい。 「 あなたは、 20年、 続ける事が出来ましたよ。 」 って。
明日も、 変わらず、 ってか、 変われず、 自分でしかない 取り組みに 向き合います。
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やっぱり いつもと変わらない水曜日を過ごしています。
悲しい事に、 コルドンを卒業したからと言って、 コルドンで学んだ様なパンが焼ける、 フランスの学びのパンを焼ける 訳ではありません。
私には、 コルドンにある様な スパイラルミキサーは、 ありません。
私には、 コルドンで使っていた様な 発酵器は、 ありません。
私には、 コルドンの様な 業務用 オーヴンなどありません。
学びは得たけれど、 結局、 環境は、 やっぱり、 今までの ひなたぱん工房。 でした。。。。
それでも、 学びから得た オートリーズを駆使したり、 学びから得た 材料をチョイスしたり、 あの 辛かった時間から感じる事の出来る様になった 「 今の 自分のしあわせ 」 を享受出来たり、
カタチに見えない所で、 少しだけ、 ほんの少しだけではありますが、 変われた自分を感じる事が出来ます。
「 凄い。 」 と あれだけ心酔していたコルドンから 成績表が届きました。
相変わらず、 Techniaque の点数は良かったけれど、 Organization、 Presentation の点数は 悪いモノでした。
総合評価は、 平均点 から 少し上で、 総合評価は、 「 B 」 でした。
私は 群馬からの学びなので、 東京在住の方の様に タクシーを飛ばして Presentation の為の道具を持ち込む事が出来ません。
し、 私の 価値観 の重要な部分は、 「 パンが 美味しい事 」 「 パンに向けてのテクニック 」 「 もの作り 」 なので、 それ以外は、 価値観を感じません。
けれども 評価の対象は、 作るモノ 以外の部分の評価も加味され、 結構 その点数が 総合点に影響を与えます。
「 そっか。 結局、 物つくりが上手に出来なくても、 みんな 卒業できる様に組み立てられているんだ。 」 って、 成績表を見た時に感じました。
ドミニクシェフが、 Presentation で 「 僕が 素敵だと感じました。 」 って評価された Presentation の方のカタチは、 真っ赤な バラの花を飾ったものでした。
「 ドミニクシェフ。 申し訳ないけれど、 私は、 そんなクサイ事は、 出来ません。 だから、 評価が 低くても、 結構です。 」 って、 思ってしまいました。
私は、 私で、 結局、 自分の大切は、 自分の大切でしかなく、 それを好きでいて下さる方だけとの関わりだけで充分 しあわせなのだと感じました。
コルドンの評価と一緒に、 嬉しい知らせが届きました。
私には、 コルドンにある様な スパイラルミキサーは、 ありません。
私には、 コルドンで使っていた様な 発酵器は、 ありません。
私には、 コルドンの様な 業務用 オーヴンなどありません。
学びは得たけれど、 結局、 環境は、 やっぱり、 今までの ひなたぱん工房。 でした。。。。
それでも、 学びから得た オートリーズを駆使したり、 学びから得た 材料をチョイスしたり、 あの 辛かった時間から感じる事の出来る様になった 「 今の 自分のしあわせ 」 を享受出来たり、
カタチに見えない所で、 少しだけ、 ほんの少しだけではありますが、 変われた自分を感じる事が出来ます。
「 凄い。 」 と あれだけ心酔していたコルドンから 成績表が届きました。
相変わらず、 Techniaque の点数は良かったけれど、 Organization、 Presentation の点数は 悪いモノでした。
総合評価は、 平均点 から 少し上で、 総合評価は、 「 B 」 でした。
私は 群馬からの学びなので、 東京在住の方の様に タクシーを飛ばして Presentation の為の道具を持ち込む事が出来ません。
し、 私の 価値観 の重要な部分は、 「 パンが 美味しい事 」 「 パンに向けてのテクニック 」 「 もの作り 」 なので、 それ以外は、 価値観を感じません。
けれども 評価の対象は、 作るモノ 以外の部分の評価も加味され、 結構 その点数が 総合点に影響を与えます。
「 そっか。 結局、 物つくりが上手に出来なくても、 みんな 卒業できる様に組み立てられているんだ。 」 って、 成績表を見た時に感じました。
ドミニクシェフが、 Presentation で 「 僕が 素敵だと感じました。 」 って評価された Presentation の方のカタチは、 真っ赤な バラの花を飾ったものでした。
「 ドミニクシェフ。 申し訳ないけれど、 私は、 そんなクサイ事は、 出来ません。 だから、 評価が 低くても、 結構です。 」 って、 思ってしまいました。
私は、 私で、 結局、 自分の大切は、 自分の大切でしかなく、 それを好きでいて下さる方だけとの関わりだけで充分 しあわせなのだと感じました。
コルドンの評価と一緒に、 嬉しい知らせが届きました。
伊藤先生から学んだパンの学びから、 20年近くかかりました。
南部小麦、 ホシノ天然酵母の学びに出会った ピッコリーノでのパンのまなびの時から ズーッと向き合っていた課題。
先生に 何度も試作品を見て貰っていました。 ズーッと向き合っていました。
そんな中で、 群馬出身の先生は、 試作した味噌ぱんを、 「 これは、 やめられなくなるねぇー。 」 って仰って、 食べて下さいました。
← けいこ先生は、 「 私は、 いりません。 」 って 仰って、 決して試食をして下さいませんでしたが、、、
私は、 伊藤先生の中の 何百人の生徒の一人でしかありません。
私は、 伊藤先生の中の 通り過ぎて行った生徒の人でしかありません。
私が 先生の中の 特別な一人だと 決して思ってはいません。
それでも、 学びを 限りなく受けさせて頂いていて、 先生から頂戴できた事で、 20年かかって、 やっとこ カタチにする事が出来ました。
闊歩して先生の所にご報告に伺うのではなく、 小さなお花を持って、 この20年かけたカタチを持って、 こっそり、 そっと、 先生にご報告に伺いますね。
伊藤先生、 此処まで来るのに 20年 かかりました。。。。
二十年前の 私に伝えてあげたい。 「 あなたは、 20年、 続ける事が出来ましたよ。 」 って。
明日も、 変わらず、 ってか、 変われず、 自分でしかない 取り組みに 向き合います。